心臓が、破裂しそうだ。
両親と面と向かって話すことは、今までそんなに無かった。
どうしても、今、行かなければいけない。
きららの特別になりたいんだ。
そしたら、きっと自分の生きる道標になると思うから。
父さんも母さんも渋い顔をして、柴田さんを見つめる。
自宅のリビングに、バイトで出会った柴田さんがいるというのも変な話だ。
黙りこくったまま、時計のカチカチという音だけ響く。
切り出さなきゃ。
思うのに、口が動かない。
力を込めた手のひらが、痛む。
ふぅっと吐き出した息が、宙に消えていく。
「子どもだけじゃ、ダメって話だったけど。こちら、柴田さん」
柴田さんを、紹介する。
柴田さんはいつになく髪の毛をキレイにまとめあげ、ピシッとしたスーツを着ていた。
頼れる大人っぽく見える。
「明輝くんとは、さくらんぼ農園でお世話になりました。今回の旅行というお話ですが、バイトで集まった学生数人を連れて海を見に行こうと考えておりました。反対する気持ちも重々承知しております」
まともに話す柴田さんに、唖然とする。
それでも、こくこくとひたすら頷く。
嘘ではないし。
元々は、俺ときららだけの予定だったけど。
「柴田さんは、さくらんぼ農園の方なの?」
「はい、さくらんぼ農園で働いております」
「そう……」
一瞬、母さんのガードが緩んだ気がする。
緊張してるだけな気もしてきた。
母さんも父さんも、人と関わるのが苦手なタイプだと勝手に思っている。
友人と呼べる人も数人いるみたいだが、俺は会ったことがない。
「大人として、私が付き添うだけではご安心いただけないでしょうか。逐一ご連絡はさせていただきます」
「でもねぇ……」
それでも、母さんが否定的なことには変わりない。
わかっていた。
だから、俺が無い頭で必死に考えた言い訳を吐き出す。
「勉強はきちんとする。泊まる先でも、ちゃんと。柴田さんにも教えてもらいながら」
「それは、まぁ……うん、そうね」
勉強のことだけが、心配じゃないことはわかってる。
それでも、納得させるのに何を言えばいいのか想像が付かなかったから。
この前否定されたところだけでも、言い訳を考えておいた。
「あまりひけらかすことではございませんが、一応、こちらの大学出身でして」
柴田さんがそっと差し出したのは、卒業証書。
聞いてない。
横から盗み見れば、有名な旧帝大の大学名が記されていた。
母さんの反応が、良くなったのが見てとれる。
卒業大学だけで判断した、だけではないだろう。
それでも、柴田さんはしっかりとしてるように見せるのがうまい。
母さんが次の言葉を放つ前に、父さんが口を挟んだ。
「いいんじゃないか? 柴田さんが面倒を見てくれるというし、三日間だけなんだろう。滅多にワガママを言わなかった明輝がここまで言うんだから、行かせてやろう」
思わぬ援護射撃に、父さんを見つめる。
パチンっと両目を閉じた、父さんに、笑いそうになってしまった。
ごくんっと笑いを飲み込む。
父さんにも、こんなお茶目なところがあったとは知らなかった。
「お父さんがそういうなら、いいけど……」
柴田さんとテーブルの下で、手を叩く。
そして、ガッチリと握手をした。
「では、連絡先を念のため教えておいていただいてもよろしいですか?」
「じゃあ、俺のを教えますね」
父さんと柴田さんが連絡先を交換して、家族会議は無事終了した。
母さんは何も無かったかのように、自分の部屋に向かう。
柴田さんを見送ってから、リビングに戻れば父さんが本を開いて座っていた。
いつもだったら、自分の部屋で読んでいるところなのに。
俺を、待っていたのだろうか。
向かいの席に座れば、父さんが顔を上げる。
予想は、正解だったらしい。
本を読み始めたら一度も集中を切らさない父さんが、普通だったら読むのをやめるわけがない。
「明輝」
「何か話したいこと、あったんだろ」
父さんはまた、頬をぽりぽりと掻いている。
いつもの癖だ。
