第三章『Re:バウンド・運動会』

haruto『姉貴がごめん』
『大丈夫!』
haruto『姉貴、めっちゃ気を遣うよね』
なんと返すのが正解だろう。
『そんなことないよ』
これでいいはずだ。
haruto『姉貴、俺がケガしたときからあんな感じで』
『そうなんだ』
haruto『悪いと思ってないんだ、ごめん』
謝り慣れているな、と思ってしまった。
『大丈夫!』とだけ返した。
あまり、深くは知りたくない。
理由を知ったら、結花のことを好ましく思ってしまうからかもしれない。



予想通りなのに、思い通りにいかないのなんでなんだろう。
自分が怒っているのか、情けないのか見分けがつかない。
体育祭実行委員の仕事で夏香と結花はどんどん仲良くなっている。
仲良くなっているように見える。
4人で帰ることも多くなった。
夏香は結花とよく話すし、夏香から声かけてたら許せないのだけど、それを夏香に言ったところで変わらないから体育祭は体育祭で受け流したいと思っている。
私は、晴人くんとセットで扱われることが多くなった。
二人三脚のペアだから。
幼馴染だって騒いでたのに、双子で騒いで、次は。
人の噂は四十五日ってことわざがあるけれど、更新されていたらいつまでも噂話ばかりの世の中だ。
そう言って受け流せた人がいたのだろうな。
私も噂話が楽しい人ならばよかったのに。
楽しくない、亜由実がいなくなる少し前から楽しくない。
それなのにバスケはシュートが入るようになってチームは私を頼ってくれるようになったし、二人三脚は運動するの好きだなって思ってしまう。
二人三脚の練習のたびに噂されてるの知っている。
それが嫌なに、晴人くんと足を結ぶとき、足の筋肉の質が違うって思っちゃう。
早く走るためにどっちが右と左になるか試してみた。
そのときに、回された手が右腕と左腕で太さが違くてびっくりした。
思ったより太かった右腕を肩に回されると心臓が速くなる。
それって、仕方ないじゃん。
これから運動するって緊張だと思っている。
亜由実の組めたら無駄に心臓が速くならないで済んだのに。
なんの話だ。
二人三脚の話だ。
夏香に腹が立っているという話だ。
結花はすぐ手を繋いでくる。
小さくて、力を入れたら折れそうな手。
繋がれたら、私は何も言えなくなる。
何も言えなくなって、バスケのことありがとうって思ってしまう。
結花は帰るとき、私の腕に手を絡ませながら夏香に頷くのに。
何も言えなくなる。
夏香が、「ちょっと二人くっつきすぎじゃね」と言っても、結花が「私たち親友なので」と言って私の腕を離さない。
振り解くことも、助けても言えない。
夏香が微妙な顔をしていた。
夏香のそんな顔、見たくないのに。
触れただけで、心と体がバラバラになる私が悪いのだろうか。
亜由実より近くにいてくれる結花でもいいかなと思ってしまう私が悪いのだろうか。
夏香の話は結花が全部、聞いてしまうから私の分がなくなる。
晴人くんからまたメッセージが来る。

haruto『今日もありがとう』
『こちらこそー』
haruto『足もう少し上げたほうがお互い楽かなと思うんだけどどう?』
『わかった、そうしよ』
haruto『姉貴、どんどん近くなっててごめん』
『大丈夫だよ、私も嫌じゃないし』
haruto『姉貴、頑張ってる人が信頼できるからってああいうことすんだ』
『嫌じゃないから大丈夫』
私はメッセージで嘘をついている。
それは二人三脚を乗り切るための嘘だ。
haruto『でも、浅葱さんみたいに頑張ってる人のことすごいと思ってる』
「ありがとう」と打てるなら私は最強の嘘つきになれるのに、「でも」ってなんの「でも」なのか引っかかった。
『それは結花が? 』
私は、何を問い詰めたいのだろう。
haruto『いや、俺も』
胸を小さな針で刺されたような感覚。チクッとした。
それがなんの痛みか、わからない。
体と心の色々なところが痛くてたまらない。
『そう、ありがとう』
私は最強の嘘つきにはなれないようで、「そう」を付け足した。
夏香のどうしようもない話が、どうしようもなく聴きたくなった。
裁縫セットに入っている糸通しの、ちょっと宗教感のある女性をプレスするだけの機械がこの世に存在しているかどうか、そう言う話が聞きたくなった。
そんな胸の痛みがした。



「きさ、きいたよー。晴人くんと二人三脚なんだってねー、ねーやっぱドキドキしちゃう?  」
「ねー、やめなよー。きさ、そういうのあんま乗り気じゃないしー」
部活が終わってこのまま帰ったらまた4人の帰り道になってしまうから部室にいようとしたらこれだ。
「いや、ただの二人三脚だし」
「えー、うちだったら絶対ときめいちゃう。あの双子のギザな感じやられちゃってー」
