「喜んでくれないと、泣く」

 先輩は照れを隠すように笑った。

 その手には、大きめのショップ袋。中には、彼の中学二年生の妹さんが好きなブランドのブルゾンが入っている。
 来週の誕生日に渡すんだそうだ。
 バイト代を惜しまず使うあたり、本当に妹想いなんだなと、ちょっと感心してしまった。

「それにしても、俺をマネキンにするのはどうかと思いますけど」
「ごめん、ごめん。音羽は可愛いから、めっちゃ参考になったよ」

 妹さんは、どうやら俺と身長が同じらしい。
 選ぶ間、何着も試着を頼まれて、着せ替え人形にようにあれこれ着させられた。
 ユニセックスなブランドだったのが不幸中の幸い。
 正直、先輩の前で色々着るのは少し照れくさかったけど……結果、満足そうだから、これでそれでよしとする。

 「じゃあ、そろそろ帰ろっか。結構いい時間だし」

 先輩が言うとおり、空はすっかり夜に染まり、時計の針は七時を過ぎていた。
 冷え込んだ風が手先に触れるたび、冬がすぐそこまで来ているのを感じる。

 心の奥にわずかに沈む名残惜しさを隠して、俺はいつも通りの笑顔をつくった。
 そして、隣を歩く先輩と歩幅をそろえて、原宿駅までの帰り道を歩き出す。

 冬が終わったら、先輩は卒業してしまう。

 今はこうして楽しく過ごしているけれど、あと僅かなのだ。
 好きだと自覚したら、あとは気持ちが大きくなっていくだけ。限界なんてない。
 想いを伝えられないこととか、距離が近づいていかないもどかしさとか、そういう苦しみから逃れたいと思っていたのに。
 俺はまた、恋をしてしまった。

 「瑞稀! 瑞稀!」

 突然、背後で名前を呼ばれ、肩を強めに叩かれる。

 「はぁ、はぁっ……瑞稀! 瑞稀だよな?」

 息を切らした声に振り返り、目が合った瞬間。ぷつりと時間が止まった。

 「亜嵐(あらん)……」
 
 冷えた空気に、俺の声が溶けていく。
 〝亜嵐〟
 中学の三年間、幾度となく呼んだ名前。
 ずっと、ずっと呼んでいたかった名前。
 俺の好きだった人の名前、だ。

 亜嵐は、込み上げる感情を抑えきれずに、苦し気に顔を歪ませた。
 
 「ずっと話したかったよ、瑞稀。俺とちゃんと、向き合ってくれるよね?」

 亜嵐はくっきりとした黒目をこちらに向け、俺に強く訴えかける。
 もう二度と会えないと思っていた親友の顔を見つめながら、俺は激しい胸の痛みを感じていた。