「悪いことではないんだよな?」
文章をこよなく愛してるくせに、わかりにくい発言をする。
皮肉を言いそうになったけど、父さんの気まずさもわかった。
今まで、面と向かって話してこなかったから、どう話していいかわからないのだろう。
「悪いことでは絶対ないよ」
幼い子どもみたいだけど、俺はヒーローになりたい。
誰かじゃなくて、きららの。
「それなら良いんだが、教えてくれる気はないんだろ?」
「いつか、父さんには話すよ」
「母さんには言えないのか」
母さんに、話しても良いかもしれない。
けど、母さんはきっと意味がわからなくて首を傾げるだろう。
父さんなら、分かってくれると思うのは……
なんだかんだ、母さんを愛してるのがわかるから、
「言えなくはないけど、父さんに話してみて、かな」
「いつでも聞くつもりはある」
「つもりはね。忘れないでおくよ」
イヤミっぽくなった自覚はある。
父さんと母さんの優先順位は、いつだって自分の好きなことが一位だ。
それを悲しいとか、寂しいとかは思わないようにしていた。
実際は、寂しかったのかもしれない。
素直にそう言えないから、幸せになりたいという曖昧な言葉で誤魔化していた。
今なら、わかる。
「いつも、悪いな」
父さんの謝罪の言葉に、瞬きを繰り返す。
まさか、謝られるとは思わなかった。
父さんは、まだ言葉を続ける。
「父さんも母さんも、それなりに明輝のことは心配してるんだよ」
「それは、わかってるよ。こんなことなかったら、俺には興味ないと思ってたかもしれないけど」
実際、思っていた。
俺が何をしても二人は、何も言わない。
そうタカを括っていた。
反対されるとは、夢にも思ってなかったんだ。
「それなら良いんだ。まぁ、せっかくだから楽しんでこい。お小遣い、いるか?」
「バイト代と今までのお小遣いで充分」
「そうか……」
断れば、しおしおと萎れていくように表情が曇る。
申し訳なさが、胸の中に募った。
「お土産何が良い?」
「明輝が選んだものなら、なんでも良いよ」
「わかった、楽しみにしてて」
「そうだな、楽しみにしておく」
普通の家族みたいな会話に、心が温まる。
今、星が降ってきた。
俺は、格好悪いけど、寂しかったんだろう。
「じゃあ、来週の月曜から行ってくるから」
「うん、気をつけていってきなさい。何かあったら、すぐ連絡するんだぞ」
「はーい」
間延びした返事に、父さんは頬を緩める。
父さんの笑った顔を、真正面から見たのは久しぶりだった。
向き合ってみれば、父さんも普通の人間か。
じんわりと噛み締めながら、部屋に戻る。
星を貯めている缶を開いて、一粒ずつ見つめた。
ふと、中学の時に美術で使って、余っていた画用紙を思い出す。
机の下に閉じ込めていたそれを、取り出した。
スマホで星の降り方を検索すれば、思ったよりも簡単そうだ。
今の気持ちは、何色だろうか。
ライトグリーンを選んで、細長く切る。
五角形を作って、折りたたんでいく。
ぺこっと角を凹ませれば、不恰好な星になった。
きららから貰った星の中に混ぜる。
俺のだけ目立って見えるのは、下手だからかもしれない。
もう一つ、星を作って、カバンに忍ばせた。
これは、きららにあげる分。
貰ってばかりだったから、返したくなったんだ。
きららとの旅行を空想すれば、宙に身体が浮く感覚がする。
それぐらい、舞い上がっていた。
どんな幸せが降り注ぐだろうか。
それは、きららの生きていていいに買われるだろうか。
ちょっとだけ、迫り来る不安に気づかないふりをして、ただ、楽しい時間を想像した。
* * *
ついに、当日だ。
旅行の待ち合わせは、公園近くのコンビニに決まっていた。
真夏日の太陽は、容赦なく照りつける。
コンビニで買ったアイスはすぐに、溶けてポタポタこぼれ落ちていく。
口で掬いとっていれば、横からドンっときららが抱きついてきた。
「お待たせ」
