きららとの旅行は、鶴岡で決定した。
海の見えるホテルを、二人で予約。
交通手段は色々と調べたが、バスが良いらしい。
ただ、問題が一つ起こってしまった。
まさか、そんなことになるとは思ってもいなかったのに……
リビングに三人が揃ったのは、いつぶりだろうか。
食事すら、最近は一緒に食べた記憶がない。
母さんも父さんも部屋にこもって好きなことをしてるから、顔を合わせるのも時々だ。
それなのに、顔を合わせて今、俺は怒られている。
「で、どういうこと?」
久しぶりに見た母さんの顔は、少し老けた気がする。
目の周りの皺は濃くなってるし、前はメガネ掛けてなかったような。
トントンっと母さんは、机の上のスマホを叩く。
「明輝、聞いてるの?」
父さんはといえば、母さんの横でじっと黙っている。
泊まり込みのバイトの時だって、了解のスタンプしか送ってこなかったのに。
旅行に行くとメッセージで送ったら、家族会議が開かれてしまった。
「だから、夏休みの旅行に……」
「急にどうしちゃったの、今までそんなこと言ったことなかったじゃない。バイトだってしたいとも言わなかったのに」
きららと出会わなければきっと、こんなこと言わなかった。
俺自身、急に変わったことはわかってる。
それでも、母さんがここまで怒るほどのことか分からない。
「それに、友だちとっていうけど、子どもだけで遠出なんてさせられるわけないでしょ!」
「高校生とはいえ、まだ子どもだからなぁ」
急に母さんの言葉に、父さんが乗る。
心配をしてくれて、いるんだよな?
嬉しいと思ってしまうのは、やっぱりまだまだ子どもなのだろう。
それでも、今回の旅行は譲れない。
「県内だし」
「そういう問題じゃないだろ。明輝」
「そういう問題だろ? 別に危ないことしようとしてるんじゃなくて、海を見たいだけ!」
はぁっと母さんが、わざとらしいため息を吐く。
そして、じとっとした目で俺を見つめた。
「大学受験の勉強だってあるのに、遊んでる暇はあるの?」
受験。
まだ、先のことのように思えていた。
実際、二年生から意識してるクラスメイトは多くないだろう。
進路希望調査票とかは、出されてるけど。
「勉強はしてるって」
「それで足りるの? 明輝は、やり遂げたことがないんだから。早めの準備が大切なのよ」
母さんの言葉が、包丁のように胸を突き刺す。
やり遂げたことがないことくらい、自覚あるよ。
だから、やり遂げられるほどの何かが欲しいと、こんなに希ってるのだから。
何ができるか、わからない。
それでも、きららの考え方を変えさせることが俺の今一番やりとげなきゃいけないことだ。
だから、旅行は譲れない。
がんばります。
そんな浅い言葉を吐こうとして、口を開く。
旅行否定派のはずの、父さんが母さんの言葉を止めた。
「志望校だってまだ決めていないんだから。受験の話はまた別だろう」
「受験の話もそうでしょ。フラフラと逃げたくて、旅行なんて言い出したんだから」
「違うよ母さん、逃げたくてじゃない」
それだけは、絶対に違う。
受験からも、何かに想いをかけることからも、努力からも逃げていた。
確かにそれは、そうだ。
結果が出ないからと俺はすぐに諦めてきた。
でも、今回は違う。
絶対に、きららのために必要なことだから行きたいんだ。
「どうしても、海を見に行きたいんだ」
「それはわかったけど、なんで理由を説明しないの」
「説明できるものじゃないから」
「とにかく、子どもだけでの旅行は許さないから」
父さんもそこだけは、一緒に頷く。
どうしたら、二人を納得させられるんだろう。
とにかく行きたいことを伝えることしか、俺にはできない。
「でも、行きたいんだよ。今回だけ」
「だから、どうしてなの」
「それは……」
言えない。
うまい言い訳も思いつかない。
