転生チート王女、氷の魔術王に溺愛されても冒険者はやめられません!~「破壊の幼女」が作る至高の魔法薬が最強すぎるので万事解決です~

 同じ頃。
 遠く離れた王都ではボルファヌ大公が緊急の使者に会っていた。

「なんだと、シニエスタンの騒動が収束した……!?」

 ボルファヌ大公が野太い腕を机に叩きつけた。
 その音に使者がびくりと驚く。

「そんなはずはない! 氷河ヘラジカの群れはそう簡単に駆除できん。何か月もかけ、入念に計画したんだぞ……」
「し、しかし……群れは全滅したそうです」

 ボルファヌ大公が忌み嫌う甥、国王のアシュレイの顔を思い浮かべる。

 アシュレイとその兵。
 さらには北部の冒険者のことまでボルファヌ大公は計算に入れていた。

 どうやっても戦力は不足するはず、であった。
 何かボルファヌ大公の予測しえないことが起こったのだ。

「……あの若造にそこまでのことはできまい。何かイレギュラーがあったはずだ」
「申し訳ありません、そこまでは……」
「早急に調べろ。あの若造の陣営に変化があったなら、大事だぞ……!」




 ライラたちが冒険者ギルドの大ホールに戻ると、盛大なパーティーが行われようとしていた。
 討伐の現地から遅れての祝宴らしい。

「ロイドさん、本当に悪かった……」
「ああ、あんたは俺たちのエースなのによぉ!」

 シニエスタンの冒険者はロイドを受け入れ、ロイドも微笑んで皆の輪に入っていった。
 寡黙だが、ロイドには人徳がある。

 その祝宴の場からライラとアシュレイはそっと抜け出した。
 この場にはいないほうがいいとふたりとも思ったのだ。

 空には月も星も光っている。
 ライラはアシュレイの宿舎でソファーに腰掛けていた。

「ふわ……」
「もう夜ですからね、主様」

 モーニャがふにっとライラの頬に手のひらをくっつける。
 ぷにっとしていて、温かい。

「悪いな、来てもらって」
「……別にいいでしゅ」

(もっと話もしなきゃでしゅ)

 ライラはもう、アシュレイが自分の親であることは疑っていなかった。
 だからといって全部を受け入れて納得できるかは、別である。

「ホットミルクだ」
「ありがとでしゅ……」

 もう夜も更けている。

 ライラの普段の活動時間は過ぎていたが、まだ起きていたかった。
 ミルクは濃厚で熱いというよりはぬるめ、ライラの好みだ。

「眠くなったら遠慮しなくていいからな」
「ふぁい」

 まぶたをこすり、アシュレイの顔をじっと見つめる。

 こうやって落ち着いたところで整った顔立ちを見ると、自分の顔と似ているなぁと思う。
 髪質、全体のパーツ、鼻……。

「……やはり似ているな、サーシャと」
「あたちの母親でしゅか」
「ああ、髪の色と目元はそっくりだ」
「ふふっ……」
「な、なんだ? どこがおかしい?」
「それ以外は国王様と似てると思ったんでしゅ」
「そうか? ……ふむ、かもな」
「でも、あたちはどうして森にひとりでいたんでしゅ?」

 一番聞きたいところはそこだった。

 ライラには生まれた時の記憶がない――まぁ、普通はないのが当然だが。
 でもあの神様と話してからのことは全部覚えており、その時にはもう森にいた。

「妻のサーシャは超高難度の魔法薬を研究していた。テレポートの魔法薬だ」

 モーニャがライラに耳打ちする。

「主様のテレポート薬ですね」
「……でしゅ」

 あのテレポート薬を自作するにはライラも苦労した。
 レシピそのものは知れ渡っていたが、極めて高い魔力と希少素材がいくつも必要なのだ。

 例えるなら日本刀みたいなモノだとライラは思っていた。
 製法を知るのと実際に製作するのとでは全く違う……それがテレポート薬だった。

「魔法薬の実験のため、サーシャとお前は王都郊外の研究所にいた」

 アシュレイが過去を手繰り寄せる。

「俺は魔法薬の部門はさっぱりだったが、素材や魔力の流れ的にあそこが良かった……とか。実際、そうだった。魔物も多くなく、静かで……」
「…………」
「だが、ある日――その研究所が魔物の大群に襲われたとの知らせを受けた」

 モーニャが身体を震わせる。

「ひぃっ!」
「俺は急いで研究所に駆けつけた。だが、研究所は完全に破壊され……生存者はいなかった」

 アシュレイが視線を落とす。
 彼にとって、この出来事はまだ痛むのだろう。

「サーシャの遺体は見つかったが、お前の遺体はなかった……だが、現場は地獄のような有様
だった。俺はしばらくお前を探し、生存を諦めた」
「……あたちはでも、生きていた」
「どうして生き残れたのか、俺も推測しかできない。だが可能性があるとすれば、あのテレポートの薬だろう。未完成のはずだったが、サーシャはお前に使ったんだ。最後の望みをかけて」

(なるほど、筋は通ってましゅね。あの神様がミスった、とかいう運命はこれでしゅか)

 あのテキトーな神様は言った。
 このライラという赤ん坊は死ぬはずだった、と。それが魔物の騒乱だったのだ。

 しかし母サーシャの機転でその運命を覆した。

(にしても母親も魔法薬を研究していたなんて、なんてことでしゅ)

 もしかして今、自分が魔法薬作りにハマっているのは母親からの遺伝があるのかもしれない。
 縁とは不思議なものだ。

「何を考えているんだ?」

 要素としてはもう疑う余地はない。
 だが、最後にもうひとつ。ライラは自分の手でバックパックから魔法薬を取り出した。

 ライラの愛用するテレポート薬。

 虹色の光を閉じ込めたライラの傑作だ。
 今の話が本当なら、この薬がアシュレイにはわかるはずだった。

「これが何なのか、わかりましゅか?」

 アシュレイがわずかに眉を寄せる。

「どうしてこれをお前が? テレポートの魔法薬じゃないか」
「……わかるんでしゅね」
「わかるとも。サーシャがよく見せてくれた。虹色はもっと薄かったがな」
「これは主様のお手製なんですよ〜」
「なんだと? 会った時にテレポートと言っていたのは、魔術じゃなくて薬だったのか」
「よく覚えてましゅね」
「子どもがひとりであんな所にいる理由をそうそう忘れるものか。しかし、そうか……これはもう使えるんだな。完成したのか」
「もちろんでしゅよ。貴重でしゅけど」

 アシュレイがライラの隣に座った。
 重みでソファーがそっと揺れる。

「ふむ……もっと近くで見せてくれ」
「あい」

 ライラがテレポート薬を渡すと、アシュレイが大事そうに瓶を両手で持った。
 アシュレイは瓶を様々な角度からじっくりと眺めた。大切な想いと一緒に。

「綺麗だ。魔力が弾け、虹色になっている」
「同じ、でしゅか」
「同じだ。美しい」

 アシュレイの低い声がライラの心に染み込んでくる。

(……家族はこういうものでしゅかね)

