「――……は?」
咲が口をぽかんと開いた。驚きというより、思考が追いついていないように見える。俺も同じだ。
「花ちゃんが、こう言ってたんだ」
『咲は私の自慢の妹で、私も咲みたいになれたらいいのにな……』
「だから私は、花には花のいいところがたくさんあるし、比べる必要なんてないじゃんって言ったの。そしたら、花は糸が切れたみたいに急に色々話しはじめて――」
うちのクラスは積極性がないとか、自分が動けばみんな動いてくれるんだから、最初から手を上げてくれたらいいのにとか、本当はひとりで静かに本を読んで過ごすのも好きだけど、とか色々と吉川は愚痴っていたらしい。そして。
「でも勉強や運動が特別できるわけでもないから、せめて笑顔で明るくしっかり者でいないと……って、花が言ってたんだよね」
山本さんが嘘をつく理由はないから事実なのだろうけど、いよいよ頭が混乱してきた。
「クラスメイトの俺から見たら吉川は頭も運動神経もいいし、しっかりしていてクラスの中心的存在の人気者なんだけど、中学の頃は違ったってことかな」
俺が聞くと、山本さんは少し驚いたように目を開いた。
「えっと、花は中学でも明るくて人気者でした。だけど、こんなこと言っていいのか分からないけど……」
「本当のことを教えてほしい」
俺が言うと、山本さんは小さく頷いた。
「成績表とかテストの点とかも見せ合ったことがあるけど、頭はいいほうだと思う。クラスでは中の上くらいかな。運動は、正直言って苦手なほうだったよ。特に陸上競技は。あと、しっかり者っていうイメージは……あまりないかな。おっちょこちょいなところもあるし」
山本さんは少し遠慮がちにそう言ったけど、違う。吉川花は完璧だった。
ごくたまに調子が悪い時とかいつもと違うなと感じることはあったけど、勉強はトップクラスだし運動も間違いなくできた。それに、クラスのために率先して動くようなしっかり者で、まとめ役だ。
だけど吉川が同窓会で愚痴を言っていたのなら、もしかしたらずっと無理をしていたのだろうか。俺たちが吉川を頼りすぎていたから、それをプレッシャーに感じていた?
でも、そんな素振りは一切なかった。
それに、山本さんの話には違和感というか、何かが引っかかる。もちろん山本さんは本当のことを教えてくれているのだと思うけど、そういうことじゃなくて、何か別の、もっとこう……。
「……そんなわけないじゃん」
考えていると、隣からボソっと呟く声が聞こえた次の瞬間、
「花が私みたいになりたいなんて、言うわけない!」
咲が目を尖らせて声を上げた。そんな咲を前に、山本さんは言葉を失っている。
「落ち着けよ、山本さんは事実を話してくれただけなんだから」
マズいと思った俺は、小声で咲を諭した。
咲は吉川に対して嫉妬心があったのだから、その相手が自分のようになりたいだなんて言っていたと知ったら、怒鳴りたくなる気持ちも分かる。
もし伊東が俺に『羨ましい』とか『渉になりたい』 なんて言ったら、多分俺もキレるだろう。
だけど、今ここにいるのは吉川じゃなくて山本さんだ。山本さんに苛立ちをぶつけてもしかたがないし、せっかく来てくれたのに失礼だ。
「山本さん、ごめんなさい。吉川が亡くなって、色々情緒不安定っていうか」
「いえ、大丈夫です。一番つらいのは咲ちゃんだと思うから」
うつむいたままの咲に代わって俺が頭を下げると、山本さんは目を潤ませながらそう言ってくれた。
俺は山本さんに何度もお礼を伝え、咲もようやく顔を上げて「ごめんね」と言い、ふたりは最後に握手をした。
結局、山本さんの話を聞いて吉川の日記の謎が解けるどころか、いっそうモヤモヤしてしまったな。
店を出て、帰る山本さんのうしろ姿を見守ったあと、俺たちは無言で歩き出した。
どこに向かうかは決めていない。ただ、何から話せばいいのか分からないから、その時間を埋めるために歩いた。
しばらくして少し前を行く咲が立ち止まり、振り返った。俺はそのタイミングでポケットに手を入れスマホを確認すると、もうすぐ午後五時になるところだ。
三十分も歩いていたらしいが、辺りがまだ明るいので気づかなかった。
咲はそのまま近くにあった小さな公園の中に入り、ベンチに腰を下ろした。俺も無言で隣に座る。遊んでいる子供はいないようだ。
「あのさ……」
俺が沈黙を破ると、咲は待っていたかのように顔を上げた。
「色々思うことはあるだろうけど、とりあえず冷静にって俺に言ったのは、君だろ? あそこでキレちゃ駄目だったと思うよ。山本さんだってビックリしたと思うし」
