転生チート王女、氷の魔術王に溺愛されても冒険者はやめられません!~「破壊の幼女」が作る至高の魔法薬が最強すぎるので万事解決です~

 ライラはアシュレイとともに王都ラルダリアに住むことになった。
 ニコルたちが帰ったあと、王宮の広間でライラはアシュレイにせがむ。

「……広いところがいいでしゅ」
「部屋はもちろん広いが……」
「そうじゃないでしゅ。工房が欲しいんでしゅ」

 ライラの言葉を聞いてアシュレイが眉間を揉む。

「工房だと? もしかして魔法薬を作るつもりか」
「もちろんでしゅ! 魔法薬作りは止めませんでしゅよ!」

 ぐっと拳を振り上げるライラ。
 アシュレイの娘になったとしても魔法薬作りはしたかった。

「ふむ……しかし、だが……」

 アシュレイは色々と考え込んでいるようだった。
 そこにモーニャがささやく。

「主様の魔法薬はそれはそれは凄いですから〜。そこはもう、おわかりですよね?」
「……それは間違いない」
「あれやこれやの魔法薬を主様が作って、王国に活かせば……主様は魔法薬が作れる、お父様も国が富む。そうですよねー?」

 モーニャが上手く乗せる。
 まだまだ舌っ足らずなライラにはできないことだった。

「確かにな……」

 アシュレイが組んだ腕を解く。

「反対派をおとなしくさせるためにも、分かりやすい【成果】は必要か。諸外国にも魔法薬を輸出できるようになれば……」
「えーと、そこまでは言ってないような〜?」
「冗談だ」
「そうは聞こえなかったでしゅよ」
「面倒なことは俺に任せておけ。しかし、いいのか? 遊ぶよりも魔法薬作りで」
「魔法薬を作るのがライフワークでしゅ!」
「……ふっ、そうか」

 アシュレイが意味深に目を細める。
 それがサーシャも同じことを言ったことがあるとライラが知ったのは、もっとずっと後のことだったが。

「なら早速、工房を作るか」
「何週間くらいかかりましゅ?」
「明日にはできているぞ」
「ふぇ?」

 翌日、アシュレイの言葉通りライラの住処である奥の宮に工房が設置された。
 その工房、ライラの家の10倍の大きさがある。ライラもモーニャも開いた口が塞がらなかった。

「は、早すぎません?」
「魔法先進国だからな。奥の宮に建てるならすぐできる。土の魔術で建物を、水の魔術で水道も完備だ。もう使えるはずだ」

 アシュレイが工房の中を案内する。

「うわぁ〜〜!」

 ピカピカの工房、デカい水道にコンロ。かまどの類もある。
 もちろん棚やタンスも数十、嬉しいことに書架もあった。

「細かな備品はこれからだが、ライラの家から持ってくるものもあるだろう?」
「もちろんでしゅよ。今日、取ってくるでしゅ」
「それならシェリーを側仕えにすればいい。彼女なら諸々の仕事を任せられる」
「あいでしゅ」

 なんとなくシェリーは雑用係っぽい。

 だが、今のライラも王宮知識はゼロである。
 忙しいアシュレイに全部やってもらう訳にもいかない。自然な選択と言えた。

 ということで、ライラの工房作り――もとい、お引越しが始まった。
 とはいえテレポート薬で行ったり来たりするだけであるが。

「使わないのはどうしましょうね〜」
「時間があるときに、整理すればいいでしゅよ。とりあえず王宮のこーぼーを完璧にセッティング、でしゅ!」

 幸い、家具やら服は王宮に用意されている。
 移動させるのは魔法薬関連だけだ。

 ライラとモーニャはドタバタしながら品物を森の家から王宮に移していく。
 家の瓶をひっくり返し、モーニャが確認する。

「えーと塩ダレ、にんにくダレ、生姜ダレ……これも要ります?」
「要る! とっても要るでしゅ!」
「まぁ……タレは継ぎ足しがいいみたいですからねぇ」

 この世界にもソースの継ぎ足し概念は存在する。
 実際には中身は入れ替わり、意味はないらしいが。しかし自作のタレはライラには捨てられない。
 合流したシェリーとその配下も必死になってライラの手伝いをしている。

「荷物の開封と並べるのは私にお任せくださいっ!」

 元々騎士だけあって、体力面ではバッチリだった。
 で、その中で魔法薬関連の素材があり――。

「おっと、これはあたちがやるでしゅ」
「いえ、お気遣いは無用ですっ! やらせてください!」
「これはギガントボアの肝でしゅ。ぶちまけると皮膚がてーへんなことになっちゃうでしゅよ」
「ひぇっ!? な、なるほど……」
「あっちの隅にあるのはヤバめな素材でしゅから、触らなくていいでしゅよ」

 こくこくと頷くシェリー。こうして半日ほどでお引越しは完了した。
 疲れからか、さすがのモーニャの尻尾もへたりとしている。

「ふぃー、終わりましたぁ……」
「ご苦労様でしゅー」

 すっかり夕方になった頃、公務でいなかったアシュレイが工房に姿を見せる。

「おお、すっかり変わったな」
「とーさま! どうでしゅか!?」
「うむ、素晴らしい。道具も素材も揃っている……これは全部、お前の家からだな?」
「そうでしゅよ」
「だと思った。素材ひとつ、道具ひとつの魔力が高純度だ。これだけの品物はそうそう揃えられるモノではない」
「ほぇー、やっぱり分かるんですねぇ」
「大学よりも設備は良さそうだな。……危険なモノも多そうだが」
「ぎくっ」

 アシュレイが目ざとく、危険物の棚を見やる。
 そうだった、魔物との最前線に立つアシュレイが魔物素材を知らないはずがない。

「あとで宮廷魔術師に結界を追加で張らせよう。それと、この区画は許可のない人間は立ち入り禁止だ」
「異論はないでしゅ」

 それはライラのほうからも頼むつもりだった。
 高価な素材も多いし、毒物が盗まれたらシャレにならない。

「俺もお前の魔法薬の腕前を知らなかったら、許可してないくらいだ」
「扱いには気をつけるでしゅよ」

 ライラも魔法薬作りで気を抜いたことはない。危ない目にあったことはないが、下手すると大惨事になるのはよくわかっている。

「シェリーも気をつけるでしゅよ」
「は、はい! そう思って宮廷医にも話しは通してあります! 何が起こっても――はい、対処できることなら大丈夫です!」
「安心でしゅね」
「宮廷医が不要とは言わないんだな」
「それはシェリー次第でしゅ」

 ということで工房のアレコレが一段落した。
 本格的な稼働は明日からだ。

「さぁ、頑張るでしゅよー!」
「はーい!」

 これがヴェネト王国に新しい嵐を巻き起こすことになるとは、さすがのアシュレイも予想していなかった……。
 翌日、工房が本格的に稼働し始めた。
 と言っても調合を行うのはライラで、シェリーらは助手的な立ち位置だったが。

「ふぅ、さて何を作ろうでしゅかね〜」
「アイデアはあるんです?」

 ライラはぱらぱらと書き殴ったノートをめくる。
 このノートは前世の記憶を元に書き続けてきたアイデア帳だ。

「作ってみたいのはこれでしゅかね」
「ふむむ、毛生え薬……?」

 シェリーがぽんと手を打つ。

「おお、あの伝説の!? 大学の授業で聞いたことはありますけれど、実物は私も見たことがありません!」

 毛生え薬自体のレシピ自体は存在する。
 だが現代では成功例がない。幻の魔法薬だ。

 モーニャが首を傾け、自身のもふもふボディーを確かめる。

「まさか、どこか抜けてます……?!」
「……そうじゃないでしゅよ」

 この毛生え薬というアイデア自体は独創的でもなんでもない。
 前世の日本でもこういう薬は販売されているし、この世界にもカツラはあるのだ。

「毛というのはどこでも悩みの種なんでしゅ……」
「ライラちゃんは本当に4歳児ですか?」

 ツッコまれるライラ。
 語りすぎてしまったかもしれない。

「でも毛の悩みは……ええ、私も父が最近ちょっと気にしてるみたいなんですよね」
「冒険者にもいましたもんねぇ〜。帽子や兜は蒸れまちゃいますし」
「そうでしゅ。毛生え薬にはきっと需要がありましゅ!」
「確かに! ライラちゃんの仰る通りです!」