 ライラは前世でも天涯孤独だった。

 でも家族がどういうものか、他人を見て知っている。
 今、一番家族なのはモーニャだ。

 アシュレイは家族かどうかというと……でも、身体は拒絶していない。
 彼の瞳には間違いなく、愛情があったからだ。

「うにゅ……」
「……眠くなったら、寝ていいぞ。俺がずっとそばにいるから」

 今日は本当に色々あった。
 ゆったりと柔らかなソファーに身を預けていると、頭の中に色々なことが浮かんでは消えてくる。

「あたちを娘と認めたら、大変じゃないでしゅか」

 それは疑問ではなかった。確信だった。

 アシュレイは今も大変な立場にいる。一国の若き王として。
 そこに死んだはずの娘が戻ってきて、すんなり済むとは思えない。

 アシュレイがそっとライラの頭に手を伸ばす。
 大きくて、しなやかな手。父の手がライラの髪をゆっくり撫でる。

「そんなこと、気にするな。俺はお前がいてくれるだけでいい」

 今までで一番、優しい声だった。
 心の奥に流れ込んで、信じられる声だ。

「んっ……」

 ライラはモーニャを胸に抱き、アシュレイの腕に手を伸ばす。

 とても温かい。モーニャとアシュレイ。
 ふたつの温もりを感じながら、ライラの意識は眠気に溶けていった。
 翌日、ライラはベッドに寝かされていた。

「ふゅ……」

 眠い目をこするとモーニャが隣に寝ている。

「おんせーん、ぱしゃぱしゃー」

 手足をばたつかせ、なんだか楽しい夢を見ているようだった。

「起きたか」

 アシュレイはもう起きて着替えていた。

 またもやコップを手渡される――今度はオレンジジュースだった。
 爽やかな酸味が心地良く眠気を遠ざける。甘やかされているが、とても良い気分だった。

「身体は大丈夫か?」
「だいじょうぶでしゅよ。すっきりでしゅ!」

 ライラがぐーっと両腕を上げる。昨日の疲れは吹っ飛んでいた。

「で、これからどうするんでしゅ?」
「シニエスタンでの作戦は終わった。撤収作業は俺がいなくても問題なかろう。すぐ王都に戻るつもりだ」
「じゃあ……」

 言いかけてライラは口をもごもごさせた。

 アシュレイは自分の親だ。だけど、これからどうするかはまた別の話だった。

 ライラは前世を含めても貴族らしいところはない。
 果たしてアシュレイの娘として、自分はやっていけるんだろうか。

「とりあえず王都に来ないか。サーシャの墓が、そこにある」
「……あい」

 そう言われたら断れない。
 上手いな、とライラは思った。

「とりあえず、そうしましゅ」
「ああ、それまでこの部屋でゆっくりしていてくれ」
「そうはいかないでしゅよ」
「うん? なぜだ」
「昨日、ロイドのアレコレで冒険者ギルドに買い取り品を預けたまんまでしゅ! お金を受け取らないとでしゅよ!」

 ライラの瞳は燃えていた。
 色々なことがあってもお金のことを忘れないのはライラなのだ。
 アシュレイが目を細めて笑う。

「ははっ、しっかりしているな……。わかった、シェリーを付けよう。後で合流だ」




 シェリーと一緒にライラとモーニャは冒険者ギルドに向かった。
 なのだが、シェリーはガチガチに緊張している。
 道行く人を警戒しまくっていた。

「シェリーしゃん、落ち着いてくだしゃい」
「そ、そうは参りません……!」

 出かける前にアシュレイから聞いたのだが、シェリーは昨日のことを全部知らされたとか。
 なので彼女からしたらライラは王女、これは王女の護衛任務になるのだ。

「あんまり固くなっちゃっダメですよぉー、リラックスリラックス〜」

 モーニャがシェリーの肩をモミモミする。

「そうでしゅ。あたちはあたちでしゅ。これからもライラちゃんって呼んでくだしゃい」
「うぅ……ありがとうございます」

 そんなこんなでシェリーの緊張をほぐしながら冒険者ギルドに向かう。

「お邪魔しますぅー」

 入るなり、モーニャが鼻をつまんで叫んだ。

「うわっ、お酒くさー!」
「宴のあとって感じでしゅね」
「ゴミもいっぱいですしね」

 冒険者ギルドの床はゴミどころか、寝転んでいる冒険者でいっぱいだった。
 昨日の宴はよほど盛り上がったらしい。
 受付嬢のお姉さんたちもテーブルに突っ伏して寝息を立てている。

「ぐぅ〜……」
「完璧に寝てます。コレ」
「困ったでしゅね」
「叩き起こしますか?」

 シェリーの目はちょっと本気だ。
 王女様の予定を最優先らしい。

 とはいえ、4歳児の健康ライフサイクルに合わせるのは忍びない。
 そこにしっとりとした声が降ってきた。

「……来たのか」
「ロイドしゃん!」

 ライラが振り向くと、奥からきちんと着替えたロイドが現れた。
 目も足取りもしっかりしている。ロイドは片手にじゃらじゃら鳴る袋を持っていた。

「お金の件だろう? 実は昨夜、皆が酔い潰れる前に預かっていた」
「そうでしゅ! はぁ、ロイドしゃんは出来る人でしゅね〜」
「こうなるだろうと思ったからな」

 ロイドはお金と打ち合わせの件で、アシュレイの宿舎に行こうとしていたのだとか。

 その前にライラが到着したので、お金の件は一件落着である。
 ロイドから明細と袋を受け取り、ちゃんと確かめたライラはふふんと頷く。

「ばっちりでしゅね。領収書、置いときましゅか」

 適当な紙にお金を受け取ったことをぐりぐりと書く。
 その文字を見て、シェリーがわずかに眉を寄せた。

「えーと……」
「シェリーしゃん、あたちの字はこんなもんでしゅよ」

 シェリーがはっとした。どうやらライラの年齢を忘れていたらしい。

「そ、そうですね! 年齢からすれば神がかった域でした!」
「ちゃんと書けるだけ、凄いからな」

 ライラの字はかなり下手だった。
 なんせ4歳児。知能や魔力があっても異世界の文字なんて大人のようには書けない。
 とはいえロイドの言う通り。意味の通った文を書けるだけでも偉いはずだ。

「モーニャ、ここに判を押してくだしゃい」
「はいはいー、えいっ!」

 もにもに。インクをつけた前脚でぽんっとモーニャが判を押す。

 レッサーパンダに肉球はあるが、毛に覆われている。
 なので毛むくじゃらの前脚の印にはなるが、これがライラの判子だった。

「……モーニャちゃんの足跡にはどのような意味が?」
「こーすると少しだけ魔力が残るでしゅ。こんなのはあたちとモーニャ以外にはできまひぇん」

 ライラが紙をひらひらさせる。
 そうすると確かに風の魔力がわずかに香っていた。

「あたちのサインよりは、分かりやすいでしゅ」

 お金を受け取り、ロイドを連れてライラはアシュレイの宿舎へと戻った。

「戻ったか。ロイドも来てくれたな」
「もちろん」

 魔物が討伐されたのでロイドもやることがなくなったとか。
 母国への報告は魔術で済ましたらしいので……彼も王都に同行するという。

「ロイドは大切な客人だ。歓迎する」
「ありがとう」
「これで用はすみましゅた。……れっつごー、でしゅ!」

 ということでライラたちは王都へとアシュレイのテレポート魔術で移動した。
 身体がふわっと浮く感覚を乗り越えると、そこはヴェネト王国の王都、ラルダリアだった。

 ラルダリアは初代ヴェネト王国の国王の名だ。
 下級貴族の身から冒険者になり、空前絶後の魔力でひとつの国を打ち立てたという。

 そのため、ヴェネト王国の国民は誰でも魔術が使え、生活水準も高い。

「いつ来ても凄いですよねぇ〜」
「建物が高いでしゅよね〜」

 ライラたちはラルダリアの中心部、王宮に到着していた。
 ここはまさに荘厳の一言だ。結界を兼ねた魔力を含む大理石がこれでもかと使われている。

 王宮の窓から見渡すと街全体が美しい白色を誇っていた。
 城下町は魔力を駆使して作られたため、上下水道も完備。道も周辺国とは比べ物にならないほど舗装され、規格化されている。

