第二章「無実行委員のキャプテン」
教室に入るのが恥ずかしい、なんて、私が転校してきたみたいじゃないか。
「ちょっと、どいて、ほしいん、だけど」
後ろから脳天までじっくりと反響するような声。落ち着くような、落ち着かないような。
「あ、ごめん」
「浅葱、さん、だよね」
「あ、うん」
夏香よりも、もっとすらっとしている。鼻筋が通っている。
「昨日は、ごめん」
「え? 」
昨日?
なんだ? 私が泣いたことか?
「夏香と、笑っ、ちゃった」
夏香と。何の話だ。
「え、なんのこと? 」
「練習、はじまる、前」
練習始まる前、ああ。夏香と晴人くんが肩を組みながら笑っていた時のことか。
「あ、大丈夫だよ。大丈夫」
晴人くんは律儀なのか。
兄弟そろって、できた二人だな。
「あと、姉貴」
「ん? 」
あ、今度こそ泣いたときの話だ。心臓が少し飛び跳ねた。
「悪気、ないんだ。あれ。昔から、そうで」
「ああ、私の方こそ、泣いちゃって、わけわかんなくて、申し訳ないよ。って晴人くんに言ったって仕方ないよね」
止めどなく言葉を吐き出す。
晴人くんにも知られていたのか、恥ずかしい。
「姉貴、可愛いもの、に目がないんだ」
可愛いもの、ってなんのことだろう。
「俺も、そう」
晴人くんは自分を指さしながらそう言う。
「え、晴人くんが可愛いものが好きってこと? 」
「違う」
「え、どういうこと」
「姉貴は、浅葱、さんのこと、気にってる」
「あ、そうなんだ」
「姉貴は、可愛いもの、好き」
これ、もしかして私のことを可愛いって言っている?
体の芯が何かに焼き焦がされるような恥ずかしさを覚える。
「え、俺もそうって? 」
もしかして、晴人くんも私のことを可愛いとか、思っているのだろうか。
「俺も、そう。姉貴、俺の、こと好き」
「あ、そうなんだ」
びっくりした。
転校生にいきなり告白される展開かと思った。
盛大な勘違いをした。
別の恥ずかしさが体を駆け巡る。
「おーい、晴人ー。希咲ー」
夏香だ。私は聞き慣れた声の方へ顔を向ける。
「おはよっぴー。どうもどうも」
「あ、おはよう」
晴人くんが黙った。
「二人でなにしてんだ、遅刻するぞー」
「あんたが言えたことじゃないでしょ」
私は教室の扉に手をかけて安心する。
恥ずかしさはどこかへ行ってくれたようだ。
踏み出せなかった一歩が簡単に踏み出せたから、教室に入る。
「あら、はる、と皆さんで、おはようございます」
私の隣の席には結花ちゃんが一時間目の準備を済ませて座っている。
「え、三人だよ。三角関係かな」
「はやくない、もう? 」
「それ言うなら四角でしょ」
「確かにー」
結花ちゃんの、おはよう、の声とは別に何か聞こえてきた。
「おはよう」
私は結花ちゃんにだけ挨拶し返す。
「おはよっぴー、マネちゃん」
もう完全に晴人くんは黙っていた。
「こら、はる。ちゃんと挨拶したの? 」
晴人くんは無視して自分の席に着く。
「お二人とも、はるがごめんなさい」
「お、晴人なんにもしてねーぞ、な。希咲」
「う、うん」
「そうでしたか。それならよかったです」
結花ちゃんには、昨日のことを謝らないと。でも、夏香に説明するのは嫌だから後にしよう。
これは言い訳じゃない、戦略だ。
夏香が他のクラスメイトに、「おはよっろぷ」とか、「おはよっぷ」だとか、聞いたことのない挨拶しに行った。
私は、私で自分の席に着く。
結花ちゃんの隣の席に着く。
今か、今だ。
「あの、如月さん」
「はい? なんですか、希咲さん」
「あの、昨日はごめん」
「昨日、何かありましたっけ」
「え、あの、いきなり」
「ああ、昨日ですね。いいんですよ」
結花ちゃんは私に説明させず、話を汲み取ってくれた。
「ああいうときはお互い様です」
「あ、ありがと」
「ところで」
昨日は涙で見えていなかったけれど、この子、目まで透き通っているんだな、と思った。
「如月さん、はどうかと思いますよ」
「あ、え? 」
「せっかく親友になれそうなのに、それじゃ、はるとどっちがどっちかわからないじゃないですか」
親友、言葉が引っかかる。
どこに引っかかったのかはわからない。
「結花と呼んでください。はるのことは、晴人、と」
「あ、うん。ごめん」
「謝らないでください、結花ですよ。結花」
「あ、わかった結花」
「どういたしまして。希咲さん」
私は隣の席が亜由実の席だったことを思い出す。
『あゆみだよ。あゆみ、あ、ゆ、み』
恥ずかしがり屋の私の扉を叩くのは、似ても似つかない二人だった。
※
AYUAYU『なんか、あった? 』
亜由実から、メッセージが届いていた。珍しい。
メッセージを送るのはいつも私からなのに。
『え、どうして笑』
なんでもないように応える。
『なんか、叫んでたんだって? 』
『夏香に聞いたの? 』
『聞いたっていうか、わざわざメッセしてきた』
夏香め。勝手なことをする。
『ちょっとね』
『ちょっと、何? 』
目と目を合わせてくる亜由実が思い浮かんだ。
『うまくいかなくてさ』
嘘はついていない。でも、真実というわけではない。
『プレー? チーム? 』
『プレー』
即答する。
『そうなんだ。どの辺? 』
『3ポイント』
嘘ではない。
『え、3ポイント練習してるの? 』
『してる』
『しなくて、いいのに』
無責任な。チームは得点源を失ったっていうのに。
『できるに越したことはないでしょ』
『まあ、そっか。私は最近、3ポイント成功率上がってきたよ』
『ほんと? 』
『うん、ノーマークだったら10回打って9は入るよ』
『すご』
『でしょ。私は3ポイントしかないからね』
『そんなことないよ』
そこから亜由実の返信はなかった。
フォームのコツでも、動画でも、何か送ってもらえばよかった。
でも、どうせ感覚派なんだよな、亜由実って。
とりあえず、夏香とは後で話すことがある。
「あの、希咲さん? 」
「あ、何? 」
私は素早く携帯をしまう。
まるで隠さないといけないことがあるみたいに。
「先生がおっしゃっていたんですが、私、あゆみ? さんの代わりに体育委員になるみたいです」
「あ、そうなんだ」
「希咲さんも、体育委員なんですよね」
「そう、そうだよ」
「よかったー。お隣の席の方と同じ委員会になるなんて運命みたいですね」
また、何か引っかかる。
何かはわからない。
「あー、そうかもね」
「はるも一緒にできたらよかったんですけど」
「男子は夏香と、誰、だったかな」
「あら、夏香さんも同じなんですね。うれしいです」
太陽を見続けることってできない。瞬きをしないといけない。
私は瞬きのように、少し結花から目を反らす。
「体育祭、一緒に頑張りましょうね」
体育祭はみんなで頑張るものだ。そう感じながら「そうだね」と呟いてみた。
「また、頭なでなでしましょうか」
「は? 」
「ふふ、嘘ですよ。また消えたいみたいな眼をしていたので」
嘘の笑顔だと思った。
「してないよー」
「可愛いですね、希咲さんって」
「そ、そう」
「はい。とっても」
反らした目が強い引力によって戻される。
目を合わせないといけなくなる。
「かわいい」
私は唾を飲み込んだ。
※
担任の先生に呼び出されたら、部活に少し遅れていく。
これは呼び出しだから仕方ない。
キャプテンだって、生徒の時間があってもいいだろう。
職員室に入ると、独特の匂いがした。湿気っぽい、薄暗さのある匂い。
「お、来たな浅葱」
「はい」
「部活あるのに悪いな」
「いや、大丈夫です」
ちょっと部活に行き辛かったのも事実だ。
「体育祭のことなんだが、実行委員会を一ノ瀬と如月姉にしようと思ってるんだ」
夏香と結花? どうして?
