終業式終わり、俺以外皆楽しそうな表情を浮かべていた。
斜に構えてるわけじゃない。
ただ、本当にそう思った。
夏休みの予定を語り合いながら帰宅するクラスメイト。
俺は冷めた目で、見送った。
昔からどうも馴染めない。
そんな自分を変えようとも思っていなかったけど。
気を取り直して、机の中から教科書を取り出す。
カバンに教科書を移しても、移しても、出てくる。
置き勉していた量が多すぎる。
自業自得なのに、頭が痛くなりそうだ。
教科書を詰め込んだカバンは、肩に掛ければずっしりと重たい。
身体を引きずるように、教室を出る。
教師に絡むクラスメイトが目に入った。
幸せそうに笑って、動画なんか撮っている。
キラキラした空間を横目に、走り去る。
ぬるい空気が校舎全体を、包み込んでいた。
身体がより重くなった気がしてしまう。
まるで、床にめり込んでいく気分だった。
校舎を出れば、太陽はアスファルトに照りつける。
学校前の道路に目をやれば、車が激しく行き交っていた。
学校は早く終わったのに、この時間に活動的な大人は多いらしい。
大人になっても、そうなれるは気はしなかった。
まっすぐ帰る気分にもならない。
自宅近くの田んぼの間を通り抜ければ、ぴょんっと何かが水面を跳ねる。
なんだっていい。
どこかへ逃げたい。
俺一人だけ、幸せになれないこの現実から遠ざかりたい。
そんな一心で、近くの大型公園へ走る。
この時期は、花も咲いていたはずだ。
少しの安らぎを求めて、足を踏み入れる。
「わーっ!」
甲高い子どもの声が、耳をつんざくように響いた。
肩から重たいカバンが、ずり落ちていく。
公園の端の方を陣取っている小高い丘を登る。
丘からは、最上川がよく見えた。
川の端の方では、釣りをしてる大人もいる。
水面に光が反射して、キラキラと輝いていた。
教師に絡んでいた同級生と同じように。
カバンを下ろせば、身体が少しだけ軽くなる。
どうして、俺はこんなに無意味な時間ばかり過ごしているんだろう。
ちょっとだけ考えてみる。
途端に、鬱屈とした気分がモヤのように身体にまとわりついた。
「あの新しくできたカフェに、こないだ行ってきたんだけどな」
やけに大きな声に、つられた。
ベンチに座っておじいさんたちが、井戸端会議をしていたらしい。
大きな身振り手振りで、周りの人に語っている。
そこそこの距離があるはずなのに、声が届く。
「ポテトがうまかったんだよ」
あんな歳になってもポテト食うのか、とか。
スピーカーみたいな喉してんな、とか。
余計なことはいくらでも、考えられる。
それなのに、自分のことは、何一つ考えられなかった。
川がゆっくりと、流れていくスピードだけ眺める。
俺の人生も流されていけばいい。
何も考えず、漠然と大人になれればいい。
薄暗くなり始めた公園から、一人、また一人と姿が消えていく。
子どもがいなくなったのを確認してから、遊具に近づいた。
ブランコに座れば、音を立てながら軋んだ。
前後に揺られれば、脳みそまで揺れる。
小さい頃はこんなことで、幸せを感じていた。
今では簡単に行ける隣の市がまるで知らない世界だったし、外食に行った日は記念日だった。
些細な驚きの連続。
輝かしい日々。
それは遠い過去の記憶だ。
前後にプラプラ揺れながら、暗くなった辺りを見つめた。
大人になると三半規管が弱くなるんだっけか。
たった数秒、乗っただけ。
それなのに、吐き気が抑えきれず足で揺れを止めた。
「おえっ」
吐きそうになりながら、空を見上げれば星が目につく。
流れ星が今流れたなら、俺は何を願うだろうか?
