転生チート王女、氷の魔術王に溺愛されても冒険者はやめられません!~「破壊の幼女」が作る至高の魔法薬が最強すぎるので万事解決です~

 そしてライラが王宮で暮らし始めて数日が経ち、生活へも徐々に慣れてきた。

 これにはやはりシェリーの力が大きい。
 公私ともに彼女の朗らかな人柄でライラは大いに助けられてた。

 例えば、こんな時など――。

「今日は素材を買うでしゅ。遠出しなきゃでしゅよ」
「はいっ! ……はい?」
「素材をゲットしなきゃでしゅ。毛生え薬のこの項目なんでしゅけど」

 ライラが分厚い本の一箇所を指し示す。

『魔力の同調性を鑑みるに満月蜘蛛の糸は非常に優秀であり――』
「聞いたことのない魔物ですね」

 工房にいるロイドもその項目を読む。

「満月蜘蛛、D級魔物だね。山奥に住んでいて、とても珍しい魔物だ」
「ははぁ……なるほど」

 一般的にC級以下の魔物は国の力なしでも簡単に対処できる。
 D級なら村人でも無理なく討伐できる魔物だ。
 それゆえシェリーの知識には入っていなかった。

「僕も満月蜘蛛は何年も見てない。この魔物は人と接触して害をなすこともほとんどないしね」
「だいじょーぶでしゅ。あたちは住処を知ってましゅから」

 モーニャがふわふわと浮きながら、ライラのノートを持ってくる。

「南のグローデンですよねぇ。あそこの冒険者ギルドは結構レアな魔物を知ってますから」
「グローデン? かなり南のほうですね……」

 王都からなら急ぎの馬で半月ほどかかる。寒冷な森林地帯で人口も少ない。
 そんなところにまでライラの行動範囲は及んでいるのだろうか。

「コネがありましゅからね」

 シェリーが聞くと、ライラは年に数回グローデンを訪れては素材を買い込むのだとか。
 その代わり、ライラは依頼に応じて山や森の一部を爆破するらしい。
 物騒な単語が出てきたのでシェリーは聞き返してしまう。

「爆破、ですか……?」
「アレはなんなんでしょうねー」
「鉱山の穴にするんでしゅよ」
「あー、主様の魔法薬で穴を開けて?」
「硬い岩盤を地道に掘るより楽でしゅ」
「まぁ、それはそうでしょうが……」

 そんな風にあの爆裂薬を使うのはどうなのだろう、とシェリーは思ってしまう。
 しかし結果としてグローデンの冒険者ギルドは素材の便宜をライラへ図っているという。

「それでしたら、私が代わりに行ってきましょうか? 買い出しだけなら、私にもできます!」

 モーニャがテレポート薬をすっと掲げる。

「いいんじゃないですか、主様。買いに行くだけですし」
「それもそうでしゅね。行ってきてくれましゅか?」

 ライラはさらさらと必要なモノのリストとサインを書き、モーニャがぺたりと判を押す。

 テレポート薬の使用にはイメージ力が必要だったが、幸いにもシェリーは行く先であるグローデン冒険者ギルドを知っていた。
 紹介状やらお金やら帰りのテレポート薬やらを持たせ、ライラはシェリーを送り出す。

「では、行ってまいります!」
「いってらでしゅー」

 シェリーがテレポート薬を使い、虹色の光に包まれながらしゅーっと消える。

「こんな風に消えるんでしゅね」
「初めて見ましたねぇー」
「……他の人が使うのは初めてなのかい?」

 ロイドが眉を寄せている。

「そうでしゅ。でも理論上は問題ないはずでしゅよ」

 理論上、という言葉が引っかかるロイドではある。
 しかしライラの魔法薬はこれまでも間違いなく効果を発揮してきていた。

 数時間後、虹色の光とともにシェリーが工房に戻ってくる。
 大荷物を背負いながら、シェリーがびしりと敬礼した。

「ただいま帰還いたしました!」
「おかえりでしゅ!」

 どうやら無事に戻ってきたらしい。ロイドの目にはとりあえず、そう映る。
 予想以上の大荷物にモーニャが首を傾げた。

「なんか荷物が多くありません?」
「ついでにグローデンの古書店から良さそうな本と素材を買ってまいりました」
「ほうほう、素晴らしいでしゅね!」

 ライラが椅子からぴょんと飛び降り、シェリーの買ってきた荷物を広げ始める。
 ライラがシェリーの買ってきた本のひとつをぱらぱらとめくる。

「ふむふむ……。おおっ、リンデの写本でしゅ!」
「魔法薬の大家、リンデ氏の古い写本です。多分、役に立つかと……」
「立ちまちしゅね」

 本を覗き込んだロイドが唸る。
 竜である彼にとって人の言葉の読み書きは不得意分野だった。

「古文字だけど読めるの?」
「読めましゅよ。回りくどい書き方でしゅけど」

 その他にもシェリーの買ってきた本をライラは嬉しそうに物色していく。

「凄いね……」
「ええ、大学専門レベルなのに……」
「本当に四歳児なのかな?」

 ロイドがふと漏らすとシェリーが頷く。

「そう思う気持ちもよくわかります。たまに私よりも年上のように感じますから。物事を落ち着いてみているというか……」
「……ふむ、そうだね。見た目以外は子どもとは思えないくらいだよ」




 こうしてライラは日々、パワフルに働いていた。
 毛生え薬についても資料面、素材面で様々な準備が整ってくる。

 ライラが王宮にやってきて半月ほど経過し、季節は秋から冬になろうとしていた。
 緑の葉が赤へと色変わり、あるいはぽろぽろと路面に散る。

 いよいよ毛生え薬を調合するその日、アシュレイも朝から工房を訪れていた。
 多忙なアシュレイが朝からずっと工房にいるのは初めてのことだ。

「そろそろ、ここの暮らしも慣れてきたか?」
「はいでしゅ」
「快適に暮らしてますよ〜」

 ライラの手元には紅茶セットが置かれていた。

 いつの間にか持ち込んで、紅茶を楽しむようになったらしい。
 慣れるどころか満喫している。

「とーさま、今日は本当にずっといるんでしゅか?」
「娘が伝説の魔法薬の調合に挑むんだ。当然だろう」

 アシュレイが頷くと、後ろの文官も首を縦に振る。
 この半月、ライラの凄さを文官たちも見てきた。規格外との言葉でも到底足りない。
 ヴェネト王国始まって以来の魔法薬の天才――アシュレイの側はそう噂していた。

「……親馬鹿でしゅ」
「何か言ったか?」
「何も言ってないでしゅ」

 ライラはむず痒くなりながら、調合の用意を始める。
 今回の調合は並みではない。素材ひとつ精製するにも手間がかかり、調合そのものにも膨大な魔力が要求される。

「道具の配置はこれでいいかな」
「素材のチェックも完了です!」
「ありがとうでしゅ!」

 この半月でシェリーとロイドはすっかりライラの助手になっていた。

「オール準備オッケーですよ、主様!」
「よしでしゅ……じゃあ、そろそろ開始でしゅ!」
 気合を入れたライラが素材に向き合う。
 もう毛生え薬のレシピは頭の中に入っていた。

 まず極めて貴重な月と太陽の香草を鉢にどさっと入れる。
 この香草だけで下級貴族が一年暮らせるほどの価値がある。

 ごくり、とその価値を知る文官が息を呑む。
 満月蜘蛛の糸も鉢に入れ、ゆっくりと魔力を込めながら混ぜ合わせる。

「ごりごり、ごりごり……でしゅ」

 満月蜘蛛の糸に魔力を馴染ませながら、硬い葉を砕く。
 魔力の制御を間違えると台無しになってしまう、繊細さを要求される作業だった。

「モーニャ、風の魔力を送ってくだしゃい」
「はーい」

 すり鉢のそばに浮くモーニャが前脚をぱたぱたとさせ、風を起こす。
 それが終わるとライラはまた作業に集中し始めた。

 やがて葉を砕く作業が終わると、流れるように次の作業へと映る。
 迷いも淀みもない。

「……凄まじいな」

 工房の反対側に座るアシュレイが張り詰めた作業に感想をこぼす。

「普通の薬師なら、ひとつふたつの作業で疲労困憊して終わりになってしまうでしょう」
「そうだろうな。ライラの魔力だからできることだ……。伝説の魔法薬というのも頷ける」

