『2位 三鷹蓮 489点』
掲示板を見上げ、俺は目を見開いた。
いつも自分の名前がある2位の欄に三鷹の名前がある。
そして、その上。
いつもいつも三鷹の名前がある欄には。
『1位 雀野真央 490点』
俺の名前があるように見える。
1位。
俺が、1位?
……間違いない。
何度見直しても、俺が『1位』だ……!
――っしゃ!!
という歓声が喉元まで出かかって、他の生徒たちの手前なんとかギリギリ堪えた。
しかしどうしても口元がニヤついてしまう。
だって、初めてあいつに勝てたのだ。
初めてあいつを超えられたのだ。
心の中では大きくファンファーレが鳴り響き、俺は空高くジャンプを繰り返していた。
(やべ、泣きそうかも)
ぼろが出てしまう前に早々にこの場から立ち去った方が良いかもしれない。
そう思い振り返ると。
「やったじゃねーか」
鳶田がにんまりと笑っていた。
「ま、まぁな。言うて1点差だけど」
顔がにやけてしまうのを誤魔化すためメガネの位置を直しながら言うと、鳶田に腕を小突かれた。
「んだよ、めちゃくちゃ嬉しいくせによ」
「うるせ」
「雀野!」
その呼び声にぎくりとして見やると三鷹の奴が人込みをかき分けこちらにやってくる。
周囲からの視線を痛いほどに感じて無視しようにも出来ず、その間に三鷹は俺の前に立った。
「な、なんだよ」
皆のいる前でまた変なこと言い出すなよと警戒していると、奴は爽やかな笑顔で言った。
「1位おめでとう、雀野」
「は?」
「なんて、僕が言うと負け惜しみみたいに聞こえちゃうかな」
そんなふうに苦笑してから三鷹は続けた。
「今回のテスト全体的にすごく難しかったのに、やっぱり雀野は凄いよ」
「い、いや……」
急にそんなふうに褒められて腹の辺りがなんだかムズムズする。
と、奴は少しだけこちらに顔を寄せ声を潜め言った。
「約束通り、君のことは諦めることにするよ」
「え?」
「これまで色々とごめんね。それだけ。じゃあね!」
そうして、三鷹の奴は笑顔のまま去っていった。
……は?
ポカンとした顔で立ち尽くしていると鳶田からまた小突かれた。
「俺たちも行くぞ。……お前、今注目の的になってるから」
「え? あ、あぁ」
言われて周囲からの視線に気づいて、俺は鳶田と共に教室へと向かったのだった。
……なんだよ、あいつ。
あっさりと負けを認めやがって。少しは悔しがったりしろよ。
長い間ずっと1位に固執していた自分がバカみたいじゃないか。
それに。
なんだよ、あっさりと諦めやがって。
お前の言う『好き』は、そんな程度だったのかよ。
「おーい、雀野?」
「え?」
傍らを見ると、鳶田が呆れたような顔でこちらを見ていた。
今日もしとしと雨の降る中、俺たちはいつもの体育館入口でランチタイムを過ごしている。
「え? じゃないっつーの。俺の話聞いてた?」
「あぁ、悪ィ。なに?」
梅雨明けは待ち遠しいが、明けたら明けたでまた猛暑の夏がやってくると思うとどっちもどっちだななんて話をしていたのは覚えているのだが。
鳶田は、はぁと短く息を吐いた。
「なんだよ、折角念願の一位だってのに、嬉しくねーの?」
「嬉しいに決まってるだろ」
初めての一位だ。嬉しくないわけがない。
先ほど掲示板を見た瞬間、本当に涙が出そうなくらい嬉しかったのだ。
なのに今は、なぜだか酷く虚しくて……。
「そのわりに浮かない顔してんじゃん。なに、今朝三鷹に言われたこと気にしてんの?」
どきりとする。
「約束とか聞こえたけど、何かあいつと約束してたのか?」
俺は手にしていたカフェオレをストローでジューっと全て吸い込んで、雨に濡れる芝生を見つめた。
「今回のテストで俺が勝ったら、俺のことは諦めるって言ったんだ、あいつ」
「え」
「で、今朝、約束通り諦めるってよ」
「えっ!?」
やたらとデカい友人の反応を横目に、俺はふっと鼻で笑う。
「びっくりだよな? あんだけこっちを巻き込んでおいてよ。勝手すぎんだろ……」
「いやいや、それもそうだけど、それより俺はお前にびっくりしてんだけど」
「俺?」
鳶田が目を丸くしたまま頷いた。
「なにお前、三鷹に諦めるって言われてそんな落ち込んでんの?」
「え?」
俺が呆けたように聞き返すと、鳶田は妙に納得したように続けた。
「や、まぁ、なんとな~く俺も実はそうなんかなぁとは思ってたけどよ。お前、あいつのこと結構好きだよな?」
さらりと言われた台詞に今朝のようにぽかんと口が開いてしまった。
――は? なんだって?
(俺が、あいつを『好き』……?)
