君の幸せを希う


 昨日、帰宅後きららから早速メッセージが届いた。
 それは、意外なもので……

 眩しい太陽を、指の隙間越しに見上げる。
 昨日も両親は忙しかったようで、ろくに顔も合わせなかった。
 一応、メッセージで泊まり込みのバイトに行くと送ってはある。
 了解の顔文字だけが届いた。

 待ち合わせ場所のコンビニは、昨日の公園の近くだ。
 自宅からは徒歩十分程度。
 クラスメイトに会う危険性も考えた。
 でもまぁ、特に気にかけるような人もいないだろう。

 きららから送られてきた持ち物には、帽子と動きやすい服装、そしてタオル。
 お泊まりセットだった。
 泊まり込みのバイトなのだから、当たり前だけど。

 コンビニの前で、きららを待つ。
 じりじりと迫り来る熱に、店内に逃げれば良かったと思いながら。

「おはよ」

 公園側から現れたきららに、背後を取られていた。
 驚きながらも振り返れば、ジャージに身を包んでいる。

「おはよう」
「よし、じゃあいこ!」

 スタスタと歩き始めたきららを、追いかける。
 バイトだというのに履歴書も、何もいらないんだろうか。
 今までバイトをしたことがないけれど、履歴書や面接が必要なことは知ってる。

「履歴書とか準備しなくていいのかよ」
「大丈夫大丈夫、私の親戚の家だし」
「は?」
「さくらんぼ農家なの、うちの親戚」

 さくらんぼ農家。
 地域柄もあって、知り合いにもたくさんいるだろう。
 俺の父さんだってそうだ。
 父さん自身は継がなかったが、じいちゃんは昔さくらんぼ農家をやっていたらしい。
 今は引退して、畑も売ってしまったようだけれど。

「ふぅん?」
「だから、正しくはバイトじゃなくて、お手伝い」

 言い方の違いだろ。
 履歴書や面接がない理由は、納得だ。
 でも、俺はさくらんぼの収穫なんてやったことがない。

「大丈夫なのか、俺で」
「大丈夫じゃない?」

 農作業は、体力がいるイメージだったんだけど……
 きららは、軽く答えて、迷いなくまっすぐに進んでいく。
 置いていかれないように、小走りで追いかける。
 通り抜けた風が、幾分か暑さをマシにしてくれる気がした。


 木々が生い茂り、ところどころ赤い実がなってる。
 収穫には、数が少なそうに思えた。
 でも、至る所で見かける見慣れた景色だ。
 それでも、木々の間から射し込む光はキレイに見える。

「おばちゃん、来たよー!」

 建物のガラス戸を、ためらいなく開く。
 そして明るい声と共に、きららは飛び込んでいった。
 待ってればいいのか。
 追いかければいいのか。

 また、足が勝手に止まってしまう。
 誰かにレールを敷いてもらえないと、選択できない自分が嫌になる。
 手をパンパンっと叩いて、気合を入れた。
 そして、空気をめいっぱい吸い込んで、声を出す。

「おはようございます!」

 建物の中には、おばちゃんと怪しい風貌の男。
 二人しか見当たらない。
 俺の大きな声は、空回っていた。
 ぽかーんとした二人の顔を見れば、分かる。

 もう少し抑えめのトーンが良かったか。
 悩みすぎて、もはや何が答えがわからない。

 一呼吸おいて、おばちゃんがほがらかな笑顔を見せてくれる。

「おはよう! 元気な子が来たねぇ。箱詰めだけじゃもったいないわ!」
「えっと、山光明輝です、よろしくお願いします」
「山光くんね、私のことはおばちゃんでいいよ! よろしくね」

 きららと同じ苗字だから、と言外についてる気がして、とりあえず頷く。
 きららの苗字すら、知らないけど。

「じゃあ、まずは荷物を部屋に置いてきてもらってからだね。きららちゃん、いつもの部屋だから。二人でおいでおいで!」

 いつもの部屋、だから?
 それはいいけど、まるで同じ部屋のような……
 心臓が速く脈打つ。
 同じ屋根の下はまだしも、同じ部屋は。

「あっくん、行こ!」

 戸惑う俺をよそに、きららは俺の手を引っ張る。
 建物から出て、木々の下を通り抜けていく。
 太陽が遮られる分、涼しく感じられるはず。
 なのに、額からも背中からも汗が止まらない。

