再び病室を訪れると、ベッドには検査終わりの妹が横たわっていた。
「お兄ちゃん、まだいたんだ!」
「起き上がらなくていいよ」
またさっきみたいに勢いよく起きても困る。具合が悪くなったら、小学生の僕は責任をとれないから。
「それなに?」
手に持っているなにかに気がついたのか、彼女は頭上にはてなマークを浮かべる。
彼女の目の前までそれを近づけると、わずかながらに表情が固まるのを感じた。
「さっき図書室で見つけて借りてきた本なんだ。読んでみな……」
「いらない!」
あまりの衝撃に僕は本を落としてしまう。だってこんなにも妹が怒りに満ちた声を聞いたのは初めてだったから。
彼女のすぐ隣で借りてきた本はぐったりと横たわっている。まるで彼女のみたいに体調を崩してしまったかのようだった。
「さっきも言ったけど、私は本が嫌いなの」
「だからどうしてなの?」
ナイフのように鋭い口調だから僕もつい、強い口調になってしまった。
少し間を置いて、だってと妹は続く。
「綺麗事ばっかり書いてて嫌なの、本」
「綺麗事なんて難しい言葉、よく知ってるね」
やっぱりそれだけ今まで好んで本をたくさん読んできたんだなと、改めて思った。
だからこそ、ちゃんとその理由に耳を傾けなければならない。
軽く吸い込んだ息を言葉とともに彼女は吐き出した。わずかながら表情を柔らかくして。
「こんなふうに病気になる前は好きだったよ。並べられた文字を追うことも、ページをめくることも、お兄ちゃんと感想を言い合うことも」
頬を緩ませてそう語る彼女。まるで遠い過去の楽しい思い出を話しているかのように。
「でもね……」
部屋を照らしていた夕陽が沈むように、彼女の表情にも闇が落ちる。
「病気で入院するようになって、疑問に思うようになったんだよね。その本の中で作者が伝えたいメッセージに」
「作者のメッセージに?」
「うん。作家って物語を通じて何かを伝えるでしょ。いいことを積み重ねた主人公には幸せな結末が待っている物語だったら、いいことすれば幸せになれるってことだよね。悪いことをした主人公には不幸が待っている物語だったら、悪いことすれば不幸せになるってことだよね」
そこまで言われてはっと気づかされる。彼女の今までの行いとこの状況。
この病室に陽光はほとんど残っていなくて、代わりに包んでいく暗闇が彼女の瞳から光を奪う。
「私、なにか悪いことしちゃったのかな。警察に捕まって檻の中に閉じ込められちゃうくらい」
「違うよ……」
そんなはずない。ずっとそばで見てきた僕だからこそ言える。
もしそうだとしたら……。
「じゃあ、なんで私は病気になってるの? 悪いことしてる人はもっと他にいるはずなのに……」
「そうだね」
相槌を打ちながら、静かに頷くことしか僕にはできなかった。
「作家の伝えたいメッセージは全部嘘。綺麗事を並べているだけなの」
だから今は本が嫌い。そう言い残すと妹はベッドに横になり、そのまま目を瞑る。きっと話し疲れてしまったのだろう。
時計を見れば、針が面会時間の終わりを教えようとしていた。
「じゃあ、今日は帰るね」
本当は明るい話でもして、暗いムードを払いたいところだが、時間が来てしまったものは仕方ない。
「うん」
弱々しい返事と手振りが余計に暗い気持ちにさせる。
重い戸を閉め終えるまで、僕は彼女に手を振り続けていた。



