『再来週から読書週間』と書かれたポスターが貼られている戸をがらがらと音を立てながら引くと、この間も嗅いだ本の香りが私を包んだ。
カウンターに近づくと、上館さんの姿はなくてまだ来ていないことにほっとする。この間強引に断ったから、顔を合わせづらくて。でもよかった。
席に座って、館内を見回す。本棚で目を泳がせている人は指折りで数えられるほど。あとは勉強のために来ている生徒たちだけ。
私が思っていたよりこの仕事は楽なのかもしれない。高校で初めての委員会の仕事ということもあり、緊張していた私は肩の力を抜いた。それからよし、と自分鼓舞して、リュックからお気に入りのノートと筆箱を取り出す。物語を紡ぐために。
筆箱からシャーペンを手に取り、雲のように浮かんできたアイデアをノートに書き連ねていく。物語を作り上げていく上で、私はこの作業が一番好き。
逆に執筆、特に初稿は苦手。自分の想像していた世界観を文字で表現した時、当初の思い描いていたものとは全く異なるものになっていることが多いから。それで何度、頭を抱えてきたことか。
それなら自分の想像だけにとどめておけばいいじゃないと、人は思うかもしれない。
だけど、そうできない理由が私にはある。自分の想像した世界で誰かの心を動かしたい。前向きな気持ちにさせたい。そんな綺麗な理由だったら、胸を張って宣言できるのに。
「ねぇ、物語書いてるの?」
私の思考回路を塞ぐ声が隣から降り注いできた。見れば、すぐそこに顔があったから、私は驚いて椅子ごと体が後ろへ倒れそうになる。
「わっ」
私は目を瞑る。背中に痛みを感じることを覚悟して。
だけど何秒経ってもその感覚は訪れなかった。その代わりに温かいものが背中から伝わる。制服ごしだからすごい微弱なものではあるけれど。
「ごめん。驚かせちゃったね」
さっきの声にゆっくりと目を開ける。しばらく目を閉じていたからか、まるで太陽を直接見ているかのような錯覚に陥る。
徐々にその眩しさにも慣れ、声の主の顔も浮き上がってきた。と同時に体が熱くなる。まるで体の中に太陽が宿ったように。
「人の書き物を勝手に見ないでください」
第一声はそれだった。自分でも驚くくらい怒りに満ちていた。
助けてくれたけれど、そもそもこんな目の前まで近くに来なければ、椅子から落ちることなんてなかったのだから。
「ごめん」
もう一人のカウンター係の男子生徒はあからさまにしゅんとする。だけど上館さんはすぐに明るい表情を見せた。
「でも、どうしても気になっちゃって。参考書を開いてなかったから勉強してるわけじゃないんだろうなって」
「それで見たの?」
上館さんはコクリと頷く。
「本当にごめん……」
それきり、二人の間には長い沈黙が通り過ぎていく。あまりの静寂にほんの少しの動作さえも躊躇いが生まれる。
だけどそれは、上館さんが口を割ることで終わった。
「小向さんって読むだけじゃなくて書いたりもするんだね」
「え、うん」
「どうして物語を書こうと思ったの?」
興味津々といった目のきらめきで、だけどとても真剣そうに。だから私も誤魔化すわけにはいかず、でもありのままには言わず。
「本が好きだから、書いてみようかなって」
半分本当で、半分嘘。いいよね。面識のない人にぐらい綺麗な理由を告げても。
「好きなんだね本」
眩しいものを見るかのように目を細めて上館さんはそうゆっくりとこぼす。それから。
「やっぱり、文芸部に入ってくれない?」
「え?」
また? あんな頑なに断ったのに。むしろちょっと言いすぎたかなって思ってたくらいで。
「どうして? 部員不足なら、他の人誘えばいいのに」
「誰でも歓迎ってわけじゃないから。せっかく部活するなら本が好きな人と一緒にやりたい!」
真剣な眼差し。きっと本が本当に大好きで。でもだからこそ。
「ごめんなさい」
上館さんみたいに本が大好きな人が集まっているのなら、なおさら入るわけにはいかない。放課後のバイト以前の問題。
「一日だけでも、だめなの?」
「だめ、だね」
すると次の授業の時間を告げるチャイムの音が室内を満たした。すごくちょうどいいタイミング。
あんまり書き進められなかったノートを閉じ、少ない消しかすを集めて椅子から立ち上がると。
「また誘ってもいい?」
振り返ると、眉を下げて不安げな顔をした上館さんと目が合う。そんなの。
「何度誘ってくれても返事は変わらないと思うよ」
「それでも」と再び上館さんは懇願する。手を合わせそうな勢いで。
「絶対に変わらないよ」
そう言い残して私は図書館の戸を目指した。
無理だよ、何度お願いされても。そう思いながら。