 問題は成功者がいないこと。
 しかしそれは挑戦しない理由にはならない。

「難しいモノほど燃えましゅ……!!」

 だからこそ挑戦しがいがあるし、もし成功したらアシュレイも喜ぶだろう。

 魔法薬作りはまず、文献調査からだ。ということで諸々の魔法薬の本の研究から始める。
 シェリーに王都にある魔法薬のレシピ本を片っ端から持ってきてもらう。

「宮廷魔導師寮から借りてきたのはここに……!」
「あいでしゅ」

 ライラはぱらぱらと読み進める。

 その速度は超人的だった……まぁ、魔力で自己強化しながら読んでいるのだが。
 必要な部分を書き写し、また別の本を手に取る。

「王都図書館から借りてきたのは、向こうに……」
「ありがとでしゅ」

 ぱらぱらー、さらさらー。
 毛生え薬は伝説的な薬だ。本によって書いてあることが違う。

「ヴェネト魔法薬協会から借りてきたのは、はぁはぁ……ここに置きます」
「そんなに急がなくても大丈夫でしゅよ?」
「いえ! 私のほうはお気になさらずに!」

 こうして数時間を文献調査に費やしたライラは目をこすり、ぐーっと伸びをする。

「ふぅ、とりあえずはこんなところでしゅね。違うことをしたくなりまひた」
「じゃあ主様、使った魔法薬のストックでも足しておきます?」
「ぱぱっと作るでしゅ」

 ライラはこの数日で使った魔法薬の調合をし始めた。
 まずは爆裂薬だ。これは何百回も作っているので、身体に動きが染み付いている。

「ふんふんふーん♪」

 爆裂草の実を小鍋に入れて溶かし、そこに光蛇の鱗やら閃光石の粉末やら……。
 どろどろに溶けた素材たち。ライラの顔から笑みが漏れる。この瞬間はたまらなく楽しい。

「ふふっ、ふふふ……」
「主様……悪い魔女みたいな顔になってますよ」
「はっ!」

 顔を引き締めるライラ。ここにはシェリーたちもいる。
 あまりだらしいない顔は見せられない。

 ぐーるぐる。ライラ自身の魔力もたっぷりと込めて、鍋をかき混ぜる。
 やがて鍋の中身が白く濁り、魔力の光がパチパチと爆ぜてきた。
 猛烈な光が工房に満ちる。

「できまひた!」
「おー! いつ見ても綺麗ですねぇ」
「こ、これがあの氷河ヘラジカを一撃で倒した魔法薬ですね!」
「そうでしゅ。ここから素材を抜くとまた別の爆裂薬になるでしゅよ」

 ギガントボアを倒した爆裂薬はこの廉価版だ。

 素材も安く生産の手間は省けるが、破壊力が弱くなっている。
 とはいえ弱い魔物には廉価版のほうがいい。適材適所というやつだ。

「しかし、これほどの魔力を秘めた魔法薬を、こんなに素早く……」
「ちょっと作業をやってみましゅか?」
「……いいのですか?」

 全部、自分でやってしまうのもアレだ。

(任せられるところは任せたいでしゅ)

 アシュレイもシェリーを活用するよう言っていた。
 ライラの作業の一部がシェリーも出来るようになれば、アシュレイも満足するだろう。

「鍋から瓶に移し替えるのなら、そーんなに危険はない……はずでしゅ」

 ちょっと心配になるシェリーだったが、ライラがそばについてくれるので、移し替え作業をやってみることにする。

 シェリーは大きな白のスプーンをライラから手渡される。
 このスプーンそのものからも強力な魔力が放たれていた。

「これは大砂魚の骨から削り出したスプーンでしゅ。爆裂薬の移し替えはこのスプーンが一番でしゅよ」
「ちなみにですが、他のスプーンを使うと?」

 ライラがちらっと視線を外す。

「魔力で抑え込めれば、ノープロブレムでしゅ」
「は、はい……」
「中身を魔力で包むようにしながら、やりましゅよ」

 ゆっくり、慎重に。
 スプーンが少し震えながらもシェリーは小瓶へと移し替えていく。

 スプーンと爆裂薬の液体の魔力がきらめいて、目が痛くなるほどだ。
 少しでも手を抜くと爆裂薬の魔力が飛び出そうになる。

 実際、それが危険なのかどうかわからないし――知りたくもなかったが。

「こ、これ難しいですね!」
「ちゃんと出来てましゅよ。その調子でしゅ!」

 4歳児についてもらい、励まされながらシェリーは移し替え作業を続ける。
 小瓶ひとつに爆裂薬を移すのに、たっぷり十数分はかかってしまった。
 汗もびっしょり、魔力も持っていかれる。

「はぁ、ふぅ……」
「よくできまひた。最初ならこんなもんでしゅ。あとはあたちがやりましゅ」

 ふんふんふふーんと歌いながら、ライラはぱぱっと5本分の移し替えを終える。
 その様子にシェリーとその部下たちは驚愕するしかなかった。

「す、凄い……っ! 私があんなに苦労した移し替えを……」

 移し替えを終えたライラがふぁーっとあくびをひとつする。
 文献調査と調合でけっこう働いた気がする。さすがに4歳児の体力の限界だった。

「そろそろお昼でしゅね」
「そーですねー。外はいい天気ですぅ」
「シェリーしゃん、お昼はあたち、お昼寝しましゅ。再開は2時間後くらいにでしゅ」

 そう言って工房に設置されたベッドにライラはもぐり込み、モーニャと一緒にすやすやと昼寝を始めるのだった。



 
 一連の様子をシェリーは信じられない気持ちで見つめていた。

 この数時間でざっと30冊の本にライラは目を通している。
 さらに爆裂薬の調合まで。この小瓶ひとつの破壊力をシェリーは知っているが……1時間も経たずに6本が完成していた。
 恐ろしい、とても恐ろしい4歳児だ。

「ほう、ライラはお昼寝中か」
「陛下っ!」

 アシュレイが姿を見せたので、シェリーが直立不動で敬礼を取る。
 彼の後ろには書類を抱えた文官がぞろぞろついてきていた。

「午後は書類整理だからな。この工房で処理するのも一興かと思った」
「な、なるほど……」

 ライラと一緒にいたいという親心だとシェリーは察した。

「どうだ? 魔術大学首席のお前から見て、俺の娘は?」

 実はシェリー、ヴェネト王国でもかなりのエリートであった。
 そうでなければ魔術王アシュレイやライラの側仕えなど不可能だ。

「陛下の御子を私が品定めするなど、畏れ多いことです」
「構わん、言ってみろ」

 促されてシェリーが口を開く。

「正直、シニエスタンのご活躍でライラ様の御力は知っているつもりでした。しかし、それさえもまだ理解が浅かったようです」
「ほう……」

 シェリーは午前中、ライラがした作業をアシュレイに報告した。

 驚異的な量の文献を読み解き、S級魔物も屠る爆裂薬をこともなげに作った……と。
 アシュレイがライラの読んだ文献を手に取り、ぱらぱらとめくる。

「ふぅむ、中々高度だな」
「はい……専門家でも読み解くのに苦労すると思います。私だと書いてあることの半分も分からないくらいです」

 正直、ライラの求めるままに魔法薬の文献を持ってきたのだ。
 なので、この中身はシェリーには高度すぎた。

「それで爆裂薬はこれか」
「あれほどの魔物を一撃で倒すくらいですから、調合に何日もかかるかと思いきや……。1時間ほどで何本も作られてしまいました」
「……我が娘ながら恐ろしいな」