「はい? 」
「体育委員の中から実行委員、選ぶのは、浅葱も知ってるよな」
「はい」
「それで、本当は浅葱にお願いしたいところなんだけれど」
「はい」
「浅葱、キャプテンになったんだってな」
「はい、そうです」
佐藤先生が担任に話したのか。
「キャプテンと、実行委員を一緒にやるのはちょっと浅葱に負担かけすぎな気がしてな」
「はい」
私の声のトーンが下がる。
別に実行委員をやりたかったわけではない。
「一ノ瀬に聞いたらな、自分はやるっていうんだ」
夏香が? あの面倒くさがりがなんで。
「それと、如月兄弟もクラスに馴染んでほしいと思ってな」
「はい」
そんなことしなくたって勝手に、晴人くんはまだしも、結花は馴染むだろうに。
「もし如月姉が困っていたら助けてやってくれ」
「はい、わかりました」
「一ノ瀬が浅葱を外してほしいってな。二人で喧嘩でもしたのか」
「え? 」
「小田がいなくなって一緒にいるところ見なくなってちょっと心配でな」
「あ、はい、いや」
「なにかあるなら先生に相談するんだぞ」
たくさんの先生がこのセリフを私に言ってきた。先生の免許を取るときに一緒に語録も学ぶのだろうか。
「あ、はい」
そんなこと言えるわけもなく、返事をした。
「じゃ、話は以上だ」
「ありがとうございました」
夏香と結花。相性いいだろうな。
部活も同じだし、仲良くなって行くのだろうな。
部活に、行こう。
私にできることは何もない。結花に心配はいらないから。
職員室の薄暗さが自分に移ってきたみたいだ。
同じことを考えて、頭がぐるぐるしそうだったので速足で部活に向かう。
部活は部活で嫌だけど、考えて嫌になる方が嫌だ。
嫌になる方が嫌だってなんだ。
なんだ。なんだ。
たかが、体育祭の実行委員じゃないか。
なんだ。
ボールに触りたい。早く。
※
部活には行きたくないのに、体がボールを求めているから体育館には来てしまった。
今日のバド部は異様に見えた。
夏香が静かだった。
静かというか、目が違った。あの目を私は知っている。
真剣な目だ。
夏香とは長い付き合いだけれど、真剣にやっている瞬間なんて初めてみた。
ネットを挟んで向こう側にいるのは、晴人くん。
普段を知らないから、何にも言えないけど教室にいるときより大きく見える。
「何打っても取られるな」
ふざけてない夏香の声。
冷静で、分析している声。
初めて聞いた。
「夏香さん、ちょっと無理やりが多くなってますよ。はるも剥きにならないで! 」
応援というより、指導だ。
結花の声は、体育館でもよく反響する。体育館、丸ごと全部、包んでしまうような。
私も包んでほしいと思ってしまうような。
「いやー、如月双子やばすぎるよな」
「勘弁してほしいわ、弟、夏香より強いんじゃね」
「今のところ、夏香が勝ち越してるけどな」
「姉も、マネージャーってか、もう指導者だろ、あれ」
「俺も、アドバイスもらったぞ」
「全員にやってるんだよ、あれ。やばくね」
「夏香ももっと強くなるぞ」
「だらだらしてるのがいいところだと思ってたのにな」
「な」
私はなんで、バド部のひそひそ話に耳を澄ませているのだろう。
私は、私で集中しないといけないのに。
何か、何かすごく嫌だ。
「おっしゃー! 勝ち! 」
夏香の普段通りの声がした。
私はほっと、胸をなでおろす。
「夏香さん、最後マグレでしょ! 練習になってません」
「なんだよ、マネちゃん。本番もやるって」
「そういうことじゃありません」
「はあ」
盛り上がる二人を横目に、晴人くんがため息をついていた。
悔しい、のかな。
「晴人もっかいやろうぜ、上がってきてんだよ、なんか」
「ちょっと、休む」
「なんだよー、連れないな」
私の知っている夏香だ。
うざくて、軽くて、夏香だ。
「あの、キャプテン? 」
「あ、なに」
「集中してます? 」
「あ、し、してるよ」
「集中してる人は、してるって言いませんよ」
「あ、ごめん」
キャプテンになったのに、後輩に怒られる。自主練の前も怒られたな。
「亜由実先輩いなくなってから、おかしいですよ」
「え」
心臓が跳ねる。ボールよりも高く。
「今も」
「そ、そんなことないでしょ」
試合でミスを取り戻す、癖のボールハンドリングみたいに早くなる鼓動を押さえつける。
「キャプテンになって追い込まれているかもしれないですけど、練習中こんなに集中してないのは変ですよ」
「してるよ! 」と頭の中で叫んだ。
危ない、まだ叫んでない。今度は違う。
「集中してないみたいに見えたらごめん。一生懸命やる」
後輩に宣言するようなことか。自分の語彙が少ないことが悔しくなった。
「いや、一生懸命とか、そういうことじゃなくて」
「私がやるって」
「いや、だから。変ですって。キャプテン、希咲先輩そんなこと、言う人じゃなかったですよ」
後輩に何がわかるのだ。
「変じゃないよ、キャプテンなんだから」
「希咲先輩」
どうしてか、消え入りそうな声で後輩が私の名前を呼ぶ。もっと頼ってほしいだけなのに、頼られる先輩でいたいだけなのに。
そんな頼りない人を見るみたいな目で私を見るのだろうか。
「よし! 今のいいだろ、マネちゃん! 」
気が付けば、夏香は晴人くんとまた打ち合っていた。
「今のです。今の感覚ですよ。はるは間に合わないと思っても諦めない! 」
晴人くんは返事をしない。
「いい感覚。いい感覚」
夏香が不敵に笑っていた。
夏香はよく笑う。よく笑うけど、そんな笑顔、見たことない。
「もうちょっとひじだよな、マネちゃん」
「そうですね。ちょっと疲れてきて下がってますね」
「今まで詰まってたのはここか」
「案外、初歩でも意識次第で変わるところありますからね」
「今、俺、俺史上、一番強い気がしてきたなー」
気まぐれだ。きっといつもの気まぐれだ。
「ほら、希咲先輩、バド部ばっかり見てる」
後輩の言葉で、ハッとする。
「ご、ごめん」
「気になりますよね。バド部、そりゃ、幼馴染だから嫌ですよね」
「え、いや、そんなんじゃなくて」
幼馴染だから、夏香を見ていたわけではない。
「でも、今バスケ中ですよ。練習中ですよ」
「そうだよね、ごめん」
何に賛同しているのだろう。
夏香がひじの上がった、綺麗な空中姿勢を見せる。
ぐちゃぐちゃだった、フォームが綺麗になっていく。
「よし、いい感覚」
夏香の声が小さくなったからだろう、夏香の声が遠くに聞こえる。
「だから! 希咲先輩ってば! 」
肩を両手で掴まれる。
「あ、ごめん、なんだっけ」
両肩を掴まれて、頭が真っ白になって、適当に返事してしまった。
「いいですか、バド部が気になるのはわかります。亜由実先輩がいなくなって、不安なのもわかります。それなら、私を見てください。私にパスください」
「え? 」
「亜由実先輩みたいにはできないかもしれないけど、私が先輩のパス取ります」
「あ、そう」
腑抜けた声だ。
「この前、亜由実先輩がいなくなって、希咲先輩がキャプテンになって初めての練習で、亜由実先輩にパス出してましたよね」
「ど、どのパスのこと? 」
本当は自分が一番わかっている。亜由実の声が聞こえた気になって誰もいないところに出したあのパスのことだ。
「わかってないわけないですよね。でも、わかってないならいいです。私が取るんで、亜由実先輩がいるつもりでパスくれていいです」
亜由実がいるつもりでパスを出す? 何言っているのだ、この後輩は。
亜由実は、もう、いないのだから。
「あのパス、めっちゃ悔しかったんです」
パスが、悔しい?
悔しかったのは私だ。
「あの連携、できる人がチームにいたらもっとチームは強くなれるのに」
できるわけない。あれは、亜由実と私だからできるのだ。
「いいですか、私取りますから。パスください」
「え、あ、うん」
「い! い! で! す! か!」
肩を揺らされる。考えがまとまらなくなる。
「わかりましたね。私だけ、見ててください」
そういうと後輩は手を離して、今後は私に指をさしてきた。
「私、パス、取る。わかりましたね! 」
完全に後輩に気圧されてしまっていた。
亜由実がいるつもりでプレーする。本当にそんなことできるのだろうか。
そんなこと、していいのだろうか。
私は、緩んでいないのに靴紐を縛り直す。
もう何足目のシューズが忘れてしまった。けれど、大切にしていないわけではない。
シャツもそう、パンツもそう。この時間もそう。
結び直した蝶々結びは完璧に見えた。これまでも数回あった感覚がした。
夏香の言葉を借りるなら、「上がってきている」感覚。
視界の端で夏香が一生懸命になっているけれど、とりあえずいい。
体育祭の実行委員も、双子も、一旦いい。
無謀な後輩にパスくれてやると思った。
練習が再開する。
私は、ボールを貰って周りを見渡す。後輩はまだ動いていない。
亜由実ならもう動いているよ。
私はディフェンスを目の前に、3ポイントシュートをちらつかせる。
チームメイトだから、当然、私に3ポイントシュートがないことはバレている。
それでも、練習しているからかフォームがちょっとだけ本物みたいになっているみたいだ。
ディフェンスが私のフェイントに引っかかる。
引っかかったという感触がする。
私はすかさず、切り込んでいく。
ディフェンスを抜いたら、得意のミドルの選択が出てくる。
私のミドルがあるから、別のディフェンスがカバーに来る。
ここ。
この瞬間、亜由実なら3ポイントラインに沿うように待っている。
「希咲先輩! ください! 」
来た。本当に来た。
ちょっと遅いし、ディフェンスについてこられているけど、まだ亜由実が脳裏にチラつくけれど、私たちのパターンに後輩が付いてきた。
私はパスを出す。
ちょっと遅いから、強めの早いパス。
八つ当たりみたいなところもあるのかも。
でも、取るって言ったよね。
私のパスに後輩は反応する。
思ったより強かったみたいで、びっくりした顔していたけれど、ディフェンスを抜いて、ミドルシュートをした。
あ、3ポイントじゃないんだ。
私のふわふわした言葉と同じようにボールが宙に舞う。
これ、入るやつだ。
私はリバウンドの形を取りながら、もうリバウンドするつもりをなくしている。
それくらい見事なフォームだった。
ボールはリングに吸い込まれる。
最初からそうなることが決まっていたみたいに。
「やった、できた! 」
後輩がガッツポーズをする。
プレーに入るの遅いのに、ガッツポーズは早いのかよ。
勝ってもいないし、たった2点だよ。
私と後輩はすぐディフェンスに走り始める。
「ほら、できたじゃないですか」
満面の笑みで後輩が私を見てくる。
「もっと早く入れるけどね」
「なんですか、言い方ひどっ」
「3点じゃないし」
「ええ? 後輩に言うことですか、それ」
「でも、ナイスシュート」
「でしょー、練習したんです」
自主練習は私しかしてなかったのに、いつ練習したのだろう。
チームに足りていなかった積極性を見た気がする。
亜由実、ごめん。
頭に、そんな言葉が浮かんだ。
でも、いいシュートだったな。
夏香のことも、双子も、体育祭の実行委員も、忘れていた。
シュートが入った、心地の良い音が全部、忘れさせてくれた。
キャプテンはまだ、嫌だけど、やっぱり私はバスケが好きだ。
チームの雰囲気が2点分だけ、よくなった気がした。
けれど、後輩とタッチはしない。
この連携は、亜由実と私のものだから。
まだ、しない。
タッチしてしまいそうになった手はしまうことにした。
※
今日は、バスケがいい感触だったから早く帰ろうと思ったのに、どうしてこうなった。
私と夏香と結花と晴人くん、どうしてか一緒に帰ることになった。
後輩とは家の方向が違うから一緒に帰れないのは仕方ないけど、この四人で帰る必要はないだろう。
夏香だけだったら、一緒に帰ること断れるのに双子のいる前でそんなことはできない。
「希咲、今日、俺ー、調子よかったんだよ」
知らないよ。調子いいのなんていつものことじゃん。
「あっ、そう」
双子が来てから調子よくなっているのがわかるけれど、私は興味のないフリをする。
「信じてないだろー、な、晴人」
「まあ」
あ、答えるんだ。
「夏香さんと希咲さんとご一緒できるなんで、私すごく嬉しいです」
私と夏香の間に結花が入り込んでくる。
「マネちゃんがこういうからさ。悪いな希咲」
「なんで、あんたが謝るの、私がいやいや付き合ってるみたいじゃない」
「え、お二人お付き合いはされてないんですよね」
「あ、え。してないよ」
結花が私を覗き込んでくる。
どういう文脈で私と夏香が付き合っている話になったのだ。
嫌だ、嫌だ、やめてほしい。
「よかったです。お二人で帰られるところにお邪魔したら、あれかなっと思って」
結果的には同じじゃないだろうか。
私が早く帰ろうとして、夏香が追い付いてきたら、私は断るけど、家近いし。
どうせ、一緒に帰っちゃうし。
そこに結花たちが付いてきているんだから、私と夏香がどういう関係でも同じことじゃないのか。
「あー、うん。まあ楽しく帰れるなら、それでいいか」
夏香が言葉を濁した。
珍しい。
双子が来てから、見たことない夏香ばっかり目につく。
というか、夏香に言いたいことあるんだった。
「ちょっと、あんた。亜由実になんか言った? 」
「あゆみ? あ、ああ。ちょっとな」
夏香がそっぽを向く。
亜由実と三人で帰っているときは私と亜由実から目を反らしたことなんてないのに。どうして目を反らす。
「あ、あと先生にもなんか。言ったでしょ」
おい、こっちを向け、夏香。
結花が間にいて、夏香のことが良く見えない。
「言ったかなー。覚えてねーな」
「覚えてないってあんた、そんなわけないでしょ」
「いやー、部活集中しすぎてそれしか頭にないなー」
「私、実行委員外されてんだけど? 」
私は誰にも相談していないのに、亜由実が声をかけてきた。
先生も声をかけてきた。
夏香がなんかしているのだ。
勝手なことをするな。
「ちょっと、お二人だけで話するのは辞めてください」
結花が私に顔を近づけてきた。
顔、近い。
あ、まつ毛いい角度。
ふわりと、名前はわからないけど、漠然と花みたいな良い香りがした。夏香への怒りがどうでもよくなってしまうような。
「あー、そんなことよりさ」
「どうしました? 」
結花が次は夏香を覗き込む。
夏香は目を合わせない。
そのことにちょっとほっとした。
ほっとした?
