あの後、気が気ではないまま授業を受けて、中休みの度にクラスメイトに囲まれる日浦ミカリにようやく問い質せたのは、給食を終えて昼休みになってからだった。
近付く放課後に形振り構っていられずに、わたしは彼女の手を引き、人のあまり来ない校舎の片隅、閉鎖された屋上へ続く階段まで連れ出した。そして誰も来ないことを確認して、ようやく切り出す。
「……あの、さっきのメモ……どういうこと?」
あれのせいで午前中生きた心地がしなかったし、授業の内容も覚えていない。もし彼女が誰かとの会話の中でうっかり犯人について語ろうものなら、その場でカッターで喉を切り裂いてやろうかとさえ思った。
「ああ、犯人を知ってる、ってやつ?」
「そう……本当に知ってるなら、どうして最初に先生に言わなかったの?」
「ふふっ、言って欲しかった? 同じ被害者の……銀賞の月織ユメちゃんが絵を破いた犯人だ、って」
「……」
そう、確かにわたしは日浦ミカリの金賞の絵を破いた。そして、自分の銀賞の絵も破いたのだ。
金賞が破かれ銀賞が無事だとしたら、間違いなく妬みからの犯行だと疑われるだろう。そのことへのカモフラージュの意味も、もちろんあった。けれどそれ以上に、二番目と位置付けられた、他より劣るとされた自分の絵を飾っておくことが、どうしても許せなかったのだ。
朝のホームルームの後、彼女ほどではなくても「月織さんの絵も残念だったね」なんて、何人かのクラスメイトが日浦ミカリのついでにわたしにも声をかけてくれた。
銀賞にも確かに価値があるのだと、それが損なわれたことへの憐れみを向けてくれる、クラスメイトや先生。
本当は、日浦ミカリの金賞の作品が損なわれたことの方が惜しいくせに。本当は、平和なクラスで起こったこんな事件を面白おかしく感じているくせに。本当は、わたしになんか興味がないのに、被害者であるという一点においてのみ同情しているくせに。
そんな穿った見方をしながらも、わたしは自分の気持ちと現実に嘘をつき、皆の求める一被害者の顔をした。地味で目立たないわたしは、それだけで犯人候補から外れるはずだった。
それなのに、何故よりによって一番知られたくなかった彼女に気付かれてしまったのだろう。
「違うよ……わたしも被害者。なのにどうしてわたしが犯人だと思うの?」
わたしは咄嗟に嘘をつく。けれど彼女は穏やかな笑みを浮かべたまま首を振った。
「実はね、見てたの」
「見てた……?」
「そう。昨日先生から、美術準備室に絵を移すって聞いたでしょう? 私、放課後に美術準備室に行ったのよ」
あの絵は来週からデパートに展示される予定だった。だからうちの学校から選ばれた作品は、そちらの運営に渡すために昨日一纏めにされていたのだ。
だからこそ、万が一があっては困るからと、放課後に美術準備室には入らないようにと生徒には注意がされていた。
「……近付かないようにって、先生に言われてたのに?」
「展示会場に引き渡す前に、最後に自分の絵に触れて、近くで見たかったのよ。それに気に入らないところが直せるとしたら、最後のチャンスだもの……でも、私が美術準備室に入ろうとした時、教室の中にはユメちゃんが居たわ」
もし入れ違いだったり、既に絵が破かれていた所にわたしが居たのなら、いくらでも言い逃れは出来た。わたしも発見者だと言えばいい。けれど犯行現場を見られているとなると、少し厄介だ。何とか言い訳をしようと、わたしは更に嘘を重ねる。
「それが、わたしが着いた時にはもう……」
「それはないわ。だって、鍵を開けたのは私だもの」
「え……?」
「大事な絵を保管しておく部屋なのに、施錠もされていないのは無用心だと思わなかった?」
確かに、生徒に近付かないようになんて言い含めたところで、わたしのように受賞者へ嫌がらせしようとする人は他にも居たかも知れないし、単純にダメだと言われると余計に悪戯をしたくなる幼稚な生徒も居ただろう。けれどもあの教室には、施錠はされていなかった。だからわたしは、あっさりと犯行に及ぶことが出来たのだ。
「絵を直そうとしたって言ったでしょう? 先生に許可を貰って、美術準備室の鍵を借りて開けたのは、私」
「え……でも今、美術準備室に入ろうとした時、わたしが居たって……」
「ええ。一度入って絵を確認して、やっぱり気になるところがあったから、隣の美術室に絵の具を用意しに行っていたのよ。そうして戻ろうとしたら……」
隣り合った美術準備室から美術室には、廊下を経由しなくても中扉から行けた。わたしは彼女が居るなんて知らずに、廊下から周辺に誰も居ないのを念入りに確認して、美術準備室に忍び込んだ。
そして隣の部屋から彼女が見ていたなんて気付かないまま、わたしは彼女の絵を目の前で破り捨てたのだ。
「じゃあ……直そうとした絵が破かれるその現場を、黙って見ていたの? 止めようとか、そういうのはなかったの?」
