七月三十一日。

約束の日、約束の時間に墓参りをした俺の目の前に、吉川花が現れた。

吉川が自分の墓の前にいるという奇妙な状況に、俺はただただ立ち尽くした。

夢でもなんでもなく、目の前にいるのは吉川だ。白いTシャツに黒いパンツという私服は少しイメージと違ったけど、顔も髪も全部が吉川花だと分かる。

だけど、吉川は死んだんだ。ここにいるはずがない。

「よ……吉川……」

頼りない声で囁いた俺にチラリと目をやってから、彼女は無言でこの場を立ち去った。

わずかな風が頬を撫でた瞬間、ハッと我に返った俺は振り返り、去っていく彼女のうしろ姿を見つめる。

一日だけ天国から現世に戻ることができる日が今日で、吉川はそのことを伝えるために、あらかじめ日記と手紙を俺に送ってきた……。などというファンタジーな考えしか浮かばないが、去っていく彼女をこのまま黙って見ているわけにはいかない。

俺は、彼女のあとを追った。

どこに行くのか分からないけど、一定の距離を保ちながら彼女を見失わないように歩く自分が、 なんだかすごく悪いことをしているように思えた。

こんな怪しい行動をとらなくても声をかければ済む話なのだが、あまりにも現実離れした状況に声が出ないんだからしかたない。

霊園を出て歩いていると、前から若い女の子が三人、横並びに話しながら向かって来る。すると、彼女に気づいた女の子たちが縦一列になってすれ違った。つまり、他の人にもちゃんと彼女は見えているということだ。

幽霊ではないと確信して、少しだけホッとする。だけど、死んだはずの吉川がいるという状況に変わりはない。

そのままあとをつけていると、駅に着いた。彼女はあたり前のようにポケットからスマホを取り出し、改札の中に入った。俺も慌ててあとを追う。

なんだよ。これじゃあまるで、生きているみたいじゃないか。俺だけ嘘をつかれたのだろうか。だとすると壮大すぎるし、クラスメイトの涙はいったいなんだったんだってことになる。

気づかれないように距離を取りつつホームに立ち、彼女が乗車したのを見てから俺も同じ電車に乗り込んだ。

そろそろ帰宅時間だからか、電車内は少し混んでいる。彼女はドア付近に立ち、俺はドアふたつ分距離を取った。遠くからチラチラと様子をうかがっていると、五つ目の見慣れた駅で彼女は降りた。

そこは、学校の最寄り駅だ。俺だけじゃない、吉川も毎日この駅を利用していた。

ふと、一緒に帰ったあの日のことが脳裏をよぎる。

『渉くんて、変わってるよね。あ、もちろん褒め言葉だよ』

そう言って微笑んだ吉川が、鮮明に浮かんだ。それは今、俺の視線の先にいる彼女と同じ顔だけど、でも……どこか違和感がある。

いるはずがないからとかそういうことじゃなく、別の違和感だ。それが何か分からないまま、俺は駅を出た彼女を追った。

そして駅から徒歩五分、目的地はやはり学校だった。

だが午後六時近いこの時間、正門は閉まっている。夏休みでも部活動はやっているが、正門は午後五時で閉まるので、それ以降は正門ではなく裏門から出る決まりになっているからだ。

彼女は一度門に手をかけて開かないことを確認した。当然裏門へ回るのだろうと思ったのだが、彼女は驚くべき行動に出た。

門の脇にある石段に足を置き、そこから門の上に手をのせて、ひょいっと飛び越えたのだ。

「は?」

思わず声が出てしまい、慌てて手を自分の口元に当てた。

いやいや、嘘だろ? そんなことしなくても裏門へ回ればいいだけなのに、面倒くさかったのか?

そう思った瞬間、またひとつ妙な違和感を覚えた。

面倒だから門を飛び越える? あの吉川花が?

