俺と咲は、カフェがある駅前で待ち合わせをした。

家から電車で三十分。そこまで遠くはないが、初めて降りる駅だった。

人気のカフェだから渋谷や原宿のような若者が集まる繁華街を想像していたが、駅は小さく、意外にも静かな下町といった雰囲気だ。

駅前で待っていると、待ち合わせの時間から五分遅れて咲が来た。昨日と同じように、シンプルなTシャツとジーンズ、それと今日はキャップをかぶっている。

「ごめん、ちょっと遅れた」

「いや、平気。……じゃあ行くか」

少しの沈黙が流れたあと、俺は咲から目を逸らして地図アプリを開く。

よく考えたら、こうして女子とふたりで待ち合わせをするのは人生初だ。けれどもちろんこれはデートなんかではなく、青春の一ページになるようなことでもないので、思ったよりも冷静だ。
 
地図の案内通りに歩くと、閑静な住宅地の中に目的のカフェはあった。
 
目立った看板はなく、真っ白な壁に小さく【レインボーカフェ】と書かれた表札がドアの近くにある。大きな窓はあるけど、外から中の様子は見えないようになっているみたいだ。

「ここで間違いないよな」
 
躊躇している俺に代わって、咲が店のドアを開けた。
 
中に入った瞬間、そこはまるで別世界。男の俺が入るにはちょっとだけ、いや、かなり気まずい空間が広がっている。
 
虹がコンセプトなのか、椅子やテーブルはカラフルで、壁は綺麗な水色。吉川の日記にある通りポップでかわいい。

店内はまだ空いているので、十時のオープンと同時に来て正解だった。

「二名様ですか? こちらへどうぞ」

「あの、すみません。あそこの窓際の席がいいんですけど」

案内しようとした店員さんに向かって、咲がそう言った。

「はい、分かりました。大丈夫ですよ」

客のお願いに笑顔で応えてくれたのは、店がまだそこまで混んでいないからだろう。とはいえ、座りたい席を店員さんに要求するという行為はあまり好きではない。

「席はどこでもよかったんじゃないの?」
 
窓際のふたりがけの席に座ってから、小声で咲にそう伝えた。

「なんで?」

「いや、なんていうか、こういうのは店側が指定した席に座るのが当然かなと思うし」

「私だって普段は席なんてどこだっていいと思ってるよ。だけど今日は違うじゃん。花が経験したことと同じことをするんだから、席もできるだけ同じほうがいいでしょ。花が見た景色も見られるし」

日記を辿ることに意味はないと言っていた割には、結構こだわるな。でも、咲の言うことは最もだ。

咲がふと窓の外に視線を向けたので、つられるようにして俺も外を見る。

なんの変哲もない住宅街だけど、通夜や墓参りの日と違って今日は快晴だ。朝から夏らしい青空が広がっている。

一年前のちょうどこの日、吉川はこの店に来た。天気はどうだったか分からないけど、なんとなく晴れていたんじゃないだろうか。そう思うのは、窓から空を見上げて微笑む吉川の顔が、ふと浮かんだからだ。

「外見ながらいつまでも黄昏(たそが)れて ないで、注文するよ」

「あ、うん」

慌てて前を向いてメニュー表を見たけど、注文するものはすでに決まっている。

「チョコバナナパンケーキひとつください。あと、アイスコーヒーひとつ」

俺に相談もなく、水を持ってきた店員さんに咲がそう伝えた。

待っている間、なんでもいいから話題を振って話をしたほうがいいのか悩んだけど、俺たちに会話はなかった。

初対面の人といきなり盛り上がれるほどの会話術を俺は持ち合わせていないし、咲も積極的に話すほうではないらしい。そういうところも、吉川とはすいぶん違う。

無言でしばらく待っていると、パンケーキが運ばれてきた。思っていた以上にでかい。

厚みのある三枚のパンケーキに山盛りの生クリーム、そこに削ったチョコがかかっていて、まわりには二本分のバナナがこれでもかとのっている。

「お待たせいたしました」

店員さんが取り皿をふたつ置いた。この大きさならシェアするのがあたり前だろうけど、これを吉川はひとりで食べたんだよな。

「ていうか、大きさエグっ」

咲は目を丸くしながらスマホで写真を撮っている。

「あのさ、吉川って写真とかよく撮るタイプだった?」

「あ~、撮るかもね。かわいいものとか気になるものは撮ってたかも。逆に私は写真撮る習慣が全然ないんだ」

それでも今このパンケーキの写真を撮っているのは、吉川が撮り忘れたと日記に書いていたからだろう。吉川ができなかったことを代わりに咲がやっているのだと思ったら、なんだか胸の奥がジンとなる。

「じゃあ分けて食べるか」

「は? 何言ってんの、私食べないよ」

「え?」

「日記見たでしょ? 私、甘いもの苦手だから」

「いや、でもこの量だし」

「花はこの量をひとりで食べたみたいだけど、渉は花と同じことしないわけ?」

そう言われると反論できない。

実は俺もそこまで甘いものが好きというわけではなく、どちらかというとしょっぱい系のスナック菓子が好きなんだけどな……。

でも吉川と同じことを体験すると決めたのは俺なんだから、しょっぱなからできないというのは駄目だ。つまり、食べるしかない。

パンケーキを切ってクリームをのせ、口に運んだ。その瞬間、俺は目を見開いた。

クリームは甘すぎないし、パンケーキはふわっふわで、吉川の日記に書かれていた通りだ。

これなら確かに、あっという間に完食してしまうかもしれない。

……と思ったが、三分の二を食べたところで、いよいよ限界だとお腹が悲鳴を上げはじめた。これがカレーならいけたかもしれないが、生クリームたっぷりのパンケーキはちょっとキツイ。

