「色々種類があるから、ゆっくり見ていってね」
そう言うと文芸部の部長は本棚の方へと姿を消した。きっと本を探しに行ったんだろう。
他の部員も物語の世界に浸っている。確かに、お客として来ている生徒は私を含めて数名しかいないのだから、仕事は少なそう。
「どう、なにか読みたいのあった?」
長いテーブルに並べられた本を眺めていると、後ろから突然声をかけられる。振り向かなくても、そこで大空くんがいたずらな顔を浮かべているのが目に見える。
「もう、驚かせないでよ」
「ごめんごめん」
全然反省してない様子で「一年生のとかどう?」と一冊の本を指さす。
「どうして一年生のなの?」
並べられている本は各学年ごとの短編集で、他にも二年生や三年生のがあったり、部長のオリジナル長編作品があったりするんだけど……。
「だって自分と同い年の人が書いた作品、読んでみたくならない?」
「う~ん」
そう言われてハッと気がつく。
「もしかしてこれも勧誘?」
「嫌だなぁ。僕はただ純粋に本を勧めてるだけなのに」
「いつも部活に誘ってくる人の言葉じゃなかったら信じられるんだけどなぁ」
きっとこの本を読んで興味を持ってくれたら、とか考えているんだと思う。
「まぁ、それもあるんだけど……」
あまりにも素直にそう言ったから、私は振り向く。
そこには、人差し指同士をくっつけていじけた表情をした大空くんがいた。
それにしてもどうして私なのだろう。他にも図書委員はいるのに。
それに大空くんには……。
その時、図書室の戸の開く音が聞こえた。
反射的に視線を移すと、見覚えのある女性が図書室の入り口からこちらを覗いている。
その瞬間、不安を含んだ雲が心に渦巻く。彼氏が他の女性といたら、彼女にとっては一大事なのだから。
間違いない、あの人は。
「お兄ちゃん!」
えっ? 今なんて?
「あっ、来たんだ。いらっしゃい」
軽い足取りで大空くんのそばまで近づいてきた彼女に、そっと優しく言葉を投げかける。
その二人の姿はまるで。
「あの……その人は?」
驚きすぎて、まともに声が出せない。
だけどそんな私とは対照的に、大空くんは淡々と今の状況を伝えてくれる。隣にいる女性の頭を優しく撫でながら。
「僕の妹だよ。秋乃ちゃんと同じ本の虫なんだ」
妹。大人っぽい雰囲気だったから、全然そんなふうに思わなかった。
とんでもない勘違いをしていることに気づいて、視線を泳がしていると、紹介された女性も私の方を向いてぺこりとお辞儀をする。
「初めまして。いつもお兄ちゃんがお世話になっています」
律儀な挨拶に私もつられてお辞儀をした。
「もう、お母さんみたいな挨拶しないでよ。すごい迷惑かけてるみたいに聞こえるよ?」
「でもお兄ちゃん。小向さんにしつこく勧誘してるんでしょ?」
痛いところをつかれたと言わんばかりに大空くんは並べられた冊子に手を伸ばす。それにしても……。
そんな私の感情を察してか、大空くんの妹さんが口を開く。
「小向さんのことは、よくお兄ちゃんから聞いています。同じ図書委員でよく話す間柄とか、小向さんが物語を書いてることとか、小向さんを部活に勧誘してるんだけど中々入ってくれないとか。あっ!」
目の前の彼女は瞳を輝かせて「あとね、お兄ちゃんはこ……」と言葉を続ける。だけど最後までは聞けなかった。
「それ以上話したら、さすがに怒るよ?」
大空くんが大きな手で彼女の口を押えていたのだ。彼女は両手を上げて降参ポーズを作る。
優しい大空くんはすぐに妹の口元から手を剥がす。
「もう、本気で言うわけないじゃん」
「お兄ちゃんをからかうとろくなことないからね」
そんなやり取りを聞いて私はホッとする。そこにいるのが彼女じゃなくて妹なのだと。
私はなんとなく目の前にあった冊子を手に取る。『一学年 短編集』と題された冊子。
パラパラとめくれていくページの先に、彼の名前があった。
どんな物語なのだろうと文字を追おうとしたけれど、すぐにページを閉じた。作者本人の前で読むのは気恥ずかしかったから。その代わりに。
「この冊子買おうかな」
「えっ、本当に?」
ぽつり呟いただけなのに、上館さんは目を輝かせていた。
「あっ、買うだけだよ? 部活に入るとかそういうのじゃなくて」
「それでも嬉しいよ」
大空くんは満面の笑みで頷く。本当に満足げに。
そこでふと思う。さっき一学年の短編集を勧めてきたのも、単純に自分の作品を私に読んでもらいたかったのだと。なんて、自惚れすぎる。
だけど、そうだといいなとも思う。
「私も買うね」
大空くんの妹さんは私が選んだのと同じ冊子を胸に抱える。
「あそこのカウンターでお会計できるから」
大空くんの説明通り、私たちはカウンターの列に並ぶ。といってもたった数名の列だけれど。
いつも本を借りたり返したりする時にしか並ばないから不思議な感じ。まるで本屋さんを訪れたみたいに。
たった数名といえど、お会計だから多少時間がかかる。しばらくの沈黙に身を置こうと思ったその時、前に並んでいた大空くんの妹さんが振り向いてきた。
「私、お兄ちゃんの本が大好きなんだ。私の中で一番の作家、だよ!」
「お兄ちゃんのこと、大好きなんだね」
すると目の前の彼女は、うんと大きく頷く。抱えている冊子をより強く抱きしめて。
「お兄ちゃんの本を読んでてね、希望をもらったんだ」
「希望?」
漠然とした眩しすぎる単語に首を傾げる。
こちらを向いている妹さんは薄く目を瞑って、「色々あって本から遠ざかってた時期があったんだけど、お兄ちゃんの書いた物語を読んで、もう一度好きになれたんだ。本のことを」と懐かしむように語った。
目を開けた彼女は、それから微笑んだ。その瞳はまるで記憶が隕石になって落ちてくるみたいに、キラキラと輝いていた。
次の方どうぞ、という声とともに妹さんはカウンターへと体を向ける。
また訪れた沈黙だったけれど、私の胸がそれを止める。心臓が時計の針のように音を立てる。



