想side

 「想、今日はこっちなの?」

 昼休み、お昼ご飯を持った奏志が俺に聞いてくる。

 「うん、今日は約束してないし。」

 でもたぶん、悠瑠くんはメメにエサをあげに行っていると思うから後で行こうかな。
 正直最近すごく悠瑠くんに惹かれている。きっと気持ちを伝えるのが苦手なはずなのに「日下部だからいい。」とか「好きな奴だから、」とか、そんなハッキリ言われてたら嫌でも気になる。
 俺が触れると絶対顔を赤くするし、猫にまで嫉妬するのは可愛い。優しく笑って俺の頭を撫でる、勉強を教えてくれる悠瑠くんはかっこいい。
 あと、俺を見つめる目が超甘い。本人はきっと無自覚だけど、気持ちを隠さなくなった悠瑠くんはどうしようもなく可愛い。こんな可愛くてかっこいい悠瑠くんを俺だけが知ってるなんて特権だよな。

 「お、今日は想もいるじゃん。」と言って、いつも一緒にいるクラスメイトが奏志含め3人集まってきた。机をくっつけ、みんな各々お弁当やらコンビニのパンやらを広げ出す。

 「なぁ、想は誰派なの?」
 「え、なに。誰派?」
 「お前ぼーっとして聞いてなかったな。」

 机の上を見ると、女性アイドルの載っている雑誌を広げ、あれやこれやと話をしている最中だったようだ。正直誰もピンとこない。よく分からず、清楚系の女の子を指さした。

 「あぁ、こんな可愛い彼女ほしぃ。」
 「俺らは男子校だし、他校狙うしかねぇよな。」
 「でもさぁ、……うちの生徒会長もあざといよなぁ。」

 生徒会長…、ということは悠瑠くんの友だちの佐藤先輩のことだよな。
 
 「わかる!あの人なら抱けるね。」
 「俺的には、隣にいる深山先輩が気になるかも。」
 「いやぁ、あの人はまじで惚れさせに来てるよな。」

 みんなあの人たちのこと知っていたのか。俺は悠瑠くんから紹介されるまで知らなかったのに。佐藤先輩は入学式いたけど、深山先輩までもとは。

 「でもさ、やっぱり1番は渡里先輩だよな。」
 「ッゴホ、……ゲホッ」

 悠瑠くんの名前が急に出てきて、飲んでいた飲み物が器官に入り咳き込んだ。彼はどれだけ人気になれば気が済むんだろう。

 「ゆ、渡里先輩がどうしたの。」
 「どうしたも何も、渡里先輩は美人だし、渡里先輩なら付き合いたいって思う人多いと思うよ。」
 「TOP3の中ではダントツで渡里先輩人気だよな〜。」
 「TOP3?」
 「頭脳明晰、顔はかっこいいにも関わらず、あざとかわいいの権化の佐藤先輩。3人の中で1番フレンドリー、選ぶ言葉は最適解、運動神経抜群の深山先輩。そして、ミステリアスで今にも消えそうなほど儚げで、なんと言っても美人、誰でもこの美貌に魅了される悪魔みたいな渡里先輩。この3人の先輩がこの学校のTOP3って裏で呼ばれてんの。」

 あの3人ってそんなに注目されていたのか。……でも、悠瑠くんはそんなの嫌そうだな。注目されるの嫌いそうだし。

 「でも、渡里先輩には近づけないんだよな。」
 「なんか噂になってるよね。でも、なんでなの?」
 「渡里先輩は自分が心を許さない人には本当に冷たいから、心折れる方が早いんだって。」
 「そんな渡里先輩のお眼鏡にかなったのが、うちの想なんだけどね〜。」

 奏志が俺の肩を組むと、「たしかに、すげぇよな。」と他の2人も笑った。
 悠瑠くんたちがそんなに有名だなんて知らなかった。たしかに3人とも顔は整っているし人気そうだな。

 「てかさ、想は渡里先輩とぶっちゃけどうなの?」
 「どうって?」
 「付き合ってんの?」
 「……付き合ってない。俺には約束の子がいるし。」

 悠瑠くんと付き合っていないことを伝えれば、3人とも大声を出して驚いた。そして、約束の子に興味を持たれ、昔の話をすると、みんな頭を抱え、はぁと大きなため息をついた。