髪の毛をポニーテールにまとめて、Tシャツに短パンとラフな格好だ。
手元にはキャリーケースが、用意されている。
「準備バッチリ!」
手をキラキラとさせて、キャリーケースをさし示す。
そんな行動が可愛らしくて、頬が痛い。
半袖から伸びた真っ白な腕には、治りかけの青あざが見えた。
「青あざ、治りそうだな」
「うん、もう、結構時間たったからね!」
きららは空を見上げて、こちらには目線を向けない。
嘘をつく時の癖、なんだろう。
どこに他の青あざがあるのか、ジロジロ探してしまった。
「何、なんでそんな見るの!」
「いや、ごめん」
「あっくん、変態なの!? 二泊三日が、怖くなってきたんだけど」
「違うって!」
くすくすときららが笑って、俺の溶けかけのアイスを奪い取った。
「これは、慰謝料にもらいます!」
あと二口ほどしか残っていなかったアイスを食べ切って、木の棒を突き返してくる。
仕方なく受け取って、ビニール袋に入れた。
そして、入口のゴミ箱に捨てる。
「二人とも、お待たせ」
柴田さんの声に顔を上げれば、車がすぐ近くに停められていた。
後ろに二人で並んで、乗り込む。
キャリーケースもあるせいか、距離の近さに脈がおかしくなった。
「ホテルまでで、良いんだよな」
着いてきてくれることにはなったけど、向こうでは別行動だ。
柴田さんが気を利かせた結果だけど。
「はーい! 海が見えるホテルでゆっくりするんです! 柴田さんはどうするんですか?」
「同じホテルに部屋を取ったよ」
「えっ! じゃあ、一緒の部屋に泊まればよかったのに」
さも当たり前のことのように、きららは返答する。
柴田さんは俺の方をチラッと見てから、「そうかもな」とだけ答えた。
そして、車を発進させる。
普通、年頃の男女も同じ部屋で泊まらないと俺と思う。
友だちはいないし、旅行に出かけたことはないけど、それくらいはわかる。
多分、きららの感覚がズレていた。
「じゃあ、とりあえず海までいくぞ!」
車は、街の中を通り抜けて山を登っていく。
ダムを見つけて、地元にこんなところがあったことを初めて知った。
「サウナが近くにあって、ダムで涼めるらしいよ」
俺側の窓を覗き込むように、きららが顔を出す。
頬が触れそうになって、慌てて身体をイスにもたらさせた。
「しかも、貸切だって! 今度行く?」
「サウナ好きなの?」
「行ったことない!」
きらきらとした目で言うから、叶えてあげたくなる。
サウナに興味はないけど、きららが行きたいなら俺も行く。
「月山湖が水風呂って、贅沢だよね」
きららが自分の席に戻って、反対側の窓を見始める。
確かに、湖が水風呂は贅沢だ。
一度くらい体験しておくのも良い。
もしかしたら、サウナに目覚めるきっかけになるかめしれないし。
木々の間を通り抜ければ、車内の温度が少し涼しくなった気がする。
過ごしやすさに、嬉しさを感じて、星のことを思い出した。
カバンに忍ばせた星を取り出す。
そして、きららの方に手を伸ばした。
「なに?」
「良いことがあったから、お裾分け?」
きららは両手を差し出して、俺が降らせた星をキャッチした。
そして、星を青空にかざして、目を細める。
「自分で作れるように、なっちゃったんだね」
一瞬泣き出しそうな顔をして、俺の目を見た。
そして、すぐに作り笑いを浮かべる。
その表情に、自分が間違いを犯したことを知った。
俺が自分で幸せを見つけれたら、きららは……
自分がもう必要でないと思ってしまう。
ううん、思ってしまったんだろう。
「ても、まだ一個だけだよ」
言い訳がましく、口にする。
柴田さんは、ちらちらとバックミラーでこちらの様子を窺っていた。
「この旅行でいっぱい、作れるよ!」
きららの表情が明るくなって、俺の方を向く。
きららの瞳の中に、俺が映ってる。
そんなことで、安堵してしまう俺は醜い。
「いっぱい、きららと作りたいよ」
「私も、もちろん! 楽しむ! まずは海だよね。ラーメンもだし、あ、柴田さんお昼!」
