今日はレオと一緒の授業の日だった。
あの四人で集まった日から少しだけ仲良くなれたのか、レオは前より表情が柔らかくなった。
私たちが仲良く話していると、周りの学生たちは物珍しそうに見てくる。
ほとんどの人はレオに話しかけたくても尻込みして話しかけられない。
それくらい彼には近寄りがたい雰囲気があるみたいだ。
授業終わったら、紗綾と蓮斗と学食で集まるんだけど、来る?
私が軽く聞いてみると、二つ返事で行く行く!と嬉しそうな返事をした。
そう言えば、とレオは何か思い出したように手をたたき、こないだ涼太から連絡がきてさ、杏梨のこと紹介して欲しいって言われたんだけど...どうする?
その言葉にびっくりして暫く開いた口が塞がらなかった。
突然すぎるよね。とレオが苦笑した。
勿論内心とっても嬉しいが、紗綾の推しでもあるし何より私はファンを公言している。
どこかで情報が漏れてでもしてしまったら、涼太がファンに手を出したと叩かれるのは言うまでもない。
暫く頭をフル回転して考えたが、嬉しいけれど遠慮しておくよと口にした。
私Aトレインのファンだしさ、週刊誌とかに撮られて迷惑かけても嫌だし。
私がレオに伝えると、レオは一瞬びっくりしたように目を見開いた。
そして、なるほどと小さく呟き、杏梨は本当に良い子なんだねと呟いた。
私が良い子?どの辺りが?不思議そうに尋ねるとレオは少し微笑み、だってさ、普通ファンだったら紹介するなんて言われたら飛び跳ねて会いたがるよ!
杏梨は涼太の立場を考えた上で、会わないって決断した訳でしょ?しかも向こうから言ってきてるのに。
相手思いの良い子だなぁって思ってさ!と笑った。
んー。ファンにとったら会えるなんて夢のような話だけど、実際友達として会うとなるとリアルな感じがして熱が冷めちゃいそうな気もするし。私の人生から推し活がなくなったら生きる意味無くなっちゃいそうだし。私は課金して会いに行くよ。と笑った。
レオはその言葉にびっくりしたようで、まじか。そうか。じゃあ涼太には残念だけど断っておくね!この話は紗綾には内緒にしておこう!騒ぎそうだから。
確かに。言えないね。
結構涼太本気っぽかったんだよな~一目惚れしたとか何とか言っててさ。
杏梨はAトレインのファンだって言ってるのにプロ意識にかけてるよな。杏梨こそファンの鏡だよと呆れた表情を浮かべた。
お昼休みレオと食堂に行くと既に紗綾と蓮が待っていた。
お疲れーと声を掛けるとレオも来てくれたんだと二人とも嬉しそうにしている。
案の定レオがいることで、周りの視線を感じるが、本人はさほど気にしていないようで皆んなで学食を食べ始めた。
レオは今日は仕事の予定がないようで、話の流れでレオの家に行くことになった。
渋谷のマンションに住んでいると話し出すと、芸能人の家に行けるのなんて凄すぎると三人の本心丸出しの言葉にレオはツボに入ったようだ。
正直で宜しいと楽しそうだ。
じゃあさ、コンビニで色々買ってお菓子パーティーしようと蓮斗が言い、学校内のコンビニで飲み物やお菓子を買いレオの車に乗り込んで家に向かった。
マンションに着くと警備員が立っておりそのまま地下駐車場に車を停めた。
私たちは地下の広い駐車場に停まっている高級車を見渡し、ただただ凄いねと口をこぼした。
セキュリティーの厳しそうなエントランスをいくつか抜けてホテルのような絨毯のひかれた廊下を抜けるとやっとドアの入り口に着いた。
角部屋のこれまた凄そうな部屋だ。
凄いワクワクするーと紗綾は嬉しそうだ。
掃除行き届いてないかも知れないけど、どうぞー。と扉を開けると、私の部屋の半分くらいはあるんじゃないかと思うくらいの広い玄関が広がっていた。
床は大理石で、入り口には高そうな大きな絵が飾られている。
凄すぎるーと三人で玄関から感動していると、ほら、早く部屋に入りなよと笑いながらレオが案内してくれた。
長い廊下を進むと広々としたリビングが広がっていた。
さすが芸能人と蓮斗はキラキラした目で部屋を見渡した。
