季節は新緑の頃。

「三鷹のアホたれーーー!」

 俺、雀野真央(すずのまひろ)の叫び声が良く晴れた青い空に響き渡った。

 今日はテストの成績上位者の名前が職員室前の掲示板に貼り出される日。
 今回こそは1位だという絶対的自信があった。
 ドキドキと胸を高鳴らせながら掲示板を見上げ、俺は愕然とした。

『2位 雀野真央 489点』

 2位。
 何度メガネを掛け直して見ても2位。
 見慣れた2位。安定の2位。
 連続2位の記録をまた更新。
 あれ、2位って俺の枕詞だったっけ?

(んなわけあるか!)

 一人ツッコミした後で俺は視線を少しだけ上げ、ギリィと奥歯を噛んだ。
 俺の上、1位の座にいやがるのは、いつもいつも同じ名前。

『1位 三鷹蓮 492点』

「三鷹くんすごーい! 安定の1位だね!」
「さっすが三鷹くん!」
「やっぱ三鷹くん天才〜!」

 俺の宿命のライバル、三鷹蓮(みたかれん)……!

 髪はサラサラ、笑顔は爽やか、まさに王子様な見た目の奴は、いつものように女の子たちに囲まれちやほやされている。
 2位の俺など見向きもされない。
 うらやま……いや、悔しくて悔しくて拳を握りしめ遠巻きにそちらを睨んでいると丁度奴の視線とぶつかった。

 ――ふっ。

 向こうはニコリと微笑んだつもりかもしれない。でも俺には得意げに口端を上げたようにしか見えなかった。
 ぷちんと来た俺はそのまま屋上に駆け上がり天に向かって叫んだ。

「三鷹のアホたれーーー!」

 ……そして冒頭に戻る。

「バカたれう〇こったれーー!」
「お前さぁ、一応頭良いんだからその小学生並みの悪口はどうなのよ」

 友人、鳶田護(とびたまもる)の呆れたような声が聞こえて俺は勢いよく振り返った。

「一応って言うな!」
「てか2位だって十分凄ぇだろ。俺なんてあそこに名前が載ったこともないっつーの」

 俺を追って屋上まで来てくれたらしい友人は、元は赤だったのだろう大分色褪せたベンチに座りながらダルそうに言った。

「それにほんのちょっとの差だろ? 5点差だっけか」
「3点差! 前回が5点差だったんだ」
「はぁ、良く覚えてんなぁ」
「当たり前だ! くっそ~今回こそは行けると思ったのに~~」

 俺が頭を掻きむしっていると友人の大きな溜息が聞こえた。

 ――改めて。
 俺の名は雀野真央(すずのまひろ)。17歳。高校2年生。
 自慢じゃないが、幼い頃から優秀で周囲に褒めそやされ育った。
 明るい性格で運動もでき顔もそれなりに整っていたため女子にも男子にもモテた。
 今思えばあの頃が俺の人生のピークだった。

 だが、それも小学2年生まで。

 小学3年生で奴、三鷹が転校してきて俺の人生は一変した。
 いつも何をしても1番だった俺を、あいつはいとも簡単に蹴り落としていきやがったのだ。
 勉強でも、スポーツでも、モテ度でも!
 あいつにはどうしても敵わなかった。

 それからの俺は常に2位。
 運動会の100m走でも2位。
 クラスの人気者ランキングでも2位。
 バレンタインでもらったチョコの数でも2位。
 オマケに俺が初めて好きになった女の子はあいつに惚れる始末。
 お蔭で性格もかなり歪んでしまった自覚がある。

 中学受験でやっと離れられると思ったのに奇しくも同じ私立中で、そのままエスカレーター式で高校も一緒。
 しかも2年連続同じクラス。

 ……そろそろ色々限界だ。

「何か……何か、あいつより俺のが勝っているものはないのか……?」
「おい、大丈夫か雀野。目がヤバイぞ」
「なぁ、鳶田。何かあいつより俺のが優れているものはないか?」
「え〜? あ、身長は? お前らどっちも結構高いし」
「あいつのが1センチ高い」
「ガチで? あー、じゃあ体重は三鷹のがあるんじゃね?」
「俺のが0.5キロ重いし体脂肪率も俺のがある!」
「そんなことまで知ってんのかよ……」