「いいすぎー、でも結構アリかもー」
「でしょー、いいなーきさ」
いいと思うなら代わってほしい。
「代わってよ」
言ってしまった。
「えー、本気じゃん。代わる代わるー」
「どうやってー、クラス違うじゃんー」
「てか、夏香くんと代わってもらえばいいじゃん」
「それなー、夏香くんと双子の二人三脚みたいかもー」
そうできるなら、そうしてるって。
「夏香ときさでもよくねー」
「それー、幼馴染なんだし、相性ばっつぐん」
「それなー」
夏香と二人三脚になるならそっちの方がまだよかった。そう思ったのにいざ、チームメイトから言われたら嫌な気持ちになるのなんで。
「私」
「つーか、彼氏ほしー」
「イベント前だし、それなー」
「きさ、告られたりして」
「えー、二人三脚で愛育んでー、えー、ありあり」
「うちもそういうのしたいー」
「ないん?  」
「ないない、クラスにそういうのないしー、うちキャラ違うし」
「えー、嘘っぽ。実はあるんじゃん」
「一番、あるのきさっしょ」
「えー、もう夏香くんと付き合ったりしてるのー」
「きゃー、ドラマじゃん」
私は、夏香と二人三脚がしたかった、なんて言わなくて本当に良かった。
思わず口元にまで来た言葉を会話の速さがかき消してくれた。
「ないって」
私は言い切る。
「そうだよねー、きさお堅いもんねー」
「それなー、逆にそれでこそきさって感じー」
「わかるー、二人三脚で双子といるのも笑っちゃうよねー」
「ひどくねー、言い過ぎー」
私が堅いとか、柔らかいとかそういう話だったのか。
「とにかく、何にもないから」
何にもない、本当に何もない。
私は運動するのが好き。それだけ。
「あったら教えてー」
「体育祭みんなで写真とろー」
「先輩たちとも取れんじゃんー」
「たしかにー、意外と部活対抗リレー楽しみかもー」
「それなー」
「きさ最近、調子いいから頼もしいわー」
「それ、まじそれ」
「ありがと。私、帰るね」
「おつー」
「またねー」
これで帰ってしまうから、4人で帰らないと行けなくなるのに。部室の一瞬の居心地の悪さに屈した。
私は部室から出ると、バド部が3人で固まっていた。
「希咲さーん、遅いですよー」
「希咲、帰るぞー」
私、夏香と二人三脚したかったって思っていた?
そんなわけないじゃん。
結花が私の手に握ってくる。
「部活後だから、そんな近づくと」
「え? なんですか。いい匂いですよ」
結花は私に何も言わせずに手を握る。握り返したら、潰せてしまいそうなのに。
「今日は晴人とダブル組んだんだ、悪くなかったな俺たち」
晴人くんは何も言わない。
うまくいっているのだろう。
この帰り道を見られないように早く歩く。
部室から見られたらまた何か言われてしまう。
私は結花の手を引いていた。
これは、部室のあの空気が嫌だから。
誰かを好き、誰かを嫌い、そういうことじゃなくて。
「仲良すぎるなー、二人」
「ふふ、親友ですので」
また言ってる。これが当たり前になるみたいに。
そんな好きじゃない、けどそこまで嫌いじゃない。
部室よりはマシというだけだ。
日が少し、長く出てくるようになっていた。



亜由実が居たらってやっぱり思う。
亜由実が居たら、双子とこんなに近づかなくても済んだのかもしれないって思う。
私が手を握られることも肩を抱かれて走ることも必要なかったことなのかもって思ってしまう。
亜由実に行かないでって言えたら、解決したのかな。
「希咲さん? 次、体育ですよ。行きましょ」
完璧に亜由実の影を塗りつぶしたになった結花が立っていた。
「あれ、今日は焼かれていくぬいぐるみを見てるみたいですね」
「なに、それ」
そんなところ見たことないのに少しわかってしまう自分が嫌だ。結花のことを理解してきてしまっているようで。いや、結花は最初からわかることを言っていた。それが怖くて、嫌だったのだ。
「あっ、そうだ。いいこと思いつきました」
「え」
「夏香さん、貰ってあげましょうか? 」
前言撤回。なに言っているかわからない。
「は? 」
「だから、夏香さん。貰ってあげますよ」
夏香は物じゃない。貰うも何もない。
「私が夏香さんを貰ってあげたら、希咲さんもっと可愛くなりますよね」
「なに、言って、るの? 物じゃないんだから」
「そうしましょう、そうしましょう」
結花の目がぎらついていた。
両手を綺麗な鼻筋に沿わせて笑っている。
彼岸花。
彼岸花の花びらが散っているところ、見たことないけど、もし散るなら結花と同じだ。
「姉貴、なに、してんだ」
結花の後ろに晴人くんが立っていた。
「あら、はる。希咲さんといい話してたのよ」
「いい、話、なわけ、ない。だろ。浅葱、さん、怖がってる」
晴人くんはぎらついている目に見つめられても言葉を紡いでいた。
