転生チート王女、氷の魔術王に溺愛されても冒険者はやめられません!~「破壊の幼女」が作る至高の魔法薬が最強すぎるので万事解決です~

 ライラ・ファーラは薄暗い森の中を散策していた。
 光沢ある漆黒の髪と金色の瞳。天使のような美少女がのっしのしと茂みを踏み分ける。

「ふんふふーん」

 ライラは四歳。まだほんの子どもだった。黒と赤のフリル付きの服を揺らしながら、ライラは歩く。薄暗い森の中を進むのに全く怯えずに。

「主様、ここって大丈夫ですか?」

 不安そうな声を上げるのは、ライラの隣を歩くレッサーパンダのモーニャだ。モーニャはライラの産み出した従魔兼ツッコミ役であった。

「大丈夫でしゅ!」
「そ、そうかなぁ……うぅ……」
「そんなに心配なら、あたしの懐に入りなしゃい!」

 ライラがふわふわのモーニャを抱え、胸元にぐっと押し込む。

「もぎゅ!」
「これで心配ないでしゅ!」
「……ふぁい。主様は前世の記憶があるから強気かもですけど……」

 モーニャの言葉にライラがはっとして周囲を(うかが)う。

「それは秘密でしゅよ、モーニャ」

 ライラの前世はアラサーの日本人であった。しかし不幸にも病気で命を落とし、この世界に転生してきたのだ。そのため見た目は可憐な幼女でも手と口は達者である。

「大丈夫ですよ、聞いている人なんていないですって」
「油断は禁物でしゅ」

 むにむにっとライラはモーニャの頬を揉む。もちもち触感がたまらない。

「まぁ……この世界で神様に会うのってとても難しいみたいですし。会ったことあるのは神話の人間だけでしたっけ」
「まー、アレはテキトーな神様でしゅけどね」

 病死した日本人としての前世。彼女が白い光に包まれて気が付くと、この世界の赤ん坊に生まれ変わっていた。

 だが意識が目覚めた直後、慌てた神様の声がライラの頭の中に響いてきた。

『ごめんなさい。ミスりました』

 というのも、本来このライラは赤ん坊で死ぬはずだったらしい……運命で。ところが日本人の魂がうっかり入ってしまい、その運命がズレてしまったのだとか。
 ライラはその話を聞いて、ビビった。

『えーと、もう一回死んでとか言わないよね?』
『そこまで干渉してしまうと、もっと大変なことになりそうで……。しかしこの赤子が生きるとなると、ああ……始末書が……』

 神様に始末書があるんかいと思ったが、言わないでおく。

『いずれにしても、助かった命は吹き消せません。かくなる上は大いなる運命の行き先を見守るとしましょう』
『なんかヤケクソじゃない?』
『こほん、ですが大いなる運命を歩むのにその赤子のままでは力が足りません』

 ばぶーと言いながらライラが手を伸ばす。青空と芝生の温かさを感じるものの、小さい赤ん坊にはそれくらいしかできない。
 あとはバタ足くらいだろうか。

『そりゃ、赤ん坊だし』
『そういう意味ではなく、もっと直接的な力があるほうがいい――と私は判断しました。すぐに死なれても、さらなる問題を引き起こします』
『生まれた以上はまぁ、死にたくはないけど……。病気も苦しかったし』
『でしょう? そこでオプションを用意いたしました。神様による特別授与です』
『おおっ! もしかしてチート能力をくれるとか?』
『えーと、そういうのは世界のバランスを崩すのでダメです』
『なーんだ……』
『代わりにあなたの身体の遺伝情報を解放し、究極生命体になるのはどうでしょうか?』
『……え?』
『身長は二メートル! 全身の体毛により刃も通さない! 腕も四本、エラ呼吸も可能に! スペシャルサービスで毒牙も付けましょう!』
『いやいやいや! 私は一応、女の子よ? この身体もそうよね?』
『超人路線は嫌ですか』

 明らかにがっかりしている。
 でも全身剛毛でエラ呼吸できて四本腕で毒牙って、どんな姿になるのだろう?

 いくら強くてもそこまで人間離れした姿にはなりたくない。

『……もっと違うのはないの?』
『魔力開花プランならありますけど……。見た目は何も変わらないですよ』
『それでいいじゃない! それにして!』
『はぁ……エラ呼吸もいいんですか?』

 なぜそんなにこの路線を推すのだろうか。
 赤ん坊のライラは心の中で絶叫した。

『いらないわよ!』
『ふーむ、そんなに嫌なら仕方ないですね。では魔力開花をしましょう。ちゃらーん!』

 神様の声が聞こえ……そこで終わる。何か変わっただろうか。

『えーと……』
『疑うのはもっともですが、完璧に開花させました。これであなたは世界トップクラスの魔術師です!』
『全然そんな感じはしないんだけど?』
『私の電波で脳を操作したんです。もう成人を遥かに超える魔力がありますよ』

 ちょっと気になる言い方だった。もう少しオブラートに包んで欲しい。

『念じてみてください。好きな動物はいますか?』
『うーん、レッサーパンダとかは可愛いなって……』

 ライラが一生懸命レッサーパンダをイメージする。
 ふわふわでもこもこ。むっちりしててもいい。体毛は白で――そんな風に集中して念じていると、ぽむっとライラのそばにレッサーパンダが現れていた。

 可愛い!
 ライラが手を伸ばすと、レッサーパンダが気持ち良さそうに頭を差し出してくれる。ふわふわの素晴らしい毛並みだった。

「ふわ……んんー。あるじさまー」
「きゃきゃっ!(喋った!)」
『従魔の魔法、成功ですね。この子はあなたの手足になってくれますよ』
『これは凄い! ありがとう、神様!』

 というわけでライラは強大な魔力を目覚めさせてもらい、現在に至るわけだ。とはいうものの、生まれた時から気付いたら森の中にいたわけだが。

 両親も親戚も誰もいない。捨てられたのだろうか、他に理由があるのか。
 唯一の手掛かりはライラという名前。これは赤ん坊の服に刺繍されていた。

(でも……他に手掛かりもないしねぇ)

 それからというものライラは有り余る魔力でもって、何不自由なく生きてきた。
 普通なら親を探しに行くのかもだが、見た目はまだ4歳。
 近隣住民はライラに慣れているとはいえ、他の場所では即通報されるだろう。面倒だ。

 探しに行くとしても十年後くらいかなー……とかライラはのんびり考えていた。
 今のライラはこの魔力を使いこなすこと、そしてお金を貯めることである。




 その頃、ライラの住むヴェネト王国の王都。
 王都の貴族でも、ひときわ大きな屋敷にて。

 乱雑な研究室で現国王の叔父であるボルファヌ大公がフラスコを揺らす。
 肥満の巨体が揺れ、片眼鏡の奥からは残忍さが溢れている。

「……ククク」

 黒の泡立つ液体をフラスコから大瓶に移し替えると、ボルファヌ大公は部下に大瓶を渡した。

「これをシニエスタンの例の場所に撒いておけ」
「はっ!」

 恭しく大瓶を抱える部下にボルファヌ大公が鼻を鳴らす。

「こぼすなよ。こぼせば死ぬぞ」
「は、はい!」

 ボルファヌ大公が秘密の研究室から王都の王宮を見上げる。
 そこには大公が憎む、甥がいるはずであった。

「あの若造の好きにはさせん。何年かかろうと、奴の妻子と同じく……亡き者にしてくれる」




 ライラが向かっていたのは、森の奥地。まだ行ったことのない深部であった。
 獣の唸り声がするが、ライラは無視していた。

「他の植物からしましゅと、ここら辺に良さそうな――ありましゅた!」

 ライラがだだーっと水辺に向かう
 そこには金色の水連が浮かんでいた。

 この金色の水連は冒険者ギルドでも採取難易度Sランク。
 高価で取引される素材だった。わずかな太陽光でもきらりと輝く水連に、ライラがうっとりする。

「これでしゅ!」
「……あのー、主様?」
「ちょっと待ってくださいでしゅ」

 ライラは水連に手を伸ばし、ふっくらとした花を摘み取る。
 取り過ぎてはマズいだろうから、良く選ばないと――。

 胸元にいるモーニャが後ろを見ている気がするが。
 それよりもライラはよく咲いた水連を取るほうに気を取られていた。

「だから、その、あばばばー!」

 モーニャがライラの頬を引っ張る。

「な、なんでしゅか?」

 ライラが後ろを振り返ると、そこには巨大な猪がいた。
 デカい。ライラが思い切り首を持ち上げないと耳まで見えないくらいだ。

「ギガントボアですよ、主様!」

 A級魔物、ギガントボア。気性は荒く、単体でも大きな被害が出る魔物だ。
 歴戦の冒険者パーティーでさえ勝つのは難しく、本来は十人以上で囲んで討伐することが推奨される魔物である。 