 ライラが砕いたいくつかの素材と溶液を鍋に入れ、魔力を通しながらかき混ぜる。

「次の素材はここに置いておくよ」
「ありがとでしゅ」

 ライラには珍しく、顔をロイドに向けずに答える。
 ライラの視線と集中力は今、魔法薬に注がれていた。

 アシュレイの手元にも毛生え薬のレシピの写しがある。
 それを読み返したアシュレイが首を傾げた。

「……本に載っているレシピと違うんじゃないか」
「ええ、はい……ライラ様のアレンジが入っていますね」
「大丈夫なのか……」

 ちょっと不安そうな声を出すアシュレイ。
 伝説的な魔法薬で、さらにアレンジとは。

「あたちの調べでは、むしろレシピのほうが間違ってるでしゅ」

 鍋の中身をぐるぐる。魔力を溶け込ませる反復作業中のライラが答えた。

「詳しいことは省略しましゅが、あたちのやり方のほうが多分正解でしゅ」
「ううむ、昔のほうが間違っていたと……? 魔術にもたまにあるが……」

 魔術にも同じ効果で様々な流派があり、中には非効率なものもある。

「パイの作り方もたくさんありますからねー」
「そーいうことでしゅ」

 鍋を混ぜ終わったら、さらに素材をひとつずつ入れては煮込み、混ぜていく。
 黄金の冬虫夏草、ミスリルの粉、エルヘンの干し貝柱……。

 ひとつひとつを丁寧に。

 鍋の中身を確かめながら混ぜていくと、素材と魔力が融合して一体になってくる。
 鍋から発せられる魔力の強さにアシュレイも身体の奥が震えてきた。

「恐ろしいほどの魔力だな、ロイド」
「ああ、これがライラの本気なんだね」

 作業が始まって四時間が経ち、額の汗をモーニャがハンカチで拭う。
 最後に再び満月蜘蛛の糸をひとつまみ。そこでライラが鍋の火を止めた。

「……完成でしゅ!」

 ライラの言葉に工房の全員が声を上げる。
 息を呑むような空気が一気に緩んだ。

「やりましたね!」
「ちゃんと融合しているね」
「ああ、歴史的な成功だな……!」

 そこにライラが指を振る。

「ちっち、まだでしゅ。ちゃんとテストしないとダメでしゅよ」
「……テストか」

 アシュレイが鍋をじっと見つめた。

「そうだな、確かに。しっかりと効果を確認しなければなるまいな」
「でしゅ。じゃあ適当な人に振りかけてみて――」

 ライラが巨大スプーンで中身を小分けにしようとすると、アシュレイが止めに入った。

「待て、俺が最初ではダメか?」
「なんでとーさまが……とーさまの毛はふさふさでしゅよ。どこも抜けてないでしゅ」
「いや、そういうのではなくてな……。お前の薬を試してみたいんだ」
「……大丈夫だとは思いましゅけど、百パーセント安全ではないでしゅよ」
「それでもこの工房で作った新作だ。記念すべき一品じゃないか」
「う〜ん……」

 まぁ、でも気持ちは分からなくもない。愛娘が精魂込めて作り上げた品だ。
 他人がテストするくらいなら、自分でテストしたいのだろう。

「ずいぶんな親馬鹿でしゅけど」

 モーニャがライラの耳元で喋る。

「エリクサーを用意しておけば大丈夫じゃないですかねぇー」
「そうでしゅね。そんなに実験台になりたいのなら、止めないでしゅ」
「実験台とテストは結構意味が違うように聞こえるけど」

 ロイドのツッコミはもっともだった。

「些細な違いでしゅ」

 ということで木製のコップに毛生え薬を取り分ける。
 ライラに背を向けるよう座る彼の前のテーブルにはエリクサーの瓶も置かれていた。

「いつでも来い」

 アシュレイは背筋を伸ばして待機している。
 後ろに回ったライラがロイドに抱えられ、毛生え薬の入ったコップを傾ける。

 ライラは魔獣の皮から作られた薄い手袋を着けていた。
 プラスチックのような素材であり、魔法薬に触れても大丈夫。

 緑色の毛生え薬は猛烈な魔力の波動を放つ、ドロっとした液体だ。
 毛生え薬を手のひらにそっと出す。ぬるめの液体を感じながら、ライラは薬を手で伸ばした。

「行きましゅよー」
「ああ」

 背中から見るアシュレイに緊張している様子はない。
 信じ切っている。娘の魔法薬を。

 こんなにも信用されるなんて……と思いながら、悪い気はしなかった。

 ……ぺたぺた。
 ライラは毛生え薬の溶液をアシュレイの銀髪に塗りたくる。

 艶があって流麗な髪。正直、毛生え薬は不要だが……これもテストだ。
 コップの中身を全てアシュレイの髪に塗りつける。

「終わったでしゅ」

 床に降り立ったライラがアシュレイを見上げた。特に変化はない。

「効果はすぐに出るのか?」
「割りとすぐ出るはずでしゅけど」

 と、その瞬間――アシュレイの毛髪が恐ろしい勢いで伸び始めた!
 ほんの一瞬で数十センチも髪が伸び、さらにぐんぐんと床へ近づく。

「ええっ!?」
「こ、これは……っ!?」

 アシュレイもライラも驚きに目を見張る。

「ちょっとスピードが早すぎるかもでしゅ!」

 あっという間にアシュレイの髪が床へ到達し、さらに広がっていく。

「主様、これってどれくらいで止まるんです?」
「5分ぐらいは続きましゅ」
「主様、それってかなり……マズくありません?」

 数秒で数十センチ伸びる。このスピードのままなら、5分でも数キロの長髪になりかねない。
 それはさすがに工房中が髪で埋まってしまう。

「エリクサーを飲んでくだしゃい!」
「いや、待て! 髪が伸びているだけだ……問題はない!」

 アシュレイがライラたちを制する。
 その間にも髪は伸び続け――床にも猛スピードで拡散していく。

「陛下……だ、大丈夫なのですか!?」
「頭が重いが、それだけだ」

 髪はひたすらに伸びていく。
 床はもう足の踏み場もないほど。

 さらに髪は重力に逆らって工房全体を埋め尽くさんとする勢いだ。
 わさわさ。アシュレイの髪を踏みそうで誰も動けない。宙に浮かぶモーニャを除いて。

「……髪が覆い尽くしたら備品が壊れるよ。さすがに止め時じゃない?」

 ロイドが釜や備品に目を向ける。

「いや、もう少し。もうちょっとのはずだ」

 アシュレイはなおもエリクサーを飲もうとしない……。
 側近もさすがに無理に飲ませるわけにはいかず、目線でライラに助けを求める。

 この状況にライラが爆発した。

「もう限界でしゅ! モーニャ、とーさまにエリクサーを飲ませるでしゅよ!」
「はいさー!」

 ライラとモーニャがエリクサーを持って椅子に座るアシュレイに飛びかかる。

「うぉっ! 待て! 本当にあともうちょっとだ!」
「何がでしゅか! モーニャ、とーさまの顔を上に向けるでしゅ!」
「はいはーい!」

 ふわふわ毛玉ながら、モーニャの力は強い。
 ぐぐぐっーとアシュレイの顔を天井に向かせる。

「さぁ、飲むでしゅ!」

 エリクサーの瓶をアシュレイの口に近づけ――まだエリクサーを飲ませないうちに、髪の成長がぴたりと停止した。
 アシュレイの髪がくたりと力をなくす。

「おおっ、陛下の髪が止まりました!」
「うん……もう成長しないのかな?」

 飛びかかったライラとモーニャがアシュレイの髪を撫でる。
 髪はもう伸びていない。

「……本当ですね、主様」
「確かに止まったでしゅ。とーさま、どういうことでしゅか?」
「自分の頭に残る魔力から推測しただけだ。お前にもわからなかったみたいだが……俺には予測できた」
「なるほど、だから落ち着いていたんだね」
「ああ、塗られた魔力が発散していくのがわかったからな」