どういう意味だ?
なんか、嫌だ。
三人で帰っていた道を四人で歩くの。
亜由実がいなくてもいいみたいじゃないか。
結花がいたら、夏香も調子がいいじゃないか。
私も、そう思ってしまっているじゃないか。
思ってない。
まだ、思っていない。
私はまだ落ち込んでいる。
日が落ちていく。
夏香が、部首の「しんにょう」と、素早く書いたひらがなの「え」が見分けつかないっていう話を始めた。
どうでもいい。
私は、亜由実のこと、先生のこと、話してほしいのに。
軽い話とノリで躱されてしまう。
どうでもいい話なのに、結花は「うんうん」と心地の良い相槌を打っていた。
相槌の良いリズムで夏香が少し早口になる。
それに対応して夏香の顔が赤くなる。
いや、夕暮れのせいだろう。
一生懸命喋っているだけだ、意味なんてない。
そうやって、私と亜由実の前でも喋っていたくせに。
話を聞いてくれるなら夏香は誰でもいいのか。
亜由実じゃなくてもいいのか。
それは、私も、結花が話聞いてくれたら、優しい声で頭を撫でてくれたら、それでいいのだろうか。
口に出せない感情が加速する。
私は一人で加速して、夏香は結花と加速している。
すごく、嫌だ。
嫌だと思っている自分が嫌だ。
夜になる前に早く帰りたい。夜になってしまったら、自分を見失ってしまう気がしたから。
星が照らしてくれたって、見つけられない。
太陽じゃないと手元が見えない。
そう思っていっていても、月は見つけてくれてしまうかもしれない。
日中でいたいのに、夜行性に目覚めていくみたいに、初めて月を見つけるときのように。
結花の光は、太陽と見紛うほどの、月光に見えた。
この陰ってなんだ。
亜由実だったらわかってくれる。
亜由実だったら、きっとわかってくれる。
亜由実だったら、いや、亜由実がいないからこうなっているんじゃないか。
亜由実が転校さえしなかったら、私はこんな気持ちにならなくてもよかったのではないか。
キャプテンだってしなくて済んだのではないか。
亜由実がキャプテンをやって私がアシストして、それかキャプテンやってもいいけど亜由実が支えてくれて。
そうやって、もっと深くバスケできていたのに、どうして。
なんの相談もしないで、転校してしまったのだろうか。
本当に、親友なら一言、相談があってもよかったんじゃないか。
「数学のさ、答えには、線ひかないといけないのって、謎、だよなー」
夏香がまだどうでもいい話をしている。
「確かに、思ったことありませんでした」
結花がまた頷いている。
晴人くんは一人下を向いている。
こんな帰り道、嫌だ。
こんな帰り道にしたのは、亜由実なんじゃないか。
親友って言ったじゃないか。
今日はバスケがうまくいったのに、帰り道で台無しだ。
方向が違っていても道の先まで後輩と帰ればよかった。
明日はそうしよう。
それで解決だろう。
夜が始まる。
※
亜由実のメッセージを開く。
『どうして私に相談しないで転校したの? 』と打ち込んでみて消す。
送れるわけが、ない。言えるわけがない。
何を今更になってと思われるかもしれないし、なんと答えてもらったら私は楽になるのだろうか。
一人になって、ベッドに入って冷静になる。
言えなかった理由を考える。
簡単だ、私にとって亜由実が親友だからだ、だったからだ。
親友なら、急な転校だって笑顔で送り出す。親友だから、相談がなくたって納得する。
親友だったから、全国大会で会おうって本気にする。
でも、3年生が引退して、亜由実もいなくなったチームで全国に行けるわけがないことは私が一番よくわかっている。
わかっているのだ。
それでも全国大会は本気のフリをしないといけない。
本気でやっているフリは続けないといけない。
私たちのこれまでの練習や、これまでの道のりが急に馬鹿馬鹿しいものになってしまいそうだから。
バド部はいいな、双子が入ってきて強くなって。
夏香もやる気出して、もしかしたら今までよりも結果を出すかもしれない。
いいな。
結花がバスケ部でスーパープレイヤーだったらよかったのに。
そんなこと、ない。
そんなこと、思っていない。
自分で自分の思考を止める。
亜由実がいなくて、寂しくなっているだけだ。
それだけだ、それだけ。
それなら、寂しいって亜由実に言えば解決か。
言っても、意味ないか。
寂しいって言ったって亜由実は帰ってこない。それなら、バスケの練習をして少しでも全国を目指した方がいい。
寂しいって言ったって亜由実が寂しくなかったら私はどうするのだろう。
親友なら、寂しいときは寂しいって言わない。
お互い頑張っているところを見せて、高め合う。
それが親友だ。
そう思っているのに、どうしようもなく相談してくれなかったことが寂しいと思っている私が変なのだろうか。
夏香みたいにすっとぼけて、明るくいたら普通だろうか。
寂しそうにしないのが強さなのだろうから、そうしなかったのに。
亜由実がいない分、頑張らないと、と思ってキャプテンを引き受けたのにチームの雰囲気を崩した私はなんだ。
結花の前で泣いてしまった私が弱いのか。
それでも、今日のプレーはいいプレーだったと思ってしまった私は薄情なのだろうか。
全然、思考は止められていなかった。
その一つでも誰かに言えたらよかった。
夏香は茶化すし、結花は怖いし、クラスメイトは他にいないし、チームメイトは避けるし、後輩に心配はかけられないし、先生は論外。
亜由実がいたら聞いてくれた。
私が話す前にわかってくれた。
そんな親友が私にはいなくなった。
※
「じゃ、今年からのクラス対抗リレーは第一走者が一人、第二が二人三脚、第三も二人三脚、三人四脚って増えたら、次があのームカデで伝わるか。縦に五人並んで足結ぶんだ。それでアンカーが騎馬戦の形でゴール。伝わったか? それじゃあと実行委員の二人に任せるわ」
先生が黒板に壁画みたいな絵を書いて説明する。
学校は休めない。休んでしまったら部活に行けないから。
親友がいなくたって、バスケはしたい。その気持ちは嘘じゃないから学校には来る。
夏香と結花が黒板の前に立つ。
「結構、お似合いじゃない? 」
「夏香くんがバカすぎるでしょ」
「いや、同じ部活だし、ありでしょ」
この教室じゃなかったら、もっと心地よく来られたのかな。
「それじゃ、体育祭の出る種目きめまーす。部活対抗リレーにでる、俺と晴人と希咲はもう確定で、あと一種目はクラス対抗だよなー」
部活対抗リレーって誰が嬉しくて作られた競技なのだろう。
部活の体育科目の先生が、どっちの部活の方が速いか比べるため、とかだったら嫌だな。
でも、3年生の先輩と最後の思い出でもあるか。
3年生の先輩とまた同じチームっていうのは結構、嬉しいかも。
昨日の夜、体中に寂しさが毒みたいに回ったかなって思ったけど、寝て学校に行きさえすれば意外となんとかなっている。
「タイム的には、俺第一走者かー、でも晴人もわかんなくね」
「はるに、第一走者は無理です。二人三脚、にしてください」
「でもよー、それだと、希咲と組むことになるんだよな」
進学クラスだから、運動部が少ないせいだ。
「いいじゃないですか。はると希咲さんで」
「んー、俺が希咲と組んだ方がよくね」
どっちでも、私は二人三脚が確定か。
夏香と晴人くんが嫌ってわけではないのだけれど、他のクラスの人とかチームメイトとか色々言われるのが嫌だ。
ムカデでも、男女で肩を抱き合っていたら騒ぐような人たちの前で、話題の双子とも、夏香とも出たくない。
亜由実がいたら、って私、また亜由実のこと考えている。
「夏香くん、ジェラシーじゃない、あれ」
「えー、違うんじゃない」
双子で二人三脚すればいいのに。
そうしたら、一番話題になってくれて私が話題にならなくて済む。
「はると希咲さんにしてください、お願いします」
「あー、まあマネちゃんがそこまで言うならいいかー。晴人はそれで大丈夫か? 」
私への確認はないのか。
夏香にイラっとした。
「希咲さんは大丈夫ですよね? 」
夏香ではなく、結花に聞かれる。
「あ、うん」
何も言えない、あの目に覗き込まれたら何も言えなくなる。
「じゃ、きーまーりでいいか」
夏香が何か言いたそうにしている。
晴人くんは何も言わない。
「はい! 」
結花だけが微笑んでいる。クラスは何も言わない。
あーあ、決まっちゃった。これなら夏香と出る方がマシだったかも。
チームメイトにまた何か言われるだろう。できる限り内緒にしたい、私から言うことはない。
自慢とか、匂わせているとか、言われたら溜まったものじゃない。
本当は夏香と出たかったのかとか、勘ぐられるのも嫌だ。
一層のこと、学校を休もうかと思ったけれど、でもこれで休んだら晴人くんを嫌がっているみたいで、結花にも何か思われそうだ。
そっちの方が面倒くさいか。
突っ伏して寝てしまいたい衝動に駆られる。
でも、部活しか頑張っていないやつに見られたくなくて堪える。
教室は明るく、多少の不満を抱えて次へ進む。
「希咲さん、私とはると連絡先交換しましょう」
「あ、うん」
何も言い返せず、私は携帯を取り出す。
「夏香さんとは、メッセージのやりとりしないんですってね。メッセージ苦手なんですか? 」
「いや、そんなことないと思うけど」
夏香と?
