同じ頃。
遠く離れた王都ではボルファヌ大公が緊急の使者に会っていた。
「なんだと、シニエスタンの騒動が収束した……!?」
ボルファヌ大公が野太い腕を机に叩きつけた。
その音に使者がびくりと驚く。
「そんなはずはない! 氷河ヘラジカの群れはそう簡単に駆除できん。何か月もかけ、入念に計画したんだぞ……」
「し、しかし……群れは全滅したそうです」
ボルファヌ大公が忌み嫌う甥、国王のアシュレイの顔を思い浮かべる。
アシュレイとその兵。
さらには北部の冒険者のことまでボルファヌ大公は計算に入れていた。
どうやっても戦力は不足するはず、であった。
何かボルファヌ大公の予測しえないことが起こったのだ。
「……あの若造にそこまでのことはできまい。何かイレギュラーがあったはずだ」
「申し訳ありません、そこまでは……」
「早急に調べろ。あの若造の陣営に変化があったなら、大事だぞ……!」
ライラたちが冒険者ギルドの大ホールに戻ると、盛大なパーティーが行われようとしていた。
討伐の現地から遅れての祝宴らしい。
「ロイドさん、本当に悪かった……」
「ああ、あんたは俺たちのエースなのによぉ!」
シニエスタンの冒険者はロイドを受け入れ、ロイドも微笑んで皆の輪に入っていった。
寡黙だが、ロイドには人徳がある。
その祝宴の場からライラとアシュレイはそっと抜け出した。
この場にはいないほうがいいとふたりとも思ったのだ。
空には月も星も光っている。
ライラはアシュレイの宿舎でソファーに腰掛けていた。
「ふわ……」
「もう夜ですからね、主様」
モーニャがふにっとライラの頬に手のひらをくっつける。
ぷにっとしていて、温かい。
「悪いな、来てもらって」
「……別にいいでしゅ」
(もっと話もしなきゃでしゅ)
ライラはもう、アシュレイが自分の親であることは疑っていなかった。
だからといって全部を受け入れて納得できるかは、別である。
「ホットミルクだ」
「ありがとでしゅ……」
もう夜も更けている。
ライラの普段の活動時間は過ぎていたが、まだ起きていたかった。
ミルクは濃厚で熱いというよりはぬるめ、ライラの好みだ。
「眠くなったら遠慮しなくていいからな」
「ふぁい」
まぶたをこすり、アシュレイの顔をじっと見つめる。
こうやって落ち着いたところで整った顔立ちを見ると、自分の顔と似ているなぁと思う。
髪質、全体のパーツ、鼻……。
「……やはり似ているな、サーシャと」
「あたちの母親でしゅか」
「ああ、髪の色と目元はそっくりだ」
「ふふっ……」
「な、なんだ? どこがおかしい?」
「それ以外は国王様と似てると思ったんでしゅ」
「そうか? ……ふむ、かもな」
「でも、あたちはどうして森にひとりでいたんでしゅ?」
一番聞きたいところはそこだった。
ライラには生まれた時の記憶がない――まぁ、普通はないのが当然だが。
でもあの神様と話してからのことは全部覚えており、その時にはもう森にいた。
「妻のサーシャは超高難度の魔法薬を研究していた。テレポートの魔法薬だ」
モーニャがライラに耳打ちする。
「主様のテレポート薬ですね」
「……でしゅ」
あのテレポート薬を自作するにはライラも苦労した。
レシピそのものは知れ渡っていたが、極めて高い魔力と希少素材がいくつも必要なのだ。
例えるなら日本刀みたいなモノだとライラは思っていた。
製法を知るのと実際に製作するのとでは全く違う……それがテレポート薬だった。
「魔法薬の実験のため、サーシャとお前は王都郊外の研究所にいた」
アシュレイが過去を手繰り寄せる。
「俺は魔法薬の部門はさっぱりだったが、素材や魔力の流れ的にあそこが良かった……とか。実際、そうだった。魔物も多くなく、静かで……」
「…………」
「だが、ある日――その研究所が魔物の大群に襲われたとの知らせを受けた」