 なぜか引いたような顔をした友人に俺は更に問う。

「他は? 鳶田、他に何かないか?」
「ん~~、あ、でもほら、1位より2位のほうが親近感わかないか?」
「残念! 俺よりあいつの方が皆に好かれてる!」
「残念? まぁ、お前いつもピリピリしてるから近寄りがたいんだよなぁ。慣れれば面白いのになぁ」
「面白い言うな! 次だ次! 頼む鳶田!」
「えーと……あっ、苗字が珍しい! 三鷹より雀野のが断然珍しいだろ!」
「鷹と雀だぞ! 鷹のが断然強いだろーが!」

 すると鳶田は「確かに」と納得してから真顔で続けた。

「スマン雀野。三鷹ってやっぱ最強過ぎん?」
「くっそー! 三鷹めーー!」

 俺はしゃがみ込んで頭を抱える。
 やっぱり俺はなにひとつ、あいつに敵わないのだろうか。
 これからずっとあいつの後ろで、あいつの背中を見ていかなくてはならないのだろうか。

「でもよ~、三鷹の奴あんなにモテるのに彼女は作らないよなぁ」
「え?」

 鳶田のその言葉に俺は顔を上げる。

 ……確かに。
 言われてみれば、あんなにいつも女の子に囲まれているのに彼女が出来たという話は聞いたことがない。

「やっぱ本命がいるって噂はガチかもなぁ」
「は? なんだそれ」

 本命?
 三鷹の本命?
 なんだそれ、めちゃくちゃ気になるが!?

 俺がベンチに座って身を乗り出すと鳶田は意外そうな顔をした。

「え? 聞いたことないか?」
「ない!」
「いつだか、あいつにコクった女子が好きな子がいるからって断られたんだと」

 俺は目を見開いた。

 ……あいつに、好きな子?

 そのとき俺の脳裏に蘇ったのは、儚く散った初恋の思い出だ。

「ふ、ふふ……」
「なんだよその笑い、きっしょ」
「あいつの本命俺が奪ってやったら、あいつどんな顔するかな」
「うわー、最低発言出たー」
「ふふ、見てろよ三鷹ァ。いつかの恨み必ず晴らしてやるからなぁー!」

 立ち上がり再び大空に向かって吠えた俺の後ろで大きな溜息がまた聞こえた気がした。


  ***


 それから三鷹の本命探しが始まったわけだが、いきなり躓くこととなった。

(誰に、どう訊けばいいんだ?)

 そう。まず俺にはそんなことを訊ける相手がいなかった。
 それにもし俺が急にそんなことを訊いたら皆怪しむに決まっている。

 小学生の頃はあんなに友達がいたというのに、鳶田が言うように俺は近寄りがたい雰囲気があるらしく、今友達と呼べるのは鳶田くらいなものだ。

(それもこれも全部三鷹のせいだけどな)

 ちなみに鳶田とは去年同じクラスになり、こいつの方から話しかけてきてくれてそのまま友達と呼べる関係になった。
 いつだったか、近寄りがたい雰囲気を醸しているという俺によく声を掛けたなと言うと「頭の良い友達がいると何かとお得だし、お前見てると面白い」と返ってきた。
 なんにしても俺にとってはめちゃくちゃ有難い存在だ。

 そして、その鳶田に頼み込んで周囲に探りを入れてもらったところ、やっとひとつ情報が手に入った。

「三鷹の奴、ずーっと同じ子に片想いしてるんだと」
「ずーっと?」

 いつもの屋上のベンチでお礼の品として贈呈した焼きそばパンを頬張りながら鳶田は頷いた。

「振られたってことか?」
「さぁ、そこまではわかんねーけど。“ずーっと”ってのがなぁ。だからお前も知ってる子なんじゃねーの?」
「え?」
「お前ら小学校から一緒なんだろ?」
「そう、だけど……」