 それが鼻息を吹かしながらライラを見下ろしていた。
 普通なら逃げるか腰が抜けるかをするところ……ライラは冷静だった。

「あたちは今、忙しいんでしゅ! あっちに行っててくだしゃい!」
「ちょ、ちょっと主様! ここはもうちょっと穏便に……」
「ふごー!」

 ギガントボアが唸りを上げて怒りを露わにする。
 ギガントボアは体勢を低くして、ライラに突撃する素振りを見せた。

「させましぇん!」

 しかしライラは4歳児でも歴戦の魔術師。
 一瞬の隙をついて、バッグから小瓶を取り出してギガントボアへ投げつける。

 光爆の魔力がたっぷりと込められた小瓶は狙い通り、ギガントボアの顔面へと到達し――白い閃光とともに大爆発が巻き起こった。

「あばばー!!」
「もう、いい加減慣れてくだしゃいな」
「慣れないですよ! まぶしいっ!」

 閃光が終わるとギガントボアは焼け焦げ、クレーターができあがっていた。
 これがライラの魔力の使い方であった。

 前世で病死した経験を持つライラは今、魔法薬作りにハマっていたのだ。
 この爆裂薬もライラの成果のひとつである。

「また自然を破壊してちまいました」

 ライラが呟くと、似たようなクレーターが点在しているのがわかる。
 魔物に襲われるたび、ライラはこの爆裂薬で撃退していた。ライラの膨大な魔力を感知できないのか、それとも4歳児で甘く見られているのか……。
 心の中で焼け焦げたギガントボアに祈りを捧げ、ライラが泉に向き直る。

「とりあえず金色の水連を採取しましゅ」
「そ、そうですね」

 小さなハサミでさくっと金色の水連を採取したライラは、バッグから小瓶を取り出した。
 小瓶の中では虹色の火花と砂がちらちらと踊っている。

 ライラの一番好きな魔法薬だ――その名もテレポート薬。
 マーキングした場所に瞬間移動できる魔法薬である。

「じゃ、そろそろ戻るでしゅよ」
「この魔物はどうするんです?」
「もちろん持って帰って、売るでしゅ! 魔法薬のけんきゅーにはお金がかかりましゅからね!」

 ギガントボアの骨もA級魔物だけあって、かなりの値段で売れる。

「おっと、薬をかけとかないとでしゅね。魔物の身体は放っておくと、大地に還ってしまいましゅから」

 魔物は動物のように見えても、純粋な魔力の結晶体だ。
 その肉体は死んで数時間もするとたんぽぽの綿のように消えてしまう。

「そーれっと!」

 モーニャがバッグから取り出した毒々しい紫色の魔法薬を小さなシャワーのように振りかける。
 これでは数日くらいは保存できる。

 他には専用の解体ナイフ、解体魔術で保存する方法があるが、ライラにとってはこれがもっとも確実で手っ取り早かった。

 さらにこの紫色の保存液は魔力豊富な魔物の肉を中和して、食べられるようにもする。

「よし、これで憂いなしでしゅ」

 ちょっとした小銭稼ぎも見逃さないのがライラだった。
 ライラはテレポート薬の瓶を開けて、中身を振りまく。

 同時に心の中でイメージを膨らませる。目指す先は自宅の庭。
 虹色の砂が弾けるように空に舞い、陽光を取り込む。
 砂がぱちぱちと音を鳴らしながら大気に混じり、すっとライラたちの意識が遠くなっていった。

 一瞬の後、ライラたちは森と平野の境界にある自宅へと戻ってきていた。
 こんがりギガントボアくんも一緒である。

 気が付いたら森にいた赤ん坊のライラが成長して、これまで4年ほど。
 さすがに見知った人間の誰もがライラがただの4歳児ではないと知っていた。

 大人顔負けの言葉と知性、それに常人を遥かに超えた魔力を持っているのだから。

「さてと、ちょっと休んだら街に行くでしゅ。素材を売らないといけましぇん」
「はーい。ご飯はどうするんですか?」
「コレにしましゅ」

 ライラがぴっとギガントボアを指差した。魔物の肉は毒。
だが、さっきの薬で食べられるよう解毒されている。

「ラジャーです!」

 モーニャがすっと爪を振るうとギガントボアの肉がポロポロと切れる。
 情けないように見えて、モーニャもライラの眷属。このくらいの芸当はお手の物であった。

 モーニャの力で肉がすぱすぱ切れる。しかしこれでは味付けが足りない。

「このお肉には……やっぱり焼き肉のタレでしゅ!」

 ライラはバッグからお手製の調味料の小瓶を取り出した。
 前世で味わっていたにんにくと醤油と他にも色々……醤油は見様見真似だが、美味しい黒ソースである。
 モーニャもこのタレは大好きで目がない。

「わーい!」

 もぐもぐ……。付け合わせは水筒のぶどうジュースだけ。
 ボアだけあって濃厚な豚の風味と旨味。その両方が口に広がる。

「うーん、いいでしゅね」
「脂がほろほろですぅ!」

 味は濃くても肉は柔らかい。
 ふたりは満足するまでワイルドに朝食を済ませる。

「んむ、食べまちたね」
「お腹いっぱいですー……」

ライラとモーニャは自宅に入った。ごちゃっと色々なモノが散乱するが、所々のインテリアには高価な代物が使われている。もっともそのほとんどが、人からの貰い物であったが……。

『帝国西部 最優秀冒険者様へ』『魔物の氾濫を食い止めた功績を賞して』などなど。

「ふぅ、ちょっとお休みでしゅ……」

 魔力はあっても4歳児。遊んで食べると眠くなる。
 頑張れば起きていられるが、今日はもうさほどの用事がないので、起きている意味もない。

「おやすみでしゅー」

 ライラはモーニャを抱えたままソファーに倒れ込むと、すやすやとお昼寝タイムに入った。
 ふわっふわのモーニャは抱き枕にぴったりで、その胸元に頭を埋めるとすぐに眠気がやってくる。

「……ふにゅ」

 すやすや……。
 これがライラという異世界へ転生した幼女の日課であった。
 ぺしぺし。ライラの頬をモーニャが軽く叩く。

「主様、そろそろ起きましょうよ〜」
「ふぁ……もうお昼でしゅか?」
「もう午後です。ギガントボアを売りにいくのでしょう?」

 さすがにお肉は美味しくてもモーニャ的には家の前に置きっぱなしは嫌なようだ。

「そうでしゅね。狼とか来ても嫌でしゅし」

 モーニャがびくびくっとなる。
  普通の狼には負けないだろうに、モーニャは犬系統が怖いらしかった。

 ということで顔を洗って着替えて、家からごそごそと売りに出すものを見繕う。
 そんな中、ひとつの品物を手に取ってライラは悩んでいた。

 さきほど使った爆裂薬――の失敗作である。

「……うーん」
「売っちゃっていいんじゃないですか。威力は成功品の数十分の一ですけれど、欲しい人はたくさんいるでしょうし」
「そうでしゅね。あたちの魔法薬は世界を変える危険がありましゅけれど……失敗作なら別にいいでしゅ」

 この魔法薬を作り始めて以来、ライラは自分にひとつの決まりを設けていた。

 それは攻撃系の魔法薬はむやみに売らないこと。
 というのも、ライラの魔法薬はこの世界で規格外の威力だからだ。

 初めは気が付かなかったのだが、どうも強すぎる魔力のおかげでそうなってしまったらしい。
 回復系のポーションはいいとしても、爆裂薬は悪用されればテロに使われてしまう。

(さすがにそれはマズいでしゅからね。あたちのせいでこの世界がめちゃくちゃになるのは望まないでしゅ)

 自分が好きなことをできる生活でライラは十分満足していた。
 そもそも4歳にこの世界のことがどうこうできるとも思えなかったが……しかしこのバランス感覚を無くしてはいけないとライラは考えていた。

「数十分の一の威力だから、倒せるのはすごーく弱い魔物でしゅね」

 人間なら致命傷にはならないだろう、多分。

「ギガントボアは倒せないでしゅ」
「そ、そうでした……」

 モーニャがぶるっと震える。そんな怖がりのモーニャをライラがふにふにと撫でる。

「モーニャはあたちが守るから大丈夫でしゅ」
「主様ーー!!」

 もふもふ。ライラは一通りモーニャを堪能すると、荷造りを再開した。

 どでかいバックパックに売る物を詰め込む。
 後ろから見るとライラの上半身が見えなくなるくらいのバックパックだ。

 身体を流れる魔力のおかげでこれだけ大荷物でも平気だった。
 戸締りを確認し、ライラとモーニャは庭に出る。

「じゃ、行きましゅよ!」
「はーいです!」

 ライラがテレポート薬を取り出し、空へと放つ。
 向かう先はこの地方でもっとも大きな冒険者ギルドのあるところだ。
 虹色の光がライラとモーニャ、そして焼け焦げたギガントボアを包み込んだ。




「到着でしゅ!」

 テレポートした先は数十キロ離れたグルーガの街、その冒険者ギルドであった。
 ホテルのように品格あるフロント、ピカピカの床。

 ここに所属する冒険者にむさくるしい野蛮な人間はいない。
 洗練された人材しか受け入れないのだ。

 ライラたちはそんな冒険者ギルドのロビーのど真ん中にどーんと到着した。
 いきなりの出現に冒険者たちが飛び上がらんばかりに驚く。

「おあああ!? なんだぁ!?」
「ギガントボアじゃねーか! びっくりしたぁ!」

 ビビリあがる冒険者にモーニャが頭を下げる。

「すいませんすいません、お世話になりますぅー」
「失礼しましゅた。どうぞ、お気になさらずにでしゅ」

 とはいえ、グルーガの冒険者はライラには慣れてしまっていた。

「あ、ああ……ライラちゃんか……」
「またデカい魔物をしとめてきたなぁ」

 これ以上の混乱はなく、受付嬢のお姉さんがぴゅーっと飛んでくる。

「ライラちゃん! もしかして売り出しでしょうか!?」
「あい! ウチの森で今朝、しとめましゅた。買ってくだしゃい!」
「喜んで! ふむ、これは間違いなくギガントボアですね。これほど立派な成体は珍しいです。しかも内部にはさほどの傷もなく……」
「あとこれも売るでしゅ!」

