披露宴、というか本日の主役二人もパーティーに混じり、そぞろ歩いて挨拶をしている。途中でドラァグのショーだのイケメンのポールダンスだのと余興が挟まれた。さすがにそれやるのか? みたいなきわどいことをしており、式場スタッフはどういう感情でこの場を眺めているのかと勝手に心配になった。キモが座ってるらしく、とくに彼らにリアクションはない。プロである。
やたらでかいケーキを入刀、のときには、
「初めての作業じゃないでしょ〜。お色直しのとき長かったから、裏でもう別のもん刺してんじゃないの〜」
などと野次が入った。
苦笑いする直哉の横にいる新郎の光圀さんが、
「こっちもそうしたくってうずうずしてたんだけどさ〜」
と笑顔で怒鳴り返した。
うん、なんか二丁目ノリ。
とにかく賑やかな場であったが、なんとなーくぼくと翔真はその場に馴染むことができずに作り笑いをして誤魔化していた。
ぼくと翔真はひっそりと隅で、寿司だのローストビーフをどか食いしていた。
「みんな食わないのな」
翔真がここぞとばかりに本日何貫目かの寿司を食っていた。
「まあみんな、体型維持もあるでしょうしねえ」
ぼくのほうも、もう腹いっぱいだが手持ち無沙汰にサラダをぱくついている。
なんか欠食児童の二人みたいでおかしかった。
「なに笑っとるん?」
「いや、なんか食べてばっかだなって」
「ご祝儀代はきっちりいただこうぜ」
ぜったいにすでに元はとっていると思った。「でも、結婚式ってのはいいもんだな」
「そんな毎日結婚式があったら豪華なもの食べれるとか思ってない?」
僕が笑うと、
「いや、なんかあの二人嬉しそうじゃん」
と翔真が遠くにいる直哉たちをさした。
「行儀悪いなあ。ま、たしかにね」
結婚式の話をきいてからここまで、頭が混乱して慌ただしくてぐちゃぐちゃだったけれど、こうやって眺めてみると、素直に祝福したい気持ちになってきた。
まあ、なんかいつもはきりっとしてて、遊びに行ってもどこかギャラリーの視線を意識してきりっとしている直哉が、まるで二人きりでいたときにたまに見せるような巣の表情で照れていたりするのを見ていたら、次第に「どうでもいいかな」と思えてきたから不思議だ。
もうべつに、過去なのだ。
いつのまにか隣に翔真がいない。あちこち見回しても見当たらなかった。
「よお」
そのときだ、直哉が光圀さんを連れてぼくの前へやってきた。「きてくれてありがとう」
直哉が照れくさそうに笑い、ぼくに光圀さんを紹介した。
「どうもはじめまして」
そう言って挨拶する光圀さんは、ただただ恥ずかしそうに笑った。
「いえ、こんな素敵な式にお誘いいただいてありがとうございます」
「いえいえ、桃井和寿くんだよね? お噂は直哉からかねがね」
笑顔の光圀さんを見て、ぼくはさっきの述懐を訂正するより他なかった。
こいつ、絶対に腹にいちもつもっとーる!
光圀さんは直哉より一つ年上らしい。ふーん。年下大好きな直哉がねえ、とぼくは笑顔で「そうなんですか〜」と笑った。
狐と狸である。
「もうなんか恥ずかしくって」
光圀さんが言った。こんこーん。
「え、なにがですか、素敵じゃないですか」
ぼくが言った。ぽんぽこ。
「なんかねえ、こんなことべつに大々的にしなくっても、ねえ」
こんこーん。
「そんな、なんていうか、羨ましいなって。自分もカレといつか、とか」
ぽんぽこりーん。
「あ、そういえば和寿の彼氏は?」
笑顔で語り合っているが、なんだか雲行きがおかしいぞと勘付いたのか、直哉が言った。
「和寿くんのカレ、気にしてたんだよ〜。変なやつだったら俺が許さん、とか言ってたよねえ」
光圀さんが直哉に目配せした。
「まあ、そりゃな、言うなれば和寿のことは、こう兄目線というか心配だし、ね」
直哉が喉を鳴らした。
兄目線、ね。だったらぼくらきんしんそーかんだったんですかね。いい逃げ口上だな。その手は少女漫画で年上の男が振るときにつかうベタなやつじゃん。
と思ったけどもちろん言わず、
「いまちょっとどっかいっちゃって」
ぼくは言った。
「こんなところで彼氏を放し飼いにすると、どこでサカられるかわかんないよ〜」
光圀さんが言った。こんなとこ、とおわかりのようで。その通りですね、肉に飢えた性獣しかおりませんよね。だったら治安をよくするのは主催者の責任だろうが。
「おい、あっちのテーブルにまだメシあったぞ」
と声がした。
翔真が皿を持ってやってきた。いっぱいにローストビーフを盛ってある。
「いや、もうご飯は」
ぼくは頭痛を起こしそうだった。
「あ、ども、おめでとうございます」
翔真が新郎たちに挨拶をした。
「へえ、かっこいいね」
光圀が驚きの声をあげ、直哉のほうは頷きつつも翔真を上から下まで眺めた。
「いつからなの?」
直哉が訊ねた。
「ああ、それは」
設定を話そうとすると、
「ちょっとそんな野暮なこと聞くもんじゃないって」
と光圀さんが止めた。せっかく練ったんだから披露したかったんだけれど、ぼろがでないよりはましかもしれない。
「それより、きみいくつ?」
身長は? 大きいねえ。体重は? 学部なに? へえ、演劇サークル?
