転生チート王女、氷の魔術王に溺愛されても冒険者はやめられません!~「破壊の幼女」が作る至高の魔法薬が最強すぎるので万事解決です~

「陛下! 御自らここに!?」
「救援ならこのほうが身軽だ。ふむ……その必要はなかったようだが」
「はい! あたちが助けましゅた!」

 ライラが手を上げるとアシュレイがライラと氷河ヘラジカを交互に見つめる。

「空から見たが、あの魔力の爆発は君が起こしたのか?」
「でしゅ!」

 ライラがどーんと胸を張る。

「氷河ヘラジカはS級だぞ。魔力耐性も高く、普通の魔法で倒せる魔物ではないが」
「それが倒せちゃうんでしゅ!」
「は、はい……私もこの目で確かに見ました! このライラちゃんのおかげです!」

 シェリーがライラのそばに屈み、手を添える。
 保護者と幼稚園児みたいな構図だった。

「……疑ってはいない。そばにいれば潜在魔力の強さは桁外れなのがわかる。改めて我が兵の命を救った礼を言おう、俺はアシュレイ・ヴェネトだ」
「ライラでしゅ!」
「モーニャですー! あっ! 敬語のほうが良かったです!?」
「いや、宮廷内でもないゆえ無礼講だ」

 しかもレッサーパンダだしな、とアシュレイは心の中で付け足した。

「いい人でしゅね、モーニャ」
「よかったですぅー。見た目も高貴ですけど、内面もまた素晴らしいのですね!」

 アシュレイがじーっとモーニャを見つめた。

「従魔か、これは……?」

 アシュレイはライラのそばに歩み寄る。
 上半身だけをコートから出したモーニャに、アシュレイは興味津々だった。

「驚いた。常時の実体化のみならず独立した知性まであるのか」
「そんなにみ、見ないでください〜」
「……従魔については詳しくないのですが、それほど凄いことなのでしょうか?」
「世界で数人もおるまい。S級魔物の討伐より、こちらのほうが信じがたい……」
「もっと褒めてもいいんでしゅよ」
「どこでこんな魔法を手に入れた?」
「秘密でしゅ!」
「親は?」
「わかりましぇん!」
「……なぜこんな無人の氷原に?」
「あたちが聞きたいくらいでしゅ!」
「実はですね、最寄りの街からテレポートで――」

 モーニャがかいつまんで説明するとアシュレイがふむふむと頷く。

「なるほどな、マーキング式のテレポートか。従魔ほどではないが、そうした高度な魔法も使えるんだな」
「驚かないのでしゅね?」
「俺も使える」
「さすがでしゅね」
「こほん……街は防衛上の理由で、数キロ区画整理した。なので冒険者ギルドはあちらの方角だな」

 アシュレイの指先が東を示す。
 まるで見えないが、あちらの方角にシニエスタンの街があるらしい。

「だが、氷河ヘラジカの討伐に来たのだろう? それなら本営に案内する」
「いいんでしゅか?」

 王侯貴族が一介の冒険者の手を借りたい、というのは面子上、あまりない。
 しかしアシュレイの目は静かであるが闘志が奥底で揺らめいていた。

「今は緊急事態だ。戦力は一人でも欲しい。……しかるべき報酬も出そう」
「おおっ! 太っ腹でしゅね! それならもちろん、参戦しましゅ」
「現金だな」
「何か言いましゅたか?」
「いや、俺もライラも実利主義者ということだ」

 確かに、とライラは思った。

 初対面でありながらアシュレイには貴族らしい傲慢さがない。
 ぽんぽん物を言えてしまう。

 そしてアシュレイもそれを許容している。
 シェリーがはらはらしているほどに……。

 でもこのぐらいのほうがライラにとっては、ずっと楽である。
 報酬も出るなら、断る理由は何もなかった。




 アシュレイのテレポート魔術によって、ライラたちは雪原に築かれた軍営に案内されていた。

 慌ただしく兵が動き、急ごしらえのレンガ造りの部屋を行き交う。
 華美なところは一切ない。

 アシュレイの後を歩くライラが、何気なく壁をぽこぽこ叩く。
 軽い音が鳴って、頑丈な気配はしなかった。

「これは魔法でしゅね」
「まぁ、緊急の建物だからな」

 こうしたところにもアシュレイの主義が出ている、とライラは感じた。
 案内されたのは飾り気のない会議室だ。暖炉はあるのでそこそこ暖かい。

「で、あたちはどーすればいいんでしゅか?」
「実は今、氷河ヘラジカを一箇所に誘導している。作戦は最終段階だ」
「氷河ヘラジカ、何体くらいいるんでしょうか?」
「群れひとつに10から20体。群れが6つほど。合計80体ちょっとだ」

 その数にモーニャがのけぞった。

「げぇー! ヤバすぎません!?」
「下手すると地方ひとつ、無人になりそうでしゅね」
「シニエスタンだけではない。ここは国境だが、近隣諸国にも被害が出る」
「他の国は手助けしてくれないんでしゅか?」
「紅竜王国を除いては、資金面で援助はあった。紅竜王国にも連絡はしたが、何の応答もない。協力すればお互いに利があるはずだが……」

 大陸北端にいる紅竜王国は排他的だ。
 知性ある竜の国であること以外、ほとんど知られていない。

「冒険者と共同作業で氷河ヘラジカは集め、あとは大火力をぶつけるだけではある」

 シェリーが縮こまっている。
 多分、その誘導がうまくいかなくて彼女は氷河ヘラジカに襲われたのだろう。

「なるほどでしゅね! それならいいのがありましゅよ!」
「ふむ、そうか……。心強いな。早速、誘導場所に連れて行こう」

 会議室から連れて行かれたのは、軍営の裏手だった。

 そこは切り立った峡谷になっているうえ、行き止まりになっている。追い込むにはいい場所だ。
 場所も広く、何百頭もの氷河ヘラジカを閉じ込めることができそうだった。

 しかしライラの記憶上、こんな峡谷はシニエスタンの近くにはないはず。
 ライラが小首を可愛らしく傾げた。

「シニエスタンにこんな峡谷ありまちたっけ?」
「ない。俺が魔法で作った」
「ひぇー! さすがは魔術王様ですぅ!」

 モーニャが感心する。ライラもこれには驚いた。

「中々やりましゅね……!」
「まぁ、しかし群れを集めて仕留めきれるのか……という懸念は残る。氷河ヘラジカは魔法にも物理にも強い。この峡谷を切り崩しても耐えるだろう」
「手はありましゅよ」
「ほう……」

 アシュレイが屈んだので、ライラがこしょこしょと小声で『作戦』を伝える。
 その作戦にアシュレイが眉をひそめた。

「……手段は問わないが、それで大丈夫なのか?」
「任せてくだしゃい!」
「ど、どんな手なのですか?」

 シェリーがこわごわと尋ねる。
 そこでライラはちっちっと指を振った。

「それは見てのお楽しみでしゅ!」
「プランとしては悪くない。手配しよう。シェリー、ロイドを呼んできてくれ」

 その言葉にモーニャが瞳を輝かせた。

「ロイド! もしかして赤髪のロイドさんですか!?」
「モーニャ、なんだかうっとりしてましゅね」
「知らないんですか、主様。最高位のダイヤ級冒険者ですよ! この辺りの諸国では最強とも言われる方です!」
「名前くらいはうっすらと聞いたことがあるかもでしゅ」

 魔法薬オタクのライラは金やグルメ、魔法薬に直結しないことには興味が薄い。
 同業者のことはモーニャのほうがわかっている有り様だった。

「ロイドは放浪の冒険者だが、最近はヴェネト王国を本拠地にしてくれている。多少、口下手だが……非常に有能で信頼できる男だ」
「ふぅん、評価しているんでしゅね」

 アシュレイは門閥貴族と折り合いが悪いという。
 その意味でも冒険者は都合が良いのだろう。

「4歳児よりは世間的にも重用できる」
「けほっ、反論のしようもないでしゅ」

 少しして峡谷に赤髪の青年が訪れた。
 大剣を背負い、精悍な顔立ちの冒険者だ。

「……この人でしゅね」

 身体の奥底に眠る魔力は隠しようがない。
 ライラやアシュレイほどではないが、常人を遥かに超える力があるのは一目でわかった。

「待たせました……」

 穏やかそうな雰囲気とは裏腹に、体格は戦士そのもの。
 S級魔物と戦うというのに気負いもない。アシュレイがロイドを手で指し示す。

「紹介しよう。冒険者のロイドだ」
「…………」

 ぺこりと頭を下げただけでロイドはちょっと身を引いた。

「はぁ、やはり歴戦の冒険者って感じですねぇ」
「人見知りなだけじゃないでしゅ?」
「で、こちらのちびっこが冒険者のライラと従魔のモーニャだ。こう見えてもかなりの魔力があるが、知っているか?」
「……彼女の名前を知らない冒険者などいないよ。なるほど、君がそうなんだね」

