第一章「空振る空席」
※
『ヘイ、希咲! 』
いつも通りの私と亜由実のパターン。私が切り込こんで、3ポイントシュートラインに沿うようにいる亜由実へパスを出す。何度もやった私たちのパターン。
投げたボールは誰にも取られることなくラインを割る。
ピッ!
笛が鳴って相手ボールへ。
「ちょっと、新キャプテン。力入りすぎじゃない? 」
「どんまい! どんまい! 」
声をかけられるまで自分が何をしたのかわからなかった。
すぐに理解した。
私は誰もいない場所にパスを出していた。
声が聞こえた気になっていた。
もっとしっかりないと。
シャツで顎の汗を拭う。
もうチームに亜由実はいないのだから。
※
先生に体育館の鍵をもらったから、あと20分は練習ができる。
苦手意識のある3ポイントシュートの練習をするしかない。
10回打ったら6回入る。ノーマークの状態でこれ。
試合じゃ使い物にならない。
今日のミスも、私が3ポイントシュートの選択肢があればミスしなかった。
どこが悪いんだろう。私のシュートのどこが亜由実と違うんだろう。
動画を取っておけばよかった、と思うと同時に一人で動画を見たら泣いてしまいそうだと思った。
頭が余計なことを考えるからシュートがリングに嫌われる。
考えるな。考えるな、私。
深呼吸をしながら何度かボールをバウンドさせる。
構えて、打つ。
手から離れた瞬間から、外れることがわかる。
もう、本当にダメダメだ。
深呼吸で体に入れた綺麗な空気が私のため息で汚くなる。
「はあ」
「まだいんのかよ」
びっくりして振り返る。体育館の扉にひじ立てて、足を組んで立っている夏香がいた。
「やっぱ、3ポイントは希咲より亜由実のほうがうまいな」
私が気にしていることをピンポイントで射貫いてくる。プレイスタイルとライフスタイルは似てないといけないのだろうか。デリカシーがないだけだけど。
「余計な事、言いに来たなら帰ればいいじゃん。もう着替えてるんだから」
「まあまあ、ボールの音しかしねえからバスケの幽霊がいるんじゃないかと思ってな。俺にも打たせてくれよ」
夏香は私からボールを奪うとぐちゃぐちゃのフォームでシュートした。
「うわ、遠っ」
ボールは回転も曖昧で、リングにすら届いてない。
「ちょっと、もう。体育館の鍵返さないといけないんだから」
「へいへい。すまんすまん」
さっきとは違うため息が出る。
「ねえ」
「なんすか」
「付き合って」
「え? 」
「暇なら練習、付き合って」
「あ、おう」
私はボールを取りに走る。
「あ、お、おい。希咲。俺何したらいいんだよ」
「適当にディフェンスして」
「俺バスケわかんねえって」
亜由実の方がうまいって言ったくせに。
「行くよ! 」
私は得意のドリブルで夏香を抜き去る。
「俺が勝てるわけねえじゃん! 」
「普段、私より速いシャトル追いかけてるんだから、できるって」
おかえしだ。
もっと、3ポイントシュート練習したかったのに。まあ、夏香が来たから仕方ない。
心臓のリズムが変わる。
絶対に外さない、レイアップ。私の必殺レイアップ。
「制服だぞ、俺」
「ハンデ、ハンデ~。私か弱い女の子だし」
「自分でいうやつがあるか! 」
「口より体動かさないと~」
私はまたシュートする。
ボールは気持ちよくリングをくぐっていく。
私の好きなバスケの音がする。
体育館にボールじゃなくて、バスケの音がする。
※
「おい、ボコりすぎだって」
「意外と体力ないのね、あんた」
体育館に寝転がる夏香。
「練習やったあとだぞ、動けるだけすごいと思ってほしいね」
「はーーーーーー? 」
ボールの音をかき消すくらいの怒号。
「やべ」
「なんで体育館から夏香の声がするんだ? 」
「じゃ、俺帰るわ。おつかれい。キャプテン! 」
夏香が体育倉庫の方へ逃げて行った。
体育館の重い扉が一気に開けられる。
「あ? 」
「林先生、お疲れ様です」
怒号の主に私はしっかり挨拶をする。
「お? 浅葱しかいねえじゃねえか」
林先生は声のトーンを落としながら、辺りを見渡す。
「私が鍵借りて練習していたので」
「そうか。夏香の声がした気がしたんだけどな」
「気のせいです」
「真面目な浅葱が夏香を庇うわけないか。先生の気のせいか」
「はい」
私は平気で嘘もつけるタイプの真面目だ。
「怒りすぎて、夏香の幻聴まで聞いちまった」
「ふふ」
先生の対応なんて簡単だ。適度に笑っておけばいい。
「先生帰るからな、って浅葱に言っても仕方ないか」
「はい。さようなら」
「そういえば、浅葱は夏香と長いんだっけか」
もう時間がないのに、先生って生き物は話を長くするのが好きだ。
「あ、そうですね。あの、家が近所で」
「幼馴染ってやつだな」
「はい、まあ」
幼馴染、ここでも言われるのか。そんなに貴重なものかな。
「小田もそうだったのか? 」
「はい。そうです」
「そうか、その割に夏香は悲しそうじゃなかったな」
「そうですね」
笑えない。ここは笑うところなのに。
私だけ悲しそう、みたいじゃないか。
「何時まで残るつもりなんだ? 」
気遣いのつもりだろうか。
「もう帰ります」
何の気持ちも晴れてない。
「そうか、じゃあ先生が鍵貰おう」
「あ、ありがとうございます」
「練習頑張ってる生徒には特別だ。あの練習頑張らんやつとは違ってな」
歯を見せながら林先生は笑う。
よく幼馴染の前で、幼馴染を馬鹿にできるものだ。
私は、そうですね、とは言わずに鍵を林先生に手渡す。
結局、何もうまくならないまま自主練が終わる。むしろ、会話が一つ下手になった気すらする。
※
まだ、亜由実は練習中なんだろうか。
一人の帰り道で、メッセージを送ろうか迷いながら自転車を押す。
乗ったらすぐ帰れるんだけど、帰らない。
帰りたくないとか、そんなんじゃなくて。もう少し時間が欲しい。
前は三人で帰ってたのにな。
早く帰れるのに三人で歩いて帰っていた。中学で夏香だけ別の中学だったから三人、揃った感じがしてすごく好きだった。
そういえば三人のグループとかもないな。なんでだろう。
そんなことより、GWの最後の日が自主練だからメニュー考えないと。明日、提出しないと。
キャプテンになったんだからしっかりしなくては。
もう亜由実はいない。
それだけは間違いないのだから。
時間が欲しいなんて言っていられない。この時間だって亜由実は努力しているかもしれない。亜由実はバスケがうまくなっているかもしれない。
私だけ止まっている時間なんてないんだ。
宛先の亜由実への下書きを消す。
私は慌てて自転車にまたがる。
送ればよかった、元気? の文字だけ忘れ物にして、ペダルを踏む。
風は春を仕舞い始めていた。冷たさがないのに突き放しているような。手を握っているのではなく掴んでいるような。そういう風とだけ一緒に帰った。
※
「さっきはどうも~」
私が自転車の鍵を抜こうとしているとき、後ろから声をかけられた。
「あんたのせいですぐ帰らされたんだけど」
「え? まさかバヤシにバレた? 」
「ごまかしたよ」
私は少しの苛立ちと一緒に鍵を引き抜いた。
「おお、あざっす。あざっす」
「林先生、言ってたよ。練習ちゃんとやってないって」
幼馴染が求められているなら、幼馴染らしく言ってやる。
「しゃーねーじゃん。あがねえんだよ」
「ほんとう、あんたは」
「いや、毎日真面目にやり続けている方が異常だろ。気分に浮き沈みあるなんて当たり前だって~」
「あってもやるんだよ」
「正論じゃ~心は動かないな~」
話すだけ無駄だ。私の呼吸のメインがため息になってしまう。
「そろそろ、あんあお母さんにも怒鳴られる頃じゃない? 」
とことん、正論で喋ってやる。
「やべ、帰るわ。じゃ、おつかれキャプテン」
キャプテンを強調しないでほしい。
「はい、おつかれ」
夏香は手をあげているだけで歩き出そうとしない。言い方が違ったのだろうか。
「おつかれ」
魔法の呪文みたいに唱える。
「なにしてんだよ、手あげてんだから、ハイタッチだろ」
夏香は私の手首をひっぱって、無理やりハイタッチをさせようとしてくる。
音はならない。
「いえーい、今日も頑張った~」
「はいはい。練習付き合ってくれてありがと」
「おうよ。またいつでもやるぜ~」
「勝てないくせに」
「制服じゃなかったら、そこそこ動けんだって」
「まず、自分の練習ちゃんとやりさなさいよ」
「気分が乗ったらな~」
「はいはい、じゃあね」
「また明日~」
夏香は軽い足取りで帰っていく。あれだけ動いた後にまだ走れるんだ。体力はすごいのに。部活を真面目にやらないってどうなっているんだ。