会ったら喋るのだから、わざわざメッセージする必要がどこにあるのだろう。
「よかったです。はるはやり取り難しいけれど、希咲さんなら任せられます」
「う、うん」
「あの時の、お礼と思って? 」
背筋がゾクっとする。
「あ、はい」
思わず敬語が出る。
携帯には、どこかの景色のアイコン。
それと設定していないアイコン。
結花『結花です! 宜しくお願い致します』
haruto『姉貴がごめん』
これ以上、私をかき乱さないでくれ。
もう、手一杯だ。
「おい、希咲、大丈夫か? 」
夏香の声が妙に優しい。
「別に、大丈夫だけど」
いつもみたいにしてよ。いつもみたいに、たいしたことのない話をしてよ。
どうして、夏香が引きつった、涙の似合いそうな顔をしているのだろうか。
私には、わからなかった。
わかりたくもなかった。
※
バスケしかない。
後輩との連携の回数は増えている。
それはそれとして、私は自分でも3ポイントシュートを狙うようにしている。
感覚は悪くないけれど、絶対入るとは言えない。
「パス、もっとくれても大丈夫ですよ」
「結構出しているつもりなんだけど」
「亜由実先輩のときは、もっとパスって感じがしてました」
「そう? 」
亜由実よりちょっと遅いから、全体の回数は少なくしているのだ。
亜由実へのパスは、私がパスを出している、というより亜由実が貰いに来るって感じがしていた。
後輩へは、私がパスを出している、という感覚が強い。
「パスは欲しいんですけど、これ結構手に来るんですね」
後輩が手をぶらぶらしながら言う。
亜由実がいるつもりで、いいって言いながら、パスが強いと言ってくるのか。
亜由実なら、何も言わないのに。
後輩がもう少し早く動いてくれたら優しいパスでも間に合うのに。
「亜由実なら取るから」
しまった。絶対に言うつもりがなかったのに言葉が零れた。
亜由実はいないって納得したつもりだったのに。
そんなこと言うつもりはなかったのに。
後輩の顔が見られなくなる。
後輩を亜由実の代わりにするつもりなんてない、はずなのに。
「亜由実先輩、これ取りながらやってたんですね。すごいです。尊敬です、尊敬。私も負けないです」
辞めたくなった。
バスケだけは楽しいままでいてくれるかと思ったのに、自主練習がうまくいかなかったときとは違う気持ちが溢れてくる。
これ以上、新しいだけの気持ちにさせないでくれ。
「ごめん、嘘」
「え」
「そんな強いパス亜由実に出してない」
「え、じゃあなんで」
「その、亜由実より、タイミング遅い」
バスケだけ、バスケだけは好きなままやらせてほしい。
祈りに近いような言葉が勝手に漏れ出していく。
「あ、私が悪かったんですね、タイミングもっと早いんだ」
「ごめん、そう」
「はっはー、そうなんだ。じゃあ私、亜由実先輩みたいにできてないですね」
言わなければよかった。
両肩を掴んでくれた感触は覚えている。
パスを取ると言ってくれた後輩に、言うことが、亜由実より遅い?
私はバスケの神様にでもなったつもりか。
成れてもキャプテンが限界だ、それにすらうまく成れていないのに。
「わかりました。もっと早く動きます」
後輩の声は少し涙ぐんでいた。
「ください。パス」
「ごめん、私。そんなつもりじゃ」
「わかってます。私がなります。亜由実さんに」
後輩が亜由実みたいにできるわけないことは、最初からわかっていた。
わかっていたのに、プレーが一回うまくいったからって期待して。
裏切られたみたいな気持ちになっているのは私より後輩だ。
夏香じゃないのだから、好き勝手なことを言うな、私。
後輩は手をぶらぶらさせることをやめていた。
掌に息を吹きかけている。
私から、顔を隠すみたいに。
「次も、パスください」
「う、うん」
何も言わなければよかった。
何も言わなければ、後輩に機嫌を取らせるような顔をさせないで済んだのに。
私がシュートを打とう。
それでいいじゃないか。
私が全員、倒せばそれでいいじゃないか。
「くっそー、負けた」
夏香が仰向けに倒れていた。
「おい、晴人やばくね」
「とうとう、晴人が勝ち越したな」
「はる、今のよかったよー」
バド部が盛り上がりを見せてくる。
その盛り上がりを見ても、何も思わない。
悔しいも、羨ましいも、何もない。
全部、私が倒せばいい。
私はどうやって亜由実と何度もタッチをしていたのだろう。
後輩を見て、前は手を引っ込めた、という感覚があったのに。
タッチも、必要ない。
私に必要なのは、強さだ。
後輩に無理させない強さだ。
「希咲先輩? 」
「キャプテンって呼んで」
「あ、はい。キャ、キャプテン」
私がキャプテンだ。このチームを勝たせる義務がある。
チームをまとめようだなんて、最初からいらなかったのだ。
勝たせればいい。それだけだ。
後輩と道の先まで帰ろうと思っていたけれど、その時間の分、自主練習をすればいい。
もっとバスケしよう。
きっと亜由実もそうしている。
私はボールの音だけを聞き取るようにした。
私は後輩へ、結花みたいに微笑んだ。
※
私は鍵を借りて、一人で自主練習をしていた。
3ポイントシュートしか練習をしない。けれど、苦手意識は残っている。
「希咲さん? 」
いつかの夏香みたいに、結花が立っていた。
私は動揺を隠すようにシュートを打つ。
ボールはリングにも届かなかった。
「まだ、残ってやるんですね」
「うん。私、キャプテンだから」
「そう、ですか」
私と結花は親友ではない。結花も亜由実の代わりではない。
弱いところはもう見せない。
私はボールを取りにリングの下まで行く。
「そしたら、素人ながらアドバイスさせてください」
私は何も答えない。
ボールを拾って3ポイントラインへ向かう。
「リングを狙うのではなく、ボードを狙ったらどうですか」
「え」
「希咲さんは、角度のないところからの3ポイントシュートが苦手に見えます。でも、ドリブルのテクニックを考えたら必要ないと思います」
必要ない、って亜由実みたいなこと言って。
結花に何がわかるのだ。
「希咲さんに必要なのは綺麗な3ポイントシュートではなくて、ボードに当ててもいいので決めきる得点力ではないでしょうか」
勝ちたい私にとってそれは金言のように見えた。
「試しに、ボードに当てるシュート打ってみてください」
私は手を引かれていく子どものようにシュートフォームに入る。
3ポイントシュートのどこに力を入れて、ボールを飛ばせばいいかわからないのだ。
簡単に飛ばせる、亜由実が羨ましかった。
力の抜けている鮮やかなフォーム。
私は力を抜くのではなく、もっと入れることでボールをボードまで届かせようとする。
放ったボールは回転が甘くて、汚かった。
今の私みたいだ。
そう思ったのに、宙に浮かんだボールは私に答えをくれる。
これ、入るやつだ。
悔しさと憧れと、後輩への気持ちを断ち切るようにボードに強くボールが当たる。
ダンッと、バスケしか聞かない音がする。
そのあと、心地の良いネットを揺らす音がした。
「お見事です」
シュートが入った。
「なんなの、あなた」
私はシュートが入ったのに情けない気持ちに駆られていた。
ボードを狙ったら、私でも3ポイントシュートが決められる。
これまでのバスケ人生を塗り替えるような実感がした。
この瞬間が楽しくて、努力をしているのに。
簡単に成長させられた。
出会ってまだ間もない、声が透き通っているだけの、親友でもなんでもない子に、これまで悩んでいたことを解消させられてしまった。
そのことが受け入れられなくて、私は色々な場所からボードを狙って、シュートを打つ。
これまで嫌だったことを全部、ぶつけるように力一杯。
シュートは外れてくれなかった。
リングも「受け入れるのだ」、と話しているみたいだった。
シュートは試合で使えるレベルに変わった。
「案外、初歩でも意識次第で変わるところありますからね」
前に、夏香に微笑んでいた同じ顔、同じセリフで結花が私を見つめてくる。
「なんなの、あんた! 」
私は望み通り強くなれたのに、悔しかった。
「あんた、なんて。ひどいですね。ただのマネージャーですよ。結花って言います」
また結花の前で泣いてしまいそうだった。
今度は、違う涙で。
「これで私たち、親友になれますよね。希咲さん」
親友。
それは亜由実とのものだ。
亜由実と夏香と三人のものだ。
入ってこないでほしい。
誰なの、あなたには何が見えているの。
3ポイントシュートを打てば、入った。
ボードの小さい四角が口みたいに全部を吸い込んで得点に変わる。
弧を描きながら、ボードで屈折しいてリングを通り抜けるボール。
これまでのフォームは頭の中のおぼろげな亜由実のフォームをなぞっているだけだった。
亜由実になろうとしてもなれない。
私は私だ。
気持ちとしては嫌なのに、体が震えていた。
プレイヤーとしての喜びが震えていた。
「あなたとは、親友じゃない。まだ、親友じゃない」
「あら、残念。私はもう、親友だと思っていますのに」
認めてしまった方が楽だろうな。
ここで、微笑みながら「ありがとう」と言えたなら結花と親友になれるかもしれない。
それでも、その場所は亜由実のものだった。
亜由実への思いがなくなってしまいそうだった。
今が白で、思い出が黒に振り分けられてしまう。
反抗をする。
なんでもわかってしまう結花への、それと一瞬だけ、亜由実との思い出を捨ててもよいと思ってしまった、私への。
「お礼は、はる、との二人三脚がうまくいくことでいいですよ。そんなに怖い顔しないでください。可愛くて仕方ないって思っちゃうじゃないですか」
結花は両手で綺麗な鼻筋に沿うように、口元を隠した。
笑っている。
結花が笑っていることが変だって頭で理解しているのに、同じような顔で私も笑っていた。
亜由実のことを忘れそうになる。
これは親友なんて温かいものじゃない。
それだけがわかった。
お互いの静かな笑い声が、共鳴する。
リングに沈んだボールは弾むことをやめていた。
私は亜由実がいなくなったことを認められていないだけだったことが証明されてしまった。
教室に入るのが恥ずかしい、なんて、私が転校してきたみたいじゃないか。
「ちょっと、どいて、ほしいん、だけど」
後ろから脳天までじっくりと反響するような声。落ち着くような、落ち着かないような。
「あ、ごめん」
「浅葱、さん、だよね」
「あ、うん」
夏香よりも、もっとすらっとしている。鼻筋が通っている。
「昨日は、ごめん」
「え? 」
昨日?
