頂点の上を見つめて


 
 嗅覚を壊すほどの匂いが木造建ての大型書店を包んでいく。少し吸っただけで、これが体に有害なのだというのがわかる。しかもこの建物は木造だから火が回るのも早くて。


 「急いで逃げてください」


 警備員が避難通路へと書店に訪れたお客さんを誘導する。


 今日は作家のサイン会があり、不幸なことにたくさんの人が足を運んでいた。僕もその中の一人だけれど。いつか秋乃ちゃんに語った連続放火の小説の作者に会おうと。


 とにかく早くこの場所から離れなければと、一歩踏み出したその時「誰か助けてください」という声が耳に届く。


 僕は後ろを振り返って、視線をあちこちに飛ばす。その声の主を見つけようと。


 だけど、どれだけ見渡しても人影は見つからなくて。


 早くこの空間を出たいのは山々だったけど、このまま見過ごせば声の主はきっと助からない。警備員は誘導で忙しいから。


 きっと消防も着くのはもっと後になってからだと思うし。


 遠くの本棚が炎に呑み込まれていく。そこに込められた作者のメッセージも、その物語を楽しむ読者の笑顔も。


 綺麗事が詰まったそれらは、人の命を奪う煙となって消えていく。もちろん、僕の紡いだ物語も。


 僕は歩く。綺麗事でいっぱいの空気の中を。


 声の主は児童書の並んだ本棚の通路に倒れ込んでいた。そして気づく。


 「さっきの女の子?」


 「お兄さん?」


 手には、お小遣いを貯めてまで欲しかったと思われる児童文庫が握られていた。


 半分閉じかけた瞳でその女の子は僕を見る。


 「助けて……」


 明らかにさっきよりも弱い声が鼓膜を震わす。そんな姿がやっぱり妹と重なる。


 「ここ、乗れる?」


 彼女の腕を引っ張って上体を起こし、背を向け、しゃがんでそう促す。


 それに答えるように、僕の肩と背中に重力がかかる。


 「しっかり捕まっててね」


 そう呼びかけるのと同時に僕は立ち上がって、避難通路へと小走りする。流石に人をおんぶしながらだから、全速力で走ることはできない。


 「コホン、コホン」


 「はい、これどうぞ」


 後ろで咳込むその子にハンカチを渡す。


 僕は自分の袖で鼻を押さえながら、ただひたすらに進む。


 だけど避難通路に来た瞬間、限界は訪れてしまう。


 階段の前で足が言うことを聞かなくなり、その場に倒れた。まるで足が自分のものではなくなってしまったかのように。


 上にいる彼女にも振動が伝わっただろう。


 嗅覚はもうほとんど役割を果たしていなかった。だから、これが有害な匂いなのかもわからない。


 今度は視覚が失われていく。物の輪郭がはっきりと掴めない。


 それから聴覚も。彼女の声が遠くで聞こえているような気もするけど、ぼんやりとしか耳には届かなかった。


 もう生きられない。僕の胸の中で懸命に動くこの命はもうわずかしかないのだと。


 霞む視界に漂う灰色の煙が記憶された数多くのシーンを映す。僕のこれまでの人生を映すように。