光圀さんはぼくとの関係よりも翔真もパーソナルデータを知りたがった。しばらく面接みたいな質問タイムが続き、なんだか気に食わないな、とぼくが思っているのを察したのか、
「光圀のやつ、仕事柄イケメンにはうるさいんだ」
と直哉が言った。
「仕事?」
「ああ、テレビの制作会社」
なるほど。だったら翔真にとってチャンス? なのかもしれない。なんとなくこのむさ苦しいというか異空間に連れてきたことを悪く思っていたので、なにか翔真にとってプラスになるのなら、と思ったのだが。
「ちょっとごめんね」
と言って光圀さんが翔真の身体をぺたぺた触り出した。あげく腰を手で測りだし、お尻から腿にかけてのラインを撫でた。
「なにやってんすか!」
ぼくが止めようとすると、
「ああ、ごめんごめん、ちょっと全体の感じ知りたくって。べつに前は触らないし、それにあれだから、いま問題になってるようなハラスメント? とかでないから」
と悪びれずに光圀さんが言った。
いや、絶対ぼくが止めなくちゃ前も触ろうとしてた。翔真はとくになんとも思っていないらしく、表情もいつも通りだった。
「ああ、俺慣れてるし」
「慣れてるって」
「ひぐまりおんでも触られたし、昔っから先輩とかにもよくされたし。謎に体育会系ノリなとこあるから、演劇業界って」
ママめ……。そうか、そもそもサークルの飲みであの店に連れていかれるってもおかしい。みんな狙ってやがる。というか翔真、演劇誤解してない?
さりげなくぼくは翔真の前に立った。
「和寿、大丈夫だって。光圀」
「ん?」
直哉が光圀さんに顔を寄せ、なんか音を立ててキスした。
さっきから何度かやってんな、と思ったけど、間近で見せつけらえた!
ていうかこれ、前戯だよね。披露宴終わってからすることの前戯見せられてますよね。今晩ドバイに新婚旅行らしいけど、その前にあれですよね。
「お〜」
翔真のほうは感心していた。
きも座りすぎているのも問題ではないか。
「やだなもう、カップルの前で」
光圀さんが恥ずかしがりながら直哉を離した。
「こいつさ、俺と結婚するのを最初嫌がってたんだよ」
直哉が言った。
「だってそうでしょ。名字と名前! 直哉の姓になったら俺、水戸光圀だよ? 水戸黄門だよ?」
「こっちのせりふだろ。俺だって光圀の姓になったら志賀直哉じゃん」
二人がじゃれあっている姿を、ぼくらはぽかんと眺めた。なんだこいつら。
「ああ、でも縁起がよくてめでたいですね。副将軍に小説の神様なんて」
翔真は感心して言った。
「運命かもね、ネタにするための」
光圀さんが笑った。
たしかに、ぼくだったら水戸和寿。なんの面白みもない。
彼氏をお披露目したし、もう役目は果たしたな、もう帰ろうかな、今日は晩飯いらないな。でも、これでもうぼくと翔真の契約も半分完了か、なんか……あっというますぎる。と思ったときだ。
「結城和寿」
と翔真がぼくを指差した。
「ん?」
「桃井翔真」
と今度は翔真が自分を指差す。
「なに?」
「あとで画数確認する?」
と笑いかけた。
ぼくは、それだけで、胸いっぱいになった。
帰り道、ぼくと翔真はおみやげの入った紙袋をぶら下げて歩いた。渋谷まで歩こうか、と翔真が提案した。一駅だけだしもったいないじゃん、だそうだ。
「どうだった? 関ヶ原」
翔真が言った。
「疲れた。ただ疲れた」
ぼくは言った。
「まあ何事も人生経験だろ」
「そうさのう、じいさま」
「そうよのう、ばあさま」
「ぼくがばあさま?」
「そっか、じいさま同士でいいんだな」
翔真が笑った。「今回で学んだのにな」
「べつにばあさまでもなんでもいいけどさ」
「うん、和寿は和寿だから、じいでもばあでもないな。のう、和寿よ」
翔真が笑った。
「これでぼくのお願いは完了だね」
寂しいな、と思った。夕焼けが余計にそうさせた。遊び足りないってだだをこねる子供みたいだ。
