転生チート王女、氷の魔術王に溺愛されても冒険者はやめられません!~「破壊の幼女」が作る至高の魔法薬が最強すぎるので万事解決です~

 こうして祝宴は何時間も続いた。
 その頃には氷河ヘラジカの解体もかなり進んでおり――もっとも立派な個体は素材へと変わっていた。

 アシュレイとライラのいる場にロイドが素材を持ってやってくる。
 ロイドが持ってきたのは、氷河ヘラジカのデカい角の先端部分。
 ここに魔力が込められているのだ。
「……持ってきたよ」

 角の先端部分だけを集めた袋を渡され、ライラが顔を綻ばせる。

「ロイドしゃん! ありがとうでしゅ!」
「他に欲しいのはあるかな」
「えーと、そうでしゅね……あとは蹄でいいのがあると嬉しいでしゅ」
「それならもうある」
「なんと! やりましゅね!」

 ロイドがもう一つの大きな袋をライラのそばに置く。
 中身を確認したライラが頷くと、ロイドがわずかに眉を動かした。

「……どうかしたんでしゅか」
「追い込みで少し不覚をね。大丈夫。あとでポーションを飲むから」

 ロイドがライラたちに背を向ける。
 氷河ヘラジカとの戦いで傷を負ったということか。

 表情からは全然わからない。
 でも体力回復の魔法薬であるポーションを飲むなら大丈夫かとライラは思うことにした。

「お大事に〜」

 モーニャが声をかけると、ロイドは片手を上げて静かに去っていった。
 アシュレイが残された袋を覗き込む。

「それをどうする気だ」
「売りましゅ」
「主様、そんなことをしなくたって……主様は王女なんですよ――もごっ!」

 モーニャの口をライラが塞ぐ。幸い、近くに他の人はいなかったが。

「な、なにをするんですかっ」
「ぺらぺら喋ってはダメでしゅ、モーニャ」
「なぜだ。お前は俺の娘だ。俺がそう認めた」

 はぁーっとライラが息を吐く。

「それはいいでしゅけど、他の人がそう簡単に認めるとは思えないでしゅ」
「むっ……」

 さきほどからアシュレイとライラはこの親子の件について話し合っていた。

(この人が父親なのは……いいとして。問題はそれでどうするかでしゅけど)

「……王都にお前を王女として連れ帰る、それは嫌か」
「イヤじゃないでしゅ。でも、あたちは魔法薬作りはやめないでしゅよ」

 魔法薬作りはもうライラのライフワークなのだ。

 それがない生活は考えられない。
 それくらいライラは魔法薬作りが好きなのだ。

 もちろん、前世を若くして病死で終えた身として、備えておきたい面もあるが。

「今回の分け前もきちっと貰って換金するでしゅ」
「……ふむ。すぐに換金するのか」
「もちろんでしゅ。素材は放っておくと悪くなって、価値が下がりましゅからね」
「それなら俺も同行しよう」
「へっ?」
「おかしいか? 4歳の娘を一人で行かせるわけにもいくまい」
「……それはそうでしゅが」
「心配いらん。変装や気配変化の魔法やらを使えば、正体が露見することはない」
「…………」

 外見的には落ち着いて見えるが、どうやっても同行するという決意に満ちている。

「どうしましょ、モーニャ」
「うーん……断っても追ってきそうですよね? それならもう、最初から居てもらったほうが」
「でしゅね。尾行されても困りましゅ」

 そう決まるとアシュレイがシェリーを呼び、小声で色々と命令する。

「シェリー、ぎょっとしてましゅね」
「どこまで聞かせたのでしょう?」
「さすがにあたちのことは伏せてるはずでしゅ。この場で娘が見つかったなんて言ったら、とんでもないことになるでしゅよ」




 数十分後、用意が整ったライラたちはシニエスタンの街へと向かう。

 移動手段はアシュレイの飛行魔法なので、ライラは何もせずに楽ちんであった。
 一面の雪原を見下しながら、郊外へと着地する。

 ここからでも街の喧騒は伝わってきていた。

「相変わらず活気がありましゅねー」
「ここは北端の街だからな。魔物も討伐されたし、もっと発展していくだろう」

 人混みをかき分けて、一行はシニエスタンの冒険者ギルドへ到着する。

 新築の大ホールは大理石で、他の冒険者ギルドよりも遥かに巨大であった。
 もう勝利の報は伝わっているらしく、慌ただしい活気で満ちている。

「封鎖令は解除だ! 各地からキャラバン呼べ!」
「氷河ヘラジカの素材が来るぞ! 近隣の鍛冶屋や薬師を確保しとけよ!」

 ライラがちらりと見るとアシュレイはフードを被り、いくつもの魔法を使っていた。
 気配消しの魔法や髪色を銀から青に変えたり……。

 ライラの視線に気付いたアシュレイが前を向きながら咳払いする。

「……大丈夫なはずだが」
「あい、パッと見はだいじょーぶでしゅ。待っててくだしゃい」

 ライラはそう言うと冒険者ギルドの買い取りカウンターへぽてぽて歩いていった。
 ちょっとお腹が重いが……まずは素材を売らなければ。

「まぁ、ライラちゃん! 久し振りね。氷河ヘラジカ討伐の活躍は聞いてるわよ」
「話が早いでしゅね」
「冒険者も現場からちらほら戻ってきてるしね。で、何の用かしら」
「買い取りをお願いしましゅ!」

 どんとライラがバックパックから氷河ヘラジカの素材袋を取りだす。
 角の先端部分と蹄のいいところの詰め合わせだ。

「これはっ! まさかさきほど討伐されたばかりの……?」
「そうでしゅ、氷河ヘラジカのイイ部分だけでしゅよ!」
「承知しました! 査定が終わるまで、少々お待ち下さい!」

 ライラがやり取りを終え、ベンチに座るアシュレイの元へ戻ろうとして。
 ふよふよ浮かぶモーニャがこしょこしょとライラに囁いた。

「どこから見ても冒険者じゃないですよ」
「姿勢が良すぎでしゅもんね」

 服も変えているが、高貴なオーラは隠せてない。
 貴族の御曹司がお忍びで来ていると全身が主張していた。

 そんなアシュレイに女性冒険者のパーティーが近寄っていく。

「……あ」

 見目麗しい女性陣に囲まれ……アシュレイは困惑していた。
 娘の引率で来ただけなのに。

 当然、アシュレイも女性のかわし方は心得ている。
 しかし娘のテリトリーたる冒険者ギルドでどうすれば良いのか?

 まさか、こんなことになるとは……。
 ライラは少し離れたところからアシュレイを観察していた。

「助けに行かないんですか?」
「ちょっと面白いかもでしゅ」
 戦闘以外では人間味の薄そうなアシュレイが、明らかに目線を彷徨わせている。

「他人事ですねぇー」

 と、アシュレイは視界の端に見覚えのある赤髪の青年を捉えた。

「ロイド!」
「……ええと、誰? 君が呼んだの?」

 ロイドが首を傾げながらアシュレイと女性陣へ歩いていく。

「あー、助けを呼んじゃいましたよ」
「女にホイホイついていく人ではなかっただけ、良しとしましゅか」

 ロイドはアシュレイのことを彼だと認識してはいないはず。
 しかし女性陣に囲まれて困っているのは察したようだった。

「ごめん、この人は僕の連れで」
「えー、そうなんだぁ」

 残念ーと口々に言いながら、女性陣が退散する。

「ふぅ……」

 明らかにアシュレイがほっとしていた。
 そのタイミングでライラも柱の陰からすすっとアシュレイの元へ戻っていく。

「ライラ、君も来ていたんだ」
「でしゅ。ロイドも来ていたんでしゅね」
「ああ……ところで陛下がどうしてここに?」
「……わかってたのか」
「さすがダイヤ級冒険者でしゅね!」

 もう周囲にはライラたち以外は誰もいない。
 ロイドがふぅと息を吐く。

「さっきは知らない振りをしたが、正解だったかな」
「ナイス判断でしゅ」

 ライラとロイドがベンチに座る。

 雪原で会った時に比べると、顔色が悪いように見える。
 いや、雪原と室内の光の差だろうか。ここは外に比べるとかなり明るい。

(ほんのわずかな差でしゅけど……)