「にしても、ここは王宮のどこでしゅ?」
「人があんまりいないですねぇ」
「ここは奥の宮です。知らせは送ってあるので……ライラ様のことがありますから」

 シェリーの答えにライラが頷く。
 自分のことをアレコレしないと、王宮はさすがにマズい。

「まぁ、まずは限られた人間が知っていればいいだろう」
「そのほうがいいでしゅね」

 いきなり国民を集めてお披露目会をするより、よっぽどいい。

「とはいえ……そうだな、少し身支度をしたほうがいいかもしれない」
「ですよね〜」

 モーニャがうんうんと頷く。ライラも納得するしかない。
 冒険者っぽい今のライラの格好は、王宮にふさわしいモノではなかった。

「シェリー、頼んだ。ロイド、君とはその間に色々と話し合いをしたい」

 アシュレイがテキパキと指示を飛ばし、ライラたちは別れ別れになった。
 シェリーが呼吸を整える。やはりライラと一緒は緊張するようだった。

「ふぅー……じゃあ、私が先導しますので!」
「あーい」

 まずは湯船。前世でも見たことのない規模の大理石の室内温泉にライラは浸かった。
 大の大人が40人は入れる。そこにライラとモーニャがふたりきりで入っていた。

「……広すぎましゅ」
「近くの山から魔術で引っ張ってきたとかでしたっけ。はぁ、ラルダリア様はきっとお風呂が大好きだったんでしょうねぇ〜」

 モーニャも肩までつかり、ほくほくしていた。ライラも全身の血行がほぐれるのを体感している。
 その後、全身を石鹸で洗われたライラは服を着替えることになった。

「これは中々いいでしゅね」

 用意されたひらひらのレース付きの服を着てみる。

 靴まで凝って、カチューシャも輝く白銀。
 それでいて動きにくいということはない。冒険者の服よりも重たいが、許容範囲だ。

「うーん、とても可愛いですよ!」

 シェリーが両手を組んで褒めてくれる。ライラも悪い気はしなかった。
 元々、この顔立ちはかなり可愛らしい。それに合った服装をすれば、十分輝く。

 で、モーニャはというと。

「ふんふふーん♪」

 お気に入りのリボンを見つけたらしく、首元に巻いていた。
 赤色の小さなリボンだが、白毛のアクセントとしてはぴったりだ。

「気に入ったんでしゅか?」
「はい! どうですか!?」
「いい感じでしゅー!」

 石鹸で洗われてふわふわになったモーニャをもみもみする。

「んー、主様も可愛いですよぉ!」

 お風呂とお着替えで2時間が過ぎた。
 その後シェリーに案内され、王宮の一室で休む。

 用意されたジュースを飲んでいると、アシュレイがやってきた。
 ライラとモーニャを見るなり、アシュレイが顔を綻ばせる。

「おお、よく似合っているぞ」

 手放しにそう言われ、ライラも胸を張る。

「とーぜんでしゅ!」

 そんなアシュレイの後ろには数人の見知らぬ大人がいた。
 アシュレイよりも遥かに年上の人間ばかりだ。

(どういう人たちなんでしゅかね――あっ!)

 ライラは一瞬で関係性に気が付いた。その数人が全員、黒髪であったのだ。
 この国で黒髪はとても珍しい。そんな黒髪が揃っているということは……。

 黒髪の人の中、ひときわ立派な体格のダンディーなオジサマが声を漏らす。

「……本当にこの子が」

 ごくりと息を呑む。鏡くらいは毎日見ているライラだ。
 自分の目元と彼の目元はよく似ている。そう直感できるほどだった。

「紹介しよう、ライラ。君の親戚たちだ。今はもう俺の親戚でもあるがな」

 ライラの胸がきゅっと切なくなった。

「は、はじめましてでしゅ!」

 ソファーから飛び下りたライラが頭を下げる。
 母の親戚たちが駆け寄って泣き声を上げるのは、同時だった。

「ああ、神様……まさか! あのライラが!」
「これは奇跡だ……!!」

 ライラの母方の家族はファーラ家というらしい。
 公爵家であり、ヴェネト王国には建国当初から仕える古い家柄だとか。

 今、ファーラ家をまとめているのは、このダンディーなオジサマ――本当にライラの叔父であるニコル・ファーラであった。

「我が家の黒髪は東方から入植したから……もちろん、他の家系にもある。しかし君は間違えようもない。目元がサーシャそっくりだ」

 ニコルはライラの母、サーシャの兄にあたる。
 すでにライラとニコルの両親は病で亡くなっており、彼がファーラ家を差配していた。

「本当に驚いたよ……。昨日の夜、陛下の使いから君が生きていると聞かされて、心臓が跳ね上がった」
「それ以外に説明のしようがなくてな。悪かった」

 アシュレイとニコルの言葉遣いはかなり気安い。親密なのだろう。

「いや、だが……こうして対面すると魔力の高さは陛下譲りだ。サーシャはここまでの魔力はなかったからね」
「魔力がそんなにわかるんでしゅか?」

 ライラは魔物を除いて、人の魔力がよくわからない。
 さすがにアシュレイほど張り詰めて膨大なら分かるのだけれど。

「我々、ファーラ家は戦闘用の魔術がさほど得意ではなくてね。むしろ探索や鑑定、魔法薬――そういった座学の魔術が生業だ」
「主様と同じですねぇ!」
「ああ、サーシャの得意は魔法薬だったが……ライラちゃんもそうなんだって?」
「あい! 見てくだひゃい!」

 部屋の隅に置いてあるバックパックから、手頃な瓶を取り出す。

 それで取り出してしまったのが、魔物用の毒薬だったが。
 泡立つ赤紫の液体を見て、アシュレイがぼそりとこぼす。

「見るからに毒っぽいが」
「……魔法薬のひとつではあるでしゅ!」

 それにニコルが目を細める。

「ははっ、サーシャもよくそういう魔法薬を作っていた。親子だなぁ」

 ニコルの笑顔はどことなく親近感が生まれる。顔合わせは朗らかに進んだ。
 数時間、話をしても話題は尽きなかった。
 夕日が傾いて窓からオレンジ色の光が差し込む。

「そろそろ時間だな。では、行くか」

 アシュレイに導かれ、ライラたちは王宮を歩いた。
 向かうのは王宮墓地にある、サーシャの墓だった。

 それは王宮裏手の聖堂にある。
 王族とそれに連なる配偶者は皆、ここに葬られるのだそうだ。

 初代国王ラルダリアからアシュレイの妻サーシャまで、全ての王族がここに眠る。

 聖堂は白の大理石によって建てられ、赤と青の水晶が壁を飾る。
 入口には微笑む天使の彫像、壁の彫刻は天上の楽園を模していた。

 モーニャが空を飛びながら首を回す。

「全体的に明るいですね」
「ああ、ラルダリア王がこう設計されたらしい。自分の眠る場所は春の寝床のように、白に飾られた陽気な場所にしたい――と」

 何百年も経ているはずなのに、壁にはその様子は全くない。

「魔力が張り巡らされてましゅ」
「ラルダリア王は潔癖なようで、王宮にもこの聖堂にも汚れ避けの魔術を入念にかけたからな」

 聖堂の奥には神官が並んでいた。
 奥の壁には葡萄の蔦と雲を彫刻された石の額縁がかけられており、そこに様々な名前があった。

 これが墓石代わりだろう。神官が生花を持ち寄ってくる。

「さぁ、祈りを捧げよう」

 花を壁に向かって並べ、祈りを捧げる。
 頭を少し下げて……沈黙。香炉から薔薇の香りが漂ってきていた。

(……私の母)

 実際、顔も声も覚えていない。名前さえも昨日知ったくらいだ。
 それくらいの関係でしかないのに、胸が締め付けられるのはなぜだろう?