「いや、まだ来月の公演まではこのノリでいかんとな」
翔真は言った。
「来月か」
すぐにきてしまいそうで、時間がもっとゆっくりと流れてくれればいいのに、と願った。
「来月の芝居、家族も観にくるんだ」
「そっか」
「詩織との話も決着つけなくっちゃ。詩織とうちの家族ズブズブだから」
「家族にもゲイのふりするの?」
「しないでもいいだろ。詩織が諦めてくれて、家族が状況理解してくれれば万事オッケーだし」
「そうか」
「なあ、どっかで飯食う?」
翔真が言った。
「さっき三日分は食べてなかった?」
「もう胃の中だ。食い物は見えない」
「太るよ」
「その分トレーニングとか、まあ水面下でしてるんですよ。白鳥だよ、水の中でバタバタさせてんの」
この人は、見えないところで努力をしているのだ。ぼくは翔真が、本気で舞台を、俳優になりたいのだということを今日、わかった。
それだけ、彼の演技は最高で、真に迫っていた。
「尊敬する」
ぼくは言った。
「尊敬じゃなくって、好きになってくんない?」
翔真は笑った。
ぼくは、深呼吸した。
「もう一度、リテイクで」
ぼくは翔真を見て、つばを飲み込み、
「そういうとこ、好きだよ」
と言った。
そうだ、まだぼくらの演技は続くのだ。
今度はぼくが、完璧な演技をしなくちゃならない。「気になる相手の嘘の恋人役」を。
やたらでかいケーキを入刀、のときには、
「初めての作業じゃないでしょ〜。お色直しのとき長かったから、裏でもう別のもん刺してんじゃないの〜」
などと野次が入った。
苦笑いする直哉の横にいる新郎の光圀さんが、
「こっちもそうしたくってうずうずしてたんだけどさ〜」
と笑顔で怒鳴り返した。
うん、なんか二丁目ノリ。
とにかく賑やかな場であったが、なんとなーくぼくと翔真はその場に馴染むことができずに作り笑いをして誤魔化していた。
ぼくと翔真はひっそりと隅で、寿司だのローストビーフをどか食いしていた。
「みんな食わないのな」
翔真がここぞとばかりに本日何貫目かの寿司を食っていた。
「まあみんな、体型維持もあるでしょうしねえ」
ぼくのほうも、もう腹いっぱいだが手持ち無沙汰にサラダをぱくついている。
なんか欠食児童の二人みたいでおかしかった。
「なに笑っとるん?」
「いや、なんか食べてばっかだなって」
「ご祝儀代はきっちりいただこうぜ」
ぜったいにすでに元はとっていると思った。「でも、結婚式ってのはいいもんだな」
「そんな毎日結婚式があったら豪華なもの食べれるとか思ってない?」
僕が笑うと、
「いや、なんかあの二人嬉しそうじゃん」
と翔真が遠くにいる直哉たちをさした。
「行儀悪いなあ。ま、たしかにね」
結婚式の話をきいてからここまで、頭が混乱して慌ただしくてぐちゃぐちゃだったけれど、こうやって眺めてみると、素直に祝福したい気持ちになってきた。
まあ、なんかいつもはきりっとしてて、遊びに行ってもどこかギャラリーの視線を意識してきりっとしている直哉が、まるで二人きりでいたときにたまに見せるような巣の表情で照れていたりするのを見ていたら、次第に「どうでもいいかな」と思えてきたから不思議だ。
もうべつに、過去なのだ。
いつのまにか隣に翔真がいない。あちこち見回しても見当たらなかった。
「よお」
そのときだ、直哉が光圀さんを連れてぼくの前へやってきた。「きてくれてありがとう」
直哉が照れくさそうに笑い、ぼくに光圀さんを紹介した。
「どうもはじめまして」
そう言って挨拶する光圀さんは、ただただ恥ずかしそうに笑った。
「いえ、こんな素敵な式にお誘いいただいてありがとうございます」
「いえいえ、桃井和寿くんだよね? お噂は直哉からかねがね」
笑顔の光圀さんを見て、ぼくはさっきの述懐を訂正するより他なかった。
こいつ、絶対に腹にいちもつもっとーる!