 「想さ、それは渡里先輩が可哀想だって。」
 「でも、渡里先輩も知ってるよ?」
 「お前、……渡里先輩が想に飽きたら俺が狙っちゃお。」

 「それはダメ。」と言いたかったが、これを言う資格が俺にあるのだろうか。悠瑠くんの気持ちに答えることができず、関係が宙ぶらりんになっているのに。
 悠瑠くんのことを考えていると廊下が騒がしいことに気がついた。男子校だから騒がしいのなんか日常茶飯事だが、今日はいつもと違う。誰か来たみたいだ。

 「おい、渡里先輩が1人で来てるらしい!」

 クラスの奴の一声がみんなの目を廊下に向けさせる。もしかして俺に会いに来てくれたのかな。でも、もしかしたら何か用があっただけかも。

 「早く行ってあげたら?渡里先輩きっと困ってるよ。」
 「俺に会いに来たとは限らないでしょ。」

 「そんなの自意識過剰みたいじゃん。」なんて言うと、奏志は大きなため息をついた。

 「想、さっきの話聞いてたろ?渡里先輩は限られた人しか近づかせない。その中、1年で唯一近づけるのは想だけなんだよ。それなのに想以外に用があると思うの?」

 たしかにそうだ。俺だけが悠瑠くんと居ることを許されている。それは俺の特権だったはずだ。無駄なことを考えてしまった。彼は勇気をだして来てくれたんだろう。

 「ほら、行けよ。もし想のこと関係なかったら慰めてあげるし。」

 奏志はハグするようなジェスチャーをする。「いらね。」と笑ったら、なんだか大丈夫な気がしてきた。
 俺は教室を飛び出して、悠瑠くんを探した。廊下に出ると人が1箇所に多く集まっていた。人混みの真ん中にいる、確信はないが、なぜかそんな気がした。

 「悠瑠くん!」

 大声で名前を呼ぶが、きっと周りの声にかき消されて彼には聞こえなかっただろう。どうにかして真ん中に行かなければ彼を助けることは出来ない。

  「日下部、助けて!」

 悠瑠くんから聞こえた大きな声。普段からそんな大声を出すタイプじゃないのに、必死に俺に助けを求めている。
 悠瑠くんの声で周りの野次馬が俺に気づき少し間を開けてくれた。隙間から悠瑠くんの顔が見え、強ばっていた顔は、穏やかになった。早く彼の元に行かなければならない。その一心で人の波をかき分け、中心へと足を進めた。あと一歩、悠瑠くんに届きそうな時、悠瑠くんの目線が違う方向を向いた。
 俺がもう少し早く彼が来ていたことに気づいていれば、一緒にソウのところに行くことを約束していれば、俺が彼の教室へ行っていれば、彼を傷つけることはなかっただろう。

 悠瑠くんは、よく知らない男にキスをされた。

 周りは大盛り上がり。悠瑠くんはその場でヘタリ込み、顔を上げることは無かった。ポタポタと床が濡れ出す。悠瑠くんは微かに聞こえる声で呟いた。

 「想……くッ……。」

 座り込む悠瑠くんに対し、「次は俺だ。」と悠瑠くんに手を伸ばそうとしてくる奴らもいた。
 俺には怒る資格なんてない。俺は彼のただの友だちのはず。周りにいるこいつらと同じ類。それでも、俺は目の前で泣きながら俺の名前を呼ぶ彼を、そのままにすることなんて出来なかった。
 俺のブレザーを悠瑠くんに被せ、顔を隠した。そして、目の前にいる男を思い切りぶん殴った。

 「おい、次やったやつにも同じことするから。」
 
 俺の牽制で、手を伸ばしていた奴らも俺の狂気を見て手を引っ込めた。

 「お前なんだよ。渡里先輩のなんでもないだろ。」
 「そうだよ。でも、悠瑠くんの代わりに俺が殴ってんだ。」

 きっと彼は優しい人だから、こんなクズのことさえ殴れないから。俺は彼の代わりに殴るんだ。
 なんて、正当そうな理由をつけて目の前のクズを殴ると、やり返してきて殴り合いになった。

 「おい、お前らいい加減にしろ。」

 殴り合いの途中で、誰かが呼んだ教師が乱入してきた。俺たちはそれぞれ生徒指導室に呼ばれ、事情を聞かれた。その時でも、頭の中に浮かぶのは、少し震えて涙を流す悠瑠くんの姿。早く彼に会わなければならない。

 「なんであんなことしたんだ。」
 「ただむかついた。」

 向こうの生徒はやられたからやり返した、と答えたらしい。たしかに俺から殴ったし間違ってない。あいつのしたことを先生に言うべきか迷ったが、悠瑠くんが望まないかもと言うのをやめた。