そんなことないよとレオは謙遜しつつ、よければソファに座ってよ。今グラス用意するからとキッチンに入って行った。
レオは座って居られないのか辺りを見て回っている。
飾ってあるトロフィーを指差しこれは何?と聞くと、あぁ、それは新人賞獲った時に貰ったやつだよとサラリと答える。
皆んなでえー、凄いねと顔を見合わせた。
部屋にはいかにも高そうな置物がおしゃれに飾られており、センスの良さが伺えた。
皆んなでゲームをしようとお菓子を広げて、対戦ゲームをやり始めた。
あ、氷もらってもいい?と私が聞くと冷蔵庫にあるよとレオが立ちあがろうとした。あ、ゲーム中だしいいよ。勝手に冷蔵庫開けちゃってもいい?と了解を得てキッチンに入った。
オープンキッチンで広々としており、きちんとおしゃれな調味料も揃っている。いつかこういうキッチンで料理するの憧れるなと思いながら、冷蔵庫から氷を取り出した。
すると食器棚の1番したの引き出しだけ無造作に開けれれており、躓きそうなので閉めようと手を伸ばした。
すると何か大量の薬が入っている袋が見えた。よくよく見ると睡眠薬のようだった。
こんなに一度に貰えるものなのかなとまじまじと見ていると、氷の場所分かった?とレオがキッチンに入ってきた。
あ、ごめん。開いてたから閉めようと思って...と私が見てはいけないものを見てしまったと気まずそうに伝えると、あ、そうか。ごめんごめんとレオは少し慌てたように棚を閉めた。
あまり寝れないの?と思い切って聞いてみると、見られちゃったかとレオは頭をかきながら、気まずそうに笑い、たまにね。と呟いた。
ドラマの撮影とかあるとさ、セリフ覚えなきゃとか色々考えちゃって、プレッシャーで寝れなくなったりする時あるんだよね。
そっか。お仕事的に精神的な負担大きいよね。
その時ふとあのノートの一文を思い出した。
だが向こうには紗綾と蓮斗がいるし聞かれてしまうかも知れない。
どんな言葉をかけるべきなのかと悩んだが、あまり無理しないでね。と一般的な気遣いの言葉しか浮かばなかった。
うん、ありがと。
するとどうした手伝おうかと紗綾が覗いてきた。
ううん、大丈夫だよと私は何事も無かったかのようにリビングへと戻った。
そろそろゲームも飽きたし、Youtubeでも見るかと蓮斗が言い、テレビの画面をYoutubeに切り替えた。
何見る?と検索の箇所を押すと履歴一覧にはなんと『らくな死に方』『スイスの安楽死』と表示されているではないか。
皆が同じ画面を見ていたこともあり、一瞬時が止まった。
蓮斗は動揺して、おい、レオ。なんでこんなこと検索してるんだよ~と冗談まじりにレオに聞く。
レオは何て答えるのだろう。と内心ヒヤヒヤしていると、次のドラマがさ、死をテーマにしてたから少し勉強がてら見てたんだよね。
びっくりさせてごめん。
彩綾と蓮斗はなんだ、そっか。びっくりしたよーと安心したように呟いた。
私は彼の言葉は果たして本当なのかなとじっとレオの表情を伺った。
変に目があってしまい、レオは気まずそうに顔を顰めた。
もしも自分ごととして、あの検索をしていたのだとしたらかなり危ない状態なのではないか。
なるべく早く確認しなればと私は心の中で決意した。
そろそろ帰るかと皆んなで片付けをして帰り支度をする。
忘れ物しないようにねー。バイバイとレオに見送られマンションを出た。
いや、本当に住んでる世界が違うよなー。と蓮斗は感心したように呟いた。
本当だよねー。マジで楽しかった。と紗綾も満足そうだ。
暫く駅に向かって歩き進め、私はあたかも思い出したようにそうだ、寄りたい所あったからごめん、先帰って。と二人に告げた。
え、そうなんだと二人は顔を見合わせ、じゃあ気をつけてねと二人の姿を見送った。
私は早速レオに電話をかけた。
もしもし、あれ、杏里どうかした?と不思議そうに尋ねてくる。
あの、突然ごめん、個人的に話したいことがあって少しだけ時間貰えないかな。
まだ家の近くにいるから寄ってもいい?