 ライラでさえ、そこまで鋭敏な魔力の感知はできない。
 アシュレイの説明にライラがジト目で答える。

「……たまたまじゃないんでしゅか?」
「サーシャの魔法薬のテストに付き合ってきた俺だ。自信はあった」

 淀みなく答えるアシュレイ。母の名前を出されてはライラも納得するしかない。
 だからかアシュレイはライラの魔法薬の実験台になりたがったのだ。

「はぁ、一瞬焦ったでしゅ……」
「ふっ……魔術王と呼ばれるだけはあるだろう」

 そこでアシュレイが伸びに伸びた髪を見下ろす。

「しかしそろそろ重い。切ってくれないか?」

 咳払いするアシュレイ。ライラたちは総出でハサミを持ち出し、アシュレイの髪を切っていった。
 チョキチョキ……。

「素晴らしい。効果が終わっても成長が止まるだけで、髪質などにも変化はなさそうだ」
「とーぜんでしゅ。効果が切れて髪がボロボロになったら意味ないでしゅ」
「いささか髪の成長が急すぎるが、それ以外に欠点はない」

 ロイドがシェリーにぼそりと呟く。

「……ずいぶん甘くない?」
「わ、わたしからはなんとも……っ!」
「濃度や量をうまくやれば解決しましゅ。ちょっと時間がかかりましゅけど」
「そうなのか? 使う量を減らすのでいいんじゃないのか?」

 アシュレイの疑問にライラが両手を掲げる。

「うっかりドバっと出したら、えらいことになりましゅよ!」
「……それもそうだな」
「こぼしてネズミにでもかかったら、家が毛むくじゃらでおしまいですしねー」

 モーニャが切り終わったアシュレイの髪を束ね、ゴミ袋に押し込む。

「ふむ……俺も髪で埋まった王都は見たくない。濃度を薄める方向でお願いしよう」
「でも簡単じゃないでしゅ。薄めると魔力の結合もほどけて……大変でしゅ」
「爆発するわけでもあるまい」
「爆発するかもでしゅ」

 アシュレイはもうライラの言葉を冗談とは受け取れなくなっていた。

 そんな間にも髪を切って捨てる作業は続く。切って、切って、切って。
 モーニャが風の魔力で集めては袋に詰めて……かなり片付いてきた。

「床が見えてきたでしゅ」
「我ながらこんなに髪が伸びたのか……」

 ようやく頭を動かせるようになったアシュレイがこきりと首を鳴らす。

「後日、髪がぱらぱらと抜けないよな?」
「要経過観察ってやつでしゅ」

 にべもなく言い放つライラ。
 ライラが床に散らばった髪を持ち上げると――ぴたりと動きを止めた。

「……こ、これは!」
「主様、どうかしました?」

 ぷかぷか浮かぶモーニャが身体を伸ばす。ライラの足元には小さな芽と葉が出ていた。
 シェリーがライラの足元に屈み、床の隙間から発芽した種を引っ張り出す。

「スイートピーですね。秋に種まく種ですから、どこからか入り込んだのでは」
「妙だね。準備している時にはそんなのなかったと思うけど」
「それもそうですね。このくらい芽が出ていれば気が付きそうなものですが」

 その通り、これだけの人がいる中でこんな目立つ種が見過ごされるだろうか。
 ライラとアシュレイは顔を見合わせる。

「……まさかな」
「とーさまも思いましゅか」
「ないとは言えん」

 ピンと来ていないシェリーが首を傾げる。

「陛下、どういうことでしょうか?」

 髪をゴミ袋にぶち込んだライラが声を上げる。

「この種は……もしかしたら毛生え薬で芽が出たかもでしゅっ!」

 そんな馬鹿な、とは思っても誰も否定しきれない。
 ライラの魔法薬はそれだけ規格外なのだ。

「……可能性はあるよ。生き物全般に作用するなら人体も植物も選ばないのかも」
「主様、そんな魔法薬でしたっけ?」

 モーニャも毛生え薬の資料には目を通している。当然の疑問だった。

「そもそも調合に成功した人がほとんどいないでしゅよ。隠された効果なんてわかりましぇん」
「あっ、そうか! 出来上がりを試した人もいないんでしたね!」
「テストしてみる価値は大いにある」

 もし毛生え薬が植物に効果があれば大変な成果だ。アシュレイの側近も興奮を隠せない。
 ということでアシュレイの髪を片付けた一行は王都裏の丘に来ていた。

 秋風が切り株だらけの丘に寒さを吹き付ける。
 残った木も葉が落ちて幹も細く、今にも枯れそうであった。

 元は緑の生い茂る丘だったが、乱伐により荒れ果ててしまったのだとか。

「回復を待つと何十年もかかるだろう」
「もしこの毛生え薬が植物に効果があるなら……凄いことでしゅ!」

 ライラが毛生え薬の小瓶をモーニャに渡す。
 モーニャが小瓶の蓋を開け、ぐんぐん浮き上がっていった。

「じゃあ、この辺から撒けばいいですかー?」
「はーいでしゅー!」
「んっしょ、えーい!!」

 切り株と枯れかけた木に向かい、モーニャが毛生え薬をぱーっと上空から振りかけていく。
 空中から緑の魔力がオーロラのように広がり、木々へと降り注ぐ。

 ごくり、全員が見守る中――ゆっくりと切り株から新しい芽が生えていく。
 枯れかけた木は太くなり、葉には力強い緑色が戻ってきた。

 秋だが地面に埋もれた種も芽吹き、小さな芽と花を咲かせていた。

「おおー! やったでしゅ!」
「このままどんどん撒いていきますよ〜!」

 モーニャが振りまいた先から丘には色濃い緑が戻っていく。
 切り株から芽生えた緑にアシュレイが手を添える。

「……夏の日のような緑だ」
「でしゅね。でもさっきのスイートピーもそうでしゅけど……髪よりも効果が落ち着いている気がしましゅ」

 確かに自然は戻っているが、あの髪の伸びる速度には遠く及ばない。

「元々は毛生え薬だからな、この植物への効果は副次的だからじゃないか?」
「その辺も要検証、ですね!」

 緑が波のように広がる丘を見て、シェリーも意気込む。
 アシュレイの側近たちも早くこの薬を検証したくてたまらないようだ。

「そうだな。この薬は多くの自然を救うようになるだろう……」

 こほんとアシュレイが咳払いする。

「もちろん薄毛に悩む人間もな」
 こうして毛生え薬を調合し終えて、ライラの作る他の魔法薬の供給も段々と増えてきた。
 それに従い、ライラの功績もゆっくりとヴェネト王国に浸透していく。

 名前は出なくてもこれほどの魔法薬なら当然、噂も広がる。
 ほどなくボルファヌ大公にも噂が届き、彼の派閥の貴族が集まって会合を開いた。
 口火を切ったのは内務省に関わる門閥貴族のひとりであった。

「王宮の奥にいる【例の御方】はよほど魔法薬に通じておられるようだな」

 謎の魔法薬の作り手。
 それを門閥貴族は【例の御方】と呼んでいた。

「陛下の側近も忙しそうにしておる。品物も良いようだ」

 続いて発言したのは商務省に所属する貴族だった。

「商人どもの話だと最高品質の魔法薬らしい。こぞって陛下になびこうとしておる」
「……あの利に聡い商人どももか」

 会合がざわざわとどよめく。ヴェネト王国は魔術の先進国だ。

 国土は広くなく、気候は寒冷。農業も漁業も鉱業も突出したものはない。
 しかし周辺国を恐れさせているのは、ひとえに魔術とそれを利用した品物の輸出にある。

 そして輸出にあたって商人の影響は非常に大きい。
 いかに強力な魔力が込められた品物も、商人なしには輸出は成り立たない。

「冒険者ギルドも誰でも使える魔法薬は歓迎する。あいつらもさらに陛下へ接近しよう」

 そして国際団体である冒険者ギルドも同様だった。彼らは魔物の討伐と監視のために組織されている。
 魔法の品物を作るには冒険者の狩る素材が必須であり、ヴェネト王国での存在も極めて大きい。