「ねぇ、ロイドしゃん」

 ロイドがライラに顔を向ける。

「どこか身体、悪くないでしゅ?」

 彼は静かに首を振る。
 さっきもそうだったが、ポーションで治っていないのだろうか。

 それはあり得る。
 骨までイっているとポーションでは治らない。

「むぅ〜」
「どうしたんだ、ライラ」
「気になりましゅね。待っててくだしゃい!」

 ライラがバックパックを漁る。

 奥の奥までぐぐっーと手を突っ込み……モーニャもライラを引っ張った。
 すぽんっ!
「ふぅ! 取れましゅた!」
「それは何だ?」

 アシュレイがライラの手の中にある小瓶に注目する。
 どろっとした緑の液体の中に赤い斑点が浮いていた。

「さっき見た、毒雲の薬に似ているな」
「失礼でしゅね。これこそエリクサーでしゅよ! 厳選された超貴重な素材をふんだんに使った至高の一品でしゅ」
「料理のフルコースみたいな説明ですよ、主様」
「これがエリクサー……? 初めて見たな」

 見た目は毒々しいが、エリクサーは万能の治療薬だ。
 素材は高価、調合も困難、熟成も必要……だが真に完成すると外傷や病気ならほとんど治せるほど強力であった。

 アシュレイでさえ、真に完成したエリクサーは見たことがないほどである。

「これはまだ熟成途中でしゅから、効果は弱めでしゅけどね。でもロイドしゃん、これを飲んだほうがいいでしゅよ」

 ライラがエリクサーの小瓶をロイドへと押しつける。
 ロイドが瞼を数回、ぱちくりさせた。

「……いいのかい?」
「ロイドしゃんにはお世話になりましゅたからね。元気になってほしいでしゅ」

 これはライラの本音だった。物静かだが、ロイドは確かに凄い冒険者だ。

 それになんだかんだと世話を焼いてくれる。
 素材集めまでしてもらったのだから、魔法薬で返さねばとライラは感じていた。

 しかし高価な贈り物に慣れてないのか、ロイドは小瓶を持ったまま戸惑っているようだ。

「気にせず受け取っておけ。ライラの作ったモノなら間違いない。さっきステーキ用のソースをもらったが、絶品だった」
「……ソースとは全然違うけど」

 冷静にツッコむロイド。

「だけど、君の魔法薬作りの腕は信じるよ」
「あい、信じていいでしゅよ」

 ロイドが小瓶の蓋を開けて、一気に飲み干す。
 本来なら一気に外傷が治るはず。だが――。

「……ぐっ!」
「えっ?」

 ロイドがエリクサーの瓶を床に落とす。
 さらには全身が小刻みに震え、苦しそうに胸を押さえていた。

「ちょっとー! 主様、これって!」
「そ、そんなはずはないでしゅ!」

 ライラは大慌てになりながらバックパックをひっくり返す。

(嘘、嘘、嘘ーー! 失敗しちゃいまひた!?)

 エリクサーが毒になったのなら、何が解毒薬になるのか。
 これまでの知識を総動員しながらライラの頭はフルスロットルで回転していた。

「ぐっ、うぅ……」
「動くな」

 アシュレイが右手をかざす。

 その手から白の魔力が放たれて、ゆっくりとロイドを包んでいった。
 ロイドの荒い呼吸が少し落ち着く。

「治癒魔術だ。本職ではないが、大抵のことならこれで大丈夫のはず」
「おおっ! 素晴らしいです!」
「ふぬぬっ、この間に解決策を見つけないとでしゅ!」

 ぽいぽぽいとライラが小瓶を取り出してはにらめっこする。

「いや、待て……ちょっとおかしい。これは――」

 アシュレイが白の波動を止めると、ロイドが床に手をついた。

「なんで治癒魔術を止めちゃうんでしゅ!?」
「見ていろ」
「うっ、おお……っ!!」

 ライラたちが見守る中、ロイドの全身がゆっくりと膨れ上がる。
 さらに赤い魔力が全身からあふれ、ロイドを包んでいった。

「えっ、ええっ!?」
「なんですかっ、これはー?!」

 赤い魔力が満ちていくと、ロイドの全身に鱗が生えてくる。
 頭も腕も……太く、人ならざる存在へと変化していく。

 ロイドという人間から爬虫類のような存在へ。
 それと同時にロイドの魔力が静かに安定しているようにライラには感じられた。
 まるであるべき所に波が戻っていくように。

「ま、ましゃか……」
「エリクサーはもしかして、魔術の効果も打ち消すのか?」
「当然でしゅ。かけられた魔術はぱっとおしまいでしゅ」
「例えば今の俺がエリクサーを飲んだら、気配消しや変装の魔術は消える……」

 ライラはアシュレイに首肯した。

 エリクサーは可能な限り、万全な状態に戻そうと働く。
 例えそれが自身でかけた無害な魔術であれ――強化や補助も全部、かき消してしまう。

 ロイドの姿があらわになってきた。

 大の大人の胴体ほどの腕に脚。大きな口に牙と翼と鱗。
 人ならざる巨大な威容は、図鑑で見たままそっくりであった。

「ドラゴンでしゅか……!!」

 ロイドの真の姿。それは真紅のドラゴンであった。
 冒険者ギルドの大ホールギリギリの高さにドラゴンが鎮座していた。
 当然、冒険者ギルドにドラゴンが現れたら大混乱になる。

「な、なんだぁ!?」
「ドラゴンだーー!!」
「あわわ……どうしましょー! とんでもないことになっちゃいましたよぉ!」

 ロイドが目を細めて周囲を見渡す。
 すでに冒険者たちは武器を取ってロイドに向けていた。

 こんなところにドラゴンが現れたら当然だろう。
 いつ誰がロイドを攻撃してもおかしくない状況だった。

「待ってくだしゃい!」

 ライラがロイドと冒険者たちの間に立ちふさがり、声を上げる。
 だが冒険者は武器を下ろさない。

 大ホールは一触即発で、冒険者がライラをドラゴンから遠ざけようとする。

「ライラちゃん、危ないぞ! そこから逃げなさい!」

(こんなことのなったのは自分のせいでしゅ、なんとかしないと……っ!)

 必死な気持ちでライラは冒険者を見渡す――そこでアシュレイがローブを払い除け、手を振るった。

 猛烈な氷の魔力が大ホールの天井に満ちる。

「――静まれ」

 身体の芯に響くかのような、声。
 冒険者たちの殺気がピタリと止まる。

 そして諸々の魔術を解除したアシュレイを、冒険者たちも認識した。

「陛下っ!? どうしてここに――!!」
「本物……いや、こんな魔力は陛下しかいない!」

 冒険者たちの注目がロイドからアシュレイに移る。
 その様子をライラは胸を押さえながら見つめていた。

「勇気ある冒険者諸君、まずは武器を下ろしたまえ。この真紅の竜に危険はない」

 あくまで冷静なアシュレイの言葉に冒険者が戸惑う。
 だが、危険な雰囲気は止まっていた。

 次にロイドに向かってアシュレイが問いかける。

「真紅の竜よ。君はダイヤ級冒険者のロイドで合っているか?」

 やや間があり、真紅のドラゴンが頷く。
 その言葉に冒険者が驚く。

「あれが……? 確かに髪の色は鱗の色と同じだが……」
「本当にロイドなのかよ……」

 冒険者が戸惑う中、アシュレイははっきりと皆に聞こえるように、

「君の活躍は私も知っている。若い身でありながら北方を中心に活躍してくれていた。それは……君が紅竜王国の出身でありながら、人の世界を助けるためだろう?」と演説する。

 こくりとロイドが頷いた。

「皆も知っての通り、紅竜王国は他国に対して門を閉ざしている。どんな国か誰も知らない――だが、諸君はロイドがどういう人物か知っているはずだ」
「そうでしゅ! 今日、みーんなで魔物を討伐したじゃないでしゅか!」

 アシュレイとライラの言葉に、冒険者が目線を交わす。
 やがてひとり、またひとりと武器を収めていった。

「そうだよな、何度も一緒に戦ってくれた……」
「申し訳ありません、俺たち……早まってしまって」
「……ロイド、これで良いか?」
「グルゥ……」

 ロイドがゆっくりと頭を下げ、地面に顎をつける。
それは紛れもなく、敵意がない証しだった。




 それからロイドとライラたちは冒険者ギルドの屋上に来ていた。
 大ホールの屋上なので、竜の姿のロイドがいても窮屈感はない。

 すでに空は夜になり、星が輝いている。
 建物と柱のおかげで、他からも見えない。

 ロイドが喉を鳴らしてライラたちに話しかける。

「ありがとう……」

 ぎざぎざの発音ではあるが、言葉の調子はロイドが人間の時のままだ。

「もしかしてその形態では喋りづらいのか?」
「……グルル」

 ロイドが頷く。
 モーニャがもにもにとした手を打つ。

「なるほど、だからさっきも……。というか、人間の姿って魔術なんです?」
「超高度な魔術だろう。身体のサイズをここまで変えるなんて、人間では規格外ではあるが……さすがは竜族といったところか」

