六時限目のホームルームで、体育祭についてのあれこれを実行委員が中心となって決めた。結果、五月下旬に行われる体育祭のクラス対抗選抜リレーに、伊東は選ばれたが、俺は選ばれなかった。
最初から分かっていた結果なのに、黒板に書かれた代表選手の名前を見ると、無性に腹が立った。
俺より速い奴が六人もいたんだから当然の結果だし、リレーに選ばれなかったからといって、どうということはない。
でも、こうして黒板に堂々と代表選手の名前を書かれると、書かれなかった自分との差をこれでもかと見せつけられているように思える。
思えば小学生の頃から、俺と伊東には大きな差があった。
伊東は小中高と常にリレーの選手だったけど、俺は選ばれたことが一度もない。書き初め大会でも伊東は金賞を取り続けているのに、俺は金賞はおろか、銀賞も銅賞も取ったことがない。
中学の時に美術の授業で描いた伊東の絵画は、他の選ばれた生徒と一緒に区の美術館に飾られた。俺は不器用だしセンスもないからそんなものに選ばれたことはない。
成績は言わずもがな。
俺は顔がいいわけでもないから当然モテないけど、伊東は鼻が高く目元も切れ長で、つまりイケメンな上に、背まで高い。あたり前のように小学校の頃から人気があって、クラスの中心にいた。
それらはもちろん伊東の天性と、努力の結果だ。それは分かっているのだけれど……。
「惜しかったな。渉と一緒にリレーやりたかったのに」
前の席の伊東が俺のほうを向き、心底残念そうに口をへの字に曲げた。それでも変顔にはならないのだから不思議だ。
「伊東がいれば大丈夫だろ。応援するから、一位取れよ」
「任せろ、お前のぶんも頑張って走るわ」
別に、俺のぶんも背負えなんて言ってない。
というか、俺のぶんってなんだ。それじゃあまるで、俺が代表になりたがっていたけどなれなかった可哀想な奴みたいじゃないか。
まぁ……実際そうなのだけど、伊東に言われると、なぜかとてつもなく惨めになる。
「おう、期待してるからな」
けれど、俺はまた相手を理解するような優しい笑顔で、この醜悪な心を隠した。
伊東は悪い奴じゃないし、嫌いなわけでもない。むしろいい奴の部類に入るだろう。他のクラスメイトも、多少性格の合う合わないはあるにせよ、嫌な奴はいない。
でも……心底嫌いだと思う奴が、このクラスにひとりだけいる。
それは――俺自身だ。
吉川や伊東がいる場所に立てない平凡な俺は、人当たりのいい穏やかな人間を装いながら、クラスのトップに君臨する奴らを羨み、僻む ことしかできない最低な人間だから。
「――あともうひとつ、私たち実行委員と一緒に体育祭恒例のクラスTシャツのデザインなど、色々手伝ってくれる人を募集したいんですが」
前に立っている実行委員の女子の言葉に、教室が一瞬シーンと静まり返ったあと、「 はい」と勢いよく手があがった。吉川だ。
「私部活入ってないし、手伝います」
体育祭だけじゃない。一年の時は文化祭や合唱コンなど、クラスのためになるならと、吉川は面倒なことでも積極的にその役割を担った。
そして「花がやるなら私も」と、 吉川のあとに続いて手伝うと言い出すクラスメイトも多い。だからなのか、行事などの決めごとでクラスが揉 めた記憶はほとんどない。
面倒な仕事は引き受けたくないというのが普通 だろう。部活があるならなおさらだ。でも、こうして何事 も自ら参加しようとする吉川の姿を見ていると、自然と自分も何かしなければという気持ちになる。
俺が同じことをしても、ついてくる奴なんてきっと誰もいない。真面目でしっかり者で優しい吉川だから、みんなのモチベーションも上がるのだ。
「では、体育祭に向けて頑張っていきましょう」
今回も吉川のおかげでスムーズにことが運び、実行委員の締めの言葉で六時限目は終了した。
「渉くんと伊東くんて、同じ中学だったんだよね?」