明日は朝練も行かないと。私も体力つけないと。
※
朝練はいい感触がなかった。ひじの位置が悪いのかな。シュートの感覚は悪くないけど、やっぱり3ポイントシュートが入らない。
私は教室の窓側の一番前。あさ、ぎ、だから浅井さんがいなかったら大概、出席番号は一番。
日がまぶしい。朝の嫌な感じが詰まっている。クラスはちょっとざわざわしてる。
私は目を背けるように机にうなだれた。
「あちょ~っぷ」
頭に何かの感覚。
「やめてください」
「なんか、朝に似合わず暗いやついたので成敗してやろうかなって」
私は周りを見渡す。
「だれのこと? 」
「お前じゃーー! チョップツー」
「ちょっと、やめてよ」
『また朝からやってるよ』
亜由実の声がした。
私はもう一回、周りを見渡す。
隣の席は空席。
亜由実の言葉と同じ意味の笑いがクラスメイトに広がっていた。言葉にしてないから、なんか嫌な笑い。
「チョップスリー」
「ねえ、やめてって」
「ええ、あ。ごめんごめん。チョップスリーするなら同じ手じゃなくて、右手、左手で次は足、行くべきだったよな」
なんだ、それ。そんなわけないだろう。
「そういえば、希咲。転校生来るんだってよ」
「え? 聞いてなんだけど」
「誰も言ってないからじゃね」
クラスがざわざわしていたのは気のせいではなかったのか。
「はーい。全員席付け~」
私たちの担任の先生が教室に入ってきた。
「じゃ、またな希咲」
慌てて夏香が席に戻っていく。夏香は私の列の最後の席だ。なんでうるさいやつが後ろになっちゃうんだろう。でも浅井さんがいたら、席が一個ズレるから夏香が一番前か。一番前なら前でうるさいんだろうな。隣うるさくてきついよね、浅井さん。
いない人に思いを馳せるのが得意になっているのだろうか。ただでさえ、隣の「小田」と書かれた席は空席なのに。
「はい。じゃあ、知ってる人もいると思うが、このクラスに転校生が来ます」
ホームルームが始まった、のに、クラスはもっとざわざわし始めた。蝉の多い雑木林かよ。
「驚くと思うが、あんま、驚かないようにな。いや、無理か。先生も驚いた」
歯切れが悪い。先生という生き物はたまに歯切れの悪さがある。本心を喋り慣れていないからだろうか。
「じゃあ、入ってくれ」
教室のドアが開いて、クラスは驚きに包まれた。
二人いる。
二人。男の子と女の子。
「え?! 双子?! 」
デリカシーがない分、声が大きくなるの人間の設計ミスだと思う。
夏香の声が一番大きかった。
でも、確かに、これは驚くか。
※
「皆さん、はじめまして。顔が似ているので、わかっているかもしれませんが、双子の姉、如月結花と弟の晴人です」
透き通った声。アナウンサーが話し始めたのかと思った。
「ほら、はる。ちゃんと挨拶しなさい」
「うっす、晴人す」
対照的な双子だなと思った。
「じゃあ、二人はバド部志望らしいから」
「えっ、バド?! 」
ガタン、と机の音がした。夏香、前のめりすぎるって、うるさい。
「如月弟は、前の学校でも強かったんだよな」
「まあ、はい。そんな」
「えー、まじかよ。晴人、今日から部活いくよな? 」
夏香、あんたのために自己紹介をしてるわけじゃないんだから。
「姉の方はマネージャーらしいぞ」
「えーー! バドの!? 」
「はい。そうなんです」
「めずっ、え、やーったー。夢のマネージャーだー」
クラスメイトが何人か笑った。
確かに、バド部のマネージャーって珍しい。
「まあ、そういうわけだから、如月兄弟のこと任せるぞ、一ノ瀬」
「ラジャー」
立ったまま敬礼した夏香の姿にクラスが笑いに包まれる。
「席は、空いてるところに座ってくれ」
「わかりました。じゃあ私が前の席で、晴人は後ろにしますね」
「ああ、そういうわけだから。みんな仲良くするように」
『はーい』
亜由実の席に知らない形の影。
「お名前、あ、さ、ぎ、さんでよろしいですか? 」
「あ、うん。そう」
『希咲! 席となりだね! 』
亜由実の声になにかが被さる。
「浅葱、き、さ、さんでよろしいですか? 」
亜由実とは違う座り方。お手本みたいな座り方。
「うん、そう」
自己紹介をちゃんと聞いていたつもりだったのに名前がわからない。
そこは亜由実の席なのに、この人誰だ。
「ごめん、名前なんだっけ」
「はい?」
「あ」
「如月ですよ。如月結花です」
「うん」
「あっちは弟の晴人」
「あ」
「希咲さんっておもしろいんですね」
「え」
「何か亡霊でも見ているみたいな顔で初対面だなんて」
言葉が出ない。なんか、言葉が出ない。
「先生から聞いています。夏香さんのことより希咲さんの話を信用しなさいって」
背筋にかいたことのない汗が伝う。
「ずいぶん、先生から信頼されているんですね。仲良くできそうです」
瞬きがしたい。たくさんしたい。
これ以上、正面で透き通った声を聞かされていたら濾過されてはいけないなにかまで透き通ってしまいそうで。
「うん、よろしく」
会話じゃない言葉を無理やり吐き出した。
私は窓の外を見る。
うまく会話もできずに目を反らすなんて、失礼じゃないか、どうしたんだ私。
それなのに、隣を見られない。
隣に亜由実以外が座っている席が見られない。
ちょっと怖いと思っている。
「おーい、希咲」
夏香だ。
「晴人に学校案内しようと思うんだけど、姉ちゃんの方も一緒に行こうぜ」
すでに、下の名前で呼んでいるのか。相変わらず、距離感の詰め方が人を選びそうな。
「ああ、うん」
「どうした? なんか顔色悪いぞ」
「え、ああ、え、そうかな」
「顔色悪いよな、えーと、姉ちゃんのほう」
「姉ちゃんの方? 私ですか。結花です」
「そうだった。結花もそう思うよな」
「そうですね。普段の希咲さんを知りませんが、一般的に体調が悪そうだと思います」
「だってよ、おーい晴人」
「大丈夫、ちょっとトイレ行ってくる」
私は席から立って、廊下へ出た。
亜由実に会いたい。
『そうか、その割に夏香は悲しそうじゃなかったな』
昨日の林先生の言葉。その通りだ。
夏香は悲しそうじゃない。むしろ、むしろ。
私は、なぜかぼやける視界を何度も拭った。
拭えば拭っただけ、よく見える気がして。
見えたところで廊下に日は差さない。陰に溶けてしまいそうだった。
※
部活が休めないから、教室には戻るしかなかった。
教室では夏香だけ元気で嫌だった。一気に自分の教室じゃないみたいだった。
大きな池があったとして、一滴、雨が降っただけなのに、全部が雨水に変わったみたいだ。揺れている水面。混ざり合った水面。全部全部、曇っていく。
「ねえねえ、希咲、ちゃん」
「そのノリ、うざいんだけど」
「さっき大丈夫だったのかよ」
「うん」
雨水は飲み込んだ。
「そっか、大丈夫なら一緒に学校案内行こうぜ」
「わかった」
「あの」
「お、如月お姉ちゃん。なんだ」
「ですから、お姉ちゃんではなくて、結花です。夏香さん」
「いやあ、お姉ちゃんの方が呼びやすくて」
「ええ? 夏香さんお姉さんがいらっしゃるんです? 」
「いや、いないよ」
私を挟んで話さないでほしい。
「いないのに? 」
「まあまあまあ」
「そんなことより、お二人は大変仲が良さそうに見えるのですがお付き合いされているんですか」
クラスが一瞬、張り詰める。
「二人は幼馴染なんだよね~」
クスクスと笑いながら、後ろの席のクラスメイトが答える。
「あ、そうなんですか」
「まあ、そんな感じだ」
「学校案内行くんじゃないの」
私は席を立つ。
「そうだった、行こうぜ、お姉ちゃんも」
「ですから」
「おーい晴人、学校いこうぜ」
学校いこうぜってなんだ。またクラスのクスクス笑いが増える。
「じゃあ、連れてってください、希咲さん」
すっと、手に温かい感触。反対に、背筋が冷えた。
「あ、お友達になりたくて、つい握ってしまいました。嫌でしたか」
「ううん。大丈夫」
びっくりしただけだ。亜由実がしてくることと同じだったから。
手の形は違う。
もっと小さい手。それだけど、温かい。
温かいのに安心できない。
「お、手なんかつないで。亜由実と一緒みたいだな」
「あゆみ? さん? 」
「転校しちゃった奴がいるんだよ、だから変なところに席空いてただろ」
「そうだったんですね。私ったらてっきり先生が希咲さんの隣を空けてくれているのかと思って」
「そんなわけねえじゃん。お姉ちゃんの方もおもろいな」
「え? 晴人がなにか喋ったんですか? 」
「いやもう。それはもうべらべらよ」
「え?! 」
不穏な温かい手は私の元を離れて、夏香の手を掴む。
「夏香さん、ありがとうございます」
は?