 ロイドがすっと屈む。屈んでもロイドとは微妙に目線が合わない。
 ロイドの筋骨ががっしりしすぎているからか。

 ロイドの瞳からは静かな闘志が見える。
 朴訥としていながらも、信頼できそうだった。

 同時に探りを入れられているとライラは感じ取った。見られている。

(やっぱり並みの冒険者ではなさそーでしゅね)

「覚悟はできている?」
「あい! 頑張りましゅ!」
「……いい目だね。作戦は?」

 立ち上がったロイドがアシュレイに問う。

「予定通りだ。冒険者は総出でこの峡谷に氷河ヘラジカを追い立ててくれ」
「その後は……?」
「俺と――」
「あたちがやりましゅ!」

 ライラが元気良く手を振り上げる。
 普通なら4歳児のそんな言葉など、信用しないだろう。

 だが、ロイドも知っている。驚異の新星、奇跡のちびっこ、森の魔女、破壊の幼女――ライラの様々な異名を。疑う余地などない。

 ロイドが頷き、歩き出す。
 その足取りは確固たる目標に向かってのモノだった。
「冒険者に二言はないよ。配置につく」




 それから数時間。
 アシュレイが指揮を取る隣でライラは待ち続けた。
 ゆっくりと本営の緊張が高まっていくのが伝わってくる。

「はふー、大丈夫ですかねぇ」

 焦ってくるモーニャの頭をライラが撫でる。
 伝令から報告を受け取ったアシュレイがライラに向き直った。

「氷河ヘラジカの群れは順調にこちらへ向かっている。もうまもなく、見えるはずだ」
「はいでしゅ」
「……氷河ヘラジカがこれほど集中するというのは、初めてだ」
「そーなんでしゅか?」
「氷河ヘラジカは気性が荒い。仲間内にもだ。それゆえ数十頭も一気に動くのはめったにない」

 モーニャがふむふむと頷く。

「へぇー、じゃあ完全な不運ですねぇ」

 その言葉にライラは押し黙った。

(偶然というのもありましゅが、そうじゃないとすると……)

 魔物が暴れる要因は多々ある。
 自然現象によるものもあるが、人間のせいということもある。

 朝方、ライラたちがギガントボアに襲われたように。
 シェリーが追われたように。

 ライラの回る思考をアシュレイが優しく遮る。

「まぁ……原因は解明したいが、まずは目の前の討伐だ」

 その言葉が終わる頃には、雪を叩きつけるような地響きが轟いてきていた。
 80体もの氷河ヘラジカが走れば、大地をも揺らす。

「来ましゅたね」
「ああ、こちらも魔法隊は用意しているが……」
「まずはあたちがやってみるでしゅよ!」

 徐々に地響きが大きくなり、震源が接近してくる。
 ロイドたちは役割を果たしたようだ。

 猛烈に雪を撒き散らしながら、氷河ヘラジカの一団が峡谷に姿を見せる。

 角を振りかざしながら突進する氷河ヘラジカにヴェネト王国の兵士が戦慄した。
 あの一頭でも生き残れば、並みの兵士では敵わないのだから無理もない。

「……そろそろだな」

 アシュレイがライラと兵に目配せをする。
 氷河ヘラジカが峡谷を走り――行き止まりに到達する寸前、アシュレイが腕を振り上げた。

「ライラ、攻撃開始だ」
「はーいでしゅ!」

 モーニャがライラのバックパックから大きめの瓶を取り出した。
 ライラが純色の緑に満たされた瓶を掲げ、狙いを定める。

 その瓶に内包された膨大な魔力は、魔法使い以外にも感じ取れるほどだった。
 大きく振りかぶったライラが全身の筋肉と魔力を総動員し、氷河ヘラジカの群れへ純緑の瓶を投げる。

「とーう!!」

 モーニャの風の魔力がプラスされ、瓶は華麗な放物線を描いて飛んでいく。
 峡谷の最奥部、氷河ヘラジカの中央に瓶が吸い込まれ――魔力に満ちた緑色の雲が、群れの中に出現した。

「ぶもー!!」
「ナイスシュートでしゅ!」

 ライラがガッツポーズを決める。
 緑色の雲は氷河ヘラジカを飲み込んでいく。

「よし、風魔術で雲を封じ込めろ」

 アシュレイの号令が発せられると、峡谷上の魔術師が風を巻き起こす。
 強風は峡谷の上から下へと吹き付け、毒色の雲を押し付ける。
 氷河ヘラジカの怒声と足音がすぐに小さくなっていった。

「ふむ、効果が出ているな」
「あたちが丹精込めて作った麻痺毒でしゅよ。効果はバツグンに決まってましゅ」

 ライラが放り投げたのは、動物用の麻痺毒だった。
 緑色の雲が広がり、これを吸い込んだ魔物を眠るように麻痺させるのだ。

「状態異常を引き起こす毒は確かにあるが、これほど強力な毒――どういう風に作用しているんだ?」
「ほら、魔物には核があるでしゅよね? それを麻痺させているんでしゅ」
「明らかにヤバそうな毒だが、人間には大丈夫なのか?」
「雲が消えれば。水にも溶けて環境にもクリーンでしゅ」

 麻痺毒の雲は実際、水に溶けて十分ほど経つと効果が劇的に弱まる。
 この峡谷なら雪に吸収され、もう無毒化しているはずだった。

「……その言い方はどうかと思うが。にしても、これほど効くものか……」
「ちょっと効きすぎかもでしゅね。まー、そういうこともあるでしゅ!」

 ライラもその点はちょっと不思議であった。
 想定よりも群れが早く沈黙している。毒の周りが早い。

「群れによって毒の耐性が違うかもでしゅ」
「かもな。あとはお前が凄すぎるかだ」

 絶大な魔力と超精密な調合力がないと、こうも上手く働きはしないはずだ。

 眼下の氷河ヘラジカはほとんど沈黙した。
 暴風のごとき群れが峡谷で静かになっている。麻痺毒が完全に回ったのだろう。

 その様子にヴェネト王国の兵から歓声が上がった。

「やったぜ! これなら簡単に討伐できる!」
「しかも無傷でな!」
「あのちびっこのおかげだ!」
「ちびっこ万歳ーー!!」

 氷河ヘラジカの群れが完全沈黙したのを受けて、アシュレイが号令を下す。

「よし、総員! 攻撃開始だ!」
 峡谷の入口にいた冒険者も動員し、氷河ヘラジカへの徹底的な攻撃が行われる。
 魔力が七色になって爆ぜ、魔物の群れを打ち倒す。

 もちろん、その中で最強の魔力を持っていたのはアシュレイだった。
 巨大な氷塊を操り、群れへと叩きつける。

「しゃすが、おーさまでしゅ。強いでしゅね」
「近衛の皆さんも強いですねぇー」

 用意された椅子の上で足をぷらぷらさせながら、ホットミルクをぐびぐび。
 すっかり観戦モードのライラとモーニャであった。

「陛下、楽しそうですね?」

 モーニャがこそこそとライラに耳打ちする。
 ちらり。アシュレイは全身から魔力を張り巡らせ、魔法を解き放っている。

 ありったけの魔力を魔物討伐に振るっていた。今度は爆炎の魔法だ。
 地上で花火のような炎が広がり、群れを押し包む。

 さっきまでのクールな雰囲気はまるでなく、バーサーカーみたいだ。

「こういうのが好きなんでしゅよ、きっと」
「陛下がですか?」
「じゃなきゃ、最前線に来たりしましぇん」
「それもそうですねぇー」
「ま、兵は頼もしいでしゅよ。魔物相手に引きこもる王様に従いたくはないでしゅからね」

 ライラはずずずーっとホットミルクを飲む。

 それよりも気になっていることがライラにはあった。
 アシュレイが指摘した通り、毒の効果が強すぎるように感じる。

 この麻痺雲はライラ自信の一作だ。自分で調合したのでよくわかる。

(なーんででしゅかねぇ……)

