ひさしぶり、とぼくのテーブルに直哉がやってきて、向かいに座った。あのときみたいだ、と過去がぐんと近づいてきた。
 ここは、ぼくらが付き合ってた頃いつも座ってた場所だった。
「あ、まだ書いているの?」
 直哉がぼくの手にしているシナリオ雑誌を指差した。
「まあ、でも最近はあんまり、かな」
 恥ずかしくなって、慌てて隠すように雑誌をバッグに押しこんだ。「ていうか、なんかあったの?」
 ひさしぶりの再会だった。別れてから直哉とは一度も会っていない。
「ん、まあとりあえず注文してからかな」
 と直哉はカウンターに見えるように、手を挙げた。
 なにも変わらないそのいちいち大袈裟な動きがおかしかった。そして、まだやっぱり、好きなのだな、としみじみ自分が引きずっていることを確認した。
「結婚することになったんだ」
 コーヒーを一口飲んで一息つくと、元彼が恥ずかしそうにはにかみながら切り出した。
「え」
 ぼくはそう言われ、びっくりして、口に含んだコーヒーをぶほっ、と吹き出しそうになるのをあわてて飲み下した。
「そりゃ驚くよなあ」
 と、直哉はぼくの表情に苦笑した。さっきまで、妙に緊張していたのは、ひさしぶりの再会のせいでなかった。その報告をどう切り出すか、迷っていたらしい。
「そうなんだ」
 こんな幸せな話を前に、ぼくはどういう顔をしたらいいのか迷う。
 ぼくたちは付き合っていた。でも、付き合っているときに、直哉に釘をさされた。
「俺は女と結婚するつもりだから」
 わりとおかたい仕事をしている直哉にとって、女性との結婚、そして家庭を作ることも、自分のためだった。そう言われたとき、「そうなんだ」と軽く考えていた。しかし、付き合っているあいだも、「結局この人は、女と結婚するんだ」なんて思うと、好きな気持ちが募れば募るほど苦しくなった。
 べつに、結婚したいとか、ずっと一緒にいれたらなんて、夢みたいな話だと思っていた。でも、初めての相手にそんなふうに一線を越えるな、みたく言われたら、よけいに苦しくなっていく。
 そもそも、去年別れてから誰かのことを好きになったり、好きでなくても誰かと抱き合ったりすることもしていなかった。
「そっか、おめでとう」
 ぼくは言った。元彼の結婚かあ、なんかそういうのって、もっとずっと先のことだと思っていた。でも、ぼくはまだ二十一だけれど、直哉のほうはたしか二十六だ。わりと早いほうだけれど、身を固めた方が直哉の将来のためなのかもしれない。
 やはり、苦しい。
 頭を掻いて照れている、年上なのに、笑うとなんだか同い年みたいにかつて感じていた人を前にして、ぼくはちょっとだけ意地の悪い気持ちになって、
「その人のこと、好きなの?」
 と訊ねた。
 直哉は「女、あんま好きじゃないんだよね、興味なさすぎて名前も顔も覚えられないしさあ」なんて失礼なことをぼやいていたので。さすがにパートナーとなる人が不憫ではないか、と思った。
「そんな、当たり前だろ」
「そうなんだ」
 趣旨替えなんて簡単にできるんだろうか
 こっちはいまでも直哉のことをたまに思い出したりしてしまい、未練たらたらなのだ。今日だって、もしかして復縁とかあるのではないか、とほとんどない可能性にちょっとすがっていたりした。
 ぼうっとしてしまっときだ。
 そのぼんやりした頭を起こすように、金槌でぶん殴られたような一撃が走った。
「この俺が結婚したくなる男なんだからさ」
「ん?」
 たぶんぼくはクラクラするのと言葉の意味がわからなすぎて、壊れたロボットみたいになっていたんだろう。
「ん?」
 直哉もまた、不思議そうに言った。
「ああ、あれか、直哉って変わらないね。自分のこと高く見積もってるよね、自分のことを結婚したくなる男、なんて」
 直哉はいつだって自信満々なのだ。
「え、違うけど」
「ん?」
「女と結婚しようと思ってた俺が、結婚したいと初めて思えた人ってこと」
「……は?」
 意味がわらない。言っていることがおかしい。
「だからさ、和寿」
 直哉がぼくの名前を読んだ。昔は呼ばれるたびに、自分の名前がすごくいいもののように思えたものだったが、いまは混乱しかなかった。「来月結婚式するんだ。まあべつに、格式ばったものじゃないんだけど、気の合う仲間たちを呼んで、さ。和寿にもきてほしいんだけど」
 そう言って、直哉はスマホを取り出して写真を見せた。
 直哉ともう一人、知らない男が笑っている。
「ん? この人」
 なんだこのにやけた二人は。
「こいつと、な」
 直哉は恥ずかしそうに言った。
 ぼくは首がすわらなくなり、ぐらついたからなんだが、直哉はそれを頷いた、と勘違いしたらしい。「彼氏誘ってくれてもいいよ。そりゃいるよなあ、和寿かわいいからさ」
 いまさらそんなふうにお世辞を言われたところで、嬉しくもなんともなかった。
「えーと」
 なにをどう言ったらいいのか、頭が回らない。
「最近どうよ、そっち関係」
 どっちですか? とこっちが聞きたいくらいだったが、
「まあね」
 となんとか口にした。
「いるんだ」
「うん」
「へえ、会いたいな、ぜひ一緒にきてよ」
 と祝福されるべき直哉が、ぼくを祝福した。
 そういうところが、好きだったんだけれど、いまはしんみりすることもできず、ただぼくは歪んだ口を笑っているように取り繕うのに精一杯だった。
「うん」
「いろいろあったけど、和寿には祝ってほしかったんだ」
 これはある意味、おめでとうのカツアゲではないか。