慣れない雪駄でゆっくりと歩いて待ち合わせ時間1分前に神社前に到着すると、鳥居の前にやたらと目立つ男が立っていた。

(うわぁ……)

 モデルかよとツッコミたくなるほど浴衣をきっちりと着こなした三鷹が、周囲の視線を集めていた。
「声掛けちゃう?」「彼女と待ち合わせじゃない?」なんて声まで耳に入ってきて一段と足が重くなる。

(近寄りたくねぇ~)

 しかし。

「あ、ちゅんの!」

 目が合い超笑顔でブンブンと手を振られ、お陰で周囲の視線が一斉にこちらに移った。

(あんの野郎~~っ)

 顔を伏せ小走りで詰め寄りギッと睨みつける。

「その呼び方やめろって言ってんだろ!」
「えー、ふたりだけなんだし、僕のことも昔みたいに蓮って呼んでよ」
「次ちゅんの呼びしたら帰るからな」
「わかったよ、ごめん雀野」

 仕方ないというように謝罪した三鷹に短く息をつくと。

「似合ってる」
「え?」
「浴衣。雀野も浴衣着てくるって母さんから聞いて楽しみにしてたんだ」

 目を細め本気で嬉しそうに見つめられて、またじわりと顔に熱を覚えた。
 慌てて顔を背ける。

「……お前に言われたかねーよ」
「え?」
「なんでもねー。行くならさっさと行くぞ」
「うん! まずはお参りしなきゃね」

 そうして、俺たちはふたり並んで鳥居を潜った。


 社殿までの長い階段を上りながら三鷹が急にふっと笑った。

「なんだよ」
「ううん。この階段、昔は走って上ったなぁって」
「そうだったか?」
「最初に走り出したの雀野だからね」
「はぁ……そんなのよく覚えてるな」

 ガキの頃の話をされて気恥ずかしくなって前に向き直る。
 ……確かに、昔の俺ならやりかねない。

「覚えてるよ。だって、すごい楽しかったから」

 それを聞いて、ふと鳶田の言葉を思い出した。

(大切な場所か……)

 俺はほとんど覚えていないが、こいつにとっては良い思い出になっているのかもしれない。

 ……悪い気はしなかった。

 階段を上りきると、そこにはたくさんの夜店が並んでいた。人も予想よりずっと多い。
 祭囃子と食欲を刺激される良い香りに流石に気分が上がってきた。
 そのまま真っ直ぐに進みお参りを済ませ、改めて夜店を見渡し三鷹は言った。

「お店、大分減っちゃったね」
「そうか?」
「そうだよ、昔はあっちの裏の方まで続いてた」

 社殿の裏の方を指さし言われ確かにそんな気がしてきた。

「覚えてる? あの奥にちょっとした遊具があってさ」
「あー! あったあった! ブランコと鉄棒と、あとシーソーみたいなやつな!」

 昔ここで友達みんなと遊んだ記憶が一気に蘇ってきた。
 懐かしい。俺史上、一番楽しかった頃だ。
 しかし、三鷹は残念そうに続けた。

「でもあれ、数年前に撤去されちゃったんだよ」
「は? ガチで?」
「ガチで」
「なにか、事故とかあったとか?」
「そういうわけじゃないと思うけど、何かある前にってことじゃないかな」
「……そっか。でもなんか、嫌なもんだな」

 仕方のないことだが、思い出の風景が消えてしまうのはやはり寂しい。

「だよねぇ。僕もそれ聞いたとき結構ショックだったなぁ。出来ることなら抗議したかったくらい」
「そんなかよ」
「そんなだよ」

 三鷹は笑って、夜店の方に向き直った。

「さて、何から食べよっか」
「うーん、焼き鳥? あーでももう腹減ったし、いきなりお好み焼きとか焼きそばでもいいな」
「お好み焼きに焼きそばが入ってるのあったよね」
「最高なやつな。探すぞ」