私が聞くとレオは一瞬動揺したのか、え、ああ、そう言うことか。全然大丈夫だよ。
何となく話したいことを感じ取ったのだろう。
ありがとう。じゃあまたエントランス着いたら連絡するねと伝え、電話を切った。
なんか、また戻って来ちゃってごめんね。と私が言うと、嫌々全然大丈夫だよとレオが迎え入れてくれた。
ソファに腰を掛け、早速本題なんだけどと切り出した。
この間ノート借りたじゃん?
え、あぁ、うん。レオはそんなことかとちょっと拍子抜けしたようで、それがどうかしたと不思議そうに私を見てきた。
あの、言いにくいんだけどと一呼吸置き、私は意を決してノートの最後のページに死にたい。楽になりたいって書いてあるのを見ちゃったの。と勢い良く言い切った。
え、そんなこと書いてたっけ。
レオは本当に覚えていなかった様子で、すくっと立ち上がりバッグの中からノートを取り出してパラパラとめくった。
本当だ。書いてあるね!と何とも感情が読み取れない無表情な顔をしている。
その、さっきYouTubeでも自殺の方法とか調べてたりさ、大量の睡眠薬も見ちゃったから、色々重なって心配になっちゃって。余計なお世話なのは分かっているんだけれど。とうつむき加減に伝えた。
レオは少しびっくりしたように目を見開きあぁ、そういうことか。と暫く天井を見て何かを考えているようだった。
その沈黙に耐えられず、最近知り合ったばかりの人に相談なんてしたくないと思うけど、実は私のお母さんが少し前までうつ病だったのと思わず口にした。
え、そうなんだ。とレオが次の言葉を待つように私を見つめた。
最初は少し元気がないなと思っていたんだけれど、段々と外にも出なくなっちゃって、しかもレオと同じで眠れない日々が続いてたみたいで睡眠薬がないと寝れなくなっちゃってたの。
うん。とレオは静かに話を聞いている。
それで私が学校から帰ってきたある日、お母さんが廊下で倒れてて私びっくりして救急車を呼んだんだけど、オーバードーズって睡眠薬の過剰摂取してたみたいで、私が救急車呼んでなかったら死んでたよって言われたんだよね。
そうなんだ。
それで精神系のカウンセラーを進められて、結構有名な先生らしいんだけど、その人のおかげで母も段々と元気になってきて。
今ではうつだったのが嘘みたいに普通に生活しているんだけどさ、レオも私が想像出来ないくらいのプレッシャーの中で働いていると思うし、何か悩みがあったら吐き出したら少しはらくになるかなと思って。
うん、ありがとうとレオは真剣な顔で私を見ている。
私じゃ力不足だし、信頼できる友達とかさ。なんかこのままだとレオが消えちゃいそうで少し怖い。
私がそう言うと、レオはうーんと唸りながらうつむき加減に話し始めた。
正直な話し、最近生きる目的みたいなものがなくてさ。
早くこの世界から抜け出したいって思う日が続いてるんだよね。
この業界に入ったのが八歳の子役からのときだから、もう十四年経ってさ、やっと芽が出てきたって感じではあるんだけど、SNSでも演技下手とか悪口言われることも多いし、周りの俳優も凄い実力者の人たちだらけだから常に頑張り続けなきゃいけないことに疲れたる時があるというか。
俺何のために生きてるんだろうって。消えたくなる時があるんだよね。
そうだったんだ。と私はレオが抱える大きな不安をひしひしと感じた。
話しの中でいかに彼が真面目に仕事と向き合って生きているのかが伝わってきた。その真面目さ故に色々と考えてしまうことも多いのだろう。
私はさ、自分のやりたいことが何なのか今だに見つけられてなくて、周りは就職先をちゃんと決めて社会人になるための準備をしてるのに、なんで自分だけこんな生きづらい性格なんだろうって思ってたの。
だからさ、何年も俳優やってて新人賞まで獲ってるレオのことすごく尊敬してるんだよ。
私はレオのことを知ってから、レオが出演している映画やドラマをチェックしていた。
役によって全く別人になるレオの演技は凄くて鳥肌が立つほどだった。
レオは私から見たら凄い才能あるよ。そんなレオが生きていたくないなんて言うなら、私の方が生きてちゃダメな人間だと思う。
そういうと、レオはびっくりしたように私を見た。
