ホテルにチェックインして、二人で部屋に荷物を置く。
 広々とした和室は、二人には広すぎる。
 きららは「わぁあ」と感嘆の声をあげながら、窓に近づいた。

 俺も隣から、海を見下ろす。
 きらきらと光を反射して、祝福のように輝く。
 二人きりの部屋に泊まるというのに、あんな告白してしまった。

 きららはどう思ってるのだろう。
 海からきららに視線を移せば、ばちんっと視線がかち合った。

 お互い何も言わずに、見つめ合う。
 耐えきれず、ふっと吹き出せば、きららも口元を手で押さえてふふふっと笑った。

「こんなことになるとは、思ってなかったなぁ」

 きららが右手を差し出すから、握るふりをして抱きしめる。
 触れた体温が、脈打つ心臓が、ここにきららがいることを伝えていた。

「帰りたくなくなった。きららのせいだな」
「私だって帰らなくていいなら、帰りたくないよ」
「話す気は、ない?」
「なんのこと?」

 とぼけて、きららはするりと俺の腕の中から抜け出す。
 帰りたくない、は今が楽しいから?
 それとも、帰れば……痛い思いをするから?
 まだ、俺には打ち明けられないだろうか。

 どうしたら、きららの信用を得られるんだ。
 ぐるぐると考えながらも、広縁のイスに座る。
 きららも俺の目の前に、ちょこんとぎこちない動きで腰をかけた。

「きらら、なんか緊張してねー?」
「へ?」
「変なことはしないって!」

 ぎくしゃくと、首を横に振る。
 そりゃあ、自分のことを好きだと言って抱きしめるような男と同じ部屋で泊まるのは緊張するだろう。
 それでも、きららが嫌がるようなことは絶対にしない。
 きららの信頼を得たいのに、そんなバカな真似をするか。

「そうじゃなくて、どうしていいか、わかんないの」
「なんで?」
「誰かの私で居たかったんだけど、いざ、そうなると、こう、わぁああってなって……星、折ってもいい!?」

 急に立ち上がって、カバンを開け始める。
 そうはならないだろ、とは思いつつも、きららの動きを眺めた。
 あまりの幸福感に、呼吸が止まりそうになる。
 幸せとは、こういうことをいうんだろう。

 誰かに認めてもらうとか、夢を持つとか、そういうのじゃない。
 俺の幸せの形は、きららそのものだ。

 きららはカバンから色とりどりの、細長い紙を取り出した。
 旅行にまで持ってきてるとは思わず、目を開く。
 両手いっぱいに紙を持って、もう一度俺の前に座り直す。

 テーブルの上に置かれた紙を一枚摘み上げて、素早い手つきで星を折り上げていく。

「落ち着かない時に、つい、作っちゃうんだよね。無心でできるから……」

 きららの現実逃避が、俺の幸せの形になっていたのか。
 そんな事実を知って、胸がときめくのは重症な気がする。

「一枚ちょうだい」

 一枚、拾い上げて、五角形を作る。
 きららは、その間にまた、一つ作り始めていた。
 くるくると巻いていくうちに、きららと出会った日のことを思い出す。
 感じが悪い、と思っていた。
 意味のわからない女だとも。

 まさか、好きになるなんて想像もつかなかった。
 最後の角を折り込んで、膨らませる。
 前回よりも少しだけ上手く出来た星を、きららにぽーんっと投げた。
 それでも、きららの星の方が綺麗な形をしてる。

「わっ、ちょ!」

 両手で潰さないようにキャッチして、こちらを睨む。
 膨らんだ頬すら、愛おしい。
 こんな気持ち、俺にもあるなんて知らなかった。

「きららに幸せをあげるから、きららの時間を全部俺にちょーだい」

 きららは、じっと、手のひらの上の星を見つめる。
 俺はその間にもう一つ、不格好な星を折った。
 そして、もう一つ、きららの手のひらの上に降らせる。

「ほら、願い事を言ってみろよ」
「そんな急に言われても」
「はい、もう一個」

 目の前の紙が無くなる勢いで、星を折る。
 きららが星を折ることを、もうしなくていいように。
 そんな日々が来なくなるように。
 祈りを込めて、星を何個も、何個も作る。