モーニャが身体を震わせる。
「ひぃっ!」
「俺は急いで研究所に駆けつけた。だが、研究所は完全に破壊され……生存者はいなかった」
アシュレイが視線を落とす。
彼にとって、この出来事はまだ痛むのだろう。
「サーシャの遺体は見つかったが、お前の遺体はなかった……だが、現場は地獄のような有様
だった。俺はしばらくお前を探し、生存を諦めた」
「……あたちはでも、生きていた」
「どうして生き残れたのか、俺も推測しかできない。だが可能性があるとすれば、あのテレポートの薬だろう。未完成のはずだったが、サーシャはお前に使ったんだ。最後の望みをかけて」
(なるほど、筋は通ってましゅね。あの神様がミスった、とかいう運命はこれでしゅか)
あのテキトーな神様は言った。
このライラという赤ん坊は死ぬはずだった、と。それが魔物の騒乱だったのだ。
しかし母サーシャの機転でその運命を覆した。
(にしても母親も魔法薬を研究していたなんて、なんてことでしゅ)
もしかして今、自分が魔法薬作りにハマっているのは母親からの遺伝があるのかもしれない。
縁とは不思議なものだ。
「何を考えているんだ?」
要素としてはもう疑う余地はない。
だが、最後にもうひとつ。ライラは自分の手でバックパックから魔法薬を取り出した。
ライラの愛用するテレポート薬。
虹色の光を閉じ込めたライラの傑作だ。
今の話が本当なら、この薬がアシュレイにはわかるはずだった。
「これが何なのか、わかりましゅか?」
アシュレイがわずかに眉を寄せる。
「どうしてこれをお前が? テレポートの魔法薬じゃないか」
「……わかるんでしゅね」
「わかるとも。サーシャがよく見せてくれた。虹色はもっと薄かったがな」
「これは主様のお手製なんですよ〜」
「なんだと? 会った時にテレポートと言っていたのは、魔術じゃなくて薬だったのか」
「よく覚えてましゅね」
「子どもがひとりであんな所にいる理由をそうそう忘れるものか。しかし、そうか……これはもう使えるんだな。完成したのか」
「もちろんでしゅよ。貴重でしゅけど」
アシュレイがライラの隣に座った。
重みでソファーがそっと揺れる。
「ふむ……もっと近くで見せてくれ」
「あい」
ライラがテレポート薬を渡すと、アシュレイが大事そうに瓶を両手で持った。
アシュレイは瓶を様々な角度からじっくりと眺めた。大切な想いと一緒に。
「綺麗だ。魔力が弾け、虹色になっている」
「同じ、でしゅか」
「同じだ。美しい」
アシュレイの低い声がライラの心に染み込んでくる。
(……家族はこういうものでしゅかね)
ライラは前世でも天涯孤独だった。
でも家族がどういうものか、他人を見て知っている。
今、一番家族なのはモーニャだ。
アシュレイは家族かどうかというと……でも、身体は拒絶していない。
彼の瞳には間違いなく、愛情があったからだ。
「うにゅ……」
「……眠くなったら、寝ていいぞ。俺がずっとそばにいるから」
今日は本当に色々あった。
ゆったりと柔らかなソファーに身を預けていると、頭の中に色々なことが浮かんでは消えてくる。
「あたちを娘と認めたら、大変じゃないでしゅか」
それは疑問ではなかった。確信だった。
アシュレイは今も大変な立場にいる。一国の若き王として。
そこに死んだはずの娘が戻ってきて、すんなり済むとは思えない。
アシュレイがそっとライラの頭に手を伸ばす。
大きくて、しなやかな手。父の手がライラの髪をゆっくり撫でる。
「そんなこと、気にするな。俺はお前がいてくれるだけでいい」
今までで一番、優しい声だった。
心の奥に流れ込んで、信じられる声だ。
「んっ……」
ライラはモーニャを胸に抱き、アシュレイの腕に手を伸ばす。
とても温かい。モーニャとアシュレイ。
ふたつの温もりを感じながら、ライラの意識は眠気に溶けていった。