 アシュレイが苦笑する。もちろんただの4歳児とは少しも思っていないが、とんでもない天才児なのは間違いなかった。
 机に座し、書類仕事をしながらアシュレイがシェリーへ伝える。

「ライラについて、しばらくは国民に伏せておこうと思う。国葬を執り行った手前、他国にもそう簡単に報告できんしな」
「そうですね……。この能力を見たら、他国も驚愕するかと」
「ああ、それにこの奥の宮は安全だが、他の場所までそうかと言われるとな……」

 アシュレイも話しながら恐るべき速度で書類に目を通し、書き込みをしている。
 この親にしてこの娘あり、とでも言おうか。

「門閥貴族の方々にも秘密にされるので?」
「ライラが王宮暮らしに慣れるまで、そうしたくはある。まぁ、長くは秘しておけまいが」

 シェリーがやや顔を曇らせた。彼女もアシュレイと門閥貴族の軋轢は知っている。
 元々、アシュレイは第六王子で王位継承の見込みはほぼなかった。

 だが強大な魔力と手腕によってアシュレイは王位に就いたのだ。
 さらに様々な改革を実行し、国を富ませようとしている、これをよく思わぬ貴族は数多い。

 アシュレイの暗殺騒動も両の手で数え切れぬほど起こっている。
 それをシェリーもよくわかっていた。

「ご安心を。ライラ様は私が命を賭してお守りいたします」
「頼んだぞ」
 午後2時頃。
 ライラがもにょもにょとお昼寝ベッドから起き上がる。

「ふぁ……体力回復でしゅ」
「……ふにゅ」

 モーニャは枕に頭を埋めていた。
 その背中を優しくライラが揺する。

「んあ、ふぁー……主様、おはようです」
「あい。顔を洗って仕事するでしゅ」

 と、そこでライラが工房にいるアシュレイに気付いた。

「あれ、とーさま?」
「邪魔してるぞ。俺のほうは気にしないでくれ」

 ベッドから出たライラがトコトコとアシュレイのそばに駆け寄る。
 アシュレイの処理している書類には様々な修辞と長ったらしい文句が並んでいた。

「……むずかしそーな内容でしゅ」
「ふふっ、お前が読んでいたという文献も中々だったがな」
「アレは式がわかればどーってことないでしゅよ。ふぁっ……」

 あくびを噛み殺しながらライラが身体を伸ばす。
 そのままモーニャを抱き寄せ、吸う。
 ほわほわの暖かく、細長い毛の感触を目一杯味わい――ぱっちりと目が覚めてきた。

「そういえば、ロイドしゃんはどうしましたでしゅ?」
「紅竜王国への報告を交信魔術でするそうだ。だが、そろそろこっちへ戻るはず……」

 その言葉通り、扉の外にロイドの魔力が感じられた。

 意識すると彼の魔力はかなり目立つ。
 工房に入ってきた彼は朗らかに言った。

「やぁ、ようやく色々と終わったよ。僕に手伝えることはあるかな?」
「ありましゅよ!」

 こうして工房にアシュレイがいながら、ロイドとシェリーに手伝ってもらってライラの魔法薬作りが再開された。
 まずライラが棚から色々な素材を取り出し、机に載せる。

「魔法薬には素材が必要でしゅが、これはまだ使えませんでしゅからね」
「えーと、この机の上の素材ではダメなんでしょうか?」
「さっきの爆裂薬の素材も市販から精製したり、ちょーこーひんしつのモノを自分で探したりしたやつでしゅよ。市販の素材だけで作ると問題でましゅ」

 何気なくロイドが質問する。

「例えばどんな?」
「安定性が足りなくなるんでしゅ! アレな品質の素材でお昼前の作り方をしてたら、ドカーンでしゅよ!」

 両手を広げ、危険性をアピールするライラ。

「そ、そんなに危なかったんですか!?」
 とシェリーが驚いて顔をひきつらせる。

「だからあたちのレシピをうっかり再現しようとしたら、大変でしゅ。マネするなら素材からマネしてくだしゃい」
「い、いえ……他ではやりません。決して、絶対に!」

 シェリーが固い決心を見せる中、アシュレイが得心したように頷く。

「普通の爆裂薬でも高難度の魔法薬だが、さらに素材を工夫しているのか。そのほうが好都合ではあるな……」
「主様の魔法薬は他では簡単に作れないですからねぇー」
「とーさまもあたちの魔法薬には気を付けてくだしゃいね。うっかり流出したら、ヤバでしゅ」
「わかっているとも。この区画には信頼できる人間以外は立ち入りできない」

 ライラはそれから数時間、魔法薬の調合に取り組んだ。
 使った魔法薬の補充、素材の精錬など……。

 パチパチと弾ける魔力の閃光を見ると、ほっと心が落ち着く。
 楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、夕日が傾いてくる。
 ライラの一日の稼働時間は大人ほど長くない。この時間になると体力が尽きてくる。

「今日はこの辺にするでしゅ」
「ではお片付けを……」
「道具はきれーにして、机もピカピカにするでしゅよ。前の素材が残っていると、これも激ヤバでしゅ!」
「は、はいっ!」

 ライラたちが片付けを始める中、ちょうどアシュレイも一段落していた。

「そういえば……この大量の文献は魔法薬のモノだが、何を調べたかったんだ?」
「あれ? 言ってなかったでしゅか?」
「詳しくは聞いていない」
「伝説の毛生え薬を作るんでしゅ!」

 そうライラが言い放つと、アシュレイがびくりと動きを止めた。
 工房内の空気が凍った気がする。

「……あれ?」

 なんだかアシュレイがショックを受けている。

「俺の毛はまだ大丈夫なはずだが……」
「はっ……! そーいう意味じゃないでしゅよ!」
「そ、そうか。仮にそうでも、言いづらいことだからな……受け止めて生きていかないと」
「こーいうときに深読みしないでくだしゃい!」

 こうしてライラの王宮暮らし、その初日が終わりを迎えたのだった。
 そしてライラが王宮で暮らし始めて数日が経ち、生活へも徐々に慣れてきた。

 これにはやはりシェリーの力が大きい。
 公私ともに彼女の朗らかな人柄でライラは大いに助けられてた。

 例えば、こんな時など――。

「今日は素材を買うでしゅ。遠出しなきゃでしゅよ」
「はいっ! ……はい?」
「素材をゲットしなきゃでしゅ。毛生え薬のこの項目なんでしゅけど」

 ライラが分厚い本の一箇所を指し示す。

『魔力の同調性を鑑みるに満月蜘蛛の糸は非常に優秀であり――』
「聞いたことのない魔物ですね」

 工房にいるロイドもその項目を読む。

「満月蜘蛛、D級魔物だね。山奥に住んでいて、とても珍しい魔物だ」
「ははぁ……なるほど」

 一般的にC級以下の魔物は国の力なしでも簡単に対処できる。
 D級なら村人でも無理なく討伐できる魔物だ。
 それゆえシェリーの知識には入っていなかった。

「僕も満月蜘蛛は何年も見てない。この魔物は人と接触して害をなすこともほとんどないしね」
「だいじょーぶでしゅ。あたちは住処を知ってましゅから」

 モーニャがふわふわと浮きながら、ライラのノートを持ってくる。

「南のグローデンですよねぇ。あそこの冒険者ギルドは結構レアな魔物を知ってますから」
「グローデン? かなり南のほうですね……」

 王都からなら急ぎの馬で半月ほどかかる。寒冷な森林地帯で人口も少ない。
 そんなところにまでライラの行動範囲は及んでいるのだろうか。

「コネがありましゅからね」

 シェリーが聞くと、ライラは年に数回グローデンを訪れては素材を買い込むのだとか。
 その代わり、ライラは依頼に応じて山や森の一部を爆破するらしい。
 物騒な単語が出てきたのでシェリーは聞き返してしまう。

