ぼくはうなだれた。
「たしかに、ぼくはいま、あんなに失礼で態度が悪くてまったく現実を見ようとしない、くそメンヘラ女に、申し訳ない気持ちと、わかる、という思いでぐちゃぐちゃです」
「あんた、ちょいちょい口悪いよね。でも、その『わかる』って、自分をなんとか加害者にしたくないから拵えた言い訳じゃない?」
マスターがズバリ言った。
「そんなこと」
「あるでしょ。だって、『申し訳ない』んでしょ。でも翔真くんを渡すつもりはないと。で、その迷惑ストーカーの気持ちもわかるって。欲張りでしょ!」
「欲張り」
「自己評価低いやつに限って、そういう態度するのよ。誰にも嫌われたくないっていう思いこそが、あんたを下げさせてるわけ。だって、翔真くんはあんたを選んだんでしょ、むかつくけど。だったらそれでいいじゃない。どんだけ粘着してきても、『知るかばーか、お前は選ばれなかったんじゃ〜』って心で舌出してりゃいいじゃない。あたしにしてるみたいにさ」
「してないですよ」
「まあいけど。とにかく、きついように聞こえるかもしれないけど、自己評価低いやつはいい子ちゃんになりたがるし、自分のことを否定するやつを探そうとすんの。自分はだめなやつだって状態が楽だから。そのマインドでいると、せっかくできた男、逃すよ。暗くて自分なんかって言ってるやつより、勢いはやばくても自分のことを好きってぶつかってくるこのほうが生命力あるもん。いい、恋の秘訣を教えてあげるわ」
ママはぼくに顔を近づけた。
「はい」
「エネルギーの強い奴が、勝つ」
「……エネルギーって、そんなのないですよ」
「体力とか勢いの話じゃないから。あんたが翔真くんのことを、どれだけ好きかって話だから。根暗だろうが陰キャだろうがあれが小さかろうが、関係ないの。その女よりも、あんたが好きなら、それを態度で示すことが一瞬でもきたら、勝つ」
「いや勝ち負けとかじゃ」
「話聞いてた?」
ママが呆れて言った。「あんたね、自分でもわかってるんでしょ。悩みがあったら、自分に聞くの。わたしね、昔は占いにこってたことがあってさあ」
「急に話変わりましたね」
「いいから聞きなさい。昔はとにかく、人に相談してたの。なんだか、自分で選ぶよりも、他人にそうしろって言われたほうが楽だったから。だからコンサルとか占いとか、お金を払ってよく自分の未来のことを訊ねていた。でもね、あるとき、占い師の言ったことがどうしても納得できなかった。それじゃないって。でも、いままで親身になってくれていたし、有名な人だしって、その通りでいたほうがいいって自分に言い聞かせた」
「どんな悩みだったんですか」
ぼくは訊ねた。そんなプライベートに踏み込んではいけないと思いながら。
「勤めていた会社を辞めて、店を開くか否か。ちょうど付き合っていた男と別れて、会社のほうでもゲイバレしてさ、だったら会社をやめて前からしたかった店を開こうって思って。占い師はいまは時期ではないって言った。店は定年してからでもできるし、とかなんとか。でも、わたしはなんだか直感みたいなものがあって、店を開いたほうがいい、そのほうが自分に合ってる、って。だから、占い師の意見をガン無視して、翌日会社を辞めて、ここを開いた。それ以来、気づいたの。『あ、自分はもう未来をわかってるんだ。だから誰かに選択を任せなくていいんだ。それに、自分のことは自分に聞いたほうが早いわ』ってね」
どや、とでも言わんばかりにママがお手上げ、のポーズをした。
「ひぐまりおん秘話、ですね」
「あ、シナリオにしてもいいよ、これ。お金くれるなら」
とママは笑った。
「常連として課金します」
「変わんないじゃない」
たしかに、そのときのママの選択によって、迷える子羊(ちょっとかわいく言い過ぎ)なぼくみたいな常連客を、ママは救っているのである。占い師やコンサルよりも親身に、真実をズバリと言い、かわいいノンケ(翔真)をありがたがったりして。
悩めるゲイたちよ、二丁目に「ひぐまりおん」あり!