 いたか? あの三鷹が好きになりそうな子なんて。
 三鷹のことを好きそうな子はこれまでたくさん見てきたけれど。
 例の俺の初恋の子もそのうちのひとり。……思い出したらまたムカムカしてきた。

「お前がわかんねーならお手上げじゃね? もう諦めろって」
「……こうなったら本人に直接探りを入れるしか……」
「ガチで?」


 そして、そのチャンスはすぐに巡ってきたのである。



 その日、俺はいよいよ来週に迫った体育祭の実行委員の仕事で放課後ひとり教室に残っていたのだが。

「あれ、『ちゅんの』だけ?」

 それを聞いて思わずゴンっと机に額をぶつけていた。
 ……危うくメガネが割れるところだった。

「いつのあだ名だよ!」

 ガバっと起き上がってツッコミを入れると、教室に入ってきた三鷹はハハと爽やかに笑った。

「小学生の頃、みんな雀野のことそう呼んでただろ?」

 小学生の頃、俺が人気絶頂期だった頃だ。確かに俺は皆からそう呼ばれていた。
 誰が言い出したかは覚えていないが、雀は「ちゅんちゅん」と鳴くから『ちゅんの』だ。

「そんなのもうお前しか覚えてないっつの」

 ズレてしまったメガネの位置を直しながら言う。

(てか、よく覚えてたな……)

 久しぶりの響き過ぎてマジでびっくりした。お蔭で顔が熱い。
 三鷹がにこにこと笑いながらそんな俺の隣の席に着いた。

「可愛くて僕は好きだったけどなぁ。ちゅんの」
「他の奴の前でその名前で呼ぶなよ」
「えーどうしよっかな」
「おい」
「冗談。で、他のみんなは? 雀野だけ?」
「みんな先に帰った。俺ももう終わるとこ」
「そっか。ごめんね、今日こっち顔出せなくて」
「いや、お前も色々掛け持ちで大変だろ」
「君ほどじゃないよ」

 そんな会話をしながら、そういえばこいつとこんなにたくさん話すのは久しぶりだと気付く。
 そして俺はハっとした。

(これは、チャンスなのでは!?)

 いつも誰かに囲まれている人気者の三鷹と2人きりなんてことそうそうない。
 今こそ、本命の子の名前を聞き出すときだ。
 しかしなんと切り出そうか。不自然じゃない訊ね方を思案していると。

「何か手伝うことある?」
「え? あー、じゃあこれ、ミスがないか確認してもらっていいか?」
「了解」

 今学校のPCで作成していた書類を渡すと三鷹はすぐに目を通し始めた。
 伏し目がちになると、こいつのまつ毛の長さがよくわかる。
 本当に、腹が立つほどのイケメンだ。

「うん、大丈夫だと思う。さすが雀野」
「ありがと」

 礼を言って受け取ると、三鷹は「んーっ」と反り返って伸びをした。
 そのまま首を回しながらぼやくように言う。

「それにしても疲れるよねぇ、色々さ」
「え?」

 なんだ、いきなり。

「雀野もそうだろ? 僕たちみたいなのってこういう面倒事を押しつけられやすいし」
「まぁ、な。でも内申点につながるし」
「はは、確かに」

 笑った三鷹を見ながら「ここだ」と俺は内心でほくそ笑んだ。

「そんなに疲れてんなら、彼女でも作ればいいんじゃないか?」
「え?」

 三鷹がまさに“ぽかん”という顔をした。

 そんなに可笑しな発言だっただろうか。でももう後には引けない。
 俺はそのままなるべく自然に、なんでもないことのように続ける。

「お前ならよりどりみどりだろ。そんで癒やしてもらえばいい」

 すると奴は困ったように苦笑した。

「よりどりみどりって」
「そう見えるけどな。それとももういるのか? 彼女」
「いないよ」
「なら」
「好きな子に振り向いてもらえなきゃ意味ないよ」

 ――かかった! そう思った。

「へぇ、好きな子いるのか」
「いるよ」

 あっさりと三鷹は肯定した。

「コクらないのか?」
「うーん、多分僕嫌われてるから勇気が出ないんだよね」
「は?」

 今度ぽかんとしてしまったのは俺の方だった。

(三鷹が、嫌われてる?)