話してるうちに、思い出したらしい。
運転してる柴田さんに、二人で印をつけたラーメン屋さんのことを告げていた。
山を下って、鶴岡に入ってもいつもとあまり変わらない風景が続いている。
見渡す限りの田んぼに、安心感を覚えた。
山を越えても、地元とあまり変わりない。
地元を出たことがほとんどなかったから、少しだけ不安だった。
ラーメン屋さんは郊外にあるらしい。
柴田さんが途中で車を停めて、ナビを設定していた。
色々なお店が見えてきたと思えば、目的の看板を見つける。
駐車場は、ガラガラだ。
まだ開店前の時間なのも、関係あるかもしれない。
十時半。開店は十一時。
あと、三十分ほどある。
柴田さんは、座ったまま伸びをしてからこちらを振り返った。
「二人きりの方がいいかなと思って、明日は別行動予定だけど、車とかなくて大丈夫か?」
「元々、自分たちで来るつもりだったから、バスとか調べてますよ、もちろん」
「それもそうか! 車に慣れると公共交通機関がめんどくさくなるんだけど。二人はそっちのほうが慣れてるよな」
「それに、迷子も旅の醍醐味なので!」
それは聞いてないと、きららの方を振り向けば悪い顔をしてる。
迷子にはなりたくないな。
新しい出会いがあるかもしれないけど。
「迷子になってれば、何かと出会えるんだからいいじゃん」
俺の視線に、きららはふいっと目を逸らす。
人生の迷子の途中で出会ったきららに言われると、本当にそう思えてしまう。
恋は盲目とはよく言ったものだ。
きららとなら、どんな旅でもいいと思ってしまうのだから。
「きららちゃんも、明輝もトイレとか大丈夫?」
「ラーメン屋さんが開いたら行きます」
「私もだいじょーぶ! 柴田さんがやばい?」
「いや、俺は大丈夫だわ!」
慣れ親しんだ二人のやりとりに、また、胸の奥がちりりと炎をあげる。
ありえないことは、わかってるのに。
柴田さんのおかげでこの旅が出来ていることは、理解してるのに。
それでも、燃え上がる炎は頭をおかしくさせそうだった。
「大人なんだから、大丈夫じゃなかったらやべーだろ」
冗談まじりに言ったつもりが、ひんやりとした空気が漂う。
壊してしまった。
脈が速くなって、息切れを起こしそうだ。
それでも、二人は何事もなかったかのように何を食べるのかを話し始めていた。
開店の時間になり、一番乗りで店内に入る。
とんこつラーメンのお店らしい。
テレビで見てる限り、こっちの方は煮干しとかの醤油圭だと思っていたから意外だ。
案内されたテーブルに座ったかと思えば、柴田さんは一つのメニューを指さす。
「俺これ! よろしく!」
スタスタと急いでトレイに向かったから、大丈夫じゃなかったのだろう。
きららと目を合わせて、くすくすと笑ってしまった。
「俺も同じのかな」
「私も! これ食べたくてここに来たんだもん」
きららが、真っ白い手を伸ばす。
光を浴びるとますます、透けていて消えてしまいそうな感覚に陥った。
店員さんに注文をすませて、お冷をコップに注ぐ。
水を飲めば、喉は乾いていたらしい。
車の中で、雑談をずっとしてたから当たり前か。
気づかなかっただけで、カラカラだった。
「なんか、緊張してる?」
めざとく気づかれて、どう流すか考えてみる。
いい案は思いつかないから、何も答えないことにした。
柴田さんが戻ってくるまで、静かな人が流れる。
救うと決めたのに、子どもみたいなヤキモチでうまく話せなくなった。
俺はやっぱり、何も出来やしないのかもしれない。
「待たせたな」
柴田さんが戻ってくるのと同時に、ラーメンが運ばれてくる。
湯気を上げるラーメンは、香ばしい匂いがしていてお腹を空かせた。
それなのに、味がわからない。
きららの方を窺いながら、口に運んだせいか。
柴田さんも、きららも、俺の気まずい発言は気にもしてない。
楽しそうに、スープが美味しいや、煮卵が美味しいと話している。
