真横あたりから低い声が聞こえた瞬間、鼓膜がびくりと揺れた。

 「……つぅ、誰?」

 ぼやけた視界に映るのは、いつも通りのバスの天井。けれど、なぜか角度がおかしい。首が……斜め? 体勢が45度くらい傾いてる?

 「約二十分。よく寝てたね。俺の肩、快適だった?」
 「え、あ、まっ!? すみません、俺っ……!」

 状況を把握する前に、あまりに整った顔が目の前にあって、反射的に飛び起きた。
 金色の髪の毛をした男が、目の前でにこにこと笑っている。
 どうやら俺はこの人の肩に頭を預けて、ぐっすり寝ていたらしい。

 なんという失態。恥ずかしさで心臓が暴れそうだ。

 「君、眉間にしわ寄せてうなされてたよ。嫌な夢でも見た?」

 「……っ、あー、ゾンビ……。ゾンビが、いっぱい出てくる夢で。あ、えっと、そういう映画が好きなんです」

 「お、マジ? 俺も好き」

 想定外の返答に、一瞬思考が止まる。
 あれほどの顔立ちの人間が、ゾンビ映画を好むとは……妙な親近感が芽生える。
 それにしても、目の前のこの人――瞳の色がすごくきれいだ。
 栗色の、澄んだ湖のような目。その中に、動揺している自分の顔が映っていた。

 バスが「プシューッ」と音を立てて停まった。窓の外には見慣れた風景が流れ、銀杏並木の先に、同じ制服を着た生徒たちが見える。
 
 「じゃ、行こっか。寝坊助」

 「あっ、はい! どうも……」

 その人は先に席を立ち、俺がもたもたしていると、当然のように手を差し出してくれた。
 あまりにも自然な所作に戸惑いつつ、俺はその手を取った。

(なにこの少女漫画展開……いや、男子同士だけど)

 急いでリュックを肩に掛け、彼に引っ張られながらバスを降りる。先をゆく彼の金髪が、爽やかな夏風にそよがれて輝いていた。
 よくよく見たら、俺と同じ学校のパンツを履いている。
 上半身はだぼっとしたパーカーを羽織っているので、ぱっと見は気づかなかった。

 身長は俺より十センチは高そうだ。きっと百八十センチは超えている。
 さっき見た彼の瞳は大きくて横長で、外国人のように澄んだ茶色だった。次に印象的だったのはとても高くてまっすぐ伸びた細い鼻。あと完璧な配置で形のいいピンクの唇が鎮座していた。あれほどのイケメンだったら学校で速攻気づくはず……なのに、まったく見覚えがない。
 すると振り返った男性は、俺から手を離した。

 「んじゃ、俺はここで。眠いと思うけど授業頑張ってね」
 「あっ、ありがとうございました……! マジで助かりました」
 「どういたしまして」

 そう言って、軽く手を振って去っていく。
 周囲からは、目に見えてどよめきが起きていた。
 女子たちは小声で絶叫し、男子までもが「すげぇ……」と呆けた顔になっている。
 それでも彼は、何も気づいていないふうを装って歩き続ける。
 熱視線をものともせず、どこか慣れた足取りで。
 目の前に起きた出来事が現実なのかどうか、まだ信じ切れない。

 「なんか俺、すげー人に助けられちゃったのかな」