 じわじわと流れ落ちる汗。
 どう言い訳していいかわからず、絡まるノド。
 ごくんっと唾を飲み込めば、やっと声が出た。

「同じ部屋はまずいだろ!」

 一瞬、止まったきららが、瞬きをぱちぱちと繰り返す。
 そして、大声をあげて笑い出した。

「何勘違いしてるの、あっくん」
「へ?」
「同じ部屋なわけないじゃん。隣だけどね」

 自分の勘違いに、やっと、気づいた。
 今、俺の顔はさくらんぼみたいに真っ赤になってるだろう。
 きららに掴まれた手が、やけに熱い。

「こっちだよ」

 木々を通り抜けた先には、普通の一軒家。
 大きめなところ以外、俺の家と変わりのない家だ。

「おじゃましまーす!」

 きららが玄関の扉を開けて、声を掛ける。
 パタパタと足音が聞こえたかと思えば、黒い柴犬が駆け出してきた。
 きららは俺をむりやり玄関の中に、引っ張る。
 そして、慌てて扉を閉めた。

「あっくん、ただいまー!」

 俺の手を離したかと思えば、柴犬をわしゃわしゃと撫で始める。
 あっくん、って呼んだよな?
 この芝犬を。

 きららとあっくんと呼ばれた犬を、交互に見る。
 俺の言いたいことに気づいたのか、きららは「あっ」と小さく声を上げた。

「こちらは、明輝くん。で、こちらはあんこ」
「あんこ、で、あっくん、か」
「そうそう。嫌だった? あだ名一緒なの」

 もにょもにょとしてはいる。
 それでも、嫌というわけじゃない。
 首をちょっと傾げれば、問題ないと判断したようだ。

「あっくん同士、仲良くしようね」

 あっくんの右手を持って、俺に差し出す。
 握手のように触れれば、しっとりとしていて心地が良かった。

「ややこしいから、俺がいるときだけあんこって呼んでくれ」
「んー……それもそっか! いいよ! あんこ、お部屋案内してあげて」

 あんこは言葉がわかっているように、小さく「わん」と鳴く。
 そして、ジトっと俺を見つめた。

「わかってる?」
「なにが?」
「あっくんにとっては、先輩なんだからね。ちゃんと、あんこ先輩って呼ぶんだよ」

 よくわからん理論だ。
 それでも、先輩なのは確かだった。

「うす。よろしくお願いします、あんこ先輩」

 言われた通りに呼んで、頭を下げる。
 顔を上げれば、きららの肩が震えていた。
 そして、うっと呻いている。

「きらら?」
「う、ん、ごめん、大丈夫、大丈夫だから」

 顔を覗き込めば、真っ赤に染め上げられている。
 でもそれは、体調が悪いとかではなく……

「俺をからかったんだな」
「いや、そんなに後輩ムーブかますと思わなくて、ちょっと、面白すぎた、過呼吸なりそう」

 きららはまだ、肩をプルプルと振るわせる。
 無言できららに非難の目を向けてから、あんこ先輩に近づく。
 あんこ先輩は、シャカシャカと音を立てながら前を歩き始めた。

 靴を脱いで、整える。
 そして、あんこ先輩を追いかけた。
 二階に上がったかと思えば、上がってすぐの扉の前でちょこんと座る。

「ここって、ことですか?」
「わんっ!」
「会話に、なって、る」

 もう隠しもせずに、ヒィヒィ笑いながらきららが後ろを登ってきたらしい。
 過呼吸なりそうという言葉が本当になりそうなくらい、笑っている。

「荷物置いてくる」

 扉を開ければ、畳の敷かれた和室。
 窓の近くに、布団一式が二つ並べられていた。
 誰かと、相部屋なんだろうか。
 数日間に少しだけ、不安が芽生えた。
 泊まり込みと聞いた時点で、予感はしていたけど。

 空いてるスペースに、カバンを置く。
 窓に近づけば、先ほど通り抜けてきた木々が見えた。
 エアコンが入っているようで、部屋は涼しく快適だ。
 テレビも置かれているし、他人と一緒ということ以外に欠点は見当たらない。

