小学校近くにある神社では毎年この時期に夏祭りが開催される。
普段は参拝者もそんなに見かけない小さな神社だが、この時だけは夜店が並び多くの人が近隣から集まってくる。
俺もガキの頃は毎年のように行っていた。
でも、いつからか足が遠のいていて。
(それがまさか、またあいつと一緒に行くことになるなんて……!)
「いよいよ明日だな。甚平とか着てくのか?」
「着てくわけねーだろ。張り切ってると思われるじゃねーか」
「そりゃそーだ」
金曜の放課後、最寄り駅まで一緒に歩きながら鳶田が他人事のようにケラケラと笑う。
「てか甚平なんて持ってねーし。あんなの陽キャが着るもんだろ」
「確かに。俺も持ってねーわ」
そんな友人に俺は思いきって切り出す。
「……なぁ、鳶田」
「だーから、俺は行かねーっつの」
「そこをなんとか!」
パンっと両手を合わせて頼み込むも、鳶田は冷たく首を横に振った。
「めちゃくちゃ気まずいじゃねーか。三鷹に恨まれたくねーし」
「だって、何話せばいーんだよ!」
あいつと今更ふたりきりで夏祭りなんて何を話せばいいのかさっぱりわからない。
明日が心底憂鬱だった。
出来ることなら逃げ……いや、すっぽかしてしまいたい。
「知らねーよ。三鷹がリードしてくれんだろ」
「言い方やめろ!」
「でもよ、仲良かった頃もあったんだろ?」
「え?」
「一緒に夏祭りに行ったって」
「あぁ……」
俺はあの頃のことを思い出しながら話す。
「あいつが転校してきたばかりの頃にな。でもふたりで行ったわけじゃなくて、他にも何人か友達がいたんだ」
そう、あの頃は俺にも友達がたくさんいて、皆でバカやって本当に楽しかった。
(まぁ、その後あいつに全部持ってかれるんだけどな)
「ふーん。でも最後にそこを選ぶなんて、三鷹にとってはよっぽど大切な場所なんだろうな」
「え?」
呆けた声を上げる。
――あいつにとって、大切な場所……?
「何か特別な思い出でもあるんじゃねーの?」
「……」
何か特別なことがあっただろうか。
全然思い出せず眉を寄せていると。
「まぁ、『最後の我儘』っていうくらいしだし、なにか考えがあるんじゃね?」
「……鳶田、やっぱり一緒に」
「行きません」
きっぱり断られて低く唸っていると鳶田は小さく息を吐いた。
「それに、お前もそろそろ自分の気持ちと向き合ったほうがいいんじゃねーの?」
「え」
友人がにっと笑った。
「手遅れにならないようにな」
「手遅れって……」
いつの間にか駅はもう目の前で、鳶田は俺とは違う路線の改札へと足を向けた。
「じゃ、デートの感想聞かせろよ」
「だからデートじゃねーっつの!」
笑いながら手を振る友人に小さく手を振り返して、俺は息を吐く。
(自分の気持ちに向き合うって言ったって……)
図星を突かれたような気分だった。
……確かに、最近俺は嫌だ、憂鬱だ、ばかりでそれ以上深い部分は考えないようにしている。
いや、考えようとしても頭が拒否するのだ。
だって考えてしまったら、自分の知らない、知りたくなかった部分に気付いてしまうかもしれない。
それが、たまらなく恐ろしく思えた。
「あー、嫌だな……」
そうして俺はまたひとりボヤいて改札に向かって歩き始めた。
「ただいま」
「あっ、おかえりなさい! ちょっと真央、あんた聞いたわよ!?」
「は?」
帰宅早々、母親がバタバタと玄関にやってきて何事かと思えば。
「明日のお祭り、蓮くんと一緒に行くんですって!?」
「!? な、なんで知ってんだよ」
流石に驚いて、でもなるべく平静を装い訊くと、母は嬉しそうに続けた。
「今日蓮くんママと会ったのよ、スーパーでばったり。そしたら、真央と一緒に明日お祭り行くの蓮くんがとっても楽しみにしてるんですって!」
「あー……」
そういえば、うちの母と三鷹母は確か小学校のPTAか何かで一緒で仲が良かったのを思い出した。
(というかあいつ、母親にも話してんのかよ)
若干の怒りと気恥ずかしさを覚えつつ靴を脱いで玄関に上がる。