日浦ミカリは相変わらずの笑顔で、何を考えているのかわからない。本来あるべき怒りの感情も、悲しみの感情も見出だせなかった。
「んー……正直ね、私、あの絵を気に入ってなかったの。わざわざ入賞後に直したくなるくらいには。なのに、金賞なんて貰っちゃって……」
その言葉に、わたしは思わず拳を握り締めた。わたしよりも認められたくせに、わたしよりも秀でていると思っているくせに。上の者が謙遜したところで下の者への嫌味にしかならないことを、上にしか居たのことない彼女は知らないのだろう。
「だからユメちゃんが破いてくれて、寧ろラッキーというか……本当は、自分で破いちゃおうかとも思ってたの」
「……え?」
「あなたが自分の絵を破いたのと同じよ。納得いかないものを評価されるなんて、何だか嫌だもの。こんなので金賞獲れちゃうんだ? って拍子抜けというか……持ち上げすぎというか、褒められると落ち着かなくて」
そんなんじゃない。彼女のそれは、わたしが喉から手が出るほど欲しくても得られなかった評価だった。悔しくて、苦しくて、けれど何を言っても負け惜しみにしかならなくて、わたしは奥歯を噛み締める。
今回だけじゃない、日浦ミカリはいつだって、わたしの存在や、なけなしの価値をぐちゃぐちゃに傷付けるのだ。だからわたしは唯一誇れる絵でよりによって彼女に負けたのが耐えられなかった。
彼女はそんなわたしに気付いていないのか、変わらない笑みを浮かべたまま言葉を紡ぐ。
「金賞って名誉は、もちろんありがたいけど……ユメちゃんだって、自分が満足してないものを褒められたって、心は満たされないでしょう?」
「それ、は……」
それは少しだけわかる。「銀賞すごいね」なんて褒められたって、金賞を獲れなかったわたしは納得していないのだから満たされない。褒め言葉さえ、当て付けなのではないかと思ってしまう。
事実、昨日金賞の彼女にそれを言われたことが、そもそも犯行に至るきっかけだった。
しかしそんな彼女とも共感できることがあるのかと、何でも完璧な日浦ミカリも同じく満たされないことがあるのかと、少しだけ安心したところで、ふと薄れていた罪悪感が頭をもたげた。
どんな理由があれど絵を破いたのは悪いことで、彼女は犯人を知っていてもなお、目の前のわたしを責めなかったのだ。寧ろこれまでの言葉の数々も、わたしの罪を和らげようとしての気遣いかもしれない。
「あの、わたし……」
「だから、ありがとう。ユメちゃん」
謝ろうとしたわたしに対して、日浦ミカリはお礼を述べる。思わずぽかんとしていると、彼女は楽しげに言葉を続けた。
近付く放課後に形振り構っていられずに、わたしは彼女の手を引き、人のあまり来ない校舎の片隅、閉鎖された屋上へ続く階段まで連れ出した。そして誰も来ないことを確認して、ようやく切り出す。
「……あの、さっきのメモ……どういうこと?」
あれのせいで午前中生きた心地がしなかったし、授業の内容も覚えていない。もし彼女が誰かとの会話の中でうっかり犯人について語ろうものなら、その場でカッターで喉を切り裂いてやろうかとさえ思った。
「ああ、犯人を知ってる、ってやつ?」
「そう……本当に知ってるなら、どうして最初に先生に言わなかったの?」
「ふふっ、言って欲しかった? 同じ被害者の……銀賞の月織ユメちゃんが絵を破いた犯人だ、って」
「……」
そう、確かにわたしは日浦ミカリの金賞の絵を破いた。そして、自分の銀賞の絵も破いたのだ。
金賞が破かれ銀賞が無事だとしたら、間違いなく妬みからの犯行だと疑われるだろう。そのことへのカモフラージュの意味も、もちろんあった。けれどそれ以上に、二番目と位置付けられた、他より劣るとされた自分の絵を飾っておくことが、どうしても許せなかったのだ。
朝のホームルームの後、彼女ほどではなくても「月織さんの絵も残念だったね」なんて、何人かのクラスメイトが日浦ミカリのついでにわたしにも声をかけてくれた。
銀賞にも確かに価値があるのだと、それが損なわれたことへの憐れみを向けてくれる、クラスメイトや先生。
本当は、日浦ミカリの金賞の作品が損なわれたことの方が惜しいくせに。本当は、平和なクラスで起こったこんな事件を面白おかしく感じているくせに。本当は、わたしになんか興味がないのに、被害者であるという一点においてのみ同情しているくせに。
そんな穿った見方をしながらも、わたしは自分の気持ちと現実に嘘をつき、皆の求める一被害者の顔をした。地味で目立たないわたしは、それだけで犯人候補から外れるはずだった。
それなのに、何故よりによって一番知られたくなかった彼女に気付かれてしまったのだろう。
「違うよ……わたしも被害者。なのにどうしてわたしが犯人だと思うの?」
わたしは咄嗟に嘘をつく。けれど彼女は穏やかな笑みを浮かべたまま首を振った。
「実はね、見てたの」
「見てた……?」
「そう。昨日先生から、美術準備室に絵を移すって聞いたでしょう? 私、放課後に美術準備室に行ったのよ」