「三日だけど、どう? 過ごせそう?」

 扉のところから顔を出した、きららは髪の毛を一つに結んでいる。
 ちらりと見えた首筋があまりにも白くて、眩い。

「おう」
「なら、よかった! じゃさっさく、お仕事行こう」
 
 きららの言葉に頷いて、おばちゃんの居た建物に戻る。
 あんこ先輩が寂しそうにしていたのが、気になったけど、いつもお留守番してるのかもしれない。
 帰ってきたら、たくさん遊ばせていただこう。

 おばちゃんは戻ってきた俺たちを見て、また福々とした笑顔を浮かべる。
 
「あんこにも会った?」
「元気に飛び出してきたよ」
「あの子、きららちゃん大好きだからね」

 あんこの話をしたせいか、きららが思い出し笑いで揺れる。
 くっくっくっと、ノドを鳴らしながらまた震え出した。
 
「あっくんが、あんこのこと、あんこ先輩って、呼んで……」
「きららが呼べって言ったからだろ!」
「だって、あっくんには先輩じゃん」
「僕も、あんこ先輩って呼んだほうがいいのかな」

 ぬっと目の前に急に人が現れて、仰け反る。
 心臓がドッドっと、音を鳴らした。
 腰を抜かしかけたが、その人はさきほどおばちゃんと居た怪しげな男。
 おじさんなのかと思っていたけど、違うらしい。

「きららちゃんも、山光くんもこちら柴田さん。今月から手伝ってくれてるバイトの人」

 おばちゃんの紹介に、俺もきららもぺこっとお辞儀をする。
 柴田さんは、「どうも」と軽薄そうな笑顔を見せた。
 もじゃもじゃのヒゲと、くるんっと丸まった髪もまっとうな大人っぽくない。
 パッと見た限りだが、父さんより年上に見えるのに。

「柴田さん、きららちゃんはよく手伝いに来てくれる私の姪っ子。こっちの山光くんは初めてだから、色々教えてあげてね」
「はい、きららちゃんと山光くん」
「よろしく、お願いします」

 部屋にあった布団を、思い返す。
 この人が、相部屋だろうか。

「じゃ。さっそく」

 柴田さんに案内されたのは、奥。
 イスとずらりとさくらんぼが並べられたテーブルがあった。

「はい」

 手渡されたのは、丸い穴が数個開いた定規?
 きららは、迷いなく素早い動きでさくらんぼを仕分けしている。

「おっきい方から入れて、最初に引っかかったサイズにわけてね」

 言われた通りに穴に、さくらんぼを通す。
 サイズを仕分けしていく。
 ちらりときららの方を見れば、慣れてるようで、あっという間に仕分けのかごがいっぱいだった。

「慣れるまでゆっくりでいいから」
「はい」
「割れちゃってるのとかは、こっちに」

 こくこくと頷いて、ひたすら目の前のさくらんぼを通す。
 こうやって分けられてるとは、思わなかった。
 それに、同じ木から取れてもサイズがこんなに違うことも……

 無言の時間が過ぎていく。
 沈黙が辛くて、つい、言葉が出た。
 バイト中なのだから、黙っていた方がいいのはわかっていたのに。

「サイズこんなに違うんですね」
「そうだね」

 柴田さんは優しく返事をしてくれた。
 こちらには、目を向けてくれないけど。

「同じ木からなってるのに……」

 手は止めずに、話しかけてしまう。
 それでも、柴田さんは無視はせず、返事をしてくれた。

「人間だって人それぞれだろ?」
「はい?」
「兄弟だって身長や体型は違うだろう」

 柴田さんの言葉に、ついそちらを向いてしまう。
 それはそうだ。
 一人一人違って、全部同じ人間などいない。

「だから、さくらんぼも一緒」

 それもそうか……
 果物も人間も、それぞれ少しずつ違う。

 柴田さんは、パクッと一口さくらんぼを食べる。
 そして、また黙々と作業へと戻った。

「割れてるやつはね、食べてもいいんだよ」

 黙っていたきららが、俺たちの話を聞いていたらしい。
 割れていて、避けたさくらんぼを1つ持ち上げた。
 そして、自分の口に放り込んで幸せそうに笑う。

「おいしいんだよねぇおばちゃんのさくらんぼ。世界一」
「俺もそう思うよ」

 柴田さんも賛同しながら、さくらんぼを口に運ぶ。
 俺は、申し訳なさの方が強くて流石に割れていても食べる気にはなれなかった。

 十時開始の十九時終了予定だったらしい。
 おばちゃんの「はい、終わり!」という声掛けで作業は終わった。
 途中で休憩はあったけど、座ってただけなのに体が疲れてる。