「冒険者ギルドは政治中立が信条。しかし魔法薬などの実用品を融通されれば……」
「ううむ……困りましたな」
「すでにこの会合にもいくつか空席が……」

 貴族らがちらちらと視線を交わす。

 すでにボルファヌ大公の呼びかけにも応じない貴族が出ているのだ。
 ボルファヌ大公が不愉快そうに鼻を鳴らす。

「ふん、陛下もあがくものよ。黙って我ら、門閥貴族に実権を譲ればいいものを」
「しかし陛下の魔力は本物。魔法薬を作った者の魔力も侮れない。我らの中で太刀打ちできるのは大公様くらい……」

 出席者のひとりが不安そうに周囲を見渡す。

 先王の弟であるボルファヌ大公は血筋においても魔力においてもアシュレイに次ぐ。
 だがその狭量で偏執的なところを嫌われ、後継から外されたのだ。

 門閥貴族のほとんどは大した魔力もなく、既得権益ゆえにボルファヌ大公派に属しているだけだった。
 正直、アシュレイとの対立が激化するのを望む者はほとんどいない。

「貴公らも魔法薬の恩恵を得ようとしているのか?」 

 ボルファヌ大公が出席者を睨みつける。
 図星を突かれた何人かが気まずそうに身体を揺すらせた。

「仕方あるまい。我が作るエリクサー……完成品の一本を蔵から出そう」
「おおっ! 大公様が丹精を込められた、あの品を!?」
「ついに出されるのですか!」
「うむ、諸君らも知っていよう。我でさえエリクサーを作るのに10年はかかる。今回、陛下の力を削ぐのに一番働いた者へ、この貴重な品を手渡そうではないか」

 ボルファヌ大公が何人かに視線を向ける。

「卿はどうだ?」

 隻腕の貴族、バルダーク侯爵に注目が集まる。

 バルダークはボルファヌ大公派の中でも一番アシュレイに近いと目される貴族だ。
 だが先王への忠義が強く、そのためにボルファヌ大公の派閥に籍を置いていた。 

 軍事的功績により、軍や中立派の貴族にも大変人気がある貴族である。
 バルダークは目を細め、ボルファヌ大公へと答えた。

「私の忠誠は国に捧げられております。これより参謀会議がありますゆえ、先に失礼」

 バルダークは何も言質を与えず席から立った。
 大公は苦々しく思いながらも、彼はこうやって取り回す他にない。

「……うむ、期待しておるぞ。他の者はどうか?」

 その言葉を聞いた出席者が押し黙る。万病に効くエリクサーは誰でも欲しい。
 だが、誰もアシュレイとの矢面には立ちたくはなかった。

「……どうした! 返事は!」
「は、はい……」
「必ずや……」

 ぽつぽつとした返事が続き、大公は一応満足する。
 同時に彼の胸の中には、暗い想いが去来していた。

(あの若造に勝つには、やはり我の切り札を使うしかないか……)
 ライラの日常が変わり、1か月ちょっとが経過した。
 冬に至り、ぱらぱらと雪が降る日も出てきている。

 白く変わった外を見ながら、ライラは工房で古びた分厚い本を読み漁っていた。

「……ふむふむ、でしゅ」
「今日も休まないのか」

 同じく工房にいるアシュレイがコーヒーを飲みながらライラに問う。

 ヴェネト王国で使われる暦は地球と同じ七日サイクル、最後の日が休みだ。
 この辺はなぜだか世界が違っても変わらないらしい。
 なので王宮に勤める人も今日は少ない。政務機能はほとんど停止しているからだ。

「休んでましゅよ」
「……古文書を読むのがか?」
「あたちはそーなんでしゅ。というか、とーさまも仕事しているじゃないでしゅか」

 アシュレイの手元には文官の作成した報告書の束があった。

「これは来週読む分の先取りだ。仕事のようで仕事じゃない」

 机に寝そべるモーニャが顔をごしごしする。

「主様と変わらないように思いますけどね」
「血筋ってやつでしゅよ。ふむふむ……」

 心ここにあらずというライラにアシュレイが興味を引かれる。
 熱心に本を読むことは多々あるが、ここまで本に集中するのは珍しい。

「それは何の本なんだ?」
「分身薬の本でしゅ。けっこーレアな本でしゅ」
「……分身。それは魔術にもある分身でいいのか?」

 自分の分身を生み出す魔術はいくつもある。土くれから生む土分身、影から生む影分身など。
 単純で短気な魔物に対する囮役として、非常に有効な高等魔術だ。

「そーでしゅ。とーさまも使えるんでしゅか?」
「使えるぞ。待っていろ」

 コーヒーカップを置いたアシュレイが魔力をみなぎらせる――アシュレイの影がゆらりと動き、立体感のある人形のように立ち上がった。
 黒一色の影の中にぼんやりとアシュレイの顔と服装が再現されている。

 ライラは前世で見た蝋人形の黒色版だと思った。
 魔物は騙されるだろうが、人間が見間違えることはありえないだろう。

「こーなるんでしゅね」
「これは影分身だが、中々に有用だ。魔術大学の戦闘学科では必修だしな」
「へぇー、やっぱり使える魔術なんですねぇ」
「あの氷河ヘラジカの誘導でも使われたはずだ。即席の囮としては十分だからな。しかしなんで分身の魔法薬なんだ?」
「自分がふたりいたら、便利かなと思いまちた」
「…………」
「わかってましゅよ! 分身にせーこーな動きをさせるのは難しいってことは! でもあたちが鍋を見ている間に、素材を切ったりしてくれたら……」

 ライラの言う通り、分身魔術はそんなに万能ではない。
 分身を思った通りに動かすのはとても大変でセンスがいる。使い手のほとんどは分身を使い捨てのカカシとして割り切っているはずだ。

「自分と違う動きをさせるのは超人的な難易度だぞ。俺でも難しい」
「でも不可能じゃないんですよね?」
「東の国には分身が大変得意な一団もいるらしいが……当人は弓を使いながら分身には剣で戦闘させたりな。」
「何も全身を再現しなくてもいいでしゅ。上半身だけでも増やせたら……」

 アシュレイが頭の中にもやもやとライラの構想を思い浮かべる。

 ライラの上半身を模した土人形。
 それをテーブルに置き、当人は別の作業へ。土人形は素材を切り揃える。

「……まぁ、その用途なら全身を再現する必要はないか」
「でしゅよね。というわけでコレを頑張るでしゅ」

 毛生え薬を薄める研究にも一段落がついたので、別のこともやりたくなったのだ。

 アシュレイとしてはもうライラには大いに働いてもらっているので、何も言うつもりはなかった。
 なにせ4歳児なのだから。

 そこにロイドが工房へとやってくる。
 この数日、彼は国に戻って様々な公務をこなしていた。
 それが終わり、また王都に戻ったのだ。

「やぁ、ただいま」
「おかえりでしゅ!」
「先方は問題なさそうか」
「うん、ライラのおかげでね。魔物退治と魔法薬の供給のおかげだ」

 アシュレイはライラの製作した魔法薬を切り札として流通させていた。
 高品質の魔法薬は誰でも欲しがる。諸国の評価も極めて高い。

「にしても簡単な魔法薬――煙幕や解毒薬、ポーションでいいんでしゅか?」
「爆裂薬を輸出はマズいだろう。ポーションでもお前のは超高品質じゃないか」
「うん、僕たち竜族にはポーションの効きも弱いはずだけど……しっかり効果あるよ」

 視覚が異常発達した魔物には煙幕だけでもとても有用だ。
 解毒薬についてはどんな国でも冒険者ギルドでも欲しがる。

「需要はあるところにはあるんでしゅね」
「お前はどんな魔物相手でも爆裂薬を投げて倒すから不要だろうがな」

 ロイドが納得して頷く。

「ああ、そっか。傷ひとつ負わないからね」
「それにこのモーニャもいますからね!」

 モーニャがふもっと前脚を上げる。
 彼女もこれでいて風の魔術はかなり強力である。

「で、国に戻ったら……氷河ヘラジカの件で調査が進んだよ」
「ほう、共有してもらえるのか?」
「もちろん。竜の鋭敏な感覚でシニエスタン周辺をもう一回調べたら、痕跡が残っていたんだ」
「我々の調査では何も出なかったが……。手間を取らせたな」
「構わないよ。ただ、大部分は風と土に紛れてしまっていたけどね」