「爆破、ですか……?」
「アレはなんなんでしょうねー」
「鉱山の穴にするんでしゅよ」
「あー、主様の魔法薬で穴を開けて?」
「硬い岩盤を地道に掘るより楽でしゅ」
「まぁ、それはそうでしょうが……」

 そんな風にあの爆裂薬を使うのはどうなのだろう、とシェリーは思ってしまう。
 しかし結果としてグローデンの冒険者ギルドは素材の便宜をライラへ図っているという。

「それでしたら、私が代わりに行ってきましょうか? 買い出しだけなら、私にもできます!」

 モーニャがテレポート薬をすっと掲げる。

「いいんじゃないですか、主様。買いに行くだけですし」
「それもそうでしゅね。行ってきてくれましゅか?」

 ライラはさらさらと必要なモノのリストとサインを書き、モーニャがぺたりと判を押す。

 テレポート薬の使用にはイメージ力が必要だったが、幸いにもシェリーは行く先であるグローデン冒険者ギルドを知っていた。
 紹介状やらお金やら帰りのテレポート薬やらを持たせ、ライラはシェリーを送り出す。

「では、行ってまいります!」
「いってらでしゅー」

 シェリーがテレポート薬を使い、虹色の光に包まれながらしゅーっと消える。

「こんな風に消えるんでしゅね」
「初めて見ましたねぇー」
「……他の人が使うのは初めてなのかい?」

 ロイドが眉を寄せている。

「そうでしゅ。でも理論上は問題ないはずでしゅよ」

 理論上、という言葉が引っかかるロイドではある。
 しかしライラの魔法薬はこれまでも間違いなく効果を発揮してきていた。

 数時間後、虹色の光とともにシェリーが工房に戻ってくる。
 大荷物を背負いながら、シェリーがびしりと敬礼した。

「ただいま帰還いたしました!」
「おかえりでしゅ!」

 どうやら無事に戻ってきたらしい。ロイドの目にはとりあえず、そう映る。
 予想以上の大荷物にモーニャが首を傾げた。

「なんか荷物が多くありません?」
「ついでにグローデンの古書店から良さそうな本と素材を買ってまいりました」
「ほうほう、素晴らしいでしゅね!」

 ライラが椅子からぴょんと飛び降り、シェリーの買ってきた荷物を広げ始める。
 ライラがシェリーの買ってきた本のひとつをぱらぱらとめくる。

「ふむふむ……。おおっ、リンデの写本でしゅ!」
「魔法薬の大家、リンデ氏の古い写本です。多分、役に立つかと……」
「立ちまちしゅね」

 本を覗き込んだロイドが唸る。
 竜である彼にとって人の言葉の読み書きは不得意分野だった。

「古文字だけど読めるの?」
「読めましゅよ。回りくどい書き方でしゅけど」

 その他にもシェリーの買ってきた本をライラは嬉しそうに物色していく。

「凄いね……」
「ええ、大学専門レベルなのに……」
「本当に四歳児なのかな?」

 ロイドがふと漏らすとシェリーが頷く。

「そう思う気持ちもよくわかります。たまに私よりも年上のように感じますから。物事を落ち着いてみているというか……」
「……ふむ、そうだね。見た目以外は子どもとは思えないくらいだよ」




 こうしてライラは日々、パワフルに働いていた。
 毛生え薬についても資料面、素材面で様々な準備が整ってくる。

 ライラが王宮にやってきて半月ほど経過し、季節は秋から冬になろうとしていた。
 緑の葉が赤へと色変わり、あるいはぽろぽろと路面に散る。

 いよいよ毛生え薬を調合するその日、アシュレイも朝から工房を訪れていた。
 多忙なアシュレイが朝からずっと工房にいるのは初めてのことだ。

「そろそろ、ここの暮らしも慣れてきたか?」
「はいでしゅ」
「快適に暮らしてますよ〜」

 ライラの手元には紅茶セットが置かれていた。

 いつの間にか持ち込んで、紅茶を楽しむようになったらしい。
 慣れるどころか満喫している。

「とーさま、今日は本当にずっといるんでしゅか?」
「娘が伝説の魔法薬の調合に挑むんだ。当然だろう」

 アシュレイが頷くと、後ろの文官も首を縦に振る。
 この半月、ライラの凄さを文官たちも見てきた。規格外との言葉でも到底足りない。
 ヴェネト王国始まって以来の魔法薬の天才――アシュレイの側はそう噂していた。

「……親馬鹿でしゅ」
「何か言ったか?」
「何も言ってないでしゅ」

 ライラはむず痒くなりながら、調合の用意を始める。
 今回の調合は並みではない。素材ひとつ精製するにも手間がかかり、調合そのものにも膨大な魔力が要求される。

「道具の配置はこれでいいかな」
「素材のチェックも完了です!」
「ありがとうでしゅ!」

 この半月でシェリーとロイドはすっかりライラの助手になっていた。

「オール準備オッケーですよ、主様!」
「よしでしゅ……じゃあ、そろそろ開始でしゅ!」
 気合を入れたライラが素材に向き合う。
 もう毛生え薬のレシピは頭の中に入っていた。

 まず極めて貴重な月と太陽の香草を鉢にどさっと入れる。
 この香草だけで下級貴族が一年暮らせるほどの価値がある。

 ごくり、とその価値を知る文官が息を呑む。
 満月蜘蛛の糸も鉢に入れ、ゆっくりと魔力を込めながら混ぜ合わせる。

「ごりごり、ごりごり……でしゅ」

 満月蜘蛛の糸に魔力を馴染ませながら、硬い葉を砕く。
 魔力の制御を間違えると台無しになってしまう、繊細さを要求される作業だった。

「モーニャ、風の魔力を送ってくだしゃい」
「はーい」

 すり鉢のそばに浮くモーニャが前脚をぱたぱたとさせ、風を起こす。
 それが終わるとライラはまた作業に集中し始めた。

 やがて葉を砕く作業が終わると、流れるように次の作業へと映る。
 迷いも淀みもない。

「……凄まじいな」

 工房の反対側に座るアシュレイが張り詰めた作業に感想をこぼす。

「普通の薬師なら、ひとつふたつの作業で疲労困憊して終わりになってしまうでしょう」
「そうだろうな。ライラの魔力だからできることだ……。伝説の魔法薬というのも頷ける」