 アシュレイの補足にロイドが頷く。

「まぁ、変化の魔術がエリクサーで解除されるとは……効き目がありすぎたんだな」
「……うっ」

 ライラは肩を落とした。

 ロイドはせっかく正体を隠して冒険者をやっていたのに。
 それをぶち壊してしまった。

「気にしない、で」

 ロイドが首を振るい、前脚をライラへと差し出す。
 ゴツゴツした前脚だったが、赤い鱗は輝いて見えた。

「君の薬のおかげで、体調はすごくいいから」

 はにかむロイドを見て、ライラも肩の力を抜くことができた。

「魔力も安定してきたし……ふぅ……」

 ロイドが深呼吸して長く息を吐く。
 巨体の中にある魔力がゆっくりと鳴動し、ひとつの形をなしていった。

 一瞬、赤い閃光が走る。
 竜の身体は消え、そこには人の姿をした冒険者ロイドがいた。

「……うん、これでよし」
「おー、戻りましたねぇ……ふむふむ」

 モーニャがロイドの肩に乗り、ふみふみと感触を確かめる。
 それをロイドは目を細めて楽しんでいた。

「もう大丈夫。ありがとう」
「はぁー……よかったでしゅ。このままだったら、もっと大きな騒動になってたところでひた」

 アシュレイがロイドを見据える。

「で、ロイド……君が人に姿を変えていた本当の理由はなんだ?」
「えっ? あたちたちを助けるためって言ってたでしゅよね?」
「あれは流れで言っただけで、推測だ」
「適当に言っただけなんでしゅか!」
「こほん、しかしああ言わねば周りが収まらんだろう?」
「なんちゅー人でしゅ」
「……構わない。俺も竜の姿では声が出しづらいから、助かった。それに陛下の推測はほとんど正解だ……」
「ほう……」

 アシュレイに意外そうな雰囲気はなかった。
 彼は彼なりにちゃんとした確信があったということなのだろう。

「近年、魔物の暴走が続いている――僕はその調査に来た」

 ロイドは語った。

 魔物の暴走が続き、紅竜王国にも被害が出ていること。
 そしてロイドの調査では、どうも人の国のどこかが原因ではないかということ。

「氷河ヘラジカの群れが暴れるなんて、めったにない……明らかにおかしい」
「そうだな、俺も疑問を抱いている……」
「確かに冒険者さんも不思議に思ってましゅよね」

 この世界歴4年のライラに過去との比較はできないが。
 しかし、魔物の暴走事件が増えていることはライラも聞いていた。

「だから俺は諸国を遍歴して調査しながら、信用できる人を探していた……」

 ロイドの優しい目がライラとアシュレイに向けられる。

「君たちは示してくれた。困難に立ち向かう人間だと」
「ふむ、俺も君には助けられていた。お互い様ということだ」
「でしゅ! 同じ冒険者仲間でしゅし!」
「ああ、だから――手を結ばないか? 個人だけはない。国と国とで。改めて自己紹介しよう。俺の名は紅竜王国騎士団長のロイドだ」
「騎士しゃんなんでしゅね!」
「この世界を憂う気持ちは同じ……はずだ」

 ロイドがアシュレイへそっと手を差し出す。
 ドキドキしながらライラがそれを見守る。

 アシュレイが口角を吊り上げた。

「是非もない」
「おーっ! 歴史的瞬間ですね!」

 モーニャが空に踊る。
 ライラもこんな展開になるとは思っていなかった。

「これも君のおかげだ」

 ロイドが微笑む。

「まぁ、そうでしゅね! 雨降って地固まるとゆーやつでしゅ!」
「……君は賢いな」

 ロイドがライラの頭をそっと撫でる。
 なぜだろうか、子ども扱いが嫌いなライラだが――ロイドからそうされるのは、悪くない気分だった。

 ロイドが目を細め、ライラの前にひざまずく。

「あい?」
「君には傷を癒してもらった。シニエスタンの魔物の討伐も君がいたから成功に終わった。この恩に報いたいと思う」

 ロイドの澄んだ声が星空に響く。
 そして身に帯びた長剣をロイドは恭しく差し出した。

「これって……」
「驚いた。君ほどの人間がそこまでするとはな」
「本で見たことありますっ! 騎士の誓いってやつですよね!?」
「ああ、どうか受け取ってほしい」

 どこまでも真っ直ぐな瞳にライラは断れるはずもなく、頷いた。

「でもあたちに剣は重たいでしゅ。だからモーニャに受け取ってもらうでしゅよ」
「ふっ、構わないよ」
「はいはーい!」

 モーニャが風の魔力とともに剣を受け取り、優雅な仕草でロイドの肩を叩く。

 4歳児に剣を捧げる、ということがあるのだろうか? 
 しかしライラはそもそも並みの子どもではなかった。

「……ありがとう」

 満足したロイドが立ち上がる。
 ライラもひとつ、ロイドと確かな繋がりができた。

「ふふっ……特別な日になったよ」
「良いことは重なるものだな。実に結構なことだ」

 そこでアシュレイが得意気になっているのを、ライラは見逃さなかった。

「陛下も何かあったのです?」
「ライラが俺の娘だとわかった」
「……うん?」

 ロイドの動きがピタリと止まる。

「娘……? ライラが、誰の?」
「えーと……」

 ライラが頬をかく。
 ここまではっきり言われたら誤魔化せないし、説明しておいたほうがいいだろう。

「不本意でしゅが、国王様がとーさまみたい……でしゅ」
「えっ……!」

 ロイドがアシュレイとライラを交互に見る。
 なんだかショックを受けているようだった。

「そうなんだ……」
「どうした。はっきりと言え」
「…………」

 ロイドが口ごもる。
 こんな様子の彼が見られるとは、思っていなかった。

「うん……まぁ、似ているね」

 その答えにアシュレイは微笑んだが、ライラはちょっと物申したい……そんな気分であった。
 同じ頃。
 遠く離れた王都ではボルファヌ大公が緊急の使者に会っていた。

「なんだと、シニエスタンの騒動が収束した……!?」

 ボルファヌ大公が野太い腕を机に叩きつけた。
 その音に使者がびくりと驚く。

「そんなはずはない! 氷河ヘラジカの群れはそう簡単に駆除できん。何か月もかけ、入念に計画したんだぞ……」
「し、しかし……群れは全滅したそうです」

 ボルファヌ大公が忌み嫌う甥、国王のアシュレイの顔を思い浮かべる。

 アシュレイとその兵。
 さらには北部の冒険者のことまでボルファヌ大公は計算に入れていた。

 どうやっても戦力は不足するはず、であった。
 何かボルファヌ大公の予測しえないことが起こったのだ。

「……あの若造にそこまでのことはできまい。何かイレギュラーがあったはずだ」
「申し訳ありません、そこまでは……」
「早急に調べろ。あの若造の陣営に変化があったなら、大事だぞ……!」




 ライラたちが冒険者ギルドの大ホールに戻ると、盛大なパーティーが行われようとしていた。
 討伐の現地から遅れての祝宴らしい。

「ロイドさん、本当に悪かった……」
「ああ、あんたは俺たちのエースなのによぉ!」

 シニエスタンの冒険者はロイドを受け入れ、ロイドも微笑んで皆の輪に入っていった。
 寡黙だが、ロイドには人徳がある。

 その祝宴の場からライラとアシュレイはそっと抜け出した。
 この場にはいないほうがいいとふたりとも思ったのだ。

 空には月も星も光っている。
 ライラはアシュレイの宿舎でソファーに腰掛けていた。

「ふわ……」
「もう夜ですからね、主様」

 モーニャがふにっとライラの頬に手のひらをくっつける。
 ぷにっとしていて、温かい。

「悪いな、来てもらって」
「……別にいいでしゅ」

(もっと話もしなきゃでしゅ)

