東京に戻ってからもヒヤヒヤしっぱなしだった。部屋に翔真がやってくるのかもしれない、学校でばったり会ってしまうかもしれない。
怯えながらも、心のどこかで期待していた。「なんで連絡くんないんだよ」「まさかブロックとかした?」とはじめは憤ってつっかかってくるかもしれない。それから先は……、結局光圀さんのことは言えないし、どうごまかしたらいいのかわからなかった。結局謝って、逃げるしかしないのだ。
そう考えると一歩も出歩きたくない。
故郷であった妙な体験もひっかかっていた。あれはいったいなんだったんだろう。会うことのなかったクラスメートに、逆に励まされてしまったのだ。
彼氏を作ることでも、好きな人(翔真である)に自分の気持ちを伝えることよりも先に、しなくちゃいけないことがあった。
でも、なにをどう書いたらいいのかさっぱりわからない。
光圀さんに言われたように、ありきたりの自己満足でしかないものしかできないような気がする。
「こら!」
バイト先でレジに立っているときだ。
森川さんがじと〜っと突っ立ってるぼくに喝を入れた。
「すんません」
「なにを怒ってるかわかってるの?」
「レジで死んだ顔してることですよね」
「それもある、けど、それ以上にダメなとこがあるよ」
「なんですかね……」
「きみ、お芝居を観に行ってから、自分のことをダメなやつって思ってるでしょう」
森川さんが言った。核心をついてきた。
「な、なんで」
「そんな漫画みたいなどもりかたしてんじゃないの。ここ最近暗いなって思ってさ、まあ放っておくのが一番、すぐ治ると思っていたけど、いつまでたってもぐだって。お友達は頑張ってるのに、自分は冴えない本屋バイトで話し相手は主婦のおばさんしかいないとか、情けないこと考えてない?」
「そこまで思ってませんよ。むしろ話し相手がいることはありがたいです」
「よし、じゃ、言ってみなさい」
森川さんが頷いた。「なに悩んでるの」
「ええと、レジでするのもなんですし」
「仕事終わりに聞こうか」
「はあ……」
どこをどう話したらいいのだ。それはそれで面倒である。というか、「うまく言語化できないんです」
とぼくは素直に言った。
「嘘よ」
森川さんが切り捨てた。
「どういうことですか」
「言いたくないだけ。頭のなかで考えてることを口にしたら、現実になっちゃうから」
もちろん、わたしに言わないくてもいいけどね、できない状態でぐずぐずしてるの、時間の無駄よ、と森川さんは言った。
「それは……経験からですか」
とぼくが聞き返したときだ。
レジにお客さんが近づいてきた。
いらっしゃいませ、と言おうとしたとき、びっくりしすぎて「あ?」と口にでた。
「なんなのこの店。客よ? クレーム入れてほしいの?」
手塚詩織さんだった。
「いらっしゃいませ」
森川さんがかわりに挨拶した。「なんでしょう」
「本探してるんだけど」
お前も年上に対してその態度はなんだ。お客さまは神様だとでも思ってるのか。詩織さんのスマホを見ると、最近でた文庫の新刊だった。
「ああ、あります」
ぼくは逃げるようにレジからでて、文庫売り場に向かった。
探している文庫は、人気作ですでに平積みが低くなっていて見つけづらくなっていた。手に取ってレジに向かおうとしていると、詩織さんが近づいてきた。
ぼくの前にやってきたので、
「どうぞ」
と文庫を渡した。
詩織さんは表紙を眺めながら言った。
「翔真と連絡とってんの」
その名前を聞いて、びくりとした。
「……とってません」
ぼくのほうを見て、詩織さんが俯いた。
「芝居の次の日に、オーディションに呼ばれて、すぐに受かって。それが一年がかりの仕事だからって、休学しちゃって事務所の寮に入るって」
ということは、うまくいったのだ。光圀さんにかかれば、一年後には翔真はいっぱしの俳優になる。
「なによ、その顔」
詩織さんが言った。
「どんな顔してます」
「喜べばいいじゃない、変な顔!」
「きみだって、変な顔してるよ」
詩織さんは親からはぐれた子供みたいな顔をしていた。