 寝泊まりする家に戻り、夕食をいただいた。
 お風呂にも入ったから、後は寝るだけだ。
 俺の最初の予想は当たっていたらしい。
 部屋に戻れば、柴田さんがテレビを眺めている。

「あ、よろしくお願いします」
「おう、よろしくー」

 不思議な人だなと思う。
 広げた布団の上に、だらっと寝転がっている。
 そして、チャンネルをコロコロ変えていた。

 部屋の中には、ニュースだけが流れている。
 気まずさを感じながら、話しかける内容を探す。

「あの、柴田さんって」
「なに?」
「長いんですか?」

 おずおずと話しかけた俺の意図に気付いたようだ。
 柴田さんは、困ったように髪の毛を掻く。
 そして、俺をまっすぐ見つめた。

「それ、クセなの?」

 クセ……なんだろうか。
 沈黙が怖いのは、誰でも一緒だろ。
 俺だけじゃないはずだ。

「クセ、なんですかね」
「まぁ、いいや。聞きたいなら答えるけど、本当に聞きたい?」

 ニコニコとしてくれているのに、線を引かれたような。
 作業中の柔らかな空気はない。
 先ほどよりも増したどんよりとした空気に、息を呑んだ。

「聞きたい、です」
「まだ一週間」
「えっ」

 てっきり、社員だと思った。
 年齢も父より上に見えるし、おばちゃんの信用具合からも。

「意外だった? まだ一週間のバイトで」
「え、いや、あの、はは」

 誤魔化すように、笑ってしまう。
 柴田さんの気を悪くしたかもしれない。
 この空気をなんとかしたくて、話しかけたのに。
 逆効果だ。

「明後日には出ていくから、そしたら一人部屋だよ」

 ひらひらと柴田さんは、片手を持ち上げて振る。
 一週間ちょっとだけの仕事。
 本当の仕事は何をしてるんだろう。

 疑問は湧く。
 それでも、先ほどの反応を見ると続きを質問する気にはなれなかった。

「寝る時言って、テレビ消すから」
「あ、はい」

 ニュースキャスターは、ほのぼのニュースを読み上げている。
 猫がトカゲを追いかけ回した、とか。
 海開きが始まったとか。

 朗らかなニュースばかりが、耳に入る。
 それなのに、俺の心は曇っていた。

「ちょっと、出てきます」

 居心地の悪さを、ごまかしきれなかった。
 他人の家を探検するには、大人になりすぎてる。
 家を出て、暗闇の中、空をぼんやり見上げた。

 トンっと背中に衝撃を受けて、振り返る。
 きららが、えへへと照れたようにそこに立っていた。
 あの出会った日のように、月の光を浴びて輝いている。

「部屋出る音が聞こえたから、追いかけてきちゃった」
「そう……」
「あとね、これ!」

 そういって差し出したのは、さくらんぼのように茎で繋がれた星。
 幸せ、ってなんだろう。
 今日は幸せな一日だったんだろうか。

 モヤモヤとしてるせいだ。
 つい、口から冷たい温度の言葉が出てしまう。

「なんで?」
「ご、ごめんなさい」

 肩をすくめて、きららは手を引っ込める。
 暗くて表情はよく見えないけど、怯えたような謝り方だった。
 感じが悪かったと自分でも思う。
 だから、素直に謝る。
 
「あ、違う。ごめん。今日、幸せだったのかなって思ったから」
「バイト、つまらなかった?」

 つまらないとは、思わなかった。
 こんな作業してるんだって、初めて知れたし。
 それでも、楽しかったとも思えなかった。

「バイトだけじゃなくて、新しく人と出会えたこと、とかも、つまんなかった?」

 怒涛の一日を、振り返ってみる。
 間違いなく、充実はしていた。
 いつもの寝て過ごす一日よりは、楽しかったと思う。
 あんこ先輩は、可愛かったし。
 柴田さんとの会話は、モヤが残ってるけど。