 モーニャがバックパックを開けて、買い取り希望品をぽいぽいと外に出す。
 金色の水連、純粋な光苔、清らかな川のサファイアなどなど。

「まぁ、貴重な素材ばっかりですね!」
「貯め込んできましたでしゅ」
「いつもありがとうございます。全部、買い取らせてもらいますね! どうぞ査定が終わるまでこちらでお待ちください」

 案内されたのは冒険者ギルドの休憩所。

 上客であるライラ用の小さなベンチが置いてある。
 甘いジュースを渡されたライラは脚をぷらぷらさせながら、査定を待っていた。

 ヴェネト王国は冒険者が多く、簡単な魔法であれば誰でも使える魔法先進国だ。
 なので渡される飲み物も美味しくて安全で、休憩所も整って居心地がいい。

(他の国はけっこーヒドいでしゅからね)
 
 ヴェネト王国は総合して国は大きくないが、豊かだ。ライラの性には合っている。
 休憩所では大勢の冒険者が寛いでいた。食事中の者、うたた寝している者、武具の手入れをしている者……そしてお喋りをしている者。

「なぁ、聞いたか? 北のシニエスタンでまたS級魔物が出たらしい」
「最近多くないか?」

 シニエスタンはこのヴェネト王国の北端に位置する採掘都市だ。
 一年中ちょっと寒いヴェネト王国の中でも吹雪が多い。

「明らかに異常だな。噂ではバルダーク侯爵だけじゃなくて、国王陛下も出陣されたとか」
「魔術王様か……。それほどの事態とはなぁ」

 ごくごく。ライラはジュースを飲みながら聞き耳を立てていた。

 ヴェネト王国は元冒険者が建てた国だからか、冒険者の待遇も良い。
 そのために生きた情報がそこかしこに転がっている。

 シニエスタンは北の国境の街だ。
 付近からは良質の鉱石や素材が手に入れられるため王国としても放棄できない。
 さらには北に竜の国もある。閉鎖的で人族にはめったに関わってこないが……。

 ライラもシニエスタンには数回、行ったことがある。川魚と鹿肉が美味しかった。

(……これだから冒険者ギルドにはたまに来なくちゃ。いい情報を聞きました)

 国王アシュレイ、流麗な銀髪で絶大な魔力を誇る若き王だ。

 氷の魔術王と呼ばれたりしている。遠くから見たことはあるが、まさに天の使いかと思うほどの偉丈夫だ。
 しかし国民から熱狂的な支持がある反面、門閥貴族とは折り合いが良くないらしい。
 まぁ、才能も見た目も良い若者なんてご老人からしたら邪魔なだけだろう。

(こーいうのはどこも同じだもんなぁ……)

 モーニャがちょんちゃんとライラの肩を叩く。

「主様、まさかシニエスタンに行くんです?」
「もちろんでしゅ」

 S級魔物は危険度も桁違いな反面、賞金も大きい。
 討伐できる冒険者にとっては稼ぎ時ともいえる。

「しかも国王様もいるんでしゅからね」
「貴族に仕えるのは嫌って言ってませんでした?」
「今のあたちを雇う貴族がいたら、それはそれでヤバいと思いましゅけど……でもコネは欲しいでしゅ。理想は金は出してくれて口は出さないスポンサーがいればベストでしゅよ」
「コ、コネ……」

 モーニャが白いもふもふ手をこねこねする。

「ここらで王様に顔を売るのも悪くないでしゅ。魔物も倒して地域社会にも貢献でしゅし!」
「まぁ……主様がきちんとお考えなら」
「奥歯に物が挟まった言い方でしゅね」
「あそこは寒いから行きたくないのです」
「……」

 モーニャは寒がりであった。




 冒険者ギルドで買い取りをしてもらい、金貨50枚をゲットした。
 金貨一枚が地球換算で10万円くらいの価値なので、これで500万円ほど。
 この世界の田舎なら余裕で1年以上生きていける。

「ふっふーん♪」

 ライラはそのお金で素材を買う。
 今、力を入れているのは身体改造系の魔法薬の研究だ。

 大人になったとき、自分が苦しまずに済むように……である。
 もちろん大量生産ができれば荒稼ぎもできるだろう。

 ついでに寒いシニエスタンのため、もこもこのガウンやらの防寒用具も買って、と。
 金貨があっという間に半分以下になり――ライラは意気揚々と買い物コーナーを後にした。

 フード付きの厚着にモーニャも挟まり、準備完了。ライラは再びテレポート薬を手に取る。

「シニエスタンにレッツゴーでしゅ!」
「はふ、吹雪でないといいですねぇ」
「じゃあ皆様、またでしゅ!」

 冒険者ギルドの知り合いに手を振り、ライラは北へとテレポートしていった。
 そして虹色の光を抜けて、ふたりがぽむっと着地したのは……無人の氷原であった。

 叩きつけるように雪が吹き荒れる。視界は雪に遮られ、ろくに先も見えない。
 街中にテレポートしたのに、見渡す限り誰もいなかった。

「……あれれ? おかしいでしゅ」

 半年ほど前にシニエスタンにテレポートした時には、確かに冒険者ギルドへ到着できていたはずなのに。モーニャが首を左右に振り回す。

「主様、ここは……シニエスタンの冒険者ギルドじゃないですよね」
「でしゅね。マーキングがズレるなんて、そんな例はなかったでしゅから……冒険者ギルド、移転したみたいでしゅ」
「ギルドどころか、街自体がないですよ!」

 モーニャの叫びにライラが腕を組んで考える。

「シニエスタンがなくなったはずはないでしゅ。きっとちょっとした区画整理でしゅよ」
「あ」

 首を振り振りしていたモーニャが右を向いたまま、固まる。
 ライラはそれに気付かずに思考を進めていた。

「まぁ、あたちの魔力があれば数十キロの移動も楽勝でしゅが。でも視界が悪いでしゅから、テレポートで出戻りもありでしゅね」

 マイペースなライラの首をモーニャが引っ張る。

「主様、あれ!」
「なんでしゅか! むっ……!」

 思考を引き戻されたライラがモーニャを差す方を向くと、吹雪の向こうに一際巨大な影が動いていた。

 四つ足で転がる大岩のごとき魔物。体長は10メートル近い。ゾウ並みの巨体だ。
 さらに特徴的な大きく広がった角が吹雪の切れ目からわずかに見える。

「あれは氷河ヘラジカでしゅね」

 その名の通り、氷に閉ざされた地でしか見られないS級魔物だ。
 あの巨体で目についたものを角と脚で壊してしまう。

 しかも群れで行動し、暴れたら街ごとなくなることも……。
 しかし雪原にいたのは氷河ヘラジカだけではなかった。
 なんだか人影が氷河ヘラジカの前に見える。

「こっちに向かってきてません!?」
「あや。追われてるんでしゅかね」

 ライラが目を細めると、軍装をした女性兵士が必死になって走っている。
 どう見ても追われていた。

 ライラの見たところ、女性兵士に魔力は感じるが氷河ヘラジカには遠く及ばない。
 このままだと踏み潰されて雪原の真っ赤な花になりそうだ。

「雪で見えなくて、魔物に近付きすぎたんでしゅかね。運がないでしゅ」
「ちょっと! 助けないと!」
「わかってましゅよ。でも、まだ射程外……」
「こ、こども!? どうしてこんなところに――」

 女性兵士がライラに気付いて驚愕している。
 こんな極寒の地に4歳児がいたら、そういう反応にもなるだろう。

「もうちょい、こっちに……」

 ライラは冷静に氷河ヘラジカとの距離を読んでいた。
 バックパックの横に挟んだ小瓶を取り出し、構える。

 もう少し、もう少しだけ引き寄せてもらって……。
 女性兵士が叫ぶのとライラが小瓶を投げるのは同時だった。

「逃げなさい――」
「伏せてくだしゃい!」
「えっ?」

 魔力で強化されたライラがフルスイングで小瓶を投げる。
 小瓶は女性兵士を飛び越え、氷河ヘラジカに当たり――ドゴォッと猛烈な爆発が起きた。

 紅い閃光が巻き起こり、十字架に似た軌跡を打ち出す。
 一瞬の後に高熱と衝撃波が氷河ヘラジカを包んでいた。

「ぐもー!!」
「な、なんですかぁ!?」

 すんでの所で伏せた女性兵士が叫ぶ。
 これも爆裂薬の一種だが、範囲は狭い代わりに破壊力は増大している。

 S級魔物でさえ、一撃だった。残されたのはいい具合に焼けた氷河ヘラジカ。
 ぷすぷすと煙を上げて、完全に事切れている。

「なっ、氷河ヘラジカが……」
「んふー、怪我はありませんでしゅか?」

 女性兵士に近寄ったライラが声をかける。
 巨大なバックパックを背負った幼女。

 明らかに怪しい……が、ライラがいなければ激怒した氷河ヘラジカに踏み潰されていたかもしれない。

「あ、ありがとうございます。助かりました!」

 女性兵士がぺこりと礼儀正しく頭を下げる。

 さらりとした金髪に真面目で凛々しい顔立ち。
 それに防寒具のコートもかなりの高級品、勲章も付いている。
 ライラは女性をそれなりの位の軍人だと判断した。

「おっと、すみません! 自己紹介をしなくては……私、近衛騎士のシェリー・メイカと申します!」

(おおう、大層な家柄でしゅた!)