 ライラが砕いたいくつかの素材と溶液を鍋に入れ、魔力を通しながらかき混ぜる。

「次の素材はここに置いておくよ」
「ありがとでしゅ」

 ライラには珍しく、顔をロイドに向けずに答える。
 ライラの視線と集中力は今、魔法薬に注がれていた。

 アシュレイの手元にも毛生え薬のレシピの写しがある。
 それを読み返したアシュレイが首を傾げた。

「……本に載っているレシピと違うんじゃないか」
「ええ、はい……ライラ様のアレンジが入っていますね」
「大丈夫なのか……」

 ちょっと不安そうな声を出すアシュレイ。
 伝説的な魔法薬で、さらにアレンジとは。

「あたちの調べでは、むしろレシピのほうが間違ってるでしゅ」

 鍋の中身をぐるぐる。魔力を溶け込ませる反復作業中のライラが答えた。

「詳しいことは省略しましゅが、あたちのやり方のほうが多分正解でしゅ」
「ううむ、昔のほうが間違っていたと……? 魔術にもたまにあるが……」

 魔術にも同じ効果で様々な流派があり、中には非効率なものもある。

「パイの作り方もたくさんありますからねー」
「そーいうことでしゅ」

 鍋を混ぜ終わったら、さらに素材をひとつずつ入れては煮込み、混ぜていく。
 黄金の冬虫夏草、ミスリルの粉、エルヘンの干し貝柱……。

 ひとつひとつを丁寧に。

 鍋の中身を確かめながら混ぜていくと、素材と魔力が融合して一体になってくる。
 鍋から発せられる魔力の強さにアシュレイも身体の奥が震えてきた。

「恐ろしいほどの魔力だな、ロイド」
「ああ、これがライラの本気なんだね」

 作業が始まって四時間が経ち、額の汗をモーニャがハンカチで拭う。
 最後に再び満月蜘蛛の糸をひとつまみ。そこでライラが鍋の火を止めた。

「……完成でしゅ!」

 ライラの言葉に工房の全員が声を上げる。
 息を呑むような空気が一気に緩んだ。

「やりましたね!」
「ちゃんと融合しているね」
「ああ、歴史的な成功だな……!」

 そこにライラが指を振る。

「ちっち、まだでしゅ。ちゃんとテストしないとダメでしゅよ」
「……テストか」

 アシュレイが鍋をじっと見つめた。

「そうだな、確かに。しっかりと効果を確認しなければなるまいな」
「でしゅ。じゃあ適当な人に振りかけてみて――」

 ライラが巨大スプーンで中身を小分けにしようとすると、アシュレイが止めに入った。

「待て、俺が最初ではダメか?」
「なんでとーさまが……とーさまの毛はふさふさでしゅよ。どこも抜けてないでしゅ」
「いや、そういうのではなくてな……。お前の薬を試してみたいんだ」
「……大丈夫だとは思いましゅけど、百パーセント安全ではないでしゅよ」
「それでもこの工房で作った新作だ。記念すべき一品じゃないか」
「う〜ん……」

 まぁ、でも気持ちは分からなくもない。愛娘が精魂込めて作り上げた品だ。
 他人がテストするくらいなら、自分でテストしたいのだろう。

「ずいぶんな親馬鹿でしゅけど」

 モーニャがライラの耳元で喋る。

「エリクサーを用意しておけば大丈夫じゃないですかねぇー」
「そうでしゅね。そんなに実験台になりたいのなら、止めないでしゅ」
「実験台とテストは結構意味が違うように聞こえるけど」

 ロイドのツッコミはもっともだった。

「些細な違いでしゅ」

 ということで木製のコップに毛生え薬を取り分ける。
 ライラに背を向けるよう座る彼の前のテーブルにはエリクサーの瓶も置かれていた。

「いつでも来い」

 アシュレイは背筋を伸ばして待機している。
 後ろに回ったライラがロイドに抱えられ、毛生え薬の入ったコップを傾ける。

 ライラは魔獣の皮から作られた薄い手袋を着けていた。
 プラスチックのような素材であり、魔法薬に触れても大丈夫。

 緑色の毛生え薬は猛烈な魔力の波動を放つ、ドロっとした液体だ。
 毛生え薬を手のひらにそっと出す。ぬるめの液体を感じながら、ライラは薬を手で伸ばした。

「行きましゅよー」
「ああ」

 背中から見るアシュレイに緊張している様子はない。
 信じ切っている。娘の魔法薬を。

 こんなにも信用されるなんて……と思いながら、悪い気はしなかった。

 ……ぺたぺた。
 ライラは毛生え薬の溶液をアシュレイの銀髪に塗りたくる。

 艶があって流麗な髪。正直、毛生え薬は不要だが……これもテストだ。
 コップの中身を全てアシュレイの髪に塗りつける。

「終わったでしゅ」

 床に降り立ったライラがアシュレイを見上げた。特に変化はない。

「効果はすぐに出るのか?」
「割りとすぐ出るはずでしゅけど」

 と、その瞬間――アシュレイの毛髪が恐ろしい勢いで伸び始めた!
 ほんの一瞬で数十センチも髪が伸び、さらにぐんぐんと床へ近づく。

「ええっ!?」
「こ、これは……っ!?」

 アシュレイもライラも驚きに目を見張る。

「ちょっとスピードが早すぎるかもでしゅ!」

 あっという間にアシュレイの髪が床へ到達し、さらに広がっていく。

「主様、これってどれくらいで止まるんです?」
「5分ぐらいは続きましゅ」
「主様、それってかなり……マズくありません?」

 数秒で数十センチ伸びる。このスピードのままなら、5分でも数キロの長髪になりかねない。
 それはさすがに工房中が髪で埋まってしまう。

「エリクサーを飲んでくだしゃい!」
「いや、待て! 髪が伸びているだけだ……問題はない!」

 アシュレイがライラたちを制する。
 その間にも髪は伸び続け――床にも猛スピードで拡散していく。

「陛下……だ、大丈夫なのですか!?」
「頭が重いが、それだけだ」

 髪はひたすらに伸びていく。
 床はもう足の踏み場もないほど。

 さらに髪は重力に逆らって工房全体を埋め尽くさんとする勢いだ。
 わさわさ。アシュレイの髪を踏みそうで誰も動けない。宙に浮かぶモーニャを除いて。

「……髪が覆い尽くしたら備品が壊れるよ。さすがに止め時じゃない?」

 ロイドが釜や備品に目を向ける。

「いや、もう少し。もうちょっとのはずだ」

 アシュレイはなおもエリクサーを飲もうとしない……。
 側近もさすがに無理に飲ませるわけにはいかず、目線でライラに助けを求める。

 この状況にライラが爆発した。

「もう限界でしゅ! モーニャ、とーさまにエリクサーを飲ませるでしゅよ!」
「はいさー!」

 ライラとモーニャがエリクサーを持って椅子に座るアシュレイに飛びかかる。

「うぉっ! 待て! 本当にあともうちょっとだ!」
「何がでしゅか! モーニャ、とーさまの顔を上に向けるでしゅ!」
「はいはーい!」

 ふわふわ毛玉ながら、モーニャの力は強い。
 ぐぐぐっーとアシュレイの顔を天井に向かせる。

「さぁ、飲むでしゅ!」

 エリクサーの瓶をアシュレイの口に近づけ――まだエリクサーを飲ませないうちに、髪の成長がぴたりと停止した。
 アシュレイの髪がくたりと力をなくす。

「おおっ、陛下の髪が止まりました!」
「うん……もう成長しないのかな?」

 飛びかかったライラとモーニャがアシュレイの髪を撫でる。
 髪はもう伸びていない。

「……本当ですね、主様」
「確かに止まったでしゅ。とーさま、どういうことでしゅか?」
「自分の頭に残る魔力から推測しただけだ。お前にもわからなかったみたいだが……俺には予測できた」
「なるほど、だから落ち着いていたんだね」
「ああ、塗られた魔力が発散していくのがわかったからな」

 ライラでさえ、そこまで鋭敏な魔力の感知はできない。
 アシュレイの説明にライラがジト目で答える。

「……たまたまじゃないんでしゅか?」
「サーシャの魔法薬のテストに付き合ってきた俺だ。自信はあった」

 淀みなく答えるアシュレイ。母の名前を出されてはライラも納得するしかない。
 だからかアシュレイはライラの魔法薬の実験台になりたがったのだ。

「はぁ、一瞬焦ったでしゅ……」
「ふっ……魔術王と呼ばれるだけはあるだろう」

 そこでアシュレイが伸びに伸びた髪を見下ろす。

「しかしそろそろ重い。切ってくれないか?」

 咳払いするアシュレイ。ライラたちは総出でハサミを持ち出し、アシュレイの髪を切っていった。
 チョキチョキ……。

「素晴らしい。効果が終わっても成長が止まるだけで、髪質などにも変化はなさそうだ」
「とーぜんでしゅ。効果が切れて髪がボロボロになったら意味ないでしゅ」
「いささか髪の成長が急すぎるが、それ以外に欠点はない」