そんなことないよ、俺なんてすごくないよ。
住む世界が違うから、私の意見なんて参考にならないかもしれないけど、私から見たレオは頑張りすぎてるよ。仕事に一生懸命向き合って結果も残してさ。だからこそもっと自分のことを大切にして欲しいし、消えたいなんて思わないで欲しい。息が詰まって苦しくて抜け出せないんだったら、休んだって良いじゃん。自分のメンタルまで壊れてやるのは見ているこちらも辛いし、友達がそんな辛い思いしていてほしくないよ。レオはもっと自分を大切に生きて。
私の言葉にレオは目を見開いた。
そして、自然と瞳から涙が流れていた。
一人で悩み抱えて辛かったよね。私でよければいつでも話聞くから。
私はレオを優しく抱きしめた。普段の彼とは違い、彼があまりにも小さく弱く見えた。
レオは何かがプツンと切れたように、嗚咽を上げながら私の胸の中でしばらく泣いていた。
私はレオの背中を摩りながら、落ち着くまでそのままでいた。
暫くしてやっと落ち着いたのか、杏梨ほんとうにごめんと顔を上げた。
つい、この間友達になったばかりなのに、こんな姿見せちゃって凄い恥ずかしいと腕で顔を隠した。
でもなんからくになった。本当にありがとうと照れたように呟いた。
そんな、私は何もしてないよ。少しでも気持ちが軽くなったなら良かった。
うん、俺今まで悩みがあっても誰にも相談とかしたことなかったんだんよね。
でも形はどうであれ、杏梨に聞いてもらって泣いて凄いすっきりした。と表情がやわらくなったレオを見ると本当に気分が少し晴れたみたいだ。
俺の袖涙でびしょびしょだ。杏里の服も濡れちゃったかも。ごめん。遅いし家まで送ってくよ。
私は首を大きく振り、大丈夫!一人で帰れるよ!
いやいや、俺が嫌なの。送らせて。
週刊誌に撮られても迷惑かけちゃうしと私が申し訳なさそうに言うと俺は杏梨だったら撮られてもいいけどっとレオは悪戯そうに笑った。後部座席に座ってくれたら、多分大丈夫!何度か断ったが一向に埒が明かなそうなので大人しく送ってもらうことにした。
車内ではさっきの出来事が夢だったかのように、今までのお互いの恋愛トークで盛り上がった。
ほとんどレオの恋愛話だったが、今までは仕事優先で彼女を放置しすぎてすぐに別れてしまっていたこと。過去に付き合った芸能人もこっそり教えてくれた。
杏梨はどんな人がタイプなの?
レオはミラー越しにちらっと私を見ながら尋ねた。
え、私タイプとか分からない。今まで自分から人を好きになったことない。と真面目に答えるとレオは相当驚いたようで、え、本当に?今まで生きてきて誰も好きになったことないの?
うん、そうだね。残念ながら。
そっか。見た目とかでかっこいいなとかも思わない?
あんまり現実ではないかなぁ。アイドルとかは見ててかっこいいなとか思うけど、ダンスとか歌ってるステージ上の姿が好きだからなぁ。
普段プライベートで見たらかっこいいとかは思わないかも。
えー、そんなことあるんだ。俺は杏梨を初めて教室で見たとき綺麗な子だなと思ったけど。
突然の告白にびっくりし、そんな素振り見せてなかったけど。と答えると杏梨が俺の存在に気づいてなかったからだよと笑った。
そんな話をしていると家の前に着いていた。
送ってくれてありがとう!
こちらこそ。話聞いてくれてありがとう。
また、何かあったら連絡してもいい?
もちろん!友達でしょ!暇してるしいつでも連絡して!
そう言って車から降りて走り去っていく車を眺めながら、彼が変な気の迷いを起こさないことを願った。

数日後、ドル隊の仕事が入った。今はまだ学生なのでバイト感覚で割りとゆるっとしたシフトだが、これを本業にしたら体力がもつのか心配だった。
いつも通り会社の車が家の前に着き、乗り込んだ。
今回もセキュリティーのしっかりしたマンションで二回ほどエントランスを抜けて部屋の前に着いた。
インターホンを鳴らし出てきたのは、私が中学生から知っているアイドルLALABUのメンバージンだった。
彼は早くから芽が出たグループで確か年齢は三十歳手前だった気がする。
私は笑顔で初めましての挨拶を交わした。
部屋には入るやそうそう、俺のこと知ってるよね?
