気合を入れたライラが素材に向き合う。
もう毛生え薬のレシピは頭の中に入っていた。
まず極めて貴重な月と太陽の香草を鉢にどさっと入れる。
この香草だけで下級貴族が一年暮らせるほどの価値がある。
ごくり、とその価値を知る文官が息を呑む。
満月蜘蛛の糸も鉢に入れ、ゆっくりと魔力を込めながら混ぜ合わせる。
「ごりごり、ごりごり……でしゅ」
満月蜘蛛の糸に魔力を馴染ませながら、硬い葉を砕く。
魔力の制御を間違えると台無しになってしまう、繊細さを要求される作業だった。
「モーニャ、風の魔力を送ってくだしゃい」
「はーい」
すり鉢のそばに浮くモーニャが前脚をぱたぱたとさせ、風を起こす。
それが終わるとライラはまた作業に集中し始めた。
やがて葉を砕く作業が終わると、流れるように次の作業へと映る。
迷いも淀みもない。
「……凄まじいな」
工房の反対側に座るアシュレイが張り詰めた作業に感想をこぼす。
「普通の薬師なら、ひとつふたつの作業で疲労困憊して終わりになってしまうでしょう」
「そうだろうな。ライラの魔力だからできることだ……。伝説の魔法薬というのも頷ける」
ライラが砕いたいくつかの素材と溶液を鍋に入れ、魔力を通しながらかき混ぜる。
「次の素材はここに置いておくよ」
「ありがとでしゅ」
ライラには珍しく、顔をロイドに向けずに答える。
ライラの視線と集中力は今、魔法薬に注がれていた。
アシュレイの手元にも毛生え薬のレシピの写しがある。
それを読み返したアシュレイが首を傾げた。
「……本に載っているレシピと違うんじゃないか」
「ええ、はい……ライラ様のアレンジが入っていますね」
「大丈夫なのか……」
ちょっと不安そうな声を出すアシュレイ。
伝説的な魔法薬で、さらにアレンジとは。
「あたちの調べでは、むしろレシピのほうが間違ってるでしゅ」
鍋の中身をぐるぐる。魔力を溶け込ませる反復作業中のライラが答えた。
「詳しいことは省略しましゅが、あたちのやり方のほうが多分正解でしゅ」
「ううむ、昔のほうが間違っていたと……? 魔術にもたまにあるが……」
魔術にも同じ効果で様々な流派があり、中には非効率なものもある。
「パイの作り方もたくさんありますからねー」
「そーいうことでしゅ」
鍋を混ぜ終わったら、さらに素材をひとつずつ入れては煮込み、混ぜていく。
黄金の冬虫夏草、ミスリルの粉、エルヘンの干し貝柱……。
ひとつひとつを丁寧に。
鍋の中身を確かめながら混ぜていくと、素材と魔力が融合して一体になってくる。
鍋から発せられる魔力の強さにアシュレイも身体の奥が震えてきた。
「恐ろしいほどの魔力だな、ロイド」
「ああ、これがライラの本気なんだね」
作業が始まって四時間が経ち、額の汗をモーニャがハンカチで拭う。
最後に再び満月蜘蛛の糸をひとつまみ。そこでライラが鍋の火を止めた。
「……完成でしゅ!」
ライラの言葉に工房の全員が声を上げる。
息を呑むような空気が一気に緩んだ。
「やりましたね!」
「ちゃんと融合しているね」
「ああ、歴史的な成功だな……!」
そこにライラが指を振る。
「ちっち、まだでしゅ。ちゃんとテストしないとダメでしゅよ」
「……テストか」
アシュレイが鍋をじっと見つめた。
「そうだな、確かに。しっかりと効果を確認しなければなるまいな」
「でしゅ。じゃあ適当な人に振りかけてみて――」
ライラが巨大スプーンで中身を小分けにしようとすると、アシュレイが止めに入った。
「待て、俺が最初ではダメか?」
「なんでとーさまが……とーさまの毛はふさふさでしゅよ。どこも抜けてないでしゅ」