みんなといるのに、一人だけになったような気分で、最後の一口を飲み込んだ。
柴田さんになれたら、こんな感情を隠せるんだろうか。
羨ましい気持ちと、自分自身の不甲斐なさに、立ちくらみを起こしてしまった。
ラーメンを食べ終わり、海にたどり着く。
どんな会話をしたかも、何を考えていたかも記憶にない。
気づけば、海の前に立っていた。
きららは砂浜で、波と戯れている。
白い肌に海の青が映えて、写真に収めたくなった。
これもきっと、幸せということだろう。
柴田さんは、俺らを海に降ろしてから「ホテルはすぐそこだから、じゃあな」とだけ告げて、いなくなってしまった。
きららの価値観を変える。
そう決めたのに、俺には無理なんじゃないかと思い始めていた。
柴田さんなら、できるかもしれないけど……
不意に、水を浴びせられた。
口の中がしょっぱい。
「何考えてんの! 初めての海でしょ!」
きららの白い足は、砂まみれ。
それでも、心の底から楽しそうに笑ってる。
きららの笑顔に、気持ちが穏やかになった。
ゆったりと揺れる波のように。
「俺も入るかな」
「入らないつもりだったの? ダメだよ、ほら、靴脱いで!」
靴と靴下を脱いで、揃える。
海に入る予定はなかったから、タオルは持ってきていない。
まぁ、なんとかなるだろう。
砂浜を歩き始めた瞬間、あまりの熱さに火傷をしたかと思った。
ぱたぱたと足踏みして、逃れる。
きららは声をあげて笑った。
「熱いに決まってんじゃん!」
それにしては涼しげに、立っているように見えた。
急いで海に足をつければ、ひんやりとはいかないものの、涼しく感じる。
足を攫おうと、波が寄せては返す。
「気持ちいいよね、海」
「思ってるよりな」
海といえど、たかだかプールくらいのイメージだった。
それでも、広くて、青くて、澄んでいて……
きららのこと、最初は星みたいだなと思っていた。
でも、海を見たら、海みたいだなと思った。
胸の奥から、今までの感情がぶわりと溢れ出る。
ざぶんという波の音に、きららは耳を澄ませている。
細い肩に目がいって、たまらず抱きしめたくなった。
俺のために生きててよ。
他の人を幸せにしなきゃ、とか、考えずに。
俺にだけ、笑いかけてよ。
また出てくる子どもじみた自分に、嫌悪感が募る。
どこまで行っても、俺は何にもなれない。
しゃがんで海の水を掬う。
手の中に、小さい海が出来た。
きららも隣にしゃがみこんで掬ったかと思えば、俺の両手に流し込む。
「二人の海だね」
そんな言葉に、惑わされる。
きららは何を思って、そんなことを言ってるんだろうか。
俺のこと、ただの可哀想な人と思って、慰めようとしてる?
「きららは、どうしたいとか、こうしたいとかないの」
「あるから、ラーメン屋さん行ったんでしょ」
「そうじゃなくて、幸せになりたいとか」
「今、幸せだってば」
本当にそう思ってるように、微笑む。
俺の方が苦しい。
そんなこと、絶対ないだろ。
「俺が幸せを感じてるから?」
「それもある! あっくんが楽しそうだと、嬉しいし。悲しそうだと、こう、胸が決めつけられる」
それは……きららがあの時、俺を幸せにするって決めたから、だろ。
そんなことなかったら、旅行にだって一緒に来なかった。
それに、こんなに会うこともなかった。
わかってるから、泣きたくなる。
手のひらの中の海を、帰す。
今の幸せもきっと、帰す時が来てしまう。
わかっているのに、まだ、縋りたかった。
「もうホテルチェックインできるから、行く? 温泉付きだよ!」
「それもそうだな」
海から上がって砂浜を歩けば、先ほどよりは熱を感じない。
海が冷やしてくれた、おかげで鈍感になったのだろう。
ジャリジャリとした感触を確かめながら、靴に近づいた。
べっとりと濡れた砂が、足を覆っている。
「はい、どーぞ」
きららに差し出されたのは、小さいタオル。
自分用のも用意していたようで、違うタオルでほろっている。
