以前、先輩に直接もらった最終ステージのチケットを香澄に差し出すと、彼女は訝しげに眉をひそめて俺を見上げた。

 「ちょっと待って、あんたは行かなくていいの? リクくんと仲いいんじゃなかったの?」

 あの姉ですら、このチケットには少し慎重なようだ。

 「うん、大丈夫。先輩はファンもたくさんいるし、俺なんていなくても十分歓声があるから。楽しんできてよ」

 「……そ、そうなの? ありがと」

 俺の淡々とした口調にたじろぎつつ、香澄はチケットを受け取った。
 正直、ちょっとだけ肩の荷が下りた気がした。このチケットの存在はずっと心にひっかかっていたから。

 もちろん、利久先輩のことは今でも忘れられない。あのダンスをこの目で見たいという気持ちも、ある。
 けど、ステージに立つ彼を見たら、きっともっと好きになる。
 それが怖かった。叶わないって知ってるからこそ、これ以上は踏み込みたくなかった。
 香澄はほくほくした顔で、くるっと踵を返す。俺はそれを横目に、ゲーミングチェアに腰を下ろして再びゲームを起動させた。

 (何も考えず、向き合ってくる敵を倒し、小さな快感と勝利の喜びをかみしめる。そんなささやかな幸せが、自分には合ってる)

 一瞬過激な道へ足を踏み入れたが、やっぱり俺はこちらの芝生が居心地がよかった。
 しばらくカタカタとキーボードを叩いていると、背後から低い声が聞こえた。

 「ねえ、あんたさ……また逃げるの?」

 「は? なんだよ、急に」

 苛ついて振り返ると、香澄はまっすぐ俺を見据えていた。泣いても怒ってもいない。ただ、真剣だった。

 「私ね、あんたがオシャレしたり、踊ったり、頑張ってる姿を見るの、けっこう好きだったんだよ? あんた、リク君のこと好きだったからそんなに頑張れたんじゃないの?」

 「は、何」

 「勝手にひとりで閉じこもって、向き合うのが怖いからって投げ出して、元の自分に戻ればハイ無傷って。めっちゃダサい。あとさ、ちゃんと中身くらい確認しな」

 言いながら押しつけるようにチケットを渡してくる。その勢いに押されて、俺は思わず視線を落とした。

 「……っ!」

 「今日のライブは、絶対あんたが行って。じゃないと私、ほんとキレるよ?」

 利久先輩から受け取った封筒の中には、チケットと、もう一枚の手紙が挟まれていた。

 【瑞稀、ステージが終わったらその場で少し待ってて! ずっと伝えたかったことがあるから。一生のお願いね。利久】