けれど、考えている場合ではない。俺もしかたなく門を飛び越え、彼女が歩いた方向へ急いだ。

初めて門の上に登ったけど、確かに飛び越えられない高さではなかった。でも腕の力はある程度必要だし、何より下へ飛び降りる瞬間は結構怖い。正直、少し躊躇ってしまうほどだ。

だけど、さっきの彼女からは迷いがまったく感じられなかった。あたり前のように飛び越えて、スタスタと行ってしまったのだから。

そんな彼女は、自転車置き場を横目に校舎へと入っていった。

部活動もそろそろ終わる時間だが、校舎の中は人けがなく静かだ。しかも教室は使われていないので、節電のために廊下の灯りは消えている。そのぶん足音が響いてしまいそうな気がして、俺はいっそう静かにあとをつけた。

途中で彼女が振り返ったらどう誤魔化すか考えながら、階段を最上階の四階まで上がる。四階は三年の教室があるけど、どこに行こうとしているのだろうか。

忍び足で廊下を歩いていると、前を行く彼女が足を止めた。そこは俺の、俺たちのクラスの前だった。

ドアを開けて教室に入る瞬間、彼女は離れたところにいる俺を一瞥 した。

――えっ?

確実に俺を見て存在に気づいたはずだが、彼女は何も言わずにそのまま教室の中に入った。

何かの罠なのだろうか。ホラーかミステリーか、あり得ない想像が膨らむけど、吉川だと思うと怖さはまったくない。

ドアに近づき、そっと中を覗くと……――。

「えっ? お、おい!」

彼女は椅子の上に立っていて、開け放った教室の窓から今にも飛び出しそうになっていた。その光景に驚いた俺の体が、衝動的に動く。

「おい、何してんだよ!」

さっきまで見つからないようにコソコソとしていたはずの俺は、咄嗟に駆け寄り腕を掴んだ。振り向いた彼女が、俺を見て首を傾げる。

「何って、飛び降りるんだけど」

数秒間黙って見つめ合ったあと、俺は「は?」と目を丸くした。

「だから、飛び降りるの。離して」

掴んでいる俺の腕に視線を向けながら、ため息まじりに彼女は言った。すごく迷惑そうに眉根を寄せている。

まるで俺が間違ったことをしているかのような反応だが、どう考えてもおかしいのはそっちだ。

「いや、飛び降りるとか、普通に駄目だから」

「なんで?」

「なんでって、ここ四階だし、下はコンクリだから死ぬでしょ」

「自殺って死ぬためにするんだから、間違ってないじゃん」

「え? じ、自殺って、なんで……。いや、あの、そうじゃなくてさ」

なんで飛び降りるのかとか、それももちろん気になるけど、だけどそうじゃない。そうじゃなくて、俺が言いたいのは――。

「あ……あんた……誰なんだよ」

目の前にいる彼女はため息をつき、乗り出していた体を教室の中に戻して椅子から降りた。そして、掴んでいる俺の腕を振りほどき、口を開く。

「吉川花だけど」

そう言って俺に向けた目は、とても鋭かった。

顔も声も髪も、どう見ても確かに吉川花だ。だけど違う。吉川のことを見てきた俺には、目の前にいる彼女が吉川だとは、どうしても思えなかった。

吉川は俺を見て何も言わずに立ち去ったりしないし、門を乗り越えたり、窓から飛び降りようとはしない。

何より、こんなにも冷たい目で誰かを見たりしない。

俺の感じた違和感すべてが、彼女を吉川花ではないと言っているんだ。

「違う……絶対違うだろ。お前は吉川花じゃない」

「は? 吉川花だって言ってんじゃん。どう見てもそうでしょ」

「それ! そのしゃべ り方! あとその目も、どう考えても違うんだよ」

本人ではないのは確かだけど、吉川花の名前を出したということは、無関係ではないはず。そう踏んだ俺は、目の前にいる吉川に似た誰かを指差しながら言った。

「ていうか、人に聞く前にあんたが名乗りなさいよ」

彼女はさっきまで飛び降りようとしていた窓にもたれかかり、腕を組みながら聞いてきた。

「俺は、吉川花のクラスメイトの佐倉渉だ」

「で、佐倉渉はなんで私のあとをストーカーみたいにつけ回してたわけ?」

「えっ? あ、いや、それはごめん……でも」

色々ありすぎて正直頭がこんがらがっているけど、俺は一度気持ちを落ち着かせるように視線を下げて息を吸った。

そして、顔を上げる。

「俺の知ってる吉川花は、死んだんだ。それなのに、吉川花にそっくりな君が目の前に現れたから」

俺は、持っていたカバンからあのノートを取り出した。