 ロイドがシェリーにぼそりと呟く。

「……ずいぶん甘くない?」
「わ、わたしからはなんとも……っ!」
「濃度や量をうまくやれば解決しましゅ。ちょっと時間がかかりましゅけど」
「そうなのか? 使う量を減らすのでいいんじゃないのか?」

 アシュレイの疑問にライラが両手を掲げる。

「うっかりドバっと出したら、えらいことになりましゅよ!」
「……それもそうだな」
「こぼしてネズミにでもかかったら、家が毛むくじゃらでおしまいですしねー」

 モーニャが切り終わったアシュレイの髪を束ね、ゴミ袋に押し込む。

「ふむ……俺も髪で埋まった王都は見たくない。濃度を薄める方向でお願いしよう」
「でも簡単じゃないでしゅ。薄めると魔力の結合もほどけて……大変でしゅ」
「爆発するわけでもあるまい」
「爆発するかもでしゅ」

 アシュレイはもうライラの言葉を冗談とは受け取れなくなっていた。

 そんな間にも髪を切って捨てる作業は続く。切って、切って、切って。
 モーニャが風の魔力で集めては袋に詰めて……かなり片付いてきた。

「床が見えてきたでしゅ」
「我ながらこんなに髪が伸びたのか……」

 ようやく頭を動かせるようになったアシュレイがこきりと首を鳴らす。

「後日、髪がぱらぱらと抜けないよな?」
「要経過観察ってやつでしゅ」

 にべもなく言い放つライラ。
 ライラが床に散らばった髪を持ち上げると――ぴたりと動きを止めた。

「……こ、これは!」
「主様、どうかしました?」

 ぷかぷか浮かぶモーニャが身体を伸ばす。ライラの足元には小さな芽と葉が出ていた。
 シェリーがライラの足元に屈み、床の隙間から発芽した種を引っ張り出す。

「スイートピーですね。秋に種まく種ですから、どこからか入り込んだのでは」
「妙だね。準備している時にはそんなのなかったと思うけど」
「それもそうですね。このくらい芽が出ていれば気が付きそうなものですが」

 その通り、これだけの人がいる中でこんな目立つ種が見過ごされるだろうか。
 ライラとアシュレイは顔を見合わせる。

「……まさかな」
「とーさまも思いましゅか」
「ないとは言えん」

 ピンと来ていないシェリーが首を傾げる。

「陛下、どういうことでしょうか?」

 髪をゴミ袋にぶち込んだライラが声を上げる。

「この種は……もしかしたら毛生え薬で芽が出たかもでしゅっ!」

 そんな馬鹿な、とは思っても誰も否定しきれない。
 ライラの魔法薬はそれだけ規格外なのだ。

「……可能性はあるよ。生き物全般に作用するなら人体も植物も選ばないのかも」
「主様、そんな魔法薬でしたっけ?」

 モーニャも毛生え薬の資料には目を通している。当然の疑問だった。

「そもそも調合に成功した人がほとんどいないでしゅよ。隠された効果なんてわかりましぇん」
「あっ、そうか! 出来上がりを試した人もいないんでしたね!」
「テストしてみる価値は大いにある」

 もし毛生え薬が植物に効果があれば大変な成果だ。アシュレイの側近も興奮を隠せない。
 ということでアシュレイの髪を片付けた一行は王都裏の丘に来ていた。

 秋風が切り株だらけの丘に寒さを吹き付ける。
 残った木も葉が落ちて幹も細く、今にも枯れそうであった。

 元は緑の生い茂る丘だったが、乱伐により荒れ果ててしまったのだとか。

「回復を待つと何十年もかかるだろう」
「もしこの毛生え薬が植物に効果があるなら……凄いことでしゅ!」

 ライラが毛生え薬の小瓶をモーニャに渡す。
 モーニャが小瓶の蓋を開け、ぐんぐん浮き上がっていった。

「じゃあ、この辺から撒けばいいですかー?」
「はーいでしゅー!」
「んっしょ、えーい!!」

 切り株と枯れかけた木に向かい、モーニャが毛生え薬をぱーっと上空から振りかけていく。
 空中から緑の魔力がオーロラのように広がり、木々へと降り注ぐ。

 ごくり、全員が見守る中――ゆっくりと切り株から新しい芽が生えていく。
 枯れかけた木は太くなり、葉には力強い緑色が戻ってきた。

 秋だが地面に埋もれた種も芽吹き、小さな芽と花を咲かせていた。

「おおー! やったでしゅ!」
「このままどんどん撒いていきますよ〜!」

 モーニャが振りまいた先から丘には色濃い緑が戻っていく。
 切り株から芽生えた緑にアシュレイが手を添える。

「……夏の日のような緑だ」
「でしゅね。でもさっきのスイートピーもそうでしゅけど……髪よりも効果が落ち着いている気がしましゅ」

 確かに自然は戻っているが、あの髪の伸びる速度には遠く及ばない。

「元々は毛生え薬だからな、この植物への効果は副次的だからじゃないか?」
「その辺も要検証、ですね!」

 緑が波のように広がる丘を見て、シェリーも意気込む。
 アシュレイの側近たちも早くこの薬を検証したくてたまらないようだ。

「そうだな。この薬は多くの自然を救うようになるだろう……」

 こほんとアシュレイが咳払いする。

「もちろん薄毛に悩む人間もな」
 こうして毛生え薬を調合し終えて、ライラの作る他の魔法薬の供給も段々と増えてきた。
 それに従い、ライラの功績もゆっくりとヴェネト王国に浸透していく。

 名前は出なくてもこれほどの魔法薬なら当然、噂も広がる。
 ほどなくボルファヌ大公にも噂が届き、彼の派閥の貴族が集まって会合を開いた。
 口火を切ったのは内務省に関わる門閥貴族のひとりであった。

「王宮の奥にいる【例の御方】はよほど魔法薬に通じておられるようだな」

 謎の魔法薬の作り手。
 それを門閥貴族は【例の御方】と呼んでいた。

「陛下の側近も忙しそうにしておる。品物も良いようだ」

 続いて発言したのは商務省に所属する貴族だった。

「商人どもの話だと最高品質の魔法薬らしい。こぞって陛下になびこうとしておる」
「……あの利に聡い商人どももか」

 会合がざわざわとどよめく。ヴェネト王国は魔術の先進国だ。

 国土は広くなく、気候は寒冷。農業も漁業も鉱業も突出したものはない。
 しかし周辺国を恐れさせているのは、ひとえに魔術とそれを利用した品物の輸出にある。

 そして輸出にあたって商人の影響は非常に大きい。
 いかに強力な魔力が込められた品物も、商人なしには輸出は成り立たない。

「冒険者ギルドも誰でも使える魔法薬は歓迎する。あいつらもさらに陛下へ接近しよう」

 そして国際団体である冒険者ギルドも同様だった。彼らは魔物の討伐と監視のために組織されている。
 魔法の品物を作るには冒険者の狩る素材が必須であり、ヴェネト王国での存在も極めて大きい。

「冒険者ギルドは政治中立が信条。しかし魔法薬などの実用品を融通されれば……」
「ううむ……困りましたな」
「すでにこの会合にもいくつか空席が……」

 貴族らがちらちらと視線を交わす。

 すでにボルファヌ大公の呼びかけにも応じない貴族が出ているのだ。
 ボルファヌ大公が不愉快そうに鼻を鳴らす。

「ふん、陛下もあがくものよ。黙って我ら、門閥貴族に実権を譲ればいいものを」
「しかし陛下の魔力は本物。魔法薬を作った者の魔力も侮れない。我らの中で太刀打ちできるのは大公様くらい……」