クラスがざわつく。
「あの子、本当に喋らなくなって昔はもっとたくさん喋っていたのに
「姉貴」
すらっとした影が私たちの前に立つ。
「みんな、見てる」
「私ったら、ごめんなさい、夏香さん」
「ああ、おお。大丈夫大丈夫」
クラスのざわつきが粒立って聞こえる。
「えー、ライバル出現? 」
「弟もかっこよくない? 」
「絶対、二人付き合ってると思った」
亜由実の声だけしない。
亜由実がいなくなってから嫌な気持ちになってばかりだ。
「学校、案内、して」
弟も透き通った声だ。
「そうだよ、学校案内行くんでしょ」
私は全てを断ち切るように言葉を出す。この人たちと一緒にはいたくない、けど教室にはもっといたくない。
早く部活がしたい。
ボールの音は澄み切ってなんかない。雑音でも、ない。
※
学校案内は意外と簡単だった。夏香が全部、話してくれた。
それに笑顔で返す結花ちゃんと、頷きもしない晴人くん。関係ない話もしていたけど、大分バドの話だった。
夏香がバドのそれわかるなら、強いってことじゃんって何度も言っていた。楽しそうだった。
私にもわかるように説明しなおしていたけれど、別に要らなかった。
その説明が夏香のいいところなんだけれど。
私より、正解の相槌を出している結花ちゃんは気になった。
全音正解。そんな感じがした。私よりうまいかもしれない。
気になっているのに、授業のときは隣の席が見られなかった。満点の笑顔で見つめられると心の中まで見透かされていそうで怖くなる。亜由実はどんな目をしていたんだっけ。
授業が終わって、部活の時間になってもざわざわは消えなかった。
バド部はマネージャーが入ったことに歓喜していた。
なぜか夏香が偉そうだった。
それと晴人くんはバドが上手だった、というかフォームが綺麗だった。
スポーツがうまい人って二種類しかいないと思う。めちゃくちゃなのに強すぎる人と整っている人だ。
晴人くんは後者だ。乱れない、整っている。
夏香は前者だ。うまい感じがしないのに強いらしい。練習では手を抜いているだけかもしれない。
晴人くんに体育館中が見入っていた。
双子で、転校生で、スポーツ万能。狭い学校の世界で、話題にならないわけがない。
もちろん、結花ちゃんも話題になっていた。
転校生の双子を一目、見ようとバド部の見学もいた。
転校生の双子ってなんだ。設定盛りすぎだろう。
「すごいですね~。バド部」
休憩中に後輩に話しかけられた。
「うん、そうだね」
「キャプテン、同じクラスなんですよね」
「うん」
「えー、いいなー。転校生来るだけで、こう、なんか、ガッて、なりますよね」
「なに、ガッって」
「えー、ガッは、ガッですよ」
「うーん、そうかな」
「亜由実先輩がいなくなった席に双子で座ってるんですか」
「そんなわけないじゃん」
「ですよねー。でも、いいですね、新しい風って感じで」
さっきから、抽象的すぎる。
「風って感じはしないけどね」
「最近、キャプテン怖いんで、何か変わるといいですね」
「え? 」
ズバズバ言われるのはチームとして信頼関係ができているからだろうけれど、言われすぎな気がする。
「冗談ですよ。さ、練習練習」
「う、うん」
「キャプテン声、出していきましょう」
「うん」
声は出しているつもりなのにどんどん小さくなる。
「うわ、晴人えぐいー」
夏香の声がした。
晴人くんとシングルスしているみたいだ。
晴人くんも笑っている。
「え、弟の子、笑っているよ」
「ほんとだ、かっこいい」
見学から黄色い歓声が聞こえる。
集中させてほしい。もっとお腹から声を出せばかき消せるだろうか。
かき消せる?
そんな怖い言葉で私ってバスケしていたんだっけ。
「キャプテン? 」
「ごめん、何? 」
食い気味に返事をする。
「いや、まだ何も言ってないですけど」
「あ、そう」
「晴人―。もっとこいやー。」
何か得体の知れない何かが私の中で、潜って、抉って、巡っている気がする。
それはそれとして、夏香、あんたはうるさい。
※
部活が早く終わった。明日からGWで練習を詰めるから今日は早かった。
早く終わったら終わったで、部室でダラダラしてしまう。
「正直さー、3年生いなくなるのと同時に亜由実いなくなったの辛くない? 」
早く帰ればよかった。
「それな」
「進学校だから2年生の冬で引退ってチーム強くなんないって」
「それー」
「きさー、キャプテンはどう? 」
しんどいよ。
「うーん、まあまあじゃない? 」
亜由実がキャプテンだと思っていた。
「まあ、さきが言うんなら大丈夫か」
全然、大丈夫じゃない。
チームとしては確実に弱くなっている。特に得点を取る人がいない。積極性に欠けている。
「亜由実はあっちでバスケしてんのかな」
「してるでしょー。バスケするために学校きてたじゃん」
「たしかにー」
「ぶっちゃけさ、転校先で全国大会に行くので全国で会いましょうとか言ってたじゃん」
「最後のね」
「無理くねー」
「んー、まあねー」
私は荷物を素早くまとめる。
「きさはチーム全国いけると思う? 」
捕まってしまった。
「いけるか、いけないかはやってみないとわかんないんじゃない? 」
何も言っていないのと同じ言葉を吐く。
「んー、てかさー、引退した3年生みんな彼氏できたらしいよ」
「えー、まじ!」
「だってー」
「えー。顔見たい顔見たい」
雑談だったのか。私だけ勝ち負けを本気にしてバカみたいじゃないか。
亜由実は本気だった。本気で全国に行くって言っていた。それを信じていた。
私も信じたい。
信じながらバスケがしたい。
それなのに、3年生も、そっか。
信じながらバスケしてなかったのかな。
「あと、双子の弟、かっこよくない? 」
「それなー。双子揃って顔整いすぎ」
「ずるだよねー」
「遺伝って残酷って感じ」
「あー、私もそうやって生まれたかったー」
「きさ、同じクラスなんでしょ」
「あ、うん」
「どんな感じー」
「いや、二人ともいい子だと思うよ」
「きさ、優等生すぎ」
「ほんと、それ」
「そんなことないって」
うるさいな。もっと練習すればいいじゃん。
「まあ、きさには夏香くんがいるもんねー」
「そっか、幼馴染じゃん」
「ロマンだよねー」
「ねー」
「そんなことないって」
みんな幼馴染を特別なものだと思いすぎじゃないだろうか。
「ごめん、私帰るね。鍵、よろしく」
「はーい。り」
「おつー」
亜由実がいたときは部室もずっと居られるのではないかと思った。戦術の話をして、今日のこれがよかった、あれがダメだったって話して。本気だと思えた。
今はただ煩わしいだけだ。
なんで、私がキャプテンなのだろう。
なんで、私ばかり言われるのだろう。
みんな、本気じゃないのかな。
もしかして、本気な部分が違うのかな。
それって、なんだか、なんだか。
言葉にしたら全てが空虚になってしまいそうだった。
飛び出しそうな気持ちを両手でしっかりと閉まった。
閉まったあとに、今日は、「転校生がきたよ」とだけ、亜由実にメッセージを送った。
※
楽しい。
初めてシュートが入ったとき、いや入ったシュートを褒められたとき、楽しいって思えた。
褒めてくれたのは同じような背格好の女の子だった。
『ないすしゅーと』
『ありがと』
照れていた、と思う。あ、り、が、と、のひとつひとつの音は順に小さくなっていた。
『ないすなときはたっちするんだよ』
『うん』
ハイタッチじゃない、握手みたいに触れ合うタッチ。
特別じゃないから、何度も何度でもできるタッチ。
『名前なんていいうの』
『あさぎ、きさ』
『あさぎ、きいたことない! わたしはね、おだあゆみ、あ、ゆ、み』
『おださん、よろしく』
『あゆみだよ。あゆみ、あ、ゆ、み』
結構、強引だったな。
『私、希咲が別の学校じゃなくてよかった』
『え、なんで』
『希咲には手の内全部、バレちゃってるから多分全部止められる』
『そんなことないよ』
『中学から3ポイントがあっていいよね』
『え、私、苦手なんだけど。ミドルの方が決めやすいし』
『希咲はそうだよね』
『なに、嫌み? 』
『そんなわけないじゃん。私たちの仲だよ? 』
『じゃあ、何? 』
『なんで私が3ポイントばっかり練習するのわかってなさそうだなって』
『最近、多いよね。成功率も上がってる』
『へっへー。そうでしょ』
『私も練習しないとな』
『いやー、練習しないでいいんじゃない?』
『なんでよ、チームのためになるでしょ』
『私が打つからいいよ。希咲はどんどん切り込んでいって』
『そう? 』
『もちろん、3ポイントだけ打つ気はないよ。でも希咲が攻撃の要になってきてる』
『そうかな、切り込んでいって自爆も多いよ』
『私へのパスがある。希咲はわかってる。欲しいときに欲しいパスをくれる』
『褒めすぎだって』
『私が打ちたくないときは自分で持って行ってくれる』
『え? そうかな』
『希咲はわかってるんだ。私のことも、チームのことも、試合の流れも』
『なになに、今日、私誕生日じゃないよ』
『それを私がわかってる』
人生に何度、わかってもらえる瞬間があるんだろう。もし一度しかないなら私はこの時だったと思う。
『明日もいいパスちょうだい、親友』
『え、恥ずかしいんだけど』
低めのタッチ。これまでも何度もした、そしてこれからも何度もするタッチ。
このときはそう思っていた。
『おい、二人だけで何喋ってんだよ』
『え、デリカシーないやつには内緒のはなしー、ねー希咲』
『ねー』
『ひどくねー』
『練習ちゃんとしないやつにはわかんない話だよー』
『はー、ひどくね。俺だって真面目なところあるって』
『ないね』
『ないね。ない』
私たちは三人で笑っていた。いつまでも続くと思っていた。
亜由実が私の手を引いて歩き始める。
『はいはい、いいですね、二人は今日も仲良しで』
『いいでしょ。夏香も希咲の手つないでいいんだよ』
『は、ば、バカなこというなよ』
『私も嫌なんだけど』
『あ、フラれちゃった』
『なんで、俺が悪いみたいになってんだ。おい、早く帰るぞ』
『帰ろうー』
私も亜由実の手を握りしめる。この時間をこれ以上、手放さないでいいように。
携帯の振動がした。
ちょっとの間、眠っていたことに気がつく。
AYUAYU:『バスケ部? 』
亜由実から返信が来ていた。
『違う、バド』
私はすぐに返信する。
『夏香と同じじゃん』
居る。そこに亜由実がいる。
『そうなの、それに双子。男女で男の子はバドもうまい。女の子はマネージャー』
長くなってしまった。
『え、すご。マネージャーってバドの? 』
『うん、バドの』
『珍しいね。設定盛りすぎじゃん』
亜由実と同じ感想だ。同じ感想だ。
『そうなの』
そこから返信はなかった。
※
GW最終日、今日は顧問の佐藤先生が休みだから自主練習。
キャプテンなんだから気を引き締めなおさないと。
「お、希咲じゃん」
気を引き締めなおしたんだ、気の抜ける声は聴きたくない。
仕方なく、振り返るとこれから部活の夏香と晴人くんがいた。
晴人くんが頭を下げた。
「何? 」
「おい、顔怖くね。なあ晴人」
晴人くんは何も言わない。
「ひどいこと言わないでもらっていい? 今から集中しないとなんだから」
「いや、怖い顔してるぞ。そんな人に朗報です」
「何? 」
「晴人めっちゃバドうまいんだよ」
「そうなんだ」
晴人くんに失礼にならないように相槌を打つ。
そんなことちょっと見たらわかる。ちょっと横目に見ていた。
「今日、練習のあとも二人で打とうって話しててなー、晴人」
夏香から晴人への一方的な会話すぎる。ていうか、え? 練習嫌いの夏香が自主練?