 メイカ家はヴェネト王国では新しめの伯爵家だったはず。
 ちゃんと主だった貴族の名前はリサーチ済みのライラである。

「あたちはライラでしゅ!」
「モーニャですぅー」
「ライラちゃんにモーニャちゃん――もしかして、南方で大活躍の冒険者さんですか? 森の魔女との異名を持つ?」

 シェリーが目を輝かせ、尊敬の眼差しを送る。こうした視線にライラは弱かった。

「そうでしゅ、あたちが今大絶賛売り出し中の冒険者のライラでしゅ!」
「おおっ! やはり!」

 一通り、いい気になった後にライラはシェリーに問いかける。

「で、シェリーはどうして氷河ヘラジカに追われていたんでしゅ? 他の人もいないようでしゅけど。まさかお仲間しゃんはぺちゃんこに?」
「ひぃ」

 モーニャが震えるが、シェリーはぶんぶんと首と手を振った。

「いえいえ! 私は斥候で単独行動をしていたんです。氷河ヘラジカの群れを偵察していたんですが、運悪く群れの斥候と鉢合わせで……」
「ありゃりゃ」
「追われる前に信号弾を発射しているので、救援が来るはずです。合流しましょう。お礼もしたいですし」
「そうでしゅね、ここには何もないでしゅ」

 情けは人の為ならず。自分に返ってくるものだ。

 と、そこで背筋がぞわりとした。強大な魔力の持ち主が近付いてくる。
 気配がしたのは、空から。

 ライラが思い切り首を持ち上げ、猛吹雪を見つめる。
 シェリーが慌てた声を出した。

「あ、あれは……!!」

 一筋の銀光が流れ星のように吹雪を切り裂く。飛行魔法だろうか。
 空を飛ぶ魔法は非常にセンスが必要で、ライラも安定しない。

 どうしてもこの4歳児のボディだとまだ難しいのだ。
 それをこんな吹雪の中で飛んでくるとは――大した魔術師だった。

「こっちに来ますね、主様」
「でしゅね。偉い人かもですから、きりっとしましゅよ」

 銀の流星はライラたちの元にどんどん近付く。
 そして、雪を舞い上げながら一人の男が着地した。

 放っていた魔力と同じ色の銀髪。
 鋭い眼光に彫りの深い顔……非現実的なまでの美貌で、街中にいたら振り返ってしまうだろう。

 背も非常に高い上に手足も長い。身長180センチは超えているだろうか。
 ここまで均整の取れた肢体を近くで見たことがなかった。

(前に見た時は遠くからだったけど……とんでもない美形でしゅね)

 まぁ、こんな4歳児など恋愛対象外だろうが。ライラも精神的にはそこそこの年齢だ。
 彼こそが氷の魔術王アシュレイ――このヴェネト王国の主である。
「陛下! 御自らここに!?」
「救援ならこのほうが身軽だ。ふむ……その必要はなかったようだが」
「はい! あたちが助けましゅた!」

 ライラが手を上げるとアシュレイがライラと氷河ヘラジカを交互に見つめる。

「空から見たが、あの魔力の爆発は君が起こしたのか?」
「でしゅ!」

 ライラがどーんと胸を張る。

「氷河ヘラジカはS級だぞ。魔力耐性も高く、普通の魔法で倒せる魔物ではないが」
「それが倒せちゃうんでしゅ!」
「は、はい……私もこの目で確かに見ました! このライラちゃんのおかげです!」

 シェリーがライラのそばに屈み、手を添える。
 保護者と幼稚園児みたいな構図だった。

「……疑ってはいない。そばにいれば潜在魔力の強さは桁外れなのがわかる。改めて我が兵の命を救った礼を言おう、俺はアシュレイ・ヴェネトだ」
「ライラでしゅ!」
「モーニャですー! あっ! 敬語のほうが良かったです!?」
「いや、宮廷内でもないゆえ無礼講だ」

 しかもレッサーパンダだしな、とアシュレイは心の中で付け足した。

「いい人でしゅね、モーニャ」
「よかったですぅー。見た目も高貴ですけど、内面もまた素晴らしいのですね!」

 アシュレイがじーっとモーニャを見つめた。

「従魔か、これは……?」

 アシュレイはライラのそばに歩み寄る。
 上半身だけをコートから出したモーニャに、アシュレイは興味津々だった。

「驚いた。常時の実体化のみならず独立した知性まであるのか」
「そんなにみ、見ないでください〜」
「……従魔については詳しくないのですが、それほど凄いことなのでしょうか?」
「世界で数人もおるまい。S級魔物の討伐より、こちらのほうが信じがたい……」
「もっと褒めてもいいんでしゅよ」
「どこでこんな魔法を手に入れた?」
「秘密でしゅ!」
「親は?」
「わかりましぇん!」
「……なぜこんな無人の氷原に?」
「あたちが聞きたいくらいでしゅ!」
「実はですね、最寄りの街からテレポートで――」

 モーニャがかいつまんで説明するとアシュレイがふむふむと頷く。

「なるほどな、マーキング式のテレポートか。従魔ほどではないが、そうした高度な魔法も使えるんだな」
「驚かないのでしゅね?」
「俺も使える」
「さすがでしゅね」
「こほん……街は防衛上の理由で、数キロ区画整理した。なので冒険者ギルドはあちらの方角だな」

 アシュレイの指先が東を示す。
 まるで見えないが、あちらの方角にシニエスタンの街があるらしい。

「だが、氷河ヘラジカの討伐に来たのだろう? それなら本営に案内する」
「いいんでしゅか?」

 王侯貴族が一介の冒険者の手を借りたい、というのは面子上、あまりない。
 しかしアシュレイの目は静かであるが闘志が奥底で揺らめいていた。

「今は緊急事態だ。戦力は一人でも欲しい。……しかるべき報酬も出そう」
「おおっ! 太っ腹でしゅね! それならもちろん、参戦しましゅ」
「現金だな」
「何か言いましゅたか?」
「いや、俺もライラも実利主義者ということだ」

 確かに、とライラは思った。

 初対面でありながらアシュレイには貴族らしい傲慢さがない。
 ぽんぽん物を言えてしまう。

 そしてアシュレイもそれを許容している。
 シェリーがはらはらしているほどに……。

 でもこのぐらいのほうがライラにとっては、ずっと楽である。
 報酬も出るなら、断る理由は何もなかった。




 アシュレイのテレポート魔術によって、ライラたちは雪原に築かれた軍営に案内されていた。

 慌ただしく兵が動き、急ごしらえのレンガ造りの部屋を行き交う。
 華美なところは一切ない。

 アシュレイの後を歩くライラが、何気なく壁をぽこぽこ叩く。
 軽い音が鳴って、頑丈な気配はしなかった。

「これは魔法でしゅね」
「まぁ、緊急の建物だからな」

 こうしたところにもアシュレイの主義が出ている、とライラは感じた。
 案内されたのは飾り気のない会議室だ。暖炉はあるのでそこそこ暖かい。

「で、あたちはどーすればいいんでしゅか?」
「実は今、氷河ヘラジカを一箇所に誘導している。作戦は最終段階だ」
「氷河ヘラジカ、何体くらいいるんでしょうか?」
「群れひとつに10から20体。群れが6つほど。合計80体ちょっとだ」

 その数にモーニャがのけぞった。

「げぇー! ヤバすぎません!?」
「下手すると地方ひとつ、無人になりそうでしゅね」
「シニエスタンだけではない。ここは国境だが、近隣諸国にも被害が出る」
「他の国は手助けしてくれないんでしゅか?」
「紅竜王国を除いては、資金面で援助はあった。紅竜王国にも連絡はしたが、何の応答もない。協力すればお互いに利があるはずだが……」

 大陸北端にいる紅竜王国は排他的だ。
 知性ある竜の国であること以外、ほとんど知られていない。

「冒険者と共同作業で氷河ヘラジカは集め、あとは大火力をぶつけるだけではある」

 シェリーが縮こまっている。
 多分、その誘導がうまくいかなくて彼女は氷河ヘラジカに襲われたのだろう。

「なるほどでしゅね! それならいいのがありましゅよ!」
「ふむ、そうか……。心強いな。早速、誘導場所に連れて行こう」

 会議室から連れて行かれたのは、軍営の裏手だった。

 そこは切り立った峡谷になっているうえ、行き止まりになっている。追い込むにはいい場所だ。
 場所も広く、何百頭もの氷河ヘラジカを閉じ込めることができそうだった。

 しかしライラの記憶上、こんな峡谷はシニエスタンの近くにはないはず。
 ライラが小首を可愛らしく傾げた。

「シニエスタンにこんな峡谷ありまちたっけ?」
「ない。俺が魔法で作った」
「ひぇー! さすがは魔術王様ですぅ!」

 モーニャが感心する。ライラもこれには驚いた。

「中々やりましゅね……!」
「まぁ、しかし群れを集めて仕留めきれるのか……という懸念は残る。氷河ヘラジカは魔法にも物理にも強い。この峡谷を切り崩しても耐えるだろう」
「手はありましゅよ」
「ほう……」