 そうして俺たちは夜店を見て回ることにした。


「あ、射的」

 三鷹がそう言って射的屋の前で足を止めた。
 やりたいのかと思いきや、三鷹は俺の方を見た。

「雀野、昔欲しいゲームあってさ、何度も挑戦してたよね。結局お金足りなくなって諦めてたけど」
「あ~、あれ絶対取れないように細工してるよな。もう二度と射的はやらねぇってあのとき決めたんだ」
「そうなんだ。――あ、あったよ『広島風お好み焼き』!」

 そうして、俺たちはまず焼きそばの入ったお好み焼き『広島風お好み焼き』を食べて、その後で焼き鳥、じゃがバターも買って食べた。
 久しぶりの屋台飯はこの賑やかな雰囲気も相まってめちゃくちゃ美味かった。
 お蔭で腹はパンパンで出来ることなら帯を緩めたかった。

「あー、もう食えねぇ」
「結構食べたね」
「折角だしな。――で、やっぱ締めはこれだろ」

 かき氷屋を指差すと三鷹もにっこりと頷いた。

 いちご、メロン、レモン、ブルーハワイと全部のシロップをかけたかき氷を、先がスプーン状になったストローで掬って口に入れると頭がキーンとなった。
 久しぶりのこの感覚にあーと唸りながら額を押さえていると。
 
「雀野、昔もそうやって全部かけて食べてたよね」

 メロンだけのかき氷を手にした三鷹が言った。

「でも知ってる? 実はそれ全部同じ味なんだって」
「は? なわけねーだろ。これとかちゃんとレモン味だし」
「僕もそう思って調べたんだけど、色と香りが違うだけで味は同じらしいよ」
「ガチで?」
「ガチで」

 俺がかき氷を見つめ小さくショックを受けていると三鷹は笑った。

「でも良かった。雀野が楽しそうで」
「は?」
「つまらないってすぐ帰られちゃったらどうしようかと思った」

 そういえばいつの間にか空には夕闇が訪れ、ここに来てからすでに2時間近く経過していることがわかった。
 その間不思議と会話も途切れず三鷹の言うとおり意外と楽しく過ごせていて、そんな自分に驚く。

「実は僕、雀野に会うまで、ずっと緊張してたんだよね」
「え?」
「ほら、僕雀野に嫌われてるし、今日も来てくれなかったらどうしようって」
「別に嫌ってなんか」
「え?」