 ロイドが皮袋を取り出す。そこには魔力がかすかに残る砂が入れられていた。
 砂は赤紫に変色していて、何かが砂に作用したように見えた。

「総出でかき集めて、このくらいだ。何かの足しになるかい?」
「もちろん、重要な手がかりだ。受け取らせてもらおう」

 アシュレイが皮袋を受け取る。

「……ふむ、でしゅ」
「どうかしたか、ライラ」
「ウチの国では魔物の暴走が相次いでいるんでしゅよね?」
「そうだな、ヴェネト王国の近辺で多発している。今、一番頭を悩ませている問題だ」
「最近、魔物の暴走があったところもロイドしゃんに調べてもらったらどーでしゅ?」
「僕は構わないよ。この件は僕の国でも重大案件だからね」

 アシュレイが皮袋に目線を落とす。
 その瞳には言いしれぬ悲壮さがあった。

「……ここ近年の暴走事件では、サーシャのが最大だった」

 その言葉の意味をわからないライラやロイドではない。
 アシュレイの指が皮袋をなぞる。古傷に触れるように。

「何度調べても、何も分からなかった。単なる不幸な事件としかな。だが、これほどまでに暴走事件が起きている……何か裏にあるんじゃないかと思わざるをえん」
「僕も同じ見解だ。竜の歴史を紐解いても異常な頻度だよ」
「やはりそうか……。そう、だよな」

 アシュレイが長く息を吐く。

「サーシャの事件現場、彼女の研究所跡は保存してある。四年前だが何か残っているかもしれない」
「……とーさま」
「他の事件が起きた地点も内務省で記録している。ロイド、君が調べてくれるなら被害者も喜ぶだろう。どうか頼む」
「わかった。じゃあ僕はライラの手伝いをしながら事件の地点を調べて回るよ」
「あたちはその砂をちょっと調べてみるでしゅ」
「……何だって?」
「どーいう魔力なのか、魔法薬で調べられるでしゅ」

 魔法薬には試験薬の類もたくさんある。
 魔力や魔物の痕跡を割り出すなら、魔法薬の右に出るものはない。

「いや、だがな……」
「主様より適役がいるんですか?」
「……いない」

 アシュレイが渋々と認める。

 4歳児だが魔法薬について、ライラに比肩する人材は国内にいないだろう。
 その上、機密という点でもライラ以上に信用できる人間もいない。

「わかった。だが、くれぐれも扱いには気を付けてくれ」
「はいでしゅ! これも頑張るでしゅよ!」
「うん? これも……?」

 ロイドが小首を傾げる。
 ライラはロイドが来る前に話していた分身薬のことを力説した。

「ふふっ、なるほどね……君らしい」
「そーいうわけで、素材集めにはまた手を借りるでしゅ」
「わかった。もちろん協力するよ」

 こうして新しい目標に向けてライラは意気込むことになった。
 これがヴェネト王国を大きく変えることになろうとは、この時のライラは思いもしなかった。
 それから1週間、ライラはまた本漬けの日々を送っていた。

 調べているのは分身薬と赤紫色の砂の分析方法である。
 シェリーはライラの助手として存分に働いていた。

「隣国より取り寄せた本はこちらに!」
「あーい」
「書写した冊子は向こうに!」
「あいあーい」

 分身薬も高難度の魔法薬だ。文献調査が欠かせない。

 色々と取り寄せて読み進めたことで、でなんとなく構想が浮かんできた。
 この瞬間がライラにとってはたまらなく楽しい。

 ライラが工房で両腕を振り上げる。向け先は工房で仕事をしているアシュレイだった。

「とーさま!」
「なんだ?」
「お出かけしたいでしゅ!」

 アシュレイが窓の外を見る。
 ヴェネト王国はすでに冬。さらに今日は吹雪であった。

「冬だが……」
「研究のためでしゅ」
「あの砂の件か?」
「関係なくもないようなところでしゅけど、本題はそれじゃないでしゅ」

 ごにょごにょ。歯切れが良くない。

 アシュレイが窓の外を見る。
 叩きつけるような雪のせいで外が白ということしか分からないほどだった。

「この月には珍しいほどの吹雪だが……」

 ライラがじーっとアシュレイを見つめている。

 今までもライラがテレポート薬でひょいと買い物に出かけたことは何度もあった。

 出かける先にアシュレイが不要なら、声をかけることはないはず……。
 つまり今回はアシュレイの力が必要ということだ。
 そう考えると悪い気分ではない。

「……どこに行きたいんだ?」

 ころっと態度の変わったアシュレイにモーニャが少し呆れる。

「主様に甘いですねぇー」
「まぁ、頼られて陛下も嬉しいのでしょう……」

 ライラが新しい地図をとことこと持ってくる。
 それが冒険者ギルドの発行した最新地図帳であることにアシュレイは気付いた。

「ここでしゅ」

 ライラがずびしっと指したページにアシュレイは眉を寄せる。

「ヴェネト王国、最高危険度の魔物群生地――石化の沼じゃないか!」
「あの石化の沼ですか!?」
「おおっ、ふたりとも知っているんでしゅね!」

 ライラが瞳をきらきらさせる。
 だがアシュレイは苦虫を噛みつぶしたような顔だった。

「知っているし行ったこともあるが、観光地じゃないぞ。この国でも有数の危険地帯だ」
「みたいでしゅね」
「ただの危険地帯ではありません! ここは周囲を軍が封鎖して何とか……毒も年中無休で大気を覆っている激ヤバな土地ですよ!」
「そんなことも書いてあるでしゅ」

 アシュレイとシェリーが顔を見合わせる。

 ライラはすでにこの土地からゲットできる素材に心奪われていた。
 このモードになるともう危険性などどこ吹く風だ。

「……わかった。俺も同行する」
「おや、珍しいでしゅね。素材集めにこれまでついてきたりしなかったのにでしゅ」
「それだけ危険なんだ。それにあそこはバルダーク侯爵の管轄でもある……俺が行ったほうがいいだろう」
「バルダーク……シニエスタンでも聞いた気がするお名前でしゅね」
「彼の軍はシニエスタンの時にも活躍していた。俺らが群れを討つ際、街を守っていたのは彼の軍だ」
「陛下の率いる近衛軍が鋭い矢なら、バルダーク侯爵の軍は盾と言えるでしょうね」
「ほえー、そんな人が石化の沼の防衛を担当してるんですねぇ」
「ああ、バルダーク侯爵の担当は飛び石のように散らばっている。それに……」

 そこでアシュレイは言葉を切った。このように途切れるのは珍しい。

「どうしたんでしゅか?」
「彼は根っからの武人だからな。正直、お前にどう反応するかわからん」

 モーニャがふよふよしながら能天気に答える。

「意外とお菓子をくれたりするかもですよ?」
「……ならいいがな。で、石化の沼にはいつ行きたいんだ?」
「うーん、準備を済ませて……明日でしゅ!」
「もうちょっと猶予をくれ」
「じゃあ明後日でしゅ!」
「もう一声欲しい」
「3日後じゃどーでしゅか!」
「よし、3日後に向かうとしよう」

 ということでライラのお出かけは3日後に決まった。

 出発までの間、ライラは猛スピードで調合を済ませる。
 すでに大量の希少素材が工房にはあるので、用意できるものは用意しておこうという形だ。

「ふんふんふーん♪」

 小さなフライパンや鍋もしっかりコーティングしておく。
 素材と魔力をあらかじめ馴染ませておくと調合にもプラスなのだ。

 こうして準備を終えたライラは意気込んで当日の朝を迎えた。
 大きなバックパックの荷物を2回も点検し、モーニャの毛並みの先までブラシして整える入念さである。

 最近は若干ラフな服装で工房を訪れることも多いアシュレイも、その日の服装は気合いが入っていた。
 石化の沼に行くのはシニエスタンの戦いに挑むのと同じくらいらしい。

「……気は変わってないようだな」
「もちろんでしゅ!」

 ちなみにシェリーも軍装で準備していた。

「わ、私も頑張ります!」

 戦力というよりは、どちらかというと荷物持ちとして。
 ということで一行は石化の沼へとアシュレイのテレポート魔術で向かったのであった。
 石化の沼は王国の南部に位置する。周囲は広範囲な湿地帯で人口密度は低い。
 山々の盆地から水と魔力が流れ込み、危険地帯になったとのだとされている。