 アシュレイが屈んだので、ライラがこしょこしょと小声で『作戦』を伝える。
 その作戦にアシュレイが眉をひそめた。

「……手段は問わないが、それで大丈夫なのか?」
「任せてくだしゃい!」
「ど、どんな手なのですか?」

 シェリーがこわごわと尋ねる。
 そこでライラはちっちっと指を振った。

「それは見てのお楽しみでしゅ!」
「プランとしては悪くない。手配しよう。シェリー、ロイドを呼んできてくれ」

 その言葉にモーニャが瞳を輝かせた。

「ロイド! もしかして赤髪のロイドさんですか!?」
「モーニャ、なんだかうっとりしてましゅね」
「知らないんですか、主様。最高位のダイヤ級冒険者ですよ! この辺りの諸国では最強とも言われる方です!」
「名前くらいはうっすらと聞いたことがあるかもでしゅ」

 魔法薬オタクのライラは金やグルメ、魔法薬に直結しないことには興味が薄い。
 同業者のことはモーニャのほうがわかっている有り様だった。

「ロイドは放浪の冒険者だが、最近はヴェネト王国を本拠地にしてくれている。多少、口下手だが……非常に有能で信頼できる男だ」
「ふぅん、評価しているんでしゅね」

 アシュレイは門閥貴族と折り合いが悪いという。
 その意味でも冒険者は都合が良いのだろう。

「4歳児よりは世間的にも重用できる」
「けほっ、反論のしようもないでしゅ」

 少しして峡谷に赤髪の青年が訪れた。
 大剣を背負い、精悍な顔立ちの冒険者だ。

「……この人でしゅね」

 身体の奥底に眠る魔力は隠しようがない。
 ライラやアシュレイほどではないが、常人を遥かに超える力があるのは一目でわかった。

「待たせました……」

 穏やかそうな雰囲気とは裏腹に、体格は戦士そのもの。
 S級魔物と戦うというのに気負いもない。アシュレイがロイドを手で指し示す。

「紹介しよう。冒険者のロイドだ」
「…………」

 ぺこりと頭を下げただけでロイドはちょっと身を引いた。

「はぁ、やはり歴戦の冒険者って感じですねぇ」
「人見知りなだけじゃないでしゅ?」
「で、こちらのちびっこが冒険者のライラと従魔のモーニャだ。こう見えてもかなりの魔力があるが、知っているか?」
「……彼女の名前を知らない冒険者などいないよ。なるほど、君がそうなんだね」

 ロイドがすっと屈む。屈んでもロイドとは微妙に目線が合わない。
 ロイドの筋骨ががっしりしすぎているからか。

 ロイドの瞳からは静かな闘志が見える。
 朴訥としていながらも、信頼できそうだった。

 同時に探りを入れられているとライラは感じ取った。見られている。

(やっぱり並みの冒険者ではなさそーでしゅね)

「覚悟はできている?」
「あい! 頑張りましゅ!」
「……いい目だね。作戦は?」

 立ち上がったロイドがアシュレイに問う。

「予定通りだ。冒険者は総出でこの峡谷に氷河ヘラジカを追い立ててくれ」
「その後は……?」
「俺と――」
「あたちがやりましゅ!」

 ライラが元気良く手を振り上げる。
 普通なら4歳児のそんな言葉など、信用しないだろう。

 だが、ロイドも知っている。驚異の新星、奇跡のちびっこ、森の魔女、破壊の幼女――ライラの様々な異名を。疑う余地などない。

 ロイドが頷き、歩き出す。
 その足取りは確固たる目標に向かってのモノだった。
「冒険者に二言はないよ。配置につく」




 それから数時間。
 アシュレイが指揮を取る隣でライラは待ち続けた。
 ゆっくりと本営の緊張が高まっていくのが伝わってくる。

「はふー、大丈夫ですかねぇ」

 焦ってくるモーニャの頭をライラが撫でる。
 伝令から報告を受け取ったアシュレイがライラに向き直った。

「氷河ヘラジカの群れは順調にこちらへ向かっている。もうまもなく、見えるはずだ」
「はいでしゅ」
「……氷河ヘラジカがこれほど集中するというのは、初めてだ」
「そーなんでしゅか?」
「氷河ヘラジカは気性が荒い。仲間内にもだ。それゆえ数十頭も一気に動くのはめったにない」

 モーニャがふむふむと頷く。

「へぇー、じゃあ完全な不運ですねぇ」

 その言葉にライラは押し黙った。

(偶然というのもありましゅが、そうじゃないとすると……)

 魔物が暴れる要因は多々ある。
 自然現象によるものもあるが、人間のせいということもある。

 朝方、ライラたちがギガントボアに襲われたように。
 シェリーが追われたように。

 ライラの回る思考をアシュレイが優しく遮る。

「まぁ……原因は解明したいが、まずは目の前の討伐だ」

 その言葉が終わる頃には、雪を叩きつけるような地響きが轟いてきていた。
 80体もの氷河ヘラジカが走れば、大地をも揺らす。

「来ましゅたね」
「ああ、こちらも魔法隊は用意しているが……」
「まずはあたちがやってみるでしゅよ!」

 徐々に地響きが大きくなり、震源が接近してくる。
 ロイドたちは役割を果たしたようだ。

 猛烈に雪を撒き散らしながら、氷河ヘラジカの一団が峡谷に姿を見せる。

 角を振りかざしながら突進する氷河ヘラジカにヴェネト王国の兵士が戦慄した。
 あの一頭でも生き残れば、並みの兵士では敵わないのだから無理もない。

「……そろそろだな」

 アシュレイがライラと兵に目配せをする。
 氷河ヘラジカが峡谷を走り――行き止まりに到達する寸前、アシュレイが腕を振り上げた。

「ライラ、攻撃開始だ」
「はーいでしゅ!」

 モーニャがライラのバックパックから大きめの瓶を取り出した。
 ライラが純色の緑に満たされた瓶を掲げ、狙いを定める。

 その瓶に内包された膨大な魔力は、魔法使い以外にも感じ取れるほどだった。
 大きく振りかぶったライラが全身の筋肉と魔力を総動員し、氷河ヘラジカの群れへ純緑の瓶を投げる。

「とーう!!」

 モーニャの風の魔力がプラスされ、瓶は華麗な放物線を描いて飛んでいく。
 峡谷の最奥部、氷河ヘラジカの中央に瓶が吸い込まれ――魔力に満ちた緑色の雲が、群れの中に出現した。

「ぶもー!!」
「ナイスシュートでしゅ!」

 ライラがガッツポーズを決める。
 緑色の雲は氷河ヘラジカを飲み込んでいく。

「よし、風魔術で雲を封じ込めろ」

 アシュレイの号令が発せられると、峡谷上の魔術師が風を巻き起こす。
 強風は峡谷の上から下へと吹き付け、毒色の雲を押し付ける。
 氷河ヘラジカの怒声と足音がすぐに小さくなっていった。

「ふむ、効果が出ているな」
「あたちが丹精込めて作った麻痺毒でしゅよ。効果はバツグンに決まってましゅ」

 ライラが放り投げたのは、動物用の麻痺毒だった。
 緑色の雲が広がり、これを吸い込んだ魔物を眠るように麻痺させるのだ。

「状態異常を引き起こす毒は確かにあるが、これほど強力な毒――どういう風に作用しているんだ?」
「ほら、魔物には核があるでしゅよね? それを麻痺させているんでしゅ」
「明らかにヤバそうな毒だが、人間には大丈夫なのか?」
「雲が消えれば。水にも溶けて環境にもクリーンでしゅ」

 麻痺毒の雲は実際、水に溶けて十分ほど経つと効果が劇的に弱まる。
 この峡谷なら雪に吸収され、もう無毒化しているはずだった。

「……その言い方はどうかと思うが。にしても、これほど効くものか……」
「ちょっと効きすぎかもでしゅね。まー、そういうこともあるでしゅ!」

 ライラもその点はちょっと不思議であった。
 想定よりも群れが早く沈黙している。毒の周りが早い。

「群れによって毒の耐性が違うかもでしゅ」
「かもな。あとはお前が凄すぎるかだ」

 絶大な魔力と超精密な調合力がないと、こうも上手く働きはしないはずだ。

 眼下の氷河ヘラジカはほとんど沈黙した。
 暴風のごとき群れが峡谷で静かになっている。麻痺毒が完全に回ったのだろう。

 その様子にヴェネト王国の兵から歓声が上がった。

「やったぜ! これなら簡単に討伐できる!」
「しかも無傷でな!」
「あのちびっこのおかげだ!」
「ちびっこ万歳ーー!!」

 氷河ヘラジカの群れが完全沈黙したのを受けて、アシュレイが号令を下す。

「よし、総員! 攻撃開始だ!」
 峡谷の入口にいた冒険者も動員し、氷河ヘラジカへの徹底的な攻撃が行われる。
 魔力が七色になって爆ぜ、魔物の群れを打ち倒す。

 もちろん、その中で最強の魔力を持っていたのはアシュレイだった。
 巨大な氷塊を操り、群れへと叩きつける。

「しゃすが、おーさまでしゅ。強いでしゅね」
「近衛の皆さんも強いですねぇー」

 用意された椅子の上で足をぷらぷらさせながら、ホットミルクをぐびぐび。
 すっかり観戦モードのライラとモーニャであった。

「陛下、楽しそうですね?」

 モーニャがこそこそとライラに耳打ちする。
 ちらり。アシュレイは全身から魔力を張り巡らせ、魔法を解き放っている。

 ありったけの魔力を魔物討伐に振るっていた。今度は爆炎の魔法だ。
 地上で花火のような炎が広がり、群れを押し包む。

 さっきまでのクールな雰囲気はまるでなく、バーサーカーみたいだ。

「こういうのが好きなんでしゅよ、きっと」
「陛下がですか?」
「じゃなきゃ、最前線に来たりしましぇん」
「それもそうですねぇー」
「ま、兵は頼もしいでしゅよ。魔物相手に引きこもる王様に従いたくはないでしゅからね」