海が見たい、それは本当だけど。
それだけじゃない……。
ぐるぐると言葉が、脳内で空回る。
きららのことを説明するわけにも、いかないし。
もう、こっそり抜け出して行くしかないのだろうか。
二日くらいなら、バレない気もする。
「はぁ……ダメだからね。旅行は。勝手に行こうとしないで」
考えが顔に、出てしまっていたらしい。
母さんはきつい目で、俺を見つめた。
父さんは、頭をぽりぽりと掻いてる。
いつも俺のことなんて、気にかけないのに。
今回だって、放任主義を貫いてくれれば良かった。
そんな嫌味を言い掛けたところで、電話が鳴った。
「あ、もう! とにかくダメってことで!」
母さんは勝手に切り上げて、スマホをポケットから取り出した。
そして、声を変えて電話を始める。
「お世話になっております……」
父さんの方をちらりと見れば、俺を見て悩ましげな顔をする。
会話もあまり多くないから、どう話していいのかわからないのだろう。
「母さんが納得できる理由を持ってきなさい」
「父さんは、反対なんだよね?」
確かめるように言葉にすれば、また微妙な顔をする。
「反対しなきゃ、いけないんだろうな」
「どういうこと?」
てっきり、父さんも完全に反対だと思っていた。
父さんは困ったように、手で遊んでいる。
言葉を探してる時の癖だった。
「子どもだけで行かせたくはないな。問題を起こすつもりがなくても、起こってしまうこともあるからね」
教師の経験からの、言葉だろう。
子どもだけで……
かといって、両親が一緒に来てくれるとも思えない。
「それはわかるけど……」
「行きたい気持ちはわかるけど、明輝。今回は諦める方がいいんじゃないか?」
「考える」
「何をだ?」
「納得させる理由」
父さんは困ったように、ぽりぽりと顔を掻く。
気まずいのをごまかしてるんだろう。
「本当に急に、どうしちゃったんだ」
「父さんと母さんみたいに、何よりも時間を賭けたいものを見つけちゃった、だけ」
「それは、なんだ?」
「とにかく、考えてまた話す。じゃ!」
逃げるように、リビングを後にする。
父さんは「おいおい」と、ちょっと困ったように口にしていたけど。
考えたところで、答えは見つかる気はしない。
自室のベッドに、倒れ込む。
あと、一週間しかない。
どうすれば、二人を納得させられるんだ。
スマホで検索してみれば、反対されてる高校生は多い。
「説得する方法を教えてください」と書かれた質問には、あきらめましょうという答えばかりだ。
スーッとスクロールすれば、一つの提案が目につく。
『保護者としてお姉さんを連れて行くのは、どうでしょうか?』
俺には、兄弟がいない。
きららは、どうだろう?
居るかもしれないけど……
その人が、変な考え方を教えた人の可能性もある。
ダメ、だな。
ページを閉じようとすれば、きららからのメッセージの通知が画面の上部に表示された。
『観光のために、もう一個バイトしない?』
その一文に、リゾートバイトの文字が脳裏に浮かんだ。
バイトしに行くといえば、許可されるんじゃないか?
いや、旅行に行きたいと言った後だ。
俺の目論見は、バレるだろう。
とりあえず、きららへの返信を作る。
『なんのバイト?』
『今さくらんぼの発送が忙しいから、仕分けの単発バイトあったの! どう?』
きららから送られてきたURLを見れば、よく宅配便の会社の仕分けバイトだった。
考えは浮かばないから、気分転換にもありだろう。
『やる』
『じゃあ、明後日で申請しよー』
予定は、何もない。
URLから進んで、希望日時を明後日で登録する。
きららもできたようで、『できたよ』と登録画面のスクショが送られてきた。
俺も登録し終わった画面を、送り返す。
きららは、バイトの経験が多いんだろうか。
このバイトも、おばちゃんの紹介?