「分かってるよ。でも花が私みたいになりたいなんて言うわけないじゃん。そんなの、どう考えたって私の台詞でしょ」
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。俺は吉川の心の中を知らないから、安易に頷くことはできない。
「気持ちは分からなくないけど、咲が知らないだけで、吉川も咲に対して羨ましいって気持ちがあったのかもしれないし」
「私が羨ましい? そんなわけないじゃん。私のことなんにも知らないくせに、勝手なこと言わないでよ」
「知らないけどさ、吉川について山本さんが嘘をつくとは思えない。それに俺だって、吉川が本当は運動が苦手で愚痴を言ったりする なんて知らなかったんだから。もちろん意外だったけど、でも俺は正直ちょっとだけ嬉しかったんだ」
そこまで言うと、咲が『 何言ってんだ』と言いたげに細めた目で俺を睨んだ。
「俺なんかと違って吉川は完璧だから、誰かに嫉妬したり羨んだりなんてしないんだろうなって思ってたから」
俺の卑屈さと比べたら申し訳ないけど、少しだけ心が軽くなったのは事実だ。
「それでも、私には分かんない。私になりたいだなんて……」
膝の上にのせている拳を握りながら、咲の声が少し震えているように思えた。吉川を失った悲しみと、自分の知らなかった双子の姉の姿が突然見えたことで、戸惑っているのかもしれない。
「俺もさ、クラスメイトってだけで、吉川のことを全然分かってなかった。だからこそ、やっぱり俺たちはこれを続けなきゃいけないと思うんだ」
バッグから吉川の日記を取り出した。
もしかしたら吉川は、これを通じて自分の心の中を俺たちに見せようとしているんじゃないかって、そう思ったから。
「分かるために、知るために、最後まで続けよう。今度は 同じ体験をするだけじゃなくて、話を聞けそうな人がいたら吉川のことを尋ねてみるのもありだと思うし」
俺の言葉を聞いた咲は、うつむいたまましばらく考え込んだ。
そのうちに夕焼けチャイムが鳴って、空の色が少し変わったところで、咲が顔を上げる。
「……分かった。行くよ。日記を最後まで読んだところで私の気持ちは変わらないけど、花が何を思ってたのか、なんで私なんかになりたいと思ったのか知りたい」
頷いた俺は、日記を捲った。
咲が口をぽかんと開いた。驚きというより、思考が追いついていないように見える。俺も同じだ。
「花ちゃんが、こう言ってたんだ」
『咲は私の自慢の妹で、私も咲みたいになれたらいいのにな……』
「だから私は、花には花のいいところがたくさんあるし、比べる必要なんてないじゃんって言ったの。そしたら、花は糸が切れたみたいに急に色々話しはじめて――」
うちのクラスは積極性がないとか、自分が動けばみんな動いてくれるんだから、最初から手を上げてくれたらいいのにとか、本当はひとりで静かに本を読んで過ごすのも好きだけど、とか色々と吉川は愚痴っていたらしい。そして。
「でも勉強や運動が特別できるわけでもないから、せめて笑顔で明るくしっかり者でいないと……って、花が言ってたんだよね」
山本さんが嘘をつく理由はないから事実なのだろうけど、いよいよ頭が混乱してきた。
「クラスメイトの俺から見たら吉川は頭も運動神経もいいし、しっかりしていてクラスの中心的存在の人気者なんだけど、中学の頃は違ったってことかな」
俺が聞くと、山本さんは少し驚いたように目を開いた。
「えっと、花は中学でも明るくて人気者でした。だけど、こんなこと言っていいのか分からないけど……」
「本当のことを教えてほしい」
俺が言うと、山本さんは小さく頷いた。
「成績表とかテストの点とかも見せ合ったことがあるけど、頭はいいほうだと思う。クラスでは中の上くらいかな。運動は、正直言って苦手なほうだったよ。特に陸上競技は。あと、しっかり者っていうイメージは……あまりないかな。おっちょこちょいなところもあるし」
山本さんは少し遠慮がちにそう言ったけど、違う。吉川花は完璧だった。
ごくたまに調子が悪い時とかいつもと違うなと感じることはあったけど、勉強はトップクラスだし運動も間違いなくできた。それに、クラスのために率先して動くようなしっかり者で、まとめ役だ。
だけど吉川が同窓会で愚痴を言っていたのなら、もしかしたらずっと無理をしていたのだろうか。俺たちが吉川を頼りすぎていたから、それをプレッシャーに感じていた?