 テレポート魔術でぐいーんと身体が引き伸ばされる感覚を味わい、目を開けると一行は石化の沼に到着していた。

「雰囲気ありましゅね!」

 到着したその場所は高台であった。沼を監視するヴェネト王国軍の砦でもある。

 目の前の沼地は濃い赤色に濁り、ボロボロに枯れた木が点在する。
 何回か雪が降ったのか、赤色に濡れた積雪箇所も多い。

 書物通りの景色にライラのテンションが上がる。
 モーニャが毛先をいじいじした。

「おー……せっかく整えた毛が汚れそうですね」
「だいじょーぶでしゅ! 汚れたら何度でも拭いてブラシしてあげましゅから!」
「おふたりは……何ともなさそうですね」

 酸っぱい匂いと濃密な魔力が沼に漂っている。

 その魔力だけでシェリーは気分が少し悪くなっていた。
 高台下では数百の兵士がきびきびと働いており、かがり火が所狭しと並んでいる。

「陛下、お迎えにあがりました」

 屈強の鎧騎士を伴い、高台に登ってきたのはバルダーク侯爵であった。
 アシュレイの要請により、彼もまた石化の沼に下向してきたのだ。

「悪いな、バルダーク」
「もったいなき御言葉……それでは、そちらのお嬢様が?」
「ああ、お前はもうシニエスタンで噂を聞いているだろうが……」

 ライラとモーニャがぴょんと前に出る。

「あたちはライラでしゅ! よろしくでしゅ!」
「モーニャといいますぅー!」
「……ふむ」

 バルダークが目を細める。アシュレイほどにも反応しない。
 背は180センチ、隻腕、肩幅も広くて威圧感があり……ちょっと気まずい。
 モーニャがライラにごにょごにょ耳打ちする。

「主様、やっぱりこの挨拶はフランクすぎたのでは?」
「もう手遅れでしゅよ。押し切りましゅ」

 バルダークがそこで膝を屈め、懐に手をやる。

「――っ!」

 ライラが思わずびくりとすると、バルダークが懐から可愛らしい花柄の袋を取り出した。
 袋からは香ばしいバターの匂いが漂っている。モーニャが鼻をひくひくさせた。

「……それはなんです?」
「クッキーだ。家内に焼いてもらった。ぜひ食べてみてくれ」

 ライラが袋を受け取り、中を開ける。
 バニラとチョコの美味しそうなクッキーがぎっしりと入っていた。

「おおっ! おいしそーでしゅ!」
「うぁー! 食べちゃいます!」

 ライラもモーニャも美味しいものが大好きである。

 その場ですぐさまポリポリとクッキーを食べ始めた。
 ほどよく柔らかく、砂糖も多め。4歳児向けのクッキーだった。

「うーん、すばらしーでしゅ!」
「はぁ〜幸せ〜!」
「家内はちょっとした菓子店も経営している。口に合ったようで良かった」

 ぽりぽりぽり……!

 ふたりはクッキーを食べ続けていた。一段落するまでシェリーは見守るだけだ。
 さすがに4歳児にクッキーをくれとは言えない。

「すっかりクッキーに夢中ですね」
「ふむ、菓子を自作か……」

 ぽつりと呟くアシュレイにバルダークが応じる。

「陛下も挑戦いたしますか? 料理の道は武と同じで果てしないそうですが」
「……国内がもう少し静穏になったらな」

 ここに来た理由はライラの付き添いだが、広くは魔法薬の生産と暴走事件の解決にある。

「しかし、驚きました。陛下から石化の沼を訪れたいと連絡のあった時は……。ここはかろうじて封じ込めておりますが、掃討の目処もない危険地帯です」
「ライラが行きたいと言うものでな」
「ここの魔物は泥の魔力と一体化して、とても強靭です。普通の魔術は効果がありません。手はありますので?」

 クッキーをごくんと飲み込んだライラが勢いよく手を挙げる。

「だいじょーぶでしゅ!」
「口の端にクッキーがついてるぞ」

 ぐいっとモーニャがライラの口の端のクッキーを拭う。

「爆裂薬もさほど効果はなかろう。毒の類も効かん。だが、方策はあるんだな?」
「……きっといけるでしゅ!」
「ふむ、試してみられれば良いでしょう」

 ライラたちが高台を降りて砦に向かう。
 砦では兵士たちが首を伸ばしてざわついていた。

「この沼に挑むつもりらしい……」
「陛下と将軍と言えども……」

 駐在する兵はこの沼の危険性をよく分かっている。
 何百年の間、打開策もなく封鎖することしかできていないのだから。

 それは即位したアシュレイにとっても同じだ。バルダークが念を押してくる。

「この沼の魔物は動きが遅いですが、討伐は非常に困難。冒険者も命知らずが奥へと挑みますが死にゆくのみ……」

 石畳の道が終わり、沼にさしかかる。
 間近に来るといくつもの敵意が背を刺すようだった。

「すでに待ち構えているな」
「はい。魔物どもは不用意な獲物が足を踏み入れるのを待ち伏せしております」

 ライラはバックパックからごそごそと瓶を取り出す。
 小瓶の中にあるのは緑色のどろっとした液体――毛生え薬だった。

「それをどうするつもりだ?」
「ふっふふ……でしゅ! へーか、まず魔物をおびき寄せてくだしゃい!」
「……なんだと? 説明を聞いただろう。ここの魔物に攻撃用の魔術は効果がない」
「おびき寄せるだけでいいでしゅから!」

 ライラがせがむ。
 アシュレイは口の端を曲げながらも首肯した。

「わかった。引きつけよう」
「はいでしゅ!」
「陛下、危険ですぞ」

 バルダークが呼び止めるがアシュレイは歩みを止めない。

「俺を誰だと思っている。ここの魔物にも遅れはとらん」

 それだけ言うとアシュレイは魔力を解き放ち、空へと舞い上がった。

「さて、と。どうせ効果が見込めないなら派手にやるか」

 アシュレイが両手に魔力を集め、凝縮させる。
 魔力が渦巻く光になり、アシュレイはそれを沼へと放った。
 飛行魔術と攻撃魔術を併用できるのは、最高クラスの魔術師だけである。

「へーかもやりましゅね……」

 渦巻く光が沼に着弾し、爆発を起こす。大地が揺れて沼が沸き立った。

 沼から赤紫の沼水をしたたらせながら、枯れた大木の魔物が姿を見せる。
 石のように灰色の身体と腕のような枝が生えていた。
 幹に空いた黒い穴が目と口の役割を果たし、うめき声を漏らす。

「ウウウウ……ッ!!」

 植物系のA級魔物、ドライドウッドだ。身体は石のように硬く、防御に長けている。
 他の地域では動きが鈍く、炎に弱いのでそこまで危険ではない。

 だが、ここにおいては沼の魔力を吸って遥かに強力になっていた。
 魔術を弾き、炎も寄せ付けない。

 実際、アシュレイの攻撃魔術を受けても傷ひとつついていなかった。

「モーニャ、空から撒くでしゅ!」
「はーい!」

 ライラから毛生え薬を受け取ったモーニャが空へとくるくる飛んでいく。
 ドライドウッドがモーニャに向くが、アシュレイがそこに火炎魔術を打ち込む。

「おっと、お前の相手はこっちだ」
「ウウウウッ!!」

 ドライドウッドが腕に魔力を集め、枝を弾丸として撃ち出してきた。
 だがアシュレイはそれを華麗な飛行魔術で回避して翻弄する。
 その隙にモーニャがドライドウッドの上に飛び、瓶を開け放つ。