 大気に満ちるアシュレイの魔力とその残滓は渓谷に残っていたと思う。
 それらがライラ自身の魔力と何らかの相互作用を引き起こした……というのは考えられるだろうか。

「モーニャ、妙なことを聞くんでしゅけど」
「あーい?」
「あたちと王様の魔力って似てましゅ?」
「んー? んー……」

 モーニャがたぷたぷの頬をライラに向け、ヒゲをぴくぴくと動かした。

「……そうかもですね。なんででしょう?」
「それは――」

 ライラが言葉を続けようとした、その時。
 アシュレイの高揚した声が聞こえてくる。

「氷河ヘラジカの討伐を確認した! 作戦は成功だ!」

 同時に割れんばかりの大歓声が峡谷を揺らす。

「終わったみたいですねぇ」
「でしゅね!」

 ライラが椅子からぱっと飛び下りた。
 アシュレイも息を整え、ライラを振り返る。

「よし、下に向かうぞ」
「あーい」

 ライラたちは峡谷の下へと向かった。
 そこにはロイドを初めとする冒険者たちも勝鬨を上げている。

「群れを倒したぞー!」
「終わったぜぇー!!」
「やったぁーー!!」

 冒険者が兵士と肩を抱き合い、お互いに労っていた。

 この作戦はヴェネト王国の兵と冒険者の協力によって成功したのだと、両者がわかっているのだ。
 一団の中からロイドが進み出てくる。

「……勝ったね」
「感謝する。怪我人は出たが死者はなし――完璧と言っていい形で群れを討伐できた」
「ふふん、あたちの魔法薬でしゅからね」
「少しえげつないかも知れないがな」
「えげつない!? こーりつてきと言ってくだしゃい!」

 ロイドはさすがに疲れてそうだ。

「末恐ろしい子だ……」

 言葉も少ない。アシュレイはライラとロイドに向き直る。

「ふっ、確かに……この上なく、効率的ではある。さて、これから氷河ヘラジカを解体するが……どうする?」
「おおっ! そうでしゅね……」

 S級魔物の氷河ヘラジカは様々な素材に変わってくれる。

 角や骨は高値で売れ、魔法薬の素材にもぴったりだ。
 魔物の死体は放っておくと大地に還る。その前に処置をしないと無駄になってしまう。

「今回の討伐は冒険者あってのもの。優先的に素材は譲ろう」
「王様、太っ腹ー!!」
「そうこなくっちゃっ!」

 大盛り上がりの冒険者たち。これぞまさに特別ボーナスというやつだろう。

「人心掌握が上手いですねぇ」
「兵の魔力と体力がもうないだけじゃないでしゅかね」

 アシュレイの兵は魔術で疲労していた。これだけの氷河ヘラジカを優先的に解体するのは無理だろう。
 それなら冒険者に譲ったほうがお得というものだ。

「はぁー、ちゃかりしてますねぇ」

 そこにアシュレイの言葉が降ってくる。

「ライラ、君ももちろん対象だ。氷河ヘラジカで好きな部位を持っていくといい」
「そうでしゅね……んむ、あたちはお腹ちゅきましゅた。まずは食べましゅ」
「は?」

 アシュレイが動きを止める。

 魔物の肉には毒がある。なので食べることはできない。
 それが常識だった。周囲の兵士もライラの言葉に慌てる。

「いやいや、ちびっこちゃん! 魔物は食べられないよ!」
「そうだよ! お腹を壊して何日も寝込んじまうぜ!」

 ロイドもライラを疑いの目で見ていた。

「……食べても大丈夫なものなの?」
「ふっふーん、甘く見ないでくだしゃい! あたちにはコレがあるんでしゅから!」

 ライラはバックパックから紫色の魔法薬を取り出した。
 さきほどギガントボアにも使った代物だ。

「これをかければ魔物も保存できて、しかも肉から毒がなくなるんでしゅよ!」
「本当か……?」
「試してあげるでしゅ! モーニャ、形の残ってる氷河ヘラジカにかけてきてくだしゃい!」
「はいですぅー」

 魔法薬の瓶をいくつも持ったモーニャが空を飛び、ぱっぱと液体をかけていく。

「カットもよろしくでしゅ」
「はいはーい。これなんかイイ焼け具合かも」

 モーニャがいい感じに燃えた氷河ヘラジカの肉体を風の魔法で切り分ける。

 ふたりのあまりに手慣れた動きに誰もツッコめない。
 見守るしかないアシュレイにライラがお願いをする。

「おーしゃま、皆にお皿とナイフとか配ってくれましぇん?」
「あ、ああ……」

 謎の自信に満ちたライラ。
 その圧に押されるがまま、アシュレイはシェリーに命じて食事セットを配るように伝える。

 すぐに皿もナイフも来て、その上にモーニャが氷河ヘラジカのステーキ肉をよそっていく。
 皿の上に鎮座した肉に、冒険者も兵士も不安げだ。

「なぁ……本当に食べられるのか?」
「俺、見たことあるぜ。魔物の肉を食って口がただれたやつ……」
「食べてすぐ分かるんだよな?」

 皆がライラを見つめる中、当のライラはご機嫌だった。

「さぁ、これで行き渡りましゅたね? 遠慮はむよーでしゅ! いただきましゅですー!」
「わーい!」

 喜んでいるのはライラとモーニャだけ。

 皿の上に乗る氷河ヘラジカの肉は霜降り、しかもレアだった。
 肉質はぷるんとして柔らかい。
 火自体はそこそこ通っている、ステーキとしての完成度も高そうだ。

「……皆、食べないでしゅね。まぁ、いいでしゅ。じゃあ、あたちから――」

 あーんと大きく口を開けて、ライラが氷河ヘラジカのステーキを頬張る。

「んー!」

 脂の甘味と肉の芳醇さがすぐにライラを直撃する。

 ギガントボアの肉よりも筋が少なく、歯で容易に噛み切れた。
 モーニャも頬一杯に肉を詰め込み、味わっている。

「はぁ〜、おいひいでふぅ〜!」
「焼き加減と脂のおかげで、とってもおいしいでしゅね!」

 びっとライラがアシュレイに親指を立てる。

「本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫でしゅー、それよりも冷たくなっちゃうでしゅよ」
「……ふむ、そうだな」

 アシュレイがステーキを食べようとすると、シェリーがそれを制した。

「お、お待ちを! 陛下の前にわ、わたしくしめが安全を確かめて……!!」
「膝ががくがくしてるでしゅ」
「そ、そんなことは……」
「ふっ、無理をするな。問題はなかろう。確かに魔力の質が少し変わっている……多分、大丈夫だ」
「絶対大丈夫でしゅ」
「信じよう」

 アシュレイが優雅な手つきでナイフを振るう。
 ワイルドなライラとは対照的だった。

 兵や冒険者の注目を浴びながら、アシュレイは淀みなくステーキを口にする。
 もにゅもにゅ。しっかり噛んで味わっているようだった。

「……おお、なるほど。これは美味だな。肉と脂のバランスが良い」
「そうでしゅよね!」
「陛下、大丈夫なので……?」
「まず絶品といっていい。驚いた。宮廷料理に勝るとも劣らない」

 アシュレイの評価に触発され、兵と冒険者がおそるおそるナイフを動かす。
 次に食べたのはロイドとシェリーだった。

「……うまいな」
「わぁ、思っていた以上の味ですねっ! とってもジューシー!」
「ふっふーん、どうでしゅか」
「恐れ入った。しかしよく、魔物の肉を食べようと思ったな」
「むしろ食べようとしないのが不思議でしゅ」
「……やはり変わった子だ」

 話しながらもアシュレイは止まることなく食べ続けている。
 他の人も段々と食べ始め――。

「う、うめぇ! 魔物の肉ってこんなにうまかったのか!?」
「こんな上等の肉、食べたことない!」

 味に魅了された人達がガツガツとステーキを食べまくる。
 お腹を膨らませたモーニャが風魔法を振るい、さらにステーキを切り分けた。

「はいはーい。おかわりはありますよー。欲しいひとー?」
「こっちにくれー!」
「俺も俺も! これならまだまだ食べられる!」
「大好評でしゅねー」

 どこからか酒やおつまみも出てきて、歌い出す人まで現れる。
 ステーキ食事会は宴会に変わっていった。

 戦いが終わり、肉があればどこでもそうなるだろう……これが祝宴だ。

 ライラはとりあえずアシュレイの隣で肉を食べまくっていた。
 もちろん秘伝の自作焼き肉タレをかけながら。すーっと身体に味が入ってくる。

「よく食べるな」
「育ち盛りでしゅので」
「ふむ……何歳だったか?」
「よんしゃいです!」
「4歳は育ち盛りというのか……?」

 首を傾げたアシュレイがじぃっとライラを見つめる。
 その瞳の奥はライラには読めなかった。

 しかし不思議と不快感はない。なぜだろうか、隣で食事をしていても負担に感じなかった。

 一介の冒険者と国王。身分は隔絶しているのに、居心地がいい。
 これはモーニャ以外には感じたことのないことだ。

(……どうしてでしゅかね)