 ライラはずずずーっとホットミルクを飲む。

 それよりも気になっていることがライラにはあった。
 アシュレイが指摘した通り、毒の効果が強すぎるように感じる。

 この麻痺雲はライラ自信の一作だ。自分で調合したのでよくわかる。

(なーんででしゅかねぇ……)

 大気に満ちるアシュレイの魔力とその残滓は渓谷に残っていたと思う。
 それらがライラ自身の魔力と何らかの相互作用を引き起こした……というのは考えられるだろうか。

「モーニャ、妙なことを聞くんでしゅけど」
「あーい?」
「あたちと王様の魔力って似てましゅ?」
「んー? んー……」

 モーニャがたぷたぷの頬をライラに向け、ヒゲをぴくぴくと動かした。

「……そうかもですね。なんででしょう?」
「それは――」

 ライラが言葉を続けようとした、その時。
 アシュレイの高揚した声が聞こえてくる。

「氷河ヘラジカの討伐を確認した! 作戦は成功だ!」

 同時に割れんばかりの大歓声が峡谷を揺らす。

「終わったみたいですねぇ」
「でしゅね!」

 ライラが椅子からぱっと飛び下りた。
 アシュレイも息を整え、ライラを振り返る。

「よし、下に向かうぞ」
「あーい」

 ライラたちは峡谷の下へと向かった。
 そこにはロイドを初めとする冒険者たちも勝鬨を上げている。

「群れを倒したぞー!」
「終わったぜぇー!!」
「やったぁーー!!」

 冒険者が兵士と肩を抱き合い、お互いに労っていた。

 この作戦はヴェネト王国の兵と冒険者の協力によって成功したのだと、両者がわかっているのだ。
 一団の中からロイドが進み出てくる。

「……勝ったね」
「感謝する。怪我人は出たが死者はなし――完璧と言っていい形で群れを討伐できた」
「ふふん、あたちの魔法薬でしゅからね」
「少しえげつないかも知れないがな」
「えげつない!? こーりつてきと言ってくだしゃい!」

 ロイドはさすがに疲れてそうだ。

「末恐ろしい子だ……」

 言葉も少ない。アシュレイはライラとロイドに向き直る。

「ふっ、確かに……この上なく、効率的ではある。さて、これから氷河ヘラジカを解体するが……どうする?」
「おおっ! そうでしゅね……」

 S級魔物の氷河ヘラジカは様々な素材に変わってくれる。

 角や骨は高値で売れ、魔法薬の素材にもぴったりだ。
 魔物の死体は放っておくと大地に還る。その前に処置をしないと無駄になってしまう。

「今回の討伐は冒険者あってのもの。優先的に素材は譲ろう」
「王様、太っ腹ー!!」
「そうこなくっちゃっ!」

 大盛り上がりの冒険者たち。これぞまさに特別ボーナスというやつだろう。

「人心掌握が上手いですねぇ」
「兵の魔力と体力がもうないだけじゃないでしゅかね」

 アシュレイの兵は魔術で疲労していた。これだけの氷河ヘラジカを優先的に解体するのは無理だろう。
 それなら冒険者に譲ったほうがお得というものだ。

「はぁー、ちゃかりしてますねぇ」

 そこにアシュレイの言葉が降ってくる。

「ライラ、君ももちろん対象だ。氷河ヘラジカで好きな部位を持っていくといい」
「そうでしゅね……んむ、あたちはお腹ちゅきましゅた。まずは食べましゅ」
「は?」

 アシュレイが動きを止める。

 魔物の肉には毒がある。なので食べることはできない。
 それが常識だった。周囲の兵士もライラの言葉に慌てる。

「いやいや、ちびっこちゃん! 魔物は食べられないよ!」
「そうだよ! お腹を壊して何日も寝込んじまうぜ!」

 ロイドもライラを疑いの目で見ていた。

「……食べても大丈夫なものなの?」
「ふっふーん、甘く見ないでくだしゃい! あたちにはコレがあるんでしゅから!」

 ライラはバックパックから紫色の魔法薬を取り出した。
 さきほどギガントボアにも使った代物だ。

「これをかければ魔物も保存できて、しかも肉から毒がなくなるんでしゅよ!」
「本当か……?」
「試してあげるでしゅ! モーニャ、形の残ってる氷河ヘラジカにかけてきてくだしゃい!」
「はいですぅー」

 魔法薬の瓶をいくつも持ったモーニャが空を飛び、ぱっぱと液体をかけていく。

「カットもよろしくでしゅ」
「はいはーい。これなんかイイ焼け具合かも」

 モーニャがいい感じに燃えた氷河ヘラジカの肉体を風の魔法で切り分ける。

 ふたりのあまりに手慣れた動きに誰もツッコめない。
 見守るしかないアシュレイにライラがお願いをする。

「おーしゃま、皆にお皿とナイフとか配ってくれましぇん?」
「あ、ああ……」

 謎の自信に満ちたライラ。
 その圧に押されるがまま、アシュレイはシェリーに命じて食事セットを配るように伝える。

 すぐに皿もナイフも来て、その上にモーニャが氷河ヘラジカのステーキ肉をよそっていく。
 皿の上に鎮座した肉に、冒険者も兵士も不安げだ。

「なぁ……本当に食べられるのか?」
「俺、見たことあるぜ。魔物の肉を食って口がただれたやつ……」
「食べてすぐ分かるんだよな?」

 皆がライラを見つめる中、当のライラはご機嫌だった。

「さぁ、これで行き渡りましゅたね? 遠慮はむよーでしゅ! いただきましゅですー!」
「わーい!」

 喜んでいるのはライラとモーニャだけ。

 皿の上に乗る氷河ヘラジカの肉は霜降り、しかもレアだった。
 肉質はぷるんとして柔らかい。
 火自体はそこそこ通っている、ステーキとしての完成度も高そうだ。

「……皆、食べないでしゅね。まぁ、いいでしゅ。じゃあ、あたちから――」

 あーんと大きく口を開けて、ライラが氷河ヘラジカのステーキを頬張る。

「んー!」

 脂の甘味と肉の芳醇さがすぐにライラを直撃する。

 ギガントボアの肉よりも筋が少なく、歯で容易に噛み切れた。
 モーニャも頬一杯に肉を詰め込み、味わっている。

「はぁ〜、おいひいでふぅ〜!」
「焼き加減と脂のおかげで、とってもおいしいでしゅね!」

 びっとライラがアシュレイに親指を立てる。

「本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫でしゅー、それよりも冷たくなっちゃうでしゅよ」
「……ふむ、そうだな」

 アシュレイがステーキを食べようとすると、シェリーがそれを制した。

「お、お待ちを! 陛下の前にわ、わたしくしめが安全を確かめて……!!」
「膝ががくがくしてるでしゅ」
「そ、そんなことは……」
「ふっ、無理をするな。問題はなかろう。確かに魔力の質が少し変わっている……多分、大丈夫だ」
「絶対大丈夫でしゅ」
「信じよう」

 アシュレイが優雅な手つきでナイフを振るう。
 ワイルドなライラとは対照的だった。

 兵や冒険者の注目を浴びながら、アシュレイは淀みなくステーキを口にする。
 もにゅもにゅ。しっかり噛んで味わっているようだった。

「……おお、なるほど。これは美味だな。肉と脂のバランスが良い」
「そうでしゅよね!」
「陛下、大丈夫なので……?」
「まず絶品といっていい。驚いた。宮廷料理に勝るとも劣らない」

 アシュレイの評価に触発され、兵と冒険者がおそるおそるナイフを動かす。
 次に食べたのはロイドとシェリーだった。

「……うまいな」
「わぁ、思っていた以上の味ですねっ! とってもジューシー!」
「ふっふーん、どうでしゅか」
「恐れ入った。しかしよく、魔物の肉を食べようと思ったな」
「むしろ食べようとしないのが不思議でしゅ」
「……やはり変わった子だ」