そうか、自分が守る、と彼女は言っていたけれど、翔真がいたから、彼女は彼女らしくいられたのだ。
ぼくは、さっき森川さんに相談できなかったことを、この人に伝えなくてはいけない、と思った。
「ぼく、翔真と付き合ってないから」
詩織さんがぼくを見た。まるで皮膚の裏側、骨を透視しようとするみたいに目をこらした。
「知ってた」
詩織さんも言った。言葉のトーンが、これまでの感情を爆発させるような喋り方ではなく、彼女自身の奥のほうから出てきたものに感じた。
「ごめんなさい」
「翔真はわたしのこと、もっと自分のしたいことをしろって、言ってたから。わたしがしたいことは翔真を応援することだったけど、でもそれは違うだろって」
「うん」
翔真らしい、と思った。
「あんたが急にいなくなった、連絡取れなくなったって、寂しそうだったよ。飼ってた柴犬が死んじゃったときみたいな顔してたよ」
買うわ、これ、と言って詩織さんがレジのほうに歩いていった。
柴犬。
レジで会計をすました詩織さんが、店のガラスドアの前で立ち止まった。
「なにか、あった?」
ぼくは声をかけると、
「アルバイトしようかな」
と詩織さんはアルバイト募集の張り紙を指差した。「暇になっちゃったし」
「本好きなら、ぜひ」
「あんたが先輩なんて、むかつく」
詩織さんが小さく笑った。
「ぼくがいうのもなんだけど、環境はいいよ」
「そう」
詩織さんが店を出ていった。
「すごい」
レジに戻ると、森川さんが小さく拍手してぼくを迎えた。
「なんですか」
「あのストーカーちゃんをたしなめて、しかもバイトにスカウトして」
これでもう少し楽になるかもねえ、と森川さんが肩を回した。
「いや、たしなめてなんてないですよ。むしろぼくのほうが安心しました」
もう会えない。そして翔真は着実に進んでいる。
詩織さんも変わろうとしている。
「ご謙遜〜」
森川さんがおどけた。
「ぼくもやらなくちゃな」
「あら、ついに歴史が動くのかしら」
「でも、なにを書いたらいいかわかんないんすけどね」
いつまでたっても光圀さんの呪いの言葉が頭から消えない。
「好きな人のことを書けばいいのよ」
森川さんがあっけらかんと言った。
「好きって」
「和寿くんは好きなものがいっぱいあるでしょ。映画も、ホークスも、それにお芝居のお友達も」
「そうですね」
ごめんなさい森川さん、ホークスに関しては、栗原の顔が好きなんです。まあそれは訂正なんかしないでもいいか。
好きなもの。
翔真を主人公にする?
翔真が演じてくれる人物を作る?
書ける自信はないけれど、書いてみたい。
「わたしも昔、アニメの二次創作やってたのよ」
「え? まじすか」
急にそんなことを言われて、ぼくは驚いた。平均的主婦(そんな存在そもそもいないけど)の森川さんの意外な一面だった。
「そう、スラムダンクの。三井が好きだったの。流川と三井の、ね」
「ほおおおおお」
これはとんでもないことを聞いてしまった。「読みたいです」
「自己満よ。学生のときにね。でも、絶対に見せない」
「なんでですか!」
「黒歴史だから」
「好きなものへの愛でしょ!」
「若かりしあやまちだから!」
そうだ。ぼくは他人のことなんてなにも考えないで、決めつけていたのだ。
人は、深い。底知れない。
家に帰り、ぼくはパソコンを開いた。
「タイトル……」
中身も決まっていないのに、そんなもの浮かぶわけがない。
翔真と出会ってからのことをぼくは並べた。
・見栄を張って彼氏がいると元彼に言った。
・彼の結婚式に誰でもいいから(でもイケメンがいい)彼氏を連れていかなくちゃいけない
・翔真と出会い、偽装彼氏の契約をする
……。
『見栄カレ(仮)』
そう打って、ぼくは思いつくままキーボードを叩いた。
登場人物を書き出す。
桃井和寿
結城翔真
水戸直哉
志賀光圀
手塚詩織
ママ
村川さん
人物を打ち終え、そして、一人ずつ、名前を変えていった。
物語は、実際の出来事を模倣しながらもずれていく。名前は違っても、ぼくであり、翔真だった。