でも、そんな素振りは一切なかった。
それに、山本さんの話には違和感というか、何かが引っかかる。もちろん山本さんは本当のことを教えてくれているのだと思うけど、そういうことじゃなくて、何か別の、もっとこう……。
「……そんなわけないじゃん」
考えていると、隣からボソっと呟く声が聞こえた次の瞬間、
「花が私みたいになりたいなんて、言うわけない!」
咲が目を尖らせて声を上げた。そんな咲を前に、山本さんは言葉を失っている。
「落ち着けよ、山本さんは事実を話してくれただけなんだから」
マズいと思った俺は、小声で咲を諭した。
咲は吉川に対して嫉妬心があったのだから、その相手が自分のようになりたいだなんて言っていたと知ったら、怒鳴りたくなる気持ちも分かる。
もし伊東が俺に『羨ましい』とか『渉になりたい』 なんて言ったら、多分俺もキレるだろう。
だけど、今ここにいるのは吉川じゃなくて山本さんだ。山本さんに苛立ちをぶつけてもしかたがないし、せっかく来てくれたのに失礼だ。
「山本さん、ごめんなさい。吉川が亡くなって、色々情緒不安定っていうか」
「いえ、大丈夫です。一番つらいのは咲ちゃんだと思うから」
うつむいたままの咲に代わって俺が頭を下げると、山本さんは目を潤ませながらそう言ってくれた。
俺は山本さんに何度もお礼を伝え、咲もようやく顔を上げて「ごめんね」と言い、ふたりは最後に握手をした。
結局、山本さんの話を聞いて吉川の日記の謎が解けるどころか、いっそうモヤモヤしてしまったな。
店を出て、帰る山本さんのうしろ姿を見守ったあと、俺たちは無言で歩き出した。
どこに向かうかは決めていない。ただ、何から話せばいいのか分からないから、その時間を埋めるために歩いた。
しばらくして少し前を行く咲が立ち止まり、振り返った。俺はそのタイミングでポケットに手を入れスマホを確認すると、もうすぐ午後五時になるところだ。
三十分も歩いていたらしいが、辺りがまだ明るいので気づかなかった。
咲はそのまま近くにあった小さな公園の中に入り、ベンチに腰を下ろした。俺も無言で隣に座る。遊んでいる子供はいないようだ。
「あのさ……」
俺が沈黙を破ると、咲は待っていたかのように顔を上げた。
「色々思うことはあるだろうけど、とりあえず冷静にって俺に言ったのは、君だろ? あそこでキレちゃ駄目だったと思うよ。山本さんだってビックリしたと思うし」
「分かってるよ。でも花が私みたいになりたいなんて言うわけないじゃん。そんなの、どう考えたって私の台詞でしょ」
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。俺は吉川の心の中を知らないから、安易に頷くことはできない。
「気持ちは分からなくないけど、咲が知らないだけで、吉川も咲に対して羨ましいって気持ちがあったのかもしれないし」
「私が羨ましい? そんなわけないじゃん。私のことなんにも知らないくせに、勝手なこと言わないでよ」
「知らないけどさ、吉川について山本さんが嘘をつくとは思えない。それに俺だって、吉川が本当は運動が苦手で愚痴を言ったりする なんて知らなかったんだから。もちろん意外だったけど、でも俺は正直ちょっとだけ嬉しかったんだ」
そこまで言うと、咲が『 何言ってんだ』と言いたげに細めた目で俺を睨んだ。
「俺なんかと違って吉川は完璧だから、誰かに嫉妬したり羨んだりなんてしないんだろうなって思ってたから」
俺の卑屈さと比べたら申し訳ないけど、少しだけ心が軽くなったのは事実だ。
「それでも、私には分かんない。私になりたいだなんて……」
膝の上にのせている拳を握りながら、咲の声が少し震えているように思えた。吉川を失った悲しみと、自分の知らなかった双子の姉の姿が突然見えたことで、戸惑っているのかもしれない。
「俺もさ、クラスメイトってだけで、吉川のことを全然分かってなかった。だからこそ、やっぱり俺たちはこれを続けなきゃいけないと思うんだ」
バッグから吉川の日記を取り出した。
もしかしたら吉川は、これを通じて自分の心の中を俺たちに見せようとしているんじゃないかって、そう思ったから。
「分かるために、知るために、最後まで続けよう。今度は 同じ体験をするだけじゃなくて、話を聞けそうな人がいたら吉川のことを尋ねてみるのもありだと思うし」
俺の言葉を聞いた咲は、うつむいたまましばらく考え込んだ。
そのうちに夕焼けチャイムが鳴って、空の色が少し変わったところで、咲が顔を上げる。
「……分かった。行くよ。日記を最後まで読んだところで私の気持ちは変わらないけど、花が何を思ってたのか、なんで私なんかになりたいと思ったのか知りたい」
頷いた俺は、日記を捲った。



