「私、ユメちゃんが放課後あの部屋に行こうとしてたの知ってたの……ほら、絵が移されたのを聞いた時に『美術準備室』って呟いてたでしょう?」

 それは無意識だった。けれど日浦ミカリの絵に接触出来る最後の機会だと、思わず呟いていたのかもしれない。それが隣の席の彼女には聞こえていたのだろう。

「ユメちゃんが銀賞で悔しがってたのも、知ってたわ。小学校の時は、ずっと金賞だったものね」
「え……」

 一方的に劣等感を拗らせていた、本来雲の上の存在である日浦ミカリが、わたしのことを認識していた。かつて金賞を得ていた存在だと知っていた。そのことに喜ぶ気持ちと、銀賞の悔しさを悟られていた気恥ずかしさにも似た感覚に、情緒が追い付かない。視線を泳がせるわたしを気に留めることなく、日浦ミカリは言葉を続ける。

「……だから、私の『銀賞おめでとう、すごいね』って言葉は、きっと嫌だろうなって思ってた。わかってて言ったの。……あ、でも勘違いしないでね、本心だったから!」
「な……っ」
「美術準備室の、室内からも掛けられる鍵を、開けっぱなしにしていたのはわざと。きっと劣等感を刺激されたユメちゃんなら、私の絵をどうにかしてくれるって思ったの。……まあ、自分の絵まで破いちゃうとは思わなかったけど。私、ユメちゃんの絵は好きだったから」

 予想外の言葉に、頭が追い付かない。衝動的ながら一世一代の決意でした犯行だった。それさえも結局、わたしは彼女の掌の上で転がされていたとでも言うのだろうか。

「あの状況で絵が破かれていたら、普通鍵を開けた私が疑われていた。だから、実行してくれたあなたに本当に感謝してるの」
「で、でもわたし、やっぱり日浦さんに謝ろうと……負けたのはわたしの実力不足で、逆恨みだし……」
「いいのよ。私は手を汚さず、揉めることなく、納得いかない物を表に出さずに済んだ。その上、被害者として尊重と配慮もされる。寧ろプラスしかないわ」

 すると彼女は不意に、制服のポケットから取り出したスマホを操作し始め、やがて一枚の写真を表示しながら言葉を続けた。

「……それに、こんな顔をする人が、本当に後悔や反省をしているの?」
「え? あ……」
「他人が決めた倫理観や評価にしがみつくよりも、自分の心に忠実な方が、満たされるものよね。……金賞とか銀賞とか、紙屑になってしまえば変わらないもの」
「わた、し……」
「評価も、レッテルも、みんなクソ食らえよ。価値は、取捨選択は、みんな私が決める。自分の心が納得するかどうかだわ。……あなたも、そんなものから解放されるために、手を汚したんでしょう? 心に正直になった結果よ」
「解放……」

 スマホ画面に映っていたのは、絵を破るわたしの姿。床に散らばる日浦ミカリの美しい絵の残骸と、躊躇うことなくそれを手にかけるわたし。
 劣等感の対象である彼女の絵を破り捨てる俯いたその横顔は、思い詰めていたはずの苦悩や葛藤ではなく、自分でも見たことのないほどに満ち足りた笑みを浮かべていた。