 「はぁ、もういい。渡里からも日下部は悪くないって話は聞いてるし、先生もお前が理由なしにこんなことしないと思っている。だから、今回だけ許してやる。」

 「もう今日は反省して帰りなさい。」という先生に一礼して教室を出た。帰る前に悠瑠くんに会いたい。でも、今は授業中だし、会えるのは明日になるか。なんて思っていたが、部屋を出てすぐ目の前に悠瑠くんがいた。

 「日下部…ごめん。俺のせい…。」

 俺の頬を見ては泣く悠瑠くん。俺はあなたの泣き顔なんてもう見たくない。俺がただ、あなたを守れなかった腹いせにあいつを殴った、それだけなんだ。

 「悠瑠くんのせいじゃないです。俺が殴りたくて殴ったんです。」
 「日下部、とりあえず保健室に行こう。」

 悠瑠くんは、俺の手を引いて歩き出した。繋がれた左手がすごく熱い。
 でも、保健室に行ったら、あいつも怪我してたからいるんじゃないのか。またあいつと悠瑠くんを会わせてしまうのか。

 「悠瑠くん、待ってください。」

 繋がれた悠瑠くんの手を引き、歩みを止めた。悠瑠くんはこちらを振り返り、首をかしげる。

 「保健室にはあいつがいるかも。だから、いつもの場所に行こう。」
 「俺は、日下部の怪我の手当てをしたくて保健室に行くのに。」
 「それでも、あいつと会わせたくないんです。」

 もし、俺の目の前で、またあいつに会って悠瑠くんが襲われたら、それこそ俺が俺でいられなくなる。自我を忘れてあいつの元にいくだろう。
 
 「…わかった、俺が救急セット持ってくから先行って待ってて。」
 「それなら俺も行きます。保健室避けた意味なくなっちゃう。」
 「大丈夫、誰かいたら引き返すから。」

 「俺を信じて。」と言われると、これ以上何も言えなくなってしまう。

 「早く来てくださいね。」

 俺は先に旧校舎裏にむかった。いつも通り誰もいないそこは、この学校の中で安心できる場所になった。いつもなら俺が来たらソウが寄ってきてくれるのに、今日はなぜか来なかった。
 
 少し経つと、悠瑠くんが救急セットを持って現れた。

 「誰にも会いませんでした?」
 「うん、大丈夫だった。」

 悠瑠くんが申し訳なさそうな顔をして傷を手当してくれる。消毒液を綿に湿らせるとき、消毒液の容器を押す悠瑠くんの手が微かに震えていた。俺がその手に触れると、悠瑠くんはこちらを向いて、また涙を流し始めた。

 「俺のせいでごめん、痛かったよね。」
 「……悠瑠くんって泣き虫なんですね。」

 ずっと泣いている悠瑠くんの涙を、手で拭う。俺は彼を泣かせてばかりだ。なぜかこの瞬間、奏志が言っていた言葉を思い出した。

 ――渡里先輩が可哀想。

 「俺、お前のこと諦めようかな。」
 「え、何でですか。」
 「俺、今回で分かったよ。全然知らない奴から向けられる好意ってこんなに怖いものなんだな。」

 悠瑠くんは静かに俯いて言った。絶対本心じゃないのに、俺は嫌だなんて言ってないのに。俺はむしろ……、

 「あいつと悠瑠くんを一緒にしないで、俺は嫌だなんて思ったことないです。」
 「日下部……。俺まだお前のそばにいていいの?」
 「もちろん、いてください。」

 悠瑠くんが「良かった。」と小さな声で呟く。まだ泣いている悠瑠くんは本当に泣き虫だ。

 「俺のために殴ってくれたのは嬉しい。けど、俺のせいで怪我はしないで。」

 悠瑠くんは頬に置いている俺の手に、自分の手を重ねる。上目遣いで俺を見つめてきて、俺の手にキスをする。その姿はとても艶美で俺を引き込む。この唇にあいつは触れたと思うと苛立ちを覚える。
 俺には苛立つ資格もないのに。俺のものでもない。ただただ、好きだと言って寄ってきてくれる悠瑠くんの特別になれていると思っているだけの俺。
 悠瑠くんの気持ちにも答えられていないのに、俺に殴る資格なんてあったのだろうか。