 話しながらもアシュレイは止まることなく食べ続けている。
 他の人も段々と食べ始め――。

「う、うめぇ! 魔物の肉ってこんなにうまかったのか!?」
「こんな上等の肉、食べたことない!」

 味に魅了された人達がガツガツとステーキを食べまくる。
 お腹を膨らませたモーニャが風魔法を振るい、さらにステーキを切り分けた。

「はいはーい。おかわりはありますよー。欲しいひとー?」
「こっちにくれー!」
「俺も俺も! これならまだまだ食べられる!」
「大好評でしゅねー」

 どこからか酒やおつまみも出てきて、歌い出す人まで現れる。
 ステーキ食事会は宴会に変わっていった。

 戦いが終わり、肉があればどこでもそうなるだろう……これが祝宴だ。

 ライラはとりあえずアシュレイの隣で肉を食べまくっていた。
 もちろん秘伝の自作焼き肉タレをかけながら。すーっと身体に味が入ってくる。

「よく食べるな」
「育ち盛りでしゅので」
「ふむ……何歳だったか?」
「よんしゃいです!」
「4歳は育ち盛りというのか……?」

 首を傾げたアシュレイがじぃっとライラを見つめる。
 その瞳の奥はライラには読めなかった。

 しかし不思議と不快感はない。なぜだろうか、隣で食事をしていても負担に感じなかった。

 一介の冒険者と国王。身分は隔絶しているのに、居心地がいい。
 これはモーニャ以外には感じたことのないことだ。

(……どうしてでしゅかね)

 アシュレイがフォークを置く。

「立ち入ったことかもしれんが、親はどうしているんだ?」
「いましぇん。記憶もないでしゅ」
「……そうか。気を悪くしてしまったな」
「いいんでしゅ」

 その点について、ライラは本当に気にしていなかった。

 転生者でもある自分は、生まれた時から人とは違う。
 親がいないのは前世から慣れているし。

「だとしたら、そのライラという名前は――自分で名付けたのか? いい名前だな」
「違いましゅよ。これだけがあったんでしゅ」

 ライラはモーニャに目配せした。
 モーニャが雪原の上のバックパックから、一枚の布切れを取り出す。

 森に置き去りにされたライラ。
 唯一、そうなった経緯の手掛かりが名前の刺繍された布切れだ。
 これだけはいつどこでも持ち歩くようにしていた。

「……これは」
「あたし、生まれた時から森にいたんでしゅ。なぜだかは知らないでしゅけど。で、これだけが身体に巻き付いてて……へ?」

 アシュレイが布を凝視している。普通でないほどに。

「ど、どうしたんでしゅか?」

 布を見つめていたアシュレイがささやく。
 雪に溶けそうなほど、小さな声で。

「俺にも娘がいた」
「はい?」
「魔物の群れが妻と産まれたばかりの子の療養所を襲い、ふたりとも死んだ」

 ライラは戸惑った。何の話をしているか、さっぱりわからない。
 声の調子は変わらず、恐るべきクールさだった。

「……この布は妻の刺繍だ。間違いない」
「ええ〜〜っ!?」
「そ、それってどういうことですかぁ!?」

 ライラとモーニャがひっくり返らんばかりに大声を出した。

「この布と共にあった、ということは……お前は俺の娘だ」
「ひぇぇー!! ど、どーしましょう!! どーしましょったら、どーしましょう!」

 モーニャが慌てふためきながら右往左往する。

「……落ち着きなしゃい」

 ぺしっとライラがモーニャにチョップをかます。

「あたちより騒いでどーするんでしゅか」
「主様、冷静ですね!?」
「驚いてましゅよ。でも考えてなかったわけじゃないでしゅ」

 冒険者をしていれば、いつか家族に会えるかもとは思っていた。
 両親でなくとも祖父母や叔父叔母とか。

 自分がここにいるということは、どこかで自分を産んだ相手がいるということ。
 その痕跡が全く消えてしまうとは思ってなかった。

「4年でしゅからね。そんなに昔のことじゃないでしゅ」
「むむっ、さすが主様! クールでクレバー!」
「……ああ、そうだな」
「でもホントなんでしゅか? うっかり間違いじゃすまないでしゅよ」
「俺の妻、サーシャはこのヴェネト王国で珍しい黒髪だった。それに魔力の素質は遺伝する。俺とサーシャの子ならば、この桁違いの魔力も頷ける」

 黒髪、確かに珍しいとは思っていた。
 少なくともヴェネト王国では自分の他に見たことがない。

 妻の刺繍と黒髪。それに魔力。
 ライラにも他に親の心当たりがあるわけではなかった。

「へぇー、じゃあ決まりですねぇ!」
「そうでしゅね……」

 ごくりと息を呑む。状況証拠は揃っていた。
 今日はなんという日だろうか。

 軽い気持ちで魔物退治に来たはずなのに、まさか父親と再会するなんて。
 しかもその父親は、この国の王様だったのだ。

(で、どうしまひょう)

 アシュレイもライラも、感動の親子の再会という感じではない。
 身体は幼くてもライラの心は大人で、アシュレイもこーいう人間なのだ。

 会話が途切れ、なんとはなく気まずい沈黙が流れる。
 ライラも次に何を言ったら良いか、わからなかった。その流れを変えたのはアシュレイからだ。

「ところで、その黒いソースだが気になってしょうがない」
「……あい?」
「とてもいい匂いだ。分けてくれないか」

 不器用にもほどがある。これが親子の対話だろうか。でも仕方ない。

「いいでしゅよ」
「食べたら飛んじゃいますよぉ!」
「ほう、楽しみだ」

 アシュレイのステーキに、お手製焼き肉タレをかけるライラ。
 やれやれ、もっと違う会話の切り出し方があるだろうに――と思いながらも悪い気はしないライラであった。
 こうして祝宴は何時間も続いた。
 その頃には氷河ヘラジカの解体もかなり進んでおり――もっとも立派な個体は素材へと変わっていた。

 アシュレイとライラのいる場にロイドが素材を持ってやってくる。
 ロイドが持ってきたのは、氷河ヘラジカのデカい角の先端部分。
 ここに魔力が込められているのだ。
「……持ってきたよ」

 角の先端部分だけを集めた袋を渡され、ライラが顔を綻ばせる。

「ロイドしゃん! ありがとうでしゅ!」
「他に欲しいのはあるかな」
「えーと、そうでしゅね……あとは蹄でいいのがあると嬉しいでしゅ」
「それならもうある」
「なんと! やりましゅね!」

 ロイドがもう一つの大きな袋をライラのそばに置く。
 中身を確認したライラが頷くと、ロイドがわずかに眉を動かした。

「……どうかしたんでしゅか」
「追い込みで少し不覚をね。大丈夫。あとでポーションを飲むから」

 ロイドがライラたちに背を向ける。
 氷河ヘラジカとの戦いで傷を負ったということか。

 表情からは全然わからない。
 でも体力回復の魔法薬であるポーションを飲むなら大丈夫かとライラは思うことにした。

「お大事に〜」

 モーニャが声をかけると、ロイドは片手を上げて静かに去っていった。
 アシュレイが残された袋を覗き込む。

「それをどうする気だ」
「売りましゅ」
「主様、そんなことをしなくたって……主様は王女なんですよ――もごっ!」

 モーニャの口をライラが塞ぐ。幸い、近くに他の人はいなかったが。

「な、なにをするんですかっ」
「ぺらぺら喋ってはダメでしゅ、モーニャ」
「なぜだ。お前は俺の娘だ。俺がそう認めた」

 はぁーっとライラが息を吐く。

「それはいいでしゅけど、他の人がそう簡単に認めるとは思えないでしゅ」
「むっ……」

 さきほどからアシュレイとライラはこの親子の件について話し合っていた。

(この人が父親なのは……いいとして。問題はそれでどうするかでしゅけど)

「……王都にお前を王女として連れ帰る、それは嫌か」
「イヤじゃないでしゅ。でも、あたちは魔法薬作りはやめないでしゅよ」

 魔法薬作りはもうライラのライフワークなのだ。

 それがない生活は考えられない。
 それくらいライラは魔法薬作りが好きなのだ。

 もちろん、前世を若くして病死で終えた身として、備えておきたい面もあるが。

「今回の分け前もきちっと貰って換金するでしゅ」
「……ふむ。すぐに換金するのか」
「もちろんでしゅ。素材は放っておくと悪くなって、価値が下がりましゅからね」
「それなら俺も同行しよう」
「へっ?」
「おかしいか? 4歳の娘を一人で行かせるわけにもいくまい」
「……それはそうでしゅが」
「心配いらん。変装や気配変化の魔法やらを使えば、正体が露見することはない」
「…………」

 外見的には落ち着いて見えるが、どうやっても同行するという決意に満ちている。

「どうしましょ、モーニャ」
「うーん……断っても追ってきそうですよね? それならもう、最初から居てもらったほうが」
「でしゅね。尾行されても困りましゅ」

 そう決まるとアシュレイがシェリーを呼び、小声で色々と命令する。

「シェリー、ぎょっとしてましゅね」
「どこまで聞かせたのでしょう?」
「さすがにあたちのことは伏せてるはずでしゅ。この場で娘が見つかったなんて言ったら、とんでもないことになるでしゅよ」