そして、現実とはちがうエンディングが生まれて、フィクションのふりをしたぼくが、翔真に伝えたかった言葉を告げた。
怯えながらも、心のどこかで期待していた。「なんで連絡くんないんだよ」「まさかブロックとかした?」とはじめは憤ってつっかかってくるかもしれない。それから先は……、結局光圀さんのことは言えないし、どうごまかしたらいいのかわからなかった。結局謝って、逃げるしかしないのだ。
そう考えると一歩も出歩きたくない。
故郷であった妙な体験もひっかかっていた。あれはいったいなんだったんだろう。会うことのなかったクラスメートに、逆に励まされてしまったのだ。
彼氏を作ることでも、好きな人(翔真である)に自分の気持ちを伝えることよりも先に、しなくちゃいけないことがあった。
でも、なにをどう書いたらいいのかさっぱりわからない。
光圀さんに言われたように、ありきたりの自己満足でしかないものしかできないような気がする。
「こら!」
バイト先でレジに立っているときだ。
森川さんがじと〜っと突っ立ってるぼくに喝を入れた。
「すんません」
「なにを怒ってるかわかってるの?」
「レジで死んだ顔してることですよね」
「それもある、けど、それ以上にダメなとこがあるよ」
「なんですかね……」
「きみ、お芝居を観に行ってから、自分のことをダメなやつって思ってるでしょう」
森川さんが言った。核心をついてきた。
「な、なんで」
「そんな漫画みたいなどもりかたしてんじゃないの。ここ最近暗いなって思ってさ、まあ放っておくのが一番、すぐ治ると思っていたけど、いつまでたってもぐだって。お友達は頑張ってるのに、自分は冴えない本屋バイトで話し相手は主婦のおばさんしかいないとか、情けないこと考えてない?」
「そこまで思ってませんよ。むしろ話し相手がいることはありがたいです」
「よし、じゃ、言ってみなさい」
森川さんが頷いた。「なに悩んでるの」
「ええと、レジでするのもなんですし」
「仕事終わりに聞こうか」
「はあ……」
どこをどう話したらいいのだ。それはそれで面倒である。というか、「うまく言語化できないんです」
とぼくは素直に言った。
「嘘よ」
森川さんが切り捨てた。
「どういうことですか」
「言いたくないだけ。頭のなかで考えてることを口にしたら、現実になっちゃうから」
もちろん、わたしに言わないくてもいいけどね、できない状態でぐずぐずしてるの、時間の無駄よ、と森川さんは言った。
「それは……経験からですか」
とぼくが聞き返したときだ。
レジにお客さんが近づいてきた。
いらっしゃいませ、と言おうとしたとき、びっくりしすぎて「あ?」と口にでた。
「なんなのこの店。客よ? クレーム入れてほしいの?」
手塚詩織さんだった。
「いらっしゃいませ」
森川さんがかわりに挨拶した。「なんでしょう」
「本探してるんだけど」
お前も年上に対してその態度はなんだ。お客さまは神様だとでも思ってるのか。詩織さんのスマホを見ると、最近でた文庫の新刊だった。
「ああ、あります」
ぼくは逃げるようにレジからでて、文庫売り場に向かった。
探している文庫は、人気作ですでに平積みが低くなっていて見つけづらくなっていた。手に取ってレジに向かおうとしていると、詩織さんが近づいてきた。
ぼくの前にやってきたので、
「どうぞ」
と文庫を渡した。
詩織さんは表紙を眺めながら言った。
「翔真と連絡とってんの」
その名前を聞いて、びくりとした。
「……とってません」
ぼくのほうを見て、詩織さんが俯いた。
「芝居の次の日に、オーディションに呼ばれて、すぐに受かって。それが一年がかりの仕事だからって、休学しちゃって事務所の寮に入るって」
ということは、うまくいったのだ。光圀さんにかかれば、一年後には翔真はいっぱしの俳優になる。
「なによ、その顔」
詩織さんが言った。
「どんな顔してます」
「喜べばいいじゃない、変な顔!」
「きみだって、変な顔してるよ」
詩織さんは親からはぐれた子供みたいな顔をしていた。
そうか、自分が守る、と彼女は言っていたけれど、翔真がいたから、彼女は彼女らしくいられたのだ。
