世界で一番好きな文字を見た瞬間、一気に押さえていたものがこみ上げてきた。
 でも泣かない。さすがに俺泣きすぎだもん、先輩のことで。さすがに乙女すぎるもん俺。

 「もう逃げんなよ! 早く行ってこいっつーの!」

 香澄にバンッと背中を叩かれるがまま、俺は部屋を飛び出した。

 遠くで敵に倒される電子音が聞こえたけれど、そんなのどうだっていい。

 自分が倒さなきゃいけないのは、弱い自分だった。
 先輩から逃げてる自分。本音と逃げてる自分。
 ポケットにスマホと財布、そしてあのチケットだけを突っ込んで、靴をつっかけるように履く。
 先輩と初めて出会った、あのバス停へダッシュする。
 今日だけは、ちゃんと向き合うんだ。先輩と、自分と。

 やがてバスが走り出し、横浜の大きなアリーナへと向かう。
 あの人が、もうすでにステージの上で待っている場所はもうすぐそこまで迫っていた。

 <本日はご来場ありがとうございます。ただいまより〝プロデュース111〟最終ステージライブのご入場を開始いたします。チケットをお手元にご用意のうえ、順番にご入場ください>

 ついにやってきた。
 人の波に紛れながら会場へと入る。真ん中に大きなステージがあり、それを囲むように客席がぎっしりと埋まっていた。
 俺は先輩から直接もらったチケットだからか、一番前の席でステージからの距離がすごく近い。先輩の踊っている姿がよく見えそうだ。

 緊張しながら席に座ると、ほどなくして関係者席も埋まっていく。

 「あっ、音羽さん! お久しぶりです~!」

 突然近くで声を掛けられ顔を上げると、先輩の妹・美海ちゃんとお母さんだった。
 ふたりは俺のすぐ隣に並んで座り、あのときのように友好的な笑顔を向けてくる。

 「もー、お兄ちゃんったら、ほんとに音羽さんのこと大好きだよねー、ねぇ、ママ」

 「ほんとほんと、見てるこっちが恥ずかしくなるわ」

 ふたりの意味深な言葉に、カーッと頬が熱くなっていく。

 「それ、前から気になってたんですけど、どういう意味なんですか……? 大好きとか、その……よくわかんなくて」

 俺がぼそぼそと尋ねると、美海ちゃんは楽しそうに笑い、大きな目でじっと見つめてきた。

 「お兄ちゃん、友達の話って全くしないんだけどね。音羽さんと出会ってからは、こんなやつがいてーとか、ダンス頑張っててーとか、一緒に遊んだんだーとか家でニヤニヤのろけてくるし。しまいには私の誕生日会に連れてきていい?とかよくわかんない提案してくるし」

 「えっ!?」

 先輩から聞いていた話は、美海ちゃんが俺を誕生日会に誘ったものだとばかり思っていたのに。

 (先輩が裏で手を回していたって、いったいどういうことなんだ?)

 困惑する俺を見てお母さんは何か察したのか、大きくため息をついた。

 「あの子、小さい頃から好きなものとずっとひっついていたい性格みたいで、私も結構大変だったのよー」

 「す、好きなもの……ですか」

 「今は、好きな子みたいだけどね」

 「は、はぁ……」

 たしかに、お母さんが言うように、あのとき先輩は俺に引っ付いてきたな。と思い出す。
 意外と甘えたな部分があることに、胸キュンしていると……フッと照明が落ちた。

 「いよいよだ……」

 会場中のペンライトが一斉に灯り、星空のように輝きだした。
 鼓動が早まる。今まで死ぬ気で頑張ってきた先輩の最後のステージがついに始まるんだ。
 そう考えると、俺まで緊張で喉がカラカラになる。

 <プロデュース111、最終ステージ、今開幕です!!>