「主様……」

 モーニャが温かい頬を寄せてくれる。胸が苦しい理由は分かっていた。
 ライラがこの世界にいるということは、やはり誰かがライラを産んだからだ。

 そして、今のライラは父であるアシュレイと母の兄であるニコルとその実家を知った。
 異世界に突如として生まれ、今までは想像するしかなかった自分のルーツ。

 それがはっきりと認識できたから、ライラの胸に新しい想いが訪れているのだ。
 数分ほど黙祷し、頭を上げる。これがヴェネト王国の葬礼だった。

 ニコルが改めてアシュレイに感謝を捧げる。

「陛下、この度ライラを伴っての追悼の儀――誠にありがたく思います。サーシャも天上できっと喜んでおりますでしょう」

 ニコルの言葉にアシュレイが目を伏せる。

「かしこまらないでくれ。これは当然のことだ」

 厳粛な雰囲気でライラたちは聖堂を後にした。

(私の生き方……)

 ライラはぼんやりと上の空だった。

 自分のこれまでとこれから。どうすべきは分かっている。
 このヴェネト王国の王女として、生きていくのだ。

 王宮に戻ると、ニコルが口を開いた。

「それで陛下、ライラのことはどうするおつもりで?」

 アシュレイの目がライラに注がれた。
 温かさはあるが、何を考えているかは読み取れない。

「……ライラ、お前はどうしたい?」
「あたちがでしゅか?」
「ああ、いくつもの道がある」

 アシュレイは指折り数えた。

「まずひとつ、ファーラ家の令嬢として生きていく。名目的にも王女とはならずに」
「それもひとつの道だと思います」

 ニコルははっきりと言った。アシュレイが深く息を吐く。

「王族は楽なものではない。どれほど苦しくても投げ出せはしない」

 それはきっとアシュレイ自身のことだとライラは思った。
 妻子が死んでも止まることは許されない。それが王というものだ。

「ファーラ家の貴族というなら、いくらかは安心して生きられる。暗殺の心配もなかろう」

 自嘲気味に笑うアシュレイ。
 これは彼自身の体験からかも知れなかった。

「もうひとつは冒険者として生きる道。今、お前の名声は他国にも鳴り響いている。どこの国で生きていくのも不安はあるまい」
「……それでいいんでしゅか?」
「テレポート薬を持っているお前を拘束するなど、どのみち不可能だ」

 あっさりとアシュレイが認めた。
 4歳児を自由にさせるのもどうかと思うが、実際に前の生き方に戻るだけだ。

「たまに顔を見せてくれるなら、サーシャも満足しよう」

(……嘘ばっかりでしゅ)

 出会ってからは短いが、ライラはアシュレイの心根の深い部分に触れていた。
 多分、これは嘘なのだろう。そんな風に考えられる親などいない。

「最後の選択肢は王女としてこの国で暮らす。わかっていると思うが、楽ではない」

 それはきっとアシュレイの本音なのだろう。
 妻子を失い、魔物の対策に奔走しなければいけない。貴族ともうまく渡り合わなければ……。

 でも、ライラの心は決まっていた。
 昨日と今日と。アシュレイを信じてみよう。運命があるならば、これがきっとそうなのだ。

「……あたちは」

 ライラは喉の奥を絞った。
 なんて呼ぶべきか、迷いながらもライラは『その単語』を口に出す。

「とーさまと一緒にいたいでしゅ」

 この世界に来て、初めて誰かを親と呼ぶ。
 アシュレイが口元を押さえ、ライラを見つめた。その瞳には喜びが溢れていた。

「そう、か……」

 ニコルも目元を拭う。

「ライラがそう決めたのなら、是非はありません」
「ニコルおじさまにも助けてほしいでしゅ」
「もちろん、もちろんだとも。ファーラ家はライラとともにある」
「ありがとう、ニコル」
「うぅ、良かったですねぇ……」

 モーニャも目元を拭う。その頭をポンポンと撫でるライラ。
 言葉に出してライラも覚悟が決まった。

「これから――新生活を始めるでしゅよ!」
 ライラはアシュレイとともに王都ラルダリアに住むことになった。
 ニコルたちが帰ったあと、王宮の広間でライラはアシュレイにせがむ。

「……広いところがいいでしゅ」
「部屋はもちろん広いが……」
「そうじゃないでしゅ。工房が欲しいんでしゅ」

 ライラの言葉を聞いてアシュレイが眉間を揉む。

「工房だと? もしかして魔法薬を作るつもりか」
「もちろんでしゅ! 魔法薬作りは止めませんでしゅよ!」

 ぐっと拳を振り上げるライラ。
 アシュレイの娘になったとしても魔法薬作りはしたかった。

「ふむ……しかし、だが……」

 アシュレイは色々と考え込んでいるようだった。
 そこにモーニャがささやく。

「主様の魔法薬はそれはそれは凄いですから〜。そこはもう、おわかりですよね?」
「……それは間違いない」
「あれやこれやの魔法薬を主様が作って、王国に活かせば……主様は魔法薬が作れる、お父様も国が富む。そうですよねー?」

 モーニャが上手く乗せる。
 まだまだ舌っ足らずなライラにはできないことだった。

「確かにな……」

 アシュレイが組んだ腕を解く。

「反対派をおとなしくさせるためにも、分かりやすい【成果】は必要か。諸外国にも魔法薬を輸出できるようになれば……」
「えーと、そこまでは言ってないような〜?」
「冗談だ」
「そうは聞こえなかったでしゅよ」
「面倒なことは俺に任せておけ。しかし、いいのか? 遊ぶよりも魔法薬作りで」
「魔法薬を作るのがライフワークでしゅ!」
「……ふっ、そうか」

 アシュレイが意味深に目を細める。
 それがサーシャも同じことを言ったことがあるとライラが知ったのは、もっとずっと後のことだったが。

「なら早速、工房を作るか」
「何週間くらいかかりましゅ?」
「明日にはできているぞ」
「ふぇ?」

 翌日、アシュレイの言葉通りライラの住処である奥の宮に工房が設置された。
 その工房、ライラの家の10倍の大きさがある。ライラもモーニャも開いた口が塞がらなかった。

「は、早すぎません?」
「魔法先進国だからな。奥の宮に建てるならすぐできる。土の魔術で建物を、水の魔術で水道も完備だ。もう使えるはずだ」

 アシュレイが工房の中を案内する。

「うわぁ〜〜!」

 ピカピカの工房、デカい水道にコンロ。かまどの類もある。
 もちろん棚やタンスも数十、嬉しいことに書架もあった。

「細かな備品はこれからだが、ライラの家から持ってくるものもあるだろう?」
「もちろんでしゅよ。今日、取ってくるでしゅ」
「それならシェリーを側仕えにすればいい。彼女なら諸々の仕事を任せられる」
「あいでしゅ」

 なんとなくシェリーは雑用係っぽい。

 だが、今のライラも王宮知識はゼロである。
 忙しいアシュレイに全部やってもらう訳にもいかない。自然な選択と言えた。

 ということで、ライラの工房作り――もとい、お引越しが始まった。
 とはいえテレポート薬で行ったり来たりするだけであるが。

「使わないのはどうしましょうね〜」
「時間があるときに、整理すればいいでしゅよ。とりあえず王宮のこーぼーを完璧にセッティング、でしゅ!」

 幸い、家具やら服は王宮に用意されている。
 移動させるのは魔法薬関連だけだ。

 ライラとモーニャはドタバタしながら品物を森の家から王宮に移していく。
 家の瓶をひっくり返し、モーニャが確認する。

「えーと塩ダレ、にんにくダレ、生姜ダレ……これも要ります?」
「要る! とっても要るでしゅ!」
「まぁ……タレは継ぎ足しがいいみたいですからねぇ」

 この世界にもソースの継ぎ足し概念は存在する。
 実際には中身は入れ替わり、意味はないらしいが。しかし自作のタレはライラには捨てられない。
 合流したシェリーとその配下も必死になってライラの手伝いをしている。

「荷物の開封と並べるのは私にお任せくださいっ!」

 元々騎士だけあって、体力面ではバッチリだった。
 で、その中で魔法薬関連の素材があり――。

「おっと、これはあたちがやるでしゅ」
「いえ、お気遣いは無用ですっ! やらせてください!」
「これはギガントボアの肝でしゅ。ぶちまけると皮膚がてーへんなことになっちゃうでしゅよ」
「ひぇっ!? な、なるほど……」
「あっちの隅にあるのはヤバめな素材でしゅから、触らなくていいでしゅよ」