ぼくは、さっき森川さんに相談できなかったことを、この人に伝えなくてはいけない、と思った。
「ぼく、翔真と付き合ってないから」
詩織さんがぼくを見た。まるで皮膚の裏側、骨を透視しようとするみたいに目をこらした。
「知ってた」
詩織さんも言った。言葉のトーンが、これまでの感情を爆発させるような喋り方ではなく、彼女自身の奥のほうから出てきたものに感じた。
「ごめんなさい」
「翔真はわたしのこと、もっと自分のしたいことをしろって、言ってたから。わたしがしたいことは翔真を応援することだったけど、でもそれは違うだろって」
「うん」
翔真らしい、と思った。
「あんたが急にいなくなった、連絡取れなくなったって、寂しそうだったよ。飼ってた柴犬が死んじゃったときみたいな顔してたよ」
買うわ、これ、と言って詩織さんがレジのほうに歩いていった。
柴犬。
レジで会計をすました詩織さんが、店のガラスドアの前で立ち止まった。
「なにか、あった?」
ぼくは声をかけると、
「アルバイトしようかな」
と詩織さんはアルバイト募集の張り紙を指差した。「暇になっちゃったし」
「本好きなら、ぜひ」
「あんたが先輩なんて、むかつく」
詩織さんが小さく笑った。
「ぼくがいうのもなんだけど、環境はいいよ」
「そう」
詩織さんが店を出ていった。
「すごい」
レジに戻ると、森川さんが小さく拍手してぼくを迎えた。
「なんですか」
「あのストーカーちゃんをたしなめて、しかもバイトにスカウトして」
これでもう少し楽になるかもねえ、と森川さんが肩を回した。
「いや、たしなめてなんてないですよ。むしろぼくのほうが安心しました」
もう会えない。そして翔真は着実に進んでいる。
詩織さんも変わろうとしている。
「ご謙遜〜」
森川さんがおどけた。
「ぼくもやらなくちゃな」
「あら、ついに歴史が動くのかしら」
「でも、なにを書いたらいいかわかんないんすけどね」
いつまでたっても光圀さんの呪いの言葉が頭から消えない。
「好きな人のことを書けばいいのよ」
森川さんがあっけらかんと言った。
「好きって」
「和寿くんは好きなものがいっぱいあるでしょ。映画も、ホークスも、それにお芝居のお友達も」
「そうですね」
ごめんなさい森川さん、ホークスに関しては、栗原の顔が好きなんです。まあそれは訂正なんかしないでもいいか。
好きなもの。
翔真を主人公にする?
翔真が演じてくれる人物を作る?
書ける自信はないけれど、書いてみたい。
「わたしも昔、アニメの二次創作やってたのよ」
「え? まじすか」
急にそんなことを言われて、ぼくは驚いた。平均的主婦(そんな存在そもそもいないけど)の森川さんの意外な一面だった。
「そう、スラムダンクの。三井が好きだったの。流川と三井の、ね」
「ほおおおおお」
これはとんでもないことを聞いてしまった。「読みたいです」
「自己満よ。学生のときにね。でも、絶対に見せない」
「なんでですか!」
「黒歴史だから」
「好きなものへの愛でしょ!」
「若かりしあやまちだから!」
そうだ。ぼくは他人のことなんてなにも考えないで、決めつけていたのだ。
人は、深い。底知れない。
家に帰り、ぼくはパソコンを開いた。
「タイトル……」
中身も決まっていないのに、そんなもの浮かぶわけがない。
翔真と出会ってからのことをぼくは並べた。
・見栄を張って彼氏がいると元彼に言った。
・彼の結婚式に誰でもいいから(でもイケメンがいい)彼氏を連れていかなくちゃいけない
・翔真と出会い、偽装彼氏の契約をする
……。
『見栄カレ(仮)』
そう打って、ぼくは思いつくままキーボードを叩いた。
登場人物を書き出す。
桃井和寿
結城翔真
水戸直哉
志賀光圀
手塚詩織
ママ
村川さん
人物を打ち終え、そして、一人ずつ、名前を変えていった。
物語は、実際の出来事を模倣しながらもずれていく。名前は違っても、ぼくであり、翔真だった。
そして、現実とはちがうエンディングが生まれて、フィクションのふりをしたぼくが、翔真に伝えたかった言葉を告げた。