『柴田さんが前にやって、簡単だったよ、って言ってたよ』
届いたらメッセージに、目を開く。
頼れる大人、いるじゃないか。
柴田さん。
知らんってあの人は、言いそうな気がするけど。
でも、困ったときは連絡していいって言ってくれた。
何が解決策を考えてくれるかもしれない。
メッセージを作成して、送る。
返事を待ちながら、バイトの内容を確認した。
住所ごとに段ボールを運んで、分ける。
内容的には、簡単そうだ。
イメージしてみれば、できそうな気がする。
送ったメッセージを確認しても、既読がつかない。
柴田さんは、あまりスマホを見ないタイプなのかも。
何度開いても、既読の文字は一向に付かなかった。
ちゅんちゅんと鳥の鳴き声で、目を覚ます。
カーテンを閉め忘れた窓から、太陽の光が差し込んでいる。
ピントの合わない目で、スマホを見ればメッセージが届いていた。
慌てて開けば、柴田さんからと、きららから。
きららの方は、バイト後の買い物のお誘いだった。
OKのスタンプを送る。
そして、柴田さんからの返事を確認した。
『会って話そう』
その一言だけ、だった。
時計を見れば九時。
さすがに、起きてるだろう。
柴田さんへ、通話を掛ける。
「電話かよ」
悪態をつきながら、柴田さんは出てくれた。
一週間後は、迫ってきてる。
早ければ早いほど良い。
「今日暇ですか」
「なんの予定もないけど、急すぎだ」
「お願いします」
「まぁ、いいけど。こないだのスーパーに迎えに行くわ」
軽い口調なのに、心強い。
柴田さんと出会えたことが、あのバイトをして良かったことの一番だ。
顔を洗って、玄関に向かう。
父さんも母さんも、もう出た後だった。
カギを確認してから、家を取り出す。
気持ちが急いて、足が勝手に走り出した。
歩いてきたせいで、汗がダラダラと額から垂れてる。
暑さに頭がやれれて、足元がおぼつかない。
スーパーの自販機に寄りかかって、柴田さんの車を探す。
乗せてもらったのに、どんな車だったかうろ覚えだ。
色が黒だったことだけは、わかるけど。
「山光!」
声に振り返れば、運転席から窓を開けて柴田さんがこちらに手を振る。
助手席を親指でさし示す。
乗り込めば、柴田さんはニカっと歯を見せて笑った。
今日は、やけに小綺麗だ。
こんなことを思うのも、失礼かもしれないけど。
「おはようございます」
「おう、おはよ。シートベルト締めろ」
「え?」
「せっかくだからアイスでも食いにいこーぜ」
言われた通りシートベルトを締めれば、車は動き出す。
変な人だと、思っていた。
今は、頼れる大人と真っ先に浮かぶ。
鼻歌を奏でながら、柴田さんは機嫌良さそうに唇を緩めた。
「なんか、楽しそうっすね」
「頼られるのも悪くないってことだよ」
俺が頼ったから、と言う。
ムズムズとした気持ちが、全身に走った。
車の中はエアコンがしっかりと効いていて、涼しい。
空調のおかげで、気持ちも落ち着いた。
「アイスってどこですか」
「道の駅、食ったことある?」
「ない、ですね」
コンビニで、アイスを買うことはある。
暑い時にはキンキンに冷えたアイスが、ほてりを冷ましてくれるから好きだった。
コンビニ以外のアイスは、ほとんど食べたことがない。
昔のことを、ふと思い出した。
父さんと母さんと旅行に出かけたことが、一度だけある。
二人とも帰省も滅多にしないもんだから、本当に一度だけ。
宮城に住んでる父さんの両親。
俺から見ればじいちゃんばあちゃんの家に、どうしてだか行くことになった。
父さんも母さんも、出かけるのは嫌いな人だから微妙な顔をしていた気がする。
道中、車に酔ってしまった俺に、父さんが買ってきてくれたのがソフトクリームだった。
ノドを潤す甘さ。
自分でソフトクリームを売ってるような場所に行くこともないから、忘れていた。