 つい出ていた言葉に自分でも驚いて、三鷹も目を大きくしていた。

「や、えーと……」

 ついこの間、面と向かって「お前なんか嫌いだ」と言ったばかりなことを思い出しバツが悪くなる。
 視線を外し、かき氷をざくざくと掘りながら俺は小さく言う。

「いや、確かにお前のことは嫌いだけど、なんつーか、人としては嫌ってないというか……」

 自分でも何を言ってるんだかよくわからなかった。
 案の定、三鷹がクスクスと可笑しそうに笑う。

「なにそれ、矛盾してない?」
「うるせーな……」
「でもそれって、僕は喜んでいいのかな」

 見れば、声色や顔は笑っているのにその目が妙に真剣さを帯びていて。
 その意味に気付いてしまい俺は慌てた。

「ち、ちがっ、別にそういう意味で言ったわけじゃ」

 顔が一気に熱くなって、ぶんぶんと首を振ると三鷹はふっと吹き出すように笑った。

「わかってるよ。でも嬉しい。今日思い切って誘って本当に良かった」

 そんないつもの爽やかイケメンスマイルを見て、俺は視線をかき氷に戻す。

「……そうかよ」

 ぶっきらぼうに言って、先ほど混ぜたせいで色のおかしくなったかき氷を口に入れた。

 ――そんなときだった。

「あれ? もしかして三鷹くんと、ちゅんの?」
「え?」

 甲高い声が掛かり振り向くと、そこには浴衣姿の女の子がふたり立っていた。

 俺は目を見開く。
 それは見知ったふたりだった。小学生の頃の同級生だ。
 そして、そのうちひとりの女の子は、俺の初恋の子だった。

 瞬間なんでここに、と思ったが、ここは小学校の近くであの頃の同級生がいてもなんら不思議はないのだ。

「もしかして、鶴岡さんと鴨下さん?」

 三鷹が驚いたようにふたりの名を呼ぶと、今声を掛けてきた方、鶴岡が興奮気味に手を合わせた。

「えー嬉しい! 覚えててくれたんだ三鷹くん!」
「そりゃ覚えてるよ。久しぶりだね」
「てか三鷹くん凄いイケメンになったじゃんね!? やばっ、ちょっと緊張すんだけど!」

 鶴岡は昔から元気なタイプだったが、今や完全にギャルになっていた。
 そして俺の初恋の子、鴨下さんは大人しく物静かなタイプだったけれど今も変わらず、いや、とても綺麗になっていた。
 そんな彼女ににこりと微笑まれドキリとする。

「ちゅんのくん、久しぶりだね」
「あ、あぁ。久しぶり」

 当時、別に告白したわけではないし俺の気持ちは知られていないはずだが妙な緊張を覚えた。

(というか、めちゃくちゃ気まずい……)

 と、鶴岡がこちらを覗き込むようにして言った。

「ちゅんのはかなり雰囲気変わった? 昔はあんな元気でヤンチャ坊主って感じだったのに、大人っぽくなったっていうか色っぽくなった? メガネのせいかな」
「は?」

(色っぽい? 俺が?)

 俺が目を瞬いていると、しかし鶴岡はすぐに話を変えた。

「えー、てかふたりとも今も仲良いんだね。同じ私立中行ったってのは聞いてたけど」
「うん、今も同じクラスだし、仲良いよ」

 三鷹がさらっとそう答え、ちょっと引っ掛かりを覚えたがふたりの手前スルーする。

「そっちも相変わらず仲良いんだね」
「うん、あたしらずっと親友だしね?」

 ふたりが本当に仲良さそうに笑い合っていてこちらも自然と顔が緩んだ。

(そうだった。真逆のふたりだけど、あの頃からいつも一緒にいたよな)

「あたしさ~、今だから言えるけど昔ちゅんののこと好きだったんだよね」
「は!?」

 鶴岡が上目遣いでこちらを見ながらいきなりそんなことを言い出して驚く。
 お蔭で声がひっくり返ってしまった。

「気づいてなかった?」
「あ、あぁ、ごめん、全然……」
「まぁそうだよね〜、ちゅんのはこの子が好きだったもんね」
「!?」

 今度は声も出なかった。
 まさか、気づかれていたなんて。

「何気にふたり両思いだったのにさぁ、あたしも辛い立場だったよね〜」

 その言葉に更に驚いて鴨下さんの方を見ると、彼女も慌てたように友達を肘で小突いた。

「ちょっとやめてよ、昔の話でしょ」

 でも彼女は否定しなかった。
 鶴岡はえへへと笑いながらそんな友人に謝る。

「ごめんごめん、つい懐かしくなっちゃって。え、どうする? このまま4人で回る? もっと色々話したくない?」

 そんな誘いを受けて一瞬心が揺らぐ。
 しかしこの4人で話なんて、これ以上どんな暴露話が出てくるかわかったものじゃない。
 鴨下さんと話したい気持ちがないわけじゃないが、それよりも今は気まずさの方が勝っていた。

「あー、えっと、」

 俺たちそろそろ帰るところだったんだ、そう続けようとして。

 ――!?