光圀さんは直哉より一つ年上らしい。ふーん。年下大好きな直哉がねえ、とぼくは笑顔で「そうなんですか〜」と笑った。
狐と狸である。
「もうなんか恥ずかしくって」
光圀さんが言った。こんこーん。
「え、なにがですか、素敵じゃないですか」
ぼくが言った。ぽんぽこ。
「なんかねえ、こんなことべつに大々的にしなくっても、ねえ」
こんこーん。
「そんな、なんていうか、羨ましいなって。自分もカレといつか、とか」
ぽんぽこりーん。
「あ、そういえば和寿の彼氏は?」
笑顔で語り合っているが、なんだか雲行きがおかしいぞと勘付いたのか、直哉が言った。
「和寿くんのカレ、気にしてたんだよ〜。変なやつだったら俺が許さん、とか言ってたよねえ」
光圀さんが直哉に目配せした。
「まあ、そりゃな、言うなれば和寿のことは、こう兄目線というか心配だし、ね」
直哉が喉を鳴らした。
兄目線、ね。だったらぼくらきんしんそーかんだったんですかね。いい逃げ口上だな。その手は少女漫画で年上の男が振るときにつかうベタなやつじゃん。
と思ったけどもちろん言わず、
「いまちょっとどっかいっちゃって」
ぼくは言った。
「こんなところで彼氏を放し飼いにすると、どこでサカられるかわかんないよ〜」
光圀さんが言った。こんなとこ、とおわかりのようで。その通りですね、肉に飢えた性獣しかおりませんよね。だったら治安をよくするのは主催者の責任だろうが。
「おい、あっちのテーブルにまだメシあったぞ」
と声がした。
翔真が皿を持ってやってきた。いっぱいにローストビーフを盛ってある。
「いや、もうご飯は」
ぼくは頭痛を起こしそうだった。
「あ、ども、おめでとうございます」
翔真が新郎たちに挨拶をした。
「へえ、かっこいいね」
光圀が驚きの声をあげ、直哉のほうは頷きつつも翔真を上から下まで眺めた。
「いつからなの?」
直哉が訊ねた。
「ああ、それは」
設定を話そうとすると、
「ちょっとそんな野暮なこと聞くもんじゃないって」
と光圀さんが止めた。せっかく練ったんだから披露したかったんだけれど、ぼろがでないよりはましかもしれない。
「それより、きみいくつ?」
身長は? 大きいねえ。体重は? 学部なに? へえ、演劇サークル?
光圀さんはぼくとの関係よりも翔真もパーソナルデータを知りたがった。しばらく面接みたいな質問タイムが続き、なんだか気に食わないな、とぼくが思っているのを察したのか、
「光圀のやつ、仕事柄イケメンにはうるさいんだ」
と直哉が言った。
「仕事?」
「ああ、テレビの制作会社」
なるほど。だったら翔真にとってチャンス? なのかもしれない。なんとなくこのむさ苦しいというか異空間に連れてきたことを悪く思っていたので、なにか翔真にとってプラスになるのなら、と思ったのだが。
「ちょっとごめんね」
と言って光圀さんが翔真の身体をぺたぺた触り出した。あげく腰を手で測りだし、お尻から腿にかけてのラインを撫でた。
「なにやってんすか!」
ぼくが止めようとすると、
「ああ、ごめんごめん、ちょっと全体の感じ知りたくって。べつに前は触らないし、それにあれだから、いま問題になってるようなハラスメント? とかでないから」
と悪びれずに光圀さんが言った。
いや、絶対ぼくが止めなくちゃ前も触ろうとしてた。翔真はとくになんとも思っていないらしく、表情もいつも通りだった。
「ああ、俺慣れてるし」
「慣れてるって」
「ひぐまりおんでも触られたし、昔っから先輩とかにもよくされたし。謎に体育会系ノリなとこあるから、演劇業界って」
ママめ……。そうか、そもそもサークルの飲みであの店に連れていかれるってもおかしい。みんな狙ってやがる。というか翔真、演劇誤解してない?