 アシュレイがフォークを置く。

「立ち入ったことかもしれんが、親はどうしているんだ?」
「いましぇん。記憶もないでしゅ」
「……そうか。気を悪くしてしまったな」
「いいんでしゅ」

 その点について、ライラは本当に気にしていなかった。

 転生者でもある自分は、生まれた時から人とは違う。
 親がいないのは前世から慣れているし。

「だとしたら、そのライラという名前は――自分で名付けたのか? いい名前だな」
「違いましゅよ。これだけがあったんでしゅ」

 ライラはモーニャに目配せした。
 モーニャが雪原の上のバックパックから、一枚の布切れを取り出す。

 森に置き去りにされたライラ。
 唯一、そうなった経緯の手掛かりが名前の刺繍された布切れだ。
 これだけはいつどこでも持ち歩くようにしていた。

「……これは」
「あたし、生まれた時から森にいたんでしゅ。なぜだかは知らないでしゅけど。で、これだけが身体に巻き付いてて……へ?」

 アシュレイが布を凝視している。普通でないほどに。

「ど、どうしたんでしゅか?」

 布を見つめていたアシュレイがささやく。
 雪に溶けそうなほど、小さな声で。

「俺にも娘がいた」
「はい?」
「魔物の群れが妻と産まれたばかりの子の療養所を襲い、ふたりとも死んだ」

 ライラは戸惑った。何の話をしているか、さっぱりわからない。
 声の調子は変わらず、恐るべきクールさだった。

「……この布は妻の刺繍だ。間違いない」
「ええ〜〜っ!?」
「そ、それってどういうことですかぁ!?」

 ライラとモーニャがひっくり返らんばかりに大声を出した。

「この布と共にあった、ということは……お前は俺の娘だ」
「ひぇぇー!! ど、どーしましょう!! どーしましょったら、どーしましょう!」

 モーニャが慌てふためきながら右往左往する。

「……落ち着きなしゃい」

 ぺしっとライラがモーニャにチョップをかます。

「あたちより騒いでどーするんでしゅか」
「主様、冷静ですね!?」
「驚いてましゅよ。でも考えてなかったわけじゃないでしゅ」

 冒険者をしていれば、いつか家族に会えるかもとは思っていた。
 両親でなくとも祖父母や叔父叔母とか。

 自分がここにいるということは、どこかで自分を産んだ相手がいるということ。
 その痕跡が全く消えてしまうとは思ってなかった。

「4年でしゅからね。そんなに昔のことじゃないでしゅ」
「むむっ、さすが主様! クールでクレバー!」
「……ああ、そうだな」
「でもホントなんでしゅか? うっかり間違いじゃすまないでしゅよ」
「俺の妻、サーシャはこのヴェネト王国で珍しい黒髪だった。それに魔力の素質は遺伝する。俺とサーシャの子ならば、この桁違いの魔力も頷ける」

 黒髪、確かに珍しいとは思っていた。
 少なくともヴェネト王国では自分の他に見たことがない。

 妻の刺繍と黒髪。それに魔力。
 ライラにも他に親の心当たりがあるわけではなかった。

「へぇー、じゃあ決まりですねぇ!」
「そうでしゅね……」

 ごくりと息を呑む。状況証拠は揃っていた。
 今日はなんという日だろうか。

 軽い気持ちで魔物退治に来たはずなのに、まさか父親と再会するなんて。
 しかもその父親は、この国の王様だったのだ。

(で、どうしまひょう)

 アシュレイもライラも、感動の親子の再会という感じではない。
 身体は幼くてもライラの心は大人で、アシュレイもこーいう人間なのだ。

 会話が途切れ、なんとはなく気まずい沈黙が流れる。
 ライラも次に何を言ったら良いか、わからなかった。その流れを変えたのはアシュレイからだ。

「ところで、その黒いソースだが気になってしょうがない」
「……あい?」
「とてもいい匂いだ。分けてくれないか」

 不器用にもほどがある。これが親子の対話だろうか。でも仕方ない。

「いいでしゅよ」
「食べたら飛んじゃいますよぉ!」
「ほう、楽しみだ」

 アシュレイのステーキに、お手製焼き肉タレをかけるライラ。
 やれやれ、もっと違う会話の切り出し方があるだろうに――と思いながらも悪い気はしないライラであった。
 こうして祝宴は何時間も続いた。
 その頃には氷河ヘラジカの解体もかなり進んでおり――もっとも立派な個体は素材へと変わっていた。

 アシュレイとライラのいる場にロイドが素材を持ってやってくる。
 ロイドが持ってきたのは、氷河ヘラジカのデカい角の先端部分。
 ここに魔力が込められているのだ。
「……持ってきたよ」

 角の先端部分だけを集めた袋を渡され、ライラが顔を綻ばせる。

「ロイドしゃん! ありがとうでしゅ!」
「他に欲しいのはあるかな」
「えーと、そうでしゅね……あとは蹄でいいのがあると嬉しいでしゅ」
「それならもうある」
「なんと! やりましゅね!」

 ロイドがもう一つの大きな袋をライラのそばに置く。
 中身を確認したライラが頷くと、ロイドがわずかに眉を動かした。

「……どうかしたんでしゅか」
「追い込みで少し不覚をね。大丈夫。あとでポーションを飲むから」

 ロイドがライラたちに背を向ける。
 氷河ヘラジカとの戦いで傷を負ったということか。

 表情からは全然わからない。
 でも体力回復の魔法薬であるポーションを飲むなら大丈夫かとライラは思うことにした。

「お大事に〜」

 モーニャが声をかけると、ロイドは片手を上げて静かに去っていった。
 アシュレイが残された袋を覗き込む。

「それをどうする気だ」
「売りましゅ」
「主様、そんなことをしなくたって……主様は王女なんですよ――もごっ!」

 モーニャの口をライラが塞ぐ。幸い、近くに他の人はいなかったが。

「な、なにをするんですかっ」
「ぺらぺら喋ってはダメでしゅ、モーニャ」
「なぜだ。お前は俺の娘だ。俺がそう認めた」

 はぁーっとライラが息を吐く。

「それはいいでしゅけど、他の人がそう簡単に認めるとは思えないでしゅ」
「むっ……」

 さきほどからアシュレイとライラはこの親子の件について話し合っていた。

(この人が父親なのは……いいとして。問題はそれでどうするかでしゅけど)

「……王都にお前を王女として連れ帰る、それは嫌か」
「イヤじゃないでしゅ。でも、あたちは魔法薬作りはやめないでしゅよ」

 魔法薬作りはもうライラのライフワークなのだ。

 それがない生活は考えられない。
 それくらいライラは魔法薬作りが好きなのだ。

 もちろん、前世を若くして病死で終えた身として、備えておきたい面もあるが。

「今回の分け前もきちっと貰って換金するでしゅ」
「……ふむ。すぐに換金するのか」
「もちろんでしゅ。素材は放っておくと悪くなって、価値が下がりましゅからね」
「それなら俺も同行しよう」
「へっ?」
「おかしいか? 4歳の娘を一人で行かせるわけにもいくまい」
「……それはそうでしゅが」
「心配いらん。変装や気配変化の魔法やらを使えば、正体が露見することはない」
「…………」

 外見的には落ち着いて見えるが、どうやっても同行するという決意に満ちている。

「どうしましょ、モーニャ」
「うーん……断っても追ってきそうですよね? それならもう、最初から居てもらったほうが」
「でしゅね。尾行されても困りましゅ」

 そう決まるとアシュレイがシェリーを呼び、小声で色々と命令する。

「シェリー、ぎょっとしてましゅね」
「どこまで聞かせたのでしょう?」
「さすがにあたちのことは伏せてるはずでしゅ。この場で娘が見つかったなんて言ったら、とんでもないことになるでしゅよ」