「いや、そういうのではなくてな……。お前の薬を試してみたいんだ」
「……大丈夫だとは思いましゅけど、百パーセント安全ではないでしゅよ」
「それでもこの工房で作った新作だ。記念すべき一品じゃないか」
「う〜ん……」
まぁ、でも気持ちは分からなくもない。愛娘が精魂込めて作り上げた品だ。
他人がテストするくらいなら、自分でテストしたいのだろう。
「ずいぶんな親馬鹿でしゅけど」
モーニャがライラの耳元で喋る。
「エリクサーを用意しておけば大丈夫じゃないですかねぇー」
「そうでしゅね。そんなに実験台になりたいのなら、止めないでしゅ」
「実験台とテストは結構意味が違うように聞こえるけど」
ロイドのツッコミはもっともだった。
「些細な違いでしゅ」
ということで木製のコップに毛生え薬を取り分ける。
ライラに背を向けるよう座る彼の前のテーブルにはエリクサーの瓶も置かれていた。
「いつでも来い」
アシュレイは背筋を伸ばして待機している。
後ろに回ったライラがロイドに抱えられ、毛生え薬の入ったコップを傾ける。
ライラは魔獣の皮から作られた薄い手袋を着けていた。
プラスチックのような素材であり、魔法薬に触れても大丈夫。
緑色の毛生え薬は猛烈な魔力の波動を放つ、ドロっとした液体だ。
毛生え薬を手のひらにそっと出す。ぬるめの液体を感じながら、ライラは薬を手で伸ばした。
「行きましゅよー」
「ああ」
背中から見るアシュレイに緊張している様子はない。
信じ切っている。娘の魔法薬を。
こんなにも信用されるなんて……と思いながら、悪い気はしなかった。
……ぺたぺた。
ライラは毛生え薬の溶液をアシュレイの銀髪に塗りたくる。
艶があって流麗な髪。正直、毛生え薬は不要だが……これもテストだ。
コップの中身を全てアシュレイの髪に塗りつける。
「終わったでしゅ」
床に降り立ったライラがアシュレイを見上げた。特に変化はない。
「効果はすぐに出るのか?」
「割りとすぐ出るはずでしゅけど」
と、その瞬間――アシュレイの毛髪が恐ろしい勢いで伸び始めた!
ほんの一瞬で数十センチも髪が伸び、さらにぐんぐんと床へ近づく。
「ええっ!?」
「こ、これは……っ!?」
アシュレイもライラも驚きに目を見張る。
「ちょっとスピードが早すぎるかもでしゅ!」
あっという間にアシュレイの髪が床へ到達し、さらに広がっていく。
「主様、これってどれくらいで止まるんです?」
「5分ぐらいは続きましゅ」
「主様、それってかなり……マズくありません?」
数秒で数十センチ伸びる。このスピードのままなら、5分でも数キロの長髪になりかねない。
それはさすがに工房中が髪で埋まってしまう。
「エリクサーを飲んでくだしゃい!」
「いや、待て! 髪が伸びているだけだ……問題はない!」
アシュレイがライラたちを制する。
その間にも髪は伸び続け――床にも猛スピードで拡散していく。
「陛下……だ、大丈夫なのですか!?」
「頭が重いが、それだけだ」
髪はひたすらに伸びていく。
床はもう足の踏み場もないほど。
さらに髪は重力に逆らって工房全体を埋め尽くさんとする勢いだ。
わさわさ。アシュレイの髪を踏みそうで誰も動けない。宙に浮かぶモーニャを除いて。
「……髪が覆い尽くしたら備品が壊れるよ。さすがに止め時じゃない?」
ロイドが釜や備品に目を向ける。
「いや、もう少し。もうちょっとのはずだ」
アシュレイはなおもエリクサーを飲もうとしない……。
側近もさすがに無理に飲ませるわけにはいかず、目線でライラに助けを求める。
この状況にライラが爆発した。
「もう限界でしゅ! モーニャ、とーさまにエリクサーを飲ませるでしゅよ!」