「楽しかったと、思うよ」
「じゃあ、幸せだったにカウントしちゃダメ?」

 正直、わからない。
 それでも、さくらんぼ型の星が可愛いから。
 受け取ってしまう。

「もらっておく」
「入れるもの決めた?」

 ズボンのポケットから、スマホを取り出す。
 そして、写真を撮っておいた缶をきららに見せた。

「かわいー!」
「こういうの好き?」
「んー、好き、かな」

 きららの甘さや、朗らかさには、お菓子が似合う気がした。
 つい、緩んでいる頬を押さえる。
 きららといると、楽しい。
 素直にそう思えてしまうことに、疑問を抱いてしまう。

「きららは、悩みとかないの」

 自分に差し出せるものは、差し出したい。
 それくらいに、きららから受け取ってるものが多いのだから。
 
 きららは俺の言葉に、答えない。
 ぐーっと背伸びをして、ラジオ体操のように大きく深呼吸のポーズを取った。

「ない、ってことにしておいて」

 意味深な言葉。
 それでも、俺は踏み込めるほどきららのことを知らない。

 誤魔化すように俺も真似して、両手を広げる。
 吸い込んだ空気はあたたかい。
 夜というのに、気温が下がりきっていないせいで、むしろ暑い。
 夏は、まだまだ去るつもりはないようだ。

「それは、人を幸せにする使命に関係すること?」

 どうしても、気になって一つだけ言葉にすれば、きららは一瞬こちらを振り向く。
 きららは何も答えずに、また、空を見上げた。
 つられて夜空を、目に映す。
 一際大きい星を見つけた。

「一等星」

 ぼそっと、声に出す。
 きららは、キョロキョロと顔を動かして探した。

「あれ?」
「多分。一際明かりが強いから」

 月明かりが、きららの細い首筋を照らしてる。
 あまりの青白さに、透けて見えた。

「そろそろ寝ないと、明日も早いよ」
「きららは?」
「もうちょっと、見てる」
「じゃあ、俺も見てる」

 これ以上、何を聞いていいのかはわからない。
 それでも、きららと別れて寝てしまうには惜しい気がした。
 だから、ただ、二人で静かに輝く星を目に焼き付ける。

 * * *

 きららと別れて、布団に入ればぐっすりだった。
 二日目はあっという間に、始まる。
 昨日と同じ建物に入れば、きららは違う作業にいってしまった。
 
 柴田さんと二人で黙々と、さくらんぼを仕分ける。
 まだ、少し苦手だ。
 ニコニコとした表情なのに、どこか線を引かれてる気がする。

「手、止まってるけど」
「あ、すいません」
「バイトとか初めて?」

 チラチラと窺っているのが、気になったのだろう。
 柴田さんは、軽いため息を吐く。
 そして、俺に話を振りながら作業を続けた。

「初めて、です」
「高校生でしょ。しようとも思わなかったの?」

 思わなかった。
 俺にできるとも、思わなかったし。
 答えがないことが、苦手だ。

 数学や生物、歴史は覚えるだけだからいい。
 国語などの、答えを問われるものが苦手だ。
 筆者の気持ちなど、筆者しかわからない。
 それでも、大体の答えを見つけ出す法則性を知ってるから解けはするけど。

 だから、バイトも、部活もやるつもりはなかった。
 初対面の大人に、そこまでの事情を話す気も起きない。
 だから額の汗を拭ってから、「そうっすね」とだけ答えた。

「ここのバイト後何日入るの?」

 予定では、明日には終わりだ。
 柴田さんと同じく。
 昨日の一人部屋の下の時に言えば、よかった。

「一緒、かな」
「わかってたんすか」
「まぁもうほとんど作業も残ってないからねぇ」

 さくらんぼの収穫、箱詰めのバイトは期間限定だ。
 夏のこの時期しか成らないのだから、当たり前だけど。

「結局最後まで、相部屋ですね」
「イヤだった?」
「柴田さんこそ」

 割れたさくらんぼを、一粒、見つけた。
 ちょうど中心が抉られたように、穴が空いてる。
 どこか欠けてる俺に、よく似ていた。
 弾くのが可哀想に思えて、口に運ぶ。
 やけに瑞々しくて、甘い。

