来週から地元のデパートに展示予定だった『中学生絵画コンクール』の金賞と銀賞の絵が、何者かによって破られた。
そのセンセーショナルなニュースは、金賞と銀賞の作品を輩出したわたしのクラスで、瞬く間に話題となった。
「えー、金賞の日浦ミカリさんと、銀賞の月織ユメさんの作品が破損しているのが、美術準備室の中で見つかりました」
朝のホームルームで、沈痛な面持ちのまま担任の間空先生から語られたその事件。クラスメイトは好奇と憐憫の混ざり合う様子で目配せをする。
「ミカリちゃん、元気出して」
「月織さん、大丈夫?」
被害を受け俯く二人、口々に被害者へと声をかけるクラスメイト。それは本来美しい光景なのだろう。
けれども、絵が破られたと言うことは、自然現象ではなく確実に犯人は存在しているのだ。
それも侵入者や不審者ではなく、作品が美術準備室にあると知っている、内部の人間による犯行だ。
「せっかく金賞に選んで貰ったのに、どうしてこんなことになったのかしら……」
「大丈夫、って言うのは嘘になるけど……悲しんでも、絵は戻らないから、しかたないよ」
二人の被害者の涙声に、クラス中はしんと静まり返る。間空先生はその空気を変えようと咳払いをして、わたしたちに告げる。
「……あー、何か知ってる人が居たら、この紙に書いてくれ」
そう言って配られたのは、ただのメモ用紙だ。その場で発言するのが憚られる生徒への配慮だろう。
しかし、配られてすぐに筆記用具を手にする人は誰も居なかった。動けばその人が何かを知っていると知らしめるようなものだ。
「わかりませんとかやってませんとか、そういうのでいいから、何か書いておいてくれ。帰りのホームルームで回収するからな」
それでも動かないわたしたちに間空先生は頭を掻いて、深いため息はホームルーム終了のチャイムにかき消された。
「……」
わたしはメモ用紙をじっと見つめ、どうしたものかと考える。
実のところ、二枚の絵を破いたのはわたしだった。
わたしの絵の方が上手いはずなのに、わたしの方が頑張ったのに。わたしが誰より優れていなくてはいけないのに。それが叶わなかったのが許せなかったのだ。
わたしは昔から、絵が好きだった。わたしの存在理由は絵だけだった。勉強も運動も苦手なわたしが唯一褒めて貰えるもの。わたしがわたしで居られる表現方法。わたしの命綱で、わたしが許される居場所。
わたしには他に何もないのに、それさえ奪われるのは、どうしても耐えられなかった。
「ミカリちゃん、犯人見つかるといいね……」
「ありがとう……でも、絵を破くなんて酷いことをするくらい、犯人も苦しんでいたんだと思うと……なんだかやるせないわ。少しでも犯人の気が晴れているといいんだけど」
「そんなの優しすぎるよ! きっと犯人は、ミカリちゃんに嫉妬したんだね。こんなに可愛くて優しくて、絵まで上手いんだもん」
「ふふ、そんなことないわ」
日浦ミカリはクラスの人気者だった。愛らしい容姿に、人好きのする性格。彼女は誰もが羨むものをすべて兼ね備えていた。今も被害者である彼女の周りには、多くのクラスメイトが集まっている。
絵という評価された実物を失ってなお、日浦ミカリは様々なものを持っている。そんな光景をまざまざと見せつけられ、絵しか持たないわたしは、たったひとつのそれさえ彼女に敵わないことに、絶望した。
絵を破いたことで傷付いたであろう彼女への罪悪感や後悔も、すべて霞んでしまうようだった。
「……それに、ユメちゃんの絵も破かれていたんだもの。犯人は単純に、絵に関して何か気に食わなかったんだと思うわ」
不意に同じく被害者である銀賞作家に向けられた日浦ミカリのその言葉は、暗に『月織ユメには何もない』と言っているようなものだった。
容姿や特性、その他の人を惹き付けるものが何もないと、自分への褒め言葉に謙遜している風で、クラスメイトからの言葉を引用して他人を下げるようなものだ。
けれども当の日浦ミカリはそんなことを気にした様子もなく、相変わらずにこにこと微笑んでいる。そこに悪意があるのかないのかさえわからない。大抵の人は、無邪気なこの笑顔に流されてしまうのだろう。
「……あ、えっと……そう、だね……」
しかし最初の発言をしたクラスメイトは、日浦ミカリの言葉が月織ユメを貶していることに気付いたようで、気まずそうに視線を泳がせた。
その様子に、傍に居たわたしも曖昧な表情を浮かべるしか出来なかった。月織ユメは地味な容姿に引っ込み思案という、日浦ミカリとは真逆の存在だったからだ。客観的に見ても、彼女の言葉を否定できる人なんてこのクラスには居なかった。
「そろそろ一時間目始まるわね……これ、忘れない内に書かなきゃ」
やがて予鈴が鳴って、彼女の周りに集まっていたクラスメイトが自分の席へと戻っていく。わたしの隣の席の日浦ミカリは、一人になると先程のメモ用紙にそっと何かを書き始めた。
絵を破かれたことへの恨み辛みだろうか、それとも「犯人捜しなんてやめて」と、相変わらずの良い子ちゃんの振る舞いでいるつもりだろうか。
思わず横目でその手元を見ていると、ふと彼女はそれに気付いたようで、わたしに向かってそのメモを見せてきた。
『絵を破った犯人を知っています』
たった一行のその文字に、わたしの心臓は跳ねる。日浦ミカリは先程と変わらない可愛らしい笑みで、まっすぐにわたしを見ていた。