小さい頃の記憶を辿る。
明日の給食、カレーならいいな。
そんな小さい願いだった気がする。
叶えば幸せだったし、叶わなくても、なんだかんだ幸せだった。
「幸せになりたい」
口からこぼれた言葉。
静かな公園に、消えゆくはずだった。
「幸せの定義って、なに?」
「うわあっ」
横から急に声を掛けられて、ブランコからずり落ちる。
動いていなくて、まだ良かった。
それでも、打ちつけた尻が痛い。
俺の前に差し出された手は、やけに白い。
幽霊かと見間違うほどだ。
ちょっと、足があるかどうか確かめてしまった。
差し出された手を掴めば、ぎゅっと握り返される。
起き上がって向き合う。
どうやら、近くの高校の制服を着た女の子だった。
月の光を浴びた頬が、透き通って向こう側まで見えそう。
「で、あなたの幸せの定義って何?」
確かめるように、丁寧にもう一度繰り返される、
「急になんだよ」
「こんな時間にブランコに揺られて、幸せになりたいとか、つぶやいてたから」
放された手で、ズボンの砂を払う。
目の前の女の子は隣のブランコに座って、プラプラと揺れた。
「酔わねーの?」
「まだ子どもだから」
白い歯を見せて、揺れる。
笑顔が可愛い子だと思った。
小柄だし、俺よりも幼いのかもしれない。
「で、幸せになりたいってどういう状態?」
俺の前を、女の子が乗ったブランコが通り抜ける。
一瞬、半袖のシャツの下に青あざが見えた。
どこかにぶつけたものだろう。
悩みながらも、言葉を取り繕う。
「誰かに必要とされて、生きてる実感が持てること?」
自分で言っていて、あまりのアヤフヤさに鼻で笑ってしまう。
どうしたら、誰かに必要とされるんだよ。
生きてる実感でどうやったら持てんだよ。
クラスメイトたちは、夢をキラキラとした目で語っていたなと思う。
高校生にもなって、と俺は腹の中では考えていた。
それでも、羨ましくて仕方がない。
向かう先がある。
道がある。
それだけでも、幸せなことに思えた。
俺には、何一つない。
憧れて願うようなことも。
将来の夢も。
楽しみも。
自己紹介のたびに問われる趣味、特技に苦労してきた。
不幸な人生ではなかったはずだ。
両親は俺にそこまでの興味はないものの、家族として
なんとか形は保っている。
仲良しとはいかないけど。
不干渉で、時々顔を合わせる程度の家族。
「そういう、あんたは?」
「私?」
「どういうのが幸せだと思うの」
突っ立ってるのも不自然で、隣のブランコに座る。
女の子は相変わらず、ブランコを激しく揺らしていた。
「今が幸せ!」
「へー、そう、羨ましいね」
幸せな人間がこんな夜中に、公園くるかよ。
それでも心の底からそう思ってそうな顔に、羨ましい以外の言葉を思いつかなかった。
「思うんだけど!」
揺らしていたブランコを止める。
そして、少女はひらりと制服をはためかせて、飛び降りた。
続きの言葉を、息を飲んで待つ。
夜だというのに暑い。
汗が、ツーっと背中を伝っている。
「暇だから、悲観的に考えちゃうんだと思うよ。若人よ!」
格好つけた言葉で、俺をピシッと指さす。
ブランコに乗れない程度には、俺は大人になっている。
目の前の少女よりも。
なぜか、心臓がバクバクと音を立ててる。
「君に、良い提案があるんだけど聞く?」
訝しげな顔をしていたと思う。
眉毛がグッと寄ったのは、自分でもわかっていた。
それでも、俺の前には流れ星が通っている。
「ひゅーん!」
軽々しい口調で、楽しそうな少女の動き付きで。
慌てて手を差し出せば、紙で折られた星。
ストローの袋とかで、クラスメイトがよく作ってたな。
水色の星は、俺の手の中にある。
「君の暇してる時間、全部私にちょーだいよ!」
また一つ。
オレンジ色の星が、手の中に落ちる。
「は?」
もう一つ、ピンクと黄色の星。
女の子は相変わらず変な擬音をつけながら、俺の手の中に星を増やしていく。
よくよく見れば、スカートのポケットから取り出してるみたいだ。
「その星みたいに、幸せいっぱいな人生にしてあげる」
意味がわからない。
そう思うのに、本当にそうなる気がしてきた。
だって、流星が降りそそいでる。
気づけば手の中には、カラフルな星がたくさん積み上げられていた。
「潰しちゃいそうなんだけど」
「幸せって繊細なものだから、ちゃんと優しく持ってよ」
こぼれ落ちそうな星を、じっと見つめる。
色画用紙のようなゴワゴワとした質感だ。
このままだとブランコから降りることすら、できない。
「どうすんのコレ」
「えーいらないの?」
いらないわけじゃない。
でも、どうしていいかわからない。
困惑してる俺の表情に気づいたのか、少女は唸る。
そして、ハッとしたように口角を緩めた。
「じゃあ、一つずつ集めていこうね」
そう言いながら、俺の手の中から星を取り上げていく。
最後に残ったのは、最初の水色の星だけだった。
「ビンとかに集めるとか、おすすめ」
「ずいぶん、可愛らしい趣味に見えるけどな」
「まんざらでもないくせに」
水色の星を持ち上げて、夜空にかざす。
