話が一区切りしたらしい。おじさんが去っていった。
 そして馴れ馴れしく光圀さんが翔真の肩を抱いて、ぼくらのほうへと向かってきた。
 光圀さんはにやにやしており、翔真のほうはぼーっとしている。
「じゃあ、そういうわけで、帰るね」
 光圀さんが言った。
「ありがとうございます」
 翔真は深々と礼をした。なにか話がまとまったらしい。
 ぼくらは光圀さんの背中を見送った。
「今日はきてくれてありがと」
 翔真が言った。
「よか……」
「よかったわ〜! 泣いた! 切ない!」
 ぼくの言葉をママがかぶせた。
 ほんとすごいわ翔真くん。天は二物を与えないなんてことはないのわかってたけど、見せつけられたって感じ? うん、なんていうか、元気出た! 
 賞賛の言葉を翔真は浴びながら、ちょっと引き気味になっていた。そりゃそうだ。
「で、誰なの、あのおじさん」
 さすがママ、ぐいぐい行く。そういうことは聞かないほうが、なんてこと考えない。というかゲイバーノリでぶっこんでくる。
「実は、芸能事務所の人で」
「芸能!」
 ママの大声のせいで、まわりがぼくらを注目した。
「ママ、ちょっとトーン落として」
 ぼくがいなしても聞かず、
「どういうこと? スカウト?」
 と周りを気にせずに詰め寄った。
「以前声をかけてもらっていたんですけど、レッスンを受けてとか言われてて、そういうのってぼったくりだってネットにあったから、だったら自分の芝居を観にきてもらえたらと思ってたんですけど。そうしたらもうこないかなって思ったら、きてくれて」
 翔真が恥ずかしそうに言った。
「すごいね」
 ぼくは言った。
 ぼくの芝居の感想なんていらない、プロの人に評価されたってことだ。
 自分なんか、シナリオをコンクールに送っても、どうにもならない。心から祝福したいのに、どこか自分の不甲斐なさのせいで、ちくりと胸が痛む。
「いや、光圀さんの力もあると思う」
 翔真は言った。
「どういうこと?」
「光圀さん、映画会社の人だったみたいで、高野さん……、事務所の人なんだけど、と知り合いらしくて、さっきめちゃめちゃ褒めてくれたから」
「そうなんだ」
「運も実力のうちよ! 出会いって大事だから!」
 そんなありきたりの自己啓発っぽいことをママが言った。いや、そんなふうに穿った見方をしている自分が情けなかった。
「たしかに。光圀さんの結婚式に行かなかったら、こんなことにならなかったんだから。和寿のおかげだよ、ありがとう」
 翔真が言った。
「そんな」
 自分はなにもしていない。自分の見栄のために翔真を利用しただけだ。それに、翔真が乗ってくれただけなんだ。べつにゲイだと嘘をついて詩織さんを諦めさえるなんてのも、翔真は優しいから、ぼくに引け目を感じさせないよう、なんとなく言っただけ。
 ああよかった。翔真、全然ぼく、翔真になにもしてあげられなかった。べつに結婚式に行かなくたって、光圀さんに見つからなくたって、翔真はちゃんと自分のやりたいことを目指している。だから、ぼくのおかげなんて、なにひとつない。
「和寿?」
 翔真が不思議そうな顔をしてぼくを伺った。「大丈夫か? 疲れた?」
「ああ、このコ、昨日まで鬱ってたからね〜。気にしないでいいわよ」
 ママがあっけらかんといった。
「大丈夫か? もしかして」
 翔真がなにか言おうとしたときだ。
「ほんとうに、おめでとう」
 そばに詩織さんがいて、震えていた。目を潤ませている。
「あ」
 ぼくが気づいたとき、す、と涙を流した。
「ほんとうによかった。絶対翔真の夢は叶うって思ってた。なにかあったら大変だから、翔真って昔から向こう見ずで一直線だから。だからわたしがついてなきゃって」
 化粧で涙で汚れることなんて気にせず、詩織さんは泣いていて、涙を手で拭った。
「詩織、ありがとうな」
 翔真が詩織さんの肩に手をかけた。
「これ」
 ぼくは背負っていたウエストバッグから、ハンカチを翔真にわたした。ぼくから渡しても、きっと受け取ってくれないから。
 翔真が黙って頷き、詩織さんの顔に、ハンカチを押し当てた。
 とてもがさつなのに、優しい、と思った。
 二人はお似合いだ。
 詩織さんが鼻をかむと、
「えーっ」
 とママが小声で言って、顔をしかめた。
「詩織さんはほんとうに、翔真のことを大事に思って、心配してくれているんだよ」
 ぼくがぽつりと言うと、翔真は真面目な顔をした。一瞬口をひらいたけれど、そこから言葉は出てこなかった。
「ママ、帰ろう」
 ぼくは言った。
「え、ちょっと、まだなんにも」
「感想はまた今度でいいじゃん。翔真も疲れているし、それに」
 ぼくは詩織さんを見た。
 詩織さんはぼくのことなんておかまいなしで、翔真の胸で泣いていた。
「和寿、話があるんだ」
 翔真が言った。
「うん、また今度ね、お疲れさま」
 さ、いきましょ、とママを無理やり引っ張って、ぼくは劇場をあとにした。
 翔真も追ってこない。
 それはそうだ、詩織さんを放っておくなんて、そんなこと、ぼくが好きだと思っている翔真はぜったいにしない。
 また今度なんて、ない。
 一昨日会いましょうと約束するくらいに、ありえない。
 だって、時間は明日へと進むものだから。