必死に紡いでくれているのがわかる。
「希咲さん、なんでもないですよね」
私は何を見ているのだろう。太陽とか月とか、そういう光と思っていたものが禍々しく見えるなんて。
「ほら、二人は二人三脚でしょ。準備しなきゃ」
結花は何も動けなくなっている私と晴人くんの手を引く。
右と左が違う。
二人三脚するなら、晴人くんと私は位置が違う。
そんなことお構いなく結花は私たちを引っ張る。
バラバラな私たちは無理矢理、整えられて歩かされる。
「姉貴が、ごめん」
晴人くんは何度も言ってくれた、手を引かれているときも私にだけ聞こえるように。
そんな言葉でどうにかなるほど簡単な話ではない。
それにすがるしかないほど強引に物事は進んでいく。
これは好きな強引さではない。
私が好きだったのは、亜由実の強引さだ。
扉の開き方が違う。
違っても、扉は開かれてしまう。
私たちは二人三脚の準備をした。



これで二人三脚の調子が崩れるなら、もっと前に体調が悪くなったり熱が出たりして倒れている。
倒れられないで、一歩、もう一歩と踏み出せてしまうから二人三脚がうまくいく。
メッセージ通り、足を上げて私たちは走る。
「1、2」と最初は私が声を出していたけど、声を出さないで走ることに集中した方がいいことに気がついた。
私の本気が、晴人くんが合わせるのにちょうどいいのだと思う。
晴人くんは足が速いし、よーいどんで二人でレースしたら絶対に追いつけない。
そう思うと、私が小さくなる気がした。
それを否定したくてもっと速くと思うけど、合わせてもらえてしまう。
この双子は合わせるように、包み込むのが上手と思ってしまう。
肩を抱かれて、何処かへ連れて行かれてしまう気がした。
連れていくなら、今日は亜由実のところへ連れて行って欲しかった。
夏香と違って、本当に連れて行ってくれそうで口にはしなかった。
「二人、息ぴったりじゃん」
「これは夏香くん、ジェラシーでしょ」
「多分、誰も言わないけどね」
クラスのために走っているのに、クラスは歪んだ認め方をしてくる。
部活も、クラスも、余計なこと言わないでほしい。
私に集中させてほしい。
『夏香くん、貰ってあげましょうか? 』
さっきの結花の言葉が頭の中で繰り返される。
その言葉に頷いたら、私は私に集中できるのか。
集中できるのなら、夏香のこと。
「もう、ちょっ、と、一歩、小さく、出そう」
晴人くんが私の考えを遮る。
「あ、うん。わかった」
肩を掴む手が優しい。
それも、やめてほしい。
『ねー、やっぱドキドキしちゃう? 』
今度はチームメイトの声がする。
私は堅いはずだろう、それを柔らかくするのはやめてほしい。
そういうことを言われるのも考えるのも嫌だったのに、力を入れていた肩の力が抜けてしまう。
走っている、走っているし、結花に変なことを言われたから呼吸が浅くなって心臓が細かく鼓動する。
小さく一歩を出そうとしているからだ。
その練習を心臓がしているだけ。
走り終わった夏香に結花がタオルを渡している。
受け取らないでほしい。
「マネージャーすぎるだろ」というと夏香はタオルを受け取った。
タオルで汗を拭いながら、夏香がこっちを見てきた。
その目線がちょっと怖くて、私は目を逸らしてしまう。
湿度が出てきて、じわじわと暑い。
もう、目を逸らせないところまで体育祭が来ている。
汗、べたべたしているって晴人くんに思われるの嫌だな。
嫌なことばっかりだ。



「体育祭前だからって気を抜くなよ」
林先生が怒号を飛ばしていた。
結花が来てから、バド部の林先生は怒る回数が減ったから印象的に見えた。
みんな、体育祭を前にして浮き足立っているのかもしれない。
バスケ部も雰囲気がふわふわしてきた。
「あっ! 痛い! 」
私が雰囲気を引き戻すように出したパスは亜由実に出していたときよりずっとずっと強くて、後輩がボールを取りこぼした。
そう思ったけれど、違った。
「ちょっとプレー止めるよー」
「大丈夫? 」
キャプテンの私が声をかけないと行けないタイミングでチームメイトが声をかけてくれる。
ボールを取りこぼした後輩は自分の手首を掴んで膝をついていた。
私のパスが、後輩を怪我をさせた。
「スプレー持ってきてー」
「うち、氷嚢作りに行く」
「とりあえず、コート外まで動けるー?」
「動けます。ごめんなさい」
私がまず謝らないと。
「私、ごめん」
「大丈夫です! 私の取り方が変で、ぼーっとしてました」
「きさのパスちょっと早かったかもねー」
「どっちも悪くないよー」
チームメイトはキャプテンの私よりチームの士気が下がらないようにしてくれている。
私がしっかりしないといけなかったのに。
亜由実が居なくても大丈夫なことを証明するためのプレーばかりしていた。