もう毛生え薬のレシピは頭の中に入っていた。
まず極めて貴重な月と太陽の香草を鉢にどさっと入れる。
この香草だけで下級貴族が一年暮らせるほどの価値がある。
ごくり、とその価値を知る文官が息を呑む。
満月蜘蛛の糸も鉢に入れ、ゆっくりと魔力を込めながら混ぜ合わせる。
「ごりごり、ごりごり……でしゅ」
満月蜘蛛の糸に魔力を馴染ませながら、硬い葉を砕く。
魔力の制御を間違えると台無しになってしまう、繊細さを要求される作業だった。
「モーニャ、風の魔力を送ってくだしゃい」
「はーい」
すり鉢のそばに浮くモーニャが前脚をぱたぱたとさせ、風を起こす。
それが終わるとライラはまた作業に集中し始めた。
やがて葉を砕く作業が終わると、流れるように次の作業へと映る。
迷いも淀みもない。
「……凄まじいな」
工房の反対側に座るアシュレイが張り詰めた作業に感想をこぼす。
「普通の薬師なら、ひとつふたつの作業で疲労困憊して終わりになってしまうでしょう」
「そうだろうな。ライラの魔力だからできることだ……。伝説の魔法薬というのも頷ける」
ライラが砕いたいくつかの素材と溶液を鍋に入れ、魔力を通しながらかき混ぜる。
「次の素材はここに置いておくよ」
「ありがとでしゅ」
ライラには珍しく、顔をロイドに向けずに答える。
ライラの視線と集中力は今、魔法薬に注がれていた。
アシュレイの手元にも毛生え薬のレシピの写しがある。
それを読み返したアシュレイが首を傾げた。
「……本に載っているレシピと違うんじゃないか」
「ええ、はい……ライラ様のアレンジが入っていますね」
「大丈夫なのか……」
ちょっと不安そうな声を出すアシュレイ。
伝説的な魔法薬で、さらにアレンジとは。
「あたちの調べでは、むしろレシピのほうが間違ってるでしゅ」
鍋の中身をぐるぐる。魔力を溶け込ませる反復作業中のライラが答えた。
「詳しいことは省略しましゅが、あたちのやり方のほうが多分正解でしゅ」
「ううむ、昔のほうが間違っていたと……? 魔術にもたまにあるが……」
魔術にも同じ効果で様々な流派があり、中には非効率なものもある。
「パイの作り方もたくさんありますからねー」
「そーいうことでしゅ」
鍋を混ぜ終わったら、さらに素材をひとつずつ入れては煮込み、混ぜていく。
黄金の冬虫夏草、ミスリルの粉、エルヘンの干し貝柱……。
ひとつひとつを丁寧に。
鍋の中身を確かめながら混ぜていくと、素材と魔力が融合して一体になってくる。
鍋から発せられる魔力の強さにアシュレイも身体の奥が震えてきた。
「恐ろしいほどの魔力だな、ロイド」
「ああ、これがライラの本気なんだね」
作業が始まって四時間が経ち、額の汗をモーニャがハンカチで拭う。
最後に再び満月蜘蛛の糸をひとつまみ。そこでライラが鍋の火を止めた。
「……完成でしゅ!」
ライラの言葉に工房の全員が声を上げる。
息を呑むような空気が一気に緩んだ。
「やりましたね!」
「ちゃんと融合しているね」
「ああ、歴史的な成功だな……!」
そこにライラが指を振る。
「ちっち、まだでしゅ。ちゃんとテストしないとダメでしゅよ」
「……テストか」
アシュレイが鍋をじっと見つめた。
「そうだな、確かに。しっかりと効果を確認しなければなるまいな」
「でしゅ。じゃあ適当な人に振りかけてみて――」
ライラが巨大スプーンで中身を小分けにしようとすると、アシュレイが止めに入った。
「待て、俺が最初ではダメか?」
「なんでとーさまが……とーさまの毛はふさふさでしゅよ。どこも抜けてないでしゅ」
「いや、そういうのではなくてな……。お前の薬を試してみたいんだ」
