兄妹が手を振り合う微笑ましいシーンがドラマのように私の視界に映る。
「またね、お兄ちゃん!」
「うん。来てくれてありがと」
図書室の戸を閉めて完全に見えなくまで、大空くんは手を振っていた。
やがて手を下ろすと、大空くんは私の方を向く。まさかまた、部活に勧誘してくるのかと身構えていたが……。
「秋乃ちゃんは、この後予定ある?」
「えっ、いや。ないけど……」
少しの沈黙を挟んで「よかったら、一緒に回らない?」と顔をほんのり赤くして言ってきた。
きっと私も今、同じ顔の色になっていると思う。せっかく落ち着いてきた心臓もまた早鐘を打ち始めた。
恥ずかしくなって、私は言葉の代わりに首で返事をする。
「ほんと?」
彼は少し目を見開いた後、口に緩やかなカーブを作って微笑む。私もつられて笑う。
「じゃあ、行こうか」
その言葉を合図に、お互い歩き始める。青春がいっぱいに散りばめられた校舎の中を。
しばらく歩いていると、と甘い香りが鼻孔を通り過ぎた。午前中ずっと香っていたもの。
「もしかして、ここ秋乃ちゃんのクラスのお店?」
「うん。クレープを販売してるんだ。文化祭に出すお店としてはベタだよね」
「へぇ~、クレープ屋さんなんだ。あっ!」
何かいいことを思いついたか、大空くんは笑みを浮かべて足を止める。
「食べようよ、クレープ。ちょうどお腹空いてたし」
「ちょっと待って。二人で入るのは……」
男女でお店に入ったら完全に恋人に見える。しかもここは私のクラス。
すると大空くんは顔を赤くさせた。
「じゃあ、僕が買いに行くよ。秋乃ちゃんはここのクラスだからメニューわかるよね?」
「うん。とはいっても本格的なお店みたいにメニューが豊富なわけじゃないけどね」
私はメニューを思い浮かべて、美味しそうだなと思ったものを口にする。
「わかった。行ってくるね!」
「あっ、待って!」
お財布をポケットから取り出して歩き出す大空くんを止める。
「どうしたの?」
「お金、渡しておくから」
スカートのポケットからお財布を取り出そうとすると、温かいものが手首から伝わってきた。見上げると、それが誰のものかわかってしまってドキッとする。
「僕が奢るから出さなくていいよ」
「そんなわけにはいかないよ」
確かに余裕はないけれど、人様にお金を出してもらうのはあまりにも申し訳なさすぎる。それが上館くんならなおさらのこと。
「ううん。僕が奢るから」
そういって大空くんは自分のクラスの教室へと歩いて行ってしまった。
私はスカートのポケットへと指を伸ばす。掴んで引っ張り出すと、昔から使ってきた可愛らしいお財布が顔を覗かせる。
貧しいとはいえ、ちゃんと返さないと。金銭のやり取りはそれくらい大事なこと。
私が大空くんに頼んだクレープの値段を思い出して、その分の小銭を握りしめて待った。
「おまたせ。やっぱりお昼時だから人が多いね」
「ありがとう」
大空くんから自分の頼んだクレープを受け取る。だけどクレープを持っていた大空くんの指に触れてしまい、身体が熱くなった。
その熱を冷ますように、私は受け取ったクレープを口に入れる。
中に入っていたアイスクリームがじっくりと熱の帯びた体を冷やしていく。
「いい食べっぷりだね!」
「違うよ!」
しまった。受け取った瞬間にパクパク食べ始めたら、食い意地の張った人みたいに思われるよね。くすくすと笑われるから余計恥ずかしさが込み上げてくる。
「幸せそうな顔。いつもそんな顔していればいいのに」
「それ、いつも幸せそうな顔をしてないみたいに聞こえるんだけど」
「そういうわけじゃないんだけどさ。いつも何かに追われて疲れてそうに見えるからさ」
「だって、疲れてるんだもん」
そう言って口をつぐむ。今の言い方はよくなかった。
大空くんの顔をまともに見れないまま、私は言葉を探す。ちゃんと謝る意思を形成して。
だけどそれを喉から出す前に、大空くんの声が耳の中を揺らした。
「じゃあ、今日はその疲れを取らないと、だね」
一気に空気が軽くなる。いつもそう。大空くんの言葉にはマイナスをプラスに変える力がある。
大空くんが私の家庭事情を知ったら、人生はお金が全てじゃないよと言ってくれる気がする。今の環境はマイナスなことばかりではないよと。
だけどそれを言われたら、私はきっと彼に怒りをぶつけてしまうと思う。大空くんに、なにがわかるのって。
働きすぎて倒れてしまったお母さんを見て綺麗事なんて信じられるはずがない。それでも……。
「秋乃ちゃん、もっとお店回ろうよ」
クレープを片手に大空くんが聞いてきた。
「うん」
私は頷いて隣を歩く。世の中綺麗なことばかりじゃない。だけど、今はほんの少し信じてもいい気がした。
大空くんの言う綺麗ごとを。明るい未来のことを。口の中に残る甘さと、大空くんの存在が私をそう思わせてくれる。
ふと握りしめている小銭の感触に意識がいく。隣を歩く彼のポケットにそれをそっと入れた。
神社にお賽銭を投げ入れるように願いを込めて。
「お化け屋敷やってますよ~」
クレープを食べ終える頃にそんな声が耳に届く。さっきと同じようにカップルたちが暗い教室内へと入っていった。
「ねぇ、あそこ入りたい」
私はその教室の戸を指さす。
「えっ、小向さんってお化け屋敷大丈夫なの?」
「うん」
力いっぱい頷く。こんな物語の世界みたいな青春をまさか自分が味わえるとは思わなかった。ずっと私には縁のないことだと思っていたから。
好きな人と、いつもとは違う校舎の廊下を歩く瞬間を。