帰りの準備をしていると、窓際に座っている隣の席の吉川が声をかけてきた。俺は、手に持っていた教科書を慌ててカバンにしまい、椅子に座る。
「中学どころか、小学校から同じで、中学では部活も三年間一緒だったんだ」
俺が口を開く前に伊東が答え、「なっ」と俺を見た。
「あぁ。なんだかんだつき合いは長いかもな」
長いからこそ、伊東との差を常に実感させられてきた。
確かに中学で三年間、共にサッカー部として頑張ってきたけど、伊東は一年の頃からレギュラーでエース。一方俺は、二年になってようやく先発出場できるようになったけど、特別上達することもなく引退。
高校でも伊東はサッカー部に入部したが、俺はバイトがしたいという理由で帰宅部を選んだ。今もまだバイトはしていないので、ただの言い訳だ。
「じゃあ、お互いのことはなんでも知ってる感じだ。私は幼なじみっていないから、なんか憧れる。いいよね、幼なじみっていう響きが」
なんでも知ってる……か。
いつもなら『まあな』とか適当な言葉で話を合わせていただろうけど、屈託のない吉川の笑顔を前に、俺は嘘をつくことができず黙り込んでしまった 。
「そうだなー、渉のことは女関係の話以外ならだいたい知ってるかな」
躊躇う俺とは反対に、伊東がごく自然に答える。
「……てか、逆に俺は そこらへんも色々知ってるけどな。確か伊東は中二の時……」
俺は心のモヤモヤを吹き飛ばすため、わざとふざけたようにそう言った。
「おい、それはもう終わった話だろ」
伊東は笑いながら慌てて俺の口を塞 ぎ、吉川は「幼なじみ楽しそう」と言って、笑っている。
だけど、俺の心は笑っていなかった。
中二の時、俺が密かに気になっていた女子が伊東に告白をして、ふたりはつき合うことになった。
俺が何も話していなかったのだから、伊東に非がないことは分かっていた。それでも伊東に嫉妬して、どうせ俺なんかと、勝手に自分を卑下したことを覚えている。
「今は新しい彼女いるもんな」
「そうそう、大事なのは今だから。つーか渉こそ、浮いた話はないのかよ」
「あるわけないだろ」
そういう苦い思い出と自分の嫌な心を吉川に知られたくなくて、俺は笑った。
笑うことで、自分の醜悪な心を誤魔化すしかないから。
俺と伊東は、趣味とか得意な教科や苦手な教科、家族構成とかそういうことは互いに知っているけど、伊東はきっと知らないだろう。
ことあるごとに、俺がお前に嫉妬しているということを。
――なんでこいつばっかり。
それはいつしか、決して言葉には出さない、俺の口癖になっていた。
俺が勝手に駄目な自分と比べてしまうだけで、伊東は何も悪くない。
悪くないと分かっていても、俺は他人と自分を秤 にかけ、勝手に落ち込んでは勝手に僻む面倒くさい人間なんだ。
俺のそういう卑屈な部分を知ったら、きっと嫌われるだろうな。人当たりのいいふりをして心の中ではそんなふうに思っていたのかよって、ドン引きされるかもしれない。
だから、俺とは正反対な吉川にだけは、知られたくない。
「なんとなくだけどさ、渉と吉川ってちょっと似てるよな」
「はぁ!? 」
今の俺の心情とあまりにもかけ離れたことを伊東が言い出したので、思わず声が出た。
似てる? 俺と吉川が? そんなわけないだろ、どこ見てんだ! と言いたいところを堪え、俺は「いやいやいや」と右手を振った。
「それはさすがに吉川に悪いから」
「だってさ、ふたりとも基本穏やかだし優しいし、まわりに結構気を使うタイプじゃん?」
吉川はそうだろう。だけど俺は穏やかというより、ボロが――心の声が――出てしまわないように大人しくしているだけだ。
「私はさておき、渉くんは優しいと思う」
複雑な気持ちになるから、そんな真っ直ぐな目でお世辞は言わないでくれ。吉川や伊東に褒められると、余計惨めになる。
「なんだよふたりとも、褒めたってなんにも出ないからな」
