実習終了後……僕の足は勝手に犬舎へ向いた。サンタを犬舎に戻すまでが実習で、三回目だけあって衰弱しきっていたサンタは麻酔から醒めても以前のように叫ぶこともなく、ただただ震えていた。
 そんなサンタの様子を見るに堪えなかったのだろうか……他のグループ員、いや、学年の者全員は解散していたが、僕は再度、犬舎へ向かわずにいられなかった。

 しかし、部屋に入るとすぐに、サンタをさすってやっている沙知が目に入った。
「小島さん……」
 すると沙知はこちらを向いて、力なく微笑んだ。
「あぁ……山根くん」


「今日はごめんなさい」
 僕は小刻みに震えるサンタをさすってやりながら、呟くように口にした。
「何が?」
 勝気でプライドの高い彼女は……何事もなかった風を装って。僕は少し、苦笑いした。
「いや、色々と」
「あぁ……全然、気にしなくてもいいよ」
 彼女が頭をそっと撫でると、サンタは安心したのだろうか。震えがおさまったような気がした。

「でも、他のことは僕の勉強不足だったけど。胃の縫合は……僕なりに勉強して練習もして。自信も持っていたから、術者としては押し通すしかなかってん。術者が小島さんだったら……小島さんに従うけど」
「いや……山根くん、全然勉強不足じゃなかったじゃん。ほとんど、一人でできてたし」
 彼女はサンタを温かく撫でながら、呟くように言った。

「いや、それは違うよ」
 僕は彼女を真っ直ぐに見た。
「今日の手術……僕一人だったら、絶対に何もできなかったよ。全く初めてだったし、全然、何もできなかった」
「そんなことないでしょ」
 彼女は苦笑いした。
「いや、本当に」
 そんな彼女に、僕は……自分の率直な想いを口にした。
「今日は助手が小島さんで、すごく心強かったし、感謝もしている。だから、そのことは……分かって欲しくて」
 僕の想いを聞いた彼女の瞳は……少し、潤んだような気がした。

 僕達が撫でてやっているうちに、サンタは復活してきて……ゆっくりと尻尾を振り始めた。
「こうやって……山根くんとお話をするのも、初めてね」
「そう……かもな。四年間も、同じクラスだったのに」
「まぁ、グループ違ったからね」
 僕達は苦笑いした。
「山根くんってさぁ……臨床志望?」
「いや……正直、分からなくて迷ってる。小島さんは、臨床志望だよね?」
 僕が言うと、彼女の目が泳いだ。
「私は……そうだったけど、向いてないかなって。だって、馬鹿だし」
「えっ……全然、そんなことないじゃん。小島さんが臨床行かなかったら、誰が行くんだって」
「いや、本当に。それに、今日思ったんだけど……山根くんこそ、臨床向いてるよ。意志が強いし」
「えっ、いや……そんなことないよ」
 そう言って僕達は……もう完全に復活したかのように立ち上がって尻尾を振るサンタを見て。同じ手術を乗り越えた戦友として、笑い合った。
「小島さんって……術者するの、最後だったよね」
「えぇ……そうね」
「何て言ったらいいか、分からないけど……兎に角、頑張りなよ」
「何、それ?」
彼女はクスっと笑った。
「大丈夫よ、そのくらい。今まで、何匹の死を乗り越えたと思ってるの?」
「そっか……ま、そうだよな」
 彼女はいつものように勝気で。僕はホッとして微笑んだ。

 最後に術者を担当すること……それは、実習犬をその手で安楽殺することを余儀なくされる。決して大丈夫なんかじゃない。精神的な負担は相当に大きいはずだった。
 だけれども。それを乗り越えなければ……獣医師になるには、避けては通れないことだった。