さりげなくぼくは翔真の前に立った。
「和寿、大丈夫だって。光圀」
「ん?」
直哉が光圀さんに顔を寄せ、なんか音を立ててキスした。
さっきから何度かやってんな、と思ったけど、間近で見せつけらえた!
ていうかこれ、前戯だよね。披露宴終わってからすることの前戯見せられてますよね。今晩ドバイに新婚旅行らしいけど、その前にあれですよね。
「お〜」
翔真のほうは感心していた。
きも座りすぎているのも問題ではないか。
「やだなもう、カップルの前で」
光圀さんが恥ずかしがりながら直哉を離した。
「こいつさ、俺と結婚するのを最初嫌がってたんだよ」
直哉が言った。
「だってそうでしょ。名字と名前! 直哉の姓になったら俺、水戸光圀だよ? 水戸黄門だよ?」
「こっちのせりふだろ。俺だって光圀の姓になったら志賀直哉じゃん」
二人がじゃれあっている姿を、ぼくらはぽかんと眺めた。なんだこいつら。
「ああ、でも縁起がよくてめでたいですね。副将軍に小説の神様なんて」
翔真は感心して言った。
「運命かもね、ネタにするための」
光圀さんが笑った。
たしかに、ぼくだったら水戸和寿。なんの面白みもない。
彼氏をお披露目したし、もう役目は果たしたな、もう帰ろうかな、今日は晩飯いらないな。でも、これでもうぼくと翔真の契約も半分完了か、なんか……あっというますぎる。と思ったときだ。
「結城和寿」
と翔真がぼくを指差した。
「ん?」
「桃井翔真」
と今度は翔真が自分を指差す。
「なに?」
「あとで画数確認する?」
と笑いかけた。
ぼくは、それだけで、胸いっぱいになった。
帰り道、ぼくと翔真はおみやげの入った紙袋をぶら下げて歩いた。渋谷まで歩こうか、と翔真が提案した。一駅だけだしもったいないじゃん、だそうだ。
「どうだった? 関ヶ原」
翔真が言った。
「疲れた。ただ疲れた」
ぼくは言った。
「まあ何事も人生経験だろ」
「そうさのう、じいさま」
「そうよのう、ばあさま」
「ぼくがばあさま?」
「そっか、じいさま同士でいいんだな」
翔真が笑った。「今回で学んだのにな」
「べつにばあさまでもなんでもいいけどさ」
「うん、和寿は和寿だから、じいでもばあでもないな。のう、和寿よ」
翔真が笑った。
「これでぼくのお願いは完了だね」
寂しいな、と思った。夕焼けが余計にそうさせた。遊び足りないってだだをこねる子供みたいだ。
「いや、まだ来月の公演まではこのノリでいかんとな」
翔真は言った。
「来月か」
すぐにきてしまいそうで、時間がもっとゆっくりと流れてくれればいいのに、と願った。
「来月の芝居、家族も観にくるんだ」
「そっか」
「詩織との話も決着つけなくっちゃ。詩織とうちの家族ズブズブだから」
「家族にもゲイのふりするの?」
「しないでもいいだろ。詩織が諦めてくれて、家族が状況理解してくれれば万事オッケーだし」
「そうか」
「なあ、どっかで飯食う?」
翔真が言った。
「さっき三日分は食べてなかった?」
「もう胃の中だ。食い物は見えない」
「太るよ」
「その分トレーニングとか、まあ水面下でしてるんですよ。白鳥だよ、水の中でバタバタさせてんの」
この人は、見えないところで努力をしているのだ。ぼくは翔真が、本気で舞台を、俳優になりたいのだということを今日、わかった。
それだけ、彼の演技は最高で、真に迫っていた。
「尊敬する」
ぼくは言った。
「尊敬じゃなくって、好きになってくんない?」
翔真は笑った。
ぼくは、深呼吸した。
「もう一度、リテイクで」
ぼくは翔真を見て、つばを飲み込み、
「そういうとこ、好きだよ」
と言った。
そうだ、まだぼくらの演技は続くのだ。
今度はぼくが、完璧な演技をしなくちゃならない。「気になる相手の嘘の恋人役」を。