 こくこくと頷くシェリー。こうして半日ほどでお引越しは完了した。
 疲れからか、さすがのモーニャの尻尾もへたりとしている。

「ふぃー、終わりましたぁ……」
「ご苦労様でしゅー」

 すっかり夕方になった頃、公務でいなかったアシュレイが工房に姿を見せる。

「おお、すっかり変わったな」
「とーさま! どうでしゅか!?」
「うむ、素晴らしい。道具も素材も揃っている……これは全部、お前の家からだな?」
「そうでしゅよ」
「だと思った。素材ひとつ、道具ひとつの魔力が高純度だ。これだけの品物はそうそう揃えられるモノではない」
「ほぇー、やっぱり分かるんですねぇ」
「大学よりも設備は良さそうだな。……危険なモノも多そうだが」
「ぎくっ」

 アシュレイが目ざとく、危険物の棚を見やる。
 そうだった、魔物との最前線に立つアシュレイが魔物素材を知らないはずがない。

「あとで宮廷魔術師に結界を追加で張らせよう。それと、この区画は許可のない人間は立ち入り禁止だ」
「異論はないでしゅ」

 それはライラのほうからも頼むつもりだった。
 高価な素材も多いし、毒物が盗まれたらシャレにならない。

「俺もお前の魔法薬の腕前を知らなかったら、許可してないくらいだ」
「扱いには気をつけるでしゅよ」

 ライラも魔法薬作りで気を抜いたことはない。危ない目にあったことはないが、下手すると大惨事になるのはよくわかっている。

「シェリーも気をつけるでしゅよ」
「は、はい! そう思って宮廷医にも話しは通してあります! 何が起こっても――はい、対処できることなら大丈夫です!」
「安心でしゅね」
「宮廷医が不要とは言わないんだな」
「それはシェリー次第でしゅ」

 ということで工房のアレコレが一段落した。
 本格的な稼働は明日からだ。

「さぁ、頑張るでしゅよー!」
「はーい!」

 これがヴェネト王国に新しい嵐を巻き起こすことになるとは、さすがのアシュレイも予想していなかった……。
 翌日、工房が本格的に稼働し始めた。
 と言っても調合を行うのはライラで、シェリーらは助手的な立ち位置だったが。

「ふぅ、さて何を作ろうでしゅかね〜」
「アイデアはあるんです?」

 ライラはぱらぱらと書き殴ったノートをめくる。
 このノートは前世の記憶を元に書き続けてきたアイデア帳だ。

「作ってみたいのはこれでしゅかね」
「ふむむ、毛生え薬……?」

 シェリーがぽんと手を打つ。

「おお、あの伝説の!? 大学の授業で聞いたことはありますけれど、実物は私も見たことがありません!」

 毛生え薬自体のレシピ自体は存在する。
 だが現代では成功例がない。幻の魔法薬だ。

 モーニャが首を傾け、自身のもふもふボディーを確かめる。

「まさか、どこか抜けてます……?!」
「……そうじゃないでしゅよ」

 この毛生え薬というアイデア自体は独創的でもなんでもない。
 前世の日本でもこういう薬は販売されているし、この世界にもカツラはあるのだ。

「毛というのはどこでも悩みの種なんでしゅ……」
「ライラちゃんは本当に4歳児ですか?」

 ツッコまれるライラ。
 語りすぎてしまったかもしれない。

「でも毛の悩みは……ええ、私も父が最近ちょっと気にしてるみたいなんですよね」
「冒険者にもいましたもんねぇ〜。帽子や兜は蒸れまちゃいますし」
「そうでしゅ。毛生え薬にはきっと需要がありましゅ!」
「確かに! ライラちゃんの仰る通りです!」

 問題は成功者がいないこと。
 しかしそれは挑戦しない理由にはならない。

「難しいモノほど燃えましゅ……!!」

 だからこそ挑戦しがいがあるし、もし成功したらアシュレイも喜ぶだろう。

 魔法薬作りはまず、文献調査からだ。ということで諸々の魔法薬の本の研究から始める。
 シェリーに王都にある魔法薬のレシピ本を片っ端から持ってきてもらう。

「宮廷魔導師寮から借りてきたのはここに……!」
「あいでしゅ」

 ライラはぱらぱらと読み進める。

 その速度は超人的だった……まぁ、魔力で自己強化しながら読んでいるのだが。
 必要な部分を書き写し、また別の本を手に取る。

「王都図書館から借りてきたのは、向こうに……」
「ありがとでしゅ」

 ぱらぱらー、さらさらー。
 毛生え薬は伝説的な薬だ。本によって書いてあることが違う。

「ヴェネト魔法薬協会から借りてきたのは、はぁはぁ……ここに置きます」
「そんなに急がなくても大丈夫でしゅよ?」
「いえ! 私のほうはお気になさらずに!」

 こうして数時間を文献調査に費やしたライラは目をこすり、ぐーっと伸びをする。

「ふぅ、とりあえずはこんなところでしゅね。違うことをしたくなりまひた」
「じゃあ主様、使った魔法薬のストックでも足しておきます?」
「ぱぱっと作るでしゅ」

 ライラはこの数日で使った魔法薬の調合をし始めた。
 まずは爆裂薬だ。これは何百回も作っているので、身体に動きが染み付いている。

「ふんふんふーん♪」

 爆裂草の実を小鍋に入れて溶かし、そこに光蛇の鱗やら閃光石の粉末やら……。
 どろどろに溶けた素材たち。ライラの顔から笑みが漏れる。この瞬間はたまらなく楽しい。

「ふふっ、ふふふ……」
「主様……悪い魔女みたいな顔になってますよ」
「はっ!」

 顔を引き締めるライラ。ここにはシェリーたちもいる。
 あまりだらしいない顔は見せられない。

 ぐーるぐる。ライラ自身の魔力もたっぷりと込めて、鍋をかき混ぜる。
 やがて鍋の中身が白く濁り、魔力の光がパチパチと爆ぜてきた。
 猛烈な光が工房に満ちる。

「できまひた!」
「おー! いつ見ても綺麗ですねぇ」
「こ、これがあの氷河ヘラジカを一撃で倒した魔法薬ですね!」
「そうでしゅ。ここから素材を抜くとまた別の爆裂薬になるでしゅよ」

 ギガントボアを倒した爆裂薬はこの廉価版だ。

 素材も安く生産の手間は省けるが、破壊力が弱くなっている。
 とはいえ弱い魔物には廉価版のほうがいい。適材適所というやつだ。

「しかし、これほどの魔力を秘めた魔法薬を、こんなに素早く……」
「ちょっと作業をやってみましゅか?」
「……いいのですか?」

 全部、自分でやってしまうのもアレだ。

(任せられるところは任せたいでしゅ)

 アシュレイもシェリーを活用するよう言っていた。
 ライラの作業の一部がシェリーも出来るようになれば、アシュレイも満足するだろう。

「鍋から瓶に移し替えるのなら、そーんなに危険はない……はずでしゅ」

 ちょっと心配になるシェリーだったが、ライラがそばについてくれるので、移し替え作業をやってみることにする。

 シェリーは大きな白のスプーンをライラから手渡される。
 このスプーンそのものからも強力な魔力が放たれていた。

「これは大砂魚の骨から削り出したスプーンでしゅ。爆裂薬の移し替えはこのスプーンが一番でしゅよ」
「ちなみにですが、他のスプーンを使うと?」

 ライラがちらっと視線を外す。

「魔力で抑え込めれば、ノープロブレムでしゅ」
「は、はい……」
「中身を魔力で包むようにしながら、やりましゅよ」

 ゆっくり、慎重に。
 スプーンが少し震えながらもシェリーは小瓶へと移し替えていく。

 スプーンと爆裂薬の液体の魔力がきらめいて、目が痛くなるほどだ。
 少しでも手を抜くと爆裂薬の魔力が飛び出そうになる。

 実際、それが危険なのかどうかわからないし――知りたくもなかったが。

「こ、これ難しいですね!」
「ちゃんと出来てましゅよ。その調子でしゅ!」

 4歳児についてもらい、励まされながらシェリーは移し替え作業を続ける。
 小瓶ひとつに爆裂薬を移すのに、たっぷり十数分はかかってしまった。
 汗もびっしょり、魔力も持っていかれる。