なんだ? 私が泣いたことか?
「夏香と、笑っ、ちゃった」
夏香と。何の話だ。
「え、なんのこと? 」
「練習、はじまる、前」
練習始まる前、ああ。夏香と晴人くんが肩を組みながら笑っていた時のことか。
「あ、大丈夫だよ。大丈夫」
晴人くんは律儀なのか。
兄弟そろって、できた二人だな。
「あと、姉貴」
「ん? 」
あ、今度こそ泣いたときの話だ。心臓が少し飛び跳ねた。
「悪気、ないんだ。あれ。昔から、そうで」
「ああ、私の方こそ、泣いちゃって、わけわかんなくて、申し訳ないよ。って晴人くんに言ったって仕方ないよね」
止めどなく言葉を吐き出す。
晴人くんにも知られていたのか、恥ずかしい。
「姉貴、可愛いもの、に目がないんだ」
可愛いもの、ってなんのことだろう。
「俺も、そう」
晴人くんは自分を指さしながらそう言う。
「え、晴人くんが可愛いものが好きってこと? 」
「違う」
「え、どういうこと」
「姉貴は、浅葱、さんのこと、気にってる」
「あ、そうなんだ」
「姉貴は、可愛いもの、好き」
これ、もしかして私のことを可愛いって言っている?
体の芯が何かに焼き焦がされるような恥ずかしさを覚える。
「え、俺もそうって? 」
もしかして、晴人くんも私のことを可愛いとか、思っているのだろうか。
「俺も、そう。姉貴、俺の、こと好き」
「あ、そうなんだ」
びっくりした。
転校生にいきなり告白される展開かと思った。
盛大な勘違いをした。
別の恥ずかしさが体を駆け巡る。
「おーい、晴人ー。希咲ー」
夏香だ。私は聞き慣れた声の方へ顔を向ける。
「おはよっぴー。どうもどうも」
「あ、おはよう」
晴人くんが黙った。
「二人でなにしてんだ、遅刻するぞー」
「あんたが言えたことじゃないでしょ」
私は教室の扉に手をかけて安心する。
恥ずかしさはどこかへ行ってくれたようだ。
踏み出せなかった一歩が簡単に踏み出せたから、教室に入る。
「あら、はる、と皆さんで、おはようございます」
私の隣の席には結花ちゃんが一時間目の準備を済ませて座っている。
「え、三人だよ。三角関係かな」
「はやくない、もう? 」
「それ言うなら四角でしょ」
「確かにー」
結花ちゃんの、おはよう、の声とは別に何か聞こえてきた。
「おはよう」
私は結花ちゃんにだけ挨拶し返す。
「おはよっぴー、マネちゃん」
もう完全に晴人くんは黙っていた。
「こら、はる。ちゃんと挨拶したの? 」
晴人くんは無視して自分の席に着く。
「お二人とも、はるがごめんなさい」
「お、晴人なんにもしてねーぞ、な。希咲」
「う、うん」
「そうでしたか。それならよかったです」
結花ちゃんには、昨日のことを謝らないと。でも、夏香に説明するのは嫌だから後にしよう。
これは言い訳じゃない、戦略だ。
夏香が他のクラスメイトに、「おはよっろぷ」とか、「おはよっぷ」だとか、聞いたことのない挨拶しに行った。
私は、私で自分の席に着く。
結花ちゃんの隣の席に着く。
今か、今だ。
「あの、如月さん」
「はい? なんですか、希咲さん」
「あの、昨日はごめん」
「昨日、何かありましたっけ」
「え、あの、いきなり」
「ああ、昨日ですね。いいんですよ」
結花ちゃんは私に説明させず、話を汲み取ってくれた。
「ああいうときはお互い様です」
「あ、ありがと」
「ところで」
昨日は涙で見えていなかったけれど、この子、目まで透き通っているんだな、と思った。
「如月さん、はどうかと思いますよ」
「あ、え? 」
「せっかく親友になれそうなのに、それじゃ、はるとどっちがどっちかわからないじゃないですか」
親友、言葉が引っかかる。
どこに引っかかったのかはわからない。
「結花と呼んでください。はるのことは、晴人、と」
「あ、うん。ごめん」
「謝らないでください、結花ですよ。結花」
「あ、わかった結花」
「どういたしまして。希咲さん」
私は隣の席が亜由実の席だったことを思い出す。
『あゆみだよ。あゆみ、あ、ゆ、み』
恥ずかしがり屋の私の扉を叩くのは、似ても似つかない二人だった。
※
AYUAYU『なんか、あった? 』
亜由実から、メッセージが届いていた。珍しい。
メッセージを送るのはいつも私からなのに。
『え、どうして笑』
なんでもないように応える。
『なんか、叫んでたんだって? 』
『夏香に聞いたの? 』
『聞いたっていうか、わざわざメッセしてきた』
夏香め。勝手なことをする。
『ちょっとね』
『ちょっと、何? 』
目と目を合わせてくる亜由実が思い浮かんだ。
『うまくいかなくてさ』
嘘はついていない。でも、真実というわけではない。
『プレー? チーム? 』
『プレー』
即答する。
『そうなんだ。どの辺? 』
『3ポイント』
嘘ではない。
『え、3ポイント練習してるの? 』
『してる』
『しなくて、いいのに』
無責任な。チームは得点源を失ったっていうのに。
『できるに越したことはないでしょ』
『まあ、そっか。私は最近、3ポイント成功率上がってきたよ』
『ほんと? 』
『うん、ノーマークだったら10回打って9は入るよ』
『すご』
『でしょ。私は3ポイントしかないからね』
『そんなことないよ』
そこから亜由実の返信はなかった。
フォームのコツでも、動画でも、何か送ってもらえばよかった。
でも、どうせ感覚派なんだよな、亜由実って。
とりあえず、夏香とは後で話すことがある。
「あの、希咲さん? 」
「あ、何? 」
私は素早く携帯をしまう。
まるで隠さないといけないことがあるみたいに。
「先生がおっしゃっていたんですが、私、あゆみ? さんの代わりに体育委員になるみたいです」
「あ、そうなんだ」
「希咲さんも、体育委員なんですよね」
「そう、そうだよ」
「よかったー。お隣の席の方と同じ委員会になるなんて運命みたいですね」
また、何か引っかかる。
何かはわからない。
「あー、そうかもね」
「はるも一緒にできたらよかったんですけど」
「男子は夏香と、誰、だったかな」
「あら、夏香さんも同じなんですね。うれしいです」
太陽を見続けることってできない。瞬きをしないといけない。
私は瞬きのように、少し結花から目を反らす。
「体育祭、一緒に頑張りましょうね」
体育祭はみんなで頑張るものだ。そう感じながら「そうだね」と呟いてみた。
「また、頭なでなでしましょうか」
「は? 」
「ふふ、嘘ですよ。また消えたいみたいな眼をしていたので」
嘘の笑顔だと思った。
「してないよー」
「可愛いですね、希咲さんって」
「そ、そう」
「はい。とっても」
反らした目が強い引力によって戻される。
目を合わせないといけなくなる。
「かわいい」
私は唾を飲み込んだ。
※
担任の先生に呼び出されたら、部活に少し遅れていく。
これは呼び出しだから仕方ない。
キャプテンだって、生徒の時間があってもいいだろう。
職員室に入ると、独特の匂いがした。湿気っぽい、薄暗さのある匂い。
「お、来たな浅葱」
「はい」
「部活あるのに悪いな」
「いや、大丈夫です」
ちょっと部活に行き辛かったのも事実だ。
「体育祭のことなんだが、実行委員会を一ノ瀬と如月姉にしようと思ってるんだ」
夏香と結花? どうして?