月の光を浴びて、本当に輝きそうだった。
潰さないように、右側のポケットにしまいこむ。
いつだったか、母親が貰ってきたお菓子の缶があったな。
クマが、バスに乗ってるやつ。
母親は可愛い物を捨てられないタイプだ。
だから、俺の家は細々とした可愛い小物で、乱雑としてる。
汚いわけではないけど、乱れてるという感じ。
そんな趣味に感謝する日が来るとは、思わなかった。
あのクマの缶を貰って、星を入れておこう。
逃がさないように。
取りこぼさないように。
感化されてしまってる思考に、気づいて、鼻で笑う。
「感じわるー」
隣で聞いていた少女は、じとっとした目線をこちらに向ける。
「悪い悪い。で、どうやって時間をあげればいいの」
「君のとこも、明日から夏休みでしょ」
「そうだけど」
連絡先も、名前も知らない。
教えてと俺から言うのは、恥ずかしかった。
「明日から、私のお出かけに付き合ってもらおう!」
「へいへい」
「名前は?」
「俺?」
普通自分から名乗るもんじゃ? とも思ったけど。
とりあえず、そんなことはいい。
楽しい日々の訪れを予感して、口元が緩む。
「山光明輝山の光でやまみつ。名前は、明るく輝くで、あき」
輝かしすぎる名前だと、自負している。
苗字も、名前も光ってるんだから目立ってしょうがないだろう。
実際の俺とは、正反対だけど。
「夜に探しやすそうな名前だね」
変わった評価に、プッと吹き出す。
実際に輝くわけでもないのに。
「で、名前は?」
「秘密」
少女に問いかければ、人差し指を唇に当てる。
俺は素直に答えたのに、ずるいだろ。
もう一度問いただそうとすれば、少女は俺の前に手を差し出した。
素直に手を乗せる。
スッと手のひらが、指でなぞられた。
「希う星で、きらら」
「わざわざ書く必要ないだろ!」
こそばゆさに、手を引っ込める。
手汗がじわりと滲んでいた。
「希うって言葉知ってんの? かしこーい」
「知らないけど、もっと説明の方法あったろ! 希望の希とか」
「からかいがいがあるよね、あっくん」
当たり前のようにあだ名で呼ばれて、どきんっと胸が鳴る。
人とあまりにも関わって来なさすぎた。
誰かとこんなに話したのは、いつぶりだろう。
いや、両親とは時々くだらない話をするけど。
「あっくん?」
「なんだよ」
「ほら呼んでみて、忘れないように」
黙り込んだ俺の顔を覗き込むように、近づいてくる。
きららの目の奥に星が、見えた。
名は体を表すを地で言ってるなと思ってしまう。
「きらら?」
「なーに?」
言葉に詰まる。
やっと出てきたのは、よくわからん感想。
「なんか、友だち多そうだな」
「なにそれ」
「普通にそう思った」
「普通じゃないかな、普通普通」
やけに早くなった口調。
気にはなったが、俺が変なことを言ったせいだろう。
シーンっとした空気に、気まずさを感じ始めた。
何かを言おうと、喉を震わす。
「あのさ」
「あのさ」
二人の言葉が、重なった。
手のひらを向けて、きららに話を譲る。
「あっくんからでいいよ」
「俺は」
悩んで、頭をぐるぐると動かす。
それでも、いい答えは出てこない。
結局悩み疲れて、素直に言葉にしてしまった。
「どうして、俺に声をかけたの」
「へ? なにそれ」
「だって、こんな時間にブランコに乗ってる男だぞ?」
自分がもし通りかかったとしても、ヤバいやつだと思って近づかない。
不思議でならなかった。
きららは、ふふっと小さく笑い声を上げる。
「誰かを幸せにすることが、私の生きていく使命だから!」
くすくすと肩を揺らして、きららが笑う。
笑う時に下がる眉毛も、可愛いなと感想が浮かぶ。
本当に幸せの化身かもしれない。
いや、もしかしたら、星が人間になったのかも。
そう思ってしまうくらいには、儚いけれど美しい笑顔だった。
「きららは、何言おうとしたの」
「連絡先交換しよ。待ち合わせにも、次の約束にも必要でしょ?」
差し出されたスマホには、SNSのアカウントが表示されている。
俺のよりも一回り小さいスマホに、可愛らしさ感じた。
手の大きさも違うし、小さい方がおさまりもいいのだろう。
「早く読み取ってよ」
「あ、悪い悪い」
スマホを取り出せば、二回りくらい小さい気がする。
QRコードを読み取って、友だちに追加。
新しい友だちができること、想像もしていなかった。
連絡先の交換で満足したらしく、きららは走り出す。
そして、一瞬振り返ってスマホをブンブンと振った。
「じゃあ連絡するから、返事してね!」
スタンプを送ったりして、登録を確認するものじゃないのか?
疑問に思いながらも、そういうものかと飲み込む。
俺の手の中には、星ときららの連絡先だけが残った。
明日からのきららとの時間は、楽しみな気がする。
だって、きららは幸せを運んでくれそうな女の子だった。
それでも、少しの不安が胸の中に広がっていく。
俺が幸せになれることなんて、あるのだろうか。
何もできない。
何も望めない、俺が。
もし、きららが本当に落ちてきた流星だったとしたら……



