ボルファヌ大公が動こうとしていた頃、ライラはのんびりと魔法薬を調合していた。

「るんるんるーん」
「ご機嫌ですねぇ、主様」
「まほーやくの調合が楽しいでしゅからね」

 ここ数日、雪は降っておらずそこそこ快適な日が続いている。

 さらに毛生え薬、分身薬。どちらも最終完成ではないけれど、かなりの成果が出ていた。
 それが嬉しい……あとは素材集めも。

 石化の沼のような一般冒険者立ち入り禁止の区域も、アシュレイたちがいればなんとかなる。
 つまり、調合できる魔法薬の種類はまだまだ広がるということだ。

 これぞ楽しい王宮生活……!

「にしても外はさむそーですねぇ。陛下は郊外で演習でしたっけ?」

 テーブルの上に丸まるモーニャ。
 ライラはその前脚を意味もなくぷにぷにする。
 反対側の腕ではフラスコ瓶をゆらゆらと揺らしていた。

「そーでしゅ。雪が止んでる今日が訓練日和なのだとか……」
「雪はまだ積もってますけどねぇ……さむさむ。暖炉から離れると冷えますぅー」
「うーん、ずーっと温かい湯たんぽみたいなモノができれば……」

 カイロみたいな……。
 この例えは伝わらないので心の中でだけ呟く。

「それはいいですねっ、主様! ぜひ作りましょう!」
「アイデアだけでしゅよ。ふつーの発火ポーションだと激しく燃えまちゅ」
「火は出ないでほどよく温かいのは無理ですかぁー……」
「まー、数か月かかるかもでしゅ」
「春になっちゃいますよぉっ」

 だらだらと喋るふたり。こんな時間もふたりにとっては愛おしい。
 ライラがフラスコを振る手を止める。

「ふー、とりあえず反発薬も一段落したでしゅしね……」
「それが魔物を呼び寄せる魔法薬への対抗薬なんですね」
「そうでしゅ。ばら撒かれるとよそーされるフェロモンと反応すると、嫌われるフェロモンになるはず……でしゅ」

 しかしこれには問題もあった。
 まず、使うには魔物を呼び寄せる魔法薬の現場でないと意味がない。

 どこで次の暴走事件が起きるか分からない以上、量産して備えないと効果はなさそうだ。

「あとはテストが問題でしゅね。本当に効くのかわからんでしゅよ」
「主様って絶対にテストしますもんね」
「当たり前でしゅ!」
「いきなり人に使いますけど……」
「たいじょーぶでしゅ! ポーションとかは完備してるでしゅ!」

 そういう問題ではない気がするけれど、モーニャも慣れたものなのでツッコまない。

「で、次は――」

 と、ライラが言いかけたその時。
 大気中の魔力がわずかに揺れた気がした。

「……?」
「南から魔力の波動が来たような……。主様も感じました?」
「ほーこーはわからなかったでしゅが、そうみたいでしゅね」

 これだけの波動はめったにあるものではない。

 悪寒が背筋を這い上がる。工房の外からどたどたと足音。
 ライラのいるこの区画は選ばれた人間以外は立ち入り禁止で、こんなに騒々しくなることはない。

「なにか緊急事態みたいでしゅね」
「ライラちゃん!」

 工房の扉をノックなしに入ってきたのはシェリーだった。
 額には汗を浮かべ、いつもは整っている髪が乱れている。

「今の魔力の波動、感知しましたか!?」
「あい。何があったんでしゅか?」
「魔物が……王都郊外に魔物の群れが現れました!」

 モーニャが尻尾を逆立てる。

「なっ! この近くにですか!?」
「郊外って演習中のよーな……とーさまは?」
「すでに陛下はロイドさんと一緒に展開しています!」

 ライラが頬をぱんとはたいた。

「わかりまひた! あたちも出撃でしゅ!」
「はい……! ありがとうございます!」
「五分、いや三分で魔法薬をまとめて出るでしゅよ!」




 その頃、王都郊外。演習中だったアシュレイはすでに演習中止し、兵を再編成していた。

 この演習は対魔物を想定しているため、冒険者も同行している。
 浅く雪が積もる草原に天幕が並び、一番大きな天幕に首脳部が控えていた。

 その場には冒険者代表としてロイドもいる。
 アシュレイがロイドへ呟いた。

「……まさか演習中に起こるとはな」
「狙われたね」

 アシュレイはテレポート魔術を使えるため、居場所を捕捉するのは困難だ。

 王宮には結界もある。狙うならこうした機会しかない。それを的確に突かれていた。
 伝令官が天幕に駆け込む。

「南方より三つの大群、集結しつつあります!」
「ふむ……」
「進路は変わらず北上! 一目散に王都へ向かっております!」

 天幕に緊張が走る。状況は緊迫していた。
 しかしアシュレイは冷静さを崩さない。

「魔物の種類は?」
「一番多数はレッドバッファローですが、亜種も相当数いるものと……。他にバッファローの踏み荒らした獲物狙いで、バルチャー類も確認できております」
「やはり獣系か……」