「もしかして、これを送ってきたのは君?」

吉川から送られてきた日記。それを見せると、彼女は目を細めた。

「は? 何それ、知らないけど」

その言葉と表情は、嘘をついているようには見えなかった。

「これは、吉川花から俺宛てに送られてきたものだ。一緒にこんな手紙も入ってた」

俺は、その短い手紙を見せながら言った。

「この字は間違いなく吉川の字だ。吉川が指定した日にお墓参りをしたら君が現れたんだから、何か知ってるんじゃないのか?」

なぜ吉川は俺にこの日記を託し、こんなお願いをしたのか。いくら考えても分からなかった。でも、吉川とうりふたつの彼女なら何か……と思った時、彼女は深いため息をついた。そして、ポケットから紙を取り出して机の上に置く。

「私も佐倉渉と同じ。花から手紙をもらったの」

そこには、〝七月三十一日午後五時に、私のお墓参りに行ってほしい〟 と書かれていた。俺と同じだ。

ていうか今、『花』って言ったよな。ということは、やっぱり――。

「私は、(たか)(やま)(さき)。吉川花の……双子の妹だよ」

「……え」

双子? そんな話は一度も聞いたことがない。

「本当に?」

疑っているわけじゃない。むしろ喋らなければ本人と見分けがつかないのだから、双子と言われたら納得だけど、あまりに驚いた俺はもう一度聞き返した。

「本当も何も、どう見てもそうでしょ。ていうか、双子じゃなかったら逆に怖いって思わない?」

「あ、まぁそうだけど……。でも名字が違うから」

「小学生の時に両親が離婚して、私は母親に、花は父親に引き取られたの。そんなのちょっと考えれば分かるでしょ」

高山咲は、若干イラついたように舌を鳴らした。やっぱり顔以外は似ていないなと改めて思う。

「確かにそうだね。そっか、親が離婚して……」

それも初めて知った。わざわざ言うことではなかったのかもしれない けど、改めて考えてみたら、俺は吉川のことを何も知らない。優しくてなんでもできて明るくて、みんなに好かれていたということ以外は、何も……。

「で、その花の日記にはなんて書いてあったわけ?」

「いや、まだ見てないんだ。墓参りが終わったら見てほしいって書いてあったから」

「へ~、律儀じゃん。私なら届いた日にすぐに見ちゃうけど」

吉川だったら、きっと頼まれたことはきちんと守るんだろうな。

「律儀っていうか、吉川がわざわざ俺に送ってきたんだから何か意味があるんだろうし、そこは守るでしょ」

「死んでるんだから、見たか見てないかなんて分かんないじゃん」

「そういう問題じゃない」

「渉は真面目だね~」

「そういうんじゃないって」

吉川花ではないと分かっても、この顔で吉川が言わな さそうな言葉ばかり言うからか、ますます混乱する。

しかも『渉』なんて名前で呼ばれたら……。

「何? まさか泣いてんの?」

高山咲にデリカシーのないことを言われ、こみ上げてきた涙がスッと引っ込んだ。

「泣いてない。ていうか、初対面なのにさらっと名前で呼ばれると戸惑うんだけど」

「だって、そのほうが呼びやすいんだからいいじゃん。嫌なら佐倉渉って呼ぶけど」

いや、名字だけっていう選択肢はないのかよ。

「別になんでもいい」

俺を名前で呼ぶ女子は吉川だけだったから正直複雑だけど、今はそんなことを気にしている場合じゃない。墓参りを終えたので、もう日記を読んでもいいはずだ。

手に持っている日記の一ページをそっと開くと、中からスルッと一枚の紙が滑り落ちた。

俺が紙を拾い上げると、高山咲が横から覗き込んできた。そこには、こう書かれてある。

〝本当の私に気づいてくれた君に、この日記を託します〟

なんのことだか分からないが、理由があって俺に日記を送ったのは確かなようだ。

紙をポケットに入れ日記を二ページ捲ってみたが、中身はその日あった出来事が書かれてあるなんの変哲もない日記のようだった。

「普通の日記じゃん」

隣で一緒に見ている高山咲が呟いた。つまり、この日記のことは双子の妹も本当に知らなかったということか。

「あのさ、高山さんは何も聞いてないの?」

「その高山さんってやめて。私、自分の名字嫌いだから。咲でいいよ」

「あ……あぁ、分かった」

とはいえ、いきなり呼び捨てにできるほど俺は社交的じゃないし、お前とか偉そうに言うのも好きじゃない。しかも見た目は吉川なのに『咲』と呼ぶのも、ちょっと混乱してしまいそうだ。