 ライラはもう、アシュレイが自分の親であることは疑っていなかった。
 だからといって全部を受け入れて納得できるかは、別である。

「ホットミルクだ」
「ありがとでしゅ……」

 もう夜も更けている。

 ライラの普段の活動時間は過ぎていたが、まだ起きていたかった。
 ミルクは濃厚で熱いというよりはぬるめ、ライラの好みだ。

「眠くなったら遠慮しなくていいからな」
「ふぁい」

 まぶたをこすり、アシュレイの顔をじっと見つめる。

 こうやって落ち着いたところで整った顔立ちを見ると、自分の顔と似ているなぁと思う。
 髪質、全体のパーツ、鼻……。

「……やはり似ているな、サーシャと」
「あたちの母親でしゅか」
「ああ、髪の色と目元はそっくりだ」
「ふふっ……」
「な、なんだ? どこがおかしい?」
「それ以外は国王様と似てると思ったんでしゅ」
「そうか? ……ふむ、かもな」
「でも、あたちはどうして森にひとりでいたんでしゅ?」

 一番聞きたいところはそこだった。

 ライラには生まれた時の記憶がない――まぁ、普通はないのが当然だが。
 でもあの神様と話してからのことは全部覚えており、その時にはもう森にいた。

「妻のサーシャは超高難度の魔法薬を研究していた。テレポートの魔法薬だ」

 モーニャがライラに耳打ちする。

「主様のテレポート薬ですね」
「……でしゅ」

 あのテレポート薬を自作するにはライラも苦労した。
 レシピそのものは知れ渡っていたが、極めて高い魔力と希少素材がいくつも必要なのだ。

 例えるなら日本刀みたいなモノだとライラは思っていた。
 製法を知るのと実際に製作するのとでは全く違う……それがテレポート薬だった。

「魔法薬の実験のため、サーシャとお前は王都郊外の研究所にいた」

 アシュレイが過去を手繰り寄せる。

「俺は魔法薬の部門はさっぱりだったが、素材や魔力の流れ的にあそこが良かった……とか。実際、そうだった。魔物も多くなく、静かで……」
「…………」
「だが、ある日――その研究所が魔物の大群に襲われたとの知らせを受けた」

 モーニャが身体を震わせる。

「ひぃっ!」
「俺は急いで研究所に駆けつけた。だが、研究所は完全に破壊され……生存者はいなかった」

 アシュレイが視線を落とす。
 彼にとって、この出来事はまだ痛むのだろう。

「サーシャの遺体は見つかったが、お前の遺体はなかった……だが、現場は地獄のような有様
だった。俺はしばらくお前を探し、生存を諦めた」
「……あたちはでも、生きていた」
「どうして生き残れたのか、俺も推測しかできない。だが可能性があるとすれば、あのテレポートの薬だろう。未完成のはずだったが、サーシャはお前に使ったんだ。最後の望みをかけて」

(なるほど、筋は通ってましゅね。あの神様がミスった、とかいう運命はこれでしゅか)

 あのテキトーな神様は言った。
 このライラという赤ん坊は死ぬはずだった、と。それが魔物の騒乱だったのだ。

 しかし母サーシャの機転でその運命を覆した。

(にしても母親も魔法薬を研究していたなんて、なんてことでしゅ)

 もしかして今、自分が魔法薬作りにハマっているのは母親からの遺伝があるのかもしれない。
 縁とは不思議なものだ。

「何を考えているんだ?」

 要素としてはもう疑う余地はない。
 だが、最後にもうひとつ。ライラは自分の手でバックパックから魔法薬を取り出した。

 ライラの愛用するテレポート薬。

 虹色の光を閉じ込めたライラの傑作だ。
 今の話が本当なら、この薬がアシュレイにはわかるはずだった。

「これが何なのか、わかりましゅか?」

 アシュレイがわずかに眉を寄せる。

「どうしてこれをお前が? テレポートの魔法薬じゃないか」
「……わかるんでしゅね」
「わかるとも。サーシャがよく見せてくれた。虹色はもっと薄かったがな」
「これは主様のお手製なんですよ〜」
「なんだと? 会った時にテレポートと言っていたのは、魔術じゃなくて薬だったのか」
「よく覚えてましゅね」
「子どもがひとりであんな所にいる理由をそうそう忘れるものか。しかし、そうか……これはもう使えるんだな。完成したのか」
「もちろんでしゅよ。貴重でしゅけど」

 アシュレイがライラの隣に座った。
 重みでソファーがそっと揺れる。

「ふむ……もっと近くで見せてくれ」
「あい」

 ライラがテレポート薬を渡すと、アシュレイが大事そうに瓶を両手で持った。
 アシュレイは瓶を様々な角度からじっくりと眺めた。大切な想いと一緒に。

「綺麗だ。魔力が弾け、虹色になっている」
「同じ、でしゅか」
「同じだ。美しい」

 アシュレイの低い声がライラの心に染み込んでくる。

(……家族はこういうものでしゅかね)

 ライラは前世でも天涯孤独だった。

 でも家族がどういうものか、他人を見て知っている。
 今、一番家族なのはモーニャだ。

 アシュレイは家族かどうかというと……でも、身体は拒絶していない。
 彼の瞳には間違いなく、愛情があったからだ。

「うにゅ……」
「……眠くなったら、寝ていいぞ。俺がずっとそばにいるから」

 今日は本当に色々あった。
 ゆったりと柔らかなソファーに身を預けていると、頭の中に色々なことが浮かんでは消えてくる。

「あたちを娘と認めたら、大変じゃないでしゅか」

 それは疑問ではなかった。確信だった。

 アシュレイは今も大変な立場にいる。一国の若き王として。
 そこに死んだはずの娘が戻ってきて、すんなり済むとは思えない。

 アシュレイがそっとライラの頭に手を伸ばす。
 大きくて、しなやかな手。父の手がライラの髪をゆっくり撫でる。

「そんなこと、気にするな。俺はお前がいてくれるだけでいい」

 今までで一番、優しい声だった。
 心の奥に流れ込んで、信じられる声だ。

「んっ……」

 ライラはモーニャを胸に抱き、アシュレイの腕に手を伸ばす。

 とても温かい。モーニャとアシュレイ。
 ふたつの温もりを感じながら、ライラの意識は眠気に溶けていった。
 翌日、ライラはベッドに寝かされていた。

「ふゅ……」

 眠い目をこするとモーニャが隣に寝ている。

「おんせーん、ぱしゃぱしゃー」

 手足をばたつかせ、なんだか楽しい夢を見ているようだった。

「起きたか」

 アシュレイはもう起きて着替えていた。

 またもやコップを手渡される――今度はオレンジジュースだった。
 爽やかな酸味が心地良く眠気を遠ざける。甘やかされているが、とても良い気分だった。

「身体は大丈夫か?」
「だいじょうぶでしゅよ。すっきりでしゅ!」

 ライラがぐーっと両腕を上げる。昨日の疲れは吹っ飛んでいた。

「で、これからどうするんでしゅ?」
「シニエスタンでの作戦は終わった。撤収作業は俺がいなくても問題なかろう。すぐ王都に戻るつもりだ」
「じゃあ……」

 言いかけてライラは口をもごもごさせた。

 アシュレイは自分の親だ。だけど、これからどうするかはまた別の話だった。

 ライラは前世を含めても貴族らしいところはない。
 果たしてアシュレイの娘として、自分はやっていけるんだろうか。

「とりあえず王都に来ないか。サーシャの墓が、そこにある」
「……あい」

 そう言われたら断れない。
 上手いな、とライラは思った。

「とりあえず、そうしましゅ」
「ああ、それまでこの部屋でゆっくりしていてくれ」
「そうはいかないでしゅよ」
「うん? なぜだ」
「昨日、ロイドのアレコレで冒険者ギルドに買い取り品を預けたまんまでしゅ! お金を受け取らないとでしゅよ!」