「え? 自主練? 」
「そうだよ。それ以外あるかよ」
「あの、練習嫌いのあんたが、自主練? 」
「いいだろ、別に」
「ウソでしょ」
うっすら晴人くんが笑った。
あ、笑うんだ。
「まあ、そういうわけだから。一緒に帰れんかも」
「え、あ、そう」
「おい、最近一緒に帰ってないからって俺様のことどうでもよくなったのかよ」
「いや、違くて」
「キャプテン! 何してるんですか。キャプテンいないと練習始められないですよ」
後輩が私を呼びに来た。
「あ、ごめん! ちょっと、あんたのせいで怒られたんだけど」
「え、違くね。なあ晴人」
晴人くんが頷いた。
「え、頷くの? 」
今度は声に出てしまった。
「いいねえ、晴人。それでこそ、俺の相棒だ」
夏香が晴人くんと肩を組む。一方的に見えて、案外、この二人って相性いいのかもしれない。
でも、なんだろう夏香の顔がちょっと嫌だ。うざいことはいつものことなのに、ノリだって変わってないのに嫌だ。
肩を組んでいる二人が揺れている。歪んで見える。
「キャプテン!? 」
「あ、ごめん! 今行く! 」
「夏香さんとイチャイチャしてないで、早くしてくださいね! 」
「し、してないし! 」
そんなことしているわけがない。
そんなことしている暇はない。
ただ、ちょっとだけ二人が羨ましいなって思ってしまっただけ。
きっと、それだけ。
※
体育館は少し熱を帯びてきた。もしかして、夏香がやる気を出したからだろうか。
嬉しいはずのその熱を嫌がっている自分は、この体育館でうまくプレーができるのだろうか。
私は自主練のメニューをチームに伝える。
自主練習は難しい。
練習メニューは何度も考えたけれど、チームにとって軽すぎず重すぎずじゃないといけない。
「えー、しんどくねー」
「先生居ないからもっとできることしようよー」
色々な声が上がるけれど仕方ない。
私はしっかりしないといけない。
「声出していくよー」
自分に言い聞かせるように叫ぶ。
自分で考えた練習をチェックリストのように一つ一つ潰していく。
黒く、塗りつぶしていく。
「なんか、気合入りすぎじゃない? 」
「え」
「なんか変だよ、きさ」
「うちも同感」
「そんなことないよ。みんな集中しよ」
「いや、まずきさが集中しなきゃ」
「説得力ないー、こんなきついの、やめよー」
「みんなー、ちょっと休憩」
『はーい』
「ちょっと、勝手になにしてんの」
「いやいや、それは、きさの方でしょ」
「それなー」
練習はまだまだ、始まったばかりなのにみんな休憩を取る。今日は、佐藤先生がいないのだから、私がしっかりしないと。
私が。
「ねえ、練習しよって」
みんな、私の話を聞いてよ。
キャプテンの私の指示を聞けばいいんだから。
「だから、一回頭、冷やしなって」
勝手なこと言って。
「冷えてるよ! 」
体育館の熱を私が冷ます。
体育館に私の声だけこだました。思ったよりも声がずっと大きかった。
叫んでいたつもりのさっきの声より、もっと大きな声だった。
「ほら、熱くなってるじゃん。厳しくすればいいってもんじゃないって。ごめん、みんなー。今日はチーム練なしにしよ。やるとしてもワンオンワンまでね」
『はーい』
熱がまた温度を取り戻す。
誰も私の声を聞いてくれていない。
私だけ、取り残して練習が再開する。
軽い練習になったのに、チームの雰囲気はよくなっていた。
「いったん、きさは水でも飲んできなって」
「それなー」
私はどうしたらいいかわからなくなっていた。
やっぱ、私にキャプテンなんて無理だったのだ。
最初からやりたくなかったのに。
誰も指示を聞いてくれない。
私には無理だ、亜由実がいないと。
私は返事もできずに体育館を後にした。
初めて、バスケの音が雑音みたいに聞こえた。
※
私は体育館の外で座っていた。
特にベンチがあるわけどもないから意味なさそうな段差に腰掛ける。
頭がすごく重い。
頭にタオルをかけているからだろうか。
汗が乾いていくのがわかる。
怪我したわけでもないのに肩が痛い気がする。
「大丈夫ですか? 希咲さん? 」
簡単に胸に届いてしまいそうな声。涙を引きずり出してきそうな声がした。
「あ、えっと」
「忘れられてしまいましか? 結花ですよ」
向日葵みたい。花開いた瞬間みたい。
カラっと晴れているのに乾いていない、透き通った晴れみたい。
これがこの子の距離の詰め方なのだろう。
やめて、近づかないでほしい。
「まるでひどいフラれ方をした、みたいな顔をしてますよ」
亡霊とか、フラれ方とか、この子に私はどう見えているのだろう。
私は何も応えられない。
「さっきは、悔しかったですね」
何の許可も取らずに、その向日葵は隣に座る。
「必死にやっているんですね。伝わりますよ」
この子になんのメリットがあるのだろう。
私に近づいてなんのメリットが。
亜由実と違う、小さな手が私の重い頭を撫でる。
「よしよーし」
向日葵がゆったりと揺れるように、ひとひらの花弁が美しいように、手は優しく私に触れる。
撫でられる度に、頭の重さが軽くなっていく。重さが、なくなってしまう。
手を振り払ってしまおうかと思った。
出会って数日のこの子に私の何がわかるのだろうと思う。
何も知らないくせに。
それなのに、私の頭と体は触れられていることを拒めない。
やめてほしいのに、やめないでほしいと思ってしまっている。
「頑張っているんですよ、希咲さんは」
綻ぶ。
眩しさが水滴で錯乱する。
「私、わた、し」
「泣いていいんです。泣いていいんですよ」
「あんたに、なにが」
言葉を絞り出す。
「何もわかりませんよ。でも頑張っている人は簡単にわかります」
「だって、亜由実、もう」
言葉が、出ない。
「頑張っているんです。それだけです」
言葉にならない気持ちが涙と混ざって、眩しさに照らされる。
涙が形になる。でも、すぐには蒸発しない。
一滴、一滴ずつ段差に落ちていく。
はっきり落ちていくから、頑張りが嘘じゃなかったことがわかる。
「よく頑張ってます。希咲さんは」
私は泣いていた。
試合に負けたって涙は出なかったのに。
亜由実が転校したときだって、涙は出なかったのに。
出会って数日の、知らない人の前で泣いている。
霧を無理やり晴らされるように、泣いている。澄み切った声の人の元で。
「え、キャプテン? なにしてるんです? 」
私は反射的に手を振り払って、タオルで顔を隠す。
後輩だ。
「あ、えっと」
「練習戻ってこないから、大丈夫かなって思って」
「あ、うん。もう、戻る」
「誰ですか、あなた」
「如月結花です。転校してきて希咲さんと同じクラスの」
「あ、バド部のマネージャーの」
「そうです」
「知らないけど、バド部戻ったらどうですか。バスケ部のことはバスケ部でやるんで」
「それも、そうですね。申し訳ありません」
「先輩、戻ったら私とワンオンワンしてください」
「それじゃ、希咲さん。私たちも戻りましょうか」
「あ、うん」
振り払った手が、また簡単に私の手を握る。
「先輩? 」
後輩がどこか不信感のある表情を浮かべる。
「大丈夫、大丈夫。戻る戻る」
私は手を振り払って走り出す。
後輩も結花ちゃんも置いてバスケの音の方へ戻っていく。
※
『ヘイ、希咲! 』
いつも通りの私と亜由実のパターン。私が切り込こんで、3ポイントシュートラインに沿うようにいる亜由実へパスを出す。何度もやった私たちのパターン。
投げたボールは誰にも取られることなくラインを割る。
ピッ!