そのせいで、声をかけてくれた後輩に怪我をさせてしまった。
「今日はやめときなー」
「大丈夫ー? 」
「やめときます。キャプテン、気にしないでください」
亜由実だって、今のパスは取れなかったかもしれない。
それくらい雑になっていた。
「キャプテン、仕方ないよー」
「あのタイミングでパス出せるだけすごいけどねー」
「どっちも悪くないからー」
でも、亜由実になるとか言っていなかったか。
亜由実が成長していたら取れたパスなのではないか。
浮き足立っていたのは誰だ。
私か、後輩か、結花か、夏香か、亜由実か。
誰だ。
コートから去っていく後輩を見て、背中の小ささに驚いた。
全然、亜由実と違う。
あの小さな背中に、亜由実を背負わせて期待したつもりでプレーしていたのは私だ。
3ポイントシュートが打てるようになってもっと強くなった気でいて、視野が広がったつもりで周りが見えていなかったのは私だ。
「きさー、再開するよー」
「気にしないー、気にしないー」
今日は3ポイントシュートを打とう。
「ここで怪我したら、体育祭も意味ないからなー」
林先生が大きな声を出していた。
それなら、私が意味なくしたのと同じじゃないか。
私の亜由実へのパスは意味をなくした。
亜由実に、行かないでって言えなかったイライラを後輩に押し付けて、後輩も居なくなってしまった。
私はパスをもらってシュートの体制に入る。
ディフェンスは反応できていない。
雑なパスより、力を目一杯入れる。
ボードを目掛けたボールはごちゃごちゃした回転だった。
結花が教えてくれたそのシュートは、ボードに当たってリングへ沈む。
ボードに当たる音は嫌いだ。
それでも点数になる。
点数を取ることで後輩への謝罪もできているつもりでいた。



haruto『今日大丈夫だった? 』
『何が?』
haruto『姉貴も、バスケ部も』
『なんの話?』
haruto『姉貴はなんか言ってなかった? バスケ部怪我した人いたでしょ』
晴人くんは私と違って周りが見えている人なんだ、と思った。
『何も言われてないよ、部活は大丈夫』
haruto『なら、よかった、二人三脚頑張ろうな』
『うん!  』
私は晴人くんにも、いい顔をしてしまう。
結花の言葉も、後輩のことも考えないといけないのに、二人三脚がちょっと楽しみでいる私が嫌いだ。
二人三脚がうまく行ったら他のことも同時にうまくいく気がしていて嫌だ。
私は、亜由実のメッセージを開く。
亜由実がいたら、聞いてくれるだろうと思って、亜由実はいないとわかっているのに。
私は亜由実のアイコンが変わっていることに気がついた。
知らない人とのツーショット。
顔が近くて、特別な関係だって誰でもわかる。
亜由実もそうなんだ。
ショックで何をメッセージしようとしかのか忘れる。
私と親友って言ったのに、全国大会で会おうねって言ったのに、亜由実もそうなんだ。
私がモヤモヤしながら自主練習している間も亜由実は転校した先で特別な関係を作っていたのだ。
私は携帯をベッドに投げつけて、その上に覆い被さるようにうつ伏せになる。
亜由実、バスケしているって言ったじゃないか。
3ポイントシュートの成功率上がったって言っていたじゃないか。
私も、3ポイントシュートできるようになったんだよ。
できるようになったんだけど、それがちょっと嫌で、なんでかっていうと結花っていう双子が、いや双子が転校してきたことは話したね、バド部のマネージャーなんだけど私にもアドバイスしてきてボードを狙う不恰好なシュートならたくさん入るようになったんだよ。あんま好きなシュートじゃないんだけど、入るからさ、パスを磨いているつもりだったんだけど後輩を怪我させちゃって、後輩すごいんだよ。亜由実の代わりになりますって私に言ってきて、そんなことできるわけないのに連携やってさ、うまく行ったこともあるんだけど、私がキャプテンとして3ポイントシュート打てばいいかって思って、あんまり連携使わなくなって。
亜由実が側にいてくれたら言っていたと思うことが急に溢れる。
でも言えない。
親友だと思った人には別の特別な人ができた。
それを強引に伝えてくるアイコン。
これは亜由実の強引さじゃない。
私の知っている亜由実ではない。
親友は、どこに行ったのだろう。
親友の時間も嘘だったのだろうか。
夏香と一緒に帰った3人の帰り道はどこにもないのか。
わかっていたつもりなのに、こんなにもショックなのか。
恋とか、愛とか、しないでほしい。
結花も何もしないでほしい。
夏香はたくさん話してほしい。
泣いてしまいたかった。
でも何に泣いたらいいかがわからなかった。
結花が撫でてくれるだろう、晴人くんは優しく肩を出してくれるだろう、もう亜由実は知らない人かもしれない、夏香は?