 ライラの瞳は燃えていた。
 色々なことがあってもお金のことを忘れないのはライラなのだ。
 アシュレイが目を細めて笑う。

「ははっ、しっかりしているな……。わかった、シェリーを付けよう。後で合流だ」




 シェリーと一緒にライラとモーニャは冒険者ギルドに向かった。
 なのだが、シェリーはガチガチに緊張している。
 道行く人を警戒しまくっていた。

「シェリーしゃん、落ち着いてくだしゃい」
「そ、そうは参りません……!」

 出かける前にアシュレイから聞いたのだが、シェリーは昨日のことを全部知らされたとか。
 なので彼女からしたらライラは王女、これは王女の護衛任務になるのだ。

「あんまり固くなっちゃっダメですよぉー、リラックスリラックス〜」

 モーニャがシェリーの肩をモミモミする。

「そうでしゅ。あたちはあたちでしゅ。これからもライラちゃんって呼んでくだしゃい」
「うぅ……ありがとうございます」

 そんなこんなでシェリーの緊張をほぐしながら冒険者ギルドに向かう。

「お邪魔しますぅー」

 入るなり、モーニャが鼻をつまんで叫んだ。

「うわっ、お酒くさー!」
「宴のあとって感じでしゅね」
「ゴミもいっぱいですしね」

 冒険者ギルドの床はゴミどころか、寝転んでいる冒険者でいっぱいだった。
 昨日の宴はよほど盛り上がったらしい。
 受付嬢のお姉さんたちもテーブルに突っ伏して寝息を立てている。

「ぐぅ〜……」
「完璧に寝てます。コレ」
「困ったでしゅね」
「叩き起こしますか?」

 シェリーの目はちょっと本気だ。
 王女様の予定を最優先らしい。

 とはいえ、4歳児の健康ライフサイクルに合わせるのは忍びない。
 そこにしっとりとした声が降ってきた。

「……来たのか」
「ロイドしゃん!」

 ライラが振り向くと、奥からきちんと着替えたロイドが現れた。
 目も足取りもしっかりしている。ロイドは片手にじゃらじゃら鳴る袋を持っていた。

「お金の件だろう? 実は昨夜、皆が酔い潰れる前に預かっていた」
「そうでしゅ! はぁ、ロイドしゃんは出来る人でしゅね〜」
「こうなるだろうと思ったからな」

 ロイドはお金と打ち合わせの件で、アシュレイの宿舎に行こうとしていたのだとか。

 その前にライラが到着したので、お金の件は一件落着である。
 ロイドから明細と袋を受け取り、ちゃんと確かめたライラはふふんと頷く。

「ばっちりでしゅね。領収書、置いときましゅか」

 適当な紙にお金を受け取ったことをぐりぐりと書く。
 その文字を見て、シェリーがわずかに眉を寄せた。

「えーと……」
「シェリーしゃん、あたちの字はこんなもんでしゅよ」

 シェリーがはっとした。どうやらライラの年齢を忘れていたらしい。

「そ、そうですね! 年齢からすれば神がかった域でした!」
「ちゃんと書けるだけ、凄いからな」

 ライラの字はかなり下手だった。
 なんせ4歳児。知能や魔力があっても異世界の文字なんて大人のようには書けない。
 とはいえロイドの言う通り。意味の通った文を書けるだけでも偉いはずだ。

「モーニャ、ここに判を押してくだしゃい」
「はいはいー、えいっ!」

 もにもに。インクをつけた前脚でぽんっとモーニャが判を押す。

 レッサーパンダに肉球はあるが、毛に覆われている。
 なので毛むくじゃらの前脚の印にはなるが、これがライラの判子だった。

「……モーニャちゃんの足跡にはどのような意味が?」
「こーすると少しだけ魔力が残るでしゅ。こんなのはあたちとモーニャ以外にはできまひぇん」

 ライラが紙をひらひらさせる。
 そうすると確かに風の魔力がわずかに香っていた。

「あたちのサインよりは、分かりやすいでしゅ」

 お金を受け取り、ロイドを連れてライラはアシュレイの宿舎へと戻った。

「戻ったか。ロイドも来てくれたな」
「もちろん」

 魔物が討伐されたのでロイドもやることがなくなったとか。
 母国への報告は魔術で済ましたらしいので……彼も王都に同行するという。

「ロイドは大切な客人だ。歓迎する」
「ありがとう」
「これで用はすみましゅた。……れっつごー、でしゅ!」

 ということでライラたちは王都へとアシュレイのテレポート魔術で移動した。
 身体がふわっと浮く感覚を乗り越えると、そこはヴェネト王国の王都、ラルダリアだった。

 ラルダリアは初代ヴェネト王国の国王の名だ。
 下級貴族の身から冒険者になり、空前絶後の魔力でひとつの国を打ち立てたという。

 そのため、ヴェネト王国の国民は誰でも魔術が使え、生活水準も高い。

「いつ来ても凄いですよねぇ〜」
「建物が高いでしゅよね〜」

 ライラたちはラルダリアの中心部、王宮に到着していた。
 ここはまさに荘厳の一言だ。結界を兼ねた魔力を含む大理石がこれでもかと使われている。

 王宮の窓から見渡すと街全体が美しい白色を誇っていた。
 城下町は魔力を駆使して作られたため、上下水道も完備。道も周辺国とは比べ物にならないほど舗装され、規格化されている。

「にしても、ここは王宮のどこでしゅ?」
「人があんまりいないですねぇ」
「ここは奥の宮です。知らせは送ってあるので……ライラ様のことがありますから」

 シェリーの答えにライラが頷く。
 自分のことをアレコレしないと、王宮はさすがにマズい。

「まぁ、まずは限られた人間が知っていればいいだろう」
「そのほうがいいでしゅね」

 いきなり国民を集めてお披露目会をするより、よっぽどいい。

「とはいえ……そうだな、少し身支度をしたほうがいいかもしれない」
「ですよね〜」

 モーニャがうんうんと頷く。ライラも納得するしかない。
 冒険者っぽい今のライラの格好は、王宮にふさわしいモノではなかった。

「シェリー、頼んだ。ロイド、君とはその間に色々と話し合いをしたい」

 アシュレイがテキパキと指示を飛ばし、ライラたちは別れ別れになった。
 シェリーが呼吸を整える。やはりライラと一緒は緊張するようだった。

「ふぅー……じゃあ、私が先導しますので!」
「あーい」

 まずは湯船。前世でも見たことのない規模の大理石の室内温泉にライラは浸かった。
 大の大人が40人は入れる。そこにライラとモーニャがふたりきりで入っていた。

「……広すぎましゅ」
「近くの山から魔術で引っ張ってきたとかでしたっけ。はぁ、ラルダリア様はきっとお風呂が大好きだったんでしょうねぇ〜」

 モーニャも肩までつかり、ほくほくしていた。ライラも全身の血行がほぐれるのを体感している。
 その後、全身を石鹸で洗われたライラは服を着替えることになった。

「これは中々いいでしゅね」

 用意されたひらひらのレース付きの服を着てみる。

 靴まで凝って、カチューシャも輝く白銀。
 それでいて動きにくいということはない。冒険者の服よりも重たいが、許容範囲だ。

「うーん、とても可愛いですよ!」

 シェリーが両手を組んで褒めてくれる。ライラも悪い気はしなかった。
 元々、この顔立ちはかなり可愛らしい。それに合った服装をすれば、十分輝く。

 で、モーニャはというと。

「ふんふふーん♪」

 お気に入りのリボンを見つけたらしく、首元に巻いていた。
 赤色の小さなリボンだが、白毛のアクセントとしてはぴったりだ。

「気に入ったんでしゅか?」
「はい! どうですか!?」
「いい感じでしゅー!」

 石鹸で洗われてふわふわになったモーニャをもみもみする。

「んー、主様も可愛いですよぉ!」

 お風呂とお着替えで2時間が過ぎた。
 その後シェリーに案内され、王宮の一室で休む。

 用意されたジュースを飲んでいると、アシュレイがやってきた。
 ライラとモーニャを見るなり、アシュレイが顔を綻ばせる。

「おお、よく似合っているぞ」

 手放しにそう言われ、ライラも胸を張る。

「とーぜんでしゅ!」

 そんなアシュレイの後ろには数人の見知らぬ大人がいた。
 アシュレイよりも遥かに年上の人間ばかりだ。

(どういう人たちなんでしゅかね――あっ!)