と上から目線で問いかけてきた。
勿論です。LALABUさんは私の中学生くらいから人気でちょうど世代でした。
世代とか言わないでよー。ジェネギャ感じちゃうじゃん。とソファの背もたれに寄っ掛かりながら気だるそうにしている。
るなちゃん、写真で見るより100倍は可愛いね!
俺のタイプかも!そう言っていきなり私の足を触ってきた。
私が怪訝そうな顔を思わずすると、なんでそんな顔するの?ドル隊だったらこのくらい許容範囲でしょ?もっとやばいことやってるのに。と冷たい眼差しで言い放った。
内心馬鹿にされていることに腹が立ったがぐっと飲み込み、突然のスキンシップにびっくりしただけです。嫌な思いにさせてしまったのならごめんなさい。と謝った。
この手のタイプは言い返すと厄介なことになりそうだ。
人間的に好きになれないと判断した私は、早く切り上げることに努めることにした。
早く二人の時間楽しみたいので、早速お風呂にしませんか?
うわー、るなちゃん意外に大胆なんだね。俺嫌いじゃないよ。
だけどシャワーはひとりで浴びてきていい?俺誰かと入るのめんどくさくて嫌いなんだよね。
もちろんです!と私貼り付けたような笑顔を浮かべた。
誰があんたなんかと一緒にお風呂に入るか!と内心思ったが口が裂けても声には出せない。
癖も強くて話していて疲れてしまうなと既に帰りたい気持ちになっていた。
彼はシャワーが長いのか40分経っても出てこないので、次第にイライラしてきた。
逆にこんな長い時間シャワーでどこを洗っているのだろう。湯船にでも浸かっているのだろうか。
私はなにもせずともお金が発生しているので、文句は言えないが、どれだけマイペースな人なのだろう。
やっとバスルームから出てきたと思ったら、彼は白いバスローブ姿で現れた。髪の毛も乾かしていないようで水がしたたり、片手にはどのタイミングで淹れてきたのか分からない、ワイングラスを持っている。
それを俺かっこいいだろと言わんばかりのドヤ顔で、お待たせと来るもんだから思わず吹き出しそうになってしまった。
よければワイン一緒に飲む?
わたしは全くこの人と飲みたい気分にもなれず、芸人のネタみたいな登場に笑いを堪えながらも、あまりお酒が強くなくて結構ですと表情を崩さずに答えた。
短時間しか一緒にいなくてもこの人の人間力のなさが分かる。
早く終わらせたい一身でベッドに誘った。
何だるなちゃん、そんなに待てないんだ。可愛いなーと頭を撫でながらベッドに入った。
私はずっと気持ち悪いと思っていた。
そういえばこんな時のために相手に嫌悪感を抱かないための研修があるとか言ってたっけ。
身体を重ねながら私は頭の中で違うことを考えるようにしていた。
何とか耐えて終わらせると俺るなちゃんと相性良い気がする!また会おうよ。今度はプライベートで。
この人は何を言っているのだろう。ドル隊とはプライベートで会うことは勿論、連絡先も交換してはいけないことを知らないはずはないのに。
私も会いたいのは山々ですが、会社の決まりでプライベートでお会いすることはできないんですよと渾身の悲しそうな演技をして見せた。
えー。何でよ。良いじゃんね!お互い惹かれ合ってるのに。と言いながら私を抱き寄せた。
どこまで勘違い男なんだと思いつつもそうですねと適当な相槌を打ち、そろそろ時間なので失礼しますねと答えた。
もうそんな時間か。あっという間だなー。俺らはまた会える気がするよ。それまで元気でね。
はい。ジンさんもお元気で。
そう言って別れると迎えの車に乗り込んだ。
座り込んだ循環、私は大きなため息をついた。
ジンさんはかなりクセもあるし私からしたら痛い人だったなぁ。凄く疲れてしまった。
中にはクセ強の人もいるとは聞いていたけれど、まさか二回目で当たってしまうとはついていないのでは?と思いつつ。会社側もジンさんの性格は知っているはずなのに、初心者につけるのもどうなのかなと内心もやもやしていた。
 すると運転手が珍しく、市川さん、お疲れのようですねと心配そうにミラー越しに私に話しかけた。