父さんも母さんも、自分の好きなことの優先順位が高いだけで、俺のことを大切にしてくれていないわけではないんだよな。
今更なことに、ちょっとだけ胸の奥がズキズキする。
知っては、いるんだよ。
わかっても、いる。
「米もあるから、食べてみれば」
「うまいんすか」
「俺は好きじゃない」
勧めてきたくせに、好きじゃないと切り捨てる。
柴田さんをじとっとした目で見つめれば、気づかないふりをして前を向かれた。
車窓から移りゆく景色は、見慣れたものだ。
それなのに、素早く変わっていって、まるで知らない場所みたいに思える。
自転車で向かえば遠いのに、道の駅にあっという間に着いてしまう。
道の駅は、平日の割には車が止まっていた。
夏休み期間だから、家族での旅行もあるのだろう。
車を降りれば、相変わらず照りつける陽射しは暑い。
建物の前の大きなさくらんぼのモニュメントが、俺たちを出迎えていた。
「本当、さくらんぼばっか」
「可愛いだろ、さくらんぼ」
「そういう問題ですか?」
「誇れるものが一個でもありゃ十分だろ」
パンっと背中を叩かれて、揺らいだ。
柴田さんの後ろをついていけば、道の駅からどんどん離れていく。
「え? あっちすよ」
「こっちであってんの」
道の駅の大きな建物の右の方に、小さい建物が目に入る。
手作りアイスと書かれたのぼりが、立っていた。
中に入れば、数人並んで待ってる。
「二つのやつ買ってくるわ」
「自分で出します!」
「いいから、並んでて」
申し訳なさを感じながらも、列に並ぶ。
食券機と注文の列は、別のようだ。
柴田さんが二枚のチケットを、手に戻ってくる。
そして、一枚を俺に差し出した。
「ほい。味、考えとけよ」
本日のメニューと書かれた、ボードを眺める。
正直好みがわからないから、どれでもいい。
枝豆と書かれた一枚に、瞬きを繰り返してしまう。
「柴田さんはちなみにどれに?」
「さくらんぼとストロベリーミルク」
意外な選択に、可愛いなと感想が浮かんだ。
何歳も年上の人に、可愛いと称するのはどうかと思うけど。
「決まった?」
気づけば前の人は、あと一人。
すぐに俺たちの番だ。
悩んでも決まらないから、パッと目に入ったものを二つ声に出す。
「キャラメルとホワイトで」
「あー、うん、冒険しなさそうなタイプだもんな」
チケットを先ほど渡したくせに、スッと奪われた。
そして、注文してくれる。
ただ、最後の一言が、頭に響く。
ぶん殴られたような衝撃が、脳内を揺らしてる。
褒め言葉ではないだろう。
そんな響きじゃなかった。
衝撃を喰らってる俺に気づかない、柴田さんにアイスを渡される。
手に持ったまま、近くのイスに座った。
塔のようにそびえ立つアイスをスプーンで一口、運ぶ。
ひんやりとして、口の中で溶けていく。
柴田さんは豪快にガブリと大口を開けて、食らいついていた。
口の横にピンク色の液体をつけたまま。
「口ついてますよ」
「最後に拭けばいいの」
そのまま、一気に食べ進める。
あっという間に無くなっていく柴田さんのアイスを眺めながら、俺も一口ずつ口に運んだ。
「で、旅行どうすんの」
コーンまで食べ切った柴田さんは、手をぱんぱんっと払いながら俺を見る。
そして、足を組んだ。
「なんか良いアイディアないっすか」
「子どもだけは、ダメって、まぁ言われるだろうな」
真っ向からそう言われるとは思っていなくて、口元を見つめてしまう。
ダメって言われても、どうにかする方法を教えて欲しかった。
あ、ヒゲがない。
今日はずいぶん小綺麗だと思った理由は、そこだ。
「じゃあ、大人連れて行けばいいんじゃねーの」
「その大人がいたら困らないんですよ」
柴田さんは俺の言葉に、また歯を出して笑う。
そして、親指で自分をぐいぐいと指した。
「いんだろ」