笛が鳴って相手ボールへ。
「ちょっと、新キャプテン。力入りすぎじゃない? 」
「どんまい! どんまい! 」
声をかけられるまで自分が何をしたのかわからなかった。
すぐに理解した。
私は誰もいない場所にパスを出していた。
声が聞こえた気になっていた。
もっとしっかりないと。
シャツで顎の汗を拭う。
もうチームに亜由実はいないのだから。
※
先生に体育館の鍵をもらったから、あと20分は練習ができる。
苦手意識のある3ポイントシュートの練習をするしかない。
10回打ったら6回入る。ノーマークの状態でこれ。
試合じゃ使い物にならない。
今日のミスも、私が3ポイントシュートの選択肢があればミスしなかった。
どこが悪いんだろう。私のシュートのどこが亜由実と違うんだろう。
動画を取っておけばよかった、と思うと同時に一人で動画を見たら泣いてしまいそうだと思った。
頭が余計なことを考えるからシュートがリングに嫌われる。
考えるな。考えるな、私。
深呼吸をしながら何度かボールをバウンドさせる。
構えて、打つ。
手から離れた瞬間から、外れることがわかる。
もう、本当にダメダメだ。
深呼吸で体に入れた綺麗な空気が私のため息で汚くなる。
「はあ」
「まだいんのかよ」
びっくりして振り返る。体育館の扉にひじ立てて、足を組んで立っている夏香がいた。
「やっぱ、3ポイントは希咲より亜由実のほうがうまいな」
私が気にしていることをピンポイントで射貫いてくる。プレイスタイルとライフスタイルは似てないといけないのだろうか。デリカシーがないだけだけど。
「余計な事、言いに来たなら帰ればいいじゃん。もう着替えてるんだから」
「まあまあ、ボールの音しかしねえからバスケの幽霊がいるんじゃないかと思ってな。俺にも打たせてくれよ」
夏香は私からボールを奪うとぐちゃぐちゃのフォームでシュートした。
「うわ、遠っ」
ボールは回転も曖昧で、リングにすら届いてない。
「ちょっと、もう。体育館の鍵返さないといけないんだから」
「へいへい。すまんすまん」
さっきとは違うため息が出る。
「ねえ」
「なんすか」
「付き合って」
「え? 」
「暇なら練習、付き合って」
「あ、おう」
私はボールを取りに走る。
「あ、お、おい。希咲。俺何したらいいんだよ」
「適当にディフェンスして」
「俺バスケわかんねえって」
亜由実の方がうまいって言ったくせに。
「行くよ! 」
私は得意のドリブルで夏香を抜き去る。
「俺が勝てるわけねえじゃん! 」
「普段、私より速いシャトル追いかけてるんだから、できるって」
おかえしだ。
もっと、3ポイントシュート練習したかったのに。まあ、夏香が来たから仕方ない。
心臓のリズムが変わる。
絶対に外さない、レイアップ。私の必殺レイアップ。
「制服だぞ、俺」
「ハンデ、ハンデ~。私か弱い女の子だし」
「自分でいうやつがあるか! 」
「口より体動かさないと~」
私はまたシュートする。
ボールは気持ちよくリングをくぐっていく。
私の好きなバスケの音がする。
体育館にボールじゃなくて、バスケの音がする。
※
「おい、ボコりすぎだって」
「意外と体力ないのね、あんた」
体育館に寝転がる夏香。
「練習やったあとだぞ、動けるだけすごいと思ってほしいね」
「はーーーーーー? 」
ボールの音をかき消すくらいの怒号。
「やべ」
「なんで体育館から夏香の声がするんだ? 」
「じゃ、俺帰るわ。おつかれい。キャプテン! 」
夏香が体育倉庫の方へ逃げて行った。
体育館の重い扉が一気に開けられる。
「あ? 」
「林先生、お疲れ様です」
怒号の主に私はしっかり挨拶をする。
「お? 浅葱しかいねえじゃねえか」
林先生は声のトーンを落としながら、辺りを見渡す。
「私が鍵借りて練習していたので」
「そうか。夏香の声がした気がしたんだけどな」
「気のせいです」
「真面目な浅葱が夏香を庇うわけないか。先生の気のせいか」
「はい」
私は平気で嘘もつけるタイプの真面目だ。
「怒りすぎて、夏香の幻聴まで聞いちまった」
「ふふ」
先生の対応なんて簡単だ。適度に笑っておけばいい。
「先生帰るからな、って浅葱に言っても仕方ないか」
「はい。さようなら」
「そういえば、浅葱は夏香と長いんだっけか」
もう時間がないのに、先生って生き物は話を長くするのが好きだ。
「あ、そうですね。あの、家が近所で」
「幼馴染ってやつだな」
「はい、まあ」
幼馴染、ここでも言われるのか。そんなに貴重なものかな。
「小田もそうだったのか? 」
「はい。そうです」
「そうか、その割に夏香は悲しそうじゃなかったな」
「そうですね」
笑えない。ここは笑うところなのに。
私だけ悲しそう、みたいじゃないか。
「何時まで残るつもりなんだ? 」
気遣いのつもりだろうか。
「もう帰ります」
何の気持ちも晴れてない。
「そうか、じゃあ先生が鍵貰おう」
「あ、ありがとうございます」
「練習頑張ってる生徒には特別だ。あの練習頑張らんやつとは違ってな」
歯を見せながら林先生は笑う。
よく幼馴染の前で、幼馴染を馬鹿にできるものだ。
私は、そうですね、とは言わずに鍵を林先生に手渡す。
結局、何もうまくならないまま自主練が終わる。むしろ、会話が一つ下手になった気すらする。
※
まだ、亜由実は練習中なんだろうか。
一人の帰り道で、メッセージを送ろうか迷いながら自転車を押す。
乗ったらすぐ帰れるんだけど、帰らない。
帰りたくないとか、そんなんじゃなくて。もう少し時間が欲しい。
前は三人で帰ってたのにな。
早く帰れるのに三人で歩いて帰っていた。中学で夏香だけ別の中学だったから三人、揃った感じがしてすごく好きだった。
そういえば三人のグループとかもないな。なんでだろう。
そんなことより、GWの最後の日が自主練だからメニュー考えないと。明日、提出しないと。
キャプテンになったんだからしっかりしなくては。
もう亜由実はいない。
それだけは間違いないのだから。
時間が欲しいなんて言っていられない。この時間だって亜由実は努力しているかもしれない。亜由実はバスケがうまくなっているかもしれない。
私だけ止まっている時間なんてないんだ。
宛先の亜由実への下書きを消す。
私は慌てて自転車にまたがる。
送ればよかった、元気? の文字だけ忘れ物にして、ペダルを踏む。
風は春を仕舞い始めていた。冷たさがないのに突き放しているような。手を握っているのではなく掴んでいるような。そういう風とだけ一緒に帰った。
※
「さっきはどうも~」
私が自転車の鍵を抜こうとしているとき、後ろから声をかけられた。
「あんたのせいですぐ帰らされたんだけど」
「え? まさかバヤシにバレた? 」
「ごまかしたよ」
私は少しの苛立ちと一緒に鍵を引き抜いた。
「おお、あざっす。あざっす」
「林先生、言ってたよ。練習ちゃんとやってないって」
幼馴染が求められているなら、幼馴染らしく言ってやる。
「しゃーねーじゃん。あがねえんだよ」
「ほんとう、あんたは」
「いや、毎日真面目にやり続けている方が異常だろ。気分に浮き沈みあるなんて当たり前だって~」
「あってもやるんだよ」
「正論じゃ~心は動かないな~」
話すだけ無駄だ。私の呼吸のメインがため息になってしまう。
「そろそろ、あんあお母さんにも怒鳴られる頃じゃない? 」
とことん、正論で喋ってやる。
「やべ、帰るわ。じゃ、おつかれキャプテン」
キャプテンを強調しないでほしい。
「はい、おつかれ」
夏香は手をあげているだけで歩き出そうとしない。言い方が違ったのだろうか。
「おつかれ」
魔法の呪文みたいに唱える。
「なにしてんだよ、手あげてんだから、ハイタッチだろ」
夏香は私の手首をひっぱって、無理やりハイタッチをさせようとしてくる。
音はならない。
「いえーい、今日も頑張った~」
「はいはい。練習付き合ってくれてありがと」
「おうよ。またいつでもやるぜ~」
「勝てないくせに」
「制服じゃなかったら、そこそこ動けんだって」
「まず、自分の練習ちゃんとやりさなさいよ」
「気分が乗ったらな~」
「はいはい、じゃあね」
「また明日~」
夏香は軽い足取りで帰っていく。あれだけ動いた後にまだ走れるんだ。体力はすごいのに。部活を真面目にやらないってどうなっているんだ。
明日は朝練も行かないと。私も体力つけないと。
※
朝練はいい感触がなかった。ひじの位置が悪いのかな。シュートの感覚は悪くないけど、やっぱり3ポイントシュートが入らない。