 「俺、日下部以外にキスされるの嫌だった。」

 じっと見つめてくる悠瑠くん。そんなに見つめられたら、理性が飛びそうだった。俺、悠瑠くんが好きなのかな。それとも、特別視されるのが嬉しいだけなのか。

 「想、上書きしてよ。」

 顔を俺の顔にグッと近づけてくる。至近距離で見つめ合う。鼓動がどんどん早くなっているのがわかる。このままキスしてしまえば俺は元には戻れない気がした。

 「ごめん、やっぱり…っ。」

 顔を遠ざけようとする悠瑠くんに、俺はキスをした。付き合ってもいない、友だちとも言い難い。ただ悠瑠くんの好意に甘えてる。そんな関係で、俺は好きか分からないのにこうやって悠瑠くんを惑わせる。これじゃ、悪魔はどちらか分からない。唇を離し、静かに見つめ合う。

 「…もう1回。」

 次は悠瑠くんからキスをしてきた。1回と言わず、何度も繰り返し、お互いに我を忘れていたと思う。悠瑠くんは俺の首に腕を回し、俺は悠瑠くんの腰に手を回す。少しでも力を入れてしまうと折れてしまいそうなほど薄く、消えてしまいそうで繊細に触れた。もっと、もっと、と善がる俺を薄目に微笑んだ。
 唇が離れ、二人の間が銀色の糸で繋がった。2人とも汗が滴り落ちる。離れたらいいのに、離れることはできない。俺が悠瑠くんの腰から手を離そうとすれば、体を寄せ、「もう少し。」と耳元で呟く。

 暑い夏の始まりの日、俺たちはよく分からない関係を続けていた。

 ◇◇◇

 放課後になり、悠瑠くんを教室まで送ったら、深山先輩と佐藤先輩が俺のとこまで来た。あの一件は校内に広まっているようだ。2人の先輩からは「よくやった!」って褒められた。守りきれたとは言い難いが、なんだか悠瑠くんのヒーローになれた気がした。

 悠瑠くんに手を振って、自分の教室に戻った。荷物を持ち、すぐに帰ろうと思っていた。

 「あ、想!まだいてよかった。」
 「あれ、まだ帰ってなかったの?」

 とっくに帰ったと思っていた奏志が教室の扉で息を切らして立っていた。俺の事を探していたのか、中に入ってきて俺の肩を思い切り掴んだ。

 「どうしたの、そんなに急いで。」
 「想のこと、校門で女子が待ってる。」

 急に奏志に言われた。待たれるような女の子に心当たりが無かった。……1人を除いて。

 「……その子、なんて言ってたの?」
 「急に声かけられて、約束守りにきたから探してるって。想、もしかしたら探してた子じゃない?」

 荷物を持って急いで教室を出た。ずっと探していたあの子に会えるかもしれない。向こうも約束を覚えていて、俺の元に会いに来てくれた。ただそれだけで嬉しくて、無我夢中で走って校門へと向かった。

 「日下部くん!」
 「俺と、約束があるって…。」

 正直、昔の顔も声も覚えていなかった。だからこの子があの子なのかなんて確信を持つものはなかった。

 「うん、小さい頃旅行先で会ったよね。」

 「会いたかった。」と俺に抱きついてきた。旅行先で出会ったのはあの子だけだから、きっとこの子が俺の約束の人。確信ではなかったが、信じるには十分だと思った。
 日下部くんと呼ぶその子に違和感は感じた。あの子は俺の事、「想くん」と呼ぶから。だけど、長い間会ってもいなければ少し他人行儀になってしまうのも仕方がない。

 「俺も会いたかった。ずっと探してた。」

すごくすごく嬉しかった。だから、彼女に答えるように腕を回した。嬉しかったはずなのに、悠瑠くんの顔が頭から離れなかった。先ほど悠瑠くんを抱きしめた時の感覚が呼び起こされた。
 そういえば、今、彼はこの場面を見ているかもしれない。彼女と抱き合っていた体を離し、いつも悠瑠くんがいる窓を見た。そこには悠瑠くんはおらず、いたのは深山先輩だけだった。
 
 次の日の朝、いつも通り駅のホームで悠瑠くんを待っていた。悠瑠くんは来なかった。
 正しくは俺より後には来なかった。

 学校に着くと、前のように窓から顔を出す悠瑠くんの姿が見えた。
 良かった、先に行ってたんだ。
 悠瑠くんと目が合った、合った気がした。でも、悠瑠くんはそっぽ向いて教室に入った。