 あの日、公園で俺の手に振ってきた星くらいの量ができた時。
 きららは、星を上に放り投げた。

 パラパラと、星が床に落ちていく。
 まるで、本当の流星のように。

「あっくんが幸せになりますように!」

 最後まで、きららは自分の幸せを願わない。
 心の底から、現状を幸せに思ってるのかもしれないけど。
 それでも、悲しくてたまらなかった。
 俺の幸せを願ってくれることが、嬉しいはずなのに。
 泣き出して、胸を掻きむしりたくなるくらい、苦しい。

「あっくんは、でも、もう幸せだよね」

 きららは、一粒、一粒、床の星を拾い上げて、机の上に載せる。

「だって、自分で作れちゃうでしょ。幸せ」
「なぁ、きららにとっての幸せって何?」
「あっくんが、幸せだって笑ってくれること」
「俺も、そう。きららが幸せだって笑ってくれること。だから、二人で居ればずっと幸せだよ」

 きららの本当の幸せは、今は二の次でいい。
 いつか、願ってくれれば十分だ。
 だから、離れないで。
 俺の隣で笑ってて。
 痛いことを忘れさせてあげる。
 この三日間を、永遠にしたい。

「それも、そうだね」
「ここに居ればいいよ。ずっと」

 机の上に、最後の一粒を置いたきららの手を掴む。
 俺の体温が、きららに移ってあたためてあげられればいい。
 今はそれ以上望まない。

「それは、きっと、すごい幸せだね!」

 潤んだ瞳を、見ないふりをして、わざとらしく笑う。
 旅行の間だけでも、普通の幸せを享受してくれ。
 気づけば、願いを口に出しそうになっていた。

「だろ? めいっぱい、楽しまなきゃな」
「まずは、温泉でしょ! 夜は炉端焼き!」
「絶対暑いだろうけどな」
「それが、いいんでしょ」

 手を離せば、きららは立ち上がる。
 そして、俺の横まで来て床に座った。
 俺も、イスから降りて、床に座り込む。
 触れてる太ももに、幸せを感じてしまう。

 肩にもたれかかるきららの重みを確かめながら、この後の楽しい予定を二人で上げていく。

「明日は観光! 水族館も行こうね」
「クラゲな」
「クラゲラーメン食べちゃう?」
「きららが食べたいなら」

 クラゲが丸々入ったラーメン。
 きららが興味津々に見ていたから調べたけど、味は、普通のラーメンらしい。

「言ってみただけ」
「海鮮丼も食べたいんだもんな」
「そうそう、海鮮丼はマスト!」

 海鮮丼は、市内の方に目星をつけてある。
 そこまでいくためのバスも、調べてきた。

「あとは、写真も撮りたいね」
「もちろん、撮るだろ。初デートだぞ」
「付き合うことに勝手にしたの?」

 きららの発言に、ウッと言葉に詰まる。
 この流れは、付き合ったのでは……?
 俺の勘違い?
 舞い上がっていた気持ちが、萎れていく。

「うそうそ。私たちもう恋人、でしょ」

 指を絡めて、手を繋がれる。
 きららの意地悪だったことに気づいて、ぎゅっと強く握りしめた。

「性格悪いだろ」
「そんなとこも、好きって? ありがとー」
「好きだけどな」
「バカ正直に言わないでよ、恥ずかしい」

 きららは耳まで真っ赤にして、離れようとする。
 だから、繋いでいた手をぐいっと引っ張った。

「離れさせるわけねーだろ」
「やだー、あっくん急に強引」
「仕返しだからな」

 楽しい時間が、ただ続いていく。
 確かにそんな実感があった。
 俺がきららを笑わせられているという、自負も。

 *  *  *

 二日目の朝。
 きららは、寝起きの顔すら可愛い。
 そんなきららが俺の恋人だというのを実感して、深く息を吸い込む。

「なに、変態」
「ちょくちょく、口悪りぃな」
「べーだ!」

 べーっと舌を出す仕草をして、洗面所へ逃げていく。
 そんな行動すら呼吸が止まりそうなくらい、愛おしい。
 だから、追いかけて抱きしめる。
 きららは、抵抗もせず、むしろ、抱きしめ返してくれた。