私は教室の窓側の一番前。あさ、ぎ、だから浅井さんがいなかったら大概、出席番号は一番。
日がまぶしい。朝の嫌な感じが詰まっている。クラスはちょっとざわざわしてる。
私は目を背けるように机にうなだれた。
「あちょ~っぷ」
頭に何かの感覚。
「やめてください」
「なんか、朝に似合わず暗いやついたので成敗してやろうかなって」
私は周りを見渡す。
「だれのこと? 」
「お前じゃーー! チョップツー」
「ちょっと、やめてよ」
『また朝からやってるよ』
亜由実の声がした。
私はもう一回、周りを見渡す。
隣の席は空席。
亜由実の言葉と同じ意味の笑いがクラスメイトに広がっていた。言葉にしてないから、なんか嫌な笑い。
「チョップスリー」
「ねえ、やめてって」
「ええ、あ。ごめんごめん。チョップスリーするなら同じ手じゃなくて、右手、左手で次は足、行くべきだったよな」
なんだ、それ。そんなわけないだろう。
「そういえば、希咲。転校生来るんだってよ」
「え? 聞いてなんだけど」
「誰も言ってないからじゃね」
クラスがざわざわしていたのは気のせいではなかったのか。
「はーい。全員席付け~」
私たちの担任の先生が教室に入ってきた。
「じゃ、またな希咲」
慌てて夏香が席に戻っていく。夏香は私の列の最後の席だ。なんでうるさいやつが後ろになっちゃうんだろう。でも浅井さんがいたら、席が一個ズレるから夏香が一番前か。一番前なら前でうるさいんだろうな。隣うるさくてきついよね、浅井さん。
いない人に思いを馳せるのが得意になっているのだろうか。ただでさえ、隣の「小田」と書かれた席は空席なのに。
「はい。じゃあ、知ってる人もいると思うが、このクラスに転校生が来ます」
ホームルームが始まった、のに、クラスはもっとざわざわし始めた。蝉の多い雑木林かよ。
「驚くと思うが、あんま、驚かないようにな。いや、無理か。先生も驚いた」
歯切れが悪い。先生という生き物はたまに歯切れの悪さがある。本心を喋り慣れていないからだろうか。
「じゃあ、入ってくれ」
教室のドアが開いて、クラスは驚きに包まれた。
二人いる。
二人。男の子と女の子。
「え?! 双子?! 」
デリカシーがない分、声が大きくなるの人間の設計ミスだと思う。
夏香の声が一番大きかった。
でも、確かに、これは驚くか。
※
「皆さん、はじめまして。顔が似ているので、わかっているかもしれませんが、双子の姉、如月結花と弟の晴人です」
透き通った声。アナウンサーが話し始めたのかと思った。
「ほら、はる。ちゃんと挨拶しなさい」
「うっす、晴人す」
対照的な双子だなと思った。
「じゃあ、二人はバド部志望らしいから」
「えっ、バド?! 」
ガタン、と机の音がした。夏香、前のめりすぎるって、うるさい。
「如月弟は、前の学校でも強かったんだよな」
「まあ、はい。そんな」
「えー、まじかよ。晴人、今日から部活いくよな? 」
夏香、あんたのために自己紹介をしてるわけじゃないんだから。
「姉の方はマネージャーらしいぞ」
「えーー! バドの!? 」
「はい。そうなんです」
「めずっ、え、やーったー。夢のマネージャーだー」
クラスメイトが何人か笑った。
確かに、バド部のマネージャーって珍しい。
「まあ、そういうわけだから、如月兄弟のこと任せるぞ、一ノ瀬」
「ラジャー」
立ったまま敬礼した夏香の姿にクラスが笑いに包まれる。
「席は、空いてるところに座ってくれ」
「わかりました。じゃあ私が前の席で、晴人は後ろにしますね」
「ああ、そういうわけだから。みんな仲良くするように」
『はーい』
亜由実の席に知らない形の影。
「お名前、あ、さ、ぎ、さんでよろしいですか? 」
「あ、うん。そう」
『希咲! 席となりだね! 』
亜由実の声になにかが被さる。
「浅葱、き、さ、さんでよろしいですか? 」
亜由実とは違う座り方。お手本みたいな座り方。
「うん、そう」
自己紹介をちゃんと聞いていたつもりだったのに名前がわからない。
そこは亜由実の席なのに、この人誰だ。
「ごめん、名前なんだっけ」
「はい?」
「あ」
「如月ですよ。如月結花です」
「うん」
「あっちは弟の晴人」
「あ」
「希咲さんっておもしろいんですね」
「え」
「何か亡霊でも見ているみたいな顔で初対面だなんて」
言葉が出ない。なんか、言葉が出ない。
「先生から聞いています。夏香さんのことより希咲さんの話を信用しなさいって」
背筋にかいたことのない汗が伝う。
「ずいぶん、先生から信頼されているんですね。仲良くできそうです」
瞬きがしたい。たくさんしたい。
これ以上、正面で透き通った声を聞かされていたら濾過されてはいけないなにかまで透き通ってしまいそうで。
「うん、よろしく」
会話じゃない言葉を無理やり吐き出した。
私は窓の外を見る。
うまく会話もできずに目を反らすなんて、失礼じゃないか、どうしたんだ私。
それなのに、隣を見られない。
隣に亜由実以外が座っている席が見られない。
ちょっと怖いと思っている。
「おーい、希咲」
夏香だ。
「晴人に学校案内しようと思うんだけど、姉ちゃんの方も一緒に行こうぜ」
すでに、下の名前で呼んでいるのか。相変わらず、距離感の詰め方が人を選びそうな。
「ああ、うん」
「どうした? なんか顔色悪いぞ」
「え、ああ、え、そうかな」
「顔色悪いよな、えーと、姉ちゃんのほう」
「姉ちゃんの方? 私ですか。結花です」
「そうだった。結花もそう思うよな」
「そうですね。普段の希咲さんを知りませんが、一般的に体調が悪そうだと思います」
「だってよ、おーい晴人」
「大丈夫、ちょっとトイレ行ってくる」
私は席から立って、廊下へ出た。
亜由実に会いたい。
『そうか、その割に夏香は悲しそうじゃなかったな』
昨日の林先生の言葉。その通りだ。
夏香は悲しそうじゃない。むしろ、むしろ。
私は、なぜかぼやける視界を何度も拭った。
拭えば拭っただけ、よく見える気がして。
見えたところで廊下に日は差さない。陰に溶けてしまいそうだった。
※
部活が休めないから、教室には戻るしかなかった。
教室では夏香だけ元気で嫌だった。一気に自分の教室じゃないみたいだった。
大きな池があったとして、一滴、雨が降っただけなのに、全部が雨水に変わったみたいだ。揺れている水面。混ざり合った水面。全部全部、曇っていく。
「ねえねえ、希咲、ちゃん」
「そのノリ、うざいんだけど」
「さっき大丈夫だったのかよ」
「うん」
雨水は飲み込んだ。
「そっか、大丈夫なら一緒に学校案内行こうぜ」
「わかった」
「あの」
「お、如月お姉ちゃん。なんだ」
「ですから、お姉ちゃんではなくて、結花です。夏香さん」
「いやあ、お姉ちゃんの方が呼びやすくて」
「ええ? 夏香さんお姉さんがいらっしゃるんです? 」
「いや、いないよ」
私を挟んで話さないでほしい。
「いないのに? 」
「まあまあまあ」
「そんなことより、お二人は大変仲が良さそうに見えるのですがお付き合いされているんですか」
クラスが一瞬、張り詰める。
「二人は幼馴染なんだよね~」
クスクスと笑いながら、後ろの席のクラスメイトが答える。
「あ、そうなんですか」
「まあ、そんな感じだ」
「学校案内行くんじゃないの」
私は席を立つ。
「そうだった、行こうぜ、お姉ちゃんも」
「ですから」
「おーい晴人、学校いこうぜ」
学校いこうぜってなんだ。またクラスのクスクス笑いが増える。
「じゃあ、連れてってください、希咲さん」
すっと、手に温かい感触。反対に、背筋が冷えた。
「あ、お友達になりたくて、つい握ってしまいました。嫌でしたか」
「ううん。大丈夫」
びっくりしただけだ。亜由実がしてくることと同じだったから。
手の形は違う。
もっと小さい手。それだけど、温かい。
温かいのに安心できない。
「お、手なんかつないで。亜由実と一緒みたいだな」
「あゆみ? さん? 」
「転校しちゃった奴がいるんだよ、だから変なところに席空いてただろ」
「そうだったんですね。私ったらてっきり先生が希咲さんの隣を空けてくれているのかと思って」
「そんなわけねえじゃん。お姉ちゃんの方もおもろいな」
「え? 晴人がなにか喋ったんですか? 」
「いやもう。それはもうべらべらよ」
「え?! 」
不穏な温かい手は私の元を離れて、夏香の手を掴む。
「夏香さん、ありがとうございます」
は?