「はぁ、ふぅ……」
「よくできまひた。最初ならこんなもんでしゅ。あとはあたちがやりましゅ」

 ふんふんふふーんと歌いながら、ライラはぱぱっと5本分の移し替えを終える。
 その様子にシェリーとその部下たちは驚愕するしかなかった。

「す、凄い……っ! 私があんなに苦労した移し替えを……」

 移し替えを終えたライラがふぁーっとあくびをひとつする。
 文献調査と調合でけっこう働いた気がする。さすがに4歳児の体力の限界だった。

「そろそろお昼でしゅね」
「そーですねー。外はいい天気ですぅ」
「シェリーしゃん、お昼はあたち、お昼寝しましゅ。再開は2時間後くらいにでしゅ」

 そう言って工房に設置されたベッドにライラはもぐり込み、モーニャと一緒にすやすやと昼寝を始めるのだった。



 
 一連の様子をシェリーは信じられない気持ちで見つめていた。

 この数時間でざっと30冊の本にライラは目を通している。
 さらに爆裂薬の調合まで。この小瓶ひとつの破壊力をシェリーは知っているが……1時間も経たずに6本が完成していた。
 恐ろしい、とても恐ろしい4歳児だ。

「ほう、ライラはお昼寝中か」
「陛下っ!」

 アシュレイが姿を見せたので、シェリーが直立不動で敬礼を取る。
 彼の後ろには書類を抱えた文官がぞろぞろついてきていた。

「午後は書類整理だからな。この工房で処理するのも一興かと思った」
「な、なるほど……」

 ライラと一緒にいたいという親心だとシェリーは察した。

「どうだ? 魔術大学首席のお前から見て、俺の娘は?」

 実はシェリー、ヴェネト王国でもかなりのエリートであった。
 そうでなければ魔術王アシュレイやライラの側仕えなど不可能だ。

「陛下の御子を私が品定めするなど、畏れ多いことです」
「構わん、言ってみろ」

 促されてシェリーが口を開く。

「正直、シニエスタンのご活躍でライラ様の御力は知っているつもりでした。しかし、それさえもまだ理解が浅かったようです」
「ほう……」

 シェリーは午前中、ライラがした作業をアシュレイに報告した。

 驚異的な量の文献を読み解き、S級魔物も屠る爆裂薬をこともなげに作った……と。
 アシュレイがライラの読んだ文献を手に取り、ぱらぱらとめくる。

「ふぅむ、中々高度だな」
「はい……専門家でも読み解くのに苦労すると思います。私だと書いてあることの半分も分からないくらいです」

 正直、ライラの求めるままに魔法薬の文献を持ってきたのだ。
 なので、この中身はシェリーには高度すぎた。

「それで爆裂薬はこれか」
「あれほどの魔物を一撃で倒すくらいですから、調合に何日もかかるかと思いきや……。1時間ほどで何本も作られてしまいました」
「……我が娘ながら恐ろしいな」

 アシュレイが苦笑する。もちろんただの4歳児とは少しも思っていないが、とんでもない天才児なのは間違いなかった。
 机に座し、書類仕事をしながらアシュレイがシェリーへ伝える。

「ライラについて、しばらくは国民に伏せておこうと思う。国葬を執り行った手前、他国にもそう簡単に報告できんしな」
「そうですね……。この能力を見たら、他国も驚愕するかと」
「ああ、それにこの奥の宮は安全だが、他の場所までそうかと言われるとな……」

 アシュレイも話しながら恐るべき速度で書類に目を通し、書き込みをしている。
 この親にしてこの娘あり、とでも言おうか。

「門閥貴族の方々にも秘密にされるので?」
「ライラが王宮暮らしに慣れるまで、そうしたくはある。まぁ、長くは秘しておけまいが」

 シェリーがやや顔を曇らせた。彼女もアシュレイと門閥貴族の軋轢は知っている。
 元々、アシュレイは第六王子で王位継承の見込みはほぼなかった。

 だが強大な魔力と手腕によってアシュレイは王位に就いたのだ。
 さらに様々な改革を実行し、国を富ませようとしている、これをよく思わぬ貴族は数多い。

 アシュレイの暗殺騒動も両の手で数え切れぬほど起こっている。
 それをシェリーもよくわかっていた。

「ご安心を。ライラ様は私が命を賭してお守りいたします」
「頼んだぞ」
 午後2時頃。
 ライラがもにょもにょとお昼寝ベッドから起き上がる。

「ふぁ……体力回復でしゅ」
「……ふにゅ」

 モーニャは枕に頭を埋めていた。
 その背中を優しくライラが揺する。

「んあ、ふぁー……主様、おはようです」
「あい。顔を洗って仕事するでしゅ」

 と、そこでライラが工房にいるアシュレイに気付いた。

「あれ、とーさま?」
「邪魔してるぞ。俺のほうは気にしないでくれ」

 ベッドから出たライラがトコトコとアシュレイのそばに駆け寄る。
 アシュレイの処理している書類には様々な修辞と長ったらしい文句が並んでいた。

「……むずかしそーな内容でしゅ」
「ふふっ、お前が読んでいたという文献も中々だったがな」
「アレは式がわかればどーってことないでしゅよ。ふぁっ……」

 あくびを噛み殺しながらライラが身体を伸ばす。
 そのままモーニャを抱き寄せ、吸う。
 ほわほわの暖かく、細長い毛の感触を目一杯味わい――ぱっちりと目が覚めてきた。

「そういえば、ロイドしゃんはどうしましたでしゅ?」
「紅竜王国への報告を交信魔術でするそうだ。だが、そろそろこっちへ戻るはず……」

 その言葉通り、扉の外にロイドの魔力が感じられた。

 意識すると彼の魔力はかなり目立つ。
 工房に入ってきた彼は朗らかに言った。

「やぁ、ようやく色々と終わったよ。僕に手伝えることはあるかな?」
「ありましゅよ!」

 こうして工房にアシュレイがいながら、ロイドとシェリーに手伝ってもらってライラの魔法薬作りが再開された。
 まずライラが棚から色々な素材を取り出し、机に載せる。

「魔法薬には素材が必要でしゅが、これはまだ使えませんでしゅからね」
「えーと、この机の上の素材ではダメなんでしょうか?」
「さっきの爆裂薬の素材も市販から精製したり、ちょーこーひんしつのモノを自分で探したりしたやつでしゅよ。市販の素材だけで作ると問題でましゅ」

 何気なくロイドが質問する。

「例えばどんな?」
「安定性が足りなくなるんでしゅ! アレな品質の素材でお昼前の作り方をしてたら、ドカーンでしゅよ!」

 両手を広げ、危険性をアピールするライラ。

「そ、そんなに危なかったんですか!?」
 とシェリーが驚いて顔をひきつらせる。

「だからあたちのレシピをうっかり再現しようとしたら、大変でしゅ。マネするなら素材からマネしてくだしゃい」
「い、いえ……他ではやりません。決して、絶対に!」

 シェリーが固い決心を見せる中、アシュレイが得心したように頷く。

「普通の爆裂薬でも高難度の魔法薬だが、さらに素材を工夫しているのか。そのほうが好都合ではあるな……」
「主様の魔法薬は他では簡単に作れないですからねぇー」
「とーさまもあたちの魔法薬には気を付けてくだしゃいね。うっかり流出したら、ヤバでしゅ」
「わかっているとも。この区画には信頼できる人間以外は立ち入りできない」

 ライラはそれから数時間、魔法薬の調合に取り組んだ。
 使った魔法薬の補充、素材の精錬など……。

 パチパチと弾ける魔力の閃光を見ると、ほっと心が落ち着く。
 楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、夕日が傾いてくる。
 ライラの一日の稼働時間は大人ほど長くない。この時間になると体力が尽きてくる。

「今日はこの辺にするでしゅ」
「ではお片付けを……」
「道具はきれーにして、机もピカピカにするでしゅよ。前の素材が残っていると、これも激ヤバでしゅ!」
「は、はいっ!」