「で、君は見覚えないの?」

だから、当たり障りなく君と呼ぶことにした。

「知らないよ。見たことない」

そう言って日記から視線を外し、窓に寄りかかった。

「ずっと気になってたんだけど、通夜の時に君はいなかったよね?」

双子だという話は噂でも聞いたことがないので、多分学校の奴らは誰も知らなかったのだと思う。となると、同じ顔の咲を見たら当然騒ぎになるだろうし、それを避けるために別室とかにいたのだろうか。

「いないよ。そもそも行ってないし」

「……え? なんで?」

「行きたくなかったから」

「行きたくないって……だって、双子なんだろ?」

小さい頃に離婚したと言っていたが、もしかしたら今まであまりかかわりがなかったのだろうか。

「双子だと、葬儀には絶対に行かなきゃいけないの?」

「いけないっていうか、君は吉川が死んで悲しくないのかよ」

俺がそう言うと、咲はキッと鋭い視線を向けてきた。

「葬儀に行かないと悲しんでないってことになるわけ? 花の棺の前で泣き崩れなきゃ駄目?」

「いや……そういうわけじゃないけど……」

俺は通夜に参列したけど、涙は出なかった。だからといって悲しくないわけじゃなく、むしろ胸が引きちぎられたみたいに痛くて苦しくて、悲しかった。

「ごめん」

咲の気持ちは俺には分からないし、勝手な想像で普通を相手に押しつけるのはよくなかったと反省し、素直に謝る。

「別にいいけど。で、その日記どうするの」

咲に聞かれ、俺は手に持っている日記に視線を移した。

吉川はなぜ俺にこの日記を送ってきたのだろう。クラスメイトとして話すことは度々あったけど、特別仲がよかったわけじゃない。吉川は色んな奴と仲がよかったから、俺だけ特別なわけがないのに。

むしろ卑屈で残念な部類に入る俺が、吉川から日記を託された理由はなんなのか。

考えても分からないけど、余命宣告された吉川がわざわざ送ってくれたんだ、きっとそこには何かあるはず。

しかも、よく考えたら届いた日は、吉川が余命宣告された日からちょうど三ヶ月後だ。自分の死を見据えて、ということなのかもしれない。

「吉川とは一年から同じクラスで話すこともたくさんあったけど、吉川が死んでから気づいたんだ。俺は、吉川花のことを何も知らなかったんだって」

家族のことも、好きな食べものも趣味も、帰る方向さえ知らなかった。

「今さらかもしれないけど、少しでも吉川のことが知りたいんだ。だから、吉川が行った場所とか経験したこととか、俺も同じように辿ろうと思う」

「辿るって、どういうこと?」

咲がしかめ面で俺を見た。

「この日記に書かれていることを、俺も体験するってことだよ。もちろん家であったことは体験できないし、学校での出来事はすでに終わってることだから無理だけど、やれる範囲で」

「……まじ?」

「まじ」

そう言って、俺は日記をバッグの中にしまった。

「花と同じことをしたって、花のことを知れるかどうかは分からないじゃん。ていうか、行ったって花がいるわけじゃないし、無理だ
と思うけど」

「それでも、何もしないよりかはいい。吉川が俺に日記を託したのには、何か理由があるはずだ」

何もできなかった俺の、勝手な自己満足かもしれない。

「ドラマじゃあるまいし、そんなもんないでしょ」

現実は、ドラマや小説のようにはいかないことくらい分かっているけど……。

「そうだとしても、いいんだ。吉川が見た景色とか感じたこととか、そういうのを知りたいし、これは俺の気持ちの問題だから」

「……あっそ。じゃあ、私も一緒に行く」

「え、君も?」

「花は私の双子の姉なのに、日記のことも日記を渉に送っていたことも知らなかった。だからなんか悔しいんだよ」

悔しいという気持ちはよく分からないけど、葬儀にも行かなかったとなると、ふたりの間には何かあるのかもしれない。

「まぁ、俺は別に構わないけど」

「じゃー決まり。とりあえず連絡先交換するよ」

「えっ?」

「そのリアクションやめてよ。別に変な意味で聞いたわけじゃないんだけど。一緒に行動するなら連絡先を知ってたほうが楽でしょ。ていうか、どうやって連絡取り合うつもりだったわけ?」