クラスがざわつく。
「あの子、本当に喋らなくなって昔はもっとたくさん喋っていたのに
「姉貴」
すらっとした影が私たちの前に立つ。
「みんな、見てる」
「私ったら、ごめんなさい、夏香さん」
「ああ、おお。大丈夫大丈夫」
クラスのざわつきが粒立って聞こえる。
「えー、ライバル出現? 」
「弟もかっこよくない? 」
「絶対、二人付き合ってると思った」
亜由実の声だけしない。
亜由実がいなくなってから嫌な気持ちになってばかりだ。
「学校、案内、して」
弟も透き通った声だ。
「そうだよ、学校案内行くんでしょ」
私は全てを断ち切るように言葉を出す。この人たちと一緒にはいたくない、けど教室にはもっといたくない。
早く部活がしたい。
ボールの音は澄み切ってなんかない。雑音でも、ない。
※
学校案内は意外と簡単だった。夏香が全部、話してくれた。
それに笑顔で返す結花ちゃんと、頷きもしない晴人くん。関係ない話もしていたけど、大分バドの話だった。
夏香がバドのそれわかるなら、強いってことじゃんって何度も言っていた。楽しそうだった。
私にもわかるように説明しなおしていたけれど、別に要らなかった。
その説明が夏香のいいところなんだけれど。
私より、正解の相槌を出している結花ちゃんは気になった。
全音正解。そんな感じがした。私よりうまいかもしれない。
気になっているのに、授業のときは隣の席が見られなかった。満点の笑顔で見つめられると心の中まで見透かされていそうで怖くなる。亜由実はどんな目をしていたんだっけ。
授業が終わって、部活の時間になってもざわざわは消えなかった。
バド部はマネージャーが入ったことに歓喜していた。
なぜか夏香が偉そうだった。
それと晴人くんはバドが上手だった、というかフォームが綺麗だった。
スポーツがうまい人って二種類しかいないと思う。めちゃくちゃなのに強すぎる人と整っている人だ。
晴人くんは後者だ。乱れない、整っている。
夏香は前者だ。うまい感じがしないのに強いらしい。練習では手を抜いているだけかもしれない。
晴人くんに体育館中が見入っていた。
双子で、転校生で、スポーツ万能。狭い学校の世界で、話題にならないわけがない。
もちろん、結花ちゃんも話題になっていた。
転校生の双子を一目、見ようとバド部の見学もいた。
転校生の双子ってなんだ。設定盛りすぎだろう。
「すごいですね~。バド部」
休憩中に後輩に話しかけられた。
「うん、そうだね」
「キャプテン、同じクラスなんですよね」
「うん」
「えー、いいなー。転校生来るだけで、こう、なんか、ガッて、なりますよね」
「なに、ガッって」
「えー、ガッは、ガッですよ」
「うーん、そうかな」
「亜由実先輩がいなくなった席に双子で座ってるんですか」
「そんなわけないじゃん」
「ですよねー。でも、いいですね、新しい風って感じで」
さっきから、抽象的すぎる。
「風って感じはしないけどね」
「最近、キャプテン怖いんで、何か変わるといいですね」
「え? 」
ズバズバ言われるのはチームとして信頼関係ができているからだろうけれど、言われすぎな気がする。
「冗談ですよ。さ、練習練習」
「う、うん」
「キャプテン声、出していきましょう」
「うん」
声は出しているつもりなのにどんどん小さくなる。
「うわ、晴人えぐいー」
夏香の声がした。
晴人くんとシングルスしているみたいだ。
晴人くんも笑っている。
「え、弟の子、笑っているよ」
「ほんとだ、かっこいい」
見学から黄色い歓声が聞こえる。
集中させてほしい。もっとお腹から声を出せばかき消せるだろうか。
かき消せる?
そんな怖い言葉で私ってバスケしていたんだっけ。
「キャプテン? 」
「ごめん、何? 」
食い気味に返事をする。
「いや、まだ何も言ってないですけど」
「あ、そう」
「晴人―。もっとこいやー。」
何か得体の知れない何かが私の中で、潜って、抉って、巡っている気がする。
それはそれとして、夏香、あんたはうるさい。
※
部活が早く終わった。明日からGWで練習を詰めるから今日は早かった。
早く終わったら終わったで、部室でダラダラしてしまう。
「正直さー、3年生いなくなるのと同時に亜由実いなくなったの辛くない? 」
早く帰ればよかった。
「それな」
「進学校だから2年生の冬で引退ってチーム強くなんないって」
「それー」
「きさー、キャプテンはどう? 」
しんどいよ。
「うーん、まあまあじゃない? 」
亜由実がキャプテンだと思っていた。
「まあ、さきが言うんなら大丈夫か」
全然、大丈夫じゃない。
チームとしては確実に弱くなっている。特に得点を取る人がいない。積極性に欠けている。
「亜由実はあっちでバスケしてんのかな」
「してるでしょー。バスケするために学校きてたじゃん」
「たしかにー」
「ぶっちゃけさ、転校先で全国大会に行くので全国で会いましょうとか言ってたじゃん」
「最後のね」
「無理くねー」
「んー、まあねー」
私は荷物を素早くまとめる。
「きさはチーム全国いけると思う? 」
捕まってしまった。
「いけるか、いけないかはやってみないとわかんないんじゃない? 」
何も言っていないのと同じ言葉を吐く。
「んー、てかさー、引退した3年生みんな彼氏できたらしいよ」
「えー、まじ!」
「だってー」
「えー。顔見たい顔見たい」
雑談だったのか。私だけ勝ち負けを本気にしてバカみたいじゃないか。
亜由実は本気だった。本気で全国に行くって言っていた。それを信じていた。
私も信じたい。
信じながらバスケがしたい。
それなのに、3年生も、そっか。
信じながらバスケしてなかったのかな。
「あと、双子の弟、かっこよくない? 」
「それなー。双子揃って顔整いすぎ」
「ずるだよねー」
「遺伝って残酷って感じ」
「あー、私もそうやって生まれたかったー」
「きさ、同じクラスなんでしょ」
「あ、うん」
「どんな感じー」
「いや、二人ともいい子だと思うよ」
「きさ、優等生すぎ」
「ほんと、それ」
「そんなことないって」
うるさいな。もっと練習すればいいじゃん。
「まあ、きさには夏香くんがいるもんねー」
「そっか、幼馴染じゃん」
「ロマンだよねー」
「ねー」
「そんなことないって」
みんな幼馴染を特別なものだと思いすぎじゃないだろうか。
「ごめん、私帰るね。鍵、よろしく」
「はーい。り」
「おつー」
亜由実がいたときは部室もずっと居られるのではないかと思った。戦術の話をして、今日のこれがよかった、あれがダメだったって話して。本気だと思えた。
今はただ煩わしいだけだ。
なんで、私がキャプテンなのだろう。
なんで、私ばかり言われるのだろう。
みんな、本気じゃないのかな。
もしかして、本気な部分が違うのかな。
それって、なんだか、なんだか。
言葉にしたら全てが空虚になってしまいそうだった。
飛び出しそうな気持ちを両手でしっかりと閉まった。
閉まったあとに、今日は、「転校生がきたよ」とだけ、亜由実にメッセージを送った。
※
楽しい。
初めてシュートが入ったとき、いや入ったシュートを褒められたとき、楽しいって思えた。
褒めてくれたのは同じような背格好の女の子だった。
『ないすしゅーと』
『ありがと』
照れていた、と思う。あ、り、が、と、のひとつひとつの音は順に小さくなっていた。
『ないすなときはたっちするんだよ』
『うん』
ハイタッチじゃない、握手みたいに触れ合うタッチ。
特別じゃないから、何度も何度でもできるタッチ。
『名前なんていいうの』
『あさぎ、きさ』
『あさぎ、きいたことない! わたしはね、おだあゆみ、あ、ゆ、み』
『おださん、よろしく』
『あゆみだよ。あゆみ、あ、ゆ、み』
結構、強引だったな。
『私、希咲が別の学校じゃなくてよかった』
『え、なんで』
『希咲には手の内全部、バレちゃってるから多分全部止められる』
『そんなことないよ』
『中学から3ポイントがあっていいよね』
『え、私、苦手なんだけど。ミドルの方が決めやすいし』
『希咲はそうだよね』
『なに、嫌み? 』
『そんなわけないじゃん。私たちの仲だよ? 』
『じゃあ、何? 』
『なんで私が3ポイントばっかり練習するのわかってなさそうだなって』
『最近、多いよね。成功率も上がってる』
『へっへー。そうでしょ』
『私も練習しないとな』
『いやー、練習しないでいいんじゃない?』
『なんでよ、チームのためになるでしょ』
『私が打つからいいよ。希咲はどんどん切り込んでいって』
『そう? 』
『もちろん、3ポイントだけ打つ気はないよ。でも希咲が攻撃の要になってきてる』
『そうかな、切り込んでいって自爆も多いよ』
『私へのパスがある。希咲はわかってる。欲しいときに欲しいパスをくれる』
『褒めすぎだって』
『私が打ちたくないときは自分で持って行ってくれる』
『え? そうかな』
『希咲はわかってるんだ。私のことも、チームのことも、試合の流れも』
『なになに、今日、私誕生日じゃないよ』
『それを私がわかってる』
人生に何度、わかってもらえる瞬間があるんだろう。もし一度しかないなら私はこの時だったと思う。
『明日もいいパスちょうだい、親友』
『え、恥ずかしいんだけど』
低めのタッチ。これまでも何度もした、そしてこれからも何度もするタッチ。
このときはそう思っていた。
『おい、二人だけで何喋ってんだよ』
『え、デリカシーないやつには内緒のはなしー、ねー希咲』
『ねー』
『ひどくねー』
『練習ちゃんとしないやつにはわかんない話だよー』
『はー、ひどくね。俺だって真面目なところあるって』
『ないね』
『ないね。ない』
私たちは三人で笑っていた。いつまでも続くと思っていた。
亜由実が私の手を引いて歩き始める。
『はいはい、いいですね、二人は今日も仲良しで』
『いいでしょ。夏香も希咲の手つないでいいんだよ』
『は、ば、バカなこというなよ』
『私も嫌なんだけど』
『あ、フラれちゃった』
『なんで、俺が悪いみたいになってんだ。おい、早く帰るぞ』
『帰ろうー』
私も亜由実の手を握りしめる。この時間をこれ以上、手放さないでいいように。
携帯の振動がした。
ちょっとの間、眠っていたことに気がつく。
AYUAYU:『バスケ部? 』
亜由実から返信が来ていた。
『違う、バド』
私はすぐに返信する。
『夏香と同じじゃん』
居る。そこに亜由実がいる。
『そうなの、それに双子。男女で男の子はバドもうまい。女の子はマネージャー』
長くなってしまった。
『え、すご。マネージャーってバドの? 』
『うん、バドの』
『珍しいね。設定盛りすぎじゃん』
亜由実と同じ感想だ。同じ感想だ。
『そうなの』
そこから返信はなかった。
※
GW最終日、今日は顧問の佐藤先生が休みだから自主練習。
キャプテンなんだから気を引き締めなおさないと。
「お、希咲じゃん」
気を引き締めなおしたんだ、気の抜ける声は聴きたくない。
仕方なく、振り返るとこれから部活の夏香と晴人くんがいた。
晴人くんが頭を下げた。
「何? 」
「おい、顔怖くね。なあ晴人」
晴人くんは何も言わない。
「ひどいこと言わないでもらっていい? 今から集中しないとなんだから」
「いや、怖い顔してるぞ。そんな人に朗報です」
「何? 」
「晴人めっちゃバドうまいんだよ」
「そうなんだ」
晴人くんに失礼にならないように相槌を打つ。
そんなことちょっと見たらわかる。ちょっと横目に見ていた。
「今日、練習のあとも二人で打とうって話しててなー、晴人」
夏香から晴人への一方的な会話すぎる。ていうか、え? 練習嫌いの夏香が自主練?
