翌日、工房が本格的に稼働し始めた。
 と言っても調合を行うのはライラで、シェリーらは助手的な立ち位置だったが。

「ふぅ、さて何を作ろうでしゅかね〜」
「アイデアはあるんです?」

 ライラはぱらぱらと書き殴ったノートをめくる。
 このノートは前世の記憶を元に書き続けてきたアイデア帳だ。

「作ってみたいのはこれでしゅかね」
「ふむむ、毛生え薬……?」

 シェリーがぽんと手を打つ。

「おお、あの伝説の!? 大学の授業で聞いたことはありますけれど、実物は私も見たことがありません!」

 毛生え薬自体のレシピ自体は存在する。
 だが現代では成功例がない。幻の魔法薬だ。

 モーニャが首を傾け、自身のもふもふボディーを確かめる。

「まさか、どこか抜けてます……?!」
「……そうじゃないでしゅよ」

 この毛生え薬というアイデア自体は独創的でもなんでもない。
 前世の日本でもこういう薬は販売されているし、この世界にもカツラはあるのだ。

「毛というのはどこでも悩みの種なんでしゅ……」
「ライラちゃんは本当に4歳児ですか?」

 ツッコまれるライラ。
 語りすぎてしまったかもしれない。

「でも毛の悩みは……ええ、私も父が最近ちょっと気にしてるみたいなんですよね」
「冒険者にもいましたもんねぇ〜。帽子や兜は蒸れまちゃいますし」
「そうでしゅ。毛生え薬にはきっと需要がありましゅ!」
「確かに! ライラちゃんの仰る通りです!」

 問題は成功者がいないこと。
 しかしそれは挑戦しない理由にはならない。

「難しいモノほど燃えましゅ……!!」

 だからこそ挑戦しがいがあるし、もし成功したらアシュレイも喜ぶだろう。

 魔法薬作りはまず、文献調査からだ。ということで諸々の魔法薬の本の研究から始める。
 シェリーに王都にある魔法薬のレシピ本を片っ端から持ってきてもらう。

「宮廷魔導師寮から借りてきたのはここに……!」
「あいでしゅ」

 ライラはぱらぱらと読み進める。

 その速度は超人的だった……まぁ、魔力で自己強化しながら読んでいるのだが。
 必要な部分を書き写し、また別の本を手に取る。

「王都図書館から借りてきたのは、向こうに……」
「ありがとでしゅ」

 ぱらぱらー、さらさらー。
 毛生え薬は伝説的な薬だ。本によって書いてあることが違う。

「ヴェネト魔法薬協会から借りてきたのは、はぁはぁ……ここに置きます」
「そんなに急がなくても大丈夫でしゅよ?」
「いえ! 私のほうはお気になさらずに!」

 こうして数時間を文献調査に費やしたライラは目をこすり、ぐーっと伸びをする。

「ふぅ、とりあえずはこんなところでしゅね。違うことをしたくなりまひた」
「じゃあ主様、使った魔法薬のストックでも足しておきます?」
「ぱぱっと作るでしゅ」

 ライラはこの数日で使った魔法薬の調合をし始めた。
 まずは爆裂薬だ。これは何百回も作っているので、身体に動きが染み付いている。

「ふんふんふーん♪」

 爆裂草の実を小鍋に入れて溶かし、そこに光蛇の鱗やら閃光石の粉末やら……。
 どろどろに溶けた素材たち。ライラの顔から笑みが漏れる。この瞬間はたまらなく楽しい。

「ふふっ、ふふふ……」
「主様……悪い魔女みたいな顔になってますよ」
「はっ!」

 顔を引き締めるライラ。ここにはシェリーたちもいる。
 あまりだらしいない顔は見せられない。

 ぐーるぐる。ライラ自身の魔力もたっぷりと込めて、鍋をかき混ぜる。
 やがて鍋の中身が白く濁り、魔力の光がパチパチと爆ぜてきた。
 猛烈な光が工房に満ちる。

「できまひた!」
「おー! いつ見ても綺麗ですねぇ」
「こ、これがあの氷河ヘラジカを一撃で倒した魔法薬ですね!」
「そうでしゅ。ここから素材を抜くとまた別の爆裂薬になるでしゅよ」

 ギガントボアを倒した爆裂薬はこの廉価版だ。

 素材も安く生産の手間は省けるが、破壊力が弱くなっている。
 とはいえ弱い魔物には廉価版のほうがいい。適材適所というやつだ。

「しかし、これほどの魔力を秘めた魔法薬を、こんなに素早く……」
「ちょっと作業をやってみましゅか?」
「……いいのですか?」

 全部、自分でやってしまうのもアレだ。

(任せられるところは任せたいでしゅ)