遠く離れた王都ではボルファヌ大公が緊急の使者に会っていた。
「なんだと、シニエスタンの騒動が収束した……!?」
ボルファヌ大公が野太い腕を机に叩きつけた。
その音に使者がびくりと驚く。
「そんなはずはない! 氷河ヘラジカの群れはそう簡単に駆除できん。何か月もかけ、入念に計画したんだぞ……」
「し、しかし……群れは全滅したそうです」
ボルファヌ大公が忌み嫌う甥、国王のアシュレイの顔を思い浮かべる。
アシュレイとその兵。
さらには北部の冒険者のことまでボルファヌ大公は計算に入れていた。
どうやっても戦力は不足するはず、であった。
何かボルファヌ大公の予測しえないことが起こったのだ。
「……あの若造にそこまでのことはできまい。何かイレギュラーがあったはずだ」
「申し訳ありません、そこまでは……」
「早急に調べろ。あの若造の陣営に変化があったなら、大事だぞ……!」
ライラたちが冒険者ギルドの大ホールに戻ると、盛大なパーティーが行われようとしていた。
討伐の現地から遅れての祝宴らしい。
「ロイドさん、本当に悪かった……」
「ああ、あんたは俺たちのエースなのによぉ!」
シニエスタンの冒険者はロイドを受け入れ、ロイドも微笑んで皆の輪に入っていった。
寡黙だが、ロイドには人徳がある。
その祝宴の場からライラとアシュレイはそっと抜け出した。
この場にはいないほうがいいとふたりとも思ったのだ。
空には月も星も光っている。
ライラはアシュレイの宿舎でソファーに腰掛けていた。
「ふわ……」
「もう夜ですからね、主様」
モーニャがふにっとライラの頬に手のひらをくっつける。
ぷにっとしていて、温かい。
「悪いな、来てもらって」
「……別にいいでしゅ」
(もっと話もしなきゃでしゅ)
ライラはもう、アシュレイが自分の親であることは疑っていなかった。
だからといって全部を受け入れて納得できるかは、別である。
「ホットミルクだ」
「ありがとでしゅ……」
もう夜も更けている。
ライラの普段の活動時間は過ぎていたが、まだ起きていたかった。
ミルクは濃厚で熱いというよりはぬるめ、ライラの好みだ。
「眠くなったら遠慮しなくていいからな」
「ふぁい」
まぶたをこすり、アシュレイの顔をじっと見つめる。
こうやって落ち着いたところで整った顔立ちを見ると、自分の顔と似ているなぁと思う。
髪質、全体のパーツ、鼻……。
「……やはり似ているな、サーシャと」
「あたちの母親でしゅか」
「ああ、髪の色と目元はそっくりだ」
「ふふっ……」
「な、なんだ? どこがおかしい?」
「それ以外は国王様と似てると思ったんでしゅ」
「そうか? ……ふむ、かもな」
「でも、あたちはどうして森にひとりでいたんでしゅ?」
一番聞きたいところはそこだった。
ライラには生まれた時の記憶がない――まぁ、普通はないのが当然だが。
でもあの神様と話してからのことは全部覚えており、その時にはもう森にいた。
「妻のサーシャは超高難度の魔法薬を研究していた。テレポートの魔法薬だ」
モーニャがライラに耳打ちする。
「主様のテレポート薬ですね」
「……でしゅ」
あのテレポート薬を自作するにはライラも苦労した。
レシピそのものは知れ渡っていたが、極めて高い魔力と希少素材がいくつも必要なのだ。
例えるなら日本刀みたいなモノだとライラは思っていた。
製法を知るのと実際に製作するのとでは全く違う……それがテレポート薬だった。
「魔法薬の実験のため、サーシャとお前は王都郊外の研究所にいた」
アシュレイが過去を手繰り寄せる。
「俺は魔法薬の部門はさっぱりだったが、素材や魔力の流れ的にあそこが良かった……とか。実際、そうだった。魔物も多くなく、静かで……」
「…………」
「だが、ある日――その研究所が魔物の大群に襲われたとの知らせを受けた」
