ぎゅっと目をつぶったライラがロイドへ声を掛ける。

「レッドバッファローは迂闊に攻撃すると怒るでしゅ。まずは後ろに、でしゅ!」

 レッドバッファローに対処する際は、群れの後方からが鉄則だ。
 先頭を先に攻撃してしまうと、手が付けられないほど凶暴化しかねない。

 ロイドがぐるりと旋回し、群れの後方に向かう。

「なんか……続々と後ろに来てません?」

 レッドバッファローの赤い巨体が紙に垂らしたインクのように。
 群れの後方へレッドバッファローがどんどんと合流している。

 群れの総数はさらに増えるだろう。
 どこかで群れを分断できればアシュレイの負担も減る。

「まずは後ろからでしゅ」

 焦ってはいけない。自分の知る最善手を打つ。それがもっとも効果的だ。
 さきほどの地図には気になる地点があった。そこに行けば……。

「ありまひた!」

 群れの最後尾までいくと、広範囲の林と茂みが見えた。
 針葉樹の林は葉がまばらだけれど、枯れてはいない。

 この林の奥からレッドバッファローが次々に群れへと合流してくる。

「ここでしゅ! ロイドしゃん、しばらく旋回してくだしゃい!」

 ぐっとロイドが高度を下げて林のすぐ上に向かう。
 竜の身体が樹木の先端に触れそうだった。

「モーニャ、毛生え薬をまくでしゅよ!」
「は、はいさー!」

 バッグパックから毛生え薬を取り出し、ふたりで空中から林にばらまいていく。
 すると樹木からメキメキと音が鳴り――枝と葉が物凄い勢いで伸び始めた。

「ロイドしゃん、当たらないよう高度を!」

 呼びかけるまでもなく、ロイドは空に向かっていた。
 雪を被った針葉樹が夏の活力を取り戻す。地面の茂みも苔も同様だ。
 眠っていた自然が毛生え薬で目覚め、急速に繁茂する。

「グモォー!!」
「グモ、グモー!!」

 レッドバッファローは突然の緑化に驚き、混乱する……。
 脚をとられて転ぶもの、角がつっかえるもの――暴れる自然が邪魔で走るのに支障をきたしていた。

 さらにレッドバッファローの毛が少し伸び、赤い毛が植物に絡まる。
 アシュレイの時のように移動もできなくなるほど……の長さにはならなかったが。

「あらま、レッドバッファローの毛はそこまで長くならないですね」
「でしゅね。元々が人間用だから仕方ないでしゅ」

 レッドバッファローにちょっとだけでも効くだけ御の字だ。
 しかし針葉樹や苔も伸び、上手く足止めになっている。
 この様子ならしばらくは後ろの勢いが止まるだろう。

 林の外を見てもレッドバッファローの群れは途切れていた。分断は成功だ。
 群れ全体の勢いを殺すことができた。
 ロイドの声が空に響く。

「うまく、後続を断ったね」
「でしゅ! とーさまは大丈夫でしゅかね。ロイドしゃん、全速力で先頭へ!」
「わかった。捕まってて」

 一気に加速したロイドが群れの先頭を目指す。
 北に行くにつれて魔力の波動が大気を揺らすのがわかる。大気がピリっとするのだ。

 これはシニエスタンでの戦闘の時と同じであった。

「やってましゅね……!」

 地平線の先に、茶色の線が引かれている。盛り上がった土壁だ。
 高さは4メートルほどだろうか。一直線に群れの進路を防ぐよう、分厚い壁ができていた。

 分厚い壁の上には兵士が隙間なく控えている。さらには土の櫓までできていた。
 あんな壁はさっきまでなかったので、アシュレイ率いる軍の魔術によるものだろう。

 即席の長城といったところか。
 レッドバッファローの先頭はすでに壁際に到達し、角で壁を突破しようとしている。

「あれ、群れの中にも壁ができているような?」
「前方だけじゃダメでしゅからね、何層も壁を作るつもりでしゅ」

 群れを分断しようと、即席の壁がレッドバッファローの荒れ狂う中に壁ができては壊されていく。
 しかし今のところ、それは奏功していないようだ。

 群れの先頭は構わず兵のいる壁へ突撃をしかけていた。

「どうする、ライラ」
「手持ちの魔法薬だと足りないでしゅね……」

 攻撃用魔法薬の瓶は40本。仮に1本で5体の魔物をふっ飛ばしたとしても、200体だ。
 もちろん戦果としては大きいが、魔物の群れはもう1000体を遥かに超える。

「どーしましょ、どーしましょう!」

 慌てるモーニャに対してライラは冷静だった。

「毒を使うしかないでしゅね」
「こんな平たい場所でですか!? 味方も巻き込んじゃいますよ!」
「わかってましゅ。空気散布は使えましぇん」

 シニエスタンの時は人工的にくり抜かれた峡谷に追い詰め、完全に封じ込めることができた。
 しかしここではもうそれは不可能だ。さらに今日は風も強い。

「ロイドしゃんも聞いてたと思いましゅけど、シニエスタンで使った毒は水にも溶けましゅ」
「……そうだね。でも水源は遠いよ」
「あい、でも……この軍なら雨を降らせる魔術もできるでしゅ。雨雲に毒を仕込めば……」
「な、なるほど! 毒の雨を降らせるんですね! えげつなーい!」
「狙いは群れの中央部でしゅ。これなら何百体も行動不能にできましゅ」

 少ししてロイドが巨大な首を動かし、翼をひらめかせた。

「君の戦術に従うよ。陛下は中央で戦ってる」
「案内してくだしゃい!」

 ロイドがぐっと下降する。ライラからは全然見えなかったが、ロイドからはアシュレイの位置がよくわかっていたらしい。

 さすがは竜の知覚力だ。
 まもなく、ライラにもアシュレイの銀髪が戦列の中でわずかに見えた。

「とーさま! 飛んできてくだしゃい!」

 ライラが叫ぶとアシュレイが反応する。

「……!? わかった!」

 戦闘の中にいてもライラの声は判別できたようだ。

 すぐにアシュレイが飛行魔術の印を結び、空へと飛び上がる。
 アシュレイはすでに額に汗を流していた。

「いい作戦を思いついたのか?」
「あい、魔術の雨に麻痺毒をまいて、群れへ降らせましゅ」

 ライラの構想にアシュレイが一瞬、思案する。

「……あの毒は水溶性だったか。それならば可能性はあるな」
「だから全体に呼びかけて雨を――」
「それは無理だ」
「はえ?」

 にべもなくアシュレイが首を振る。

「降雨の魔術は高度で、戦闘中に使えるようなものではない。できるのは――俺ぐらいだろう」

 降雨の魔術も本で読んだことがあるだけなので、実際がどうだかライラも知らなかった。

「大丈夫なんでしゅか?」
「魔力を全開放する。可能な限りの雨を降らせるよう努力しよう」

 アシュレイが兵に向かって呼びかける。

「ライラの作戦に従う! 各自、雨が降るまで防御優先! 雨が降って群れに変化があったら全力で反転攻勢だ!」
「「イエッサー!!」」

 さすがにアシュレイ直下の精鋭軍だけあって、短い命令にも混乱することはない。
 兵全体が攻撃を控え、盾や壁の魔術を優先しているのが見える。

「やるぞ」
「あい……!!」