「暑い」

 そんな文句を言いながらも、だ。
 二人で並んで歯磨きをする。
 鏡に映った二人が、まるで新婚みたいに見えて、一人で恥ずかしくなった。
 顔も洗って準備を済ませて、カーテンを開ける。
 太陽が燦々と輝いて、海を照らしていた。

「今日も、暑そうだねぇ。いい天気だけど」
「絶好の観光日和だろ」
「そうともいう! いこ!」

 右手を差し出されたから、指を絡めて繋ぐ。
 まずは、水族館だ。
 旅館の前から、バスが出ていることは調べてあった。

「バス、何時だっけ?」

 エレベーターで降りる途中、きららがこちらを見上げる。
 心臓に突き刺さる可愛さに堪えながら、腕時計を確認した。
 あと十分ほどだ。
 ちょうどいい時間に出れたと思う。

「あと十分」
「ちょうどいいね、さすが!」
「だろ?」
「謙遜という言葉を知らないんですか」

 きららが褒めたくせに、嫌味を混ぜた敬語になる。
 気まずい時のきららの癖だって、わかってきた。
 だから、爽やかな気持ちでエレベーターを降りる。

「知ってるけど、褒めたのはそっち」

 言い返せば、きららは無言で頬を膨らませた。
 つついて割ったら、どんな顔をするだろう。
 意地悪な気持ちが、むくむくと起き上がる。
 知らないきららの顔を見れることが、嬉しい。

 旅館を出て、バス停を目指す。
 外は、夏の匂いが濃い。
 視界に入る全てが、夏に彩られている。
 揺れる緑。
 照らしつける白い光。
 全てが新鮮で、胸いっぱい空気を吸い込んだ。

「あっくんって、ちょっと変わってるよね」
「どこが」
「なんか、変。うん、変!」

 確かめるように、もう一度「変」と、声を上げる。
 嫌な気分は全くしないのは、相手がきららだからだろう。

「きららも変わり者だけどな」
「私は普通だよ、普通の女子こーせー」
「はいはい、普通普通」

 普通の女子高生は、希望の希を、希うと言わない。
 それに、謙遜という言葉もあまり使わないと思う。
 きららは時々、難しい言葉を使ってくる。
 そして、俺の心を探るような視線を投げかけてきた。
 腐っても俺は、小説家と国語教師の子どもだ。

 国語は苦手とはいえ、小さい頃から言葉には触れてきた。
 読むのは、嫌いじゃない。
 感情を選べ、とか、考えを書けという問いが、苦手なだけだ。
 母さんの小説だって、毎回新刊が出るたびに実は読んでる。

 最初は母さんの思ってることが知りたかった、からだけど。
 あれは、フィクションで本当の母さんの願望でも、考えでもないことは今はわかってる。

「きららって小説とか読むの」
「人並みに?」
「へー」

 自分で聞いた癖に、と言いたげな目で俺を見つめる。
 聞いただけ、と答えようとしたところでバスが止まった。
 開いてる二人掛けに座れば、思いの外狭い。
 バスに乗ったのも、いつぶりだろうか。
 自転車で出かけられる範囲にばかり、出かけていたことを思い出した。

「さっきの話だけどさ」

 きららが、窓の外の海を眺めながら、小さく俺に話しかける。
 バスにはあまり人が乗っていないから、話していても咎められることはないだろうに。
 気を遣ってるのだろう。
 そんなきららに、胸が熱くなる。