なんてことを考えてしみじみしていたら、ドアが開いた。店にやってきた男に、ぼくはびっくりした。
「直哉?」
「よっ」
直哉が手を振って近づいてきた。
「なんで、こんなとこに」
僕が言うと、
「こんなとこで悪かったわね」
とママが舌打ちした。
「いや、披露宴で、ちょっと話してたろ、この店のこと。仕事が直帰だったからさ、一杯飲もうと思って」
ぼくの隣に直哉が座った。
話したっけ? あのときはとにかくパニックだったので覚えていなかった。
「あら、和寿ちゃんの知り合い? 紹介なさいよ」
直哉の見た目を眺めて、弾んだ声でママが言った。絶対パンツの中身妄想してる。
「ほら、同性婚をした」
ぼくが言うと、
「ああ、お手つきか、ってじゃあ元彼? へーっ、あんた付き合ってる男の顔面偏差値だけは無駄に高いわねえ!」
そしてママは急に声色を変えた。「なに、結婚して即浮気? いけないわねえ」
「そんなこと、まだしませんよ」
直哉は相変わらず好感度たっぷりの笑顔でいなした。
「まだ、だって。期待大ねえ」
ママが笑った。どうやらノリのいい面白い奴、と認めたらしい。
二人は意気投合して話し始めた。
ママの下ネタや新婚の詮索を、どぎつくならない程度に答えるし、やりかえす。大人の酒のノリ、である。
この人のクレバーさが、付き合っているときはとても安心だった。自分で選ぶことをしなかった、とも言える。
さっきのママの話のことを思った。
自分に聞く、か。
そんなふうに、二人の会話をBGMにして考え事を始めようとしたときだ。
「で、翔真くんなんだけどさ、連絡先教えて」
直哉が言った。
「え、なんで?」
ぼくはびっくりして言った。
「うん、実は光圀がご執心なんだよなあ」
直哉が言った。
「あら、亭主に浮気の斡旋? セカンドパートナーってやつ? 時代の最先端ねえ」
ママが囃すと、
「いや、違うんですよ、あいつ、芸能系の仕事してるっていうか、彼に、ちょっと先なんだけどオーディション受けてみないかって」
「なんの? エッチなビデオで脱がすんじゃないの?」
ママが茶々を入れた。
「たしかドラマって言ってたな。まあ素人に毛の生えたようなやつを誘うくらいだから、たいしたことないだろ」
直哉は言った。ちょっとばかり棘がある。「受かるかはわかんないけど、でも演技見てみたいって。彼、演劇やってるって言っていたし」
思いがけない提案だった。でも、それならぼくにラインすればいいのに、なんでわざわざひぐまりおんにきたんだろう。
直哉をぼくはじっと見た。
「なんだよ」
「いや、幸せな顔してるなって」
とは思わなかった。この人は、結婚しても変わらない気がした。楽しそうに話していても、決してある場所から先へは人を近づけない。
「だったら、再来週、舞台があるけど」
ぼくは言った。
「そうか、だったら詳細送ってくれよ」
チケットノルマもあるだろうし、芸能関係(詳細はまだ謎)の仕事をしている人が観にくるなら、張り合いがるに違いない。
「そういえば、翔真、事務所にスカウトされたって」
詩織さんが言っていた。そのことをぼくは翔真には聞かなかった。彼女が本屋に押しかけてきたことをばらすことになってしまうから」
「ふうん、そこそこ注目されてんだな」
直哉は考え込んでいた。
「たしかに、ぼくはいま、あんなに失礼で態度が悪くてまったく現実を見ようとしない、くそメンヘラ女に、申し訳ない気持ちと、わかる、という思いでぐちゃぐちゃです」
「あんた、ちょいちょい口悪いよね。でも、その『わかる』って、自分をなんとか加害者にしたくないから拵えた言い訳じゃない?」
マスターがズバリ言った。
「そんなこと」
「あるでしょ。だって、『申し訳ない』んでしょ。でも翔真くんを渡すつもりはないと。で、その迷惑ストーカーの気持ちもわかるって。欲張りでしょ!」
「欲張り」
「自己評価低いやつに限って、そういう態度するのよ。誰にも嫌われたくないっていう思いこそが、あんたを下げさせてるわけ。だって、翔真くんはあんたを選んだんでしょ、むかつくけど。だったらそれでいいじゃない。どんだけ粘着してきても、『知るかばーか、お前は選ばれなかったんじゃ〜』って心で舌出してりゃいいじゃない。あたしにしてるみたいにさ」
「してないですよ」
「まあいけど。とにかく、きついように聞こえるかもしれないけど、自己評価低いやつはいい子ちゃんになりたがるし、自分のことを否定するやつを探そうとすんの。自分はだめなやつだって状態が楽だから。そのマインドでいると、せっかくできた男、逃すよ。暗くて自分なんかって言ってるやつより、勢いはやばくても自分のことを好きってぶつかってくるこのほうが生命力あるもん。いい、恋の秘訣を教えてあげるわ」
ママはぼくに顔を近づけた。
「はい」
「エネルギーの強い奴が、勝つ」
「……エネルギーって、そんなのないですよ」
「体力とか勢いの話じゃないから。あんたが翔真くんのことを、どれだけ好きかって話だから。根暗だろうが陰キャだろうがあれが小さかろうが、関係ないの。その女よりも、あんたが好きなら、それを態度で示すことが一瞬でもきたら、勝つ」
「いや勝ち負けとかじゃ」
「話聞いてた?」