「あんた学校のこと全然話してくれないから。蓮くんと今も仲良かったのね」
それに関してはノーコメントで、そのまま二階の自室に上がろうとして。
「あんた、明日何着てく気?」
「普通に、シャツとか」
「蓮くん、浴衣着てくんですって」
(あいつ、浴衣派だったか)
まぁ、想定内ではある。
しかも完璧に着こなしてきそうでムカツク。
「あんたも浴衣着てきなさいよ」
「持ってねーよ、浴衣なんて」
「そう思って、お母さんさっき買ってきちゃった!」
「はぁ!?」
振り返ると母がドヤ顔をしていた。
「蓮くんが浴衣なのにあんたが普段着なんてカッコ悪いでしょ!」
「いらねぇって! ……ちょっと行くだけだし」
「あんたにも浴衣着せて行かせるってお母さん言っちゃったのよ、蓮くんママに」
「知らねーし」
面倒になって階段を上がっていくと、下から必死そうな声が追いかけてきた。
「明日、お小遣い多めにあげるから!」
「うっ」
足が止まる。
……そういえば、明日の金のことを全く考えていなかった。
痛いところを突かれた。
うちの高校はバイト禁止で俺の収入は毎月のお小遣いのみ。
そんなに長居する気はないが、夜店が出ているのに何も買わずに帰るということはないだろう。
しかも夜店はなんでもかんでもお高いイメージがある。
「蓮くんに奢ってもらうとか恥ずかしいからやめてよね」
(確かに、あいつに奢られるとか嫌すぎる……)
俺はもう一度ゆっくりと振り返り、口を開いた。
「……とりあえずその浴衣見せて。ダサかったらガチで嫌だからな」
「大丈夫! 店員さんにも相談して今流行りのシックでカッコいいの選んだから!」
母親が階下でサムズアップを決めていた。
***
そして、ついに運命の土曜日がやってきてしまった。
昨夜、いっそ大雨になって祭りが中止になってくれないかと願いながら眠りについたのだが。
「いい天気だなぁ」
カーテンを開け寝ぼけ眼でぼやく。
まだ梅雨明け前というのが不思議なくらいの快晴である。雲一つ見えない。
スマホで天気を確認するが今日に限って降水確率は0%。
俺は部屋の壁に掛けられた新品の浴衣に視線を向けて大きな溜息を吐いた。
約束は夕方。
今日はきっと何をしていても落ち着かない気がした。
(こういうときは勉強に限る)
俺は顔を洗ってからルーティンである朝勉強を始めた。――のだが。
「あー、くそっ!」
いつもは集中出来るのに、どうしても三鷹の顔がちらついてしまってダメだった。
もう一度ベッドに横になってから俺はスマホを手にする。
『浴衣デート 気を付けること』
そんな文字列を検索窓に入力してから、ハっと我に返る。
「だからデートじゃねーっつの!」
画面を慌てて消して俺は目を瞑った。
(あ~~、なんだってこんなに緊張しないといけないんだ)
……あいつは、今頃どうしているだろう。
やっぱり緊張しているのだろうか。
なんたって好きな相手とデートだ。
そりゃ普通は緊張するだろう。……しているはずだ。
(好きな相手か……)
じわじわと顔が熱くなってきたことに気づいて俺はパンっと自分の両頬を叩いた。
思ったより力が入ってしまって、じんじんと痺れる頬を押さえながらふと思う。
(そういやあいつ、なんで俺なんかを好きになったんだ?)
しかも、嫌われているとわかっているのにだ。
俺だったら自分のことを嫌っている相手なんて絶対に好きにならない。むしろそっちがその気ならと嫌いになるだろう。
(……あいつ、Mなのか?)
そんなことを考えてから、いやいやと首を振る。
あいつの性癖なんて心底どうでもいい。
どうせ、ふたりで出かけることなんて今後一切ないのだ。
何か失敗したってあいつ相手、別にダメージを負うこともない。
(緊張する必要なんて全然ねーじゃねーか)
そうだ。堂々としていよう。
俺はそう決めて、とりあえず朝飯を食おうと一階へと向かった。
――結局、鳶田の言う「自分の気持ちに向き合う」ことは出来ていなかった。
そのことをめちゃくちゃ後悔することになるのだが、このときの俺は知る由もなかった……。