「小説っていうより、物語が好きなんだよね」
「漫画とか、映画とか、ドラマとかってこと?」
「人が創ってるハッピーエンドのお話が好きなの」

 ハッピーエンドのお話。
 もしかしたら、母さんの小説も読んだことがあるかもなと頭をよぎる。
 登場人物を最後は絶対に幸せにする、が信念の人だから。

 小学生の時の授業で、親の仕事の話を聞いた時。
 母さんは「人が死のうが、ミステリーだろうが、絶対に救いを描く」と言っていた。
 一見わかりづらい終わりでも、必ず、幸せを匂わせるのだと。

 仏頂面の方が多くて、他人に興味のない母さんらしぬないなと感想を抱いたことを今も覚えている。
 俺が気づかなかっただけで、母さんは母さんなりに人間を愛してるのだ。

「辛いことがあっても、幸せな気持ちになれるから」

 きららから出てきた、誰かを基準にしない幸せ。
 その言葉に、つい、体を寄せてしまう。
 きららは身を屈めながら、俺の肩をぐっと押した。

「狭い」
「悪い。幸せな気持ちになれるって、幸せな話を読めばってこと?」

 こくん、っと頷く。
 物語の中の他人に、感情移入してるんだろうか。
 どう問えば、答えが返ってくるか思案してしまう。

「たとえば……」
「あっくん、急に興味津々じゃん。物語好きなの?」
「嫌いではないよ」

 でも俺が興味あるのは、そこじゃない。
 きらら自身の考えだ。
 きららはそんなこと全く、気づいていないけど。

「それは主人公とかに感情移入してるってこと?」
「うーん、こうなれたらいいな、は思う、かな?」
「最近読んだ本で、そう思ったやつは?」
「あ、今回持ってきてるから貸す?」
「貸してほしい」

 きららと同じものを読めば、きららのことを知れるだろうか。
 本棚はその人の心を表す、みたいなことを聞いたことがある。
 父さんと母さんは例外だと思うけど。
 父さんの本棚は、ジャンルもそれぞれすぎる。
 揃っていて、わかりやすいのは母さんの小説くらいだ。

 母さんの本棚はといえば、資料のための興味があるなしで買っていない。
 いつ見ても、なんでこんな本買ってんだ? みたいな本ばかり並んでる。
 俺も時々拝借してるけど。

「じゃあ、宿に帰ったら貸してあげる」
「ありがと」
「素直に感謝されると、こう、ムズムズする」

 繋いでいない方の手で、きららは胸の辺りを掻き回す仕草をした。
 今のはどう考えても「ありがとう」が妥当だとは思う。
 けど、受け取り慣れていないんだ。
 だったら、俺がいっぱいありがとうもあげよう。

 バスは水族館前で停車し、ほとんどの乗客が降りていく。
 水族館は海に囲まれていて、まるで浮かんでるように見えた。

「すごい、こんな感じなんだね」
「きららも初めてなんだ?」
「県民でも、庄内の人たち以外はそんなもんじゃない?」

 それもそうか、と頷く。
 水族館の前には夏休みだからかテントが張られて、出店が出ている。
 海鮮焼きやソフトクリーム、焼き鳥まであった。

「いい匂いする〜!」

 朝食をホテルで食べてきたばかりなのに、匂いに釣られる。
 きららがフラフラと寄っていくから、俺も向かう。
 イカが醤油を纏って輝いているし、たこ焼きみたいなホタテ焼きとおいしそうな焦げ目だ。

「水族館みたら、ちょっと食べるか?」

 きららの目にハートが映ってるような気がして、提案する。
 きららは満面の笑みを浮かべて、大きく頷いた。

「食べる! あ、でも、クラゲラーメン食べたらお腹いっぱいになるかな」
「え、クラゲラーメン本当に食べんの?」
「食べないと思ってたの!?」

 だって、あの時は「言ってみただけ」と言っていた。
 だから、本気だとは思っていなかった。
 海鮮丼も食べにいくし、ラーメンを食べたら、出店は無理だろう。

「うそうそ、出たら出店でちょっと食べて、海鮮丼行こう」

 考えていたせいか、俺が乗り気じゃないように受け取ったらしい。
 きららは、慌てたように訂正をする。
 俺に合わせようとしてるのが見てとれて、後悔した。
 すぐに、肯定すればよかった。
 この旅だけはきららが望むように過ごしてほしい。
 そう思うのに、ちょっとした間で、仕草で、きららは折れてしまう。
 