 ライラは一瞬で関係性に気が付いた。その数人が全員、黒髪であったのだ。
 この国で黒髪はとても珍しい。そんな黒髪が揃っているということは……。

 黒髪の人の中、ひときわ立派な体格のダンディーなオジサマが声を漏らす。

「……本当にこの子が」

 ごくりと息を呑む。鏡くらいは毎日見ているライラだ。
 自分の目元と彼の目元はよく似ている。そう直感できるほどだった。

「紹介しよう、ライラ。君の親戚たちだ。今はもう俺の親戚でもあるがな」

 ライラの胸がきゅっと切なくなった。

「は、はじめましてでしゅ!」

 ソファーから飛び下りたライラが頭を下げる。
 母の親戚たちが駆け寄って泣き声を上げるのは、同時だった。

「ああ、神様……まさか! あのライラが!」
「これは奇跡だ……!!」

 ライラの母方の家族はファーラ家というらしい。
 公爵家であり、ヴェネト王国には建国当初から仕える古い家柄だとか。

 今、ファーラ家をまとめているのは、このダンディーなオジサマ――本当にライラの叔父であるニコル・ファーラであった。

「我が家の黒髪は東方から入植したから……もちろん、他の家系にもある。しかし君は間違えようもない。目元がサーシャそっくりだ」

 ニコルはライラの母、サーシャの兄にあたる。
 すでにライラとニコルの両親は病で亡くなっており、彼がファーラ家を差配していた。

「本当に驚いたよ……。昨日の夜、陛下の使いから君が生きていると聞かされて、心臓が跳ね上がった」
「それ以外に説明のしようがなくてな。悪かった」

 アシュレイとニコルの言葉遣いはかなり気安い。親密なのだろう。

「いや、だが……こうして対面すると魔力の高さは陛下譲りだ。サーシャはここまでの魔力はなかったからね」
「魔力がそんなにわかるんでしゅか?」

 ライラは魔物を除いて、人の魔力がよくわからない。
 さすがにアシュレイほど張り詰めて膨大なら分かるのだけれど。

「我々、ファーラ家は戦闘用の魔術がさほど得意ではなくてね。むしろ探索や鑑定、魔法薬――そういった座学の魔術が生業だ」
「主様と同じですねぇ!」
「ああ、サーシャの得意は魔法薬だったが……ライラちゃんもそうなんだって?」
「あい! 見てくだひゃい!」

 部屋の隅に置いてあるバックパックから、手頃な瓶を取り出す。

 それで取り出してしまったのが、魔物用の毒薬だったが。
 泡立つ赤紫の液体を見て、アシュレイがぼそりとこぼす。

「見るからに毒っぽいが」
「……魔法薬のひとつではあるでしゅ!」

 それにニコルが目を細める。

「ははっ、サーシャもよくそういう魔法薬を作っていた。親子だなぁ」

 ニコルの笑顔はどことなく親近感が生まれる。顔合わせは朗らかに進んだ。
 数時間、話をしても話題は尽きなかった。
 夕日が傾いて窓からオレンジ色の光が差し込む。

「そろそろ時間だな。では、行くか」

 アシュレイに導かれ、ライラたちは王宮を歩いた。
 向かうのは王宮墓地にある、サーシャの墓だった。

 それは王宮裏手の聖堂にある。
 王族とそれに連なる配偶者は皆、ここに葬られるのだそうだ。

 初代国王ラルダリアからアシュレイの妻サーシャまで、全ての王族がここに眠る。

 聖堂は白の大理石によって建てられ、赤と青の水晶が壁を飾る。
 入口には微笑む天使の彫像、壁の彫刻は天上の楽園を模していた。

 モーニャが空を飛びながら首を回す。

「全体的に明るいですね」
「ああ、ラルダリア王がこう設計されたらしい。自分の眠る場所は春の寝床のように、白に飾られた陽気な場所にしたい――と」

 何百年も経ているはずなのに、壁にはその様子は全くない。

「魔力が張り巡らされてましゅ」
「ラルダリア王は潔癖なようで、王宮にもこの聖堂にも汚れ避けの魔術を入念にかけたからな」

 聖堂の奥には神官が並んでいた。
 奥の壁には葡萄の蔦と雲を彫刻された石の額縁がかけられており、そこに様々な名前があった。

 これが墓石代わりだろう。神官が生花を持ち寄ってくる。

「さぁ、祈りを捧げよう」

 花を壁に向かって並べ、祈りを捧げる。
 頭を少し下げて……沈黙。香炉から薔薇の香りが漂ってきていた。

(……私の母)

 実際、顔も声も覚えていない。名前さえも昨日知ったくらいだ。
 それくらいの関係でしかないのに、胸が締め付けられるのはなぜだろう?

「主様……」

 モーニャが温かい頬を寄せてくれる。胸が苦しい理由は分かっていた。
 ライラがこの世界にいるということは、やはり誰かがライラを産んだからだ。

 そして、今のライラは父であるアシュレイと母の兄であるニコルとその実家を知った。
 異世界に突如として生まれ、今までは想像するしかなかった自分のルーツ。

 それがはっきりと認識できたから、ライラの胸に新しい想いが訪れているのだ。
 数分ほど黙祷し、頭を上げる。これがヴェネト王国の葬礼だった。

 ニコルが改めてアシュレイに感謝を捧げる。

「陛下、この度ライラを伴っての追悼の儀――誠にありがたく思います。サーシャも天上できっと喜んでおりますでしょう」

 ニコルの言葉にアシュレイが目を伏せる。

「かしこまらないでくれ。これは当然のことだ」

 厳粛な雰囲気でライラたちは聖堂を後にした。

(私の生き方……)

 ライラはぼんやりと上の空だった。

 自分のこれまでとこれから。どうすべきは分かっている。
 このヴェネト王国の王女として、生きていくのだ。

 王宮に戻ると、ニコルが口を開いた。

「それで陛下、ライラのことはどうするおつもりで?」

 アシュレイの目がライラに注がれた。
 温かさはあるが、何を考えているかは読み取れない。

「……ライラ、お前はどうしたい?」
「あたちがでしゅか?」
「ああ、いくつもの道がある」

 アシュレイは指折り数えた。

「まずひとつ、ファーラ家の令嬢として生きていく。名目的にも王女とはならずに」
「それもひとつの道だと思います」

 ニコルははっきりと言った。アシュレイが深く息を吐く。

「王族は楽なものではない。どれほど苦しくても投げ出せはしない」

 それはきっとアシュレイ自身のことだとライラは思った。
 妻子が死んでも止まることは許されない。それが王というものだ。

「ファーラ家の貴族というなら、いくらかは安心して生きられる。暗殺の心配もなかろう」

 自嘲気味に笑うアシュレイ。
 これは彼自身の体験からかも知れなかった。

「もうひとつは冒険者として生きる道。今、お前の名声は他国にも鳴り響いている。どこの国で生きていくのも不安はあるまい」
「……それでいいんでしゅか?」
「テレポート薬を持っているお前を拘束するなど、どのみち不可能だ」

 あっさりとアシュレイが認めた。
 4歳児を自由にさせるのもどうかと思うが、実際に前の生き方に戻るだけだ。

「たまに顔を見せてくれるなら、サーシャも満足しよう」

(……嘘ばっかりでしゅ)

 出会ってからは短いが、ライラはアシュレイの心根の深い部分に触れていた。
 多分、これは嘘なのだろう。そんな風に考えられる親などいない。

「最後の選択肢は王女としてこの国で暮らす。わかっていると思うが、楽ではない」

 それはきっとアシュレイの本音なのだろう。
 妻子を失い、魔物の対策に奔走しなければいけない。貴族ともうまく渡り合わなければ……。

 でも、ライラの心は決まっていた。
 昨日と今日と。アシュレイを信じてみよう。運命があるならば、これがきっとそうなのだ。

「……あたちは」

 ライラは喉の奥を絞った。
 なんて呼ぶべきか、迷いながらもライラは『その単語』を口に出す。

「とーさまと一緒にいたいでしゅ」

 この世界に来て、初めて誰かを親と呼ぶ。
 アシュレイが口元を押さえ、ライラを見つめた。その瞳には喜びが溢れていた。

「そう、か……」

 ニコルも目元を拭う。

「ライラがそう決めたのなら、是非はありません」
「ニコルおじさまにも助けてほしいでしゅ」
「もちろん、もちろんだとも。ファーラ家はライラとともにある」
「ありがとう、ニコル」
「うぅ、良かったですねぇ……」

 モーニャも目元を拭う。その頭をポンポンと撫でるライラ。
 言葉に出してライラも覚悟が決まった。

「これから――新生活を始めるでしゅよ!」
 ライラはアシュレイとともに王都ラルダリアに住むことになった。
 ニコルたちが帰ったあと、王宮の広間でライラはアシュレイにせがむ。