「はい?」
「俺が、居るだろーが」
解決策を聞きたくて、柴田さんに相談しにきた。
でも、まさか一緒に行ってくれるとは思わなかった。
そうなったら解決だなとは、考えていたけど……
きららに相談はしていないけど、柴田さんなら良いと言ってくれるだろう。
「良いんですか」
「え、何がダメなんだよ」
「お仕事とか」
「単発バイトで食い繋いでるフリーターだぜ」
肯定をするのも否定をするのも、難しい発言だ。
アイスを、食べてごまかす。
冷房とアイスのせいで身体が、冷えてしまった。
寒いくらいだ。
「きららちゃんと行くんだろ」
「なんで知ってんすか」
「だって他に友だちいないだろ、山光」
図星の一言に、ウッと胸を押さえる。
柴田さんのこの無遠慮な発言にちょくちょく傷ついてしまうのは、繊細すぎるんだろうか。
「それも幸せ探しの一環なわけ?」
「柴田さんって、きららのことどれくらい知ってますか」
俺の言葉に一瞬驚いた顔をして、柴田さんは俺の肩を引き寄せた。
そして、小声で囁く。
「子どもにできることは限られてんだから、いざという時は大人を頼れ。どんな大人であろうと力になるからな」
また意味のわからないことを、また……
柴田さんも、きららの状況を知ってるのだろうか。
この発言は、そういう意味だろう。
「詳しくは知らんがな」
「でしょうね」
「あのバイトで知り合ったんだから、当たり前だろ」
「おばちゃんから何か聞いてるかなぁって」
探りを入れたかったわけでは、ないけど。
親戚の家ときららは言っていたから。
おばちゃんはもしかしたら、知ってるかもと思ったんだ。
「ただのバイトに家庭の事情なんか話すわけないだろ。ただ、色々あるからって言ってはいたけどな」
「色々って」
「色々だよ」
それ以上の答えは、引き出せないらしい。
諦めて、最後のコーンを飲み込んだ。
これで旅行には行ける。
両親が柴田さんで納得してくれれば、だけど。
「じゃ、いつ頃お邪魔するかだな」
「何がですか」
「山光の家だよ。あれ、下の名前なんだっけ」
「はい?」
俺の家に、柴田さんが来る?
「挨拶もなしに、大人もいるから大丈夫で終わる話じゃねーだろうが」
「そういうもんですか」
「そういうもんだろ」
ガックリと肩を、落とす。
一緒に行く人が見つかったから解決、とはならない。
まぁ、当たり前か。
大人も行くからと言ったところで、信じてもらえるかはわからない。
「柴田さんはいつがいいですか」
「いつでもいいけど、明日バイトなんだろ」
「それも知ってんすか」
「おう」
きららが、逐一連絡してるんだろうか?
胸の奥に嫉妬心が、湧き上がる。
自分でもコントロールできない感情に、めまいがした。
「じゃあ、明日の夜行くからご両親に説明しとけよ」
結局バイト終わり後の夜に、集まることになった。
夜であれば、両親も都合を付けやすいはずだ。
そのまま柴田さんに、家まで送り届けてもらった。
ここ数日で、あまりに色々なことが起こってる。
初めての感情も、初めてのバイトも……
変わっていく自分に、酔いそうだった。
柴田さんはどうやって、両親を説得するんだろうか。
* * *
二回目のバイトが終わった。
きららと待ち合わせをして行ったが、持ち場は別々。
伝票の住所を見て、それぞれの場所に運ぶだけ。
それでも、荷物を持っておろしてを繰り返したせいか、腰が痛い。
無事に終わったことに、安堵しながら外に出れば、太陽が沈みかけている。
「あっくん、旅行の買い物行こうー!」
「明日とかでいいなら」
「いいよ、いいよ!」
きららはバイト終わりだというのに、元気だ。
ぴょんぴょんと飛び跳ねている。
透き通るような白い肌は、夕焼けの中でも白く目に焼きつく。
旅行が厳しそうな話はまだ、していない。
柴田さんと行くことになった話も。