 出席者のひとりが不安そうに周囲を見渡す。

 先王の弟であるボルファヌ大公は血筋においても魔力においてもアシュレイに次ぐ。
 だがその狭量で偏執的なところを嫌われ、後継から外されたのだ。

 門閥貴族のほとんどは大した魔力もなく、既得権益ゆえにボルファヌ大公派に属しているだけだった。
 正直、アシュレイとの対立が激化するのを望む者はほとんどいない。

「貴公らも魔法薬の恩恵を得ようとしているのか?」 

 ボルファヌ大公が出席者を睨みつける。
 図星を突かれた何人かが気まずそうに身体を揺すらせた。

「仕方あるまい。我が作るエリクサー……完成品の一本を蔵から出そう」
「おおっ! 大公様が丹精を込められた、あの品を!?」
「ついに出されるのですか!」
「うむ、諸君らも知っていよう。我でさえエリクサーを作るのに10年はかかる。今回、陛下の力を削ぐのに一番働いた者へ、この貴重な品を手渡そうではないか」

 ボルファヌ大公が何人かに視線を向ける。

「卿はどうだ?」

 隻腕の貴族、バルダーク侯爵に注目が集まる。

 バルダークはボルファヌ大公派の中でも一番アシュレイに近いと目される貴族だ。
 だが先王への忠義が強く、そのためにボルファヌ大公の派閥に籍を置いていた。 

 軍事的功績により、軍や中立派の貴族にも大変人気がある貴族である。
 バルダークは目を細め、ボルファヌ大公へと答えた。

「私の忠誠は国に捧げられております。これより参謀会議がありますゆえ、先に失礼」

 バルダークは何も言質を与えず席から立った。
 大公は苦々しく思いながらも、彼はこうやって取り回す他にない。

「……うむ、期待しておるぞ。他の者はどうか?」

 その言葉を聞いた出席者が押し黙る。万病に効くエリクサーは誰でも欲しい。
 だが、誰もアシュレイとの矢面には立ちたくはなかった。

「……どうした! 返事は!」
「は、はい……」
「必ずや……」

 ぽつぽつとした返事が続き、大公は一応満足する。
 同時に彼の胸の中には、暗い想いが去来していた。

(あの若造に勝つには、やはり我の切り札を使うしかないか……)
 ライラの日常が変わり、1か月ちょっとが経過した。
 冬に至り、ぱらぱらと雪が降る日も出てきている。

 白く変わった外を見ながら、ライラは工房で古びた分厚い本を読み漁っていた。

「……ふむふむ、でしゅ」
「今日も休まないのか」

 同じく工房にいるアシュレイがコーヒーを飲みながらライラに問う。

 ヴェネト王国で使われる暦は地球と同じ七日サイクル、最後の日が休みだ。
 この辺はなぜだか世界が違っても変わらないらしい。
 なので王宮に勤める人も今日は少ない。政務機能はほとんど停止しているからだ。

「休んでましゅよ」
「……古文書を読むのがか?」
「あたちはそーなんでしゅ。というか、とーさまも仕事しているじゃないでしゅか」

 アシュレイの手元には文官の作成した報告書の束があった。

「これは来週読む分の先取りだ。仕事のようで仕事じゃない」

 机に寝そべるモーニャが顔をごしごしする。

「主様と変わらないように思いますけどね」
「血筋ってやつでしゅよ。ふむふむ……」

 心ここにあらずというライラにアシュレイが興味を引かれる。
 熱心に本を読むことは多々あるが、ここまで本に集中するのは珍しい。

「それは何の本なんだ?」
「分身薬の本でしゅ。けっこーレアな本でしゅ」
「……分身。それは魔術にもある分身でいいのか?」

 自分の分身を生み出す魔術はいくつもある。土くれから生む土分身、影から生む影分身など。
 単純で短気な魔物に対する囮役として、非常に有効な高等魔術だ。

「そーでしゅ。とーさまも使えるんでしゅか?」
「使えるぞ。待っていろ」

 コーヒーカップを置いたアシュレイが魔力をみなぎらせる――アシュレイの影がゆらりと動き、立体感のある人形のように立ち上がった。
 黒一色の影の中にぼんやりとアシュレイの顔と服装が再現されている。

 ライラは前世で見た蝋人形の黒色版だと思った。
 魔物は騙されるだろうが、人間が見間違えることはありえないだろう。

「こーなるんでしゅね」
「これは影分身だが、中々に有用だ。魔術大学の戦闘学科では必修だしな」
「へぇー、やっぱり使える魔術なんですねぇ」
「あの氷河ヘラジカの誘導でも使われたはずだ。即席の囮としては十分だからな。しかしなんで分身の魔法薬なんだ?」
「自分がふたりいたら、便利かなと思いまちた」
「…………」
「わかってましゅよ! 分身にせーこーな動きをさせるのは難しいってことは! でもあたちが鍋を見ている間に、素材を切ったりしてくれたら……」

 ライラの言う通り、分身魔術はそんなに万能ではない。
 分身を思った通りに動かすのはとても大変でセンスがいる。使い手のほとんどは分身を使い捨てのカカシとして割り切っているはずだ。

「自分と違う動きをさせるのは超人的な難易度だぞ。俺でも難しい」
「でも不可能じゃないんですよね?」
「東の国には分身が大変得意な一団もいるらしいが……当人は弓を使いながら分身には剣で戦闘させたりな。」
「何も全身を再現しなくてもいいでしゅ。上半身だけでも増やせたら……」

 アシュレイが頭の中にもやもやとライラの構想を思い浮かべる。

 ライラの上半身を模した土人形。
 それをテーブルに置き、当人は別の作業へ。土人形は素材を切り揃える。

「……まぁ、その用途なら全身を再現する必要はないか」
「でしゅよね。というわけでコレを頑張るでしゅ」

 毛生え薬を薄める研究にも一段落がついたので、別のこともやりたくなったのだ。

 アシュレイとしてはもうライラには大いに働いてもらっているので、何も言うつもりはなかった。
 なにせ4歳児なのだから。

 そこにロイドが工房へとやってくる。
 この数日、彼は国に戻って様々な公務をこなしていた。
 それが終わり、また王都に戻ったのだ。

「やぁ、ただいま」
「おかえりでしゅ!」
「先方は問題なさそうか」
「うん、ライラのおかげでね。魔物退治と魔法薬の供給のおかげだ」

 アシュレイはライラの製作した魔法薬を切り札として流通させていた。
 高品質の魔法薬は誰でも欲しがる。諸国の評価も極めて高い。

「にしても簡単な魔法薬――煙幕や解毒薬、ポーションでいいんでしゅか?」
「爆裂薬を輸出はマズいだろう。ポーションでもお前のは超高品質じゃないか」
「うん、僕たち竜族にはポーションの効きも弱いはずだけど……しっかり効果あるよ」

 視覚が異常発達した魔物には煙幕だけでもとても有用だ。
 解毒薬についてはどんな国でも冒険者ギルドでも欲しがる。

「需要はあるところにはあるんでしゅね」
「お前はどんな魔物相手でも爆裂薬を投げて倒すから不要だろうがな」

 ロイドが納得して頷く。

「ああ、そっか。傷ひとつ負わないからね」
「それにこのモーニャもいますからね!」

 モーニャがふもっと前脚を上げる。
 彼女もこれでいて風の魔術はかなり強力である。

「で、国に戻ったら……氷河ヘラジカの件で調査が進んだよ」
「ほう、共有してもらえるのか?」
「もちろん。竜の鋭敏な感覚でシニエスタン周辺をもう一回調べたら、痕跡が残っていたんだ」
「我々の調査では何も出なかったが……。手間を取らせたな」
「構わないよ。ただ、大部分は風と土に紛れてしまっていたけどね」