「どうしたの?」

ふーっと息を吐いてフォークを置くと、頬杖をつきながら俺を見ている咲が、首を傾げた。

「さすがにつらくなってきたかも」

お腹をさすりながら周囲を見ると、ここにいる女子たちはみんな、幸せそうな笑みを浮かべながらパンケーキを食べている。

「もしかして、もうお腹いっぱいとか?」

「いや、まぁ……」

咲にじろりと睨まれると、『食べられません』とは言えない。

「食べられるよね? だって花は食べたんだから。しかもあの子は、もうひとつ食べようとしてたんだよ?」

夏季限定のマンゴーパンケーキか。メニューにあったけど、吉川の胃袋はどうなっていたんだ。甘いものは別腹だとか言うけど、それにしても限度があるだろ。

「食べるよ。食べるに決まってるだろ」

お腹いっぱいというより甘いものを受け付けなくなっていたが、それでも気合いでなんとか口に運んでいく。そんな俺を、咲はニヤニヤしながら見ていた。
 
少しは手伝ってくれてもいいのに、完全に他人事でちょっとムカつく。
 
気合いと根性でなんとか全部綺麗に食べ切った俺は「ごちそうさまでした」と、若干ドヤ顔で咲を見た。
 
明日の昼まで何も食べなくてよさそうなくらい、お腹いっぱいだ。でもパンケーキが美味しかったのは確かで、吉川が日記に残したくなる気持ちも分かる。

「で、どうだった?」

「どうって? 美味しかったし、満腹だけど」

「そうじゃなくて、花と同じことしてみて何か分かったか聞いてんの」

「あ、そうか。そうだな、小食なイメージだったけど、よく……というか、かなり食べるっていうのが意外かな。この量を女子がひとりで食べるのは結構キツイと思うんだ。しかも日記を見る限り、もう一品食べられる勢いだったみたいだし」

分かったことといえば、そのくらいだ。

「ふ~ん。ま、花は確かに大食いだけど、甘いものに限ってだよ。ご飯食べる時はいたって普通の量だし」

「えっ、君は知ってるの?」

思わず口に出すと、咲は呆れたようにため息をついた。

「あたり前じゃん。双子なんだから」

「だけど……」

日記の存在も知らなかったようだし、別々に暮らしているからてっきり。

「私は誰より花のことを知ってる……はずだから」

咲は少しだけ寂しそうに目を伏せたあと、パッと顔を上げた。

「ちなみに渉は花のこと、どんな子だと思ってる?」

「えっと、とにかく誰に対しても優しくて真面目でしっかり者で、勉強も運動もできる人気者かな 」

俺が女子だったら、絶対に吉川に嫉妬していただろう。伊東に対してそう思ってしまうように、なんであいつばかり、俺はなんであいつみたいにできないんだと。

「なるほどね」

咲が意味深に頷き、グラスに少しだけ残ったアイスコーヒーを飲み干した。

「君が知っている吉川は、どんな子なの?」

俺が聞くと、咲は頬杖をついて俺を一瞥した。

「渉が思ってる花とだいたい同じだよ。会うといっつも笑ってて、優しくて、いい子。私とは正反対かな」

空になったグラスを見ながら、ストローをくるくると回している。その目があまりにも悲しそうで、『確かに』とは言えなかった。その代わりに、俺はずっと気になっていたことを口にする。

「あのさ、君はあの時どうして……死のうとしたの?」

咲はストローを持つ手を止め、俺を見上げた。

「花は、私のすべてだった」

そう言って、再び視線を下げる。

俺に兄弟はいないから、それがどういうものなのか分からないけど、家族なんだから大切なのだろう。双子なら、なおさら絆は深いのかもしれない。だとすると。

「吉川が死んでしまったことが悲しくて、君はあとを――」

「悔しかったんだよ」
 
俺の言葉を遮って、咲は眉をひそめた。

「悔しかったんだ……」

もう一度そう呟き、咲は「出よう」と言って席を立った。

咲は自分もパンケーキ代を払うと言ってきたが、それを俺は頑なに断った。咲も頑固でなかなか納得してくれなかったけど、レジをしている店員さんが若干困っていることに気づいて、ようやく引いてくれた。

「渉って意外と頑固なんだね。なんでも受け入れるタイプかと思った」

「頑固っていうか、さすがに食べてないものを払わせるわけにはいかないでしょ」

俺からすれば、咲のほうが断然頑固だ。でも、それを言うとまた揉めそうなので口を閉じ、歩き出した。

向かったのは駅で、そこからまた電車で目的地を目指す。一度電車を乗り換えて十五分。着いたのは、先ほどの駅とは真逆の繁華街。

今日行く場所は、時間的にも二ヶ所と決めていた。ひとつは先ほどのカフェで、もうひとつは次の日記に書かれていた場所だ。電車の中で、俺たちは再度それを確認した。