うまい言葉が浮かばず、超絶つまらない返しをしたところで、タイミングよくチャイムが鳴ってくれた。
最初から分かっていた結果なのに、黒板に書かれた代表選手の名前を見ると、無性に腹が立った。
俺より速い奴が六人もいたんだから当然の結果だし、リレーに選ばれなかったからといって、どうということはない。
でも、こうして黒板に堂々と代表選手の名前を書かれると、書かれなかった自分との差をこれでもかと見せつけられているように思える。
思えば小学生の頃から、俺と伊東には大きな差があった。
伊東は小中高と常にリレーの選手だったけど、俺は選ばれたことが一度もない。書き初め大会でも伊東は金賞を取り続けているのに、俺は金賞はおろか、銀賞も銅賞も取ったことがない。
中学の時に美術の授業で描いた伊東の絵画は、他の選ばれた生徒と一緒に区の美術館に飾られた。俺は不器用だしセンスもないからそんなものに選ばれたことはない。
成績は言わずもがな。
俺は顔がいいわけでもないから当然モテないけど、伊東は鼻が高く目元も切れ長で、つまりイケメンな上に、背まで高い。あたり前のように小学校の頃から人気があって、クラスの中心にいた。
それらはもちろん伊東の天性と、努力の結果だ。それは分かっているのだけれど……。
「惜しかったな。渉と一緒にリレーやりたかったのに」
前の席の伊東が俺のほうを向き、心底残念そうに口をへの字に曲げた。それでも変顔にはならないのだから不思議だ。
「伊東がいれば大丈夫だろ。応援するから、一位取れよ」
「任せろ、お前のぶんも頑張って走るわ」
別に、俺のぶんも背負えなんて言ってない。
というか、俺のぶんってなんだ。それじゃあまるで、俺が代表になりたがっていたけどなれなかった可哀想な奴みたいじゃないか。
まぁ……実際そうなのだけど、伊東に言われると、なぜかとてつもなく惨めになる。
「おう、期待してるからな」
けれど、俺はまた相手を理解するような優しい笑顔で、この醜悪な心を隠した。
伊東は悪い奴じゃないし、嫌いなわけでもない。むしろいい奴の部類に入るだろう。他のクラスメイトも、多少性格の合う合わないはあるにせよ、嫌な奴はいない。
でも……心底嫌いだと思う奴が、このクラスにひとりだけいる。
それは――俺自身だ。
吉川や伊東がいる場所に立てない平凡な俺は、人当たりのいい穏やかな人間を装いながら、クラスのトップに君臨する奴らを羨み、僻む ことしかできない最低な人間だから。
「――あともうひとつ、私たち実行委員と一緒に体育祭恒例のクラスTシャツのデザインなど、色々手伝ってくれる人を募集したいんですが」
前に立っている実行委員の女子の言葉に、教室が一瞬シーンと静まり返ったあと、「 はい」と勢いよく手があがった。吉川だ。
「私部活入ってないし、手伝います」
体育祭だけじゃない。一年の時は文化祭や合唱コンなど、クラスのためになるならと、吉川は面倒なことでも積極的にその役割を担った。
そして「花がやるなら私も」と、 吉川のあとに続いて手伝うと言い出すクラスメイトも多い。だからなのか、行事などの決めごとでクラスが揉 めた記憶はほとんどない。
面倒な仕事は引き受けたくないというのが普通 だろう。部活があるならなおさらだ。でも、こうして何事 も自ら参加しようとする吉川の姿を見ていると、自然と自分も何かしなければという気持ちになる。
俺が同じことをしても、ついてくる奴なんてきっと誰もいない。真面目でしっかり者で優しい吉川だから、みんなのモチベーションも上がるのだ。
「では、体育祭に向けて頑張っていきましょう」
今回も吉川のおかげでスムーズにことが運び、実行委員の締めの言葉で六時限目は終了した。
「渉くんと伊東くんて、同じ中学だったんだよね?」
帰りの準備をしていると、窓際に座っている隣の席の吉川が声をかけてきた。俺は、手に持っていた教科書を慌ててカバンにしまい、椅子に座る。