 いきなり横から手を握られてぎょっとする。

「ごめんね。実は今僕らデート中でさ、ふたりで過ごしたいんだよね」
「んなっ、何言ってんだお前!?」

 案の定、ふたりがぽかんとした顔をしていて、その手を振り払おうとするが痛いほどの強さで握り返された。
 そのままぐいと俺の手を引き、三鷹は彼女たちに背を向け爽やかな笑顔で言った。

「そういうことだから、じゃあね!」
「おい!?」

 その場を去る俺たちを、ふたりが呆然としたまま見送っていた。



「ふざけんなよお前! 手ぇ離せよ! おい!」
「……」

 何度怒鳴っても強く握られた手は一向に緩まない。
 そのまま無理やり連れて来られたのは、先ほど話していた社殿の裏、昔遊具があった場所だ。
 確かに遊具は全てなくなっていて、灯りもなくて、祭りの喧騒からそこだけ取り残されたようにひっそりとしていた。

 そこで漸く三鷹が足を止め、俺はもう一度怒鳴る。

「おい、聞いてんのかよ三鷹!」

 強く握られた手がそろそろ痺れだしていた。
 と、小さく声が聞こえた。

「……ふたりはちゅんのって呼んでも怒らないんだね」
「は?」
「僕はダメなのに……」
「何言ってんだお前」

 三鷹の様子がおかしい。
 いつもなら、ごめんねと軽く笑って済ますくせに。
 この暗がりで顔を伏せてしまっているせいで今奴がどんな表情をしているのかもわからない。
 ただ声だけが、別人のように低く聞こえた。

「鴨下さんに会えて嬉しかった?」
「は?」
「雀野好きだったもんね、鴨下さんのこと」

 三鷹にまで言われてかぁっと顔が熱くなる。

「知ってたよ僕も。わかりやすいんだもん、雀野」
「……っ」

 ひょっとして、あの頃俺の気持ちは周りにバレバレだったのだろうか。
 今更だが酷い羞恥を覚えて、手を握られていなかったら今すぐにこの場から逃げ出してしまいたかった。

 ――しかし。

「鶴岡さんと同じで、僕も雀野のことずっと見てたから……だから、鴨下さんは僕のことが好きだって言ったんだ」
「……は?」

 途中から急に言葉の意味が理解できなくなって俺は眉を寄せる。
 三鷹は低い声で続ける。

「このままじゃふたりが両想いになっちゃうと思って、鴨下さんは僕が好きなんだって皆に言いふらした」
「はぁ!?」

 ……ちょっと待ってくれ。流石に頭が混乱していた。
 でも確かにあの頃どこからかそんな話が入ってきて、俺は自分は失恋したのだとガキながらショックを受けた。

 ――それがまさか、三鷹が流した嘘だった……?

「雀野ってば、その話をまんまと信じてさ」

 バシャっと足元で音がして、俺は自分の持っていたかき氷が地面に落ちたことを知った。
 しかしそんなこと今はどうでもよかった。空いた手で三鷹の浴衣の襟元を掴み上げる。

「お前……っ」

 やっと顔を上げた三鷹は笑っていた。
 だがその笑顔はいつもの三鷹のものではなかった。
 怒ったような、苦しそうな、……いや、今にも泣いてしまいそうな歪んだ目が俺を見る。

「でもそれから雀野、僕のことを見てくれるようになっただろう?」

 俺は大きく目を見開く。
 
「どんな目でも、君の視線が僕に向いて嬉しかったんだ」

 絶句して、襟を掴んでいた手が知らず緩んだ、――その刹那。

 三鷹の整った顔があり得ないほど近い距離にあった。


(――え?)


 唇に冷たい感触を覚えて、一瞬、時が止まったように感じた。

 ドンっ!

 気付けば俺は三鷹の身体を思いっきり突き飛ばしていた。
 三鷹のかき氷が地面に落ちて周りに飛び散る。
 俺は自分の口を押さえながら怒鳴った。

「っざけんな!!」
「……」

 三鷹は俯き何も言わない。

「お前、最っ低だ……っ」

 震えた声でそう言い残し、俺は走ってその場を後にした。


 ――怒りのせいか、全身が熱くて熱くてたまらなかった。