 ライラたちが片付けを始める中、ちょうどアシュレイも一段落していた。

「そういえば……この大量の文献は魔法薬のモノだが、何を調べたかったんだ?」
「あれ? 言ってなかったでしゅか?」
「詳しくは聞いていない」
「伝説の毛生え薬を作るんでしゅ!」

 そうライラが言い放つと、アシュレイがびくりと動きを止めた。
 工房内の空気が凍った気がする。

「……あれ?」

 なんだかアシュレイがショックを受けている。

「俺の毛はまだ大丈夫なはずだが……」
「はっ……! そーいう意味じゃないでしゅよ!」
「そ、そうか。仮にそうでも、言いづらいことだからな……受け止めて生きていかないと」
「こーいうときに深読みしないでくだしゃい!」

 こうしてライラの王宮暮らし、その初日が終わりを迎えたのだった。
 そしてライラが王宮で暮らし始めて数日が経ち、生活へも徐々に慣れてきた。

 これにはやはりシェリーの力が大きい。
 公私ともに彼女の朗らかな人柄でライラは大いに助けられてた。

 例えば、こんな時など――。

「今日は素材を買うでしゅ。遠出しなきゃでしゅよ」
「はいっ! ……はい?」
「素材をゲットしなきゃでしゅ。毛生え薬のこの項目なんでしゅけど」

 ライラが分厚い本の一箇所を指し示す。

『魔力の同調性を鑑みるに満月蜘蛛の糸は非常に優秀であり――』
「聞いたことのない魔物ですね」

 工房にいるロイドもその項目を読む。

「満月蜘蛛、D級魔物だね。山奥に住んでいて、とても珍しい魔物だ」
「ははぁ……なるほど」

 一般的にC級以下の魔物は国の力なしでも簡単に対処できる。
 D級なら村人でも無理なく討伐できる魔物だ。
 それゆえシェリーの知識には入っていなかった。

「僕も満月蜘蛛は何年も見てない。この魔物は人と接触して害をなすこともほとんどないしね」
「だいじょーぶでしゅ。あたちは住処を知ってましゅから」

 モーニャがふわふわと浮きながら、ライラのノートを持ってくる。

「南のグローデンですよねぇ。あそこの冒険者ギルドは結構レアな魔物を知ってますから」
「グローデン? かなり南のほうですね……」

 王都からなら急ぎの馬で半月ほどかかる。寒冷な森林地帯で人口も少ない。
 そんなところにまでライラの行動範囲は及んでいるのだろうか。

「コネがありましゅからね」

 シェリーが聞くと、ライラは年に数回グローデンを訪れては素材を買い込むのだとか。
 その代わり、ライラは依頼に応じて山や森の一部を爆破するらしい。
 物騒な単語が出てきたのでシェリーは聞き返してしまう。

「爆破、ですか……?」
「アレはなんなんでしょうねー」
「鉱山の穴にするんでしゅよ」
「あー、主様の魔法薬で穴を開けて?」
「硬い岩盤を地道に掘るより楽でしゅ」
「まぁ、それはそうでしょうが……」

 そんな風にあの爆裂薬を使うのはどうなのだろう、とシェリーは思ってしまう。
 しかし結果としてグローデンの冒険者ギルドは素材の便宜をライラへ図っているという。

「それでしたら、私が代わりに行ってきましょうか? 買い出しだけなら、私にもできます!」

 モーニャがテレポート薬をすっと掲げる。

「いいんじゃないですか、主様。買いに行くだけですし」
「それもそうでしゅね。行ってきてくれましゅか?」

 ライラはさらさらと必要なモノのリストとサインを書き、モーニャがぺたりと判を押す。

 テレポート薬の使用にはイメージ力が必要だったが、幸いにもシェリーは行く先であるグローデン冒険者ギルドを知っていた。
 紹介状やらお金やら帰りのテレポート薬やらを持たせ、ライラはシェリーを送り出す。

「では、行ってまいります!」
「いってらでしゅー」

 シェリーがテレポート薬を使い、虹色の光に包まれながらしゅーっと消える。

「こんな風に消えるんでしゅね」
「初めて見ましたねぇー」
「……他の人が使うのは初めてなのかい?」

 ロイドが眉を寄せている。

「そうでしゅ。でも理論上は問題ないはずでしゅよ」

 理論上、という言葉が引っかかるロイドではある。
 しかしライラの魔法薬はこれまでも間違いなく効果を発揮してきていた。

 数時間後、虹色の光とともにシェリーが工房に戻ってくる。
 大荷物を背負いながら、シェリーがびしりと敬礼した。

「ただいま帰還いたしました!」
「おかえりでしゅ!」

 どうやら無事に戻ってきたらしい。ロイドの目にはとりあえず、そう映る。
 予想以上の大荷物にモーニャが首を傾げた。

「なんか荷物が多くありません?」
「ついでにグローデンの古書店から良さそうな本と素材を買ってまいりました」
「ほうほう、素晴らしいでしゅね!」

 ライラが椅子からぴょんと飛び降り、シェリーの買ってきた荷物を広げ始める。
 ライラがシェリーの買ってきた本のひとつをぱらぱらとめくる。

「ふむふむ……。おおっ、リンデの写本でしゅ!」
「魔法薬の大家、リンデ氏の古い写本です。多分、役に立つかと……」
「立ちまちしゅね」

 本を覗き込んだロイドが唸る。
 竜である彼にとって人の言葉の読み書きは不得意分野だった。

「古文字だけど読めるの?」
「読めましゅよ。回りくどい書き方でしゅけど」

 その他にもシェリーの買ってきた本をライラは嬉しそうに物色していく。

「凄いね……」
「ええ、大学専門レベルなのに……」
「本当に四歳児なのかな?」

 ロイドがふと漏らすとシェリーが頷く。

「そう思う気持ちもよくわかります。たまに私よりも年上のように感じますから。物事を落ち着いてみているというか……」
「……ふむ、そうだね。見た目以外は子どもとは思えないくらいだよ」




 こうしてライラは日々、パワフルに働いていた。
 毛生え薬についても資料面、素材面で様々な準備が整ってくる。

 ライラが王宮にやってきて半月ほど経過し、季節は秋から冬になろうとしていた。
 緑の葉が赤へと色変わり、あるいはぽろぽろと路面に散る。

 いよいよ毛生え薬を調合するその日、アシュレイも朝から工房を訪れていた。
 多忙なアシュレイが朝からずっと工房にいるのは初めてのことだ。

「そろそろ、ここの暮らしも慣れてきたか?」
「はいでしゅ」
「快適に暮らしてますよ〜」

 ライラの手元には紅茶セットが置かれていた。

 いつの間にか持ち込んで、紅茶を楽しむようになったらしい。
 慣れるどころか満喫している。

「とーさま、今日は本当にずっといるんでしゅか?」
「娘が伝説の魔法薬の調合に挑むんだ。当然だろう」

 アシュレイが頷くと、後ろの文官も首を縦に振る。
 この半月、ライラの凄さを文官たちも見てきた。規格外との言葉でも到底足りない。
 ヴェネト王国始まって以来の魔法薬の天才――アシュレイの側はそう噂していた。

「……親馬鹿でしゅ」
「何か言ったか?」
「何も言ってないでしゅ」

 ライラはむず痒くなりながら、調合の用意を始める。
 今回の調合は並みではない。素材ひとつ精製するにも手間がかかり、調合そのものにも膨大な魔力が要求される。

「道具の配置はこれでいいかな」
「素材のチェックも完了です!」
「ありがとうでしゅ!」

 この半月でシェリーとロイドはすっかりライラの助手になっていた。

「オール準備オッケーですよ、主様!」
「よしでしゅ……じゃあ、そろそろ開始でしゅ!」
 気合を入れたライラが素材に向き合う。
 もう毛生え薬のレシピは頭の中に入っていた。