モーニャが身体を震わせる。
「ひぃっ!」
「俺は急いで研究所に駆けつけた。だが、研究所は完全に破壊され……生存者はいなかった」
アシュレイが視線を落とす。
彼にとって、この出来事はまだ痛むのだろう。
「サーシャの遺体は見つかったが、お前の遺体はなかった……だが、現場は地獄のような有様
だった。俺はしばらくお前を探し、生存を諦めた」
「……あたちはでも、生きていた」
「どうして生き残れたのか、俺も推測しかできない。だが可能性があるとすれば、あのテレポートの薬だろう。未完成のはずだったが、サーシャはお前に使ったんだ。最後の望みをかけて」
(なるほど、筋は通ってましゅね。あの神様がミスった、とかいう運命はこれでしゅか)
あのテキトーな神様は言った。
このライラという赤ん坊は死ぬはずだった、と。それが魔物の騒乱だったのだ。
しかし母サーシャの機転でその運命を覆した。
(にしても母親も魔法薬を研究していたなんて、なんてことでしゅ)
もしかして今、自分が魔法薬作りにハマっているのは母親からの遺伝があるのかもしれない。
縁とは不思議なものだ。
「何を考えているんだ?」
要素としてはもう疑う余地はない。
だが、最後にもうひとつ。ライラは自分の手でバックパックから魔法薬を取り出した。
ライラの愛用するテレポート薬。
虹色の光を閉じ込めたライラの傑作だ。
今の話が本当なら、この薬がアシュレイにはわかるはずだった。
「これが何なのか、わかりましゅか?」
アシュレイがわずかに眉を寄せる。
「どうしてこれをお前が? テレポートの魔法薬じゃないか」
「……わかるんでしゅね」
「わかるとも。サーシャがよく見せてくれた。虹色はもっと薄かったがな」
「これは主様のお手製なんですよ〜」
「なんだと? 会った時にテレポートと言っていたのは、魔術じゃなくて薬だったのか」
「よく覚えてましゅね」
「子どもがひとりであんな所にいる理由をそうそう忘れるものか。しかし、そうか……これはもう使えるんだな。完成したのか」
「もちろんでしゅよ。貴重でしゅけど」
アシュレイがライラの隣に座った。
重みでソファーがそっと揺れる。
「ふむ……もっと近くで見せてくれ」
「あい」
ライラがテレポート薬を渡すと、アシュレイが大事そうに瓶を両手で持った。
アシュレイは瓶を様々な角度からじっくりと眺めた。大切な想いと一緒に。
「綺麗だ。魔力が弾け、虹色になっている」
「同じ、でしゅか」
「同じだ。美しい」
アシュレイの低い声がライラの心に染み込んでくる。
(……家族はこういうものでしゅかね)
ライラは前世でも天涯孤独だった。
でも家族がどういうものか、他人を見て知っている。
今、一番家族なのはモーニャだ。
アシュレイは家族かどうかというと……でも、身体は拒絶していない。
彼の瞳には間違いなく、愛情があったからだ。
「うにゅ……」
「……眠くなったら、寝ていいぞ。俺がずっとそばにいるから」
今日は本当に色々あった。
ゆったりと柔らかなソファーに身を預けていると、頭の中に色々なことが浮かんでは消えてくる。
「あたちを娘と認めたら、大変じゃないでしゅか」
それは疑問ではなかった。確信だった。
アシュレイは今も大変な立場にいる。一国の若き王として。
そこに死んだはずの娘が戻ってきて、すんなり済むとは思えない。
アシュレイがそっとライラの頭に手を伸ばす。
大きくて、しなやかな手。父の手がライラの髪をゆっくり撫でる。
「そんなこと、気にするな。俺はお前がいてくれるだけでいい」
今までで一番、優しい声だった。
心の奥に流れ込んで、信じられる声だ。
「んっ……」
ライラはモーニャを胸に抱き、アシュレイの腕に手を伸ばす。
とても温かい。モーニャとアシュレイ。
ふたつの温もりを感じながら、ライラの意識は眠気に溶けていった。