 数十分後、用意が整ったライラたちはシニエスタンの街へと向かう。

 移動手段はアシュレイの飛行魔法なので、ライラは何もせずに楽ちんであった。
 一面の雪原を見下しながら、郊外へと着地する。

 ここからでも街の喧騒は伝わってきていた。

「相変わらず活気がありましゅねー」
「ここは北端の街だからな。魔物も討伐されたし、もっと発展していくだろう」

 人混みをかき分けて、一行はシニエスタンの冒険者ギルドへ到着する。

 新築の大ホールは大理石で、他の冒険者ギルドよりも遥かに巨大であった。
 もう勝利の報は伝わっているらしく、慌ただしい活気で満ちている。

「封鎖令は解除だ! 各地からキャラバン呼べ!」
「氷河ヘラジカの素材が来るぞ! 近隣の鍛冶屋や薬師を確保しとけよ!」

 ライラがちらりと見るとアシュレイはフードを被り、いくつもの魔法を使っていた。
 気配消しの魔法や髪色を銀から青に変えたり……。

 ライラの視線に気付いたアシュレイが前を向きながら咳払いする。

「……大丈夫なはずだが」
「あい、パッと見はだいじょーぶでしゅ。待っててくだしゃい」

 ライラはそう言うと冒険者ギルドの買い取りカウンターへぽてぽて歩いていった。
 ちょっとお腹が重いが……まずは素材を売らなければ。

「まぁ、ライラちゃん! 久し振りね。氷河ヘラジカ討伐の活躍は聞いてるわよ」
「話が早いでしゅね」
「冒険者も現場からちらほら戻ってきてるしね。で、何の用かしら」
「買い取りをお願いしましゅ!」

 どんとライラがバックパックから氷河ヘラジカの素材袋を取りだす。
 角の先端部分と蹄のいいところの詰め合わせだ。

「これはっ! まさかさきほど討伐されたばかりの……?」
「そうでしゅ、氷河ヘラジカのイイ部分だけでしゅよ!」
「承知しました! 査定が終わるまで、少々お待ち下さい!」

 ライラがやり取りを終え、ベンチに座るアシュレイの元へ戻ろうとして。
 ふよふよ浮かぶモーニャがこしょこしょとライラに囁いた。

「どこから見ても冒険者じゃないですよ」
「姿勢が良すぎでしゅもんね」

 服も変えているが、高貴なオーラは隠せてない。
 貴族の御曹司がお忍びで来ていると全身が主張していた。

 そんなアシュレイに女性冒険者のパーティーが近寄っていく。

「……あ」

 見目麗しい女性陣に囲まれ……アシュレイは困惑していた。
 娘の引率で来ただけなのに。

 当然、アシュレイも女性のかわし方は心得ている。
 しかし娘のテリトリーたる冒険者ギルドでどうすれば良いのか?

 まさか、こんなことになるとは……。
 ライラは少し離れたところからアシュレイを観察していた。

「助けに行かないんですか?」
「ちょっと面白いかもでしゅ」
 戦闘以外では人間味の薄そうなアシュレイが、明らかに目線を彷徨わせている。

「他人事ですねぇー」

 と、アシュレイは視界の端に見覚えのある赤髪の青年を捉えた。

「ロイド!」
「……ええと、誰? 君が呼んだの?」

 ロイドが首を傾げながらアシュレイと女性陣へ歩いていく。

「あー、助けを呼んじゃいましたよ」
「女にホイホイついていく人ではなかっただけ、良しとしましゅか」

 ロイドはアシュレイのことを彼だと認識してはいないはず。
 しかし女性陣に囲まれて困っているのは察したようだった。

「ごめん、この人は僕の連れで」
「えー、そうなんだぁ」

 残念ーと口々に言いながら、女性陣が退散する。

「ふぅ……」

 明らかにアシュレイがほっとしていた。
 そのタイミングでライラも柱の陰からすすっとアシュレイの元へ戻っていく。

「ライラ、君も来ていたんだ」
「でしゅ。ロイドも来ていたんでしゅね」
「ああ……ところで陛下がどうしてここに?」
「……わかってたのか」
「さすがダイヤ級冒険者でしゅね!」

 もう周囲にはライラたち以外は誰もいない。
 ロイドがふぅと息を吐く。

「さっきは知らない振りをしたが、正解だったかな」
「ナイス判断でしゅ」

 ライラとロイドがベンチに座る。

 雪原で会った時に比べると、顔色が悪いように見える。
 いや、雪原と室内の光の差だろうか。ここは外に比べるとかなり明るい。

(ほんのわずかな差でしゅけど……)

「ねぇ、ロイドしゃん」

 ロイドがライラに顔を向ける。

「どこか身体、悪くないでしゅ?」

 彼は静かに首を振る。
 さっきもそうだったが、ポーションで治っていないのだろうか。

 それはあり得る。
 骨までイっているとポーションでは治らない。

「むぅ〜」
「どうしたんだ、ライラ」
「気になりましゅね。待っててくだしゃい!」

 ライラがバックパックを漁る。

 奥の奥までぐぐっーと手を突っ込み……モーニャもライラを引っ張った。
 すぽんっ!
「ふぅ! 取れましゅた!」
「それは何だ?」

 アシュレイがライラの手の中にある小瓶に注目する。
 どろっとした緑の液体の中に赤い斑点が浮いていた。

「さっき見た、毒雲の薬に似ているな」
「失礼でしゅね。これこそエリクサーでしゅよ! 厳選された超貴重な素材をふんだんに使った至高の一品でしゅ」
「料理のフルコースみたいな説明ですよ、主様」
「これがエリクサー……? 初めて見たな」

 見た目は毒々しいが、エリクサーは万能の治療薬だ。
 素材は高価、調合も困難、熟成も必要……だが真に完成すると外傷や病気ならほとんど治せるほど強力であった。

 アシュレイでさえ、真に完成したエリクサーは見たことがないほどである。

「これはまだ熟成途中でしゅから、効果は弱めでしゅけどね。でもロイドしゃん、これを飲んだほうがいいでしゅよ」

 ライラがエリクサーの小瓶をロイドへと押しつける。
 ロイドが瞼を数回、ぱちくりさせた。

「……いいのかい?」
「ロイドしゃんにはお世話になりましゅたからね。元気になってほしいでしゅ」

 これはライラの本音だった。物静かだが、ロイドは確かに凄い冒険者だ。

 それになんだかんだと世話を焼いてくれる。
 素材集めまでしてもらったのだから、魔法薬で返さねばとライラは感じていた。

 しかし高価な贈り物に慣れてないのか、ロイドは小瓶を持ったまま戸惑っているようだ。

「気にせず受け取っておけ。ライラの作ったモノなら間違いない。さっきステーキ用のソースをもらったが、絶品だった」
「……ソースとは全然違うけど」

 冷静にツッコむロイド。

「だけど、君の魔法薬作りの腕は信じるよ」
「あい、信じていいでしゅよ」

 ロイドが小瓶の蓋を開けて、一気に飲み干す。
 本来なら一気に外傷が治るはず。だが――。

「……ぐっ!」
「えっ?」

 ロイドがエリクサーの瓶を床に落とす。
 さらには全身が小刻みに震え、苦しそうに胸を押さえていた。

「ちょっとー! 主様、これって!」
「そ、そんなはずはないでしゅ!」

 ライラは大慌てになりながらバックパックをひっくり返す。

(嘘、嘘、嘘ーー! 失敗しちゃいまひた!?)