「なっ、何言ってんだお前!?」
大分遅れて俺が怒鳴ると、鳶田はそんな俺を指差し興奮気味に言った。
「ほら、また顔真っ赤になってんし! 前からそうだけどよ、お前三鷹に抱きつかれたりキスされたりって話になると、いつもそうやって顔赤くするじゃんか」
「キスはされてねーし! や、だって、お前が変なこと言うから」
顔の熱を指摘されて、これ以上赤くなるなと思うのにそう思えば思うほどどんどん熱は上がっていく。
「や、普通はさ、どっちかってーと青くなるっていうか、同じ男で、しかも嫌いな奴に好かれたらゾっと怖気がするもんだろ」
「え……?」
「お前、あいつに抱きつかれたときどうだったんだよ。驚いて拒否ったってのは聞いたけどよ」
「そ、そりゃ……」
あのときのことを思い出してみる。
体育倉庫で後ろから抱きしめられて、とにかくびっくりして。
耳のすぐ後ろであいつの低い声が響いて、全身が沸騰したみたいに熱くなって……。
「……あれ?」
「ほらー!」
両手で指差されて俺はぶんぶんと頭を振った。
「そ、そんなわけねーだろ! 俺があいつを好きなんてそんなこと、」
――え?
ない、よな……?
「や、そんな真顔で訊かれても」
知らず心の声が漏れてしまっていたようで、鳶田が困ったようにそう答えた。
「お前が言い出したんだろ〜よ〜鳶田ァ〜〜」
頭が混乱してきて、友人の肩を掴んでガクガク揺さぶる。
友人はされるがまま揺れながら口を開いた。
「や、まぁ、そうだけど、別に好きと言っても色んな意味の好きがあんじゃん?」
「どういうことだよ」
「お前はさ、あいつのことずっとライバル視してきたわけで」
「あぁ……」
「でもさ、それ抜きにしたら、あいつのことは結構好きなんじゃね?って俺は言いたかったわけで」
俺は鳶田からゆっくりと手を離し座り直した。
――ライバル視しなければ……自分と比べなければ、ということか。
「それは……まぁ」
あいつは優秀で、スポーツも出来て、皆に優しくて。
凄い奴だということは俺だってちゃんと認めている。
オマケにあんなに顔が良いのだ。人気があるのもわかる。
だからこそ、腹が立つわけで。
「だろ? だから別に恋愛感情の好きじゃなくて、友愛っての? 友人としての好きかもしんないし」
「そ、そうだよな」
そうか、友愛。
友人としての好きか。それなら納得だ。
ライバル視しなければ、あいつは確かに良い友人になれたかもしれない。
(そうだ、俺があいつを恋愛感情として好きなわけがない)
「まぁ、言うて友達に抱きつかれて普通は赤くはならねーと思うけどな」
「鳶田〜お前ぇ~~」
「雀野!」
――!?
唐突にあいつの声が聞こえて、心臓が飛び出るかと思った。
見れば、体育館と校舎とをつなぐ渡り廊下からあいつがこちらに向かって駆けてくるではないか。
今の今まであんな会話をしていたからか、また顔に熱が集まってきて俺は咄嗟に鳶田の陰に隠れた。
「こんなとこにいたんだ。……雀野?」
「な、なんだよ! まだなんか用かよ!」
怪訝そうに首を傾げこちらを覗き込んできた三鷹に、そんなつっけんどんな言葉を返してしまった。
「えーと、俺は居ないほうがいい?」
「鳶田!」
立ち上がりかけた鳶田のシャツの裾を掴み、居ろよ、居なくなるなよ、と必死に視線で訴えかけていると三鷹がふっと笑った。
「本当に仲が良いね。いいよ、別に聞かれてマズイ話じゃないし」
そう前置きしてから鳶田を間に挟んだ状態で三鷹は続けた。
「今度の土曜日、また一緒に夏祭り行かない?」
「は?」
「は?」
俺と鳶田の声が見事に被った。
「夏祭りだよ。昔一緒に行ったでしょ。小学校近くの神社の。覚えてない?」
「や、覚えてるけど。でも、だってお前、諦めるって……」
尻すぼみになりながら言うと、三鷹は眉を下げて笑った。
「うん。諦めるから、最後の我儘。……ダメかな?」
「ダメだろ、そんなの」
「やっぱり、僕が怖い?」
「は、はぁ!? 怖いわけねーだろ!」
思わずカチンと来て俺は鳶田の肩口から顔を出していた。
「わかった、行ってやるよ。土曜日な!」
「ほんと? ありがとう! じゃあ、夕方5時に神社の鳥居の前で。楽しみにしてるよ!」
そして三鷹は嬉しそうに手を振り校舎の方へと戻っていった。
「……」
「……」
「……お前さぁ」
「わかってる。何も言うな……」
俺は己のアホさ加減に頭を抱えていた。
そんな俺に妙に爽やかな声がかかる。
「ま、楽しんでこいよ。夏祭りデート」
「デ……っ」
デート!?
三鷹と俺が、デート……!?
一瞬意識が遠のきかけて、なんとか耐えてから俺はゆっくりと友人を見上げた。
「……どうしよう。鳶田ぁ」
「そんな目で見られてもなぁ」
俺の情けない顔を見て、友人ははぁと重い溜息を吐いていた。