「……広いところがいいでしゅ」
「部屋はもちろん広いが……」
「そうじゃないでしゅ。工房が欲しいんでしゅ」

 ライラの言葉を聞いてアシュレイが眉間を揉む。

「工房だと? もしかして魔法薬を作るつもりか」
「もちろんでしゅ! 魔法薬作りは止めませんでしゅよ!」

 ぐっと拳を振り上げるライラ。
 アシュレイの娘になったとしても魔法薬作りはしたかった。

「ふむ……しかし、だが……」

 アシュレイは色々と考え込んでいるようだった。
 そこにモーニャがささやく。

「主様の魔法薬はそれはそれは凄いですから〜。そこはもう、おわかりですよね?」
「……それは間違いない」
「あれやこれやの魔法薬を主様が作って、王国に活かせば……主様は魔法薬が作れる、お父様も国が富む。そうですよねー?」

 モーニャが上手く乗せる。
 まだまだ舌っ足らずなライラにはできないことだった。

「確かにな……」

 アシュレイが組んだ腕を解く。

「反対派をおとなしくさせるためにも、分かりやすい【成果】は必要か。諸外国にも魔法薬を輸出できるようになれば……」
「えーと、そこまでは言ってないような〜?」
「冗談だ」
「そうは聞こえなかったでしゅよ」
「面倒なことは俺に任せておけ。しかし、いいのか? 遊ぶよりも魔法薬作りで」
「魔法薬を作るのがライフワークでしゅ!」
「……ふっ、そうか」

 アシュレイが意味深に目を細める。
 それがサーシャも同じことを言ったことがあるとライラが知ったのは、もっとずっと後のことだったが。

「なら早速、工房を作るか」
「何週間くらいかかりましゅ?」
「明日にはできているぞ」
「ふぇ?」

 翌日、アシュレイの言葉通りライラの住処である奥の宮に工房が設置された。
 その工房、ライラの家の10倍の大きさがある。ライラもモーニャも開いた口が塞がらなかった。

「は、早すぎません?」
「魔法先進国だからな。奥の宮に建てるならすぐできる。土の魔術で建物を、水の魔術で水道も完備だ。もう使えるはずだ」

 アシュレイが工房の中を案内する。

「うわぁ〜〜!」

 ピカピカの工房、デカい水道にコンロ。かまどの類もある。
 もちろん棚やタンスも数十、嬉しいことに書架もあった。

「細かな備品はこれからだが、ライラの家から持ってくるものもあるだろう?」
「もちろんでしゅよ。今日、取ってくるでしゅ」
「それならシェリーを側仕えにすればいい。彼女なら諸々の仕事を任せられる」
「あいでしゅ」

 なんとなくシェリーは雑用係っぽい。

 だが、今のライラも王宮知識はゼロである。
 忙しいアシュレイに全部やってもらう訳にもいかない。自然な選択と言えた。

 ということで、ライラの工房作り――もとい、お引越しが始まった。
 とはいえテレポート薬で行ったり来たりするだけであるが。

「使わないのはどうしましょうね〜」
「時間があるときに、整理すればいいでしゅよ。とりあえず王宮のこーぼーを完璧にセッティング、でしゅ!」

 幸い、家具やら服は王宮に用意されている。
 移動させるのは魔法薬関連だけだ。

 ライラとモーニャはドタバタしながら品物を森の家から王宮に移していく。
 家の瓶をひっくり返し、モーニャが確認する。

「えーと塩ダレ、にんにくダレ、生姜ダレ……これも要ります?」
「要る! とっても要るでしゅ!」
「まぁ……タレは継ぎ足しがいいみたいですからねぇ」

 この世界にもソースの継ぎ足し概念は存在する。
 実際には中身は入れ替わり、意味はないらしいが。しかし自作のタレはライラには捨てられない。
 合流したシェリーとその配下も必死になってライラの手伝いをしている。

「荷物の開封と並べるのは私にお任せくださいっ!」

 元々騎士だけあって、体力面ではバッチリだった。
 で、その中で魔法薬関連の素材があり――。

「おっと、これはあたちがやるでしゅ」
「いえ、お気遣いは無用ですっ! やらせてください!」
「これはギガントボアの肝でしゅ。ぶちまけると皮膚がてーへんなことになっちゃうでしゅよ」
「ひぇっ!? な、なるほど……」
「あっちの隅にあるのはヤバめな素材でしゅから、触らなくていいでしゅよ」

 こくこくと頷くシェリー。こうして半日ほどでお引越しは完了した。
 疲れからか、さすがのモーニャの尻尾もへたりとしている。

「ふぃー、終わりましたぁ……」
「ご苦労様でしゅー」

 すっかり夕方になった頃、公務でいなかったアシュレイが工房に姿を見せる。

「おお、すっかり変わったな」
「とーさま! どうでしゅか!?」
「うむ、素晴らしい。道具も素材も揃っている……これは全部、お前の家からだな?」
「そうでしゅよ」
「だと思った。素材ひとつ、道具ひとつの魔力が高純度だ。これだけの品物はそうそう揃えられるモノではない」
「ほぇー、やっぱり分かるんですねぇ」
「大学よりも設備は良さそうだな。……危険なモノも多そうだが」
「ぎくっ」

 アシュレイが目ざとく、危険物の棚を見やる。
 そうだった、魔物との最前線に立つアシュレイが魔物素材を知らないはずがない。

「あとで宮廷魔術師に結界を追加で張らせよう。それと、この区画は許可のない人間は立ち入り禁止だ」
「異論はないでしゅ」

 それはライラのほうからも頼むつもりだった。
 高価な素材も多いし、毒物が盗まれたらシャレにならない。

「俺もお前の魔法薬の腕前を知らなかったら、許可してないくらいだ」
「扱いには気をつけるでしゅよ」

 ライラも魔法薬作りで気を抜いたことはない。危ない目にあったことはないが、下手すると大惨事になるのはよくわかっている。

「シェリーも気をつけるでしゅよ」
「は、はい! そう思って宮廷医にも話しは通してあります! 何が起こっても――はい、対処できることなら大丈夫です!」
「安心でしゅね」
「宮廷医が不要とは言わないんだな」
「それはシェリー次第でしゅ」

 ということで工房のアレコレが一段落した。
 本格的な稼働は明日からだ。

「さぁ、頑張るでしゅよー!」
「はーい!」

 これがヴェネト王国に新しい嵐を巻き起こすことになるとは、さすがのアシュレイも予想していなかった……。
 翌日、工房が本格的に稼働し始めた。
 と言っても調合を行うのはライラで、シェリーらは助手的な立ち位置だったが。

「ふぅ、さて何を作ろうでしゅかね〜」
「アイデアはあるんです?」

 ライラはぱらぱらと書き殴ったノートをめくる。
 このノートは前世の記憶を元に書き続けてきたアイデア帳だ。

「作ってみたいのはこれでしゅかね」
「ふむむ、毛生え薬……?」

 シェリーがぽんと手を打つ。

「おお、あの伝説の!? 大学の授業で聞いたことはありますけれど、実物は私も見たことがありません!」

 毛生え薬自体のレシピ自体は存在する。
 だが現代では成功例がない。幻の魔法薬だ。

 モーニャが首を傾け、自身のもふもふボディーを確かめる。

「まさか、どこか抜けてます……?!」
「……そうじゃないでしゅよ」

 この毛生え薬というアイデア自体は独創的でもなんでもない。
 前世の日本でもこういう薬は販売されているし、この世界にもカツラはあるのだ。

「毛というのはどこでも悩みの種なんでしゅ……」
「ライラちゃんは本当に4歳児ですか?」

 ツッコまれるライラ。
 語りすぎてしまったかもしれない。

「でも毛の悩みは……ええ、私も父が最近ちょっと気にしてるみたいなんですよね」
「冒険者にもいましたもんねぇ〜。帽子や兜は蒸れまちゃいますし」
「そうでしゅ。毛生え薬にはきっと需要がありましゅ!」
「確かに! ライラちゃんの仰る通りです!」