夏香は今、何を思っているのだろう。
確認したいけれど、すごく怖い。
聞いてしまったら私たち3人が親友だった時間は終わってしまう。
どうか、寂しい気持ちになっていて欲しかった。
夏香も寂しいと思って寝転がっていて欲しかった。
夏香にそんなこと似合わないけど。
亜由実へメッセージを送ろうと思ったことを後悔した。
今日の後輩へのパスも後悔した。
二人三脚だけは後悔しないようにしないと。
早く寝た。
早く寝てしまえば寝るだけ後悔の密度が低くなる気がしたから。
体育祭が始まる。



体育祭だからって髪の毛は変えない。
試合と同じ髪型で挑む。それが、私のスイッチの入れ方だから。
でも、あちこちで髪を巻いてきた子、前髪をピンでとめてきた子、ちょっと染めてきた子が歩いている。
「気合い入ってんな〜」って誰かが笑って、また誰かがその髪を携帯で撮ってた。
色めき出すとはまさにこの事だ。
それが嫌だったわけじゃない。ただ、私は、そうするつもりがない。
スイッチが違うだけだ。
結花は髪の毛を巻いていた。
それは主張に見えて嫌だった。今日、何かをするという無言の圧のようだった。
無言の圧は普段からあるのだけれど。
「希咲さんは、髪の毛何もしないんですね。想像通りで嬉しいです」
結花は私の髪の毛をそっと撫でる。
「なんでも、わかっちゃうんだね」
「そうですよ、親友ですもん」
「親友じゃないよ」
「あら、残念。今日、貰いますから夏香さん。そしたら私たちもっと仲良くなれますよ」
「そんなことないし、夏香はものじゃない」
見透かされすぎて、心臓だけで話しているみたいだ。
私も体育祭で浮き足立っているのかもしれない。
誰かにこんなに言い返したことがない。
言い返すってこんなに神経使うのか。
それでも夏香のことはあげない。
いや、夏香が決めることは大丈夫だと信じてもいる。
なんだそれ。
夏香がどう思っているか気にしていたのに。
「体育祭、楽しみましょう」
「それは、そう」
私たちは靴を履き替えて外に出る。
踏み出した足は意外にも軽かった。
でも、言い返した分、日差しが照り付けているようだった。



部活対抗リレーの方が先だ。
後輩は、幸い捻挫でリレーも走るそうだ。
よかった、けれど、後輩にまだしっかりと謝れてない。
体育祭が終わったらしっかり謝ろう。
「きさー、久しぶりー」
「あ、キャプテン」
「キャプテンって、今、キャプテンはきさでしょうが」
「そうでした」
先輩だ。引退してから髪の毛が伸びている。
その髪の毛を明るいゴムで結っている。
バスケ部のときは、あんなにバッサリしてたのに、意外と伸びるのが早いんだなって思った。
似合ってる。こっちはこっちで似合っている。
「新キャプテンどうよ、なんか後輩ブッ飛ばしたって聞いたんだけど」
「あ、いや、はい。まあ申し訳ないです」
「ほんとにぶっ飛ばしたの、やっちゃったねー」
「そうなんです」
「そうなんですって、きさ、顔こわいよー」
先輩が私の肩を叩く。
同じチームのときに何度もしてもらった叩き方だった。
「それチームにも言われるんです」
「だって、顔こわいもん」
「そんなつもりないです」
先輩と話しているとちょっと前に戻れた気がする。
亜由実のことも、夏香のことも、結花のことも、考えてなかった頃に。
「えー、じゃあ後輩これ以上怖がらせないために笑顔の練習でもする? やってみ、こうニッて」
先輩が自分の口角を両手の人差し指であげる。
「しないです」
「つれないなー」
先輩はキャプテンをやってきたときよりも身軽に見える。
「じゃあ、後輩に何したか教えてよ」
「パスです。パスっていうかもう投げつけるみたいにパス出したら、手首捻挫させました」
「えー、きさと言えばいいパスくれるイメージなのに意外。もしかして、亜由実がいなくなってチームなんとかしないととか思ってる? 」
「思って、ます」
先輩の前では、スッと言葉が出た。キャプテンじゃない私になれる。久しぶりの感覚だ。
「そうだよねー、それは思うわー。ただでさえ3年いなくなって、亜由実が転校したらそれは思うか」
「はい。どうして私がキャプテンなんだろうって思ってます」
素直に言える。
「あー、そっかー。そうか、そうか。そこまで思い詰めちゃってんのねー。きさらしいちゃらしいけど、んー」
「亜由実がいたらって思います」
「そうだよね、そうなんだけどさー、亜由実がいてもキャプテンはきさにしたと思うんだ」
「え? 」
言葉が詰まった。今の今までうまく話せていたのに。
「きさをキャプテンに推薦したの私だよ。きさ自分で気がついてないかもだけど、しっかりやるし責任感あるし勝負するところ勝負するし、後輩からも好かれてるから」
本当に、私の話をしているのだろうか。
実感がまるでなかった。
どこから質問したらいいかもわからなかった。
「えっと」
「やっぱ一言多い、亜由実より何も言わずに背中で語る系のきさの方が後輩はついて行きたくなるしね。って私も一言多い系なんだけど」
先輩は頭を揺らしながら笑っていた。
「ほら、後輩、手振ってるよ」