えっと、そうですね。まだ慣れていないのもあるかもしれません。と流石にジンのせいとは言えないなと思っていると、他のドル隊の方もジンさんの後はみんな疲れた様子なんですよと笑った。
私はやっぱりそうなんだ。ドル隊の中では嫌われてそうだなと内心思いつつ、そうなんですね。少しクセのある人だからですかねと困った顔をして見せた。
 今日は会社に寄らなければならなかったので、気分は沈んでいるが直接車で向かってもらった。会社に着くと受付の綺麗な女性が案内してくれた。
ドル隊専用の部屋に通されると、白衣を着た女性が私の前に現れちこりを回収します。とゴム手袋をした手を差し出した。
私は鞄から袋に包まれたちこりを手渡した。
鈴木秘書が見えなかったので、トイレに行こうと思い、人通りの少ない廊下を歩いた。
すると小さな休憩スペースで先程の白衣を着た人とスーツを着た男性が話している。
昨日の早坂のやついくらで売れたと思う?と男性がニヤニヤと白衣の女性に質問をする。
え、いくらだろう。三百くらい。
それがさ、五百で売れたんだよ。物好きもいるんだな。
早坂さんでそんなにいくの!?
精子にそんなお金使うなんて。どんだけ金持ちなんだよ。買った精子で、子供できるかも分からないのにね。
本当だよな。俺だったら考えられないわ。
でも推しの子供産める可能性があるんだったら、それだけ払うやつもいるのかー。
その会話を聞き、頭が混乱した。
え、精子を売ってる?多分聞いてはいけないことだった気がする。
私は足音を立ててバレないように、そっとその場を後にした。
さっきの白衣の女性にちこりを渡したけれど、まさかあれで精子を搾取してるのかな。
確かに道理としては理に叶ってるけど‥
モヤモヤした気持ちを抱えたまま部屋に戻るとちょうど鈴木秘書がやって来た。
市川さんご無沙汰してます。その後お変わりないですか。
はい!そうですね。
内心は今日担当したジンとは関わりたくないと伝えたかったが、まだ始めて二回目の仕事で文句言うのも違うかと思い、ぐっと堪えた。
実は今日お呼びしたのは、市川さんに相談がありまして。と鈴木秘書は声のトーンを下げ、小声で話しかけてきた。
以前、アイドルの中に非恋愛依存の方がいるとお伝えしましたよね。
そう言えば、最初の説明の時に言っていたな。本来は相手を選べないけれど非恋愛依存であれば自由に選べるとかなんとか。
正直なところお伝えするか悩んだのですが、市川さんは信頼しているので初めにお伝えしておこうと思いまして。
え、なんでしょう。
改まって言われると何を言われるかドキドキする。
その非恋愛依存のアイドルの方が市川さんをご要望でして。
本来であればお相手が非恋愛依存の方とお伝えすることはご法度なのですが、その方が先にお伝えしておいて欲しいと言うものですから。
私も彼がそのような要望を出すのは初めてだったので、困惑しているんです。
そうなんですね。ちなみにどなたなんですか。
クロッズの青空さんです。
クロッズの青空といえばとにかく顔が整っていて国宝級イケメンにも毎年ランクインしている。確か私と同い年くらいだったと思う。
歌もダンスの実力もあり、誰が見てもスーパーアイドルだと口を揃えて言うだろう。
彼が非恋愛依存だったことに驚きもあるが、あそこまで人気があるのに浮いた話がないと妙に納得してしまう。
でも何故先に私に伝えたかったのだろう。
昔のご友人だったりはしませんか。
私は頭を巡らせて色々と考えてみたが全くと言って良いほど接点が見つからなかった。
いえ、知り合いではないと思います。
そうですか。ちなみに青空さんとのスケジュールを組んでもよろしかったですか。
はい、もちろんです。
私自身、アイドルの中でも今一番人気のある青空に指名されたことは嬉しかったし、実際に会ってみたい気持ちもあったので、断る理由が見つからなかった。
よかったです。それではスケジュールを組ませて貰いますね!
その後仕事についての軽いカウンセリングがあり、性病検査を受けてその日は帰った。