「高校生と関わることないから、面白かったよ」
「俺が、ですか?」

 ロクな会話もしていない。
 黙っているのが気持ち悪くて、何回か話は、振ったけど。

「イマドキの子ってこんなに空気を読もうとするんだ、みたいな?」

 バカにしてる感じではない。
 それなのに、食らってしまった。
 きっと、自覚があるし、自分自身の嫌いな部分だからだ。

「柴田さんは鬱陶しかったですか」
「山光くんは、生きにくそうだね」
「そう、ですね」

 この世界は、呼吸がしにくい。
 死にたいと思うほどの、絶望ではないけど。
 それでも、自分自身に何もないというのは、正直しんどさを心の奥に募らせる。

「柴田さんは、生きやすいですか」

 どんな質問かわからない。
 それでも、哀れまれたような視線に、つい問いかけていた。

「好きなように、生きてるからね」
「バイトばっか、してるんですか?」

 最初に覚えた違和感。
 これくらいの年の人はみな、社会人として正社員だと思っていた。
 父や母はそうだったし、先生もそう。
 俺の身の回りの大人は、それくらいしかいない。
 だから、それが()()だった。

 柴田さんは、ヒゲが生えてるし、髪もモジャモジャだし。
 大人なのにバイトだし。
 俺の知ってる、普通じゃない。

「生きてく分だけ、稼げればいいから」
「生きてけるんですか」
「まぁ、持ち家を両親に残してもらったのもあるけど。食べるものは家庭菜園。テレビとかも、家だと見ないからね。あとは、細々としたものを買ったり、水道光熱費を払ったりする分くらいかな」

 生きてく分だけ、稼ぐ。
 そんな生き方、誰も教えてくれなかった。
 動画を見ていても、周りの大人も、みな、稼ぐために働いている。
 働く手段は、それぞれあれど、だ。

「バイト以外何してるんですか」
「俺さ、趣味がいっぱいあんのよ。釣りも好きだし、あ、あとバイトも兼ねてるけど遺跡の発掘とか」
「遺跡の発掘……」

 日本史で、聞くような単語だ。
 驚きで、手が止まってしまっていた。
 柴田さんは、俺の手元をじっと見つめる。
 手は動かせと、言ってるみたいに。

 作業を再開して、柴田さんの話に耳を澄ませる。

「知らないものを知るのが好きなんだよね。それを裏付けていくのも」
「知識欲ですか」
「そうそう、この辺土器とか出るんだけど。昔の人は何に使ってたとか、ワクワクしない?」

 知らないことを、知る。
 それが、ワクワクすること。
 俺はわずかだけど、わかってしまった。

 初めてのバイトは、ワクワクした。
 それに何に役立つでもないけど、さくらんぼの仕訳がどういう流れか知れて、今嬉しい。

「わかります」
「渋いねぇ」
「渋いっすか?」
「その年頃だと、簡単な娯楽が好きだろ」

 まるで、自分が高尚な人間のような言い方、だと思った。
 傲慢だな、とも。

「簡単に手に入るものってつまらないと、思っちゃうタイプなんだよね。まぁ。性格悪いとも思ってるよ」

 ケラケラと笑いながら、柴田さんはさくらんぼを摘む。
 とっつきにくい印象が少しずつ、変わっていく。
 血の通った人間らしさ、とでも言うのだろうか。

 話しすぎたらしい。
 小さい穴に通してしまった、さくらんぼが引っかかって避けてる。

 焦って柴田さんに見せれば、柴田さんはくっとノドを鳴らした。
 
「ど、どうしましょう」

 全身から、血の気が引いていく。
 怒られるだろうか。
 頭が真っ白になって、どうしていいかわからない。

 柴田さんは、俺の隣に来て背中をトントンっと叩いた。
 そして、さくらんぼのヘタをむしる。

「え?」
「あんま良くないけどな!」

 そう言って俺の口に、さくらんぼを放り込む。
 甘酸っぱい味が、身体に血を巡らせていく。

「気をつけろよ」
「はい……」

 もう同じ、失敗はしない。
 手元をしっかりと見ながら、さくらんぼを穴に通した。

 時々、柴田さんと雑談したのもあってか、今日はあっという間に日が暮れていた。
 途中からはあまりにも真剣に、やっていたからかもしれない。
 
 今日の夜ご飯は、煮物、味噌汁、漬物に、サラダ。
 手が込んでるし、おいしい。
 久しぶりの人が作った料理の温かさが、沁みてしまった。

 部屋に戻り、柴田さんの横でニュースを眺める。
 このバイトは、本当に幸せに繋がってるんだろうか、
 そもそも俺の中の幸せが、何かはまだわからない。
 誰かに必要とされること、な気はしている。
 柴田さんなら、どう答えるか気になった。
 