「いや、俺はどっちでもいいんだけど……」
「水族館見てから考えよ!」

 きららが急に走り出すから、手が引っ張られる。
 追いかけて、チケット売り場までたどり着いた。
 二人分のチケットをバイト代から、購入する。

 水族館の中に入れば、家族連れやカップルが多い。
 デートにも、夏休みのお出かけにも、定番だからだろう。
 魚の水槽を眺めれば、水の中を涼しげに泳いでいた。

「これだけ暑いとちょっと羨ましいよね」
「水温も高くなってるだろうけどな」
「水族館内は、管理されてるから涼しいでしょ!」
 
 目をキラキラと輝かせて、きららは水槽に顔を近づける。
 魚が数匹寄ってきて、パクパクと口を開いた。

「餌だと思われてんぞ」
「かわいいー! あっくんより素直でかわいいね」
「俺の方が可愛いわ」
「え、どこが? どこどこ? かわいいあっくんどこー?」

 キョロキョロと俺の周りを、見渡す。
 はしゃいでいるなと思いながらも、そんな姿さえ、胸を動かした。

「ここ、です! まぁ俺よりきららの方が可愛いけどなー」

 目の前に顔を近づければ、頬を赤く染め上げる。

「バカ」

 顔ごと逸らされたけど、手は繋がれていた。
 ため息混じりのバカさえ、かわいいのは、もうどうにもならない。
 俺も、舞い上がってる。

 順路を進んでいけば、暗い照明の水槽にたどり着く。
 有名なクラゲの場所だった。
 クラゲは小さい水槽の中で、ふわふわと揺らいでいる。
 室内の暗さのせいか、まるで夜に光る星みたいだ。

「キレイだねぇ」
「本当だな」

 一匹一匹、波に揺られるように動き回ってる。
 じっくり眺めていれば、少しだけ好きになってきた。
 クラゲラーメンを食べるのはやめとこうと、罪悪感を覚えるくらいには。

 もう少し進めば、一際大きな丸い水槽に巡り合う。
 手を伸ばしても、到底届かなそうな高さだ。
 上から光に照らされていて、まるで流星みたいにクラゲが落ちていく。

「流星みたい」
「願い事言ったら叶うかもな」

 そんなジンクスがあるわけではない。
 勝手に俺が呟いただけの一言だ。
 それでも、きららは目を丸くして、ぽつりと願い事を口にした。

「あっくんとの時間が永遠になりますように」

 想像していなかった願い事に、呼吸が止まる。
 キラキラと光りながら漂うクラゲだけが、動いていた。
 俺が永遠にするよ。
 そんな格好つけた言葉一つ言えず、真剣に祈るようにクラゲを見上げるきららを見つめていた。

「口開いてるぞ」
「おいしそうとか思ってないからね!」
「思ってたんだな?」

 きららはちらっと俺の方を見て、そのまま進んでいく。
 ちょっとだけ、ご機嫌斜めにさせてしまったらしい。
 軽い口調でふざけ合うのが楽しくて、やりすぎた。

 反省しながらも、進めばショップが出てくる。
 クラゲのキーホルダー、クラゲのぬいぐるみ。
 はては、クラゲアイスまで売っていた。
 あまりのクラゲ推しに、ちょっとクラゲの良さに目覚めかけている俺は、目を奪われてしまう。

「ラーメン食べる?」

 きららの問いかけに、首を横に振る。
 こんな感傷的な人間のつもりは、なかった。
 それでも、キラキラと漂っていたクラゲを食べるのは少し可哀想に思える。
 まぁ、動物も魚も食うんだけども。