 アシュレイもシェリーを活用するよう言っていた。
 ライラの作業の一部がシェリーも出来るようになれば、アシュレイも満足するだろう。

「鍋から瓶に移し替えるのなら、そーんなに危険はない……はずでしゅ」

 ちょっと心配になるシェリーだったが、ライラがそばについてくれるので、移し替え作業をやってみることにする。

 シェリーは大きな白のスプーンをライラから手渡される。
 このスプーンそのものからも強力な魔力が放たれていた。

「これは大砂魚の骨から削り出したスプーンでしゅ。爆裂薬の移し替えはこのスプーンが一番でしゅよ」
「ちなみにですが、他のスプーンを使うと?」

 ライラがちらっと視線を外す。

「魔力で抑え込めれば、ノープロブレムでしゅ」
「は、はい……」
「中身を魔力で包むようにしながら、やりましゅよ」

 ゆっくり、慎重に。
 スプーンが少し震えながらもシェリーは小瓶へと移し替えていく。

 スプーンと爆裂薬の液体の魔力がきらめいて、目が痛くなるほどだ。
 少しでも手を抜くと爆裂薬の魔力が飛び出そうになる。

 実際、それが危険なのかどうかわからないし――知りたくもなかったが。

「こ、これ難しいですね!」
「ちゃんと出来てましゅよ。その調子でしゅ!」

 4歳児についてもらい、励まされながらシェリーは移し替え作業を続ける。
 小瓶ひとつに爆裂薬を移すのに、たっぷり十数分はかかってしまった。
 汗もびっしょり、魔力も持っていかれる。

「はぁ、ふぅ……」
「よくできまひた。最初ならこんなもんでしゅ。あとはあたちがやりましゅ」

 ふんふんふふーんと歌いながら、ライラはぱぱっと5本分の移し替えを終える。
 その様子にシェリーとその部下たちは驚愕するしかなかった。

「す、凄い……っ! 私があんなに苦労した移し替えを……」

 移し替えを終えたライラがふぁーっとあくびをひとつする。
 文献調査と調合でけっこう働いた気がする。さすがに4歳児の体力の限界だった。

「そろそろお昼でしゅね」
「そーですねー。外はいい天気ですぅ」
「シェリーしゃん、お昼はあたち、お昼寝しましゅ。再開は2時間後くらいにでしゅ」

 そう言って工房に設置されたベッドにライラはもぐり込み、モーニャと一緒にすやすやと昼寝を始めるのだった。



 
 一連の様子をシェリーは信じられない気持ちで見つめていた。

 この数時間でざっと30冊の本にライラは目を通している。
 さらに爆裂薬の調合まで。この小瓶ひとつの破壊力をシェリーは知っているが……1時間も経たずに6本が完成していた。
 恐ろしい、とても恐ろしい4歳児だ。

「ほう、ライラはお昼寝中か」
「陛下っ!」

 アシュレイが姿を見せたので、シェリーが直立不動で敬礼を取る。
 彼の後ろには書類を抱えた文官がぞろぞろついてきていた。

「午後は書類整理だからな。この工房で処理するのも一興かと思った」
「な、なるほど……」

 ライラと一緒にいたいという親心だとシェリーは察した。

「どうだ? 魔術大学首席のお前から見て、俺の娘は?」

 実はシェリー、ヴェネト王国でもかなりのエリートであった。
 そうでなければ魔術王アシュレイやライラの側仕えなど不可能だ。

「陛下の御子を私が品定めするなど、畏れ多いことです」
「構わん、言ってみろ」

 促されてシェリーが口を開く。

「正直、シニエスタンのご活躍でライラ様の御力は知っているつもりでした。しかし、それさえもまだ理解が浅かったようです」
「ほう……」

 シェリーは午前中、ライラがした作業をアシュレイに報告した。

 驚異的な量の文献を読み解き、S級魔物も屠る爆裂薬をこともなげに作った……と。
 アシュレイがライラの読んだ文献を手に取り、ぱらぱらとめくる。

「ふぅむ、中々高度だな」
「はい……専門家でも読み解くのに苦労すると思います。私だと書いてあることの半分も分からないくらいです」

 正直、ライラの求めるままに魔法薬の文献を持ってきたのだ。
 なので、この中身はシェリーには高度すぎた。

「それで爆裂薬はこれか」
「あれほどの魔物を一撃で倒すくらいですから、調合に何日もかかるかと思いきや……。1時間ほどで何本も作られてしまいました」
「……我が娘ながら恐ろしいな」

 アシュレイが苦笑する。もちろんただの4歳児とは少しも思っていないが、とんでもない天才児なのは間違いなかった。
 机に座し、書類仕事をしながらアシュレイがシェリーへ伝える。

「ライラについて、しばらくは国民に伏せておこうと思う。国葬を執り行った手前、他国にもそう簡単に報告できんしな」
「そうですね……。この能力を見たら、他国も驚愕するかと」
「ああ、それにこの奥の宮は安全だが、他の場所までそうかと言われるとな……」

 アシュレイも話しながら恐るべき速度で書類に目を通し、書き込みをしている。
 この親にしてこの娘あり、とでも言おうか。

「門閥貴族の方々にも秘密にされるので?」
「ライラが王宮暮らしに慣れるまで、そうしたくはある。まぁ、長くは秘しておけまいが」

 シェリーがやや顔を曇らせた。彼女もアシュレイと門閥貴族の軋轢は知っている。
 元々、アシュレイは第六王子で王位継承の見込みはほぼなかった。

 だが強大な魔力と手腕によってアシュレイは王位に就いたのだ。
 さらに様々な改革を実行し、国を富ませようとしている、これをよく思わぬ貴族は数多い。

 アシュレイの暗殺騒動も両の手で数え切れぬほど起こっている。
 それをシェリーもよくわかっていた。

「ご安心を。ライラ様は私が命を賭してお守りいたします」
「頼んだぞ」