 エリクサーが毒になったのなら、何が解毒薬になるのか。
 これまでの知識を総動員しながらライラの頭はフルスロットルで回転していた。

「ぐっ、うぅ……」
「動くな」

 アシュレイが右手をかざす。

 その手から白の魔力が放たれて、ゆっくりとロイドを包んでいった。
 ロイドの荒い呼吸が少し落ち着く。

「治癒魔術だ。本職ではないが、大抵のことならこれで大丈夫のはず」
「おおっ! 素晴らしいです!」
「ふぬぬっ、この間に解決策を見つけないとでしゅ!」

 ぽいぽぽいとライラが小瓶を取り出してはにらめっこする。

「いや、待て……ちょっとおかしい。これは――」

 アシュレイが白の波動を止めると、ロイドが床に手をついた。

「なんで治癒魔術を止めちゃうんでしゅ!?」
「見ていろ」
「うっ、おお……っ!!」

 ライラたちが見守る中、ロイドの全身がゆっくりと膨れ上がる。
 さらに赤い魔力が全身からあふれ、ロイドを包んでいった。

「えっ、ええっ!?」
「なんですかっ、これはー?!」

 赤い魔力が満ちていくと、ロイドの全身に鱗が生えてくる。
 頭も腕も……太く、人ならざる存在へと変化していく。

 ロイドという人間から爬虫類のような存在へ。
 それと同時にロイドの魔力が静かに安定しているようにライラには感じられた。
 まるであるべき所に波が戻っていくように。

「ま、ましゃか……」
「エリクサーはもしかして、魔術の効果も打ち消すのか?」
「当然でしゅ。かけられた魔術はぱっとおしまいでしゅ」
「例えば今の俺がエリクサーを飲んだら、気配消しや変装の魔術は消える……」

 ライラはアシュレイに首肯した。

 エリクサーは可能な限り、万全な状態に戻そうと働く。
 例えそれが自身でかけた無害な魔術であれ――強化や補助も全部、かき消してしまう。

 ロイドの姿があらわになってきた。

 大の大人の胴体ほどの腕に脚。大きな口に牙と翼と鱗。
 人ならざる巨大な威容は、図鑑で見たままそっくりであった。

「ドラゴンでしゅか……!!」

 ロイドの真の姿。それは真紅のドラゴンであった。
 冒険者ギルドの大ホールギリギリの高さにドラゴンが鎮座していた。
 当然、冒険者ギルドにドラゴンが現れたら大混乱になる。

「な、なんだぁ!?」
「ドラゴンだーー!!」
「あわわ……どうしましょー! とんでもないことになっちゃいましたよぉ!」

 ロイドが目を細めて周囲を見渡す。
 すでに冒険者たちは武器を取ってロイドに向けていた。

 こんなところにドラゴンが現れたら当然だろう。
 いつ誰がロイドを攻撃してもおかしくない状況だった。

「待ってくだしゃい!」

 ライラがロイドと冒険者たちの間に立ちふさがり、声を上げる。
 だが冒険者は武器を下ろさない。

 大ホールは一触即発で、冒険者がライラをドラゴンから遠ざけようとする。

「ライラちゃん、危ないぞ! そこから逃げなさい!」

(こんなことのなったのは自分のせいでしゅ、なんとかしないと……っ!)

 必死な気持ちでライラは冒険者を見渡す――そこでアシュレイがローブを払い除け、手を振るった。

 猛烈な氷の魔力が大ホールの天井に満ちる。

「――静まれ」

 身体の芯に響くかのような、声。
 冒険者たちの殺気がピタリと止まる。

 そして諸々の魔術を解除したアシュレイを、冒険者たちも認識した。

「陛下っ!? どうしてここに――!!」
「本物……いや、こんな魔力は陛下しかいない!」

 冒険者たちの注目がロイドからアシュレイに移る。
 その様子をライラは胸を押さえながら見つめていた。

「勇気ある冒険者諸君、まずは武器を下ろしたまえ。この真紅の竜に危険はない」

 あくまで冷静なアシュレイの言葉に冒険者が戸惑う。
 だが、危険な雰囲気は止まっていた。

 次にロイドに向かってアシュレイが問いかける。

「真紅の竜よ。君はダイヤ級冒険者のロイドで合っているか?」

 やや間があり、真紅のドラゴンが頷く。
 その言葉に冒険者が驚く。

「あれが……? 確かに髪の色は鱗の色と同じだが……」
「本当にロイドなのかよ……」

 冒険者が戸惑う中、アシュレイははっきりと皆に聞こえるように、

「君の活躍は私も知っている。若い身でありながら北方を中心に活躍してくれていた。それは……君が紅竜王国の出身でありながら、人の世界を助けるためだろう?」と演説する。

 こくりとロイドが頷いた。

「皆も知っての通り、紅竜王国は他国に対して門を閉ざしている。どんな国か誰も知らない――だが、諸君はロイドがどういう人物か知っているはずだ」
「そうでしゅ! 今日、みーんなで魔物を討伐したじゃないでしゅか!」

 アシュレイとライラの言葉に、冒険者が目線を交わす。
 やがてひとり、またひとりと武器を収めていった。

「そうだよな、何度も一緒に戦ってくれた……」
「申し訳ありません、俺たち……早まってしまって」
「……ロイド、これで良いか?」
「グルゥ……」

 ロイドがゆっくりと頭を下げ、地面に顎をつける。
それは紛れもなく、敵意がない証しだった。




 それからロイドとライラたちは冒険者ギルドの屋上に来ていた。
 大ホールの屋上なので、竜の姿のロイドがいても窮屈感はない。

 すでに空は夜になり、星が輝いている。
 建物と柱のおかげで、他からも見えない。

 ロイドが喉を鳴らしてライラたちに話しかける。

「ありがとう……」

 ぎざぎざの発音ではあるが、言葉の調子はロイドが人間の時のままだ。

「もしかしてその形態では喋りづらいのか?」
「……グルル」

 ロイドが頷く。
 モーニャがもにもにとした手を打つ。

「なるほど、だからさっきも……。というか、人間の姿って魔術なんです?」
「超高度な魔術だろう。身体のサイズをここまで変えるなんて、人間では規格外ではあるが……さすがは竜族といったところか」

 アシュレイの補足にロイドが頷く。

「まぁ、変化の魔術がエリクサーで解除されるとは……効き目がありすぎたんだな」
「……うっ」

 ライラは肩を落とした。

 ロイドはせっかく正体を隠して冒険者をやっていたのに。
 それをぶち壊してしまった。

「気にしない、で」

 ロイドが首を振るい、前脚をライラへと差し出す。
 ゴツゴツした前脚だったが、赤い鱗は輝いて見えた。

「君の薬のおかげで、体調はすごくいいから」

 はにかむロイドを見て、ライラも肩の力を抜くことができた。

「魔力も安定してきたし……ふぅ……」

 ロイドが深呼吸して長く息を吐く。
 巨体の中にある魔力がゆっくりと鳴動し、ひとつの形をなしていった。

 一瞬、赤い閃光が走る。
 竜の身体は消え、そこには人の姿をした冒険者ロイドがいた。

「……うん、これでよし」
「おー、戻りましたねぇ……ふむふむ」

 モーニャがロイドの肩に乗り、ふみふみと感触を確かめる。
 それをロイドは目を細めて楽しんでいた。

「もう大丈夫。ありがとう」
「はぁー……よかったでしゅ。このままだったら、もっと大きな騒動になってたところでひた」

 アシュレイがロイドを見据える。

「で、ロイド……君が人に姿を変えていた本当の理由はなんだ?」
「えっ? あたちたちを助けるためって言ってたでしゅよね?」
「あれは流れで言っただけで、推測だ」
「適当に言っただけなんでしゅか!」
「こほん、しかしああ言わねば周りが収まらんだろう?」
「なんちゅー人でしゅ」
「……構わない。俺も竜の姿では声が出しづらいから、助かった。それに陛下の推測はほとんど正解だ……」
「ほう……」

 アシュレイに意外そうな雰囲気はなかった。
 彼は彼なりにちゃんとした確信があったということなのだろう。

「近年、魔物の暴走が続いている――僕はその調査に来た」

 ロイドは語った。

 魔物の暴走が続き、紅竜王国にも被害が出ていること。
 そしてロイドの調査では、どうも人の国のどこかが原因ではないかということ。

「氷河ヘラジカの群れが暴れるなんて、めったにない……明らかにおかしい」
「そうだな、俺も疑問を抱いている……」
「確かに冒険者さんも不思議に思ってましゅよね」

 この世界歴4年のライラに過去との比較はできないが。
 しかし、魔物の暴走事件が増えていることはライラも聞いていた。

「だから俺は諸国を遍歴して調査しながら、信用できる人を探していた……」

 ロイドの優しい目がライラとアシュレイに向けられる。

「君たちは示してくれた。困難に立ち向かう人間だと」
「ふむ、俺も君には助けられていた。お互い様ということだ」
「でしゅ! 同じ冒険者仲間でしゅし!」
「ああ、だから――手を結ばないか? 個人だけはない。国と国とで。改めて自己紹介しよう。俺の名は紅竜王国騎士団長のロイドだ」
「騎士しゃんなんでしゅね!」
「この世界を憂う気持ちは同じ……はずだ」