 数十分後、用意が整ったライラたちはシニエスタンの街へと向かう。

 移動手段はアシュレイの飛行魔法なので、ライラは何もせずに楽ちんであった。
 一面の雪原を見下しながら、郊外へと着地する。

 ここからでも街の喧騒は伝わってきていた。

「相変わらず活気がありましゅねー」
「ここは北端の街だからな。魔物も討伐されたし、もっと発展していくだろう」

 人混みをかき分けて、一行はシニエスタンの冒険者ギルドへ到着する。

 新築の大ホールは大理石で、他の冒険者ギルドよりも遥かに巨大であった。
 もう勝利の報は伝わっているらしく、慌ただしい活気で満ちている。

「封鎖令は解除だ! 各地からキャラバン呼べ!」
「氷河ヘラジカの素材が来るぞ! 近隣の鍛冶屋や薬師を確保しとけよ!」

 ライラがちらりと見るとアシュレイはフードを被り、いくつもの魔法を使っていた。
 気配消しの魔法や髪色を銀から青に変えたり……。

 ライラの視線に気付いたアシュレイが前を向きながら咳払いする。

「……大丈夫なはずだが」
「あい、パッと見はだいじょーぶでしゅ。待っててくだしゃい」

 ライラはそう言うと冒険者ギルドの買い取りカウンターへぽてぽて歩いていった。
 ちょっとお腹が重いが……まずは素材を売らなければ。

「まぁ、ライラちゃん! 久し振りね。氷河ヘラジカ討伐の活躍は聞いてるわよ」
「話が早いでしゅね」
「冒険者も現場からちらほら戻ってきてるしね。で、何の用かしら」
「買い取りをお願いしましゅ!」

 どんとライラがバックパックから氷河ヘラジカの素材袋を取りだす。
 角の先端部分と蹄のいいところの詰め合わせだ。

「これはっ! まさかさきほど討伐されたばかりの……?」
「そうでしゅ、氷河ヘラジカのイイ部分だけでしゅよ!」
「承知しました! 査定が終わるまで、少々お待ち下さい!」

 ライラがやり取りを終え、ベンチに座るアシュレイの元へ戻ろうとして。
 ふよふよ浮かぶモーニャがこしょこしょとライラに囁いた。

「どこから見ても冒険者じゃないですよ」
「姿勢が良すぎでしゅもんね」

 服も変えているが、高貴なオーラは隠せてない。
 貴族の御曹司がお忍びで来ていると全身が主張していた。

 そんなアシュレイに女性冒険者のパーティーが近寄っていく。

「……あ」

 見目麗しい女性陣に囲まれ……アシュレイは困惑していた。
 娘の引率で来ただけなのに。

 当然、アシュレイも女性のかわし方は心得ている。
 しかし娘のテリトリーたる冒険者ギルドでどうすれば良いのか?

 まさか、こんなことになるとは……。
 ライラは少し離れたところからアシュレイを観察していた。

「助けに行かないんですか?」
「ちょっと面白いかもでしゅ」
 戦闘以外では人間味の薄そうなアシュレイが、明らかに目線を彷徨わせている。

「他人事ですねぇー」

 と、アシュレイは視界の端に見覚えのある赤髪の青年を捉えた。

「ロイド!」
「……ええと、誰? 君が呼んだの?」

 ロイドが首を傾げながらアシュレイと女性陣へ歩いていく。

「あー、助けを呼んじゃいましたよ」
「女にホイホイついていく人ではなかっただけ、良しとしましゅか」

 ロイドはアシュレイのことを彼だと認識してはいないはず。
 しかし女性陣に囲まれて困っているのは察したようだった。

「ごめん、この人は僕の連れで」
「えー、そうなんだぁ」

 残念ーと口々に言いながら、女性陣が退散する。

「ふぅ……」

 明らかにアシュレイがほっとしていた。
 そのタイミングでライラも柱の陰からすすっとアシュレイの元へ戻っていく。

「ライラ、君も来ていたんだ」
「でしゅ。ロイドも来ていたんでしゅね」
「ああ……ところで陛下がどうしてここに?」
「……わかってたのか」
「さすがダイヤ級冒険者でしゅね!」

 もう周囲にはライラたち以外は誰もいない。
 ロイドがふぅと息を吐く。

「さっきは知らない振りをしたが、正解だったかな」
「ナイス判断でしゅ」

 ライラとロイドがベンチに座る。

 雪原で会った時に比べると、顔色が悪いように見える。
 いや、雪原と室内の光の差だろうか。ここは外に比べるとかなり明るい。

(ほんのわずかな差でしゅけど……)

「ねぇ、ロイドしゃん」

 ロイドがライラに顔を向ける。

「どこか身体、悪くないでしゅ?」

 彼は静かに首を振る。
 さっきもそうだったが、ポーションで治っていないのだろうか。

 それはあり得る。
 骨までイっているとポーションでは治らない。

「むぅ〜」
「どうしたんだ、ライラ」
「気になりましゅね。待っててくだしゃい!」

 ライラがバックパックを漁る。

 奥の奥までぐぐっーと手を突っ込み……モーニャもライラを引っ張った。
 すぽんっ!
「ふぅ! 取れましゅた!」
「それは何だ?」

 アシュレイがライラの手の中にある小瓶に注目する。
 どろっとした緑の液体の中に赤い斑点が浮いていた。

「さっき見た、毒雲の薬に似ているな」
「失礼でしゅね。これこそエリクサーでしゅよ! 厳選された超貴重な素材をふんだんに使った至高の一品でしゅ」
「料理のフルコースみたいな説明ですよ、主様」
「これがエリクサー……? 初めて見たな」

 見た目は毒々しいが、エリクサーは万能の治療薬だ。
 素材は高価、調合も困難、熟成も必要……だが真に完成すると外傷や病気ならほとんど治せるほど強力であった。

 アシュレイでさえ、真に完成したエリクサーは見たことがないほどである。

「これはまだ熟成途中でしゅから、効果は弱めでしゅけどね。でもロイドしゃん、これを飲んだほうがいいでしゅよ」

 ライラがエリクサーの小瓶をロイドへと押しつける。
 ロイドが瞼を数回、ぱちくりさせた。

「……いいのかい?」
「ロイドしゃんにはお世話になりましゅたからね。元気になってほしいでしゅ」

 これはライラの本音だった。物静かだが、ロイドは確かに凄い冒険者だ。

 それになんだかんだと世話を焼いてくれる。
 素材集めまでしてもらったのだから、魔法薬で返さねばとライラは感じていた。

 しかし高価な贈り物に慣れてないのか、ロイドは小瓶を持ったまま戸惑っているようだ。

「気にせず受け取っておけ。ライラの作ったモノなら間違いない。さっきステーキ用のソースをもらったが、絶品だった」
「……ソースとは全然違うけど」

 冷静にツッコむロイド。

「だけど、君の魔法薬作りの腕は信じるよ」
「あい、信じていいでしゅよ」

 ロイドが小瓶の蓋を開けて、一気に飲み干す。
 本来なら一気に外傷が治るはず。だが――。

「……ぐっ!」
「えっ?」

 ロイドがエリクサーの瓶を床に落とす。
 さらには全身が小刻みに震え、苦しそうに胸を押さえていた。

「ちょっとー! 主様、これって!」
「そ、そんなはずはないでしゅ!」

 ライラは大慌てになりながらバックパックをひっくり返す。

(嘘、嘘、嘘ーー! 失敗しちゃいまひた!?)

 エリクサーが毒になったのなら、何が解毒薬になるのか。
 これまでの知識を総動員しながらライラの頭はフルスロットルで回転していた。

「ぐっ、うぅ……」
「動くな」

 アシュレイが右手をかざす。

 その手から白の魔力が放たれて、ゆっくりとロイドを包んでいった。
 ロイドの荒い呼吸が少し落ち着く。

「治癒魔術だ。本職ではないが、大抵のことならこれで大丈夫のはず」
「おおっ! 素晴らしいです!」
「ふぬぬっ、この間に解決策を見つけないとでしゅ!」

 ぽいぽぽいとライラが小瓶を取り出してはにらめっこする。

「いや、待て……ちょっとおかしい。これは――」

 アシュレイが白の波動を止めると、ロイドが床に手をついた。

「なんで治癒魔術を止めちゃうんでしゅ!?」
「見ていろ」
「うっ、おお……っ!!」

 ライラたちが見守る中、ロイドの全身がゆっくりと膨れ上がる。
 さらに赤い魔力が全身からあふれ、ロイドを包んでいった。

「えっ、ええっ!?」
「なんですかっ、これはー?!」

 赤い魔力が満ちていくと、ロイドの全身に鱗が生えてくる。
 頭も腕も……太く、人ならざる存在へと変化していく。

 ロイドという人間から爬虫類のような存在へ。
 それと同時にロイドの魔力が静かに安定しているようにライラには感じられた。
 まるであるべき所に波が戻っていくように。

「ま、ましゃか……」
「エリクサーはもしかして、魔術の効果も打ち消すのか?」
「当然でしゅ。かけられた魔術はぱっとおしまいでしゅ」
「例えば今の俺がエリクサーを飲んだら、気配消しや変装の魔術は消える……」

 ライラはアシュレイに首肯した。

 エリクサーは可能な限り、万全な状態に戻そうと働く。
 例えそれが自身でかけた無害な魔術であれ――強化や補助も全部、かき消してしまう。

 ロイドの姿があらわになってきた。

 大の大人の胴体ほどの腕に脚。大きな口に牙と翼と鱗。
 人ならざる巨大な威容は、図鑑で見たままそっくりであった。

「ドラゴンでしゅか……!!」

 ロイドの真の姿。それは真紅のドラゴンであった。