 ロイドが皮袋を取り出す。そこには魔力がかすかに残る砂が入れられていた。
 砂は赤紫に変色していて、何かが砂に作用したように見えた。

「総出でかき集めて、このくらいだ。何かの足しになるかい?」
「もちろん、重要な手がかりだ。受け取らせてもらおう」

 アシュレイが皮袋を受け取る。

「……ふむ、でしゅ」
「どうかしたか、ライラ」
「ウチの国では魔物の暴走が相次いでいるんでしゅよね?」
「そうだな、ヴェネト王国の近辺で多発している。今、一番頭を悩ませている問題だ」
「最近、魔物の暴走があったところもロイドしゃんに調べてもらったらどーでしゅ?」
「僕は構わないよ。この件は僕の国でも重大案件だからね」

 アシュレイが皮袋に目線を落とす。
 その瞳には言いしれぬ悲壮さがあった。

「……ここ近年の暴走事件では、サーシャのが最大だった」

 その言葉の意味をわからないライラやロイドではない。
 アシュレイの指が皮袋をなぞる。古傷に触れるように。

「何度調べても、何も分からなかった。単なる不幸な事件としかな。だが、これほどまでに暴走事件が起きている……何か裏にあるんじゃないかと思わざるをえん」
「僕も同じ見解だ。竜の歴史を紐解いても異常な頻度だよ」
「やはりそうか……。そう、だよな」

 アシュレイが長く息を吐く。

「サーシャの事件現場、彼女の研究所跡は保存してある。四年前だが何か残っているかもしれない」
「……とーさま」
「他の事件が起きた地点も内務省で記録している。ロイド、君が調べてくれるなら被害者も喜ぶだろう。どうか頼む」
「わかった。じゃあ僕はライラの手伝いをしながら事件の地点を調べて回るよ」
「あたちはその砂をちょっと調べてみるでしゅ」
「……何だって?」
「どーいう魔力なのか、魔法薬で調べられるでしゅ」

 魔法薬には試験薬の類もたくさんある。
 魔力や魔物の痕跡を割り出すなら、魔法薬の右に出るものはない。

「いや、だがな……」
「主様より適役がいるんですか?」
「……いない」

 アシュレイが渋々と認める。

 4歳児だが魔法薬について、ライラに比肩する人材は国内にいないだろう。
 その上、機密という点でもライラ以上に信用できる人間もいない。

「わかった。だが、くれぐれも扱いには気を付けてくれ」
「はいでしゅ! これも頑張るでしゅよ!」
「うん? これも……?」

 ロイドが小首を傾げる。
 ライラはロイドが来る前に話していた分身薬のことを力説した。

「ふふっ、なるほどね……君らしい」
「そーいうわけで、素材集めにはまた手を借りるでしゅ」
「わかった。もちろん協力するよ」

 こうして新しい目標に向けてライラは意気込むことになった。
 これがヴェネト王国を大きく変えることになろうとは、この時のライラは思いもしなかった。
 それから1週間、ライラはまた本漬けの日々を送っていた。

 調べているのは分身薬と赤紫色の砂の分析方法である。
 シェリーはライラの助手として存分に働いていた。

「隣国より取り寄せた本はこちらに!」
「あーい」
「書写した冊子は向こうに!」
「あいあーい」

 分身薬も高難度の魔法薬だ。文献調査が欠かせない。

 色々と取り寄せて読み進めたことで、でなんとなく構想が浮かんできた。
 この瞬間がライラにとってはたまらなく楽しい。

 ライラが工房で両腕を振り上げる。向け先は工房で仕事をしているアシュレイだった。

「とーさま!」
「なんだ?」
「お出かけしたいでしゅ!」

 アシュレイが窓の外を見る。
 ヴェネト王国はすでに冬。さらに今日は吹雪であった。

「冬だが……」
「研究のためでしゅ」
「あの砂の件か?」
「関係なくもないようなところでしゅけど、本題はそれじゃないでしゅ」

 ごにょごにょ。歯切れが良くない。

 アシュレイが窓の外を見る。
 叩きつけるような雪のせいで外が白ということしか分からないほどだった。

「この月には珍しいほどの吹雪だが……」

 ライラがじーっとアシュレイを見つめている。

 今までもライラがテレポート薬でひょいと買い物に出かけたことは何度もあった。

 出かける先にアシュレイが不要なら、声をかけることはないはず……。
 つまり今回はアシュレイの力が必要ということだ。
 そう考えると悪い気分ではない。

「……どこに行きたいんだ?」

 ころっと態度の変わったアシュレイにモーニャが少し呆れる。

「主様に甘いですねぇー」
「まぁ、頼られて陛下も嬉しいのでしょう……」

 ライラが新しい地図をとことこと持ってくる。
 それが冒険者ギルドの発行した最新地図帳であることにアシュレイは気付いた。

「ここでしゅ」

 ライラがずびしっと指したページにアシュレイは眉を寄せる。

「ヴェネト王国、最高危険度の魔物群生地――石化の沼じゃないか!」
「あの石化の沼ですか!?」
「おおっ、ふたりとも知っているんでしゅね!」

 ライラが瞳をきらきらさせる。
 だがアシュレイは苦虫を噛みつぶしたような顔だった。

「知っているし行ったこともあるが、観光地じゃないぞ。この国でも有数の危険地帯だ」
「みたいでしゅね」
「ただの危険地帯ではありません! ここは周囲を軍が封鎖して何とか……毒も年中無休で大気を覆っている激ヤバな土地ですよ!」
「そんなことも書いてあるでしゅ」

 アシュレイとシェリーが顔を見合わせる。

 ライラはすでにこの土地からゲットできる素材に心奪われていた。
 このモードになるともう危険性などどこ吹く風だ。

「……わかった。俺も同行する」
「おや、珍しいでしゅね。素材集めにこれまでついてきたりしなかったのにでしゅ」
「それだけ危険なんだ。それにあそこはバルダーク侯爵の管轄でもある……俺が行ったほうがいいだろう」
「バルダーク……シニエスタンでも聞いた気がするお名前でしゅね」
「彼の軍はシニエスタンの時にも活躍していた。俺らが群れを討つ際、街を守っていたのは彼の軍だ」
「陛下の率いる近衛軍が鋭い矢なら、バルダーク侯爵の軍は盾と言えるでしょうね」
「ほえー、そんな人が石化の沼の防衛を担当してるんですねぇ」
「ああ、バルダーク侯爵の担当は飛び石のように散らばっている。それに……」

 そこでアシュレイは言葉を切った。このように途切れるのは珍しい。

「どうしたんでしゅか?」
「彼は根っからの武人だからな。正直、お前にどう反応するかわからん」

 モーニャがふよふよしながら能天気に答える。

「意外とお菓子をくれたりするかもですよ?」
「……ならいいがな。で、石化の沼にはいつ行きたいんだ?」
「うーん、準備を済ませて……明日でしゅ!」
「もうちょっと猶予をくれ」
「じゃあ明後日でしゅ!」
「もう一声欲しい」
「3日後じゃどーでしゅか!」
「よし、3日後に向かうとしよう」

 ということでライラのお出かけは3日後に決まった。

 出発までの間、ライラは猛スピードで調合を済ませる。
 すでに大量の希少素材が工房にはあるので、用意できるものは用意しておこうという形だ。

「ふんふんふーん♪」

 小さなフライパンや鍋もしっかりコーティングしておく。
 素材と魔力をあらかじめ馴染ませておくと調合にもプラスなのだ。

 こうして準備を終えたライラは意気込んで当日の朝を迎えた。
 大きなバックパックの荷物を2回も点検し、モーニャの毛並みの先までブラシして整える入念さである。

 最近は若干ラフな服装で工房を訪れることも多いアシュレイも、その日の服装は気合いが入っていた。
 石化の沼に行くのはシニエスタンの戦いに挑むのと同じくらいらしい。

「……気は変わってないようだな」
「もちろんでしゅ!」

 ちなみにシェリーも軍装で準備していた。

「わ、私も頑張ります!」

 戦力というよりは、どちらかというと荷物持ちとして。
 ということで一行は石化の沼へとアシュレイのテレポート魔術で向かったのであった。