 ロイドがアシュレイへそっと手を差し出す。
 ドキドキしながらライラがそれを見守る。

 アシュレイが口角を吊り上げた。

「是非もない」
「おーっ! 歴史的瞬間ですね!」

 モーニャが空に踊る。
 ライラもこんな展開になるとは思っていなかった。

「これも君のおかげだ」

 ロイドが微笑む。

「まぁ、そうでしゅね! 雨降って地固まるとゆーやつでしゅ!」
「……君は賢いな」

 ロイドがライラの頭をそっと撫でる。
 なぜだろうか、子ども扱いが嫌いなライラだが――ロイドからそうされるのは、悪くない気分だった。

 ロイドが目を細め、ライラの前にひざまずく。

「あい?」
「君には傷を癒してもらった。シニエスタンの魔物の討伐も君がいたから成功に終わった。この恩に報いたいと思う」

 ロイドの澄んだ声が星空に響く。
 そして身に帯びた長剣をロイドは恭しく差し出した。

「これって……」
「驚いた。君ほどの人間がそこまでするとはな」
「本で見たことありますっ! 騎士の誓いってやつですよね!?」
「ああ、どうか受け取ってほしい」

 どこまでも真っ直ぐな瞳にライラは断れるはずもなく、頷いた。

「でもあたちに剣は重たいでしゅ。だからモーニャに受け取ってもらうでしゅよ」
「ふっ、構わないよ」
「はいはーい!」

 モーニャが風の魔力とともに剣を受け取り、優雅な仕草でロイドの肩を叩く。

 4歳児に剣を捧げる、ということがあるのだろうか? 
 しかしライラはそもそも並みの子どもではなかった。

「……ありがとう」

 満足したロイドが立ち上がる。
 ライラもひとつ、ロイドと確かな繋がりができた。

「ふふっ……特別な日になったよ」
「良いことは重なるものだな。実に結構なことだ」

 そこでアシュレイが得意気になっているのを、ライラは見逃さなかった。

「陛下も何かあったのです?」
「ライラが俺の娘だとわかった」
「……うん?」

 ロイドの動きがピタリと止まる。

「娘……? ライラが、誰の?」
「えーと……」

 ライラが頬をかく。
 ここまではっきり言われたら誤魔化せないし、説明しておいたほうがいいだろう。

「不本意でしゅが、国王様がとーさまみたい……でしゅ」
「えっ……!」

 ロイドがアシュレイとライラを交互に見る。
 なんだかショックを受けているようだった。

「そうなんだ……」
「どうした。はっきりと言え」
「…………」

 ロイドが口ごもる。
 こんな様子の彼が見られるとは、思っていなかった。

「うん……まぁ、似ているね」

 その答えにアシュレイは微笑んだが、ライラはちょっと物申したい……そんな気分であった。
 同じ頃。
 遠く離れた王都ではボルファヌ大公が緊急の使者に会っていた。

「なんだと、シニエスタンの騒動が収束した……!?」

 ボルファヌ大公が野太い腕を机に叩きつけた。
 その音に使者がびくりと驚く。

「そんなはずはない! 氷河ヘラジカの群れはそう簡単に駆除できん。何か月もかけ、入念に計画したんだぞ……」
「し、しかし……群れは全滅したそうです」

 ボルファヌ大公が忌み嫌う甥、国王のアシュレイの顔を思い浮かべる。

 アシュレイとその兵。
 さらには北部の冒険者のことまでボルファヌ大公は計算に入れていた。

 どうやっても戦力は不足するはず、であった。
 何かボルファヌ大公の予測しえないことが起こったのだ。

「……あの若造にそこまでのことはできまい。何かイレギュラーがあったはずだ」
「申し訳ありません、そこまでは……」
「早急に調べろ。あの若造の陣営に変化があったなら、大事だぞ……!」




 ライラたちが冒険者ギルドの大ホールに戻ると、盛大なパーティーが行われようとしていた。
 討伐の現地から遅れての祝宴らしい。

「ロイドさん、本当に悪かった……」
「ああ、あんたは俺たちのエースなのによぉ!」

 シニエスタンの冒険者はロイドを受け入れ、ロイドも微笑んで皆の輪に入っていった。
 寡黙だが、ロイドには人徳がある。

 その祝宴の場からライラとアシュレイはそっと抜け出した。
 この場にはいないほうがいいとふたりとも思ったのだ。

 空には月も星も光っている。
 ライラはアシュレイの宿舎でソファーに腰掛けていた。

「ふわ……」
「もう夜ですからね、主様」

 モーニャがふにっとライラの頬に手のひらをくっつける。
 ぷにっとしていて、温かい。

「悪いな、来てもらって」
「……別にいいでしゅ」

(もっと話もしなきゃでしゅ)

 ライラはもう、アシュレイが自分の親であることは疑っていなかった。
 だからといって全部を受け入れて納得できるかは、別である。

「ホットミルクだ」
「ありがとでしゅ……」

 もう夜も更けている。

 ライラの普段の活動時間は過ぎていたが、まだ起きていたかった。
 ミルクは濃厚で熱いというよりはぬるめ、ライラの好みだ。

「眠くなったら遠慮しなくていいからな」
「ふぁい」

 まぶたをこすり、アシュレイの顔をじっと見つめる。

 こうやって落ち着いたところで整った顔立ちを見ると、自分の顔と似ているなぁと思う。
 髪質、全体のパーツ、鼻……。

「……やはり似ているな、サーシャと」
「あたちの母親でしゅか」
「ああ、髪の色と目元はそっくりだ」
「ふふっ……」
「な、なんだ? どこがおかしい?」
「それ以外は国王様と似てると思ったんでしゅ」
「そうか? ……ふむ、かもな」
「でも、あたちはどうして森にひとりでいたんでしゅ?」

 一番聞きたいところはそこだった。

 ライラには生まれた時の記憶がない――まぁ、普通はないのが当然だが。
 でもあの神様と話してからのことは全部覚えており、その時にはもう森にいた。

「妻のサーシャは超高難度の魔法薬を研究していた。テレポートの魔法薬だ」

 モーニャがライラに耳打ちする。

「主様のテレポート薬ですね」
「……でしゅ」

 あのテレポート薬を自作するにはライラも苦労した。
 レシピそのものは知れ渡っていたが、極めて高い魔力と希少素材がいくつも必要なのだ。

 例えるなら日本刀みたいなモノだとライラは思っていた。
 製法を知るのと実際に製作するのとでは全く違う……それがテレポート薬だった。

「魔法薬の実験のため、サーシャとお前は王都郊外の研究所にいた」

 アシュレイが過去を手繰り寄せる。

「俺は魔法薬の部門はさっぱりだったが、素材や魔力の流れ的にあそこが良かった……とか。実際、そうだった。魔物も多くなく、静かで……」
「…………」
「だが、ある日――その研究所が魔物の大群に襲われたとの知らせを受けた」

 モーニャが身体を震わせる。

「ひぃっ!」
「俺は急いで研究所に駆けつけた。だが、研究所は完全に破壊され……生存者はいなかった」

 アシュレイが視線を落とす。
 彼にとって、この出来事はまだ痛むのだろう。

「サーシャの遺体は見つかったが、お前の遺体はなかった……だが、現場は地獄のような有様
だった。俺はしばらくお前を探し、生存を諦めた」
「……あたちはでも、生きていた」
「どうして生き残れたのか、俺も推測しかできない。だが可能性があるとすれば、あのテレポートの薬だろう。未完成のはずだったが、サーシャはお前に使ったんだ。最後の望みをかけて」

(なるほど、筋は通ってましゅね。あの神様がミスった、とかいう運命はこれでしゅか)

 あのテキトーな神様は言った。
 このライラという赤ん坊は死ぬはずだった、と。それが魔物の騒乱だったのだ。

 しかし母サーシャの機転でその運命を覆した。

(にしても母親も魔法薬を研究していたなんて、なんてことでしゅ)

 もしかして今、自分が魔法薬作りにハマっているのは母親からの遺伝があるのかもしれない。
 縁とは不思議なものだ。

「何を考えているんだ?」

 要素としてはもう疑う余地はない。
 だが、最後にもうひとつ。ライラは自分の手でバックパックから魔法薬を取り出した。

 ライラの愛用するテレポート薬。

 虹色の光を閉じ込めたライラの傑作だ。
 今の話が本当なら、この薬がアシュレイにはわかるはずだった。

「これが何なのか、わかりましゅか?」

 アシュレイがわずかに眉を寄せる。

「どうしてこれをお前が? テレポートの魔法薬じゃないか」
「……わかるんでしゅね」
「わかるとも。サーシャがよく見せてくれた。虹色はもっと薄かったがな」
「これは主様のお手製なんですよ〜」
「なんだと? 会った時にテレポートと言っていたのは、魔術じゃなくて薬だったのか」
「よく覚えてましゅね」
「子どもがひとりであんな所にいる理由をそうそう忘れるものか。しかし、そうか……これはもう使えるんだな。完成したのか」
「もちろんでしゅよ。貴重でしゅけど」