私は先輩が指差す方向を見る。
そこには手首にサポーターをした後輩がチームメイトと一緒にいた。
「あ、あのサポーターをきさがやっちゃったわけね。でも手を振れてるってことは大丈夫ぽいね。問題なし。ほら振り返してあげないの? 」
先輩は、遠くの後輩を見ながら笑う。
「私、まだ謝れてなくて」
「律儀だねー、悪いパスじゃなくて、必要なパスだったんでしょ」
「亜由実に出すより強く出しちゃったんです」
「亜由実? 関係ないじゃん、あの子でしょ。ごめん私名前ちゃんと覚えてないんだけど、体験入部で来てたときにさ、きさが丁寧にパス出してあげたから入部決めた子でしょ」
「なんですか、その話」
「え、覚えてないの。他のみんな接待みたいなパス出していたのに、きさだけ手を抜かないで本気でパス出して、帰り際あの先輩と一緒にやりたいので入りますって宣言してた子でしょ」
「そんなことありましたか」
「えー、まあそっか。亜由実亜由実みたいなプレーしてたもんね。意外とそういうの疎いんだ。キャプテンにしてたの間違ったかも」
「え? 」
「うそうそ、そんなに重い手なら私が振ってあげよう」
先輩が私の手を持って、後輩へ手を振りかえす。
これは嫌じゃない強引さだ。
「キャプテンってさ。頼られるより頼ることの方が難しいんだよね。私は全部終わってから気がついた。だからそこまで思い詰めるな、走れきさ。あなたには頼りになる後輩がちゃんといるよ、私がもっとあなた達を頼っていたらすぐ納得できたのかもね」
「先輩」
「さ、はじまるよ。試合前、よく肩叩いてたね。そうだ、もうキャプテンきさなんだからきさが叩いてよ」
先輩は私の手を持って、背中を差し出す。
「ほらほら」
私は言葉にならなくて、言われた通り先輩の背中を叩く。
「痛いっ、その力あったら後輩ぶっ飛ばすわけだわ」
先輩は笑いながら自分の背中をさすった。
「いくよ、キャプテン」
先輩は笑いながら私の背中を軽く叩いた。
私が第一走者、別の部活の子たちと並ぶ。なんとなく見覚えがあったり、なかったりする。
そんなことどうでもいいことだ。チームのためにできることをする、かつてそうだったように。
私は自分が走るレーンを想像する。
カーブがかなりきつい、でも私ならいける。
「位置についてー」
スタートの合図が鳴った瞬間、体だけが先に飛び出した。
心は、まだスタートラインに残っていた。
3位。悪くはない。
でも、1位の背中を見ていると、どこかで見た誰かの背中と重なってくる。
後輩が待っている、そう思えるようになったのは先輩が背中を叩いてくれたから。そのことに救われる。
私が「ごめん」と言ったとき、それが昨日のパスのことなのか、今日のリレーのことなのか、自分でもわからなかった。
その言葉はパスのことも含めたバトンになった。
「いけます! 」
後輩にバトンを渡そうとした瞬間、バトンパスの差で私たちが2位になった。
後輩が1位を追いかける。
「きさ、おつー」
「はやくねー」
これから走るチームメイトが声をかけてくれた。
「ありがと、でももっとできたかも、ごめん」
「部活リレーだよ、大したことないって」
「きさ真面目すぎー」
チームメイトの軽口も温かく感じる。先輩のおかげだ。
後輩は2位を守りっきて先輩にバトンを繋ぐ、先輩の走り方は変わっていなかった。そのことに安心感を覚える。
そのあとチームメイトたちが続いてくれて、バスケ部は2位。喜んでいい順位だった。
駆け寄ってきてくれた後輩に声をかける。
「私、ごめん」
「何がです? ナイスランでしたよキャプテン」
「いや、違くて、昨日のパスごめん」
「え、なんですか。それなら、私がぼーっとしてたから取れなかったって言ったじゃないですか。これからもパスください、ちょっとお休みしますけど」
後輩は軽やかに微笑んでいた。右手をぷらぷらさせながら。
できる限り走った、後輩にも謝れた、先輩に報告、しようと思ったら先輩が別の誰かの方へ駆け寄った。
「みてたー、結構やれるでしょ私」
「鈍ってる感すごかったけどな」
彼氏だ。そう言えば、チームメイトが引退した3年生はみんな彼氏がいるって言っていた。
先輩と、彼氏は二人で写真を撮っていた。
走り終わったのに鼓動が早くなる。
息がどんどん浅くなる。
「キャプテン? どうしたんです? 」
「いや、なんでもない」
そうだ、キャプテンだ。私がキャプテンなのだ。
尊敬した先輩がバスケを辞めても、尊敬した先輩が彼氏と遊んでいても私がキャプテンなのだ。
「元キャプめっちゃたのしそー」
「うちらの前であんな顔したことなくねー」
「しないっしょそりゃ、キャプテンだし」
「結構、意外ー」
「そういうもんじゃねー」
「うらやまー」
「それー」
また軽口が嫌になった。先輩が叩いてくれた背中から心に穴が空いたようだった。
先輩が彼氏と笑い合っていた。
私の知ってるキャプテンは、そんな顔じゃなかった。
あんなふうに楽しそうに笑ってるところなんて、見たくなかった。
バスケをやめたら、みんなああやって恋をやるの?
私が見てたのは、キャプテンの背中じゃなかったの?