「え? 自主練? 」
「そうだよ。それ以外あるかよ」
「あの、練習嫌いのあんたが、自主練? 」
「いいだろ、別に」
「ウソでしょ」
うっすら晴人くんが笑った。
あ、笑うんだ。
「まあ、そういうわけだから。一緒に帰れんかも」
「え、あ、そう」
「おい、最近一緒に帰ってないからって俺様のことどうでもよくなったのかよ」
「いや、違くて」
「キャプテン! 何してるんですか。キャプテンいないと練習始められないですよ」
後輩が私を呼びに来た。
「あ、ごめん! ちょっと、あんたのせいで怒られたんだけど」
「え、違くね。なあ晴人」
晴人くんが頷いた。
「え、頷くの? 」
今度は声に出てしまった。
「いいねえ、晴人。それでこそ、俺の相棒だ」
夏香が晴人くんと肩を組む。一方的に見えて、案外、この二人って相性いいのかもしれない。
でも、なんだろう夏香の顔がちょっと嫌だ。うざいことはいつものことなのに、ノリだって変わってないのに嫌だ。
肩を組んでいる二人が揺れている。歪んで見える。
「キャプテン!? 」
「あ、ごめん! 今行く! 」
「夏香さんとイチャイチャしてないで、早くしてくださいね! 」
「し、してないし! 」
そんなことしているわけがない。
そんなことしている暇はない。
ただ、ちょっとだけ二人が羨ましいなって思ってしまっただけ。
きっと、それだけ。
※
体育館は少し熱を帯びてきた。もしかして、夏香がやる気を出したからだろうか。
嬉しいはずのその熱を嫌がっている自分は、この体育館でうまくプレーができるのだろうか。
私は自主練のメニューをチームに伝える。
自主練習は難しい。
練習メニューは何度も考えたけれど、チームにとって軽すぎず重すぎずじゃないといけない。
「えー、しんどくねー」
「先生居ないからもっとできることしようよー」
色々な声が上がるけれど仕方ない。
私はしっかりしないといけない。
「声出していくよー」
自分に言い聞かせるように叫ぶ。
自分で考えた練習をチェックリストのように一つ一つ潰していく。
黒く、塗りつぶしていく。
「なんか、気合入りすぎじゃない? 」
「え」
「なんか変だよ、きさ」
「うちも同感」
「そんなことないよ。みんな集中しよ」
「いや、まずきさが集中しなきゃ」
「説得力ないー、こんなきついの、やめよー」
「みんなー、ちょっと休憩」
『はーい』
「ちょっと、勝手になにしてんの」
「いやいや、それは、きさの方でしょ」
「それなー」
練習はまだまだ、始まったばかりなのにみんな休憩を取る。今日は、佐藤先生がいないのだから、私がしっかりしないと。
私が。
「ねえ、練習しよって」
みんな、私の話を聞いてよ。
キャプテンの私の指示を聞けばいいんだから。
「だから、一回頭、冷やしなって」
勝手なこと言って。
「冷えてるよ! 」
体育館の熱を私が冷ます。
体育館に私の声だけこだました。思ったよりも声がずっと大きかった。
叫んでいたつもりのさっきの声より、もっと大きな声だった。
「ほら、熱くなってるじゃん。厳しくすればいいってもんじゃないって。ごめん、みんなー。今日はチーム練なしにしよ。やるとしてもワンオンワンまでね」
『はーい』
熱がまた温度を取り戻す。
誰も私の声を聞いてくれていない。
私だけ、取り残して練習が再開する。
軽い練習になったのに、チームの雰囲気はよくなっていた。
「いったん、きさは水でも飲んできなって」
「それなー」
私はどうしたらいいかわからなくなっていた。
やっぱ、私にキャプテンなんて無理だったのだ。
最初からやりたくなかったのに。
誰も指示を聞いてくれない。
私には無理だ、亜由実がいないと。
私は返事もできずに体育館を後にした。
初めて、バスケの音が雑音みたいに聞こえた。
※
私は体育館の外で座っていた。
特にベンチがあるわけどもないから意味なさそうな段差に腰掛ける。
頭がすごく重い。
頭にタオルをかけているからだろうか。
汗が乾いていくのがわかる。
怪我したわけでもないのに肩が痛い気がする。
「大丈夫ですか? 希咲さん? 」
簡単に胸に届いてしまいそうな声。涙を引きずり出してきそうな声がした。
「あ、えっと」
「忘れられてしまいましか? 結花ですよ」
向日葵みたい。花開いた瞬間みたい。
カラっと晴れているのに乾いていない、透き通った晴れみたい。
これがこの子の距離の詰め方なのだろう。
やめて、近づかないでほしい。
「まるでひどいフラれ方をした、みたいな顔をしてますよ」
亡霊とか、フラれ方とか、この子に私はどう見えているのだろう。
私は何も応えられない。
「さっきは、悔しかったですね」
何の許可も取らずに、その向日葵は隣に座る。
「必死にやっているんですね。伝わりますよ」
この子になんのメリットがあるのだろう。
私に近づいてなんのメリットが。
亜由実と違う、小さな手が私の重い頭を撫でる。
「よしよーし」
向日葵がゆったりと揺れるように、ひとひらの花弁が美しいように、手は優しく私に触れる。
撫でられる度に、頭の重さが軽くなっていく。重さが、なくなってしまう。
手を振り払ってしまおうかと思った。
出会って数日のこの子に私の何がわかるのだろうと思う。
何も知らないくせに。
それなのに、私の頭と体は触れられていることを拒めない。
やめてほしいのに、やめないでほしいと思ってしまっている。
「頑張っているんですよ、希咲さんは」
綻ぶ。
眩しさが水滴で錯乱する。
「私、わた、し」
「泣いていいんです。泣いていいんですよ」
「あんたに、なにが」
言葉を絞り出す。
「何もわかりませんよ。でも頑張っている人は簡単にわかります」
「だって、亜由実、もう」
言葉が、出ない。
「頑張っているんです。それだけです」
言葉にならない気持ちが涙と混ざって、眩しさに照らされる。
涙が形になる。でも、すぐには蒸発しない。
一滴、一滴ずつ段差に落ちていく。
はっきり落ちていくから、頑張りが嘘じゃなかったことがわかる。
「よく頑張ってます。希咲さんは」
私は泣いていた。
試合に負けたって涙は出なかったのに。
亜由実が転校したときだって、涙は出なかったのに。
出会って数日の、知らない人の前で泣いている。
霧を無理やり晴らされるように、泣いている。澄み切った声の人の元で。
「え、キャプテン? なにしてるんです? 」
私は反射的に手を振り払って、タオルで顔を隠す。
後輩だ。
「あ、えっと」
「練習戻ってこないから、大丈夫かなって思って」
「あ、うん。もう、戻る」
「誰ですか、あなた」
「如月結花です。転校してきて希咲さんと同じクラスの」
「あ、バド部のマネージャーの」
「そうです」
「知らないけど、バド部戻ったらどうですか。バスケ部のことはバスケ部でやるんで」
「それも、そうですね。申し訳ありません」
「先輩、戻ったら私とワンオンワンしてください」
「それじゃ、希咲さん。私たちも戻りましょうか」
「あ、うん」
振り払った手が、また簡単に私の手を握る。
「先輩? 」
後輩がどこか不信感のある表情を浮かべる。
「大丈夫、大丈夫。戻る戻る」
私は手を振り払って走り出す。
後輩も結花ちゃんも置いてバスケの音の方へ戻っていく。