「はい? 」
「体育委員の中から実行委員、選ぶのは、浅葱も知ってるよな」
「はい」
「それで、本当は浅葱にお願いしたいところなんだけれど」
「はい」
「浅葱、キャプテンになったんだってな」
「はい、そうです」
佐藤先生が担任に話したのか。
「キャプテンと、実行委員を一緒にやるのはちょっと浅葱に負担かけすぎな気がしてな」
「はい」
私の声のトーンが下がる。
別に実行委員をやりたかったわけではない。
「一ノ瀬に聞いたらな、自分はやるっていうんだ」
夏香が? あの面倒くさがりがなんで。
「それと、如月兄弟もクラスに馴染んでほしいと思ってな」
「はい」
そんなことしなくたって勝手に、晴人くんはまだしも、結花は馴染むだろうに。
「もし如月姉が困っていたら助けてやってくれ」
「はい、わかりました」
「一ノ瀬が浅葱を外してほしいってな。二人で喧嘩でもしたのか」
「え? 」
「小田がいなくなって一緒にいるところ見なくなってちょっと心配でな」
「あ、はい、いや」
「なにかあるなら先生に相談するんだぞ」
たくさんの先生がこのセリフを私に言ってきた。先生の免許を取るときに一緒に語録も学ぶのだろうか。
「あ、はい」
そんなこと言えるわけもなく、返事をした。
「じゃ、話は以上だ」
「ありがとうございました」
夏香と結花。相性いいだろうな。
部活も同じだし、仲良くなって行くのだろうな。
部活に、行こう。
私にできることは何もない。結花に心配はいらないから。
職員室の薄暗さが自分に移ってきたみたいだ。
同じことを考えて、頭がぐるぐるしそうだったので速足で部活に向かう。
部活は部活で嫌だけど、考えて嫌になる方が嫌だ。
嫌になる方が嫌だってなんだ。
なんだ。なんだ。
たかが、体育祭の実行委員じゃないか。
なんだ。
ボールに触りたい。早く。
※
部活には行きたくないのに、体がボールを求めているから体育館には来てしまった。
今日のバド部は異様に見えた。
夏香が静かだった。
静かというか、目が違った。あの目を私は知っている。
真剣な目だ。
夏香とは長い付き合いだけれど、真剣にやっている瞬間なんて初めてみた。
ネットを挟んで向こう側にいるのは、晴人くん。
普段を知らないから、何にも言えないけど教室にいるときより大きく見える。
「何打っても取られるな」
ふざけてない夏香の声。
冷静で、分析している声。
初めて聞いた。
「夏香さん、ちょっと無理やりが多くなってますよ。はるも剥きにならないで! 」
応援というより、指導だ。
結花の声は、体育館でもよく反響する。体育館、丸ごと全部、包んでしまうような。
私も包んでほしいと思ってしまうような。
「いやー、如月双子やばすぎるよな」
「勘弁してほしいわ、弟、夏香より強いんじゃね」
「今のところ、夏香が勝ち越してるけどな」
「姉も、マネージャーってか、もう指導者だろ、あれ」
「俺も、アドバイスもらったぞ」
「全員にやってるんだよ、あれ。やばくね」
「夏香ももっと強くなるぞ」
「だらだらしてるのがいいところだと思ってたのにな」
「な」
私はなんで、バド部のひそひそ話に耳を澄ませているのだろう。
私は、私で集中しないといけないのに。
何か、何かすごく嫌だ。
「おっしゃー! 勝ち! 」
夏香の普段通りの声がした。
私はほっと、胸をなでおろす。
「夏香さん、最後マグレでしょ! 練習になってません」
「なんだよ、マネちゃん。本番もやるって」
「そういうことじゃありません」
「はあ」
盛り上がる二人を横目に、晴人くんがため息をついていた。
悔しい、のかな。
「晴人もっかいやろうぜ、上がってきてんだよ、なんか」
「ちょっと、休む」
「なんだよー、連れないな」
私の知っている夏香だ。
うざくて、軽くて、夏香だ。
「あの、キャプテン? 」
「あ、なに」
「集中してます? 」
「あ、し、してるよ」
「集中してる人は、してるって言いませんよ」
「あ、ごめん」
キャプテンになったのに、後輩に怒られる。自主練の前も怒られたな。
「亜由実先輩いなくなってから、おかしいですよ」
「え」
心臓が跳ねる。ボールよりも高く。
「今も」
「そ、そんなことないでしょ」
試合でミスを取り戻す、癖のボールハンドリングみたいに早くなる鼓動を押さえつける。
「キャプテンになって追い込まれているかもしれないですけど、練習中こんなに集中してないのは変ですよ」
「してるよ! 」と頭の中で叫んだ。
危ない、まだ叫んでない。今度は違う。
「集中してないみたいに見えたらごめん。一生懸命やる」
後輩に宣言するようなことか。自分の語彙が少ないことが悔しくなった。
「いや、一生懸命とか、そういうことじゃなくて」
「私がやるって」
「いや、だから。変ですって。キャプテン、希咲先輩そんなこと、言う人じゃなかったですよ」
後輩に何がわかるのだ。
「変じゃないよ、キャプテンなんだから」
「希咲先輩」
どうしてか、消え入りそうな声で後輩が私の名前を呼ぶ。もっと頼ってほしいだけなのに、頼られる先輩でいたいだけなのに。
そんな頼りない人を見るみたいな目で私を見るのだろうか。
「よし! 今のいいだろ、マネちゃん! 」
気が付けば、夏香は晴人くんとまた打ち合っていた。
「今のです。今の感覚ですよ。はるは間に合わないと思っても諦めない! 」
晴人くんは返事をしない。
「いい感覚。いい感覚」
夏香が不敵に笑っていた。
夏香はよく笑う。よく笑うけど、そんな笑顔、見たことない。
「もうちょっとひじだよな、マネちゃん」
「そうですね。ちょっと疲れてきて下がってますね」
「今まで詰まってたのはここか」
「案外、初歩でも意識次第で変わるところありますからね」
「今、俺、俺史上、一番強い気がしてきたなー」
気まぐれだ。きっといつもの気まぐれだ。
「ほら、希咲先輩、バド部ばっかり見てる」
後輩の言葉で、ハッとする。
「ご、ごめん」
「気になりますよね。バド部、そりゃ、幼馴染だから嫌ですよね」
「え、いや、そんなんじゃなくて」
幼馴染だから、夏香を見ていたわけではない。
「でも、今バスケ中ですよ。練習中ですよ」
「そうだよね、ごめん」
何に賛同しているのだろう。
夏香がひじの上がった、綺麗な空中姿勢を見せる。
ぐちゃぐちゃだった、フォームが綺麗になっていく。
「よし、いい感覚」
夏香の声が小さくなったからだろう、夏香の声が遠くに聞こえる。
「だから! 希咲先輩ってば! 」
肩を両手で掴まれる。
「あ、ごめん、なんだっけ」
両肩を掴まれて、頭が真っ白になって、適当に返事してしまった。
「いいですか、バド部が気になるのはわかります。亜由実先輩がいなくなって、不安なのもわかります。それなら、私を見てください。私にパスください」
「え? 」
「亜由実先輩みたいにはできないかもしれないけど、私が先輩のパス取ります」
「あ、そう」
腑抜けた声だ。
「この前、亜由実先輩がいなくなって、希咲先輩がキャプテンになって初めての練習で、亜由実先輩にパス出してましたよね」
「ど、どのパスのこと? 」
本当は自分が一番わかっている。亜由実の声が聞こえた気になって誰もいないところに出したあのパスのことだ。
「わかってないわけないですよね。でも、わかってないならいいです。私が取るんで、亜由実先輩がいるつもりでパスくれていいです」
亜由実がいるつもりでパスを出す? 何言っているのだ、この後輩は。
亜由実は、もう、いないのだから。
「あのパス、めっちゃ悔しかったんです」
パスが、悔しい?
悔しかったのは私だ。
「あの連携、できる人がチームにいたらもっとチームは強くなれるのに」
できるわけない。あれは、亜由実と私だからできるのだ。
「いいですか、私取りますから。パスください」
「え、あ、うん」
「い! い! で! す! か!」
肩を揺らされる。考えがまとまらなくなる。
「わかりましたね。私だけ、見ててください」
そういうと後輩は手を離して、今後は私に指をさしてきた。
「私、パス、取る。わかりましたね! 」
完全に後輩に気圧されてしまっていた。
亜由実がいるつもりでプレーする。本当にそんなことできるのだろうか。
そんなこと、していいのだろうか。
私は、緩んでいないのに靴紐を縛り直す。
もう何足目のシューズが忘れてしまった。けれど、大切にしていないわけではない。
シャツもそう、パンツもそう。この時間もそう。
結び直した蝶々結びは完璧に見えた。これまでも数回あった感覚がした。
夏香の言葉を借りるなら、「上がってきている」感覚。
視界の端で夏香が一生懸命になっているけれど、とりあえずいい。
体育祭の実行委員も、双子も、一旦いい。
無謀な後輩にパスくれてやると思った。
練習が再開する。
私は、ボールを貰って周りを見渡す。後輩はまだ動いていない。
亜由実ならもう動いているよ。
私はディフェンスを目の前に、3ポイントシュートをちらつかせる。
チームメイトだから、当然、私に3ポイントシュートがないことはバレている。
それでも、練習しているからかフォームがちょっとだけ本物みたいになっているみたいだ。
ディフェンスが私のフェイントに引っかかる。
引っかかったという感触がする。
私はすかさず、切り込んでいく。
ディフェンスを抜いたら、得意のミドルの選択が出てくる。
私のミドルがあるから、別のディフェンスがカバーに来る。
ここ。
この瞬間、亜由実なら3ポイントラインに沿うように待っている。
「希咲先輩! ください! 」
来た。本当に来た。
ちょっと遅いし、ディフェンスについてこられているけど、まだ亜由実が脳裏にチラつくけれど、私たちのパターンに後輩が付いてきた。
私はパスを出す。
ちょっと遅いから、強めの早いパス。
八つ当たりみたいなところもあるのかも。
でも、取るって言ったよね。
私のパスに後輩は反応する。
思ったより強かったみたいで、びっくりした顔していたけれど、ディフェンスを抜いて、ミドルシュートをした。
あ、3ポイントじゃないんだ。
私のふわふわした言葉と同じようにボールが宙に舞う。
これ、入るやつだ。
私はリバウンドの形を取りながら、もうリバウンドするつもりをなくしている。
それくらい見事なフォームだった。
ボールはリングに吸い込まれる。
最初からそうなることが決まっていたみたいに。
「やった、できた! 」
後輩がガッツポーズをする。
プレーに入るの遅いのに、ガッツポーズは早いのかよ。
勝ってもいないし、たった2点だよ。
私と後輩はすぐディフェンスに走り始める。
「ほら、できたじゃないですか」
満面の笑みで後輩が私を見てくる。
「もっと早く入れるけどね」
「なんですか、言い方ひどっ」
「3点じゃないし」
「ええ? 後輩に言うことですか、それ」
「でも、ナイスシュート」
「でしょー、練習したんです」
自主練習は私しかしてなかったのに、いつ練習したのだろう。
チームに足りていなかった積極性を見た気がする。
亜由実、ごめん。
頭に、そんな言葉が浮かんだ。
でも、いいシュートだったな。
夏香のことも、双子も、体育祭の実行委員も、忘れていた。
シュートが入った、心地の良い音が全部、忘れさせてくれた。
キャプテンはまだ、嫌だけど、やっぱり私はバスケが好きだ。
チームの雰囲気が2点分だけ、よくなった気がした。
けれど、後輩とタッチはしない。
この連携は、亜由実と私のものだから。
まだ、しない。
タッチしてしまいそうになった手はしまうことにした。
※
今日は、バスケがいい感触だったから早く帰ろうと思ったのに、どうしてこうなった。
私と夏香と結花と晴人くん、どうしてか一緒に帰ることになった。
後輩とは家の方向が違うから一緒に帰れないのは仕方ないけど、この四人で帰る必要はないだろう。
夏香だけだったら、一緒に帰ること断れるのに双子のいる前でそんなことはできない。
「希咲、今日、俺ー、調子よかったんだよ」
知らないよ。調子いいのなんていつものことじゃん。
「あっ、そう」
双子が来てから調子よくなっているのがわかるけれど、私は興味のないフリをする。
「信じてないだろー、な、晴人」
「まあ」
あ、答えるんだ。
「夏香さんと希咲さんとご一緒できるなんで、私すごく嬉しいです」
私と夏香の間に結花が入り込んでくる。
「マネちゃんがこういうからさ。悪いな希咲」
「なんで、あんたが謝るの、私がいやいや付き合ってるみたいじゃない」
「え、お二人お付き合いはされてないんですよね」
「あ、え。してないよ」
結花が私を覗き込んでくる。
どういう文脈で私と夏香が付き合っている話になったのだ。
嫌だ、嫌だ、やめてほしい。
「よかったです。お二人で帰られるところにお邪魔したら、あれかなっと思って」
結果的には同じじゃないだろうか。
私が早く帰ろうとして、夏香が追い付いてきたら、私は断るけど、家近いし。
どうせ、一緒に帰っちゃうし。
そこに結花たちが付いてきているんだから、私と夏香がどういう関係でも同じことじゃないのか。
「あー、うん。まあ楽しく帰れるなら、それでいいか」
夏香が言葉を濁した。
珍しい。
双子が来てから、見たことない夏香ばっかり目につく。
というか、夏香に言いたいことあるんだった。
「ちょっと、あんた。亜由実になんか言った? 」
「あゆみ? あ、ああ。ちょっとな」
夏香がそっぽを向く。
亜由実と三人で帰っているときは私と亜由実から目を反らしたことなんてないのに。どうして目を反らす。
「あ、あと先生にもなんか。言ったでしょ」
おい、こっちを向け、夏香。
結花が間にいて、夏香のことが良く見えない。
「言ったかなー。覚えてねーな」
「覚えてないってあんた、そんなわけないでしょ」
「いやー、部活集中しすぎてそれしか頭にないなー」
「私、実行委員外されてんだけど? 」
私は誰にも相談していないのに、亜由実が声をかけてきた。
先生も声をかけてきた。
夏香がなんかしているのだ。
勝手なことをするな。
「ちょっと、お二人だけで話するのは辞めてください」
結花が私に顔を近づけてきた。
顔、近い。
あ、まつ毛いい角度。
ふわりと、名前はわからないけど、漠然と花みたいな良い香りがした。夏香への怒りがどうでもよくなってしまうような。
「あー、そんなことよりさ」
「どうしました? 」
結花が次は夏香を覗き込む。
夏香は目を合わせない。
そのことにちょっとほっとした。
ほっとした?