「……大丈夫だとは思いましゅけど、百パーセント安全ではないでしゅよ」
「それでもこの工房で作った新作だ。記念すべき一品じゃないか」
「う〜ん……」
まぁ、でも気持ちは分からなくもない。愛娘が精魂込めて作り上げた品だ。
他人がテストするくらいなら、自分でテストしたいのだろう。
「ずいぶんな親馬鹿でしゅけど」
モーニャがライラの耳元で喋る。
「エリクサーを用意しておけば大丈夫じゃないですかねぇー」
「そうでしゅね。そんなに実験台になりたいのなら、止めないでしゅ」
「実験台とテストは結構意味が違うように聞こえるけど」
ロイドのツッコミはもっともだった。
「些細な違いでしゅ」
ということで木製のコップに毛生え薬を取り分ける。
ライラに背を向けるよう座る彼の前のテーブルにはエリクサーの瓶も置かれていた。
「いつでも来い」
アシュレイは背筋を伸ばして待機している。
後ろに回ったライラがロイドに抱えられ、毛生え薬の入ったコップを傾ける。
ライラは魔獣の皮から作られた薄い手袋を着けていた。
プラスチックのような素材であり、魔法薬に触れても大丈夫。
緑色の毛生え薬は猛烈な魔力の波動を放つ、ドロっとした液体だ。
毛生え薬を手のひらにそっと出す。ぬるめの液体を感じながら、ライラは薬を手で伸ばした。
「行きましゅよー」
「ああ」
背中から見るアシュレイに緊張している様子はない。
信じ切っている。娘の魔法薬を。
こんなにも信用されるなんて……と思いながら、悪い気はしなかった。
……ぺたぺた。
ライラは毛生え薬の溶液をアシュレイの銀髪に塗りたくる。
艶があって流麗な髪。正直、毛生え薬は不要だが……これもテストだ。
コップの中身を全てアシュレイの髪に塗りつける。
「終わったでしゅ」
床に降り立ったライラがアシュレイを見上げた。特に変化はない。
「効果はすぐに出るのか?」
「割りとすぐ出るはずでしゅけど」
と、その瞬間――アシュレイの毛髪が恐ろしい勢いで伸び始めた!
ほんの一瞬で数十センチも髪が伸び、さらにぐんぐんと床へ近づく。
「ええっ!?」
「こ、これは……っ!?」
アシュレイもライラも驚きに目を見張る。
「ちょっとスピードが早すぎるかもでしゅ!」
あっという間にアシュレイの髪が床へ到達し、さらに広がっていく。
「主様、これってどれくらいで止まるんです?」
「5分ぐらいは続きましゅ」
「主様、それってかなり……マズくありません?」
数秒で数十センチ伸びる。このスピードのままなら、5分でも数キロの長髪になりかねない。
それはさすがに工房中が髪で埋まってしまう。
「エリクサーを飲んでくだしゃい!」
「いや、待て! 髪が伸びているだけだ……問題はない!」
アシュレイがライラたちを制する。
その間にも髪は伸び続け――床にも猛スピードで拡散していく。
「陛下……だ、大丈夫なのですか!?」
「頭が重いが、それだけだ」
髪はひたすらに伸びていく。
床はもう足の踏み場もないほど。
さらに髪は重力に逆らって工房全体を埋め尽くさんとする勢いだ。
わさわさ。アシュレイの髪を踏みそうで誰も動けない。宙に浮かぶモーニャを除いて。
「……髪が覆い尽くしたら備品が壊れるよ。さすがに止め時じゃない?」
ロイドが釜や備品に目を向ける。
「いや、もう少し。もうちょっとのはずだ」
アシュレイはなおもエリクサーを飲もうとしない……。
側近もさすがに無理に飲ませるわけにはいかず、目線でライラに助けを求める。
この状況にライラが爆発した。
「もう限界でしゅ! モーニャ、とーさまにエリクサーを飲ませるでしゅよ!」