「柴田さん、話しかけて良いですか」
「なに?」
「幸せってなんだと思います」

 にこやかな雰囲気が、一気に変わる。
 柴田さんはリモコンで、テレビを消した。
 そして、俺の方を向いて起き上がる。

「山光くんの中では、答えが出てないんだね」

 どうして、そう言い切れるのかはわからない。
 でも、問いかけ方に迷いがあったのかも。
 頷けば、柴田さんは布団を丸めて抱きかかえた。

「俺の幸せの定義を聞いて、それを山光くんの幸せの定義にするのかい?」

 そういうわけじゃない。
 ただ、純粋に柴田さんの目には、幸せがどう映ってるのか知りたかった。
 そこに、俺の幸せへのヒントもある気がしたから。

「ただ、知りたいんです」
「ごはんが食べられて、好きなことを追いかけられる時間かな」
「じゃあバイトの時間は、幸せじゃないですか?」

 柴田さんは一瞬、眉を顰めた。
 そして、くっくっと笑ってから、俺に近寄る。
 急に背中を強く叩かれた。

「面白いな、山光くん」
「いや、柴田さんの幸せの定義がそれなら、バイトは違うのかなって」
「知らないことを知れるのが面白いって言っただろ」

 あまりの大声で笑うから、家中に響き渡ったんじゃないかと思った。
 扉を開けて、隣の部屋の様子を確認する。
 そこまでは、響いてなかったようだ。

 シャカシャカシャカという音が、聞こえる。
 見渡せば、あんこ先輩がこちらに向かって走ってきていた。

「わんっ!」

 衝撃を胸いっぱいで、受け止めた。
 へっへっと息を吐きながら、俺の顔を舐め回す。

「あんこ先輩、やめてください」

 なんとか、なだめる。
 あんこ先輩は、俺の膝の上でくつろぎ始めた。
 そして、柴田さんはまた大声で笑い始める。

 慌てて扉を閉めて、柴田さんを見つめる。
 声があまりにも、でかい。

「あー、こんな笑ったの久しぶり。良いキャラしてるよ、山光くん」
「何がそんなおかしいんすか」

 むっとしながらも、あんこ先輩を撫でる。
 短く生え揃った毛の感触が、気持ち良い。

「人畜無害そうな感じが、伝わってんだよ」
「人畜無害ですか、俺」
「あまりにも真っ直ぐだからな」

 柴田さんの言う意味がよくわからない。
 まっすぐと、無害がどう繋がるんだか。
 首を傾げていれば、柴田さんは手を伸ばしてあんこ先輩と俺を撫でた。

「悩め。それが答えに繋がる。山光くんは、色々知るところから始めたら良いよ」
「急に大人ぶりますね」
「まぁ、こんなんでも大人は大人だから。山光くんよりは、長く生きてる分、色々経験してるよ」

 久しぶりに撫でられた頭が、そわそわとしてしまう。
 恥ずかしいような、嬉しいような。
 今、心の中で、一つ流星が落ちた気がする。

 誰かに大切にされてる。
 ただの、ふれあいがそんな感覚にさせた。
 あんこ先輩のもふもふの毛も、優しい柴田さんの手つきも。

 慣れない環境で、疲れていたらしい。
 自分ではうまくやれてると、思っていたけど。
 急に襲いかかる睡魔に、自覚せずにはいられなかった。

 布団に、潜り込む。
 あんこ先輩は当たり前のように、俺の横に寝転がった。

「あんこ先輩に添い寝なんて俺もしてもらったことないんだけど」
「柴田さんは、怪しい風貌してるんで」

 たった、数日。
 それだけなのに、気安く言えてしまう。
 頭を撫でられたからか、それとも、腹の底の思いを話せたからかはわからない。
 すごく、心地よい気分だった。

 あんこ先輩の毛に顔を、埋めてみる。
 ポップコーンの匂いが、鼻にふわりと漂った。
 これから先の良い予感を胸に、目を閉じる。
 目の奥の暗闇の中、星が瞬きをしていた。