 まず極めて貴重な月と太陽の香草を鉢にどさっと入れる。
 この香草だけで下級貴族が一年暮らせるほどの価値がある。

 ごくり、とその価値を知る文官が息を呑む。
 満月蜘蛛の糸も鉢に入れ、ゆっくりと魔力を込めながら混ぜ合わせる。

「ごりごり、ごりごり……でしゅ」

 満月蜘蛛の糸に魔力を馴染ませながら、硬い葉を砕く。
 魔力の制御を間違えると台無しになってしまう、繊細さを要求される作業だった。

「モーニャ、風の魔力を送ってくだしゃい」
「はーい」

 すり鉢のそばに浮くモーニャが前脚をぱたぱたとさせ、風を起こす。
 それが終わるとライラはまた作業に集中し始めた。

 やがて葉を砕く作業が終わると、流れるように次の作業へと映る。
 迷いも淀みもない。

「……凄まじいな」

 工房の反対側に座るアシュレイが張り詰めた作業に感想をこぼす。

「普通の薬師なら、ひとつふたつの作業で疲労困憊して終わりになってしまうでしょう」
「そうだろうな。ライラの魔力だからできることだ……。伝説の魔法薬というのも頷ける」

 ライラが砕いたいくつかの素材と溶液を鍋に入れ、魔力を通しながらかき混ぜる。

「次の素材はここに置いておくよ」
「ありがとでしゅ」

 ライラには珍しく、顔をロイドに向けずに答える。
 ライラの視線と集中力は今、魔法薬に注がれていた。

 アシュレイの手元にも毛生え薬のレシピの写しがある。
 それを読み返したアシュレイが首を傾げた。

「……本に載っているレシピと違うんじゃないか」
「ええ、はい……ライラ様のアレンジが入っていますね」
「大丈夫なのか……」

 ちょっと不安そうな声を出すアシュレイ。
 伝説的な魔法薬で、さらにアレンジとは。

「あたちの調べでは、むしろレシピのほうが間違ってるでしゅ」

 鍋の中身をぐるぐる。魔力を溶け込ませる反復作業中のライラが答えた。

「詳しいことは省略しましゅが、あたちのやり方のほうが多分正解でしゅ」
「ううむ、昔のほうが間違っていたと……? 魔術にもたまにあるが……」

 魔術にも同じ効果で様々な流派があり、中には非効率なものもある。

「パイの作り方もたくさんありますからねー」
「そーいうことでしゅ」

 鍋を混ぜ終わったら、さらに素材をひとつずつ入れては煮込み、混ぜていく。
 黄金の冬虫夏草、ミスリルの粉、エルヘンの干し貝柱……。

 ひとつひとつを丁寧に。

 鍋の中身を確かめながら混ぜていくと、素材と魔力が融合して一体になってくる。
 鍋から発せられる魔力の強さにアシュレイも身体の奥が震えてきた。

「恐ろしいほどの魔力だな、ロイド」
「ああ、これがライラの本気なんだね」

 作業が始まって四時間が経ち、額の汗をモーニャがハンカチで拭う。
 最後に再び満月蜘蛛の糸をひとつまみ。そこでライラが鍋の火を止めた。

「……完成でしゅ!」

 ライラの言葉に工房の全員が声を上げる。
 息を呑むような空気が一気に緩んだ。

「やりましたね!」
「ちゃんと融合しているね」
「ああ、歴史的な成功だな……!」

 そこにライラが指を振る。

「ちっち、まだでしゅ。ちゃんとテストしないとダメでしゅよ」
「……テストか」

 アシュレイが鍋をじっと見つめた。

「そうだな、確かに。しっかりと効果を確認しなければなるまいな」
「でしゅ。じゃあ適当な人に振りかけてみて――」

 ライラが巨大スプーンで中身を小分けにしようとすると、アシュレイが止めに入った。

「待て、俺が最初ではダメか?」
「なんでとーさまが……とーさまの毛はふさふさでしゅよ。どこも抜けてないでしゅ」
「いや、そういうのではなくてな……。お前の薬を試してみたいんだ」
「……大丈夫だとは思いましゅけど、百パーセント安全ではないでしゅよ」
「それでもこの工房で作った新作だ。記念すべき一品じゃないか」
「う〜ん……」

 まぁ、でも気持ちは分からなくもない。愛娘が精魂込めて作り上げた品だ。
 他人がテストするくらいなら、自分でテストしたいのだろう。

「ずいぶんな親馬鹿でしゅけど」

 モーニャがライラの耳元で喋る。

「エリクサーを用意しておけば大丈夫じゃないですかねぇー」
「そうでしゅね。そんなに実験台になりたいのなら、止めないでしゅ」
「実験台とテストは結構意味が違うように聞こえるけど」

 ロイドのツッコミはもっともだった。

「些細な違いでしゅ」

 ということで木製のコップに毛生え薬を取り分ける。
 ライラに背を向けるよう座る彼の前のテーブルにはエリクサーの瓶も置かれていた。

「いつでも来い」

 アシュレイは背筋を伸ばして待機している。
 後ろに回ったライラがロイドに抱えられ、毛生え薬の入ったコップを傾ける。

 ライラは魔獣の皮から作られた薄い手袋を着けていた。
 プラスチックのような素材であり、魔法薬に触れても大丈夫。

 緑色の毛生え薬は猛烈な魔力の波動を放つ、ドロっとした液体だ。
 毛生え薬を手のひらにそっと出す。ぬるめの液体を感じながら、ライラは薬を手で伸ばした。

「行きましゅよー」
「ああ」

 背中から見るアシュレイに緊張している様子はない。
 信じ切っている。娘の魔法薬を。

 こんなにも信用されるなんて……と思いながら、悪い気はしなかった。

 ……ぺたぺた。
 ライラは毛生え薬の溶液をアシュレイの銀髪に塗りたくる。

 艶があって流麗な髪。正直、毛生え薬は不要だが……これもテストだ。
 コップの中身を全てアシュレイの髪に塗りつける。

「終わったでしゅ」

 床に降り立ったライラがアシュレイを見上げた。特に変化はない。

「効果はすぐに出るのか?」
「割りとすぐ出るはずでしゅけど」

 と、その瞬間――アシュレイの毛髪が恐ろしい勢いで伸び始めた!
 ほんの一瞬で数十センチも髪が伸び、さらにぐんぐんと床へ近づく。

「ええっ!?」
「こ、これは……っ!?」

 アシュレイもライラも驚きに目を見張る。

「ちょっとスピードが早すぎるかもでしゅ!」

 あっという間にアシュレイの髪が床へ到達し、さらに広がっていく。

「主様、これってどれくらいで止まるんです?」
「5分ぐらいは続きましゅ」
「主様、それってかなり……マズくありません?」

 数秒で数十センチ伸びる。このスピードのままなら、5分でも数キロの長髪になりかねない。
 それはさすがに工房中が髪で埋まってしまう。

「エリクサーを飲んでくだしゃい!」
「いや、待て! 髪が伸びているだけだ……問題はない!」

 アシュレイがライラたちを制する。
 その間にも髪は伸び続け――床にも猛スピードで拡散していく。

「陛下……だ、大丈夫なのですか!?」
「頭が重いが、それだけだ」

 髪はひたすらに伸びていく。
 床はもう足の踏み場もないほど。

 さらに髪は重力に逆らって工房全体を埋め尽くさんとする勢いだ。
 わさわさ。アシュレイの髪を踏みそうで誰も動けない。宙に浮かぶモーニャを除いて。

「……髪が覆い尽くしたら備品が壊れるよ。さすがに止め時じゃない?」

 ロイドが釜や備品に目を向ける。

「いや、もう少し。もうちょっとのはずだ」

 アシュレイはなおもエリクサーを飲もうとしない……。
 側近もさすがに無理に飲ませるわけにはいかず、目線でライラに助けを求める。

 この状況にライラが爆発した。

「もう限界でしゅ! モーニャ、とーさまにエリクサーを飲ませるでしゅよ!」