 アシュレイとロイドが視線を交わす。
 証拠はないが、このタイミングでの魔物の暴走事件は疑わざるを得ない。

 机上に示された予測進路と到達時間。手元にいるのは兵と冒険者が合わせて2000人……だが、シニエスタンに比べると圧倒的に時間が足りない。

(あの時は住人の避難もできたし、魔物を倒す追い込み場所も用意できたが……)

 レッドバッファローはB級の魔物で、単体ならアシュレイやロイドの敵ではない。しかし群れは大きくなりやすく、合流し続けると指数関数的に危険度が高くなる。

「強引に兵を投じることはできるが……」

 しかし犠牲は出る。それを可能な限り抑えなくてはいけないし、ボルファヌ大公も追いかけなくては――。
 そんな数々の思考はさらなる伝令官によって中断された。

「ライラ様、ご到着!」
「来たか」

 胸を張りながら、もこもこ服のライラとその胸に入ったモーニャがやってくる。
 魔法薬がたくさん詰め込まれたバッグパックもセットだった。

「あい! 状況はどうでしゅか!」

 頭の中で整理したことをアシュレイはかいつまんで説明する。

「作戦はあるんでしゅか?」
「今、早急に考えているところだ……」

 アシュレイが他の参謀や伝令官に命じる。

「少し外してくれ」
「ははっ!」

 天幕に残されたのはアシュレイ、ロイド、ライラだ。
 アシュレイがゆっくりとロイドとライラを見渡した。

「……実はもう作戦を立てている」
「じゃあ、それをすればいいじゃないでしゅか!」
「皆を外したということは、問題があるんだね?」
「まぁ、な……。今回で決着をつけるなら、こうするしかないという作戦はある」

 父がこんなに悩んでいるということは、作戦自体もちょっと突飛なのかもしれないとライラは思った。
 だが、アシュレイを信じられるくらいの絆はあるつもりだ。

「……やりましゅ!」
「主様、何も聞かなくてもいいんですか?」

 モーニャの頭をぽんぽん撫でる。

「そこは信頼ってやつでしゅ。ね、とーさま!」





 アシュレイの作戦を踏まえ、ライラたちが展開することになった。

 巨大な角と3メートルを超える巨体。まさに怒れる闘牛だ。
 真っ赤なレッドバッファローが雪原を蹴飛ばし、粉雪をまき散らしながら走る。

 集団で興奮状態になったレッドバッファローを止められるものはない。
 群れの先にある木は押し倒され、岩は砕かれる。

 その数はざっと1000体以上。全速力で北上して王都に向かっていた。
 その上空をライラとモーニャは飛んでいる――竜の姿になったロイドの背に乗って。

「おおおーっ! 飛んでますぅ!」
「凄いでしゅね、これは」

 ロイドはかなり遅めに飛行していた。
 ライラが背に掴まりながら、じっくりと下の状況を見定める。

「これならちゃんと狙えましゅ」

 ロイドが軽く頷く。この形態だと声を出しづらいと言っていた。
 でも意思疎通はちゃんとできる。

『作戦は単純だ』

 アシュレイの言葉を思い返す。

『地上は俺とヴェネト軍と冒険者で阻止する。ライラ、モーニャ、ロイドは滞空して攻撃』
『思い切りましたでしゅね』
『もはや群れを追い込むのは間に合わない。これが最善手だ』
『攻撃って言うけど、具体的にはどーするんでしゅ?』
『任せる』
『……はいでしゅ?』
『吟味している時間もない。広範囲の毒は使って欲しくないが、いざという時は許可する』
『…………』

 アシュレイは強い。いざという時は腹を括れる側の人間だ。

『魔物に対してどうすればいいか、お前はよく分かっている。だから任せる』
『……分かりましたでしゅ』

 逃げるという選択肢はない。それでは王都が被害を受ける。
 もちろんライラも逃げたくはなかった。

『さて、俺も最前線だ。また会おう』