先輩は俺の目の下に、ためらいなく星型のシールをペタッと貼りつけた。
 「……え?」と間抜けな声を漏らす俺をよそに、先輩は自分にも同じものを貼る。

 「フェイスシールね。お湯でこすればすぐ落ちる。安心して盛って」

 なんでそんな無邪気に言えるんだよ、と思いながらも、押しの強さに飲まれて頷いていた。
 気づけば、鏡の中の俺は〝体育祭に本気出してる男子高校生〟になっていた。しかも、どこかちゃんとオシャレに見える方向で。

 去年の俺なら、こんなやつを見て鼻で笑ってた。
 『どうせ土ぼこりで台無しだろ』とか『気合い入れるとこズレてる』とか、くだらない理由つけて。
 でも今、いざ自分が手をかけてもらって変わってみると、悪くない。いや、むしろ高まってきた。

 正直、応援団の本番を前にさっきまで胃がキリキリしてた。
 でも、こうして少しだけ見た目を整えてもらっただけで、いけるかもしれない……なんて、根拠のない自信が芽生えてくる。

 (オシャレって、気分まで変える魔法なのか……)

 「おっはよ〜七海くん!」

 突然、甲高い声が背後から降ってきた。反射的に振り返ると、教室には三年の先輩たちがなだれ込んできていた。
 みんな本気モードだ。髪型はキメキメ、女子先輩たちは全員フルメイクで、完全に戦場仕様だ。

 その中でひときわ目を引くのが、いつもよりさらに輝いてる七海先輩。
 人が集まっていくのも当然で、俺はポツンと一人取り残された。
 気まずさをごまかすように、机に散らばったヘアアイロンやブラシを手早く片付ける。せめて、存在を消そうと本能が働いた。

 (やばい、今の姿見られるの、地味に恥ずかしい)

 「ん? ……あれ、もしかして音羽?」

 聞き覚えのある声が上から降ってきて、ギクッとする。
 顔を上げると、櫻井大吾が驚いた顔でこちらを見ていた。その背後には、女子たちが数人。全員、目を丸くしてる。

 「うお、誰かと思った! その髪、やばいじゃん、いい意味で」
 「めっちゃ今っぽい! っていうか、音羽だよね? 変わりすぎじゃない?」

 囲まれた俺に、矢継ぎ早に「かっこいい」「オシャレ」「別人みたい」いう単語が飛んでくる。
 あまりにも場違いな言葉の数々を、信じられない気持ちで聞く。

 嬉しい。でも、こそばゆい。
 笑うのが下手すぎてぎこちないけど、それでも俺は笑っていた。
 だって、みんながちゃんと、今の俺を見てくれてるから。

 (ずっと、羨ましかったんだ。オシャレを堂々と楽しめる人たちが)

 それを認めるのが少しだけ悔しい。けど、今日だけは、いいか。

 ふと視線の先を見ると、七海先輩が少し離れたところからこっちをじっと見ていた。目が合うと、静かに笑う。
 少し照れくさかったけれど、俺も素直に笑みを返した。

 (先輩のおかげで、俺もちゃんと高校生をやれてる気がする)

 体育祭に打ち込んで、学生らしいオシャレをして。
 先輩に出会ってなかったら俺は、どうなってたんだろう。
 あのまま過去を乗り越えられずに苦しんで、前を向けなかっただろうな。