どういう意味だ?
なんか、嫌だ。
三人で帰っていた道を四人で歩くの。
亜由実がいなくてもいいみたいじゃないか。
結花がいたら、夏香も調子がいいじゃないか。
私も、そう思ってしまっているじゃないか。
思ってない。
まだ、思っていない。
私はまだ落ち込んでいる。
日が落ちていく。
夏香が、部首の「しんにょう」と、素早く書いたひらがなの「え」が見分けつかないっていう話を始めた。
どうでもいい。
私は、亜由実のこと、先生のこと、話してほしいのに。
軽い話とノリで躱されてしまう。
どうでもいい話なのに、結花は「うんうん」と心地の良い相槌を打っていた。
相槌の良いリズムで夏香が少し早口になる。
それに対応して夏香の顔が赤くなる。
いや、夕暮れのせいだろう。
一生懸命喋っているだけだ、意味なんてない。
そうやって、私と亜由実の前でも喋っていたくせに。
話を聞いてくれるなら夏香は誰でもいいのか。
亜由実じゃなくてもいいのか。
それは、私も、結花が話聞いてくれたら、優しい声で頭を撫でてくれたら、それでいいのだろうか。
口に出せない感情が加速する。
私は一人で加速して、夏香は結花と加速している。
すごく、嫌だ。
嫌だと思っている自分が嫌だ。
夜になる前に早く帰りたい。夜になってしまったら、自分を見失ってしまう気がしたから。
星が照らしてくれたって、見つけられない。
太陽じゃないと手元が見えない。
そう思っていっていても、月は見つけてくれてしまうかもしれない。
日中でいたいのに、夜行性に目覚めていくみたいに、初めて月を見つけるときのように。
結花の光は、太陽と見紛うほどの、月光に見えた。
この陰ってなんだ。
亜由実だったらわかってくれる。
亜由実だったら、きっとわかってくれる。
亜由実だったら、いや、亜由実がいないからこうなっているんじゃないか。
亜由実が転校さえしなかったら、私はこんな気持ちにならなくてもよかったのではないか。
キャプテンだってしなくて済んだのではないか。
亜由実がキャプテンをやって私がアシストして、それかキャプテンやってもいいけど亜由実が支えてくれて。
そうやって、もっと深くバスケできていたのに、どうして。
なんの相談もしないで、転校してしまったのだろうか。
本当に、親友なら一言、相談があってもよかったんじゃないか。
「数学のさ、答えには、線ひかないといけないのって、謎、だよなー」
夏香がまだどうでもいい話をしている。
「確かに、思ったことありませんでした」
結花がまた頷いている。
晴人くんは一人下を向いている。
こんな帰り道、嫌だ。
こんな帰り道にしたのは、亜由実なんじゃないか。
親友って言ったじゃないか。
今日はバスケがうまくいったのに、帰り道で台無しだ。
方向が違っていても道の先まで後輩と帰ればよかった。
明日はそうしよう。
それで解決だろう。
夜が始まる。
※
亜由実のメッセージを開く。
『どうして私に相談しないで転校したの? 』と打ち込んでみて消す。
送れるわけが、ない。言えるわけがない。
何を今更になってと思われるかもしれないし、なんと答えてもらったら私は楽になるのだろうか。
一人になって、ベッドに入って冷静になる。
言えなかった理由を考える。
簡単だ、私にとって亜由実が親友だからだ、だったからだ。
親友なら、急な転校だって笑顔で送り出す。親友だから、相談がなくたって納得する。
親友だったから、全国大会で会おうって本気にする。
でも、3年生が引退して、亜由実もいなくなったチームで全国に行けるわけがないことは私が一番よくわかっている。
わかっているのだ。
それでも全国大会は本気のフリをしないといけない。
本気でやっているフリは続けないといけない。
私たちのこれまでの練習や、これまでの道のりが急に馬鹿馬鹿しいものになってしまいそうだから。
バド部はいいな、双子が入ってきて強くなって。
夏香もやる気出して、もしかしたら今までよりも結果を出すかもしれない。
いいな。
結花がバスケ部でスーパープレイヤーだったらよかったのに。
そんなこと、ない。
そんなこと、思っていない。
自分で自分の思考を止める。
亜由実がいなくて、寂しくなっているだけだ。
それだけだ、それだけ。
それなら、寂しいって亜由実に言えば解決か。
言っても、意味ないか。
寂しいって言ったって亜由実は帰ってこない。それなら、バスケの練習をして少しでも全国を目指した方がいい。
寂しいって言ったって亜由実が寂しくなかったら私はどうするのだろう。
親友なら、寂しいときは寂しいって言わない。
お互い頑張っているところを見せて、高め合う。
それが親友だ。
そう思っているのに、どうしようもなく相談してくれなかったことが寂しいと思っている私が変なのだろうか。
夏香みたいにすっとぼけて、明るくいたら普通だろうか。
寂しそうにしないのが強さなのだろうから、そうしなかったのに。
亜由実がいない分、頑張らないと、と思ってキャプテンを引き受けたのにチームの雰囲気を崩した私はなんだ。
結花の前で泣いてしまった私が弱いのか。
それでも、今日のプレーはいいプレーだったと思ってしまった私は薄情なのだろうか。
全然、思考は止められていなかった。
その一つでも誰かに言えたらよかった。
夏香は茶化すし、結花は怖いし、クラスメイトは他にいないし、チームメイトは避けるし、後輩に心配はかけられないし、先生は論外。
亜由実がいたら聞いてくれた。
私が話す前にわかってくれた。
そんな親友が私にはいなくなった。
※
「じゃ、今年からのクラス対抗リレーは第一走者が一人、第二が二人三脚、第三も二人三脚、三人四脚って増えたら、次があのームカデで伝わるか。縦に五人並んで足結ぶんだ。それでアンカーが騎馬戦の形でゴール。伝わったか? それじゃあと実行委員の二人に任せるわ」
先生が黒板に壁画みたいな絵を書いて説明する。
学校は休めない。休んでしまったら部活に行けないから。
親友がいなくたって、バスケはしたい。その気持ちは嘘じゃないから学校には来る。
夏香と結花が黒板の前に立つ。
「結構、お似合いじゃない? 」
「夏香くんがバカすぎるでしょ」
「いや、同じ部活だし、ありでしょ」
この教室じゃなかったら、もっと心地よく来られたのかな。
「それじゃ、体育祭の出る種目きめまーす。部活対抗リレーにでる、俺と晴人と希咲はもう確定で、あと一種目はクラス対抗だよなー」
部活対抗リレーって誰が嬉しくて作られた競技なのだろう。
部活の体育科目の先生が、どっちの部活の方が速いか比べるため、とかだったら嫌だな。
でも、3年生の先輩と最後の思い出でもあるか。
3年生の先輩とまた同じチームっていうのは結構、嬉しいかも。
昨日の夜、体中に寂しさが毒みたいに回ったかなって思ったけど、寝て学校に行きさえすれば意外となんとかなっている。
「タイム的には、俺第一走者かー、でも晴人もわかんなくね」
「はるに、第一走者は無理です。二人三脚、にしてください」
「でもよー、それだと、希咲と組むことになるんだよな」
進学クラスだから、運動部が少ないせいだ。
「いいじゃないですか。はると希咲さんで」
「んー、俺が希咲と組んだ方がよくね」
どっちでも、私は二人三脚が確定か。
夏香と晴人くんが嫌ってわけではないのだけれど、他のクラスの人とかチームメイトとか色々言われるのが嫌だ。
ムカデでも、男女で肩を抱き合っていたら騒ぐような人たちの前で、話題の双子とも、夏香とも出たくない。
亜由実がいたら、って私、また亜由実のこと考えている。
「夏香くん、ジェラシーじゃない、あれ」
「えー、違うんじゃない」
双子で二人三脚すればいいのに。
そうしたら、一番話題になってくれて私が話題にならなくて済む。
「はると希咲さんにしてください、お願いします」
「あー、まあマネちゃんがそこまで言うならいいかー。晴人はそれで大丈夫か? 」
私への確認はないのか。
夏香にイラっとした。
「希咲さんは大丈夫ですよね? 」
夏香ではなく、結花に聞かれる。
「あ、うん」
何も言えない、あの目に覗き込まれたら何も言えなくなる。
「じゃ、きーまーりでいいか」
夏香が何か言いたそうにしている。
晴人くんは何も言わない。
「はい! 」
結花だけが微笑んでいる。クラスは何も言わない。
あーあ、決まっちゃった。これなら夏香と出る方がマシだったかも。
チームメイトにまた何か言われるだろう。できる限り内緒にしたい、私から言うことはない。
自慢とか、匂わせているとか、言われたら溜まったものじゃない。
本当は夏香と出たかったのかとか、勘ぐられるのも嫌だ。
一層のこと、学校を休もうかと思ったけれど、でもこれで休んだら晴人くんを嫌がっているみたいで、結花にも何か思われそうだ。
そっちの方が面倒くさいか。
突っ伏して寝てしまいたい衝動に駆られる。
でも、部活しか頑張っていないやつに見られたくなくて堪える。
教室は明るく、多少の不満を抱えて次へ進む。
「希咲さん、私とはると連絡先交換しましょう」
「あ、うん」
何も言い返せず、私は携帯を取り出す。
「夏香さんとは、メッセージのやりとりしないんですってね。メッセージ苦手なんですか? 」
「いや、そんなことないと思うけど」
夏香と?