 アシュレイがライラの隣に座った。
 重みでソファーがそっと揺れる。

「ふむ……もっと近くで見せてくれ」
「あい」

 ライラがテレポート薬を渡すと、アシュレイが大事そうに瓶を両手で持った。
 アシュレイは瓶を様々な角度からじっくりと眺めた。大切な想いと一緒に。

「綺麗だ。魔力が弾け、虹色になっている」
「同じ、でしゅか」
「同じだ。美しい」

 アシュレイの低い声がライラの心に染み込んでくる。

(……家族はこういうものでしゅかね)

 ライラは前世でも天涯孤独だった。

 でも家族がどういうものか、他人を見て知っている。
 今、一番家族なのはモーニャだ。

 アシュレイは家族かどうかというと……でも、身体は拒絶していない。
 彼の瞳には間違いなく、愛情があったからだ。

「うにゅ……」
「……眠くなったら、寝ていいぞ。俺がずっとそばにいるから」

 今日は本当に色々あった。
 ゆったりと柔らかなソファーに身を預けていると、頭の中に色々なことが浮かんでは消えてくる。

「あたちを娘と認めたら、大変じゃないでしゅか」

 それは疑問ではなかった。確信だった。

 アシュレイは今も大変な立場にいる。一国の若き王として。
 そこに死んだはずの娘が戻ってきて、すんなり済むとは思えない。

 アシュレイがそっとライラの頭に手を伸ばす。
 大きくて、しなやかな手。父の手がライラの髪をゆっくり撫でる。

「そんなこと、気にするな。俺はお前がいてくれるだけでいい」

 今までで一番、優しい声だった。
 心の奥に流れ込んで、信じられる声だ。

「んっ……」

 ライラはモーニャを胸に抱き、アシュレイの腕に手を伸ばす。

 とても温かい。モーニャとアシュレイ。
 ふたつの温もりを感じながら、ライラの意識は眠気に溶けていった。
 翌日、ライラはベッドに寝かされていた。

「ふゅ……」

 眠い目をこするとモーニャが隣に寝ている。

「おんせーん、ぱしゃぱしゃー」

 手足をばたつかせ、なんだか楽しい夢を見ているようだった。

「起きたか」

 アシュレイはもう起きて着替えていた。

 またもやコップを手渡される――今度はオレンジジュースだった。
 爽やかな酸味が心地良く眠気を遠ざける。甘やかされているが、とても良い気分だった。

「身体は大丈夫か?」
「だいじょうぶでしゅよ。すっきりでしゅ!」

 ライラがぐーっと両腕を上げる。昨日の疲れは吹っ飛んでいた。

「で、これからどうするんでしゅ?」
「シニエスタンでの作戦は終わった。撤収作業は俺がいなくても問題なかろう。すぐ王都に戻るつもりだ」
「じゃあ……」

 言いかけてライラは口をもごもごさせた。

 アシュレイは自分の親だ。だけど、これからどうするかはまた別の話だった。

 ライラは前世を含めても貴族らしいところはない。
 果たしてアシュレイの娘として、自分はやっていけるんだろうか。

「とりあえず王都に来ないか。サーシャの墓が、そこにある」
「……あい」

 そう言われたら断れない。
 上手いな、とライラは思った。

「とりあえず、そうしましゅ」
「ああ、それまでこの部屋でゆっくりしていてくれ」
「そうはいかないでしゅよ」
「うん? なぜだ」
「昨日、ロイドのアレコレで冒険者ギルドに買い取り品を預けたまんまでしゅ! お金を受け取らないとでしゅよ!」

 ライラの瞳は燃えていた。
 色々なことがあってもお金のことを忘れないのはライラなのだ。
 アシュレイが目を細めて笑う。

「ははっ、しっかりしているな……。わかった、シェリーを付けよう。後で合流だ」




 シェリーと一緒にライラとモーニャは冒険者ギルドに向かった。
 なのだが、シェリーはガチガチに緊張している。
 道行く人を警戒しまくっていた。

「シェリーしゃん、落ち着いてくだしゃい」
「そ、そうは参りません……!」

 出かける前にアシュレイから聞いたのだが、シェリーは昨日のことを全部知らされたとか。
 なので彼女からしたらライラは王女、これは王女の護衛任務になるのだ。

「あんまり固くなっちゃっダメですよぉー、リラックスリラックス〜」

 モーニャがシェリーの肩をモミモミする。

「そうでしゅ。あたちはあたちでしゅ。これからもライラちゃんって呼んでくだしゃい」
「うぅ……ありがとうございます」

 そんなこんなでシェリーの緊張をほぐしながら冒険者ギルドに向かう。

「お邪魔しますぅー」

 入るなり、モーニャが鼻をつまんで叫んだ。

「うわっ、お酒くさー!」
「宴のあとって感じでしゅね」
「ゴミもいっぱいですしね」

 冒険者ギルドの床はゴミどころか、寝転んでいる冒険者でいっぱいだった。
 昨日の宴はよほど盛り上がったらしい。
 受付嬢のお姉さんたちもテーブルに突っ伏して寝息を立てている。

「ぐぅ〜……」
「完璧に寝てます。コレ」
「困ったでしゅね」
「叩き起こしますか?」

 シェリーの目はちょっと本気だ。
 王女様の予定を最優先らしい。

 とはいえ、4歳児の健康ライフサイクルに合わせるのは忍びない。
 そこにしっとりとした声が降ってきた。

「……来たのか」
「ロイドしゃん!」

 ライラが振り向くと、奥からきちんと着替えたロイドが現れた。
 目も足取りもしっかりしている。ロイドは片手にじゃらじゃら鳴る袋を持っていた。

「お金の件だろう? 実は昨夜、皆が酔い潰れる前に預かっていた」
「そうでしゅ! はぁ、ロイドしゃんは出来る人でしゅね〜」
「こうなるだろうと思ったからな」

 ロイドはお金と打ち合わせの件で、アシュレイの宿舎に行こうとしていたのだとか。

 その前にライラが到着したので、お金の件は一件落着である。
 ロイドから明細と袋を受け取り、ちゃんと確かめたライラはふふんと頷く。

「ばっちりでしゅね。領収書、置いときましゅか」

 適当な紙にお金を受け取ったことをぐりぐりと書く。
 その文字を見て、シェリーがわずかに眉を寄せた。

「えーと……」
「シェリーしゃん、あたちの字はこんなもんでしゅよ」

 シェリーがはっとした。どうやらライラの年齢を忘れていたらしい。

「そ、そうですね! 年齢からすれば神がかった域でした!」
「ちゃんと書けるだけ、凄いからな」

 ライラの字はかなり下手だった。
 なんせ4歳児。知能や魔力があっても異世界の文字なんて大人のようには書けない。
 とはいえロイドの言う通り。意味の通った文を書けるだけでも偉いはずだ。

「モーニャ、ここに判を押してくだしゃい」
「はいはいー、えいっ!」

 もにもに。インクをつけた前脚でぽんっとモーニャが判を押す。

 レッサーパンダに肉球はあるが、毛に覆われている。
 なので毛むくじゃらの前脚の印にはなるが、これがライラの判子だった。

「……モーニャちゃんの足跡にはどのような意味が?」
「こーすると少しだけ魔力が残るでしゅ。こんなのはあたちとモーニャ以外にはできまひぇん」

 ライラが紙をひらひらさせる。
 そうすると確かに風の魔力がわずかに香っていた。

「あたちのサインよりは、分かりやすいでしゅ」

 お金を受け取り、ロイドを連れてライラはアシュレイの宿舎へと戻った。

「戻ったか。ロイドも来てくれたな」
「もちろん」

 魔物が討伐されたのでロイドもやることがなくなったとか。
 母国への報告は魔術で済ましたらしいので……彼も王都に同行するという。

「ロイドは大切な客人だ。歓迎する」
「ありがとう」
「これで用はすみましゅた。……れっつごー、でしゅ!」

 ということでライラたちは王都へとアシュレイのテレポート魔術で移動した。