恋なんて、言葉が嫌いだ。愛なんて言葉は目障りだ。
使いたくない。
亜由実も同じことをした。
これまでの努力がバスケで報われなくても正当化されるみたいじゃないか。
それだけあれば他は全部が遊びみたいじゃないか。
次はバド部が部活対抗リレーを走り始めた。
晴人くんも夏香も走っていた。
それを結花が応援していた。
双子が色んなクラスで話題になっている。
結花が夏香を鋭く見つめている。
誰かが入る余地をなくすみたいに。
バド部はリレーで1位を飾った。その瞬間、夏香への結花の眼差しが変わった。いや、結花が意図的に変えたのかもしれない。なんというのかわからないけど落ちるみたいな表現が相応しいと思った。
体育祭はまだ始まったばかり。だからこそ、どうにもならないことも、まだ増える気がした。
日が一番高いところまでまだ時間がありそうだった。



お昼ご飯を食べて、先輩が彼氏と一緒に食べているところを見て、先輩は今日バスケがちゃんと終わってしまったのだと思った。
校内のざわめきはまだまだこれからと、私に告げる。
「次、よろ、しく」
晴人くんが話しかけてきた。
私は呼吸を合わせるように答える。
二人三脚のために。
「うん、よろしく」
メッセージのときとは別人みたいだ。
それでも声が優しい。
「おーい、希咲、晴人ー、緊張するなー」
緊張感のない声で言うのは夏香。
私はその声に安心する。
よかった、まだ結花に何かされているわけではなさそうだ。
「なんか、二人ってあんまだよな。やっぱ俺が希咲か、俺と晴人の方が速そうだ」
「え? 私たち速いよ」
「いや、速いんだけどなんつーか。古典の先生が白衣着てるみたいなんだよなー」
「なにそれ」
よかった、いつもの夏香だ。
「夏香! こっちですよー」
結花が、夏香を呼び捨てにした。
蛇が獲物を狙うみたいに着実に結花は夏香に近づいている。
「おっけー、マネちゃんサンクス」
行かないで、ほしい。
そう言えたら、楽だった。亜由実のときも同じだったのだ。
「だい、丈夫? 」
私の声は出ていなかった。体育祭の注目されるところで夏香に行かないでなんて、馬鹿みたいじゃないか。
隣の晴人くんが、結花によく似た目で私を覗き込む。
この目も、全てを透かしてしまいそうだった。
「うん、大丈夫」
「俺、あんな、でも、姉貴、の、こと嫌いじゃ、ないんだ。やっぱ、姉貴って、やっぱ見る、目ある、って思っちゃう」
「え? なんの話? 」
「浅葱、さん、すごい、人だ。何も、言わずに、頑張っ、てる」
言わずに、ではない。言えずにだ。
それを言うなら晴人くんの方が何も言わずに努力しているように見える。
「それ、同じじゃない? 」
「同じ、じゃ、ない。俺は、どこ、まで行って、も、姉貴、の言いなり」
この双子はどこから来て、どこまで行ったのだろう。
知らない。知りたくもない。
「俺、浅葱、さん、の、こ」
「何も言わないで。二人三脚に集中しよう」
私は晴人くんと繋がっている紐を確認する。
キツすぎないようにしたけれど、もっと緩めたらよかった。
腕を回す、肩を組む。
これが私たちの形が出来上がっていた。
「えー、バドの双子と女バスキャプテンじゃん」
「あのペア、やべー」
「ガチなのか、組みたいだけかわからん」
「やばー」
「あれ付き合ってたらやばくない? 」
ほら、予想通り。なんとかならなかったのか。
私が強く否定したら、変わっていたかもしれない。
言われるなら、夏香との方がマシだと思った。
やっぱり、言われたくはないけれど。
「位置についてー」
夏香たち第一走者が走り始める。夏香が出遅れた。
何してるのだ。
ちゃんとやれ。
夏香がどんどん近づく。
頑張ってはいた。ふざけていてほしい気持ちとちゃんとやりたい気持ちがちょうど半分ずつあった。
テイクオーバーゾーンのギリギリに私たちは立つ。
他の二人三脚がタスキをもらって走り始める。
男女のペアは私たちだけだった。
それでも。
夏香が悪びれもせず「わり、頼む」と言って私にタスキをかける。
仕方ないのだから。
私たちは「せーの」の声もかけない。
私の全力に晴人くんが合わせてくれる。
私の高鳴ってしまっている細かい鼓動に合わせて、足を出す。
空気が流れ始める。風を切る、感覚がする。
3位。
他のペアの「1、2」という掛け声が聞こえる。
2位。
私は前だけ向いている。他のペアは足元を見ている。
1位。
目の前には次のペア、私たちは速かった。
速すぎた。
「うわー、やべー! 」
「嘘でしょ。息ぴったりじゃん」
「巻き返せんのかよ」
「二人三脚だよな、今の速さ」
非の打ち所がない、とはこのことだと思った。
呼吸、足、タイミング。鼓動以外の全てが完璧だと思った。
減速まで丁寧で他のペアが倒れ込む中、私たちは立ってクラスの行く末を見届けた。
「紐、外すね」
「あ、う、ん」
体が運動の快感を覚えていた。このまま晴人くんの腕に抱かれたまま、走っていきたいと思ってしまった。
「あの、さ、今の」
「ありがとう。サイコーだったよ」
私は素早く紐を解く。これ以上、このままでいられないと思ったから。
「おい! 二人とも速すぎるだろ」
夏香が駆け寄ってくる。
ようやく、競技が終わったことがわかった。
クラスは最後のムカデで転んでしまって最下位だった。
でも、そんなことどうでもよかった。
どうでもいいほどの走りをしてしまった。
「合ってないよね」
私は夏香に確認するように行った。
「いやー、合ってはないよな。俺ならもっと希咲と走れると思う」
何を真剣に言っているのだ。
そう言うことじゃない、私が夏香から欲しい言葉はそうではない。
「3人ともお疲れ様でした」
結花が近づいてくる。
「はる、希咲さん完璧でしたよ。それはそうと、夏香さん、ちょっとこっちに」
「あ、おう。なんだよ」
夏香が優美な香りに誘われて連れてかれてしまう。
行かないでほしい。まだ話が終わってない。
「浅葱、さん。俺」
「ごめん。私行かないと」
心臓は最高潮に高鳴っていた。最高だった。
バスケでも何度かしか体験したことのない感覚だった。
それでも、透明なだけの世界なんて嫌だ。
亜由実がいたら、助けてくれるのかな。
また、亜由実だ。
いつまで亜由実のことを言えばこの気持ちがなくなるのか教えて欲しかった。
何かを言えば、楽になれるのだろうか。
何を言えばいいんだろうか。
わからないまま、夏香と結花を追いかけた。
私と晴人くんは最高のペアだったと思う、けれどこれ以上、最高にしてしまうのは嘘だった。
体より心がそう言っている。
心がそう言っている。



「マネちゃん、なんだよ」
私は夏香と結花の声が聞こえるギリギリまで近づく。
「マネちゃんは、やめてください。結花呼んでください」
「なんだよ、ゆーいか」
「どこまでもそのスタンスを貫く気なんですね」
「どのスタンスだよ」 
夏香、ちょっとイライラしている?
