結局ぼくはママと一緒に楽日の劇場に向かっていた。
「なによ、まったく鬱っぽくなんかないじゃない。心配して損した」
 ママはぼくを見てつまんなさそうに言った。
「速攻で治しましたから」
 どんな顔して翔真と会えばいいんだよ。
 そもそも大事な本番初日に、わけのわからない奇行をして、気持ちを乱してしまったし。いや、ただの偽装カップルなのに。
 ……求めすぎている。
「にしても、よくも騙したわね」
「すみません」
 ぼくらが本当はカップルでないことも、ママにはモロバレである。
「でも、まだ勝算はあるかもよ」
「と言いますと」
「わたし、最初翔真くんがノンケだと思ってた」
「いや、ノンケでしょ」
「濃いゲイばっか見てきたから、ノンケっぽいな、って思っていただけなのかも、って」
「いや、そんな自分の願望をむりやり現実にしようとしないでくださいよ」
「そうかな。女性と付き合っているゲイだっているじゃない。戦略だったり、自分がゲイだって気づかずに」
「まあ、そうっすけど」
「だから、翔真くんもまだ目覚めていないだけとかじゃない? こっちが押せば、意外と陥落するかも」
 口に手を当て考えこんでいるママを、ぼくは白目になって見ていた。
 ゲイのノンケ幻想。絶対に自分のものにならないこその憧れってやつ。ゲイは、ノンケっぽいゲイ(ただしイケメンに限る)が好きなものなんである。
 そして、手出しできない禁断の果実、いや、ヒエラルキーの頂点……、筋トレしていたりぽっちゃりしていたりとさまざまなカテゴリーの有象無象ひしめくこの業界でのトップは、
『ノンケ』
 なのだ。いや、そもそもノンケはそのピラミッドの内部にいないけど! 自分もバグり始めている。
「陥落」
 そんなこと、自分はできそうもない。ただでさえ、人にうまく好意を伝えることができないのだ。そんなウルトラCの大技、かます気合も勇気はない。上級者向けすぎる。
 そしてなんとなくだが頭の中であれよこれよと策を講じているっぽいママ。すごい。マジで尊敬する。そのフロンティアスピリットに!
「とにかく、わたしたち、スタートラインに立ったってことよ」
 まあ、キスしちゃったわけだから、あんたのほうがフライングしているんだけどね、とマスターは劇場にもうすぐ到着、というところで言った。
「それ言わないでくださいよ」
 誰が聞いているかわからないのだ。
「そうビクビクしなさんなって」
 ママはまったく悪びれずに言った。
「やあ」
 席につくなり、背後のほうから声がかかった。
「光圀さん? なんでまた」
「なに、いい男じゃない、紹介しなさいよ」
 ママがぼくの袖を引っ張った。
「……直哉のパートナーの」
 ぼくが小声で伝えると、
「ああ、その節はどうも」
 と、なにも関係ないのにママが挨拶した。
「まあ、お芝居のあとで」
 と光圀さんが言った。
「ねえ、そりゃあんた、勝ち目ないわ」
 ママが耳元で言った。
「まあね」
 以外になんと答えたらいいのやら。
「わたし、ああいうタイプも結構好きなのよね、なんかもうバリタチ感すごいわね。なんか歩く性器みたいね、色気が」
 ママはイケメンならなんでも好きなのである。きっと店に行ったら歓待されるであろう。店、紹介してあげようかな。いや、ママのほうからそっと名刺を握らすな。
「後ろの席にイケメン、これから舞台にはイケメンが出てくる、って、なんか困っちゃうわあ」
 なにをどう困っているのかさっぱりわからない。もうじき始まるので深掘りはしないことにする。
 最終日だからだろうか。
 初日に観たときよりも、ぐんと全体的に底上げされている。身も蓋もないことを言ってしまえば、わりかしベタな話だ。質の低い団体の作(スペックが低いからフォーマットから広げることができない、ということもある)、だからこそ、翔真が目立つ。
 翔真が引っ張っているのだ。
 必死で追いついていこうとしているのか、周囲の下手さが変化している。つまり、たいして考えていないプランでは太刀打ちできないから、剥き出しで挑みかかっている。
 そんなふうに見えた。
 ああ、いいな。
 ぼくは舞台を見ながら、しみじみと思った。
 翔真が好きだから、なにもかもお花畑に見ているわけではない。
 ぼくは他人の作品を基本、うがった見方をするし、根性が悪い。いくらでも作劇にあらを見つけることはできた。
 でも、そんな観客の自己主張なんて、どうでもいい、と思った。
 目の前で演じている翔真を見ていたら。
 横から、鼻を啜っている音が聞こえてきた。
 ママも感動しているらしい。
 ぼくが少しおかしくてなって顔を伏せると、気づいたらしく、
「なによ」
 と肘で突いた。

 舞台を終えて、翔真が出てきた。すっかり役ではなく、翔真自身に戻っている。
「翔真くーん」
 ママが大袈裟に手を振った。
 やめてよ、と思いながらも、ぼくはちゃんと「よかったよ」と伝えなくては、と思った。
 そして、これで、おしまいだ。
 さっきママがスタートラインに立った、と言っていたけれど、そんなものはない。
 同じ大学に通っていても、住む場所が違うのだ。
 ぼくたちのほうへとやってきた翔真を、男性が呼び止めた。
「あ、見にきてくださったんですか」
 翔真は驚いて、その人と話し始めた。
 なにを喋っているのか、その男の人は翔真の肩を叩いた。
「なにあれ、狙ってんのかしら、あのオジ」
 自分だってオジのくせに、ママが言った。
 そして、光圀さんが二人のなかに入っていった。
「どうも、高野さん」
 光圀さんの声はよく通る。まるでぼくらに聞かせているみたいだ。
 出演者と話している人々のざわめきで、うまく聞き取れない。
「ええ、ぼくも目をつけていたんですよ」
「そうですか、高野さんのとこだったら安心だ」
「そういえば、近々あるんですけど、毎年恒例のやつが。今回小粒でねえ」
「彼を預かるっていうなら、じゃあ、それで」
 光圀さんがなんの話をしているのか、わからない。
「なんか、女衒みたいね、やっぱ悪いやつなんじゃない?」
 ママが翔真たちのほうを見て言った。