「中学どころか、小学校から同じで、中学では部活も三年間一緒だったんだ」
俺が口を開く前に伊東が答え、「なっ」と俺を見た。
「あぁ。なんだかんだつき合いは長いかもな」
長いからこそ、伊東との差を常に実感させられてきた。
確かに中学で三年間、共にサッカー部として頑張ってきたけど、伊東は一年の頃からレギュラーでエース。一方俺は、二年になってようやく先発出場できるようになったけど、特別上達することもなく引退。
高校でも伊東はサッカー部に入部したが、俺はバイトがしたいという理由で帰宅部を選んだ。今もまだバイトはしていないので、ただの言い訳だ。
「じゃあ、お互いのことはなんでも知ってる感じだ。私は幼なじみっていないから、なんか憧れる。いいよね、幼なじみっていう響きが」
なんでも知ってる……か。
いつもなら『まあな』とか適当な言葉で話を合わせていただろうけど、屈託のない吉川の笑顔を前に、俺は嘘をつくことができず黙り込んでしまった 。
「そうだなー、渉のことは女関係の話以外ならだいたい知ってるかな」
躊躇う俺とは反対に、伊東がごく自然に答える。
「……てか、逆に俺は そこらへんも色々知ってるけどな。確か伊東は中二の時……」
俺は心のモヤモヤを吹き飛ばすため、わざとふざけたようにそう言った。
「おい、それはもう終わった話だろ」
伊東は笑いながら慌てて俺の口を塞 ぎ、吉川は「幼なじみ楽しそう」と言って、笑っている。
だけど、俺の心は笑っていなかった。
中二の時、俺が密かに気になっていた女子が伊東に告白をして、ふたりはつき合うことになった。
俺が何も話していなかったのだから、伊東に非がないことは分かっていた。それでも伊東に嫉妬して、どうせ俺なんかと、勝手に自分を卑下したことを覚えている。
「今は新しい彼女いるもんな」
「そうそう、大事なのは今だから。つーか渉こそ、浮いた話はないのかよ」
「あるわけないだろ」
そういう苦い思い出と自分の嫌な心を吉川に知られたくなくて、俺は笑った。
笑うことで、自分の醜悪な心を誤魔化すしかないから。
俺と伊東は、趣味とか得意な教科や苦手な教科、家族構成とかそういうことは互いに知っているけど、伊東はきっと知らないだろう。
ことあるごとに、俺がお前に嫉妬しているということを。
――なんでこいつばっかり。
それはいつしか、決して言葉には出さない、俺の口癖になっていた。
俺が勝手に駄目な自分と比べてしまうだけで、伊東は何も悪くない。
悪くないと分かっていても、俺は他人と自分を秤 にかけ、勝手に落ち込んでは勝手に僻む面倒くさい人間なんだ。
俺のそういう卑屈な部分を知ったら、きっと嫌われるだろうな。人当たりのいいふりをして心の中ではそんなふうに思っていたのかよって、ドン引きされるかもしれない。
だから、俺とは正反対な吉川にだけは、知られたくない。
「なんとなくだけどさ、渉と吉川ってちょっと似てるよな」
「はぁ!? 」
今の俺の心情とあまりにもかけ離れたことを伊東が言い出したので、思わず声が出た。
似てる? 俺と吉川が? そんなわけないだろ、どこ見てんだ! と言いたいところを堪え、俺は「いやいやいや」と右手を振った。
「それはさすがに吉川に悪いから」
「だってさ、ふたりとも基本穏やかだし優しいし、まわりに結構気を使うタイプじゃん?」
吉川はそうだろう。だけど俺は穏やかというより、ボロが――心の声が――出てしまわないように大人しくしているだけだ。
「私はさておき、渉くんは優しいと思う」
複雑な気持ちになるから、そんな真っ直ぐな目でお世辞は言わないでくれ。吉川や伊東に褒められると、余計惨めになる。
「なんだよふたりとも、褒めたってなんにも出ないからな」
うまい言葉が浮かばず、超絶つまらない返しをしたところで、タイミングよくチャイムが鳴ってくれた。