会ったら喋るのだから、わざわざメッセージする必要がどこにあるのだろう。
「よかったです。はるはやり取り難しいけれど、希咲さんなら任せられます」
「う、うん」
「あの時の、お礼と思って? 」
背筋がゾクっとする。
「あ、はい」
思わず敬語が出る。
携帯には、どこかの景色のアイコン。
それと設定していないアイコン。
結花『結花です! 宜しくお願い致します』
haruto『姉貴がごめん』
これ以上、私をかき乱さないでくれ。
もう、手一杯だ。
「おい、希咲、大丈夫か? 」
夏香の声が妙に優しい。
「別に、大丈夫だけど」
いつもみたいにしてよ。いつもみたいに、たいしたことのない話をしてよ。
どうして、夏香が引きつった、涙の似合いそうな顔をしているのだろうか。
私には、わからなかった。
わかりたくもなかった。
※
バスケしかない。
後輩との連携の回数は増えている。
それはそれとして、私は自分でも3ポイントシュートを狙うようにしている。
感覚は悪くないけれど、絶対入るとは言えない。
「パス、もっとくれても大丈夫ですよ」
「結構出しているつもりなんだけど」
「亜由実先輩のときは、もっとパスって感じがしてました」
「そう? 」
亜由実よりちょっと遅いから、全体の回数は少なくしているのだ。
亜由実へのパスは、私がパスを出している、というより亜由実が貰いに来るって感じがしていた。
後輩へは、私がパスを出している、という感覚が強い。
「パスは欲しいんですけど、これ結構手に来るんですね」
後輩が手をぶらぶらしながら言う。
亜由実がいるつもりで、いいって言いながら、パスが強いと言ってくるのか。
亜由実なら、何も言わないのに。
後輩がもう少し早く動いてくれたら優しいパスでも間に合うのに。
「亜由実なら取るから」
しまった。絶対に言うつもりがなかったのに言葉が零れた。
亜由実はいないって納得したつもりだったのに。
そんなこと言うつもりはなかったのに。
後輩の顔が見られなくなる。
後輩を亜由実の代わりにするつもりなんてない、はずなのに。
「亜由実先輩、これ取りながらやってたんですね。すごいです。尊敬です、尊敬。私も負けないです」
辞めたくなった。
バスケだけは楽しいままでいてくれるかと思ったのに、自主練習がうまくいかなかったときとは違う気持ちが溢れてくる。
これ以上、新しいだけの気持ちにさせないでくれ。
「ごめん、嘘」
「え」
「そんな強いパス亜由実に出してない」
「え、じゃあなんで」
「その、亜由実より、タイミング遅い」
バスケだけ、バスケだけは好きなままやらせてほしい。
祈りに近いような言葉が勝手に漏れ出していく。
「あ、私が悪かったんですね、タイミングもっと早いんだ」
「ごめん、そう」
「はっはー、そうなんだ。じゃあ私、亜由実先輩みたいにできてないですね」
言わなければよかった。
両肩を掴んでくれた感触は覚えている。
パスを取ると言ってくれた後輩に、言うことが、亜由実より遅い?
私はバスケの神様にでもなったつもりか。
成れてもキャプテンが限界だ、それにすらうまく成れていないのに。
「わかりました。もっと早く動きます」
後輩の声は少し涙ぐんでいた。
「ください。パス」
「ごめん、私。そんなつもりじゃ」
「わかってます。私がなります。亜由実さんに」
後輩が亜由実みたいにできるわけないことは、最初からわかっていた。
わかっていたのに、プレーが一回うまくいったからって期待して。
裏切られたみたいな気持ちになっているのは私より後輩だ。
夏香じゃないのだから、好き勝手なことを言うな、私。
後輩は手をぶらぶらさせることをやめていた。
掌に息を吹きかけている。
私から、顔を隠すみたいに。
「次も、パスください」
「う、うん」
何も言わなければよかった。
何も言わなければ、後輩に機嫌を取らせるような顔をさせないで済んだのに。
私がシュートを打とう。
それでいいじゃないか。
私が全員、倒せばそれでいいじゃないか。
「くっそー、負けた」
夏香が仰向けに倒れていた。
「おい、晴人やばくね」
「とうとう、晴人が勝ち越したな」
「はる、今のよかったよー」
バド部が盛り上がりを見せてくる。
その盛り上がりを見ても、何も思わない。
悔しいも、羨ましいも、何もない。
全部、私が倒せばいい。
私はどうやって亜由実と何度もタッチをしていたのだろう。
後輩を見て、前は手を引っ込めた、という感覚があったのに。
タッチも、必要ない。
私に必要なのは、強さだ。
後輩に無理させない強さだ。
「希咲先輩? 」
「キャプテンって呼んで」
「あ、はい。キャ、キャプテン」
私がキャプテンだ。このチームを勝たせる義務がある。
チームをまとめようだなんて、最初からいらなかったのだ。
勝たせればいい。それだけだ。
後輩と道の先まで帰ろうと思っていたけれど、その時間の分、自主練習をすればいい。
もっとバスケしよう。
きっと亜由実もそうしている。
私はボールの音だけを聞き取るようにした。
私は後輩へ、結花みたいに微笑んだ。
※
私は鍵を借りて、一人で自主練習をしていた。
3ポイントシュートしか練習をしない。けれど、苦手意識は残っている。
「希咲さん? 」
いつかの夏香みたいに、結花が立っていた。
私は動揺を隠すようにシュートを打つ。
ボールはリングにも届かなかった。
「まだ、残ってやるんですね」
「うん。私、キャプテンだから」
「そう、ですか」
私と結花は親友ではない。結花も亜由実の代わりではない。
弱いところはもう見せない。
私はボールを取りにリングの下まで行く。
「そしたら、素人ながらアドバイスさせてください」
私は何も答えない。
ボールを拾って3ポイントラインへ向かう。
「リングを狙うのではなく、ボードを狙ったらどうですか」
「え」
「希咲さんは、角度のないところからの3ポイントシュートが苦手に見えます。でも、ドリブルのテクニックを考えたら必要ないと思います」
必要ない、って亜由実みたいなこと言って。
結花に何がわかるのだ。
「希咲さんに必要なのは綺麗な3ポイントシュートではなくて、ボードに当ててもいいので決めきる得点力ではないでしょうか」
勝ちたい私にとってそれは金言のように見えた。
「試しに、ボードに当てるシュート打ってみてください」
私は手を引かれていく子どものようにシュートフォームに入る。
3ポイントシュートのどこに力を入れて、ボールを飛ばせばいいかわからないのだ。
簡単に飛ばせる、亜由実が羨ましかった。
力の抜けている鮮やかなフォーム。
私は力を抜くのではなく、もっと入れることでボールをボードまで届かせようとする。
放ったボールは回転が甘くて、汚かった。
今の私みたいだ。
そう思ったのに、宙に浮かんだボールは私に答えをくれる。
これ、入るやつだ。
悔しさと憧れと、後輩への気持ちを断ち切るようにボードに強くボールが当たる。
ダンッと、バスケしか聞かない音がする。
そのあと、心地の良いネットを揺らす音がした。
「お見事です」
シュートが入った。
「なんなの、あなた」
私はシュートが入ったのに情けない気持ちに駆られていた。
ボードを狙ったら、私でも3ポイントシュートが決められる。
これまでのバスケ人生を塗り替えるような実感がした。
この瞬間が楽しくて、努力をしているのに。
簡単に成長させられた。
出会ってまだ間もない、声が透き通っているだけの、親友でもなんでもない子に、これまで悩んでいたことを解消させられてしまった。
そのことが受け入れられなくて、私は色々な場所からボードを狙って、シュートを打つ。
これまで嫌だったことを全部、ぶつけるように力一杯。
シュートは外れてくれなかった。
リングも「受け入れるのだ」、と話しているみたいだった。
シュートは試合で使えるレベルに変わった。
「案外、初歩でも意識次第で変わるところありますからね」
前に、夏香に微笑んでいた同じ顔、同じセリフで結花が私を見つめてくる。
「なんなの、あんた! 」
私は望み通り強くなれたのに、悔しかった。
「あんた、なんて。ひどいですね。ただのマネージャーですよ。結花って言います」
また結花の前で泣いてしまいそうだった。
今度は、違う涙で。
「これで私たち、親友になれますよね。希咲さん」
親友。
それは亜由実とのものだ。
亜由実と夏香と三人のものだ。
入ってこないでほしい。
誰なの、あなたには何が見えているの。
3ポイントシュートを打てば、入った。
ボードの小さい四角が口みたいに全部を吸い込んで得点に変わる。
弧を描きながら、ボードで屈折しいてリングを通り抜けるボール。
これまでのフォームは頭の中のおぼろげな亜由実のフォームをなぞっているだけだった。
亜由実になろうとしてもなれない。
私は私だ。
気持ちとしては嫌なのに、体が震えていた。
プレイヤーとしての喜びが震えていた。
「あなたとは、親友じゃない。まだ、親友じゃない」
「あら、残念。私はもう、親友だと思っていますのに」
認めてしまった方が楽だろうな。
ここで、微笑みながら「ありがとう」と言えたなら結花と親友になれるかもしれない。
それでも、その場所は亜由実のものだった。
亜由実への思いがなくなってしまいそうだった。
今が白で、思い出が黒に振り分けられてしまう。
反抗をする。
なんでもわかってしまう結花への、それと一瞬だけ、亜由実との思い出を捨ててもよいと思ってしまった、私への。
「お礼は、はる、との二人三脚がうまくいくことでいいですよ。そんなに怖い顔しないでください。可愛くて仕方ないって思っちゃうじゃないですか」
結花は両手で綺麗な鼻筋に沿うように、口元を隠した。
笑っている。
結花が笑っていることが変だって頭で理解しているのに、同じような顔で私も笑っていた。
亜由実のことを忘れそうになる。
これは親友なんて温かいものじゃない。
それだけがわかった。
お互いの静かな笑い声が、共鳴する。
リングに沈んだボールは弾むことをやめていた。
私は亜由実がいなくなったことを認められていないだけだったことが証明されてしまった。
