死んだ彼女が遺した日記

週が明けて三日が経ったけど、吉川は欠席している。みんなは風邪だと思っているようだが、それも今だけだ。連休が終わってもずっと欠席が続けば、ただの風邪では済ませられないだろう。

そして一ヶ月が経てば、いよいよ入院していることを隠し通せなくなる。余命は告げないだろうが、見舞いに行きたいとみんな言い出すだろうな。

もし俺が吉川の立場ならそっとしておいてほしいと思うが、吉川はどうなのだろう。友だちが見舞いに来て『早くよくなってね』なんて言われたら、余計につらくなってしまうかもしれない。きっと家族が支えているんだから、俺の出る幕じゃない。

……それなのに俺はまた、病院の前に来てしまった。

あれから放課後は毎日病院に来ているけど中には入らず、こうして外から大きな病院を見上げている。

でも、今日こそは……。

グッと拳に力を込めた俺は、一歩踏み出した。

ずっと考えていた。吉川のために何かできることはないかと。そして、昔読んだ小説のことを思い出した。主人公が余命わずかなヒロインの願いを叶えてあげ、最後までヒロインを支え続けるという物語だ。

俺は、今の自分とその主人公を重ねた。物語の主人公には絶対になれないタイプ だけど、俺にできることがあるとすれば、やっぱり吉川の願いを聞いてあげることだけだ。

願いなんてない。何もしなくていい。話したくない。顔も見たくないと言われたら、俺はそうするつもりだ。だけど、そうじゃなかったとしたら……。

病院の中に入ったはいいが、病室が分からない。親族じゃないのに勝手に病室を教えるようなことはないだろうし、とりあえず庭園に向かうことにした。

いるか分からないけど、ずっとここにいれば会えるかもしれない。今日会えなかったら明日また来よう。明後日も、その先も。

そんな覚悟を胸に庭園に出ると、この前と同じベンチに吉川が座っていた。
 
髪の毛を低い位置でふたつに結んでいるのは珍しいけど、吉川だと分かる。

ゆっくり近づいた俺は、「吉川」と声をかけた。

「渉くん。来てくれたんだ」

振り返った吉川は一瞬目を丸くしたけど、すぐに微笑んだ。

「ごめん、あの……迷惑かなと思ったんだけど」

「どうして? 迷惑なわけないじゃん」

夕方の空はこの前よりも少しだけ暗いはずなのに、吉川の笑顔はとても輝いて見えた。思わず泣きそうになって、眉間に力を込める。

隣に座った俺は、買ってきた温かいミルクティーを差し出した。

「飲む?」

「いいの?」

「うん」

「へへ、やったー。渉くんに奢ってもらっちゃった」

余命三ヶ月というのは、俺の聞き間違いかもしれない。そう思ってしまうほど、吉川の仕草や声は自然だ。

だからこそ……。

「どうして……なんでそんなふうに笑っていられるんだよ」

前は言えなかった言葉を、気づけば口に出してしまっていた。

「あっ、ごめん……」

すぐに謝った俺は、うつむいてキュッと唇を噛む。

「なんでだろうね。自分でもよく分からないんだけど、誤魔化してるのかも」

「誤魔化す?」

顔を上げて隣を見ると、吉川の表情に少しだけかげり が見えた。

「だって、やっぱり暗い自分なんて見てほしくないじゃん? 知られたくない部分とか、笑っていればそういうの全部、誤魔化せるかなって思って」

一瞬なんのことを言っているのか分からなかったけど、もしかすると吉川も、誰にも見られたくない感情を心の中に隠し持っているのだろうか。いや、でも……。

「それに、笑っていれば余命も伸びる気がしない?」

俺の顔を覗き込みながら聞いてくる吉川に、ドキッと心臓が跳ねる。

「あ、あぁ……確かに。笑ってるほうが健康によさそうだもんな」

「そう。笑う門には福きたる 作戦だよ」

伸ばした足を上下に揺らしながら、子供のような笑みを浮かべる吉川。

それはきっと、心からの笑顔じゃない。楽しくて笑っているんじゃなくて、色んな感情を隠して誤魔化すためだ。

そう理解した瞬間、どうしようもなく胸が苦しくなった。

「あのさ、実行委員の手伝い以外に、俺に何かできることってないかな」

「え?」

「なんでもいいんだ。家族には頼めないようなこととか、どんな小さなことでもいいから、俺にできることがあれば言ってほしい」

小説の中の主人公と同じ台詞を、気づけば口に出していた。

「俺じゃ頼りないかもしれないけど、ほんのちょっとでも吉川の支えになれるなら、なんでもするからさ」
 
こんな言葉、吉川の病気を知らなかったら絶対に言えなかっただろう。だけど俺は知ってしまったから、『俺なんか』なんて思っている場合じゃない。

「あ りがとう。じゃあ、お願いしたいことがあったらノートに書いておくね」

「うん。あれが飲みたいとか食べたいとか、本当に些細なことでもなんでもいいから書いておいて。えっと、明日は体育祭のTシャツのデザイン考えるらしくて、来るのは面会時間ギリギリになるかもしれないけど、毎日ちゃんと来るから」

「待って、そういうのはいいよ。私のせいで無理してほしくないし、余裕がある時に来てくれたほうが嬉しいから」

右手を俺に向け、吉川はぴしゃりと言い放った。

「でも……」

できることなら、毎日会いたい。口に出せない想いを抱きながら、吉川を見つめた。

「本音を言うと、渉くんと会う時はできるだけ元気で笑っていたいんだ。毎日だとほら、情けないところとか沈んでる顔も見せちゃうかもしれないし」
 
そんなことは気にしないし、むしろそういう吉川も見せてほしい。

しっかり者で明るい吉川も決して嘘ではないと思うけど、人間なんだから悩むことだってあるはずだ。リレーで転んだ時のように、失敗だってするはず。そういう『らしくない』とみんなが思うような部分に、俺は惹かれたんだから。

でも、言えば吉川を困らせるだけだ。ただでさえつらいのに、余計な気遣いはさせたくない。

「……分かった。じゃあ連休明けとかになると思うけど」

「うん、それまでには書いておくね。やっぱり面倒くさいって言ったってもうダメだからね」

いたずらっ子のような笑みを浮かべる吉川に、俺もつられてフッと笑ってしまった。

「そんなこと言わないよ。吉川の代わりに自転車で日本一周してほしいって言われたら、そうするし」

「ほんとに? 全国のご当地グルメが食べたいって言ったら?」

「全部お取り寄せする」

「医者になってって言ったら?」

「今から必死に勉強する。そんですぐ天才医師になって吉川の病気を治す」

「すぐって、まだ高二なんだから絶対無理じゃん」

吉川は、ケラケラと声を出して笑った。

これは不安を隠すためじゃなく、心からの笑顔なんだろうか。

分からないけど、吉川が笑っていられるように、俺は俺にできることをしよう。

「じゃあ私の願い、叶えてね。期待してるよ」

あたり前だ。どんなことだろうと、自分の人生をすべて捧げる気持ちで、俺は吉川の願いを叶える。



そう決心した十日後に、吉川花は急死した……――。