ママが呆れて言った。「あんたね、自分でもわかってるんでしょ。悩みがあったら、自分に聞くの。わたしね、昔は占いにこってたことがあってさあ」
「急に話変わりましたね」
「いいから聞きなさい。昔はとにかく、人に相談してたの。なんだか、自分で選ぶよりも、他人にそうしろって言われたほうが楽だったから。だからコンサルとか占いとか、お金を払ってよく自分の未来のことを訊ねていた。でもね、あるとき、占い師の言ったことがどうしても納得できなかった。それじゃないって。でも、いままで親身になってくれていたし、有名な人だしって、その通りでいたほうがいいって自分に言い聞かせた」
「どんな悩みだったんですか」
ぼくは訊ねた。そんなプライベートに踏み込んではいけないと思いながら。
「勤めていた会社を辞めて、店を開くか否か。ちょうど付き合っていた男と別れて、会社のほうでもゲイバレしてさ、だったら会社をやめて前からしたかった店を開こうって思って。占い師はいまは時期ではないって言った。店は定年してからでもできるし、とかなんとか。でも、わたしはなんだか直感みたいなものがあって、店を開いたほうがいい、そのほうが自分に合ってる、って。だから、占い師の意見をガン無視して、翌日会社を辞めて、ここを開いた。それ以来、気づいたの。『あ、自分はもう未来をわかってるんだ。だから誰かに選択を任せなくていいんだ。それに、自分のことは自分に聞いたほうが早いわ』ってね」
どや、とでも言わんばかりにママがお手上げ、のポーズをした。
「ひぐまりおん秘話、ですね」
「あ、シナリオにしてもいいよ、これ。お金くれるなら」
とママは笑った。
「常連として課金します」
「変わんないじゃない」
たしかに、そのときのママの選択によって、迷える子羊(ちょっとかわいく言い過ぎ)なぼくみたいな常連客を、ママは救っているのである。占い師やコンサルよりも親身に、真実をズバリと言い、かわいいノンケ(翔真)をありがたがったりして。
悩めるゲイたちよ、二丁目に「ひぐまりおん」あり!
なんてことを考えてしみじみしていたら、ドアが開いた。店にやってきた男に、ぼくはびっくりした。
「直哉?」
「よっ」
直哉が手を振って近づいてきた。
「なんで、こんなとこに」
僕が言うと、
「こんなとこで悪かったわね」
とママが舌打ちした。
「いや、披露宴で、ちょっと話してたろ、この店のこと。仕事が直帰だったからさ、一杯飲もうと思って」
ぼくの隣に直哉が座った。
話したっけ? あのときはとにかくパニックだったので覚えていなかった。
「あら、和寿ちゃんの知り合い? 紹介なさいよ」
直哉の見た目を眺めて、弾んだ声でママが言った。絶対パンツの中身妄想してる。
「ほら、同性婚をした」
ぼくが言うと、
「ああ、お手つきか、ってじゃあ元彼? へーっ、あんた付き合ってる男の顔面偏差値だけは無駄に高いわねえ!」
そしてママは急に声色を変えた。「なに、結婚して即浮気? いけないわねえ」
「そんなこと、まだしませんよ」
直哉は相変わらず好感度たっぷりの笑顔でいなした。
「まだ、だって。期待大ねえ」
ママが笑った。どうやらノリのいい面白い奴、と認めたらしい。
二人は意気投合して話し始めた。
ママの下ネタや新婚の詮索を、どぎつくならない程度に答えるし、やりかえす。大人の酒のノリ、である。
この人のクレバーさが、付き合っているときはとても安心だった。自分で選ぶことをしなかった、とも言える。
さっきのママの話のことを思った。
自分に聞く、か。
そんなふうに、二人の会話をBGMにして考え事を始めようとしたときだ。
「で、翔真くんなんだけどさ、連絡先教えて」
直哉が言った。
「え、なんで?」
ぼくはびっくりして言った。
「うん、実は光圀がご執心なんだよなあ」
直哉が言った。
「あら、亭主に浮気の斡旋? セカンドパートナーってやつ? 時代の最先端ねえ」
ママが囃すと、
「いや、違うんですよ、あいつ、芸能系の仕事してるっていうか、彼に、ちょっと先なんだけどオーディション受けてみないかって」
「なんの? エッチなビデオで脱がすんじゃないの?」
ママが茶々を入れた。
「たしかドラマって言ってたな。まあ素人に毛の生えたようなやつを誘うくらいだから、たいしたことないだろ」
直哉は言った。ちょっとばかり棘がある。「受かるかはわかんないけど、でも演技見てみたいって。彼、演劇やってるって言っていたし」
思いがけない提案だった。でも、それならぼくにラインすればいいのに、なんでわざわざひぐまりおんにきたんだろう。
直哉をぼくはじっと見た。
「なんだよ」
「いや、幸せな顔してるなって」
とは思わなかった。この人は、結婚しても変わらない気がした。楽しそうに話していても、決してある場所から先へは人を近づけない。
「だったら、再来週、舞台があるけど」
ぼくは言った。
「そうか、だったら詳細送ってくれよ」
チケットノルマもあるだろうし、芸能関係(詳細はまだ謎)の仕事をしている人が観にくるなら、張り合いがるに違いない。
「そういえば、翔真、事務所にスカウトされたって」
詩織さんが言っていた。そのことをぼくは翔真には聞かなかった。彼女が本屋に押しかけてきたことをばらすことになってしまうから」
「ふうん、そこそこ注目されてんだな」
直哉は考え込んでいた。