「いきますよぉー! それー!」

 ぱーっと緑の毛生え薬がドライドウッドへと降りかかる。

「……毛生え薬で何が起こるんだ?」
「まー、見てなしゃいです」

 毛生え薬が触れた箇所に自然の力が発現していく。
 ドライドウッドの身体の魔力がどんどん緑の葉へと変わり、弱っていく。

「ウウググ……ッ!」
「なんと、体内の魔力が置換しているのか!」
「まさかこんな効果があるなんて……!」

 バルダークとシェリーが呆然と成り行きを見つめる。

 砦の兵士たちも防壁越しにこの戦いを見守っていた。
 ドライドウッドが膝をついて、枝を打ち出すのも止まる。

「あんな戦い方があるのか……」
「さすがは陛下の連れている方々だ……!」

 少しするとドライドウッドは完全に沈黙した。
 体内の魔力が緑の芽吹きによって尽きたようだ。

「今でしゅ!」
「ああ、終わりにしよう!」

 アシュレイが大気に満ちる魔力を操り、魔術で鋭利な刃を形作る。

 純粋な巨大な銀の鎌がアシュレイの手の先に出現した。
 鎌の刃のサイズは大の大人を遥かに上回っている。

「はあっ!」

 アシュレイが右手で鎌を投げつけると、高速の刃がドライドウッドへ向かう。
 パリン……っという甲高い音を立ててドライドウッドが両断された。

 べしゃ。ドライドウッドの巨体が沼に崩れ落ちる。
 魔力の脈動も消え、討伐できたようだ。

 その様子を見て砦の兵士が熱狂する。
 こんなに簡単にドライドウッドを討伐した者などいなかったからだ。

「すげぇ! 本当に倒した!」
「アイツはどんな攻撃も通じないのに! やったぁ!」
「魔術王様! バンザイー!」

 一連の様子を見ていたバルダークが残った左手を顎に当て、感嘆する。

「ううむ、まさか……本当にこれほど短時間で撃破されるとは。信じがたい成果ですな……」
 戻ってきたモーニャがライラの頭上にぽふっと着地した。

「ドライドウッドってそんなにヤバい魔物なんですか?」

 モーニャの問いにシェリーが答える。

「普通のドライドウッッドはそこまでではありませんが……炎が効きますからね。でもこの沼のドライドウッッドは弱点がなく、正面から戦うことはできません」
「その通りだ、シェリー。ここのドライドウッドはミスリルの刃さえ無効にする。基本的に沼から出てきそうな個体は慎重に誘い出し、落とし穴に落とすしかない」

 モーニャが砦を見渡す。

「この砦に落とし穴があるんですか?」
「この中央通路以外は落とし穴だらけだ。数百の落とし穴がある」
「ひぇっ! 危ない!」
「モーニャは飛べるじゃないでしゅか」
「……それもそうでした」
「そうやって落とし穴に誘って、力尽きるのを待つんでしゅよね?」
「ああ、それが唯一確実に沼の魔物を倒す手段だからな。しかし力尽きるまで何日もかかる……危険な戦いだ」
「それが……ほんの数分で終わってしまいましたね」
「記録上、こんな戦いをした者はいない。沼に生息する魔物は植物系しかいないが……まさか、全部にこの手が有効なのか?」
「そーでしゅ! 多分、このやり方ならけっこーいけるでしゅ!」

 ライラの断言にバルダークが問う。

「お嬢様、どうしてそう思われたのです?」
「うーん、なんか魔物図鑑を見てたら思い浮かんだんでしゅ!」

 ライラが元気良く答える。たったそれだけの情報で最適解に行き着くとは。
 バルダークもこの4歳児が想像以上の傑物だと認めざるを得なかった。

(陛下の親族、もしくは子なのではと噂があったが……これは、もしや……)

 公的にアシュレイはライラの存在を明らかにはしていない。
 真実を知るのはアシュレイの側近だけのはず。

(仮にもボルファヌ大公派の私の前で、彼女の力を示してくるとは……。陛下は私を試しておられるのか)

 兵士はたやすく沼の魔物を倒した一行に歓声を上げ続けていた。
 当然だ。沼の魔物が減れば砦の兵は助かる。国土も守れるのだから。

 上空からアシュレイが地上に声をかける。

「倒すのは1体だけでいいのか?」
「うーん、待ってくだしゃい!」

 とととーっとライラが倒れたドライドウッドに走り寄る。全く恐れていない。
 ライラは動かなくなったドライドウッドの腕を持ち上げようとしていた。

「い、意外と重いでしゅ……!」
「ちょっと無茶ですよ!」

 シェリーも続いて魔物の腕を持ち上げる。

「で、なぜ腕を……?」
「この付け根の部分が欲しいんでしゅ!」

 ライラがお目当ての部分に顎を向けると同時に、バルダークが前に進み出る。

「刀剣で斬っても?」
「だいじょーぶでしゅ!」

 スパッ! バルダークが長剣を抜き放ち、ドライドウッドを切り裂く。

 その斬撃は神速にして正確無比――ドライドウッドの腕と付け根の部分が上手く切断されていた。

「おーっ! こーしゃくさま、凄いでしゅ!」
「バルダークで結構ですよ。……ふむ、息絶えてからならはっきり分かりますが、両腕の付け根に魔力のコブがありますね」
「わかりましゅか! これが必要なんでしゅ!」

 ライラがバルダークによって切り離されたドライドウッドのコブを掲げる。
 白く乾いた木の皮だが、中には魔力が秘められていた。

「まだまだひつよーでしゅ! どんどんいくでしゅよ!」
「なるほどな、この沼に巣食う植物系の魔物のコブか……わかった!」

 一行は沼の魔物をさらに討伐すべく、行動に移る。
 それは砦の兵をも駆り立てた。

「こうしちゃいられねぇ! 将軍! 俺たちも手伝います!」
「囮や運搬なら、力になれるはずです!」
「……お前たち」

 バルダークが目を閉じる。
 この地の魔物に対して駐在兵はあまりにもか弱い。
 常日頃、力の不足を感じながら仕事に就いている。
 それを払拭する機会がまさに今日だった。