「夏香さん、どうか聞いてください」
「それ、嫌だって言ったらどうなるんだ? 」
「あら、連れない。私たちすでに親友じゃないですか」
「あー、ちょうどいいや。それやめろよ」
「は? 」
「なんか言いたいことあったのかもしれないけど、先言うわ。希咲に近づきすぎだお前」
「な、なんですか。私たち親友じゃないですか」
「部活は同じだな。それはどうもありがたい。楽しくなったわ。でもそれだけだぜ? 」
「はる、ともダブルス組めてあなたたちいい感じになったじゃないですか」
「それ、全部自分のおかげだと思ってんのか」
夏香が冷たい。こんなに冷たい夏香は見たことない。ちょっと怖い。夏香に知らない面があるのが怖い。
「思っていないですよ。私はただ躓いてほしくないだけで。夏香さんだって同じでしょう。希咲さんに思ってる」
「あー、幼馴染だぞ。それ以上じゃないだろ」
夏香と私は幼馴染。ただの幼馴染。
「親友じゃないんですか。私は親友になろうとして」
「希咲が疲れてるからこの際、これでもいいかって思ってたけどやっぱダメだわ。近づきすぎだ」
「あなたこそ、全部自分の手柄みたいに言っているじゃないですか」
「は、話聞いてんのかよ。俺は誰にも何も言ってねえ。お前は全部言ってるだろ」
「それは、そうですけど。私たちは違いませんよ」
「かもな。どっちが悪いとかいいとかなんで話してるつもりないわ。俺は俺、お前はお前。だけど、希咲に近づくな」
「それを私に言うなら私と変わらないじゃないですか。私と夏香さん、分かり合えると思うんですよ」
「まあ、わかり合えるんじゃないか。だけど理由は簡単だ。お前、俺の話がつまんないときにつまんない顔しない」
「え? 」
「希咲はつまんないときにつまんないなって顔するんだよ」
「わかりません。何を言っているか」
「じゃあ、わかり合えないな。以上、また部活でな」
「ちょっと、夏香さん。待ってください。じゃあ奪ってみてくださいよ。希咲さんのこと」
「希咲は物じゃねえ」
私と同じことを夏香が言った。
「同じこと、希咲さんにも言われましたけど」
「同じこと? わからんけどラッキー」
夏香がこっちに来る。
まずい、隠れないと。
「あ、あとあんま家族のことは知らないけどよ。晴人は晴人だぞ。お前じゃない」
「は? 夏香さんあなた、一言多いって言われませんか」
「あー、よく言われたよ。希咲と一緒幼馴染だった奴に」
「そうですか」
二人の会話が終わる。
私は隠れてやり過ごす。
結花が泣いていた。綺麗な澄み切った涙で泣いていた。
ここで私が結花の元へ行けば、私たちは親友になれるかもしれない。
意味がわからない。夏香が結花のことを拒否してくれたことが嬉しいのに。
夏香が幼馴染って言い切ったことが少し寂しくて、泣いている結花に泣かないで欲しいって思って、こんなにも亜由実の声を聞きたいと思っているのが。
「姉貴」
「なんだ。はるですか」
泣いていたはずの結花は晴人くんが来るとすぐに泣き止んだ。
「姉貴、やめ、てくれ」
「そうですか。もう少し泣いていたら釣れそうだと思ったんですけどね」
「もう、こわ、い」
「はっきり言うようになりましたね。それはそれで成長です。お姉ちゃんは嬉しいですよ、はる」
結花が晴人くんの頭を撫でる。
嘘、泣き?
どこから、本当で、どこからが嘘なのか見分けが付かなかった。
いや、途中までは絶対に本当だった。結花は夏香が拒否したから、私の同情を誘う方に変えたのだ。
「姉貴、あん、ま、浅葱、さん、近づ、かない」
「そうですね。そうみたいです」
自分の心が怒っているのか、悲しんでいるのかすらわからない。
多分、どっちもだ。
結花の涙に、私は釣られかけた。
釣られそうになった自分が、いちばん怖い。
誰でもよかったのかもしれないと、思ってしまうから。
そんなことない。
私は亜由実と夏香のことを親友と呼びたい。
あの時間のことを親友と呼びたい。
体育祭が終わる。
日が伸び伸びと伸びていた。