ありがたく借りて、足をキレイにする。
靴下と靴を履き直せば、きららに手を差し出された。
タオルは返さず、手を握りしめる。
今にも折れてしまいそうな細さで、力を緩めた。
「な、なに、寂しくなっちゃったの? ホームシック?」
「ちげーよ」
「じゃあ、なに?」
「手を繋ぎたくなった、だけ」
繋がりが消えませんように。
そんな祈りを込めてしまったから、離せない。
きららは振り解くこともせず、おとなしく握り返してくれた。
二人で手を揺らしながら、ホテルへの道を進む。
舗装された道路は、歩きやすい。
あれほど足を取られていた砂浜と、こんなに違う。
「あっくんって、意外に寂しがりやさん?」
きららの問いかけに、言葉を探す。
自分がそんなんなの。
知らなかったよ。
きららに出会うまで。
「なんとなく、そんな気がしただけ、だけど」
「寂しがりやさん、みたいだ」
「みたいだって、そんな他人事みたいな」
俺だって、知らなかったから、どう伝えていいかわからない。
俺に興味ない父さん母さんに、寂しいと思うことを忘れていた。
なんとも言えない飢えを感じながら、漠然とした幸せを求めていたのは……寂しさが原因だって今はわかってる。
幼すぎる。
そんな自分が恥ずかしくて、特にきららには言いたくはないけど。
それでも、きららと出会えたことで一筋の光が射したようだったんだ。
真っ暗な中に、白い、か弱い一直線の光。
俺の弱さも、ダメなところも、見えるようにしてしまった。
自覚してしまったら、もうおしまいだ。
受け入れるしかない。
「きららに出会うまで知らなかったから。幸せになりたい、もそういうことだよ」
「誰かと一緒に過ごせたら、幸せ、ってこと?」
ううん。誰かじゃ、もうダメなんだ。
きららじゃなきゃ、俺のこの心の穴は埋まらない。
きっと最初は、誰でもハマってたと思う。
きららのことを知ってしまったから。
もう、心はきららの形になってしまってる。
「きららじゃなきゃダメ、だな」
きららが、立ち止まる。
繋いだ手が、お互いの力で揺らいだ。
緩めたら、きっと離れてしまう。
それでも、放さない。
絶対に、離せない。
「なにそれ」
「俺は、きららが好きだから。きららじゃなきゃダメ」
「そんなの、いろんな人と出会ったら、多分、私じゃなくなるよ」
変わらないよ。
一生を、誓える。
誰に疑われようと、俺は、きららにこの先の人生全て捧げられるって誓えるよ。
死んでもいい。
きららの生きる理由になれるなら、この場で、命を投げ捨ててもいいくらい。
「俺は、きららが好きだよ」
きららが唾を飲み込んだ音が、聞こえた。
逃げ出す?
俺の手を振り解く?
それとも、何もなかったことにして、誤魔化す?
きららの次の行動は、想像のどれとも違った。
俺と繋いだ手を、強く引き寄せる。
それでも、やっぱり俺の力の方が強い。
だから、ゆっくりときららに近づいた。
「俺が居るかぎり、きららは生きてていいってことじゃ、ダメ?」
俺の言葉に、潤んだ瞳できららはこちらを見上げる。
透き通る白い肌に、今にも消えてしまいそうな予感がして、抱きしめた。
一生を掛けて、きららと逃げるでもいい。
どんなことでもするから、生きてちゃいけないなんて、もう一生思わないで。
それが、俺の幸せだから。
伝えてしまえば、きららは違うと真っ向から否定するだろうけど。
きららの揺れた瞳に、柔らかく微笑む自分の顔を見た。
こんな顔をして、人を見つめてるなんて、知らない。
自分の顔をまじまじと、きらら越しに見つめる。
「バカみたい」
「バカでいいよ」
「私じゃなくても、良くなるよ」
きららの声は、か細く。
今にも消え入りそうだった。
「絶対ならないよ」
「世の中に絶対なんてないよ」
力を込めて抱きしめれば、ぱきんと折れてしまいそうだ。
首筋から背中に、出来たばかりであろう青あざを見つけてしまった。
今なら、わかる。
きららは、誰かから暴力を受けている。