あの絵は来週からデパートに展示される予定だった。だからうちの学校から選ばれた作品は、そちらの運営に渡すために昨日一纏めにされていたのだ。
だからこそ、万が一があっては困るからと、放課後に美術準備室には入らないようにと生徒には注意がされていた。
「……近付かないようにって、先生に言われてたのに?」
「展示会場に引き渡す前に、最後に自分の絵に触れて、近くで見たかったのよ。それに気に入らないところが直せるとしたら、最後のチャンスだもの……でも、私が美術準備室に入ろうとした時、教室の中にはユメちゃんが居たわ」
もし入れ違いだったり、既に絵が破かれていた所にわたしが居たのなら、いくらでも言い逃れは出来た。わたしも発見者だと言えばいい。けれど犯行現場を見られているとなると、少し厄介だ。何とか言い訳をしようと、わたしは更に嘘を重ねる。
「それが、わたしが着いた時にはもう……」
「それはないわ。だって、鍵を開けたのは私だもの」
「え……?」
「大事な絵を保管しておく部屋なのに、施錠もされていないのは無用心だと思わなかった?」
確かに、生徒に近付かないようになんて言い含めたところで、わたしのように受賞者へ嫌がらせしようとする人は他にも居たかも知れないし、単純にダメだと言われると余計に悪戯をしたくなる幼稚な生徒も居ただろう。けれどもあの教室には、施錠はされていなかった。だからわたしは、あっさりと犯行に及ぶことが出来たのだ。
「絵を直そうとしたって言ったでしょう? 先生に許可を貰って、美術準備室の鍵を借りて開けたのは、私」
「え……でも今、美術準備室に入ろうとした時、わたしが居たって……」
「ええ。一度入って絵を確認して、やっぱり気になるところがあったから、隣の美術室に絵の具を用意しに行っていたのよ。そうして戻ろうとしたら……」
隣り合った美術準備室から美術室には、廊下を経由しなくても中扉から行けた。わたしは彼女が居るなんて知らずに、廊下から周辺に誰も居ないのを念入りに確認して、美術準備室に忍び込んだ。
そして隣の部屋から彼女が見ていたなんて気付かないまま、わたしは彼女の絵を目の前で破り捨てたのだ。
「じゃあ……直そうとした絵が破かれるその現場を、黙って見ていたの? 止めようとか、そういうのはなかったの?」
日浦ミカリは相変わらずの笑顔で、何を考えているのかわからない。本来あるべき怒りの感情も、悲しみの感情も見出だせなかった。
「んー……正直ね、私、あの絵を気に入ってなかったの。わざわざ入賞後に直したくなるくらいには。なのに、金賞なんて貰っちゃって……」
その言葉に、わたしは思わず拳を握り締めた。わたしよりも認められたくせに、わたしよりも秀でていると思っているくせに。上の者が謙遜したところで下の者への嫌味にしかならないことを、上にしか居たのことない彼女は知らないのだろう。
「だからユメちゃんが破いてくれて、寧ろラッキーというか……本当は、自分で破いちゃおうかとも思ってたの」
「……え?」
「あなたが自分の絵を破いたのと同じよ。納得いかないものを評価されるなんて、何だか嫌だもの。こんなので金賞獲れちゃうんだ? って拍子抜けというか……持ち上げすぎというか、褒められると落ち着かなくて」
そんなんじゃない。彼女のそれは、わたしが喉から手が出るほど欲しくても得られなかった評価だった。悔しくて、苦しくて、けれど何を言っても負け惜しみにしかならなくて、わたしは奥歯を噛み締める。
今回だけじゃない、日浦ミカリはいつだって、わたしの存在や、なけなしの価値をぐちゃぐちゃに傷付けるのだ。だからわたしは唯一誇れる絵でよりによって彼女に負けたのが耐えられなかった。
彼女はそんなわたしに気付いていないのか、変わらない笑みを浮かべたまま言葉を紡ぐ。
「金賞って名誉は、もちろんありがたいけど……ユメちゃんだって、自分が満足してないものを褒められたって、心は満たされないでしょう?」
「それ、は……」
それは少しだけわかる。「銀賞すごいね」なんて褒められたって、金賞を獲れなかったわたしは納得していないのだから満たされない。褒め言葉さえ、当て付けなのではないかと思ってしまう。
事実、昨日金賞の彼女にそれを言われたことが、そもそも犯行に至るきっかけだった。
しかしそんな彼女とも共感できることがあるのかと、何でも完璧な日浦ミカリも同じく満たされないことがあるのかと、少しだけ安心したところで、ふと薄れていた罪悪感が頭をもたげた。
どんな理由があれど絵を破いたのは悪いことで、彼女は犯人を知っていてもなお、目の前のわたしを責めなかったのだ。寧ろこれまでの言葉の数々も、わたしの罪を和らげようとしての気遣いかもしれない。
「あの、わたし……」
「だから、ありがとう。ユメちゃん」
謝ろうとしたわたしに対して、日浦ミカリはお礼を述べる。思わずぽかんとしていると、彼女は楽しげに言葉を続けた。



