六月の日曜日、梅雨どきだというのになんともさっぱりした青空が広がっている。さすがだ。直哉はよく、自分は晴れ男だ、と豪語していた。根拠のない自信もその勢いと力強さで無理やり演出していくタイプだった。
 もう夏がやってきている。街ではショートパンツを履いて、サンダルばきで歩いているものも増えてきていた。
「そんなに緊張すんなって」
 ぼくを見て、翔真は呆れて言った。
「べつに、緊張なんてしてねーし」
「手と足、一緒になってるよ」
 ぼくは立ち止まり、慎重に、右手と左足を前にして歩きだした。
「どう、これ」
「なんか意識しすぎてぎこちないって」
 翔真はぼくの様子が面白いらしくにやにやしている。「にしても、代官山で式をあげてそのあとパーティーって、まあ交通の便はいいけど、やってんなあ」
「派手好きな人だったしね」
 ぼくは言った。そろそろ会場に着くので、ネクタイをしっかり締めなくてはならない。
 それにしても、落ち着かないぼくに比べて、隣の翔真の堂々とした姿よ。まあとくに面識もない相手の結婚披露宴なんて、緊張なんてするわけもないか。
 今日でひとまずの、ぼくのミッションは終了だ。再来週には翔真の芝居の本番である。手塚詩織のほうは、キャンパスでぼくと翔真が友達にしてはかなり近い距離感で歩いているのを見せつけることで、ひとまず翔真がゲイである、とアピールを続けていた。さすが本気で好きなだけある、だからといって、アウティングなんて愚かなこともせず、ただ不機嫌な顔をしているだけだった。芸能事務所に声がかかっているというのに、翔真のほうはとくに気にせず、ぼくと「デートごっこ」をしていた。
 手塚詩織に対して、罪悪感を感じた。彼女に嘘をついている。ほんとうはぼくらは付き合っていないのだ。
「どうしたん? 緊張したり暗くなったり、感情の浮き沈み激しすぎん?」
 翔真がぼくの顔をのぞきこんだ。茶化しぎみに言うのは、ぼくをリラックスさせようという配慮だった。イケメンにあぐらをかかずに、配慮もできる。なかなかたいしたもんだ。そりゃ手塚詩織も小さい頃からずっと好き、なわけだ。幼い頃にした約束をいまでも大事にしている。彼女はきっと、翔真しか見えない。だからこそあやうい。
 自分がかつて、そんな恋をしていたから、よくわかる。
 そして、これからその人の晴れ舞台をお祝いしに行くのだ。ニセの彼氏と一緒に。
「やっぱよそっか」
 会場のそばにきたところで、ぼくは言った。
「はあ? せっかくタキシードレンタルしたのに! 一回しか着ないのに、一式わりと高かったんだけど」
 翔真が自分のスーツをひっぱって見せた。「そもそもこれまでの努力が水の泡かよ」
 ぼくは急に、自分のついている嘘が、なにもかもを歪ませているのではないか、と後悔し始めていた。
 本番寸前で。
「だって、やっぱ冷静になって考えてみて、おかしいよね。そもそも見栄でついた嘘のためにこんなにまでして。嘘ついてるし」
 頭の隅にあった手塚詩織への申し訳なさが広がって、それが誘い水となり、自分が悪いいことをしているのではないか、と思えてきた。胸が痛む。
「あのな、和寿さんよ」
 翔真がぼくのネクタイを掴み、びっくりした。
「え、ちょっと」
「べつに殴んねえよ」
「ネクタイ急に掴むのって、喧嘩のスタートでしょ」
「喧嘩じゃない」
 そう言って、翔真はぼくのネクタイを締めた。
「きついよ」
「そんくらいのほうが緊張感出るから」
 よし、と翔真がぼくの胸を叩いた。
「だって」
「だってもへちまもねーの。本番前ってのは一番緊張するときだから、気の迷い起こすのはわかりみが深い。が、だからといって戦う前に逃げるのはよくない。負け……この場合だとバレたとしても、俺たちにはそれだけの理由がある」
「理由って」
「元彼を見返したい。勝ち負けなんてないけど、勝った、と思わなくちゃ次に進めないときだってある。俺じゃ不足か」
 翔真がぼくを真剣に見つめた。
「むしろ自分には不釣り合いなくらいです」
「和寿はわかってないなあ」
 翔真がわざとらしくため息をついた。「和寿は俺なんかよりずっと上等な人間だよ」
「え」
 なにを言ってるのかわからなかった。
「やっぱ、プラトニックだと、不安になるよな」
 翔真がぼくを引き寄せた。
 あまりのことに声にならなかった。
 代官山の路上で、抱きしめられ、そして、翔真に口を塞がれた。
 気を失うかと思った。いや、その唇の感触をずっと感じていたくて、こらえた。
「これで、安心した?」
 顔を離して翔真が言った。
「いや、なんで路上で、そんな」
 お前、ノンケだろ、え? ええ?
「いまどき誰だってするだろ、夜に新宿歩いていたらどこでもやってるよ、老いも若きも」
「昼だし、それにど……」
「同性同士だから?」
 翔真がぼくの言葉を遮った。
 ぼくは黙った。
「でも、付き合っていたら衝動抑えきれないもんでしょ。経験ないの?」
「いや、そんなこと」
「マスターがなんて言ってたっけ、そうか、関ヶ原。戦いは、もう始まってるんだぞ」
 行こう、と翔真がぼくの肩を抱いて歩きはじめた。
 恋人っていうより介護されてるみたいだな、とはさっきの唇の感触を再現したくて、ぼくは唇を舐めた。
「なに、乾いてるの? もう一回するか?」
 翔真が茶化した。
 ぼくは顔が火照っていて、なにも言えなかった。
 もう始まっている。そうか、さっきのは、恋人の演技ってやつか。当たり前か。
 やるしかない、と僕らは会場に足を踏み入れた。
「これが終わったら、二人でお祝いしようか」
 翔真が前を見たまま言った。