 問題は成功者がいないこと。
 しかしそれは挑戦しない理由にはならない。

「難しいモノほど燃えましゅ……!!」

 だからこそ挑戦しがいがあるし、もし成功したらアシュレイも喜ぶだろう。

 魔法薬作りはまず、文献調査からだ。ということで諸々の魔法薬の本の研究から始める。
 シェリーに王都にある魔法薬のレシピ本を片っ端から持ってきてもらう。

「宮廷魔導師寮から借りてきたのはここに……!」
「あいでしゅ」

 ライラはぱらぱらと読み進める。

 その速度は超人的だった……まぁ、魔力で自己強化しながら読んでいるのだが。
 必要な部分を書き写し、また別の本を手に取る。

「王都図書館から借りてきたのは、向こうに……」
「ありがとでしゅ」

 ぱらぱらー、さらさらー。
 毛生え薬は伝説的な薬だ。本によって書いてあることが違う。

「ヴェネト魔法薬協会から借りてきたのは、はぁはぁ……ここに置きます」
「そんなに急がなくても大丈夫でしゅよ?」
「いえ! 私のほうはお気になさらずに!」

 こうして数時間を文献調査に費やしたライラは目をこすり、ぐーっと伸びをする。

「ふぅ、とりあえずはこんなところでしゅね。違うことをしたくなりまひた」
「じゃあ主様、使った魔法薬のストックでも足しておきます?」
「ぱぱっと作るでしゅ」

 ライラはこの数日で使った魔法薬の調合をし始めた。
 まずは爆裂薬だ。これは何百回も作っているので、身体に動きが染み付いている。

「ふんふんふーん♪」

 爆裂草の実を小鍋に入れて溶かし、そこに光蛇の鱗やら閃光石の粉末やら……。
 どろどろに溶けた素材たち。ライラの顔から笑みが漏れる。この瞬間はたまらなく楽しい。

「ふふっ、ふふふ……」
「主様……悪い魔女みたいな顔になってますよ」
「はっ!」

 顔を引き締めるライラ。ここにはシェリーたちもいる。
 あまりだらしいない顔は見せられない。

 ぐーるぐる。ライラ自身の魔力もたっぷりと込めて、鍋をかき混ぜる。
 やがて鍋の中身が白く濁り、魔力の光がパチパチと爆ぜてきた。
 猛烈な光が工房に満ちる。

「できまひた!」
「おー! いつ見ても綺麗ですねぇ」
「こ、これがあの氷河ヘラジカを一撃で倒した魔法薬ですね!」
「そうでしゅ。ここから素材を抜くとまた別の爆裂薬になるでしゅよ」

 ギガントボアを倒した爆裂薬はこの廉価版だ。

 素材も安く生産の手間は省けるが、破壊力が弱くなっている。
 とはいえ弱い魔物には廉価版のほうがいい。適材適所というやつだ。

「しかし、これほどの魔力を秘めた魔法薬を、こんなに素早く……」
「ちょっと作業をやってみましゅか?」
「……いいのですか?」

 全部、自分でやってしまうのもアレだ。

(任せられるところは任せたいでしゅ)

 アシュレイもシェリーを活用するよう言っていた。
 ライラの作業の一部がシェリーも出来るようになれば、アシュレイも満足するだろう。

「鍋から瓶に移し替えるのなら、そーんなに危険はない……はずでしゅ」

 ちょっと心配になるシェリーだったが、ライラがそばについてくれるので、移し替え作業をやってみることにする。

 シェリーは大きな白のスプーンをライラから手渡される。
 このスプーンそのものからも強力な魔力が放たれていた。

「これは大砂魚の骨から削り出したスプーンでしゅ。爆裂薬の移し替えはこのスプーンが一番でしゅよ」
「ちなみにですが、他のスプーンを使うと?」

 ライラがちらっと視線を外す。

「魔力で抑え込めれば、ノープロブレムでしゅ」
「は、はい……」
「中身を魔力で包むようにしながら、やりましゅよ」

 ゆっくり、慎重に。
 スプーンが少し震えながらもシェリーは小瓶へと移し替えていく。

 スプーンと爆裂薬の液体の魔力がきらめいて、目が痛くなるほどだ。
 少しでも手を抜くと爆裂薬の魔力が飛び出そうになる。

 実際、それが危険なのかどうかわからないし――知りたくもなかったが。

「こ、これ難しいですね!」
「ちゃんと出来てましゅよ。その調子でしゅ!」

 4歳児についてもらい、励まされながらシェリーは移し替え作業を続ける。
 小瓶ひとつに爆裂薬を移すのに、たっぷり十数分はかかってしまった。
 汗もびっしょり、魔力も持っていかれる。

「はぁ、ふぅ……」
「よくできまひた。最初ならこんなもんでしゅ。あとはあたちがやりましゅ」

 ふんふんふふーんと歌いながら、ライラはぱぱっと5本分の移し替えを終える。
 その様子にシェリーとその部下たちは驚愕するしかなかった。

「す、凄い……っ! 私があんなに苦労した移し替えを……」

 移し替えを終えたライラがふぁーっとあくびをひとつする。
 文献調査と調合でけっこう働いた気がする。さすがに4歳児の体力の限界だった。

「そろそろお昼でしゅね」
「そーですねー。外はいい天気ですぅ」
「シェリーしゃん、お昼はあたち、お昼寝しましゅ。再開は2時間後くらいにでしゅ」

 そう言って工房に設置されたベッドにライラはもぐり込み、モーニャと一緒にすやすやと昼寝を始めるのだった。



 
 一連の様子をシェリーは信じられない気持ちで見つめていた。

 この数時間でざっと30冊の本にライラは目を通している。
 さらに爆裂薬の調合まで。この小瓶ひとつの破壊力をシェリーは知っているが……1時間も経たずに6本が完成していた。
 恐ろしい、とても恐ろしい4歳児だ。

「ほう、ライラはお昼寝中か」
「陛下っ!」

 アシュレイが姿を見せたので、シェリーが直立不動で敬礼を取る。
 彼の後ろには書類を抱えた文官がぞろぞろついてきていた。

「午後は書類整理だからな。この工房で処理するのも一興かと思った」
「な、なるほど……」

 ライラと一緒にいたいという親心だとシェリーは察した。

「どうだ? 魔術大学首席のお前から見て、俺の娘は?」

 実はシェリー、ヴェネト王国でもかなりのエリートであった。
 そうでなければ魔術王アシュレイやライラの側仕えなど不可能だ。

「陛下の御子を私が品定めするなど、畏れ多いことです」
「構わん、言ってみろ」

 促されてシェリーが口を開く。

「正直、シニエスタンのご活躍でライラ様の御力は知っているつもりでした。しかし、それさえもまだ理解が浅かったようです」
「ほう……」

 シェリーは午前中、ライラがした作業をアシュレイに報告した。

 驚異的な量の文献を読み解き、S級魔物も屠る爆裂薬をこともなげに作った……と。
 アシュレイがライラの読んだ文献を手に取り、ぱらぱらとめくる。

「ふぅむ、中々高度だな」
「はい……専門家でも読み解くのに苦労すると思います。私だと書いてあることの半分も分からないくらいです」

 正直、ライラの求めるままに魔法薬の文献を持ってきたのだ。
 なので、この中身はシェリーには高度すぎた。

「それで爆裂薬はこれか」
「あれほどの魔物を一撃で倒すくらいですから、調合に何日もかかるかと思いきや……。1時間ほどで何本も作られてしまいました」
「……我が娘ながら恐ろしいな」

 アシュレイが苦笑する。もちろんただの4歳児とは少しも思っていないが、とんでもない天才児なのは間違いなかった。
 机に座し、書類仕事をしながらアシュレイがシェリーへ伝える。

「ライラについて、しばらくは国民に伏せておこうと思う。国葬を執り行った手前、他国にもそう簡単に報告できんしな」
「そうですね……。この能力を見たら、他国も驚愕するかと」
「ああ、それにこの奥の宮は安全だが、他の場所までそうかと言われるとな……」

 アシュレイも話しながら恐るべき速度で書類に目を通し、書き込みをしている。
 この親にしてこの娘あり、とでも言おうか。

「門閥貴族の方々にも秘密にされるので?」
「ライラが王宮暮らしに慣れるまで、そうしたくはある。まぁ、長くは秘しておけまいが」

 シェリーがやや顔を曇らせた。彼女もアシュレイと門閥貴族の軋轢は知っている。
 元々、アシュレイは第六王子で王位継承の見込みはほぼなかった。

 だが強大な魔力と手腕によってアシュレイは王位に就いたのだ。
 さらに様々な改革を実行し、国を富ませようとしている、これをよく思わぬ貴族は数多い。

 アシュレイの暗殺騒動も両の手で数え切れぬほど起こっている。
 それをシェリーもよくわかっていた。

「ご安心を。ライラ様は私が命を賭してお守りいたします」
「頼んだぞ」