「あ、あぁ、そうだよな。ごめん。確かにそうだ」

俺は結局、最後まで吉川の連絡先を聞くことができなかった。クラスメイトなんだから気軽に聞いてもよかったのに、自分に自信がない上にネガティブな考えばかりが浮かんでしまってどうしても聞けなかった。

だけど、あまりにもあっさり咲が連絡先を聞いてきたから、こんなに簡単なことだったんだとがっかりしてしまった。

今思うと、〝ああしていればよかった〟という後悔ばかりが浮かぶ。

「ほら、さっさとしてよ」

「あぁ、ごめん」

バッグから慌ててスマホを取り出し、とりあえずメッセージアプリのIDを交換した。

「で、いつ行くの?」

咲に聞かれ、俺はスマホのカレンダーに入力してある予定を確認した。といっても、夏休みの予定は塾の夏期講習くらいだ。遊びに行く予定はまったくない。

伊東たちからは、夏祭りや花火大会や海など色々誘われたけど、俺はそのすべてを断った。正直、遊びに行くような気分にはまだなれないから。

たとえ行ったとしても、いつものようにまわりに気を使う心の余裕はまだない。下手したら、いつも心の中で思っている伊東や他の奴らへの嫉妬心が、ふとした時に出てしまうかもしれないから。

「明日はどうかな。早いほうがいいし」

「分かった、明日でいいよ。時間とかはまた連絡して。私は基本的に二十四時間いつでも大丈夫だから」

そう言いながらスマホをポケットに入れる咲を見て、思い出した。

咲は、この窓から飛び降りようとしていたんだ。このまま解散して咲をひとりにして、本当に大丈夫だろうか。俺と別れた瞬間、別の場所からまた飛び降りたりしないだろうか。

そもそも、なぜ死のうとしたのか理由が気になるけど、それを聞けるほど親しくはないし。

「大丈夫だよ、まだ死なないから。あの日記に何かあるなら私も知りたいし。終わらせるのはそれからでいい」

俺の表情から何かを察したのか、咲がそう言った。

今もこの先も終わらせるのはやめてほしいけど、すぐにまた飛び降りるようなことはなさそうなので、ひとまず安心した。時間が経てば、考えも 変わってくれるかもしれないし。

「今すぐ死なないならよかったって思ったでしょ? 渉って、ほんと分かりやすいっていうか、顔に出るよね」

咲は笑顔を……というより、ニヤリと怪しげな笑みを浮かべた。

「いや、だってそりゃそうでしょ。さっきまで死のうとしてたんだから」

それにしても、同じ顔なのに話し方や笑い方が本当に全然違うから不思議だ。育った環境とかの違いなのだろうか。

「何じろじろ見てんのよ」

「いや、ごめん。なんかさ、顔はもちろん似てるんだけど、それ以外は全然似てないなって思って」

「そりゃそうでしょ。双子だけど一緒に住んでたわけじゃないし、そばにいたのが私は母親で花は父親。違う人間になるには、それだけでじゅうぶんなんだから」

「そっか。なんかごめん」

「別に、本当のことだからいいよ。花と私が違うことくらい、自分が一番よく分かってるし」

そこにどういう意味が込められているのかは分からないけど、表情を曇らせた咲の言葉に、なんだか胸が痛んだ。

「んじゃ、私は行くから」

「あっ、帰るのはいいけど、人に会わないように気をつけなよ」

学校の生徒や先生が咲とバッタリ会ってしまったら、きっと吉川の幽霊だと思って騒ぎになってしまうかもしれないから。

「分かってるよ。ていうか、部活の生徒はどうせ裏門から出るし、先生たちもこの時間は無駄にうろついてないでしょ。私はさっきみたいに人がいない正門から帰るけど、渉は?」

「俺は普通に裏門から出るよ」

「オッケー。じゃー明日」

「うん、明日」

といっても心配なので、教室を出た咲を少し離れた位置から見守り、誰にも見られずに無事出られたのを確認してから俺も学校をあとにした。