「よし! 討伐の邪魔にならないよう、連携して作業に当たれ!」

 こうして砦の人も動員して大規模な討伐作戦が始まった。

 アシュレイが攻撃魔法で上手く魔物を引き寄せ、モーニャが薬を散布する。
 そうして弱ったところを再度、アシュレイが仕留める――というものだ。

 もちろん全てが簡単に済むわけではない。

「主様、こいつ薬を振りかけても動きますよー!?」
「むぅ! そいつは背中、背中にたっぷりかけてやるでしゅ!」

 たまに瘤が変わった場所に生えている個体もいる。
 そうした個体に対処するのがライラの役目だった。

 また、解体作業の指示も基本はライラだ。
 彼女以上に魔物に詳しい人間はいないのだから。

「あっ! そいつは目の部分もいけそーでしゅ! とっておいてくだしゃい!」
「承知した……!」
「あわわ! 素材は私が回収、保管していきますのでー!」

 ライラの使う大切な素材はシェリーがきちんとメモを取りながら取り分けていく。

 あっという間に数時間が経過し、陽がやや傾いてきた頃。
 砦の前には魔物の残骸が大量に積まれていた。

「ふぅ……こんなもんでしゅかね」
「ああ、そうだな。凄まじい戦果だ」
「はひぇー、終わりましたかぁー」

 ずっと空を飛んでいたモーニャがライラの懐に飛び込む。
 それをよしよしと撫でるライラ。

「お疲れ様でしゅた」
「んぁー」

 全身を脱力させたモーニャを抱えながら、ライラはシェリーの元に向かう。

「かなり集まりましたよ、ご確認ください!」
「はいでしゅー。おおー……想像以上でしゅね」

 シェリーがメモとバッグに集めた素材を披露する。
 素材自体は乾いた木の皮や炭化した木材だが、ライラには黄金に光って見えた。

「ふふふっ、これだけあれば、でしゅ……!!」

 ライラがバッグパックから包丁や鍋、即席コンロ、すり鉢やすりこぎ棒を取り出す。
 近くに着地して戻ってきたアシュレイが首を傾げた。

「……何をしようとしてるんだ?」
「もちろん、ここで調合するでしゅ! あの分身薬を即、作りたいでしゅからね!」
「現地でやるつもりだったか……」

 ライラの活躍を目にしていた兵が即座に反応する。

「この場で魔法薬を作るってよ!」
「そりゃあいい! ぜひとも見せてくれないかな……!」

 しかも兵だけでなくバルダークさえも乗り気だった。

「陛下、何を作るかの仔細は存じませんが……砦を使われるなら、ぜひとも」
「ありがとーでしゅ!」

 アシュレイが答える前にライラが身を乗り出す。

 やれやれと思いながら、止めないほうがいいだろうとアシュレイは判断した。
 なんだかんだ言ってもアシュレイはライラに甘いのである。

 砦の一角を借り、ライラとモーニャが荷物を並べていく。
 即席コンロやら鍋やら……あっという間に調合場が完成していた。シェリーが手伝う隙もないほどだ。

「とても慣れておられますね……」
「お外でのまほーやく作りこそ、楽しいんでしゅ!」
「古の時代には工房もなく、野外での魔法薬作りこそ本命とはあったが……」

 アシュレイが古書の一節を思い出している間に、ライラは調合をスタートさせていく。

「ふんふんふーん♪」

 鼻歌をしながら木の皮を物凄いスピードで削り、あるいは刻んでいく。
 まな板に止まることなく音が鳴り、近くにいる見学者の誰もがそれに注目していた。

「なぁ……この沼の魔物の素材ってあんな簡単に切り分けできたか?」
「いや、将軍ならまだしも……信じられねぇ」

 素材のカットが終わるとライラは鍋に逐次放り込んでいく。
 ここからが腕の見せどころだ。

「モーニャ、風が欲しいでしゅ」
「はーい」

 モーニャ、そしてライラ当人の魔力を織り込めながらじっくりと煮込む。
 もくもくもく……と物凄い量の煙が鍋から出始めた。

「なんだか煙が恐ろしい勢いで出てないか?」
「吸い込んでも無害でしゅ!」
「……これだと野外でやるしかないな」

 全部で2時間ほど作業をしただろうか。
 鍋をぐるぐるぐる回していたライラがお玉を止める。

「よし、できましたでしゅ!」
「おー! これがもしかして……!」
「分身薬でしゅ!」
 どーんとライラが胸を張る。鍋の中身は灰色であまり美味しそうな色でもなかった。
 素材が素材なので、匂いも木の皮の匂いである。

「さて、誰が一番に飲むかでしゅけど……」
「主様は飲まないので?」
「アレンジを加えたので、他の人の観察を優先したいところでしゅ」
「……主様が飲まないなら私も……」

 モーニャがちょっとだけ鍋から離れる。

「そういうことでしたら! ぜひとも私が!」

 びしっと腕を上げたのはシェリーであった。
 アシュレイが感心して頷く。

「勇気があるな」
「あれ? 陛下は……?」
「俺は毛生え薬で先陣を切ったから、今回は別の人間に試飲の栄誉を譲りたい」
「は、はぁ……そこまで名誉な行為と言われると逆にドキドキしてきてしまいますが……」

 シェリーとしては軽い気持ちで手を挙げたのに、こう言われると身構えてしまう。

 とはいえ撤回はせず、ライラから分身薬が入った木のコップを渡してもらう。
 コップのサイズはかなり小さく、ライラの手のひらほどしかない。

「で、では……っ!」

 ごくっ。

「……っ!!」

 苦い。
 さらに舌がピリっとして――シェリーは涙目になってくる。

「全部でしゅ! もっともっと、飲み切るでしゅ!」
「ふぐっ、はい……っ!!」

 シェリーも国王付きの騎士。
 根性を見せて激マズの薬を一気に流し込む。

「ぷはっ、はぁ……はぁっ……」
「大丈夫か、死にそうな顔をしているぞ」
「味はまぁまぁキツめかもでしゅからね」
「……まぁまぁのレベルではなさそうだが……」
「味はおいおい、かいりょーしてくでしゅ。で、シェリーたんはどうでしゅうか?」
「……はい、なんだか肩のところが熱くなって……」
「おおっ! 読み通りでしゅ!」
「くぅ、でも……これ、うくっ!」

 シェリーが肩当てを外し、身をよじる。
 と、シェリーの肩から蒸気が立ち昇ってきた。

「だ、大丈夫なんでしょうか!?」
「……問題ないでしゅ!」
「主様、ちょっと額に汗が……」

 モーニャが前脚でライラの汗を拭う。
 そして蒸気がシェリーの上半身をすっかり包み込んだ。

「おわぁー!!」
「おいおい、これはまた凄いな……!」

 やがて蒸気が弱まり、シェリーの上半身が再び姿を見せる。
 そこには右肩から腕が生えたシェリーがいた。
 増えた腕は色も形も完璧に右腕である。

「……え」

すっすっと三本目の腕が動く。

「おー……うん、まぁ……予想通りでしゅ!」
「えええー!! 腕が、肩から腕がっ!」
「落ち着いてくだしゃい! それは自由に動くでしゅよ!」

 シェリーの3本目の腕がVサインをした。

「た、確かに……思い通り動きます!」
「ほう、なるほど……」

 アシュレイが腕を組んでシェリーに生えた3本目の腕を眺める。

「腕だけを分身させるのか。面白いアレンジだな」
「んむ、でしゅが……肩からだと微妙に不便かもでしゅ」

 3本目の腕も長さは通常通り。
 生えた位置的に両腕と同じようには使えそうになかった。

「そこも計算通りじゃないんですか、主様」
「肩から腕が出てこないとわからないでしゅよ」
「まぁ、しかし成功は成功だろう。効果時間は?」
「あのコップ一杯で一日は持つはずでしゅ」
「そんなに? それこそ凄いじゃないか」
「効果がすぐに切れちゃったら、無意味でしゅからね」

 肩から腕の出ていたシェリーをバルダークが興味深そうに見つめる。
 謎に生えてぴょこぴょこ動く腕を眺めると、彼の失われた右腕が疼いてきた。

「その分身薬、私にも試させてもらえませんでしょうか」
「……なんだと?」
「試飲係はいくらでも大歓迎でしゅ!」

 訝しむアシュレイと対照的にライラは両手を上げる。

「もし右腕のない私が試したら、どうなるのでしょう?」
「わからないでしゅ!」

 あまりにはっきりした答えにモーニャやシェリーはがくっとした。

「……この魔法薬は戦傷に苦しむ同胞を救う鍵になるかもしれません。どうか、試させてください」
「だが、貴卿は王国の要……」
「将が先陣を切らねば、部下はついていきません。私が試して上手く行けば、信用も得られましょう」
「ふむ……だそうだが、大丈夫か?」
「だいじょーぶでしゅ! ダメでも頭や股間から腕が生えるくらいでしゅ!」
「主様、地味に問題じゃありません?」
「明日には消えるでしゅよ!」

 そんな副作用を聞いてもバルダークの決意は揺らがなかった、

「構いません。おかしな所に腕が生えても、改良に活かせるのなら……!」
「キマってましゅね! そーいうの、好きでしゅよ!」

 ライラが手のひらサイズのコップに灰色の液体を注ぐ。
 バルダークはコップを受け取ると、味にも匂いにも頓着せずに――ぐぐっと一気に飲み干した。

「おー! いい飲みっぷりでしゅ!」
「木の根や野草に比べれば、飲める味です」

 で、少し待つとバルダークの上半身からも蒸気が立ち昇り――すっぽりと彼を包む。

「どうなるんでしょー……」
「見守るでしゅ」
「あからさまにワクワクしてますね、主様」

 そして蒸気が弱まり、バルダークが姿を見せ――なくした腕の部分からしっかりと右腕が生えていた。
 しかも生えてきたのは、しかるべき長さの右腕だ。

 それはまるで失われていた腕が戻ったかのようであった。
 バルダークが右腕を見つめながらくいくいっと動かす。

「問題はありましゅか?」
「いいえ……自由自在です。左腕と同じように動きます」
「まー、そうじゃないとダメでしゅからね!」

 ライラがふんっと胸を張った。肩に腕を生やしたままのシェリーも頷く。

「ビジュアルは置いておいても、確かに違和感なく操作はできますね……」
「ふむ、ちょっと失礼」

 バルダークが剣を抜き放ち、両手で構える。そのまま一閃。
 その剣速は片腕の時よりも速いように思えた。

「……体幹のバランスは考えねばならないでしょうが、慣れればまず問題ないでしょう」

 魔法薬の効果を見て、兵たちが盛り上がる。

「すげぇ、腕が生えるのか!」
「将軍万歳ー!!」

 思ってもみなかった反応にライラが目をぱちくりさせた。

「こんなに喜んでくれるとは、予想外でしゅね」