しなければいけないのは、わかってるのに。
言い出しづらい。
柴田さんと連絡を取り合ってることへの、モヤモヤもまだ消えていなかった。
「柴田さん、車出してくれるって聞いた?」
「あ、うん……」
柴田さんが参加することになったこと。
もう、知ってたのか。
きららは、それを嫌がるそぶりも見せない。
胸の中から、血が噴き出てる。
柴田さんに嫉妬するのは、間違いだとわかってるし、頼ったのは俺だ。
それでも、ズキズキと奥が痛んでいた。
「そんなに連絡取ってんの?」
「おすすめのバイトが、とか、時々だよ。毎日じゃない」
その言葉は、毎日に近しいことを俺に知らしめる。
俺だって、毎日きららとやりとりしてるのに。
気持ちが背中を押すように、感情が勝手に走り回る。
近いうちに俺は、きららに告げてしまう予感がした。
伝えたところで、良いことはないとわかってるのに。
だって、きららは自分よりも他人を優先するから。
「嫌じゃないの」
口から勝手に、言葉が出ていく。
嫌と言って欲しかった。
そうなったら、困るけど。
きららと出会ってから矛盾したことばかり、考えてる気がする。
「だって、あっくんが行けないなら意味がないじゃん」
当たり前のように答えて、きららは振り返った。
不意に吹いた風が、髪の毛を靡かせる。
きららの頬が、オレンジ色に染まっていた。
「きららは……」
俺じゃ、ダメかな。
きららが生きてていいと思える理由。
誰かを幸せにすること、じゃなくて。
俺がいることが、理由にならないかな。
何も、できないのに。
駄々をこねる子どものように、その場でジタバタとしたるだけだ。
柴田さんみたいに、大人だったら。
今すぐに、きららを助け出せただろうか。
きららがそんなこと望んでいないことは、わかってる。
俺じゃなかったら、すぐに手を差し伸べられたかもしれないのに。
それでも、そんな誰かを想像して、胸の中は焼けこげていく。
誰かでは、嫌だ。
俺が、良い。
「どうしたの」
黙り込んだ俺に、きららが近寄る。
不安そうな表情で、顔を覗き込まれた。
泣き出しそうな顔に、ぐっとノドが詰まる。
「楽しみだな、旅行」
取り繕った言葉に、気づかれなかった。
きららは、パァアっと花を咲かせるように微笑む。
今、思ってることを口にしたら、きららはどんな表情になる?
困る?
それとも、幸せにするために、頷いてくれるだろうか。
惨めすぎて、手が震える。
どこまで行っても、俺はバカで、考えが浅くて、どうしようもない人間だ。
人生を賭けたいと思えるものが、恋だなんて。
恥ずかしげもなく、父さんに言えるわけもない。
「楽しみだねぇ! おいしいものいっぱい食べて、いっぱい幸せになろうね!」
俺が幸せだといえば、きららは幸せになれる。
それがたとえ、俺の知ってる幸せじゃなくても。
「あ、あっくん、手を出して」
そっと手を出せば、星が降る。
夕日と同じような優しいオレンジ色。
「今日のバイトの分?」
「こないだの旅行の話した時の分! 渡し忘れたから」
「あぁ」
「あっくんは、楽しくなかった?」
言葉通りに受け取れば、きららは楽しかったということだろう。
星を空にかざせば、同化して消えて行ってしまいそうだった。
星は夜にしか、輝けない。
太陽の光に、負けてしまうから。
あの時、確かに楽しかった。
世界がキラキラと輝いていくような、そんな感覚を覚えたんだ。
きららの、妙な考え方を聞くまでは。
幸せと、素直に答えられずに、ごまかす。
まだ、きららに言うタイミングじゃない。
きっと、伝えればきららは、俺の前から消えることを選ぶ。
だって、俺は、きららにとってそこまで重要な人間じゃないだろうから。
幸せにする相手は、誰でも良い。
わかってしまうから、こんなに、全身が崩れ落ちそうに痛かった。