 そんな俺の顔を見て三鷹はくつくつと笑った。

「そんなに意外だった?」
「いや……お前の気のせいなんじゃないのか?」

 三鷹のことを嫌いな女子なんているのだろうか。
 こんなに顔が良くて、爽やかで、誰にでも優しい王子様みたいな三鷹を? 嫌う要素がどこにあるんだ?

「気のせいだったならいいんだけど」

 でも奴のその少し寂し気な表情を見て、冗談ではないのだとわかった。
 そして俺は俄然、その女子のことが知りたくなった。

「雀野は?」
「え?」

 急にこちらに振られて小さく驚く。

「雀野は作らないの? 彼女」
「俺は別に」
「そうなの? 好きな子は?」
「いない」

 即答する。
 初恋で失恋して以来、三鷹がそばにいる限り好きな子は作らないと決めたのだ。
 また同じような思いはしたくないからだ。
 それに俺には今恋愛に現を抜かしている暇はないのだ。そんな時間があったらこいつに勝つための勉強や体づくりをしたい。

「そうなんだ」

 そう、俺の話なんかどうでもいい。今俺はお前のことが知りたいのだ。

「それで、そのお前の好きな子って誰だよ。俺も知ってるやつ?」
「教えないよ」
「なんで」
「だって、雀野何か企んでそうだし」
「え゛っ」

 笑顔で言われて思いっきり顔が引きつってしまった。
 三鷹が小首を傾げる。

「図星?」
「いやいやまさか。企むって何をだよ。昔っから知ってる奴の好きな子が気になるのは普通のことだろ」

 内心めちゃくちゃ焦りながらも平静を装って誤魔化すと、三鷹はふぅんと呟いた。

「まぁ、いいけど。……じゃあ、ひとつだけヒント」
「え?」
「僕の好きな子を知ったら、雀野ものすごく驚くと思うよ」

 そうして三鷹はお得意のイケメンスマイルを見せたのだった。


  ***


「……というわけだ」

 翌日、いつもの屋上のベンチで食後のカフェオレを飲みながら話すと鳶田は目を瞬いた。

「ずーっと片想いしてて、三鷹のことを嫌ってて、雀野が聞いたらものすごく驚く?」
「あぁ」

 ――あの後、三鷹はそんな全然ヒントになっていないヒントを置いてさっさと先に帰ってしまった。
 俺はそれからずっと答えがわからず悶々としている。

「俺が驚くってことは俺の知ってる子ってのは間違いなさそうなんだけど」
「……なぁ、それってさ」
「全っ然わかんねー! え? 悪い、なんて?」

 声が被ってしまってよく聞こえず訊き返すと、鳶田はなんとも言えない妙な顔をしていた。

「や、俺、すげーことに気づいちゃったかもしんない」
「え?」
「それ、もしかして女子じゃないんじゃね?」

 その言葉の意味に辿り着くまでに少しの間を要した。

「……男ってことか!?」

 確かに、今俺はめちゃくちゃ驚いた。
 そうか。その線は全く考えていなかった。
 女子じゃなくて、男子!
 可能性がないわけじゃない。

 動揺しながらも俺は続ける。

「で、でも、あいつ男にも人気あるし、あいつを嫌いな奴なんて……」

 鳶田が無言で俺を指さしてきた。

「へ?」
「お前、三鷹のこと嫌いだろ?」

 俺は徐々に目を見開いていく。

「ずーっと片想いしてて、三鷹のことを嫌ってて、雀野が聞いたらものすごく驚く」

 もう一度、鳶田が先ほどと全く同じ台詞を復唱して、俺は震える指で己を指さした。

「……お、俺ぇ!?」

 思わず強く握ってしまったせいでカフェオレがストローからちょっと飛び散ってしまった。