「やめとこっか」
「きららが食べたいなら付き合うよ」
「ちょっと、可哀想になったからいい」

 同じ感性を持ってることに、胸が膨らむ。
 きららと同じものを見て、同じことを考えてるなんて、普通の恋人みたいだ。

「じゃあ、せめてお土産買って帰ろうぜ。あ、柴田さんにも」

 柴田さんにあれほど、燃え盛るようなヤキモチを焼いていたのに。
 きららと恋人になったと思えば、胸のつっかえは消え去っていた。

「ぬいぐるみ、とか?」
「欲しいなら?」
「だって可愛いじゃん!」

 近くにあった手のひらサイズのクラゲを、きららはぎゅうっと抱き寄せる。
 そんな仕草を見せる、きららの方が可愛い。
 だから、きららの手元のクラゲを奪い取って、同じ色のクラゲをもう一つ手に取る。

「決めるの早くない?」
「きららが抱きしめたやつ置いてけるわけないだろ」
「なにそれ」

 呆れたような声なのに、目が笑ってる。
 そして、もう一度、かすかに笑いながら同じ言葉を口にした。

「なにそれー!」
「うるせっ! 他にはないの」
「カラカラせんべいだって、これ中におもちゃ入ってるらしいよ、これにしよこれ!」
「柴田さんのお土産?」

 柴田さんは、受け取ってどんな反応をするだろうか。
 鼻で笑う気もするけど、意外にはしゃぐかもしれない。
 ちょっとだけ、ズレでる人だから。
 想像だけで、おかしくなってきた。

「私たちの分も買おう! お揃いでたら、運がいいってことで」
「じゃあ、お揃い出たら、俺らは永遠に一緒になれるってことで」
「な、にそれー」

 きららのさっきの願掛けを、叶えるってことだよ。
 口には出さずに、ふっと微笑んでみせる。
 きららは、それでもわかったようだ。
 どんっと俺の肩に体当たりして、ぼそっと答える。

「あっくん時々かっこつけるよね」
「かっこいいの、間違いだろ」
「そういうことにしといてあげる」

 耳まで真っ赤なきららに、気づかないふりをする。
 きららと繋いでいた手を離して、からから煎餅を三袋手に持った。
 ぬいぐるみとせんべいだけで、両手がいっぱいだ。

「私も持つよ」
「俺が買うからいいの」
「それもかっこつけ?」
「ちょっとくらい、いいとこ見せたいじゃん」

 一緒のバイトをしていたから、どれくらいの予算があるかはバレバレだろうけど。
 これくらいの奢りなら、受け入れてくれるだろう。
 そう思っていたのに、きららはムキになって俺の腕からぬいぐるみ一匹とせんべいを一袋奪って行った。

「奢られたいタイプじゃないんですけど」
「カッコつけてる時は、甘えるのがいいと思うんですけど」
「違うとこでカッコつけてくださーい! 買って、外の出店行こ」

 左手が必然的に開いたかと思えば、繋がれる。
 離すのが嫌だったなら、そう言えばいいのに。
 俺の勝手な思い上がりかもしれないけど。

 緩む頬を押さえきれない。
 付き合う、となってからきららは距離感が近くなってる。
 それは悪いことじゃなく、嬉しいことだけど。

 レジでお会計を済ませて、全てまとめて袋に入れてもらった。
 きららが左手でぷらぷらと揺らしながら、俺の隣を歩く。
 あまりの幸せすぎる時間に、俺の幸せはやっぱりきららといることだと実感した。

「そんなに見て、なに?」
「幸せの意味がわかったな、と思って」

 きららの恋人というラベリングが、ベッタリと身体に張り付いてる。
 それこそが幸せだろう。
 ずっと探していたものが、やっと見つかった。
 安心したような、ちょっと泣きたいような気持ちになってしまう。

「じゃあ、幸せになれたね?」
「なれたけど、まだ、ここに居ろよ」
「なれたら、はいじゃあね、なんて、するわけないじゃん」

 震える声で、きららが答える。
 きっと、俺が幸せになったら、きららは目の前から去る選択をするつもりだったのだろう。
 今は、違うと信じたい。
 恋人になると、頷いてくれたのだから。
 旅の終わりはもう、すぐそこまで近づいている。